――――彼は『その時』が訪れるまで、ただひたすらに待ち続けていた。
いや、単に待ち続けているという表現は正確ではない。より具体的には人1人が横たわれるだけの穴を掘り、その中で息を潜めるどころか肉体を構成する各臓器ならびに人口部品の機能を生命活動を最低限維持できるギリギリのラインまで低下させ、肉体が消費するエネルギーを最小限に止めながら愛用の大型ライフルと共に穴の中に潜んでいるのである。
彼……トゥレディという名を与えられた人物は戦闘機人である。
一口に戦闘機人といっても種類は様々だ。生まれ方からして純粋培養か高ランク魔導師の遺伝子データから生まれたクローン培養に分ける事が出来る上、予め定められた役割に応じて肉体そのものも調整・改良が加えられる。同じ遺伝子、同じレベルの肉体調整を受けた戦闘機人でも微妙な差異が生じる為、彼または彼女達はまさに千差万別である。
トゥレディは長距離狙撃による援護、敵地への長期単独潜入・隠密活動を目的に『設計』された戦闘機人。
通常の戦闘機人に比べ行動・戦闘時の消費エネルギー効率が極めて高く、損傷さえしなければ長時間の戦闘継続が可能だった。肉体の活動を限界まで抑制すれば、飲まず食わずでも2週間近くは耐えられる。生物に不可欠な排泄すらもコントロール可能だ。
本人にとって、暗い穴の中で潜み続けている間に過ごす時間は、待つというよりは眠ると例えた方がしっくりきた。
思考する……つまり脳を使うだけでもかなりのエネルギーが消費される。脳に回す分のエネルギーも勿体なく思ったトゥレディは脳の活動すらも抑制し、結果植物人間も同然の状態でトゥレディは何十時間も何日もの間、穴の中で彫像の如く横たわり続けた。
勿論、苦には思わなかった。そもそも苦しさや辛さを知覚し、然るべき知覚領域に伝え、信号の意味を理解するだけの活動すらトゥレディの肉体は行っていない。目覚めた段になってようやく、長時間同じ姿勢でガチガチに凝り固まった全身の軋んだ悲鳴に顔をしかめるのだ。
生命活動も極限まで抑制している故に、彼が放つ生物としての気配も路傍の石の如く非常に薄い。
トゥレディが掘った穴も入念にカモフラージュが施されており、仮にトゥレディが潜む穴の傍まで何者か――大方の場合敵――が近づいてきても、彼の存在を見抜く事は非常に難しいだろう……それこそ穴を覆う土と雑草を周囲から浮かない程度に塗した偽装シートの上に運悪く足を乗せて踏み抜かない限りは、だが。
彼が持つ装備、<インビジブル・コート>の光学迷彩を用いないのはエネルギーの節約と、戦場によっては高度な装備よりも原始的な手段の方が見抜かれにくく、長期潜伏にも向いている為である。
彼は微動だにする事無く、『その時』が訪れるまで待ち続ける。
まるで決められた時刻に達する寸前まで決して爆発しない精巧な時限爆弾のように、甚大な危険性を秘めながら。
『その時』の訪れを知らせたのはトゥレディの――全ての生物が持つ生物学的な機能としての存在ではなく、体内に追加された機械部品としての――体内時計であった。
新暦76年4月28日。現在の時刻は7時ジャスト。
まず最初に覚醒が促されたのは思考を司るのみならず、各臓器・身体機能を調節する反射中枢が存在する脳・脳幹部。
微かな眉の痙攣を伴いながら意識が段階を追って浮上していく。浮上する、という表現はまさにぴったりの表現だとトゥレディは日頃から感じていた。限界ギリギリまで活動が抑えられた意識と脳細胞が少しずつ再起動を果たしていく度、まさに深い深い海の圧力から開放されて光溢れる海面までゆっくりと上り詰めていく瞬間とそっくりの感覚をトゥレディは覚えていた。
「(全身の筋肉を押さえつけろ。動かしていいのは瞼(まぶた)だけだ)」
目覚めた瞬間に身じろぎ1つ行わない様にするのは非常に難しい。下手な動き1つで存在を悟られないよう、あらん限りの精神力でもって自制を貫き、瞼だけはそっと開いた。
瞳に写る光景は最後に見た時とまったく一緒、視界いっぱいに広がる潜伏用の穴を覆う偽装カバーの裏側。体内時計が教えてくれる時刻、そして厚手の素材越しに感じる明るさから、陽が既に高く上って大地を照らしているのが理解できた。
手に感じるのは愛用の無骨で長大な専用ライフルの冷たさ。上半身に伝わってくるのは両腕でかき抱いたライフルの重み。
ライフルを抱いた仰向けの体勢をまったく変える事無く、まず視覚と触覚だけで現在の状態をチェックし終えると、次に目を閉じてから聴覚と肌の感覚を研ぎ澄ます。
風の音、波の音、風で揺れる草木の葉鳴り……地面が踏みしめられる足音、人の気配はまったく感じられない。
自分の存在はまだ露呈していない――――幸運な現実に感謝。
今度は指先をチェックする。感覚に異常がないか、思い通りに指が動いてくれるか1本1本曲げ伸ばしして入念に確かめる。引き金を絞る指先こそ狙撃手が何より気を配るべきパーツなのだ。
「(さてここからだ)」
思考は覚醒したものの、だからといってすぐに出番とは限らない。
標的は、残り3人。
トゥレディが標的と定めている人物達が一同に介し、尚且つ目的を達成出来る機会が今日、この場所である事自体は原作知識として知っていた。だが当日のタイムスケジュールまでは原作知識でも把握しておらず、今後同じようなチャンスが巡って来るのかどうかなど神ならぬ彼が知る筈もなく。
「(今日が、最後のチャンス)」
未だ標的は現れる気配はない。記憶では確か残りの標的の内『2人』が仲間達と一緒にやってくる筈。問題は残り1人をどうやって誘き出すかだが……
「(予想通りの展開になれば――――向こうから姿を現してくれる)」
確率は半々、といった所か。
標的とその仲間がトゥレディの潜む地点にやってくる事は十中八九無いだろう。狙撃可能な地点に標的がやってくるまではまだしばらく間が空く。万が一何者かが近づいてくるかもしれないので聴覚と気配には注意しつつ、ある程度は気を抜く。ずっと気を張り詰めさせていては身体が持たなくなる。
一旦気が抜けると、余計なノイズが勝手に意識に入り込み始めた。
ここからは標的達が現れるまで文字通りの意味で待たなければならない――――ライフルを抱え、ただ1人孤独に。
かつては通信を繋げば応えてくれる仲間……いや家族、姉妹が存在した。
今は全員塀の仲だ。トゥレディの知識通りにドクターの野望は主人公勢率いる機動6課を中心とした管理局に打ち砕かれ、姉妹も協力者のルーテシアも捕らえられてしまった。
もう1人の協力者だったゼスト、長期間管理局に潜入していた次女も結局原作通り死んでしまった。一応警告はしておいたが2人の運命も変わらなかったようだ。哀れなドゥーエとゼスト。曲がりなりにも家族であり仲間だった2人の死を知り、深い悲しみと喪失感に襲われたのは記憶に新しい。
もしかしたら一歩間違えれば代わりに自分が死んでいたのではないか、時折そんな考えが脳裏を過ぎる時もある。
その度にこう思うのだ――――『まだ死ぬわけにはいかない』と。自分の望みが完全に叶うまでは決して死なず、決して捕まらず、決して諦めてはならない。己にそう、言い聞かせ続けてきた。
辛い目には幾らでも遭ってきた。トーレとの戦闘訓練で散々に叩きのめされ、クァットロの幻影に翻弄された挙句毒舌に精神を蹂躙され、初めて実戦に駆り出された時は緊張と恐怖心から本来の能力と技術を発揮できなかったせいで敵に殺されかけた。
這いずり回り、のた打ち回り、転げ回り、血反吐を吐き散らす様な経験を積み重ね……それらを糧に生き延びてきたのだ。
何がトゥレディを突き動かしてきたのか、その理由と実態を周囲が知れば100人中99人は呆れ、嫌悪し、彼に蔑みの目を向けるであろう。残りの1人ぐらいは大多数同様に呆れの感情を抱きながらも、しかしその果てしなき欲望と執念に敬意か賛同を示してくれるかもしれない。その場合最後の1人は確実に男に違いない。
生みの親も、姉妹も、仲間も、皆敗北した。彼らの戦いは敗北という形で終わりを迎えた。
全員管理局に捕らえられたし、一部の者は長い間塀の中で臭い飯を食い続ける羽目にはなるが、それ以外の家族と仲間は幸せな未来が待っているのだとトゥレディは知っている。
もしもあの時……最終決戦で1人だけまともに戦おうとしないまま戦場から姿を消さず、皆と一緒に真っ向から戦って――――そして負けて、大人しく自分の身柄を主人公達に委ねていたのならば、今頃はどうなっていたんだろうか。
何故、自分はこうして武器を抱えて穴の中に篭っている?何故戦いを止めない?何で皆みたいに敗北を認めて楽になろうとしない?
『諦めて楽になれよ』
――――誰かが耳元で囁いた。
その囁き声は、トゥレディと同じ声をしていた。
『お前がやってる事は結局はタダのちんけな犯罪だ。誰かが賞賛してくれる事など決してありえない。
さっさと穴倉から出てきて武器を捨てて、両手を上げてすぐ近くで忙しそうにしてる管理局員の皆さんの前に出て行ったらどうだ?
何、少しは手荒い扱いをされるだろうし、エースオブエースやら金髪執務官達被害者からはビンタの1発か手加減抜きの砲撃魔法ぐらいはかまされるかもしれないけれど心配は無用。彼女達は優しいからきっちり命や身分の保証はしてくれるさ、それで十分じゃないか――――………』
「(いいや、十分じゃない)」
もう1人の自分自身が滔々と語った甘言を、トゥレディは躊躇いなく切り捨てた。
自分の拘りがとてつもなく下らない事だというのはとっくの昔に自覚している。
けれど。だけども。
果てしなく下らない拘りに執念を注いできたからこそこの場に存在しているのだ。ここまで辿り着いたのだ。
ここに至るまでに積み重ねてきた過程を、乗り越えてきた苦難を、切り捨ててきた犠牲を、手にしてきた成果を――――無駄にして堪るものか。
どうとでも言え、ドクターの野望だとか、戦闘機人として自分が生み出された意味だとかどうだっていい。最初からどうでもよかった。
俺は俺だ。執念に燃える1人のスナイパーだ。まだ目的は達成していない。全ての標的を撃ち抜くまでは止まらない。俺の戦いが今日終わるのだとしても、まだその時は来ていない――――
穴に潜む前、予め仕掛けておいたセンサーに反応があった。
ようやく来たか――――逸れ者の狙撃手の胸中へ感慨の念が去来する。
遂にこの時がやってきた。最後のチャンス、最後の戦争。お膳立ても整えてある。部隊解散の準備で忙しい局員達のドサクサに紛れ、色々と細工も施しておいた。
全ては今日、この時の為に。
強張りが残った筋肉を宥めすかすように少しずつ両腕を伸ばしていき、偽装カバーに両手を当てるとゆっくりと押し上げていく。目的を達成できるラストチャンスがようやくやってきたからと言って決して逸ってはならない。いざという時に慌てて擬装を解除したせいで存在が露見してしまってはそれこそ片手落ちである。
偽装シートを数㎝だけ持ち上げたら一旦手を引っ込め、ライフルを抱えたまま俯せの体勢に移る。ジリジリと這い蹲りながら穴の縁へと近づき、今度は偽装シートを端の部分から持ち上げた。
持ち上げられたシートの隙間から、細かな土埃が陽光と共に穴の中へ入ってきた。数日振りに直接お目にかかった太陽の日差しは中々強烈だったが、すぐに視覚器内の遮光フィルターが作動して急激な光量の変化からトゥレディを守った。
そっとシートと地面の隙間から外の様子を窺う――――やはり人影は無し。
肉眼での索敵を終えると数日振りに光学迷彩を起動した。狂気の天才Dr.スカリエッティ謹製の隠密行動・潜入用装備は問題なく動作し、トゥレディを透明人間へと変えた。
偽装シートを更に持ち上げ、まずは上半身を穴の外へと脱出させる。心は初めておっかなびっくり地上に出てきたモグラの様にゆっくりと慎重に。身体は獲物を一呑みにすべく音も無く忍び寄る蛇の如く両手両足、そして全身をくねらせるように使って穴の中から這いずり出た。
両手、頭、背中、最後に下半身が陽の元へと晒される。だが今のトゥレディは文字通りの透明人間だ。
偽装された隠れ穴から這い出てきた彼の姿は誰にも見えず、そもそも隠れ穴から最低でも半径100m以内には彼以外誰も存在していない。彼の存在を唯一示す痕跡は、中身が居なくなった事で不自然に窪んだ地面の一角だけだ。
トゥレディが潜んでいた場所――――過去に1度彼の姉妹達によって焼き討ちに遭ったものの無事再建され、今日その役目を終えた機動6課隊舎、その裏手の広場である。
広場の端の方には草叢が広がっている部分があった。普段から人目が届きにくく近づく者も少ないその場所をトゥレディは潜伏場所に選んだ。機動6課隊舎周辺に関する情報は元々はヴィヴィオ誘拐を任されたオットーとディード用の物だった。流石に再建後の隊舎の具体的な構造は把握しきれていないが、隊舎襲撃による被害が及ばなかった場所には手が加えられておらず、以前の情報と同じままの状態を保っていた。
隠れ場所から出てくるまでは順調だったが、あらかじめ目星をつけていた狙撃地点まではまたそれなりの距離を移動しなければならない。
身体の前面全体を地面に擦りつけながら少しずつ、また少しずつ肉体を前へと押し出す。
ライフルを横抱きにした状態で両腕を胸元へ引き付ける度に腕の筋肉が、カエルの様に身体を前方へ蹴り出す度に脚の筋肉が悲鳴を上げる。
遺伝子の段階で既に狙撃に適した肉体としてデザインされたトゥレディの身体だが、長期間同じ姿勢だった事による筋肉や関節の強張りは完全には抑え切れない。
しかし匍匐前進で1m、また1mと進むごとに彼の肉体は滑らかな動きを取り戻していった。これもまた戦闘機人として生まれた彼の特徴。長時間の狙撃姿勢維持による筋肉の強張りから極めて短時間で回復するよう、予めトゥレディの肉体は『設計・改良』を受けている。
幸運にも、トゥレディの潜んでいた草叢のすぐ向こう側から狙撃地点までの道はコンクリートで舗装されていた。これならば土や芝生に這いずった跡を残さずに済む――――痕跡を残さない事こそ狙撃手の鉄則。
歩けば1分強しかかからないであろう道程を、たっぷり何倍もの時間をかけて匍匐前進で走破し、ようやくトゥレディは狙撃地点に到着した。
そこから見えたのは、海の上でありながら満開に咲き乱れている大量の桜だった。『トゥレディ』になってから、彼が桜を見るのはこれが初めてだった。ドクター曰く、桜という植物は地球にしか存在していないのだそうだ。
もちろん視線の先に広がる満開の桜は偽者である。海上に設置された機動6課専用の空間シミュレーターが生み出した虚構の桜である。それでも肉眼で一瞥しただけではまったく見分けがつかない位に、再現された桜は本物そっくりで、美しい。一瞬、転落防止用の手すりから身を乗り出したくなる衝動に駆られてしまったぐらいに。
手摺のすぐ向こうは崖の様に垂直に切り立ったコンクリート製の防波堤となっている。少し離れた場所に、空間シミュレーターへ向かう為の階段が設けてあった。
人工的でありながら余りに自然過ぎる桃色の空間……唯一中心部のみ、桜色の絨毯の中でそこだけがぽっかりとくり貫かれたかのように地肌を晒していた。
その空白地帯に、標的達の姿があった。
倍率を上げて空白地帯周辺の様子を拡大。捉えた標的は2人。やはりもう1人の姿はそこにない――――予定通りだ。
現在地から標的までの距離は500m足らず。これまで経験してきた狙撃の中では比較的近い方だ。海面と隊舎が存在している地表との高度差は優に建物数階分はあるので、トゥレディからの位置では見下ろす形になる。
狙撃地点から標的達が存在する空白地帯まで遮る物は皆無。クラナガン周辺の海上は日頃からそれなりに強い潮風が吹いているが、トゥレディ専用の大型ライフルが放つエネルギー弾の威力であれば500m程度の距離でもギリギリ海面上で生じている気流を無視出来る。
畳んでいた2脚(バイポッド)を展開し地面へとそっと置く。鉄パイプで組まれた手すりは隙間が大きいので狙撃の邪魔にならない。
伏射姿勢を取り、ストックに右の頬を押し付け、スカリエッティ謹製の『眼』をライフルの銃身に沿う様に備えたカメラと連動させる。正しい姿勢、正しい角度でライフルを保持し、両肘を地面に当てて新たな銃の支えにする。一度姿勢が決まったら余計な身動ぎは禁物。照準のブレを最小限に押さえ込みながら体内のエネルギーをライフルへ注ぎ込み、これで装弾も完了。
数百m先では標的を含めた少女達(おまけに将来有望間違いなし畜生もげろな美少年が1人にぬいぐるみみたいなチビ竜1匹)が、数名ずつの集団に分かれる形で睨み合っている。
あの場でもうすぐ行われようとしているのは、魔導師ランクオーバーS揃いの上官達がこの1年手塩にかけて育ててきたヒヨッ子達への餞別としての模擬戦。
標的の1人は上官チームの一員として不敵に口元を歪めながらバリアジャケット姿で――いやベルカ式だと騎士甲冑という表現だったか――やる気に満ちた若い少女達+αを睥睨している。もう1人の標的は変身しないで制服姿のまま、完全に見物客兼レフェリーとして両陣営に声援を送っていた。
更にその隣にも見覚えのある藍色の髪の美女と金髪オッドアイな幼女が立っているがそちらは標的でないので関係無し。藍色の美女の方はドクターのラボで治療ついでに精神改造受けてる間、ずっと全裸で生体カプセルの中で浮いていた人物だ。その時十分目で堪能したのでもう興味はない。
騎士甲冑姿の標的――――シグナムに照準。今は目前の敵、この1年緩急硬軟織り交ぜて鍛え上げてきた年若い部下達がどれほど成長したのかすぐにでも確かめたくて仕方ないと言わんばかりに鋭利で獰猛な笑みを浮かべていて、己が非情なる十字線の中心に捉えられている現実など露も想像していない様子だ。
上官チームと部下チーム、両者の間に広がる緊迫感がここまで伝わってくる。
しかし、これから始まる戦いは何処までやれるのかを確かめる為の純粋な力比べあるが故に、決して肌刺すような剣呑な気配ではなかった。
――――悪いがお邪魔させてもらおう。
「傍迷惑ですまないが……もう少しだけ付き合って貰おうか」
空気を細く吸い、すぐに息を止めて肺の中に留める。今度こそ全身が完全に固定される。取り込んだ酸素を消費し身体が震え始めるまでの数秒間の間に引き金を絞る。
トゥレディのエネルギーと執念を注がれたライフルは、スカリエッティの力を借りながら彼自ら構築したプログラムを元に弾丸を生成。
撃鉄が落ち、機関部が作動し、生成されたエネルギー弾が銃身を通過するまで0コンマ数秒。
最初の目標――――シグナムに着弾するまでは約0.5秒。
そして――――
『自分を撃った銃声は聞こえない』
業務と執務官試験の為の勉強に励む傍ら、新たな日課として食い入るように研究するようになった狙撃関係の書物の1冊に書かれていた一文。
尊敬する隊長陣とリミッター無しの本当のガチンコ勝負に挑もうとしていたティアナがその言葉を思い出したのは、いざ激突という瞬間に凄まじくも聞き覚えのある銃声が鼓膜を震わせたからであった。
「(銃声!?撃たれた?何で、誰が、何処から、どうして)」
全く予想外の事態に瞬間的に思考がオーバーフロー。冷静さが売りである筈の彼女がこうなってしまったのは、ティアナ自身姿の見えぬ狙撃手の恐怖を身を以って理解していたから。恐怖の記憶が蘇えり、一時的にぶつ切りの単語しか思い浮かばなくなる。
そこで脳裏を過ぎたのが件の一文。すると途端に脳細胞が再起動を果たして冷静さを取り戻した。言葉の通りならつまり、撃たれたのはティアナではないという事だ。
なら誰が撃たれた?
「ぬ、を、なぁっ!?」
驚愕の悲鳴。声の主はライトニング分隊副隊長、シグナム。古代ベルカ式の使い手で厳しい人物だが、何時だって沈着冷静な空戦Sランクの彼女がこんな素っ頓狂な悲鳴を上げるなんて夢にも思わなかった。
ハッとなって勢い良くシグナム副隊長へと顔を向けたティアナは目を見開き……でもって固まった。
――――そこにあったのは全裸であった。真っ裸であった。
「(何ですかそのロケットみたくばいーんって飛び出してるのはおっぱいですかああ紛う事無き本物のおっぱいですねいやおかしいでしょ何あの突き出し具合絶対両手でも足りないあの大きさでどうしてあんなに剣振り回せるんだろうトップとアンダーの差も違い過ぎだし先っぽも全然黒くなくて綺麗だしというかそもそも全身にシミ1つ見当たらないし腰のラインも何アレどれだけくびれてるんですかボンキュッボンにも程があるでしょお尻も大き過ぎず小さすぎずでキュッて引き締まってるし胸もそうだけどツンて上向いちゃってるしだけど下のヘアは意外と薄めなのねって何よあの太股のラインもグンバツじゃないああもうどうして魔導師ランクが高い人ってどいつもこいつもスタイル抜群な美人ばかりなのよ良いわよどうせ私は中途半端な凡人に過ぎませんよ!妬ましいああ妬ましいパルパルパル!!)」
――――ここまで0.1秒。マルチタスクなんて目じゃねぇ高速思考である。
「ぬなっ、なっ、これは!?」
「ちょ、いきなりどうしたんやシグナム!?張り切りすぎてフェイトちゃん以上の痴女になってもうたんか!?」
「ふぇっ!?わ、私痴女じゃないよはやて!」
「嘘やっ!」
「し、シグナムふくた――――ぶはっ!?」
「ああっ、エリオが鼻血出して倒れちゃった!?」
黒一点のエリオは顔を真っ赤にしてぶっ倒れた。自分が言うべきネタを上官に取られた気がした。一気にカオスと化した現場に一瞬めまいを覚えたティアナだったが、すぐさま我に返り警告を発した。
この場において、正しい反応を見せたのはティアナ以外にももう1人。
「これは狙撃だよはやてちゃん!皆、今すぐ周りの木の陰に隠れて!」
「呆けてないでなのはさんの言った通りにするのよ!スバルはエリオを運んでやって、早く!」
なのはとティアナの指示を受けてようやく他の面々も動き出す。ティアナを含めたフォワード陣、フェイトとシグナムは――シグナムはレヴァンテイン片手に全裸のまま――後方の林の中へ飛び込む。なのはは幼い為に未だ何事か理解できていなかったヴィヴィオの、ヴィータはデバイスを起動しようとしているはやてとギンガの元へ駆け出した。
――――反応が遅過ぎる!バカなやり取りのせいですでに貴重な時間を失っていた。いつ第2弾が飛来してきてもおかしくない。ヴィータは歯噛みしながら、それでも諦めず賢明にはやての元へ駆ける
「狙撃て、一体何所から――――」
「それよりも先に隠れないと、はやてぇ!」
瞬時に騎士甲冑を装着したはやてに対し、ヴィータは飛びつくようにして主の腕を引く。狙撃を受けているのならば何より安全な場所に隠れるのを優先して欲しかった。
本物の幼児であるヴィヴィオを除いてこの場でもっとも小柄な体格のヴィータだが、日頃から巨大化した鉄槌型デバイスを軽々振り回すその腕力は見かけからは想像出来ないほど逞しい。勢い良く引っ張られてはやての身体は、身を投げ出されたかのように大きく傾いた、その数瞬後。
第2弾が飛来。たった今まではやての上半身があった空間を通過し、地面に着弾。高圧電流が流れたような弾ける音と共に土が飛び散る――――はやてが狙われてる!
「走れぇぇぇぇぇぇぇぇぇぇ!!!」
必死で地面を蹴った。2人、いや並走しているギンガ共々、花満開の桜ばかりが続く林の奥へと向かう。ヴィヴィオを抱えたなのはは3人とは別方向へ消える。
狙撃を受けた原っぱからたっぷり数十mは離れた所で3人は一旦ばらけ、それぞれ人1人位なら身を隠せるだけの太さを持つ木の陰へと身を隠す。
更なる銃声は――――聞こえてこない。
どうにか謎の狙撃犯の射界から逃れれたようだ、と判断したヴィータは大きく息を吐き出す。
それから散り散りになった他の仲間に通信を繋いだ。真っ先になのはの顔がどアップで画面に表示された。
『ヴィータちゃん無事!?はやてちゃんとギンガも大丈夫!!?』
「あー何とかな」
「ヴィータのお陰でギリギリ当たらずに済んだんよ。ありがとなヴィータ」
「気にしなくていいって。はやてを守るのは守護騎士であるアタシの役目なんだしな。他に狙撃された奴は?」
『こちらスターズ01。私は大丈夫だよ。ヴィヴィオも無事』
『フォワード陣も大丈夫です。誰も撃たれていません……でもエリオはまだ気絶したままです』
「よっぽど刺激が強かったんやなぁ……」
『あ、主はやて……』
気持ちは判る、と言わんばかりに重々しく呟くはやての声が回線越しに届いていたのか、非常に狼狽した態度のシグナムの顔が新たに現れた。ちらちら見え隠れする肌色の多さから未だ全裸のままであるのが判別できる。
多々抜けがあるものの、長きに渡り苛烈な戦場で生きてきた記憶と経験を持つシグナムである。しかしそんな彼女であっても、人前で強制的かつ瞬時に一糸纏わぬ姿にさせられたのは今回が初めての経験に違いない。
『こっ、このような姿のままで申し訳ありません。しかし何度試みても騎士甲冑を再構築できないもので……』
「全裸にされる上にバリアジャケットの展開も出来なくなるなんて……」
「どんだけ悪趣味なんだよ、撃ってきた野郎は」
シグナム本人は無傷であるものの、肝心要のバリアジャケットが使えないのは非常に痛い。こんな状態の彼女を戦わせる訳にはいかなかった。
遅ればせながら、はやての背筋を恐怖からくる悪寒が這い登ってくる。膝の震えが抑えきれない。もし最初の狙撃が殺傷設定で行われていたら、シグナムは亡き者になっていたかもしれないのだ。家族を失うのははやてにとってのトラウマであった。
だが今は、ありえたかもしれない恐怖に怯えていては事態は解決しない。大きく吸っては吐いて、深呼吸を何度か繰り返して最悪の想像を心の奥底へと押し込み厳重に鍵をかけた。事態が解決するまで決して開けないよう、己に言い聞かせる。
『……この狙撃手に心当たりがあります』
『私もだよ。これはきっと――――ううん、間違いなく彼だよ』
「最後の戦いで唯一捕まんなかった戦闘機人のスナイパー、か」
なのは・フェイト・ギンガ・スバル・ティアナに辱めを与えた女の敵であると同時に、地上本部襲撃ではたった1人でヴィータを除くスターズ分隊相手を翻弄し、最終的に3人を行動不能に陥れてみせた強敵。
廃棄都市区画での戦闘や地上本部襲撃時に存在が確認されていたにもかかわらず、<ゆりかご>浮上に伴う最終決戦では何故か決着に至っても姿を現す事無く、後日スカリエッティや他の戦闘機人の少女達に尋問しても行方が知れなかった存在。
ただ、スカリエッティはその戦闘機人(その際にようやくトゥレディという名前である事、狙撃と敵地での潜入活動に特化した存在であると知った)についてこう評している――――『彼こそが私の最高傑作であり、ある意味創造主である私すら超越した存在なのだ』と。
そんな存在が何故ここに。どうして我々を狙うのか。何が目的なのか。一体何所から撃ってきているのか――――疑問は尽きない。
1つだけハッキリしているのは、件の戦闘機人が我々機動6課に対し間違いなく敵対の意思を抱いているという点だ。
……ただ敵対の手段が『狙撃で素っ裸にする』というのは、ある意味凄まじくも(複数の意味で)イヤらしく、非常に恐ろしくもある。
主に貞操と羞恥的な意味で。
「ところでな、ちょっと気づいた事があるんやけど」
『何なのはやてちゃん!』
おもむろにはやてが口を開くと、そこから放たれた言葉を耳にした者は全員機動6課部隊長の次の発言を聞き逃すまいと、一斉に意識を集中させた。
「今までその戦闘機人……確かトゥレディっていう名前やったやんな?」
『うん、スカリエッティやナンバーズ――――他の戦闘機人の子達はそう呼んでたって。スカリエッティが生み出した中で、唯一の男性型戦闘機人……』
「私達の中でそのトゥレディって戦闘機人の犠牲者になったんはなのはちゃん、フェイトちゃん、ギンガ、スバル、ティアナ。そして今度はシグナムや」
『フォワード勢ばかり狙われているという事でしょうか。ギンガさんは少し違いますけど』
「その可能性もある。でも私の予想はちょっと違う」
一拍間を置き、通信を聞いている仲間達全員に言葉の意味が浸透していくのを見計らったはやては、非常に厳かな口調と声色でこう言い放った。
「私の予想では、このトゥレディって戦闘機人はそう――――――
―――――――――巨乳派や!」
「はやて、ちょっとその頭アイゼンでブン殴っていいか?ギガントフォルムで」
もうヤダこの上官。ティアナは頭を抱えて泣きたくなった。
※豆狸が正しいです
書いてる内にハンターよりもフカミン調になっちゃってる気ががが