その昔、予言が為された。
一人の偉大なる予見者の血を引くものから、偉大と言われる魔法使いに対してなされた予言。
魔法使いの意志を決定し、幾人もの人の運命を決めた呪いのような予言。
『闇の帝王を打ち破る力を有した者が近づいている。七つ目の月が死ぬとき、帝王に三度抗った者達から生まれる。そして闇の帝王は彼の者が自分に比肩する者としての印を刻むであろう。
しかし彼は闇の帝王の知らぬ力を持つであろう。一方が生きるかぎり他方は生きられぬ。
S.P.TからA.P.W.B.Dへ 闇の帝王、そしてハリー・ポッター』
だが果たして未来とは決められたものなのであろうか?
たかだが一人の人間の言葉によって多くの人間の運命が決められてしまうようなものなのだろうか。
いや。
決めるとすればそれは、運命ではなく、ただ人間の意志をこそ定めんとするものであろう。
なぜなら未来は無限にあり、数多の平行線の上の一つを、自分たちは走り続けていくのだから。
第89話 志半ばに散った者
ハリーの中にヴォルデモート卿の魂が入っている。
驚くべきダンブルドアの言葉に、ロンは顎が外れそうになるほど大口を開け、ルーピンも大きく目を見開いた。
混沌とした静寂になりかけたのを破ったのは、ドンッッ! という音だった。
「ダンブルドア!」
「落ち着くのじゃシリウス。今はもうそれもない。ハリー、あのクリスマスの日からパーセルタングを使ったことはあるかの?」
シリウスが机を叩いてダンブルドアに詰問しようとしたが、ダンブルドアはそれを片手をあげて制してハリーに質問した。
自身の中にヴォルデモートの一部が紛れ込んでいる、というのは以前にも聞いていたことだが、気持ちのいいことではない。
「い、いえ」
ハリーは唇を震わせながら答えた。
元々蛇と話す機会なんてそうはない。ホグワーツにいる蛇といえば、今はもう亡いバジリスクと魔法薬学の授業で使う物くらいだ。
夏休みに入ってからもそうそう蛇と出くわす機会はなかった。
そもそも蛇と話せる自身の能力が、ヴォルデモートに由来するものだと知ってからは、あえてそれを使おうとハリーは思わなかったのだ。
「おそらくじゃが、ハリー、君のパーセルタングは失われたのではないかとわしは見ておる」
ハリーは隣に立つハーマイオニーを見て、ロンを見て、それから自身の手を見た。
――――蛇と話す力が無くなった?
ヴォルデモートが自分の中から居なくなった?――――
それは安堵すべき事だと思うのに、今はそれが実感としても認識としてもつかめなかった。
「ダンブルドア。ハリーが……ヴォルデモートの分霊箱だったかもしれないという推測はともかく、今はもうハリーの中にヴォルデモートの魂が無いのは確かなのですか」
シリウスは深刻な顔をダンブルドアに向けた。
今は亡き親友のようにも、そしてその親友の息子としてだけでなく愛情を注いでいるハリーの魂に関わることだ。シリウスはダンブルドアの嘘も韜晦も許さないとばかりに睨み付けている。
ダンブルドアはそれに対しては明確に首肯した。
「まぎれもなく。これらの品々と同じく、ゲラート・グリンデルバルドの生贄として吸い出され、ハリーの中にはもはやヴォルデモートの魂は残っておらぬ。そして幸いなことに、見る限りにおいてはハリーの魂自体にはあの者は手をつけなかったように見える」
シリウスはそれでも完全には落ち着かない様子でハリーを見たが、ハリーはどこか安堵したようにダンブルドアを見て続きを促した。
「ハリーを分霊箱にする。それはヴォルデモートが企図していたことでなかったことは確かであろう。いや、あるいはあの時まで彼はそのことに気づいていなかったやもしれぬ」
それはそうだろう。
クリスマスのあの夜。もしも死喰い人の裏切りがなければ、ヴォルデモートは間違いなくハリーを殺していたはずだ。
杖から放たれた武装解除の呪文がヴォルデモートの死の呪文とぶつかり不可思議な現象を引き起こしたあれがなければ、あの呪文は今度こそハリーの命を終わらせていただろう。
もしもハリーがヴォルデモートの魂の保管箱なのだとしたら、もっと別の方法をとってから始末したはずだ。
「彼が予期しなかったことは他にもある。分けた魂を破壊されてしまったのじゃ」
ヴォルデモートの失態の推測とも言うべきダンブルドアの言葉は続く。
「4年前。クィレルにとりついて賢者の石を奪いにきたヴォルデモートは、ハリーたちの勇気ある行動の結果、失敗し、逃走することとなった。じゃが、実はな、その途中で彼はその魂を消滅させられてしまったのじゃ」
「だれにですか……?」
「スプリングフィールド先生にじゃ」
ハリーは唖然としてダンブルドアを見た。
ハリーが1年生のあの時、命を落としそうになっていたあの事件の時に、あの先生はヴォルデモートを一部とはいえ倒していたのだ。
「彼は通常では滅ぼすことのできないような魂を消滅させる古代の魔法を操ることができるのじゃ。そしてその結果、ヴォルデモートは急遽、別の分霊箱を本体に変える必要性を生じてしまった」
しかも魂を消滅させるなんて魔法、いったいどれほどおぞましい魔法なのかハリーには想像もつかないほどだ。
だがその後もヴォルデモートは現れた。
それが意味することは、確かにヴォルデモートは魂を複数に分け、予備を保管していたことの証左だった。
「別の分霊箱を本体に……?」
「おそらく創始者の品とは別の物だったのじゃろう」
ゲラート・グリンデルバルドが復活に用いたヴォルデモートの分霊箱と思われるものは、カップとティアラとロケット、蛇、黒い本、ハリー、そして本体。
ハリーはヴォルデモートが意図しなかった8個目の魂だと考えると、たしかに蘇るために別の分霊箱が使われたと考えるのが妥当だろう。
果たしてそれが何で、どこにあったのかはわずかに気にはなりはするものの、それは終わってしまった物のことだ。
「なら先生。ヴォルデモートの魂は……全部無くなったのですね」
ハリーはおそるおそるといった様子で尋ねた。
スプリングフィールド先生が消滅させた一つを含め、ヴォルデモートの全ての魂はゲラート・グリンデルバルドに喰われたことになるはずだ。
グリンデルバルドも危険極まりない闇の魔法使いだが、少なくともグリンデルバルドとヴォルデモートという伝統魔法族の世界において最悪とされる二人の闇の魔法使いを同時に相手にすることはなくなる…………
「わしもそう思っておった…………これを見るまでは」
だがダンブルドアはそれを否定した。そして彼は机の上においたロケットを手に取って開いた。
中には羊皮紙の切れ端が折りたたんで押し込んであり、ダンブルドアはそれを取り出して開き、ハリーたちに見えるように広げた。
『闇の帝王へ
あなたがこれを読む頃には、私はとうに死んでいるでしょう。
しかし、私があなたの秘密を発見したことを知ってほしいのです。
本当の分霊箱は私が盗みました。
できるだけ早く破壊するつもりです。
死に直面する私が望むのは、あなたが手強い相手にまみえたその時に、もう一度死ぬべき存在となることです。 R.A.B』
「これは…………」
文面を読んだルーピンが声を漏らした。
何者かが――ダンブルドアやグリンデルバルド一党以外の何者かが、ヴォルデモートの策略に気づき、事前に手を打っていた。
それは本来であれば味方的な行いであっただろう。
「これってさ」
ロンが割り込むように声を挟んだ。ハリーやハーマイオニーだけでなく、シリウスやルーピンからの視線の集中を受けてロンは身をすくませたが、先を促すような視線がそろって自分を向いていることを感じたのか言葉を続けた。
「これって、その……この人が本物を壊したってこと……ですよね…………?」
自信なさげにロンの言葉が尻すぼみになっていく。
そう。
希望的にはこれで全ての分霊箱が壊され、ヴォルデモートは完全に滅びたと思いたいところだ。
だがもしも残っていたら…………
「そう。じゃがそれには確証がない。ゆえに知らねばならぬ。でなくば、ヴォルデモートが完全に滅びたと言う確証もなく、そしてまた、さらに困難な事態が我々の前に立ちふさがっていることにもつながってしまうのじゃ」
さらに困難な事態。
現時点でヴォルデモートが滅びていない以上に恐ろしいことがあるのかとハリーたちは眉根を寄せてダンブルドアを注視した。
だがダンブルドアは、今はそれについても話す時ではないのか、それには語らず、スッと手紙をシリウスへと差し出した。
「本題に入らせてもらおうかの。シリウス。わしはこれが誰の物か、君には分かるのではないかと考えておる」
「私が?」
名指しで手紙を差し出されたシリウスは困惑顔で手紙を受けとり、しかめっ面をして手紙を眺めた。
かつてはヴォルデモートの腹心なのではないかと噂されていたシリウスだが、実際には親友を殺された仇敵としての関係なのだ。
ヴォルデモートにあてた手紙の主もどうやら彼と敵対しているらしいが、分霊箱について知っているであろう人物など、他ならぬダンブルドア以外には心当りがなかった。
「R.A.B…………B?
注目したのは手紙の最後に記されたイニシャル。
家名を表すであろうBの文字は、彼自身の名と何かの関係があるのかないのか……いや、ダンブルドアが自分に持ってきたということは、関係があるのであろう。
「おじさん?」
ハリーが不安げに尋ねた。
「R.A…………レギュラス……?」
ぽつりと、シリウスは呟いた。
R.A.B――――そのイニシャルが示す人物を確かにシリウスは一人知っていた。
レギュラス・アークタルス・ブラック。
シリウスの実の弟だ。
手紙に記された文字のくせにだってどことなく見覚えがあるように思えた。
疎遠ではあったが、それでも同じ屋敷で暮らしたことのある弟の手だ。
だがその声にはまさかという思いが込められており――――瞬間、部屋の片隅からガチャンッ!!! と皿が割れる音が響き、全員がそちらに振り向いた。
「クリーチャー!!」
そこに居たのはブラック家の屋敷しもべ妖精――――クリーチャーだった。
シリウスに怒鳴られたクリーチャーはわなわなと震え、しかしその目はいつもの反抗的なものではなく、机の上に置かれたロケットに引き寄せられていた。
主であるシリウスの怒声にもかかわらず、反抗心を持つ忠実な屋敷しもべ妖精は聞こえていないかのようにロケットを凝視していた。
ふらふらと引き寄せられるように近づいており、毛嫌いするハリーたちはおろか、大っ嫌いな主であるシリウスのことも見えていないかのようだ。
「何をしているクリーチャー! お前は自分の巣に――――」
「シリウス!!!」
罵倒を浴びせかけようとするシリウスにハーマイオニーが怒鳴り声を上げた。
S.P.E.Wという屋敷しもべ妖精の地位向上を目指す組織を立ち上げたほどの彼女にとって、魔法使いの屋敷しもべ妖精に対する扱い、殊にシリウスのクリーチャーに対する扱いは常から説教対象であり、腹に据えかねるものがあったのだ。
かんかんに怒っているシリウスに、かんかんに怒っているハーマイオニー。
だがハリーはクリーチャーの様子がどうにもおかしいことに気が付いた。
「このっ!」
「待って、シリウス!」
指示に従わないクリーチャーに対して実力行使にでようとしていたシリウスに、ハリーは待ったをかけた。
シリウスは煩わしげに振り向いたが、ハリーはそれには構わずに机の上のロケットを掴んで掲げた。
「――――ッッ!!!!」
瞬間、クリーチャーの瞳が飛びださんばかりに目を剥き、殺意にも似た眼差しをハリーへと向けた。
「やっぱり……シリウス! クリーチャーは何か知ってるんだ!」
「なにっ!?」
ハリーの言葉にシリウスは驚愕の声を上げ、クリーチャーは痛恨事とばかりに身を震わせた。
シリウスはばっと振り返ってハリーの手の中にあるロケットを見て、それからクリーチャーを睨み付けた。
そして屋敷しもべ妖精の態度からハリーの推測が正しいことを感じ取ったのか、クリーチャーに駆け寄ってその胸倉をつかみ上げた。
「知っているのか、クリーチャー!! どうなんだっ!!」
掴みあげられて、クリーチャーは自身の主の激高した様子と命令に気が付いたようだった。
屋敷しもべ妖精にとって何よりも重い主からの命令。
屋敷しもべ妖精であるからには何に代えてもそれには従わなければならないはずで、
「く、クリーチャーは、ご命令におしたがいになれませんっ!!! クリーチャーはしゃべってはいけないのです!!!」
しかし驚くべきことに、クリーチャーはシリウスの命令に背いた。
「クリーチャー!!!!」
「シリウスやめてっ!!!」
胸倉をつかみ上げるシリウスの手に殺意にも似たものが込められたのがハリーには分かった。
おそらくはハーマイオニーにもだろう。
彼女はシリウスの腕に飛びつくとなんとかしてクリーチャーを引き剥がそうとした。
だがそれをすればおそらく解放されたクリーチャーは自分を罰するために自傷行為を行うであろう。
ただハーマイオニーの力ではシリウスの掴み上げる腕を解くことはできずシリウスは主の命令に背いたクリーチャーを殺そうとしているのと同時に彼自身が傷をつけるのを防いでいた。
「話せ!! クリーチャー!!」
「クリーチャーはおぼっちゃまのご命令にお従いにならなければならないのですッ!!! おぼっちゃまのロケットのことをお話ししてはいけないのですッ!!!」
今、何かがおかしかったように思えた。
――従わなければならない……?――
シリウスはクリーチャーに知っていることを話せと命じている、にもかかわらずクリーチャーは従わず、けれども従わなければならないと言っている。
主に従うこと、主の不都合になることは侵さない事、それは屋敷しもべ妖精の絶対のルールである。
かつてハリーは自由を求めた一人の屋敷しもべ妖精が主の意から反してハリーに助力しようとしたことがあった。
それはハリーにとって余計に散々たる過程を齎しこそしたが、彼にとってはそれは紛れもなく意志に基づいた行動で、彼は主の命令からは逸脱しないギリギリの範囲で行動していた。
それでも彼は行動の度に自身を罰していた。
クリーチャーもシリウスには反抗的ではあったが、それでも屋敷しもべ妖精としていやいやながら命令には従っていた。にもかかわらず今は反している。
それに、なによりも…………
「先生! このロケット、いただいてもいいでしょうか!!」
ハリーは咄嗟に机の上に置かれていたロケットをひったくり、ダンブルドアに確認をとった。
ダンブルドアはまるでこれからハリーが何をするのか察しがついているかのように穏やかに微笑みながら頷いた。
「クリーチャー!」
ハリーはロケットを手にクリーチャーの前まで駆け寄り、それを突きつけた。
ロケットを目の前に突きつけられたクリーチャーの顔が恐れおののいたかのように引き攣った。
「これを主人のロケットだって言ったね? これはレギュラスのロケットなんだね?」
「――――――ッッッ!!!」
クリーチャーの瞳が罅割れ喉から声にならない悲鳴が上がった。
クリーチャーは憎悪に満ちた瞳でハリーを睨み付けている。
ハリーはドキドキと跳ねる心臓の鼓動を感じながら、願うような気持ちで言葉の続きをかけた。
「…………僕は、これを君にあげようと思う」
「!!」
クリーチャーはショックで死にそうな顔となって全ての動きを止めた。
まるで呼吸の仕方すら忘れたのではないかと思えるほどに固まり、ふるふると腕を振るわせながらハリーの持つロケットに手を伸ばそうとした。
「だから教えてくれないか。このロケットについて、知っていることを!」
しかし続けて言われた言葉に、その手が止められた。
ぱく、ぱくと何かを言いたげに口を開閉し、そしてぐっと歯を噛み締めてから言った。
「く、クリーチャーは……クリーチャーは喋らない! 血を裏切る者とは話さない! ぼっちゃまのお命じになられたことを裏切らない!」
確信が持てた。
クリーチャーは命じられていたのだ。
おそらくこの金のロケットの持ち主――ヴォルデモートの分霊箱を盗み出したレギュラス・ブラックによって。
その命令を撤回できる者はハリーではない。
ハリーにはクリーチャーへの命令権がないのだ。
それができるとすれば……
「シリウス…………」
ハリーは懇願するような瞳でシリウスを見た。
シリウスは驚きが過ぎて呆然としたようにクリーチャーを見ていた。いつの間にか胸倉をつかんでいた手も放していた。
もしかしたらそれはシリウスにとって、アズカバンから戻って、いや、これまでで初めて“クリーチャー”という存在を見ているのかも知れなかった。
シリウスはブラック家にまつわるものを嫌っている。純血の思想に染まりきった腐った家系を。
その“物”の中に、このクリーチャーは含まれていたのだろう。
だがシリウスのやり方ではおそらくクリーチャーは心を開かない。
屋敷しもべ妖精の友のいるハリーには分かる。
何もハーマイオニーの語るS.P.E.Wの思想に共感したなんてことではない。
「クリーチャー」
先程までの激昂した声ではなく、静かな落ち着いた声でシリウスは屋敷しもべ妖精の名を呼んだ。
クリーチャーの体がびくりと震え、おそるおそる主を見上げた。
「………………話して、くれ。もしもレギュラスが…………俺の弟が、ヴォルデモートを倒すために命を落したのだとしたら、俺はそれを知る義務がある。弟の勇気ある行動を知りたい」
ずっとずっと、碌でもない奴等ばかりだと思っていた。
狂信的な純血主義者で、ブラック家が事実上の王族だと錯覚しているような両親で、弟は愚かにもそんな両親のことを盲信しているのだと思っていた。
事実そうだったはずだ。
そして死喰い人に加わった。
シリウスがまだこの家に居る時から弟は熱烈なヴォルデモートのファンで、彼が魔法界を正しい形にするのではないかと信じているような愚か者で…………そして死喰い人となってヴォルデモートの行いの恐ろしさを知って、臆病風に吹かれて死んだ。
それが事実だったはずだ。
けれども、違う真実があるのかもしれない。
臆病風に吹かれて、ヴォルデモートの下から逃げ出そうとして死んだのではなく、ヴォルデモートに一矢報いようとして勇気ある行動をとろうとして、そして死んだとしたら…………
それはシリウスの知らない、弟の誇りある姿なのかもしれない。
シリウスはハリーから“弟”のロケットを受け取り、そしてもう一度クリーチャーの前にかざした。
「これは、お前にやろう。だから……話すんだ。クリーチャー」
シリウスが今までよりもずっとやさしく命じた。
ハーマイオニーは命令口調なことが不満かと思われたが、だがシリウスの今までよりもずっとやさしい口調に、何よりもクリーチャーという存在を認めるような扱いにほっとしたように易しく満足そうに微笑んだ。
クリーチャーはわなわなと震える手でレギュラスのロケットを掴むと胸に抱きよせ、わんわんと声を上げて泣き出した。
泣くクリーチャーに命じて早く語らせることは今のシリウス・ブラックになら出来たかもしれない。
けれどもシリウスはそれをしなかった。ハリーもダンブルドアも、誰一人としてそれを急かしはしなかった。
ただクリーチャーだけが持つ主との大切な思い出を尊重するように涙を流すクリーチャーを見つめた。
クリーチャーが泣き止むまで宥め続けた後、クリーチャーはゆっくりと語り始めた。
ヴォルデモートに抗った知られざる魔法使いの死にざまについて――――ヴォルデモートが哀れな屋敷しもべ妖精をどの様に扱ったのか、レギュラス・ブラックがどれほどこの屋敷しもべ妖精を大切にしていたか、そして苦悩の果てにどのように死んだのかの話を。
クリーチャーの話は魔法使いとしての、人としての視点が交えられていなかった分、客観的で、それが真実であることをハリーたちに如実に告げていた。
シリウスはクリーチャーの話の全てを一言も口を挟まずに耳を傾け、そして終わった後、天井を見上げて目を閉じた。
それは最後に分かり合うことなく逝ってしまった弟のことを悔いているようにも黙祷を捧げているようにも見えた。
「ご苦労であったの、クリーチャー、シリウス。だがこれではっきりとした…………ヴォルデモートは――――滅びてはおらん」
最後の分霊箱――――スリザリンのロケットに封じられたヴォルデモートの魂は滅びていない。
レギュラスが命と引き換えに盗み出し、クリーチャーに破壊することを託した分霊箱は、彼では破壊することができなかったのだ。
ヴォルデモートの分霊箱には屋敷しもべ妖精の魔法が通じないほどに高度な防御処理が施されているのか、だがグリンデルバルドはそれと同様な分霊箱を取り込んだのだ。
「それでクリーチャー。ロケットは今どこにある?」
シリウスはクリーチャーに視線を戻し、真っ直ぐに見て尋ねた。
分かりあえなかった弟の死の真実はシリウスにとっても衝撃だ。だがだからこそその最後の役目は果たさなければならない。
ヴォルデモートの分霊箱を破壊するという役目は何が何でも果たさなければならない。
もはやクリーチャーは主に反抗し死を求める屋敷しもべ妖精ではない。
分霊箱の行方を問われたクリーチャーは再び瞳に大粒の涙を溜めた。
「行ってしまいました」
「行ってしまった?」
それまでの韜晦するような答えではない。
だがそれだけにその答えにシリウスは眉根を寄せた。クリーチャーの言葉が今までの戯言染みた声音ではなく、主に応える屋敷しもべ妖精の言葉になっているからこそ、本当にロケットがこの場所にないことが分かってしまったからだ。
「マンダンガス・フレッチャー!!」
クリーチャーは泣きそうな顔で声を上げた。
「あの盗人が持ち出した!! ロケットを! レギュラス坊ちゃまのロケットを!!! 坊ちゃまがお捨てになられた物を、クリーチャーが大切にしまおうとしたのに!!!」
クリーチャーの言葉にシリウスたちは唖然とし、ダンブルドアまでもが驚いたように目を丸くした。
シリウスたちはこの屋敷の掃除として様々な物を捨て、その中の多くをマンダンガスが処理という名目で持ち去った。おそらくはどこぞで売り払う気なのだろうがマズイものまで処理してしまったらしい。
「マンダンガスを探してくる!」
「私も行こうシリウス」
「落ち着くのじゃ、シリウス、リーマス」
シリウスとルーピンが席を立とうとし、ダンブルドアが片手を上げてそれを制した。
たしかにヴォルデモートが滅びていないということは重大事だ。
だが、それが明らかとなったことだけでも、ダンブルドアにとっては重要なことだった。
「ヴォルデモートの分霊箱が残っていることはたしかに厄介な事態となったといえる。じゃがより重要なのは、ヴォルデモートの魂――分霊箱をゲラート・グリンデルバルドが取り込んだということじゃ」
分霊箱は魂の一部を保管することで、残る魂をこの世に繋ぎ止め、完全なる死を防ぐ術である。
すでにグリンデルバルドの魂がどのような形になっているかはダンブルドアをもってしても分からないことだが、もしもグリンデルバルドとヴォルデモートの魂が繋がっているとしたら、グリンデルバルドは使徒である上に分霊箱の不死性すらも持ち合わせていることになるやもしれないのだ。