春のおとずれ 【完結】   作:バルボロッサ

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神を殺す力

 場を支配するのは混沌と、それを圧する超然とした魔法使いの格。

 

 長い時を経て恐怖の記憶を思い出されて呼び出された死喰い人たちは、呆然としてどう動くべきかを見失っていた。

 黒いフードを纏った魔術師はここに迎えるにいたった同志へと振り向き、老人の姿を捨て、今や青年の姿を取り戻した金髪の魔法使いは、ソーフィンから手渡された杖をひゅっと一振りした。

 

「何をした?」

「梯子を外された哀れな羊どものために柵を打ちつけたのさ」

 

 ご主人様が居なくなり、戻ってこないことを悟った死喰い人たちは慌ててこの場から逃走するためにその場でくるりとローブを翻し、姿をくらまそうとして――――むなしくその場で回転するだけで終わった。

 姿くらまし防止呪文。

 このホグワーツにかけられていた護りの為の呪文が、今や敵味方のすべてを拘束するための檻として再びかけ直された。

 

 

「アイツヴぁ……!!」

「お、おいっ!! どうしたんだよ! クラム!!」

 

 蒼褪める多くの生徒たちとは異なり、金髪の魔法使いを見たクラムは牙をむくように怒りの形相を露わにし、杖を掲げて飛び出そうとしていた。近くにいたフレッドが慌ててクラムを羽交い絞めにしてクラムを止めていた。

 

「だ、誰なんだ、アレ!?」

 

 ロンは震える声で“名前を言ってはいけない人”を食った魔法使いについてを尋ねた。

 

「ヴぉくたちは知っている!!  アイツヴぁ! ヴぉくたちの血族を殺した男だっ!」

「だから誰なんだよ!」

「グリンデルヴァルド! ゲラート・グリンデルヴァルドだっ!!」

 

 

 

 第77話 神を殺す力

 

 

 

 

 死喰い人、そして魔法使いたちのこの場からの逃走を封じたグリンデルバルドは、杖の振り心地を確かめるようにうっとりと杖と自分の杖腕を眺めた。

 長く忘れていた杖を振るう感触。体に溢れる魔力を解き放つ感覚。自分の意志に寸毫の狂いなく答える体の反応。それらは彼の要望をことごとく叶えるに足るものであった。

 グリンデルバルドは再び杖に魔力をこめ、

 

「待て」

 

 振るおうとした直前に、黒衣を纏った魔術師に制止された。

 

「なんだ?」

「人を殺すな。それが目的のための前提だと言ったはずだ」

 

 たしかに彼にとって、この魔術師は今の状態を齎してくれた魔法使いであり、そして彼の今後の目的とも合致する同志だ。だが、グリンデルバルドにとって、そこには上下の関係性というものを持ち込まれるのは心外である。

 

「ふん。どうせ消すのだ。同じことだろう?」

「違う。今我々には鍵がない。ここで彼らを消せばその魂は永久に損なわれる」

 

 グリンデルバルドの問いにデュナミスは“先輩格”として淡々と答えた。

 

「それにすでに分かっただろうが、その体はすでに人を殺すことに制限がかかっているはずだ」

「……たしかにな。これが人に対する殺害規制とやらか」

 

 人に対しての行動に対して、一定以上の殺意を抱こうとするとズキリと頭が締め付けられるような拘束を受ける。

 グリンデルバルドは興味の薄れた顔になり、鼻を鳴らした。

 元より、彼らにとってこの場に残る全ての魔法使いは、とるに足りない存在なのだ。それこそ魔法の有無――マグルかどうかなど些末な差でしかない。

 この形での使徒化(・・・)を企図したのも、薄汚れた魂がグリンデルバルドの秘術にとって都合がよかったのと、すでに人とは呼べないそれ自身が使徒にとって極めて遺憾な事態を引き起こす災厄となっていたからだ。

 

「それで。ここの連中はこのまま放置か?」

 

 グリンデルバルドはぐるりとあたりを見回して尋ねた。

 彼にとってこの場所は馴染みこそないが、感慨を抱かせるに足る場所ではある。なにせ、彼のライバルであり親友であった人物が、自分の野望を砕いたにも関わらず、選んだ居場所なのだから。

 

 恐々とする魔法使いたちは、あまりにも違いすぎる存在に、意識を向けられただけで、絶望的なほどに悲観する先を予感させられた。

 

「ここで始末しておくほどのものではない、が、たしかに放置しておく理由もまたないと言えるな」

 

 グリンデルバルドの問いに、デュナミスはなんの思い入れもなく答え、この場に降り立ったところに留まらせている影に視線を向けた。

 先ほどの戦いで圧倒し、その影の中に囚えたままに引きずってきた式神。

 

 

 

 

 咲耶はデュナミスが視線を向けている先、黒い影溜りの中に沈む白い毛並みを見て、愕然としていた。

 

「シロくんっ!!」

 

 童姿の小さな体の大部分は影に沈み込みかけており、ところどころに見える部分は明確に傷だらけの姿。圧倒的な使徒の力の前に、傷つき敗れた式神の姿であった。

 実体が保てなくなるほどまでは食い込んでいないが、明らかに重症。

 すぐに治療しなければ、実体が消滅してしまうことすら分かってしまうほどだ。

 すぐにでもその影から引き上げたい。

 その衝動を覚えながら、咲耶は膝をついたまま動くことができなかった。

 今この場を離れると同じように傷だらけとなったイズーの治療を放棄することになってしまうからだ。

 母であればおそらくあんな傷でも一瞬で治せるであろうに、未熟な自分では自身の盾になってまで守ろうとしてくれた式神が傷ついているのに治しに行くことすらできない。

 

 何一つ叶えることのできない無力感。

 

 不意に――――耳の奥から言葉が聞こえた。

 

 —―もしも何か起こって、本当に危ない時――—―― ――

 

 告げられたのは一つの名前。

 呼ぶことを禁じて、それでもどうしようもなくなった時に呼べと。いつも自分に語り掛けてくれる声が、いつもより呵責を深めた音で、教えてくれた。

 そこに込められた思いは複雑すぎて、咲耶にも分からなかった。

 けれど――――その時は、きっと今しかない。

 

 

 

 

「この場の人間たちには退場いただく。だがまずはこの式神から消しておくとしよう」

 

 デュナミスの無慈悲な宣言がシロの耳にも届いた。デュナミスはすぅと腕をシロへと向けている。

 

 友の治療のために動くことの出来ない姫さまの見ている前で、影からの圧迫が強まり、シロの口から「ぐぅ」という無様な呻き声が漏れた。

 シロは未だに握りしめている刀に力を込めた。

 

 今更自身の存在がどうなろうと構いはしない。

 自分の存在と引き換えにでもこの魔術師たちを退けられるのであれば躊躇なくそうするであろう。

 だがそうしたとしても、今の自分にはそんな力が無いことはわかっている。

 存在が消え、その後どうするというのだ。

 

 まだ取れる方法は一つだけある。“あの男”が残した方法だ。

 だがそれを自分は望みはしない。

 “あの男”が残したそれは、廻る因果を繰り返させる縛りの糸だ。卑劣な“あの男”が自身の目的のために、ほんのわずかに生じた隙間に差し込んだ毒。

 もう絶対に繰り返さないと誓ったのだ。

 悔恨と断罪の業火の中で誓ったのだ。二度目はないと。

 何においても守るべきものがあり、そのために――“姫様”のために自分は再びここにいるのだから。

 かつての主のためではない。すべてはただただ姫様のために。それだけが―――――――

 

 

「討ち祓って! 白葉(ハクヨウ)!!」

 

 名が――喚ばれた。

 もう二度と、決して喚ばれることを望まない名前が、他でもない、決してその名を口にしてほしくない姫さまの口から。

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 ピシリと、亀裂が走った。硝子細工の器に走る疵。

 

 ――偽りなく汚れなき白い毛並み。豊穣なるこの地を表すかのような木の葉のような見事な尾。……よし、お前の名は―――― ――

 

 名前――そうだ。自分の名前。あのお方に頂いた、己が真名。

 

 —―俺はお前を信じてるから、だから俺の大切な者を守って欲しいんだ――

 

 魁の刃を振るうはあの方のために。あの方の、大切なものを守るために。

 

 —―忠義の剣だなどと、大層なことを言って、結局これか。お前も、俺を騙していたということか――

 

 世界が、変わる。

 川を流れる薄桃色の花が、紅蓮に包まれ燃え上がる。

 

 ――貴方の所為ではない――

 

 その言葉が、なによりも苛むのだ。

 そのお優しい心が、あの結末を招いたのだ。

 

 罅割れが広がっていく。

 決定的な何かを変える、おそろしく不気味な音。全身の毛が逆立つほどに破滅的な音。

 

 ――もう二度と繰り返しはしない。

 守るべきものを、貫き通す第一義を、違えることだけは――――しない。

 

 

 

 ・・・・・・・・・

 

 

 

「討ち祓って! “白葉”!!」

 

 咲耶がその名を叫んだ瞬間、“シロ”を縫いとめていた拘束がはじけ飛んだ。

 

「ぬっ!!?」「なにっ!?」

 

 一瞬で影の束縛を打ち破った式神の反撃に、デュナミスとグリンデルバルドは距離をとって防御の構えを見せた

 劫っ、と焔が立ち上った。白い焔。“白葉”の体から放たれた焔は四方へと放たれ、瞬く間に周囲を舐める。溢れる焔の氾濫に魔法使いたちが阿鼻叫喚のごとくに悲鳴を上げた。

 

「これは……!?」

「一体なにが……?」

 

 だが広がる焔は一見無秩序なように見えて、しかし確実に影の魔物だけを焼いていた。

 その光景に魔法使いたちは驚き、瞠目して童姿の式神を見た。地に伏していた小さな体は刀を携えて立ち上がっている。

 なによりもその体から放たれる炎に、体は逆に凍えるようななにかを感じた。

 人ととしての存在が、あの炎に違うものを感じているのだ。

 

 白狼天狗――――神の末席に連なる天狗。人の式に堕ちた“神”。

 

 “白葉”は自身の刀――魁丸をスッと構えた。周囲に散っていた焔が収束し、刀身へと収束していく。強く、強く―――― 一帯に放たれた焔の全てが刀身へと宿った。

 

 デュナミスは視た。

 目の前の小さな式神が、先程までの取るに足らない存在ではなく、その身に宿っている気が、極限まで収束していくのを。そして、これまでよりも明確に、主と式神の繋がりが感じ取れた。

 

 白葉は焔を宿した刀をスゥと引き、腰だめに構えた。飛びかかる弓矢のごとく引き絞られる気の収束。

 デュナミスはゾクリと、その刀に悪寒を感じ取った。

 

 ――あの焔刀は危険っ!?――

 

 その正体不明の力が牙を剥く前に潰すべく、ディナミスとグリンデルバルドが魔法の構えをとった。

 

「――――軻遇突智!!」 

 

 瞬間、白葉が刀を振り抜き、振り切られた刀身から焔の斬撃が放たれた。

 

「!!」

 

 斬撃の形をとって放たれた焔。

 デュナミスは咄嗟に防御の構えをとり、グリンデルバルドは炎凍結の魔法で迎撃しようとし――そのどちらもが焔の斬撃に呑まれた。

 斬撃はそのまま城壁へと殺到し、無形の焔に戻って崩れた。

 

「くっ!!」

「ちぃ! なんだこの力は!?」

 

 デュナミスとグリンデルバルドは焔の波の中から抜け出し、予想外に強大なものとなった式神の力に顔色を変えていた。

 式神の攻撃が積層多重障壁を破って、本体にダメージを与えた。

 覚醒したばかりでまだ十分な調整を施していないグリンデルバルドはともかく、最古の使徒であるディナミスの積層多重障壁はそれこそ城塞と同等のものだ。

 しかも恐ろしいことに、最強であることを設定された使徒に対して、ヒトの使い魔ごときが突き立てる牙を見せたのだ。

 

 白葉は追撃をためらわず、瞬動で一気にデュナミスとの距離を詰め、至近距離で刀を薙いだ。デュナミスは破れかけの多重障壁だけでなく、影の魔物を使ってそれを防ごうとするが、紙を切り裂くようにその防御を斬り、デュナミスの体に一閃を入れた。

 

「ぬっ!!?」

 

 体を刃が通った瞬間、デュナミスはドクンと異変を感じて呻いた。

 再生核さえ無事ならば容易く再生できるはずの体が明確なダメージを受けている。先ほどよりも明確に、この式神の脅威度が増していることをデュナミスは認識した。

 仕留めるべく刃を振るおうとした白葉だが、グリンデルバルドからの魔法の射撃を浴びて、それを切り払い、その隙に二体は距離を離した。

 

「なんだあれは!?」

 

 最強の使徒二体が妖魔に退けられるという事態にグリンデルバルドが怒声を上げる。

 デュナミスはいつもよりもかなり再生の遅い傷に手をやり、顔を険しくした。

 

「この傷……不死(・・)殺し、いや。()殺しの力か!!」

 

 焔の上に立つ白葉の眼光が二体を射抜く。

 “やんごとなき血脈を受け継ぐ近衛の式神”

 あの癒し為す姫君の娘だ。何かしらの脅威を孕んでいることは予想がついていたが、これはデュナミスの予想を超えていた。

 軻遇突智。火産霊神あるいは火之炫毘古神とも記される、日本神話において不死たる神を弑した火神の名だ。

 不死であろうと、神たる存在であろうとも、燃やし滅することのできる神代の力の再現。

 式神の力か、主の力の一端を借り受けているのか、どちらかはともかく、一太刀を体に受けたデュナミスは危機感を募らせた。

 ――あの力は、自身だけでなく、“主”をも弑する。—―

 

 だが――――

 再び跳躍して襲い掛かってきた白狼天狗に、デュナミスはにやりと口元を歪めた。

 

「大した力だ。あの“福音の御子”の寵愛を受けるだけはある。だが、いいのか?」

「…………」

 

 語り掛けてくるデュナミスの言葉を無視して討滅を果たそうとする白葉は

 

「主の方がついて来られないようだぞ?」

「!!!」

 

 その言葉だけで、眼前の敵を放り出して振り向くことを余儀なくされた。

 

 

 

「おいっ!! サクヤ!! どうしたんだよ、おい!!」

「—―――ァッくっ。—―――ッぅ」

 

 白い焔が吹き荒れた瞬間、胸元を抑えて倒れ込んだ咲耶に、リーシャたちは色を失って叫びかけていた。

 

 焼けるように胸の奥が熱い。

 久しく遠ざかっていた“魔力の暴走”。長じてからはなかったはずのそれが、今、かつてないほどの勢いと唐突さで咲耶に襲い掛かっていた。

 自分の中の奥底から次々と何かが溢れ、どこかに流れ出していく感覚。激流の只中に放り出されたかのように身動きがとれない。人の身に余るものが、咲耶という殻を破って出てこようとしているかのように。

 筆舌に尽くしがたいほどの激痛が咲耶の体を駆け巡り、体はくずおれ、床に爪をたててのたうちもがいていた。

 

 

「ッ!!!」

 

 ――しまった!!!――

 

 痛恨の極み。

 白葉はあれほど戒めていたにも関わらず、見失いそうになっていたことに気づいて慌てて焔を内に戻した。

 あと一歩のところで使徒たちを屠ることができたにも関わらず。あとわずかだけ続ければ皆の窮地を救えたことも無関係に。そのわずかが姫を壊してしまうことを恐れて、焔を沈めた。

 他に目もくれずに白葉は姫のもとへと駆けようとし――――その頭上に泥のような黒い影が落ちた。

 

「ガッッ!!!!」

 

 重く圧し掛かる影に潰されて白葉は地に縫い付けられた。

 

「あのまま続けていれば、あるいは我らの内のどちらかを滅することが出来たかも知れなかったな、白狼天狗」

 

 白葉が躊躇なく選んだ答えの愚かさを嘲笑うようにデュナミスは十重二重に束縛していく影を重ねた。白葉は影の重みと嘲りとにギッと歯を噛み締め、届かなかった姫の姿を見た。

 焔を白葉の内に戻したことで幾許かのゆとりを彼女にもたらしてはいたが、それでも砕けた封じは戻っていない。

 燻る焔が彼女の身を内側から焼いているのが、白葉の目には視えていた。

 

「白、葉…………」

 

 胸を抑えながら苦しげに式の名を喚ぶ姫の声に、白葉は握る刀にぐっと力をこめ、束縛を打ち破ろうとした。

 だが同時に暴れ出ようとしている“軻遇突智”の炎を抑え込むことにも力を割かれ、束縛を打ち破ることは到底できない。それどころか重みを増してくるそれは、白葉の小さな体を今や砕かんばかりのものとなっていた。

 

「それで。こいつも殺さずにおくのか、ディナミス?」

「いや。他の者は封じておくだけでいいが、こいつだけは別だ。こいつの能力は危険だ。それにこれは召喚された半実体にすぎん。これを消滅させたところで、存在自体は消えはしないだろう」

 

 召喚魔は人とも魔法世界人ともまた異なる存在だ。魔族と同じく、この世界で普通の損傷をおったとしても、魂さえ無事なら元の世界に送還されるだけだ。

 だが“近衛”の式神としての契約は断たれる。おそらく、それであの神殺しの力は失われるはず。

 不滅の主にも届きうるだろう神代の力。

 

「白葉……!」

 

 消し去られようとしている式神の名を喚ぶ咲耶。

 

 なんとか応えてくれようともがく白葉だが、それは式神の苦悩を深めるだけの効果しかもたらせない。

 

「魔法世界に残してきた組織の遺産と引き換えに、こちらの世界に適応した新たな使徒の起動。この30年の潜伏期に築いたものは失ったが、対価としては十分だ」

 

 ――――リオンが言ったのだ。

 “どうしようもなくなった時に”、と。そうすれば――――

 

「終わりだ、人の式に堕ちた天狗よ。案ずることはない。いずれお前の主も同じところに行くことになるのだ」

 

 デュナミスは右腕を伸ばし、この場における最大の脅威を排除する魔法を紡ぎ――

 

「!!!!」

 

 その腕が不意に掴まれた。

 

 

 ――どこにいたとしてもそれは伝わるから――

 

 

「なにっ!!?」

 

 デュナミスの足元の影から伸ばされる腕。咄嗟にデュナミスはその腕の伸びてくる先を追い、そこに光る眼光を見た。

 影の中、こちらを睨みつける碧眼の瞳。 

 

 ――影を使った転移魔法(ゲート)!?――

 

「貴様ッ!!?」

 

 その転移魔法を得意とする魔法使いを知っている。

 前回の戦いで襲来した悪夢のごとき闇の魔法使い。今回の襲撃のために魔法世界へと誘いだしたその息子。

 

「随分とやってくれたようじゃないか、人形」

 

 グンッと掴まれた腕が引き寄せられ、次の瞬間、空気を震わす衝撃とともにデュナミスは吹き飛び、城門を砕いた。

 障壁ごと吹き飛ばされたデュナミスの姿に、グリンデルバルドは驚愕し、現れた敵の増援を見据えた。

 

「貴様……!」

 

 新月の影響で赤い髪。溢れる魔力はすでに規格外。姿現しを封じたこの場所に転移してくる魔法使い。

 

「り、おん…………」

 

 ―― リオン・M・スプリングフィールド ――

 咲耶は涙で滲む視界の先に、なによりも安心感をもたらしてくれる人が立っているのを見た。

 

 

 リオンは敵意の眼差しを向けてくる魔法使いと相対し、次いで足元で影に飲み込まれる寸前の白の式神に視線を落とした。

 

 外だけでなく中もボロボロに傷つき、それでも刀を離そうとしない童姿の忠義の式神。

 そこにあるはずの封の一つが、察知した通りに砕けつつあるのを視て、眉を顰め、膝をついてその影に爪をたてた。

 掴まれた握力で握りつぶされていくかのようにビキビキと音を立てて砕かれていく影の拘束。

 身体が解放されていく白葉の耳に、リオンは小さく言葉をかけた。

 その言葉に、白葉はぐっと歯を噛みしめた。

 

 

 

 

「なるほど貴様がデュナミスの言っていた厄介な魔法使いか」

 

 最強の魔術師であるデュナミスが施した拘束を、瞬く間に砕いた力。

 この作戦において、彼―― ゲラート・グリンデルバルドの宿敵、アルバス・ダンブルドアと並んで要警戒人物として挙げていた最強クラスの魔法使い。

 

「そうだ。その赤髪。顔。魔力。忌々しいスプリングフィールドの血族。リオン・スプリングフィールド!!」

 

 吹き飛ばされたところから立て直したデュナミスが、かつてを思い出させるその忌々しい血族の名を叫んだ。

 

「魔術師、デュナミスか。やはりあの時、抜け出していたとはな。聞いていた通り、死んだふりが得意なようだな?」

 

 当初の予定地とは異なる場所、世界で、リオンはようやく敵と対峙した。

 

 

 

 一方、リオンに解放された白葉は、何においても駆けつけるべき所に――咲耶のもとに駆け寄り、倒れている彼女の横に膝をついた。

 

「咲耶姫」

「シロ、くん……」

 

 まだ苦しさは続いているのだろう。息は荒く、胸元を抑えた手は握りこまれたままだ。

 しかし先ほどは苦しさと絶望で濡れていた瞳は、あの男の到着で白葉の望むままの形になってくれている。

 自身を呼ぶ名前が、今の自分に相応しいものへと戻っていることに、白葉は泣きそうな顔となって微笑み―― 一度だけ、自分の望みとして姫の頬に触れた。

 

 そこに感じる温もりは望んだとおり。

 そこにある思いは、今は一欠けらだけ自分に向けられ、けれど想いは揺らぐことなく、白葉の望んだところにある。

 

 

 ――――本当は自分に姫の傍にいる資格なんてない。

 自分の力はあまりに弱く、自分の意思は望むように貫くことすらできない。

 今だって同じ。

 どれだけの時が経とうとも、自分の抱いた罪は消えず、変わらない。

 同じことを繰り返し、それでも同じ願いを抱くのだ。

 この優しい姫に幸福を、と。

 

 名を喚んだことは、力を解放したことは、決してさせてはいけないことだった。

 あの男の策略を、覆すことができなかったのは、痛恨の極みでしかない。

 

 それでも、その鈴のようなお声でもう一度名前を喚んでいただけただけで、どれほど嬉しかったか――――

 

 微かに触れた手をシロ(・・)は離した。

 

「申し訳ございません。すぐに、封印をかけなおします」

 

 離した手を、パンッ! と甲高く柏手を打った。

 

 ――「ひふみよいむなや こともちろらね しきる ゆゐつわぬ そをたはくめか うおゑに さりへて のます あせえほれけ」――

 

 咲耶の耳に、朗々とした詞が届いた。

 

 ――たかまのはらにかむづまります すめらがむつかむろき かむろみのみこともちてすめがみたちのいあらわしたまう とくさのみずのたからをにぎはやひのみことにさずけたまい―― ――――

 

 十種神宝大御名。御霊を鎮める言霊が咲耶の中で荒れ狂おうとしていたものを鎮めていく。燃え盛る白焔がゆるゆると優しく撫でる様な温かさへと収まっていく中、咲耶はその御霊鎮めを詠う式神を見上げた。

 優しさに満ち、そして――――哀しむような顔だった。

 

 

 

 咲耶の傍に駆け寄った式神が、咲耶に封をかけなおして暴走しかけていた魔力を落ち着かせていくのを横目で確認し、リオンは二体の使徒に向き直った。

 

「ふん。あっちの雑魚どもを餌に俺やタカユキを釣り出して、本命はそこのをお仲間に加えることだとはな」

 

 リオンは敵意の視線に不機嫌さを上乗せして、デュナミスを、そして情報とは異なるモノになっている魔法使いに視線をむけた。

 

 予定では、魔法世界のとある場所に追い詰めた組織残党を、“そこにいるはずの”幹部ごと殲滅する手はずになっていた。

 だが魔法世界での殲滅作戦行動時、肝心の幹部生き残りの姿を発見できなかったのだ。

 予想と外れた結果に終わった作戦。とはいえ、元々残党たちの組織だった動きが活発になってきたというのと、幾つかの些細な違和感が、永久氷結されているはずの使徒に生き残りがいるのではないかという推測の根拠でしかなかった。

 推測が外れたのであれば、リオンが魔法世界に赴いたのは無駄足ではあったし、暴れる機会がなかったのが物足りなくはあるが、面倒事がないにこしたことはない。

 それで終わるはずだった。—――― 仕掛けておいた保険が作動するまでは。

 

「ゲラート・グリンデルバルド。新たな使徒の名だ」

 

 大鳥のような金髪巻き毛の魔法使いは、両手を広げて自らの新たな在り方を告げた。

 その姿にリオンはスッと目を細めた。

 

 組織残党が旧世界のある施設周辺に出没し、伝統魔法族の何者かと接触をもっている、というのはタカユキの情報で掴んでいた。

 ヌルメンガード ―― かつてゲラート・グリンデルバルドが“より多くの善のために”という名目のもと建てた悪名高き魔法使いの牢獄であり、ダンブルドアに敗れた彼自身が収監されていた場所だ。

 魔法世界で大戦が起こっていたのとほぼ同じころ、旧世界ヨーロッパの大陸で猛威を振るった闇の魔法使い。記録によればその年齢はダンブルドアとほぼ同じはずであり、人の寿命にしてみればいつ全うしてもおかしくないはずの老齢のはずだが、そこに立つ姿は若々しく、全盛期と言っても違いない姿だ。

 どんな魔法を使ったのかは、リオンにとってさしたる関心事ではないが、上の方で身動きがとれなくなっている間の抜けた仮面の馬鹿どもの困惑した様子からすると、この場に居るホグワーツ・魔法省の勢力とも“死喰い人”とやらの勢力とも合致しない存在ということなのだろう。

 

「魔法世界に行っていたはずの貴様がなぜこの短時間でここに舞い戻ってこられた?」

 

 ホールへと舞い戻ったデュナミスは苦々しい顔で問いかけた。彼にとっても、できればこの男との遭遇は避けたい事態だったのだろう。

 使徒である自身が敗れるとは思わなくとも、かつてその使徒たちを氷の白薔薇に閉ざした“怪物”の直系の眷族だ。遠ざけておくに越したことはない存在であるのは間違いなく、しかし、現にこうしてここに居てしまっている。

 魔法世界と旧世界は、基本的に数週間から数か月の頻度でしか開くことのないゲートでしか繋がっていない。

 世界にいくつかゲートが点在しているとはいえ、作戦行動が完了していないであろう今の時点で、悪評あるリオン・スプリングフィールドが即座にこちらの世界に戻ってこられるようなゲートはなかったはず。

 

「さて。思考停止した時代遅れの人形ごときには分からんだろうよ」

 

 険しい顔で睨みつけてくるデュナミスに、リオンは口元だけに笑みをつくって言った。

 

「ほざけ、大戦を知らぬ若造が!! 今更来たところで、使徒二体を相手に一人でどうにかできると思っているのか?」

 

 いきりたち語調を荒くするデュナミス。

 たしかに“親”である真祖や理不尽なほどの破壊の化身である英雄ならばいざ知らず、あの事件以降に現れたこの男ならば、最強に設定された始まりの魔法使いの使徒たる自身が敗れる道理はない。

 だが――

 

「どうかな? それに若造一人というのは早合点のようだぞ?」

「なに? ……!!?」

 

 コロコロと転がった黒い牢球が、突如として炸裂したかのように眩い光を放った。

 

 封が解ける。死の灰から蘇る不死鳥のようななにかが牢球を打ち破った。

 竜種ですら封じる黒い牢獄に囚われた魔法使いがその卓越した魔法を以て束縛を打ち破った。

 そこに封じていたのは、この城の主。ヨーロッパ最強とも呼ばれる賢者にして、ゲラート・グリンデルバルドを打ち破った魔法使い。

 その光景にグリンデルバルドはふるふると肩を震わせ、口元に笑みを浮かべた。

 

「アルバス・ダンブルドアァア――――!!!」

 

 白く伸びる髭と髪。古式魔法使い然としたローブを纏い、老齢の姿を思わせない覇気を放つその姿に、グリンデルバルドは懐かしの友と再会したかのように、いやそれ以上に歓喜とも見える笑みを浮かべて咆えた。

 

「……ゲラート、ッ!」

 

 ダンブルドアは憤怒に顔を染め、敵を圧する気迫を放ち、かつて自らが倒し、道を分かった友を見据えた。

 その手に持つは、友より奪いし最強の杖。

 

 

 アルバス・ダンブルドア

 ゲラート・グリンデルバルド

 使徒・デュナミス

 リオン・M・スプリングフィールド

 

 最強に値する魔法使いがここに集い、そして今、激突の瞬間を迎えようとしていた。

 


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