春のおとずれ 【完結】   作:バルボロッサ

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バカをやる男の近くにいるのは大変だ

 何千――何万――いったいどれほどの命を奪って自分はここに居るのだろう。

 ただ奪い、奪われるだけの日々。

 

 ――姿に惑わされるな。コレ(・・)は人ではない。兵器(モノ)と思え――

 ――この100年で何千何万の命を吸ってきている……化け物だよ――

 

 …………化け物。

 

 自分の力で多くの命を消し、国を滅ぼした。

 

 なのに…………

 

 ――悪ぃ……遅くなっちまった。全く、いつもいつも、ヒーロー失格だな――

 ――さあ、行けや。ここは俺が何とかしとく。

 何だよ嬢ちゃん。泣いてんのかい? 涙見せるのは……初めてだな。

 へへ……嬉しいねえ――

 

 命を賭けて、自分を救ってくれた人たちがいた。

 

 ――幸せになりな嬢ちゃん。あんたにはその権利がある――

 

 本当に?

 本当に自分にはそんな権利が許されているのだろうか。

 

 

 眼下に広がる光景と空に浮かぶ島々。

 自らが犯した罪の光景と為すべき光景。

 

「…………終戦記念式典、か。またこの時期が来たんだよね」

 

 彼女が居るここから離れた場所にある市街地の方では、祭りの賑やかさがここにまで届いている。

 だが、距離感以上にその賑やかさは遠いものに思える。

 

 神楽坂明日菜としての自分と黄昏の姫御子としての自分。

 仮の心と真実の意志。

 

 この世界を救う。

 ナギやガトウが命を賭けて私にくれた平穏と幸福。それを捨てて選んだ道だ。

 

 ――世の中ぶっ壊すだけじゃぁ、どうにも収まりがつかんこともあるだろ――

 ――かもな。そん時ゃまあ……あとの誰かがどうにかすんだろ――

 ――テキトー言ってんじゃねぇぞ――

 

 本当にテキトーで…………

 

 ――父の、サウザンドマスターの思いを継いだ、この僕が、お前たちの好きにはさせない!!――

 

 本当に、もうすぐそれが形になる。

 この世界だけじゃなく、二つの世界の、人の力で世界が救われる。

 

 けれどもう一つ。

 

 ――アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。黄昏の女王だな

 ……聞きたいことがある。お前ならば…………――――

  ――……リオン。あんた、それ、分かっていってんの? それは……――

  ――お前ならば知っているはずだ。それが俺のなすべきことだ―― 

 

 アイツの目的が叶ってしまうまでも、もうきっと残り猶予は多分ない。

 アイツの目的が善なのか悪なのか。

 だれにとっての願いの形なのか。

 それは分からないけれど、一つだけ言えるのは、アイツがやろうとするのだけは、絶対に間違っている。

 それにアイツの目的が実現したとき、それをあの子が手伝ってしまったと知ったら…………

 

「記念式典、あの子も来てたわよね。久々に咲耶と会える、か…………」

 

 咲耶ももう16歳。

 知るべき時が来たのかも知れない。

 選ぶべき時が来たのかも知れない。

 

 アイツが何をしようとしているのかを……何に咲耶を利用しようとしているのかを。

 

 

 

 第63話 バカをやる男の近くにいるのは大変だ

 

 

 

 

 オスティア王国女王、アスナ・ウェスペリーナ・テオタナシア・エンテオフュシア。

 魔法世界最古の王族の末裔にして現代の“黄昏の姫御子”。

 かつては旧世界、日本の麻帆良学園に滞在していたこともあり、新旧両世界の融和の架け橋としてオスティア復興の象徴として尽力している。

 両世界融和の活動の一つとして行われた、旧世界の伝統的魔法族の魔法世界研修旅行。彼女はその支援者の一人でもある。

 

「あれが魔法世界の女王サマかぁ~」

「授業で見た人物と一致してた」

「ええ。綺麗な人だったわね。サクヤはあの女王様とお知り合いなんでしょ? 話した時はあんまりそんなそぶり見せなかったわね?」

「女王様やからなぁ」

 

 支援された側のホグワーツの生徒たちは、オスティアにて女王の謁見を受けることとなった。

 腰ほどまで伸ばされた橙色の髪。青と緑のオッドアイ。

 流石にリーシャたちが女王である彼女と直接会話することはできなかったが、研修中の公式行事の一つとしての謁見であり、歓待の言葉を告げられたのだ。

 アスナ女王と仲の良い咲耶ではあったとしても、研修旅行の一員として来ている以上、アスナも公的な場では公私の区別はつけなくてはならない。

 久々のアスナと咲耶の顔合わせは実に淡々としたものだった。咲耶としても多少ならず残念な思いはあるが、仕方のないものだろう。

 

 謁見を始めとした公式行事が終わったホグワーツの生徒たちは、滞在場所へと戻ってのんびりとしていた。

 咲耶はリーシャたちやディズらとともにゆったりと過ごしていた。

 

「サクヤちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな?」

 

 初めて生で見た女王の(マグルの王族を含めても初めての)姿に、ぽうっと感慨に浸っていたリーシャやフィリスたちに対して、ディズは自分の知識欲から溢れた質問を咲耶に尋ねたくて仕方なかった。

 ディズが水を差し向けると咲耶は軽く首を傾げて質問を促した。

 

 ディズが尋ねたかったのはこの魔法世界での王族の資質。

 

「ユエ先生がたしかあの女王様には特殊な力があるとか言ってけどどういう魔法使いなんだい」

 

 

 

 

 質問に対してあの時ユエは「単なる血族だから選ばれているわけではない」と言っていた。

 イギリス伝統的魔法族には本来の意義での王族は存在しないが、強いて言うならば闇の勢力が台頭していたころのロード・ヴォルデモートや純血主義の中でも最大派閥のブラック家などが、(彼ら自身にとっては)それに該当する。

 だがヴォルデモートはともかく、純血主義の輩などは能力によって選ばれているのではなく、純血――文字通り血筋のみによって選ばれているのだ。そしてヴォルデモートにしても、貴ぶのは血筋。

 つまりイギリス伝統的魔法族で幅を利かせている純血主義と、魔法世界の王族はなにが違うのかをディズは知りたいのだ。

 

 イギリス伝統的魔法は時代錯誤だ。

 それはマグルの世界にも生活の基盤をもつディズだから分かる。

 

 マグルの世界の昔の言葉に“高度に発展した科学技術は魔法と区別がつかない”という言葉がある。

 だが、バリバリの伝統的魔法族の思考回路にはマグルの科学技術は持たない者たちの愚かしい努力と見える。

 次代の担い手を育てる学び舎たるホグワーツですらそれは色濃く反映されている。

 そもそもホグワーツではそういった科学の産物が使えないようにさえされているのだ。

 

 愚かしい限りだ。

 

 車や列車、ロンドン市内の建物など、魔法族ですら自分たちが創造出来ないマグルの造り出した産物を求めているのに、マグルを蔑む。

 純血主義などそんなマグルを排絶して進歩を否定し、未来すら否定するような連中だ。

 

 ゆえに、この魔法世界の存在を知り、実際に見てディズは蒙が啓けた思いだった。

 ディズが考えていた次の魔法界。それを大きく上回る世界の在りよう。科学(非魔法族)魔法(魔法族)が融合し、進歩していく文明。

 ディズから見てこの世界はまさに切り開かれた未来にある世界だ。

 閉塞的で退行的なイギリス伝統魔法族の世界では味わえない、先に進む愉悦。ディズが求めているものがここにはある。

 だからこそ、そんな世界にあって、王族という旧来的なシステムをとっている意味を知りたい。

 

 

 そして、ディズの質問に対して返ってきたのは、彼の思惑をさらに超えたモノだった。

 

 

 

「アスナさんは魔法使いとちゃうえ?」

「え?」

 

 

 

 質問したディズだけでなく、リーシャたちも咲耶の言葉に意外そうに驚いた。 

 

「アスナさんは魔力はあるけど魔法は全然使えへんのよ」

「それで魔法世界の王族なんて出来るのかい?」

 

 ディズ達は魔法使いだ。

 血筋以外に選ばれる要素、というのは魔法の力に違いない。特殊な力を持つ王族、と聞いていたからてっきり特殊な魔法使いだと思っていたのに、肝心の魔法すら使えないと言うのだ。

 

「うん。アスナさんはちょい変わっとってな。えーっとたしか……」

 

 咲耶は明日菜の持つ特異的な能力の名前を思い出そうと人差し指を口元に当て、

 

 

 

完全魔法無効化能力(マジックキャンセル)よ」

「そうそう。それを持って……はぇ?」

 

 かけられた答えに頷き、そして驚いて振り返った。

 

 

 

「やっほー咲耶」

 

 振り返ると少し離れた所に少女がいた。

 ふりふりと手を振って笑いかけてきているのは咲耶と同じくらいの年齢の少女。

 橙色の長い髪をツインテールにし、咲耶を見つめる柔らかな瞳は緑と青のオッドアイの

 

「アスナさん!」

 

 ぱあっと顔を明るくした咲耶は、勢いよく少女に抱きつこうと駆け出して――――少女のように見える相手がどういう立場の人で今ここがどういう場所かを思い出して抱き着く直前で思いとどまった。

 少女は迎え入れる体勢だったのを、咲耶が自制したことでぽかんとした表情となり、そしてくすくすと笑った。

 

 咲耶はぽやぽやしている割に聡い少女だ。

 その時々に応じて、自身の立場でなすべき行動をきちんととれる。

 伝統的魔法族との融和の機運を察して留学に出たり、子としての寂しさを抑えたり、研修旅行生として王族相手に節度ある行動をとるといった風に。

 だから彼女は少女に微笑んだ。

 

「今は“神楽坂明日菜”で来てるのよ、咲耶」

 

 向けてくる視線は優しい。

 ウェスペルタティアの王族としてではなく、神楽坂明日菜として。

 咲耶の逡巡は一瞬で、花のように顔をほころばせて抱きついた。

 

「えへへ~。えやっ! アスナさん、久しぶり~!!」

「おっと! 抱きつき癖は相変わらずね、咲耶」

 

 

 ぎゅうっと抱きついた咲耶の頭を撫でる明日菜。

 

「えっと…………だれ?」

 

 よく分からないリーシャたちはとりあえず首を傾げた。

 少女の服装はどこかの学校の制服のようで、短めのスカートから覗く脚は細くしなやかな躍動感を感じさせる。

 

「アスナさん、そのかっこどないしたんですか?」

「ふふふ。どうよ! なかなかイケてるでしょ?」

 

 咲耶は久方ぶりのスキンシップを楽しんで居る相手、明日菜の衣装に目を輝かせて尋ねた。

 母の昔の写真で見た服装――赤のブレザーにチェック柄のスカート――麻帆良学園の制服。

 期待通りの顔を見せてくれた咲耶に明日菜は「ふふん」と少し自慢げに制服を披露し、

 

「コスプレですか?」

「あんたに合わせたのよ! 最近忙しくて咲耶と会う機会なかったからね」

 

 ほんわかとした顔でぬけぬけとのたまう咲耶。明日菜はその頬をむぎゅうと抓ってツッコミをいれた。

 いつもの格好ではどうしてもアスナ・ウェスペリーナの印象が大きい。今回はそうではなく、咲耶の友人としてここに来たのだ。ゆえに、かつて木乃香とルームシェアしていた頃の、思い出深い年に年齢詐称して変装してきたのだ。

 

 

 

 神楽坂明日菜を紹介されたリーシャたちはなんとも言い難い表情で明日菜をまじまじと見た。

 この同い年くらいに見える少女が咲耶の母と同い年だというのは、まあ、スプリングフィールド先生の若年化を見ていただけに納得できなくはない。

 だが、咲耶の母と同年代であり、先だって見たこの国の女王様が、目の前に等身大でいるというのは大層リアクションに困るできごとだ。

 恐れおののくには明日菜の見た目は同年代であることもあって親しみを感じさせるが、友人のように接するのには気が引ける。

 

「えっと、女王様は……」

「あなたたち、咲耶の友達よね。今は明日菜でいいわよ。久しぶりに友達に会いに来ただけだし」

 

 とりあえずあまり遠巻きにして凝視するのも悪いと思ったのかリーシャが恐々気味に尋ねると、明日菜はからっとした笑みで応えた。

 女王様から名前呼びする許可をもらったリーシャたちだが、流石に困惑気味に顔を見合わせた。

 

「えーっとじゃあ、アスナさん。サクヤに会いに来たって、えーっと、色々大丈夫なんですか?」

 

 なんか色々大丈夫かとリーシャが尋ねると明日菜は目を泳がせて言いよどんだ。

 

「んー……夕映ちゃんとか高音さんたちに見つかるとちょっとマズイ、かな? ……よし、ちょっと抜け出さない?」

 

 やはりなんか色々マズイのは彼女も自覚しているのだろう。

 だが、少し考える素振りを見せた明日菜は、いいこと思いついたとばかりにぽんと手を打ってリーシャたちにお散歩の提案をした。

 

「え?」

「あの……野試合とかがあるから街に出るときは気をつけるようにって」

「私が居れば大丈夫!」

 

 困惑するリーシャを援護するべくユエから言われた注意事項を述べるが、明日菜はなにやら自信満々に胸を張って親指を立てた。

 

「大丈夫って…………」

「ちょうど話しておきたいこともあってね。ちょっと抜け出すくらいならまあ、大丈夫よ。あなたたちも一緒にどうかな?」

 

 

 

 ・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 お言葉に甘えて、咲耶と共にリーシャやフィリス、クラリスは明日菜先導のもとこっそり抜け出て散策に繰り出していた。

 ちなみに彼女たちの頭の上には、なんのためにか変装として、それぞれの髪の色にあった猫耳が生え、猫族に化けており、傍目に見る分には大層心なごむ、もしくは踊る光景になっている。

 女子だらけということに加えてその変装のためにディズは遠慮したらしい。

 

「なんか、耳はともかく尻尾は変な感じだな」

「そうね……ってちょっ!? リーシャ! 尻尾振るのやめなさい! スカート!! 中見えちゃうから!!」

 

 普段のホグワーツの生活では猫耳を生やすなんて経験はなく、リーシャは興味深げに自分の猫耳をほにほにと弄っていた。だが、その好奇心旺盛な気分に反応してか、同時に生やしている尻尾が無意識にふりふりと揺れ動き、なんだか生え際が大変な状態になっているらしい。

 

「アスナさんのマジックキャンセルは、その年齢変える魔法は無効化しないんですか?」

「クラリスちゃんだよね。ん~。基本的には無効化するんだけど、なんって言うか……気合い(?)みたいな感じで無効化しないこともできるんだよね」

「…………」

 

 クラリスは明日菜の持つ力に興味があるのか尋ねているが、あまりよく理解はできそうにないだろう。

 

 

 やがて5人が到着したのは、島の沿岸部。雲海に臨み、空と浮遊島の景色を一望できる草原だった。

 

「あれ浮き島だよな。ほんとどうやって浮いてんだろ」

「下の方も見て。昔の遺跡かしら?」

 

 眼下に眺望する島や遺跡に感嘆しているリーシャやフィリス。クラリスも言葉少なながらも魔法世界屈指の景色を見入っていた。

 

「気に入った?」

「はい」

 

 咲耶の友人たちの笑顔に、明日菜も嬉しそうに微笑んだ。

 空から流れる風を楽しんでいる子供たち、そして眺める景色をもう一度明日菜は見渡した。

 遠くに浮かぶのはかつて幾度もの激戦の舞台となった宮殿もある。

 今は主のいない墓所。

 

 ふと、隣から視線を感じ、振り向くとそこには小首を傾げている咲耶の姿。

 視線の中に気遣うような色を感じて、明日菜は苦笑した。

 

「ここには私もよく来るのよ。色々と気合い入れたいときとかに」

 

 ほんわかとした気分を自然にふりまくことができる笑顔。

 ただ、今はその笑顔の中に影を含んでいるのを見分けることができるのは、自身の親友である、彼女の母親が幾度か見せたのを覚えているからだ。

 自分が彼女にそんな顔をさせてしまったこともある。

 その中でも一際覚えている悲しみ――大粒の涙を流させてしまったこともある。

 

 この光景は、その時流させた涙の代わり。

 

 この子にはそんな涙は流させたくはない。

 

 だから…………

 

「咲耶は…………リオンのお父さんとお母さんのこと知りたい?」

「え?」

 

 逡巡の後に問いかけた明日菜の問いは咲耶にとって唐突で、ことのほか予想外の問いだったらしく目を丸くした。

 

「リオンの親のこと。このかと刹那さんは……たぶん言わないと思うから」

 

 リオン・マクダウェル・スプリングフィールド。

 その名が示すのは魔王と英雄という決して両立することを望まれない二つ。

 現在の魔法世界きっての問題児とされる異端の存在だ。

 

 明日菜は咲耶から視線を外し、遠くに浮かぶ墓所の宮殿へと視線を向けた。

 

 あそこでこの国を一度滅ぼし、ナギに救われた。

 あそこでこの世界を壊しかけ、ネギに救われた。

 そして…………あそこで神話の終わりをアイツに宣言した。ネギや木乃香、刹那さん、エヴァちゃん、ほかにも多くの仲間たちとともに。

 

 明日菜の顔がとても悲しいもののように見えたからか、咲耶は困ったように唸った。

 

「う~~ん」

 

 知りたいか知りたくないかで言えば、勿論知りたい。

 知って何が変わるというわけでもないし、変えるつもりもないが、それでもやっぱり、大好きな人の事なのだから。

 

 リオンとの付き合いは長いと思っている。

 小さい頃から何度も助けてもらったし、構ってもらった。

 ずっと一緒に居たわけではないが、一緒に居られた時にはずっと見てきた。

 だから、彼が何か自分に隠しているのも分かっているし、なぜかは知らない負い目みたいなものを持っているのも感じている。

 リオンの両親のこともそうだ。

 エヴァちゃんが母親ではあると思っているが、本人から父親のことを聞いたことは一度もない。

 

 隠しているのか、“本人も知らない事なのか”分からないが、それはやはり彼自身から教えてもらいたい。

 

 だから

 

「リオンのご両親のこと知らんと、御挨拶するときに困るよな~」

 

 ふにゃりと少し照れながら本気(・・)の心配で答え、咲耶の返答に、明日菜はキョトンとなった。

 紹介されるならリオンから。

 咲耶の微笑はどこまでも優しく、そしてどこまでも一途だ。

 

 

「……プッ。アッハッハ! そうきたか! 流石は咲耶! うん。そっか。そうだよね…………」

 

 言葉にしなかった咲耶の意思を感じて、明日菜は嬉しそうに笑った。くしゃくしゃと咲耶の頭を撫で、目元を緩ませて少女に視線を向けた。

 

 その事を知ろうが知るまいが、彼に抱く思いは変わらない。 

 アイツが人であっても、吸血鬼であっても、ほかの何者であっても…………

 

 

 なら、きっと今はまだ知る必要のないことだろう。

 だから代わりのことを明日菜はゆっくりと語りはじめた。

 

「…………あの子はさ。長い、永い時間の中で、たくさんの辛いものを見てきた奴なの」

 

 大きな優しさをもち、全てを抱え込んで、がんじがらめになった挙句にバカみたいな方法しか選べなくなった大馬鹿。

 

 きっと何度も喪失を味わった。

 きっと何度も希望を抱いて、その度に絶望を味わった。

 きっと何度も涙した。

 

 ずっとずっと一人ではどうしようもないものをどうにかしようと足掻き続けて絶望して…………

 

「アイツはナギとは違って頭良いのに、やっぱりネギみたいにバカなやつだから」

 

 絶望の果てにたったひとつだけ残った願いも……面と向かったら、きっとバカだとしかいえないものをまた願っている。

 

 そんなに抱え込むなと言ってやりたい。

 ただ、それがどれだけアイツにとって楔になっているかを知っているから…………

 もうそれはネギやナギ(英雄)では解きほぐせない事。

 叶えた後で、どれだけの痛みを抱えることになるかなんて分かりきっているのに、願いを叶える道の途中でさえ、独りで勝手に痛みを抱え込もうとしている。

 

「アイツは……本当に咲耶のこと大切に想ってるから」

 

 咲耶が彼を好きなのと同じくらいに、アイツも咲耶を大切に思っているのは紛れもない事実だ。

 きっとそれは一目惚れだったんじゃないかと思う。

 ボロボロに傷ついていたときに向けられた純粋で一途に自分に傾けてくれた心と笑顔。

 だからきっと、それでまたバカみたいな悩みを一つ抱え込んだのだろう。

 自らの願いを叶えるための道具として、その要になる価値を、この少女に見出してしまったから。

 この子を守るための思いが何から来てるのかもごちゃまぜになってしまった。

 

 大切に想っていたから守りたいのか

 大切なモノだから守る必要がある思っているのか

 

「あのバカ、絶対に後悔する道に突っ込むから、せめてアンタだけは傍に居てあげて」

 

 手伝ってあげてほしいとは言えない。

 アイツの願いは正しいのかもしれないけれど……アイツがそれを願うことは絶対に間違っているから。

 

「きっとそれが、一番アイツにとっていいことだから」

「うん!」

 

 それでも、アイツを慕う笑顔に明日菜は淡く微笑み、そして笑顔に変えた。

 

「だいたいあのバカどもはちゃんと止めてやらなきゃ際限なくバカやる連中なんだから」

 

 最後に明日菜は、散々バカやった元パートナーを見続けた経験から、苦笑して言った。

 その苦笑は本人の自覚とは多少異なり、どこか、楽しい思い出を懐かしむ笑顔にも似て見えた。

 

 

 ただそれでもやっぱり、アイツの願いが叶った結果を、この子がどう受け止めるかは明日菜にも分からない。

 アイツの、リオン・スプリングフィールドの企み。

 

 親殺しの禁忌を………………

 

 

 

 

 


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