シリウス・ブラックのグリフィンドール寮侵入事件の話はそれから数日間は続いていた。
その話は被害にあったグリフィンドールだけでなく、校内の至る所で話されており、おしゃべりな生徒などは自らの推理を他人に聞かせるなどもしていた。
「私、ブラックは花の咲く灌木に変身できるんだと思うんです!」
ハッフルパフの談話室でも3年のハンナ・アボットが聞き手がいるかぎりしゃべりまくっていた。
「木に化けてどうやって寮に入るんだか」
あまりにハンナのおしゃべりがしつこくて、徒に恐怖を煽っていると判断したのか、監督生のセドリックとフィリスが注意をしているのをルークが呆れるように見ていた。
殺人犯の侵入は恐怖ではあるが、実質的な被害はグリフィンドールの入り口の扉を担っていた肖像画だけだったらしく、人的被害はなかった。しかもそのことで警備体制はより強化され、屈辱に怒るディメンターたちも監視の目をさらに光らせることとなったのだ。
入られたのも他寮であるし、もう再侵入は不可能だとでも思っているのか、まるで他人事のゴシップのような扱いだ。
「それじゃ、ルークはどうやったと思うんだ?」
「さあなあ。でも……木はともかく、なんかに変身したってのはありかもな。ほらマクゴナガル先生みたいに猫になるとか」
リーシャに尋ねられて一考したルークは先程の推理をとっかかりに推測を一つ提示した。考えを言葉にしてみると、動けない木に化けて潜入を試みるよりは、よほどまっとうな線を衝いているように思える。
「それはない」
だがルークの推理はクラリスによって一刀に伏された。
「自身を動物に変える“
動物変化の魔法は難度の高い魔法だ。
他人を動物に変えるのならともかく、自身の姿を意のままに変えるのは難しい。精霊魔法をつかっても、それは同じで純粋なヒューマンの魔法使いが自身の姿を動物に変化させるのは極めて難しいとされている。
実際、昨年同年代ではトップクラスに優秀な魔女であるハーマイオニーは、自身の姿を誤って猫にしてしまい、戻れなくなりかけたのだ。
難易度、危険性、そして悪用性の高い魔法であるがゆえに、イギリス魔法省ではその習得に制限をかけて管理しているのだ。
そのため、ブラックがアニメ―ガスでないことは公の事実となっているのだ。
第43話 恐怖来襲
クィディッチのシーズンインが迫っていたが、天候は悪化の一途を辿っていた。
開幕試合で伝統の一戦を行うグリフィンドールの選手は毎日泥だらけだったし、第1節でレイブンクローと戦う予定のハッフルパフの選手たちもびしょびしょの泥んこ状態の日々を過ごしていた。
ブラック侵入事件の恐怖は、段々と近づいてくるクィディッチシーズンの到来の熱気に吹き飛んで行っていた。
そして開幕の一戦、土曜日の試合を控えた数日前、談話室に入って来たセドリックは顔を顰めてリーシャたちにとある伝達事項を告げていた。
「はぁ!? 一戦目がハッフルパフとグリフィンドール!?」
「おいおい、毎年初戦のグリフィンドールとスリザリンの一戦は伝統だろ? なんでまた」
告げられた決定に、リーシャもルークも思いっきり顔を顰めた。
ハッフルパフチームは例年通りの予定としてレイブンクロー戦に焦点を当てた戦術を練っていたのだから、まるで戦術が違うグリフィンドールに相手が変わったと一方的に言われれば納得できるはずもないだろう。
それはキャプテンとして伝えざるを得なかったセドリックも納得はしていないだろうことを、苦渋を飲んだその顔が伝えていた。
「スリザリンのシーカーが授業で怪我をしたらしくて、それが治ってないから試合日程が変更になったんだ」
「なったんだって、決定かよ!?」
「ああ」
すでにクィディッチの審判を務めるフーチ先生から伝えられた決定だ。もはやこれ以上変わることはないだろう。
リーシャは「はぁ」と溜息をつき、ルークはぐしゃぐしゃと髪を掻いた。
「怪我なんて、ぱぱーとサクヤが治しちまうとか」
リーシャの咲耶を見ながらの苦し紛れの言葉はほとんど本気ではない冗談のようなものだ。それを聞いて、咲耶も前向きにそれを考えた。
だがセドリックは顔を曇らせたまま首を横に振った。
「そのシーカー、3年のマルフォイだけど、本当は怪我が治ってるんじゃないかな」
「は?」
「怪我の話は9月の始めだ。いくらなんでもポンフリーがただの怪我を治せないはずない」
セドリックの言葉にリーシャは間の抜けた声を漏らした。
スリザリンのシーカーはドラコ・マルフォイという去年からのシーカーだが、どうやら今年の授業が始まってすぐのころに、魔法生物飼育学で腕を怪我をしてしまったらしい。
すぐに校医のマダム・ポンフリーの治療を受けた筈だが、未だにその腕には痛々しそうに包帯を巻いている…………ということになっている。
しかしいくらなんでも優秀な癒者の校医であるポンフリーがただの腕の怪我を一月以上も治せないはずはない。
セドリックはマルフォイの、そしてスリザリンの言い分が、今、試合をしたくないのを誤魔化しているにすぎないと思っているらしい。
「なるほど。スリザリンらしいな」
「どういうこと?」
ピンと来たのか額を抑えて眉をしかめたルークにリーシャが尋ねた。
「単にこの大荒れの天気でやりたくねーってことだろ。たしかマルフォイはスリザリンチームでは珍しく小柄だし、3年で経験も浅いしな」
スリザリンチームの選手は基本的に大柄の選手が多い。基本戦術がラフプレーを多用したパワー主体のチームなのだ。
だが、四寮のクィディッチチームのシーカーの内、セドリックを除く三人は体格的に小柄だ。それはシーカーが他の選手とは異なり素早く動くスニッチをとることだけを目的としたポジションであるために、パワーよりも圧倒的にスピードと小回りが求められるポジションだからだ。
だが最近の天気の荒れようを見ると、当日も大荒れの天候の中での試合になる可能性は大いにあり得る。風の強い天候下では体重が軽いことで逆に箒捌きが邪魔されかねない。それでなくとも雨天でびしょ濡れになりながらの試合は望むものではないだろう。
「きったねー」
「真っ当とは言い難いけど、少しでも自分に有利になるようにするのは勝利に貪欲なスリザリンらしい手だよ」
不満そうなリーシャにセドリックは苦笑して肩を竦めた。
真っ向勝負を好むグリフィンドールやハッフルパフの選手は、スリザリンのプレースタイルが好みではない。
だが、セドリックはそれも戦術の一つであることを理解しているのだろう。事実、スリザリンはクィディッチが中断された去年を除き、その戦術で優勝杯を手にし続けていたのだから。
「それにこっちにも悪いことばかりじゃない。グリフィンドールは一昨年からメンバーの交代がないから手の内はだいたい分かる。それに対してハッフルパフは新加入メンバーがいるし、フォーメーションもかなり変えているから手の内を見られる前に強敵に当たれるのはむしろラッキーだよ」
「はぁー。お人好し、つーか、セドらしいっつーか」
慌ただしい試合変更を、それでも前向きにとらえるキャプテンにリーシャは呆れたような顔をしつつも、にやりと口元に笑みを浮かべた。
「未だ負けなしのハリー・ポッターがいるグリフィンドールを破ることができれば、うちは勢いに乗って一気に有利になれる。戦略的にも悪くないさ」
「だな。決まっちまったもんはしょーがねーし。それに悪天候なら、体の小さいポッターは不利だろうし。頼むぜセド!」
セドリックの強気の言葉にルークもリーシャと同じように強気な笑みを浮かべた。
・・・・・・
叩きつけるような豪雨が競技場に集まった生徒、先生たちの体を容赦なく打ち、びしょ濡れにしていた。傘をさそうにもうねりを上げる風は容赦なく手から傘をもぎ取り、雨合羽を着ていようとも関係なく体を濡らしていた。そして頻繁に轟く“自然の”雷がびりびりと耳を震わせていた。
「なあ! 今! どないなってんの!!?」
「50点!! こっちが負けてるわ!! セドリックもポッターも、まだ、スニッチを見つけられてないみたい!!」
なぜこんな天気で屋外競技を行ったのか不思議なほどの豪雨が視界を悪くしており、試合の展開はいつも以上に見えていない。
咲耶は雨音に遮られないように声を張り上げて隣に座っているフィリスと会話していた。
箒で空を翔ける選手たちもこの状況では思うようにプレーできないのだろう、試合は長期戦の様相を見せようとしていたが、この天候ではそんな試合展開をだれも望みはしないだろう。
体を濡らす水が体温を奪い、手はかじかんでいるだろうし、見えない視界の先から襲い掛かってくるブラッジャーが選手を容赦なく箒から叩き落とそうとしていた。
「ひゃっ!」
ぴしゃんっ!!! とすぐ近くを稲光が走り、思わず咲耶は身を縮こまれせた。雷を操る魔法使いが身近に居るとはいえ、流石に自然の雷が平気とまではいかない。
天候はどんどんと悪くなり、雷が断続的に鳴り響く空の下でこれ以上飛び続けるのは、落雷してくれと言っているようなモノだろう。
選手たち、特に試合を終わらせるシーカーの役目を持つセドリックとハリーは、目を凝らして必死に金のスニッチを探し求めていた。
そして
「動いた!!」
「セドリックが先に見つけたわ!」
目的のものを見つけたのだろう。強風をものともしない箒捌きで加速したセドリックが上空へと昇っているのをクラリスが見つけ、フィリスを始め、ハッフルパフの応援席が沸き立った。
ハリーの反応が一瞬遅れ、しかし味方の声に反応してハリーはスニッチへと迫るセドリックを見つけたのか、得意の猛加速を発揮してセドリックを追撃した。
先行していたセドリックだが、ハリーの操るニンバス2000の加速力によってみるみるとその距離は縮められていた。
咲耶もフィリスも拳を握りしめて、セドリックがスニッチを掴みとることを応援し、彼が前かがみになってスニッチへと突撃するのを祈るように見ていた。
一方で10m以上あったハリーとの距離はすでに5mにまで縮められており、セドリックがスニッチを掴もうと手を伸ばす頃にはハリーの箒の先端はセドリックの後尾を捉えていた。
行く手を遮る雨粒の壁をものともせず、ハリーの箒がぐんぐんと這い上り、ハリーの体がセドリックに迫り――その体が重なるように並び―――――
次の瞬間、雨による体温の低下とは別の冷たさが競技場を覆っていた。
「えっ?」
「あっ!! 落ちる!」
咲耶がその感覚を感じた時には、天へと昇っていたハリーの体が箒から投げ出され、真っ逆さまに落ちていた。
フィリスを始め、観客たちの悲鳴が上がる。
ハリーの体が隣から消えた瞬間、セドリックは伸ばした手の中にスニッチを収めていたが、同時に彼は違和感に気づいて旋回して競技場を見下ろした。
乗り手を失ったニンバス2000が暴風に煽られて彼方へと飛ばされ、翼をもがれたハリーはなすすべなく地面へと墜落している。さらには落ちていくハリーに纏わりつくように黒い影のような者たち ―― ディメンターが競技場へと侵入していた。
「っっ!!!」
セドリックもハリーがディメンターによって気絶させられたという話は聞いて、知っていた。だがそんなことを思い出すよりも先に、意識を失ったかのように身動きすらとることなく落ちていくハリーへと箒を向けて加速した。
自由落下よりも速く地面へ向けて加速するセドリック。
ハリーに近づくごとに、ディメンターによって気力を奪われているのか箒を持つ手が急速に凍えていく。
早く早くと前のめりになる気持ちとは裏腹に、ディメンターによって表層化させられる負の思考が到底間に合うことはないと告げていた。
事実、ハリーは意識がないのか ――あったとしても如何ほどの意味があったとも思えないが、落下する速度は重力に引かれてぐんぐんと加速しており、セドリックは完全に届いていない。
魔法使いとはいえ、意識を失った状態で数10mの高さから地面に落下すれば到底無事には済まないだろう。
客席からはディメンターの出現と、ハリーの落下という惨事の予感に悲鳴が上がっており――――
――『アレスト・モメンタム』――
叫びを切り裂くようにダンブルドアの呪文が放たれた。
・・・・・・
びしょびしょの体から水気をふき取り、着替えを済ませた咲耶たちは談話室で、勝利したハッフルパフのクィディッチチームを出迎えていた。
だがその顔は勝利の凱旋と言うには凍り付いたように沈鬱で、中には震えている選手もいた。
「――――――仲間に元気を、活力を、健やかな風を。レフエクテイオー」
咲耶が杖を一振りし、呪文を唱えると選手たちは暖かな風で包み込まれたような感覚を覚え、雨に打たれていたことによるものとは別の原因で低下していた温もりを取り戻した。
「サンキュー、サクヤ」
ようやくほっと一息つけたリーシャが礼を言い、ルークや他の選手たちも代わる代わる咲耶にお礼を述べた。
「他はどこも怪我ない? 大丈夫なん、リーシャ?」
「大丈夫大丈夫。それよりサクヤ。後でセドのやつにもかけてやって。アイツ箒から降りた時、土みてーな顔してたから」
クィディッチ開幕戦。
伝統を破ってのグリフィンドール対ハッフルパフの一戦は、波乱の予兆を感じさせる開幕の経緯と同じように、いやそれ以上に波乱の終わり方を迎えた。
多数のディメンターの乱入。
それにより気を失ったハリーの落下。
他の選手たちも、意識こそしっかりしていたものの、ディメンターの影響を受けて血の気を失ったように青ざめた顔をしていた。
試合自体は、ディメンター乱入とほぼ同時にセドリックがスニッチを掴んだことによって、ハッフルパフが逆転勝利。一昨年の大敗の雪辱を果たした形になったものの、選手たちがそれを大っぴらに喜ぶことは今はまだできなかった。
「それで、そのセドリックは?」
「今、フーチ先生に抗議してるよ。再試合にしてくれって」
姿の見えないセドリックの行方を尋ねたフィリスに、リーシャが答えた。
あの時、落下したハリーを助けようとセドリックの他にも、グリフィンドールの選手たちも必死に箒を駆った。だが、それは到底間に合う距離ではなく、誰もがハリーが地面に叩き付けられる姿を予想した。
だが寸でのところでダンブルドアの呪文が間に合い、ハリーは落下速度を緩め、地面に軟着陸した。
そしてハリーの無事を確認するよりも早く、激怒したダンブルドアが競技場に飛び込んで、ディメンターたちに杖を向けた。なおも滞空を続けていたディメンターたちは、ダンブルドアの杖の先から現れた銀色の鳥のような姿をした何かに蹴散らされるように追い立てられ、競技場の外へと姿を消した。
「再試合? もう一度改めて試合するの?」
「いいや。多分ないだろ。抗議してるのはセドだけで、向こうのウッドだって納得してるんだから」
「勝つには勝ったけど、後味わりーな」
再試合があるかを尋ねたフィリスにルークがそれを否定しているが、ルークも、そしてリーシャもその顔には苦々しい表情が浮かんでいた。
ディメンター乱入という事件が起こったものの、試合自体はセドリックがスニッチを確保したことで終了。その決定は、審判のフーチはもとより、グリフィンドールチームのキャプテン・ウッドも認めており、ただ一人、僅かでもハリーの救出よりもスニッチを優先してしまったと思い込んで悔いているセドリックが再試合を願い出ていた。
「なあリーシャ。ハリー君はどないなったか分かる?」
「ああ。ポッターだったらダンブルドア校長に医務室に運ばれて、グリフィンドールのチームメイトが見てるよ。ディメンターのせいで気は失ってたけど、校長の魔法のおかげで目立った怪我はなかったみたいだ」
友人の無事を告げる言葉に咲耶は「ほっ」と息を吐いた。
ディメンターの乱入により、先生たちの多くも混乱し動揺していたのだ。ダンブルドアの救助が間に合っていなかったら、おそらくハリーは地面の染みになっていた可能性が大いにあった。
・・・・・・・・
開幕戦の後、すぐにでもハリーのお見舞いに行きたがった咲耶だが、流石に勝利チームの関係者がすぐに顔を出すのも気まずいだとうというフィリスの助言により、翌日以降に少しだけ顔を出すのにとどめることとなった。
というのも医務室に顔を出した途端に、看病をしていたロンが牙を剥きだしにしてきて、威嚇したため、長居できなかったのだ。
ハリーは見た目には怪我をしているようには見えないが、明らかに表情は暗く沈み込んでいた。
ハリーにとって、初めての敗北。しかも追い打ちをかけたのは、あの試合で乗り手を失った箒が風に煽られ、競技場の外にまで吹き飛ばされてしまったことだ。箒は悪いことに暴れ柳に直撃し、修復不能の大打撃を受けて砕かれてしまったのだ。
腕を怪我して試合に出られなかったはずのマルフォイは、グリフィンドールが敗北したと知るや翌日から全快したと公言して痛々しそうに巻いていた腕の包帯を取っ払い、なにやらハリーが気絶して箒から落ちる物真似を嬉々として演じて冷やかしていた。
そして、落ち込んでいたのはハリーだけではなかった。
波乱のあった初戦を勝利し、戦略通り駒を大きく進めたハッフルパフクィディッチチームにも暗雲が垂れ込めていた。
スリザリンチームのシーカーの腕が“治った”のだから、平等にいくならスリザリンがレイブンクローと戦えばいいものを、なぜか公平な進行のもと、第2戦は例年通りハッフルパフがレイブンクローと戦うことになっていた。
「まったく。勝手やったのはスリザリンなのに、なんでウチが連戦なんだか。なぁ、セド……セド?」
試合の時期はこれまた例年と同じく11月の下旬。つまり11月の頭にあった初戦からほとんど間がない短期間でまったく戦術の異なるチームとの対戦を余儀なくされ、ルークならずとも不満が口を衝いて出ていた。
そして初戦の勝利を決定づけ、チームの士気を盛り上げるはずのセドリックは、翌週に入っても沈み込んだままだった。
「おーい、セド。セドリック・ディゴリー! いい加減しっかりしろよ。連戦なんだからもう時間ねえんだぞ」
「…………あ、ああ。えっと、そうだな」
ぼぅっとしている親友に声をかけたルークは、それでも気持ちが入っていないキャプテンの様子に溜息をついた。
「おい。大丈夫かよ、セド? 練習中もなんかぼーっとしてるし、らしくないぞ?」
練習中、らしくない動きのぎこちなさを連発していたセドリックの様子にリーシャも顔を顰めた。
「……やっぱりあの時、スニッチを掴むべきじゃなかったんだ」
「またそれか。あのなぁセド。あの時、セドはもうほとんどスニッチを掴むところだったんだ。先に反応してたのもセドだし、ディメンターが乱入してポッターが落ちてなくてもセドなら先にスニッチを掴んでたって」
暗い顔をするセドリックに、リーシャがやれやれと溜息をついてその後悔を否定した。
あの試合で、ハリーはスニッチを見つけて動いたセドリックの動きを見た味方の声に反応してようやくスニッチの存在に気づいていた。つまりそれだけハリーはセドリックに対して後れをとっていたのだ。
たしかにハリーのニンバス2000はセドリックのクリーンスイープに比べて加速力に勝っているものの、あの状況ではセドリックの有利は間違いなかっただろう。
セドリックは、人命よりもスニッチを優先させてしまったことを後悔しているが、一瞬を争うあの状況では咄嗟に箒から落ちたハリーに反応して彼を助けることはどんな箒乗りにもできなかっただろう。
事実、セドリック以外にもグリフィンドールの選手たちですらハリーに追いつくことはできなかった。
「いや。ポッターはあの時、僕に追いついていた。箒の性能は向こうが上だったし、天候があんなのじゃなかったら技術だって……」
「おい。それ以上言ったらいい加減怒るぞ、セド」
それでも悩みを抱えたままのセドリックを、リーシャは瞳に怒気を宿して睨み付けていた
同じ寮で一緒に戦っていく仲間だから。
同い年で、一番身近にいた一番上手い箒乗りなのだから。
ぐちぐちと悩むそんな姿を見たくなくて、リーシャはセドリックへと怒りを向けていた。
睨むリーシャと視線を逸らすセドリック。二人の姿にルークは重々しい溜息を吐いた。
不協和音を修正しながら短すぎるインターバルはあっという間に過ぎ去った。
そして11月最後の土曜日、対レイブンクロー戦。
短い期間では再調整が間に合わず、勢いに乗るどころか士気がダダ下がりのハッフルパフにはもとより勝ち目の薄い試合だったのだろう。
ビーターの一人であるルークは、注意の散漫なセドリックをブラッジャーから庇ってかかりきりになり、チェイサーを守ることができなくなっていた。
「わぁっ! リーシャ危ない!!」
「ああん! また外れた! もう、何やってんのよ!」
咲耶やフィリスたちも懸命に応援の声を上げ、リーシャたちも必死にクアッフルを繋げてはいたが、点数は次第次第に開いていった。
奇しくも戦いの女神が皮肉な気紛れを見せたのか、スニッチを先に見つけたのはセドリックだった。セドリックの数m上空を、挑発するように滞空していたスニッチにセドリックが箒を向けて翔けた。
セドリックの動きを見たレイブンクローのシーカー、チョウ・チャンが、わずかに遅れて猛追した。
スニッチへと先行するセドリックに追撃する相手シーカー。空へと翔け上るその姿は、あたかも先のグリフィンドール戦の焼き回しに見えたのかもしれない。追撃してきたチョウの姿を目の端で捉えたセドリックの動きは急激に鈍った。
10m以上あったチョウとの距離はあっという間に5mにまで縮められており、セドリックがスニッチへと震える手を伸ばす頃にはチョウの箒の先端はセドリックの後尾を捉えていた。
チョウの体がセドリックに迫り――その体が重なるように並び―――――チョウの手がスニッチを捉えた。
「あああ!!!」
ハッフルパフの応援席から悲鳴じみた声が上がり、レイブンクロー席からは割れんばかりの歓声が轟いた。
大敗を喫したハッフルパフ。
それにより戦績はレイブンクローの1勝。ハッフルパフの1勝1敗。グリフィンドールの1敗となり、なんとかどのチームにも優勝の望みをつなぐ形となった。
グリフィンドールチームのシーカーの箒と、ハッフルパフチームのキャプテンに大きな楔を打ち込んだ状態で。
「おいこら、ふっざけんなよ、セド!」
怒鳴り声を上げてリーシャがセドリックの胸倉をつかみ上げていた。
2戦目にして大敗を喫したハッフルパフ。
リーシャが怒っているのは、ただ負けたことにではなかった。
「なんであの時、スニッチを掴まなかったんだよ! お前なら掴めただろ!!」
レイブンクローチームのシーカー、チョウ・チャンとの一騎打ち。リードしていたセドリックは、1戦目を想起させるあの状況で、自ら速度を落してみすみすスニッチを敵に渡してしまったのだ。
しかも、もともとリードはレイブンクロー。その結果、せっかく優勝候補のグリフィンドールを倒して1勝を上げたのに、再びあのチームに優勝の目を与えてしまったのだ。
負けただけならまだいい。
だが、セドリックは自分のせいではない事故の責任を感じて、グリフィンドールに勝ち目を与えたのだ。
「……あの時。レイブンクローの彼女が追ってきた時、この前の試合が頭をよぎったんだ。このままスニッチを掴んだら、きっと同じことの繰り返しになるんじゃないかて…………。僕は実力でポッターに勝ったんじゃない。だから、掴めなかったんだ」
「ざけんな! 実力だろ!! あの時、スニッチを先に見つけたのも、掴んだのもセドの実力だろ!!」
「…………」
「ずっとずっと、私が…………くそつ!!」
怒鳴るリーシャと、それを黙然として受け入れるセドリック。二人のその様子を窺うように、それぞれの親友であるフィリスとルークが隠れて見ていた。
セドリックの胸倉を突き放し顔を背けたリーシャ。
怒鳴っていたリーシャの言葉に項垂れるように顔を背けたルークの様子に、隣のフィリスは呆れたような視線を向けた。
「あんたも分かんない男ね。親友のセドリックをサクヤとくっつけたいのか、リーシャをセドリックとくっつけたかったのか。それであの二人の様子を見てしょげてんだから、結局あんた何がしたかったわけ?」
心底呆れたような質問を、萎れたルークへと容赦なく投げかけたフィリス。ルークは不貞腐れたようにフィリスを睨め上げると、溜息をついてそっぽをむいた。
「……さあ? なんだったんだろうな。よく、分かんなくなったんだよ」
少し捨て鉢になっているように見えるのは、薄々感じていた
咲耶を気にしているセドリックを応援するようになるべく一緒の時間をつくりつつも、そのセドリックを気にしているリーシャの応援もしていた。初めの想いも目的も、もはやぐちゃぐちゃになってルーク自身分からなくなっていたのだ。
呆れたようにルークを見るフィリス。
「
フィリスはちらりとリーシャとセドリックを見遣って、自身が感じ取った恋模様を分析していた。
ずっと前から、リーシャはセドリックのこととなるとムキになっていた。
それは同じクィディッチチームの選手だからというだけでなく、きっと……
「なるようになればいいやと思ったんだよ、多分………サクヤのスプリングフィールド先生に対する感情なんて、それこそ恋じゃないだろ? それならセドの方が、似合いなんじゃないかって思ったんだよ」
咲耶がスプリングフィールド先生を好いているのは知っている。だが、それは幼いころに刷り込まれた幼心が、そのまま恋愛感情と錯覚してしまったものだと、ルークは見ていたのだ。
きっと少女の恋とは別のモノ。だからと。
「それでリーシャの方には自分が、って? それじゃあ、なんでリーシャとセドリックをくっつけようとしたわけ?」
「色恋ごとにはとことん鋭いよな、お前。…………別にくっつけようとしたわけじゃねえよ。ただ、セドと一緒に居る分だけ、俺もリーシャと一緒にいて、それで少しでも俺の方を見てくれないかと足掻いてみただけだよ」
応援はしていた。
ただそれは、初めから負けを認めていたわけではなく、負け戦になることを覚悟しても戦いたかったのだ。親友であるセドリックと、せめて同じ土俵にくらいは立ちたかったのだ。
「ふーん。まぁ、無理やり押し売りしなかったところだけは、少しマシかもね。ただ、一つ勘違いしてるわよ、あんた」
そんなルークに、フィリスはヤレヤレとしながらも、訂正せずにはいられないことをお節介と思いつつも口を挟んだ。
「サクヤの想いは立派な恋よ。幼心が変じた慕心なんか、とっくに過ぎてるわよ、きっと」
たしかに、始まりの感情は恋ではなかっただろう。
だが、そんなものはほとんどの人がそうなのだ。恋愛感情から始まり続いて行く恋なんてそうあるものじゃない。
咲耶のそれも、“兄”として慕う心がないとは言わないが、それでもあの信頼と感情は紛れもなく恋だとフィリスは見ていた。
「スプリングフィールド先生の方は?」
「流石にそっちは分かんないわ。まあ憎くは想ってないんでしょうけど…………今一つよく分かんないのよね」
堂々と自分の勘違いを指摘されたルークは顔を顰めて、抵抗とばかりに反対方向から向けられている感情についても尋ねてみた。
だが、なんとも歯切れの悪い答えが返ってきた。
これが「向こうも恋よ」と返ってきたなら、ただの恋愛バカの戯言で済んだのだが、予想外に冷静な判断が返ってきた。
「……なにが?」
「好きは好きなんでしょうけど、何か別のことも企んでそうなのよ、あの先生」
咲耶とあの先生の恋模様は、ルークにとってはあまり関心のあることではない。
だが、このままスルーするのもしこりを残す気がして尋ねると、フィリスは顎に手を当てて、何かを疑うように言った。
好きという感情がないとは思わない。
だが、それ以上にあの先生の咲耶への保護っぷりは、何か裏があるように思えるのだ。
それが咲耶の家柄などというものであれば分かりやすいが、そんな権力欲とあの先生とは結びつかなかった。
ただ咲耶の持っている何かを利用しようとしている。
そんな気が、彼女の直感に小さな棘として刺さっているのだ。
「つくづく思うけど、なんで分かるんだ、そんなこと?」
「ラブ臭よ」
「………………」
どんな直感力と推理力だと、ぞわりとした感覚を覚えて尋ねると、キリッとした真顔でへんてこな答えを返された。