咲耶たちのオーウェン家滞在は、どたばたの内にあっという間に過ぎ去った。
クラリスに連れられてお見舞いに訪れた病院で、長年植物人間状態だった両親が“奇跡的に”意識を取り戻してからは大騒ぎだった。
クラリスは両親に寄り添って泣きじゃくり、そのうちやってきた様子を見に来た癒者が意識を取り戻しているオーウェン夫妻を発見。なんだか沢山の癒者がやってきたり、家に連絡がいってクラリスの祖父母が飛んできたり。
結局、意識は取り戻してもまだ十分には動き回れるほどに意識も体も回復していないということでしばらくは入院継続となった。
ただ、クラリスが両親から離れることができず、咲耶たちは招待者不在でオーウェン家に滞在することとなった。
どたばた状態だったため、クラリスのことも考えてリーシャの家か、あるいはセドリックの家にお邪魔するという案もでたのだが、夫妻の回復に歓喜した祖父母の熱烈な歓迎を拒むことはできずにそのまま滞在することとなった。
3日目のお昼頃には一度クラリスが病院から戻っては来たが、毎日のように病院をお見舞いに行くことになり、咲耶たちもその付き添いでロンドンまでやってきて、家族水入らずを邪魔するのも憚れるということで市内観光をすることとなった。
4日目くらいには、魔法省の人たちが病院に来たらしく、そちらはそちらで色々と話があったらしい。
ついでに市内に繰り出していた咲耶たちは“偶然”にもタカユキと出くわしたりもした。タカユキはなんだか疲れた笑顔を浮かべてリオールを連れ出して、咲耶たちには聞こえないところで何か熱心に話し込んでいたりもした。(もっともリオールはめんどくさそうに適当に聞き流しているそぶりだったが……)
5日目には咲耶たちは再び夫妻のお見舞いに病院を訪れた。
その時には二人の意識の混濁はもうかなり回復していたように見えたが、体力的にはまだ十分ではないらしく、ベッドの上に起き上がっての対面となり咲耶やリーシャ、フィリスたちは反応の返ってくる紹介をされた。
どうやらクラリスが寡黙なのは父親似らしく、オーウェン夫人はどちらかというと咲耶のようなほわほわと柔らかな感じの笑みをたたえた人で、フィリスがそのことでクラリスをからかってじゃれ合いを見せたりしていた。
そして、クラリス以外にはもっとも大変だったのはある意味6日目だったかもしれない。
なんだかんだで全員の頭から吹っ飛んでいた宿題という言葉を、翌日の出発準備をしていた朝に思い出し、クラリスの祖父母まで巻き込んで全員でやっつける羽目になったのだ。
怒涛のごとくに過ぎ去った8月最後の1週間があけて、いよいよ9月1日。
咲耶たちはホグワーツ5年生としての学期を迎えた。
第39話 アズカバンより
見送りの家族、おどおどとした感じの新入生、慣れた感じの上級生。いろんな魔法使いで溢れかえるキングスクロス駅9と3/4番線のプラットホームにて、一同はカートを押していた。
「クラリス。ご両親とはたくさん話せたの?」
「いろいろ。来月には退院できるから、クリスマスはみんなを家でもてなしたいって言ってた」
フィリスの質問に答えるクラリスは、少し恥ずかしそうに、それでも先学期よりもほんのりと表情を明るくしていた。
さすがにオーウェン夫妻の退院はクラリスの新学期出発には間に合わず、駅には祖父母に送ってきてもらうこととなった。
祖父母は見送りの後、夫妻のお見舞いに顔を出すらしく、すでにプラットホームからは去っているが、別れ際にクラリスの友人たちに深く感謝の言葉を述べていた。そして今回は十分なもてなしができなかったけど、是非また来てほしいとも。
「今度は宿題のないときにのんびりしたいな」
はにかむクラリスの頭をぐしゃぐしゃと乱暴に撫でながらリーシャがにかっと笑って言った。
いつもだったら不機嫌そうに見返してきたクラリスも、この日ばかりはなんだか恥ずかしそうに微笑んでこくりと頷いている。
「あんたが早めに片付けないから昨日はあんなことになったんでしょうが。まったくおじさんとおばあさんにまで迷惑をかけて」
「よし。それじゃ、コンパートメント探すか!」
ツッコミ力が衰えているクラリスの代わりに、呆れ交じりに(それでもクラリスには微笑みを向けているが)リーシャにツッコミを入れたのはフィリスで、リーシャは誤魔化すように「レッツゴー」と元気よく前を向いた。
咲耶やルークたちもあははと笑って、以前よりも明るくなって見えるやりとりを眺めた。
セドリックもくすりと笑ってリーシャたちのやり取りを眺めていたが、ふと確認するように視線を巡らせてから、フィリスに向いた。
「フィリス。そろそろ僕らはあっちの方にいかないといけないんじゃないかい?」
セドリックの言葉にリーシャに説教かまそうとしていたフィリスがあっ! とした表情になり、咲耶は小首を傾げた。
「セドリック君とフィー、なんかあるん?」
「あっ。ごめんなさい。私とセドリックは監督生車両の方に行かないといけないの」
尋ねてきた咲耶や友人たちに告げた。
ホグワーツでは5年生から各寮男女1名ずつ、監督生が任命されることになるのだ。
選考基準はいろいろとあるらしいが、今年のハッフルパフの監督生にはセドリックとフィリスが選ばれ、今、服の胸元には監督生バッチと呼ばれるPの刻印の入ったバッチが光っている。
「ああ。そういやそんなのあったっけ」
「見回りでそっちにも顔を出すわ」
監督生の仕事は、ほかの生徒の節度や規律を監督したり、新入生たちの案内などの仕事があり、列車内や学校内でも別枠扱いがあったりするのだ。
リーシャがそれを思い出し、フィリスはちょっと慌て気味にセドリックとともに監督生専用車両の方へと向かっていった。
フィリスとセドリックと分かれたリーシャたち5人は空いているコンパートメントを見つけてそれぞれ荷物を押し込んで席を確保した。
リオールも申し訳程度に持って来た小さな旅行鞄を適当に押し込み同乗していた。
「しっかしフィーが監督生かぁ。成績からするとセドはともかく女子はクラリスが選ばれると思ってたんだけどな」
「そりゃあ、あれだよ。クラリスが監督生だと、1年生よりもちびっこが案内をすることに、あてっ!!」
席について話し始めたルーク。リーシャがきししと笑いながら理由を言おうとして、横に腰掛けたクラリスから足を踏まれていた。
「フィーは面倒見がいい。普段からリーシャの面倒をみてるから」
「そやな~。フィーは保母さんってかんじやな」
「ちょっと待て! それじゃあ私が幼稚園児みたいじゃないか!?」
クラリスのちょっぴり棘のある物言いに咲耶がほわほわと思い出しながら言った。ただ続けて聞くとあんまりな評価になってしまいリーシャが吼えた。3人のやりとりにルークはあははと笑った。
「まっ、ある意味一番ハッフルパフらしい二人だから選ばれたんだろうな」
時間になり、ホグワーツ特急は煙を吐いてガタゴトと動き出し始めた。
他のコンパートメントもかなり人が入っているのか何人かの生徒が通路を通り過ぎ―――― 一人の少女ががらりと扉を開いた。
入ってきたのは燃える様な赤毛にそばかすがチャームポイントの2年生の後輩。
「こんにちは。私もご一緒していいですか?」
「ジニーちゃん! ええけど、ハリー君たちはええの?」
昨年も同席していたウィーズリー兄弟の末妹、ジニー。見知った彼女が荷物を引いて入って来たことで咲耶は嬉しそうに頷き、ふと一緒に居ない友人のことが気にかかって尋ねた。
昨年度末。
ジニーから恋の相談を受けた咲耶たちは、というよりも咲耶は、ジニーに恋愛は<ガンガン行こうぜ>とエールを送っていたのだ。
夏休みにはハリーがウィーズリー家を訪れて滞在するという予定があるということを聞いていたし、てっきり一緒に行動しているとばかり思っていたのだが……
「何か3人で話したいことがあるから私はお邪魔なんだそうなの」
「もー!! ハリー君、イギリス紳士やのに女の子の扱い方がダメダメやん!! それで、夏休みどやったん?」
ジニーを隣の席に誘導して座らせると、ジニーは肩を竦めて一人で座席探しをしていた理由を明かした。
咲耶はハリーの(正確にはロンのなのだが)、ジニーに対する扱いにぷんぷんと怒り、それから夏休みの成果をワクワク顔で尋ねた。
「あら? ……あっ! あのね、サクヤ。実は今年の夏、ハリーは家に来れなかったの」
キラキラと瞳を輝かせて尋ねてくる咲耶との間に、重大な認識の齟齬を感じて首を傾げたジニーは、伝えていなかった事実を告げた。
「ええー!? なんでなん!!?」
ガンッと衝撃を受けている咲耶に、ジニーは今年の夏に降ってわいたウィーズリー家の幸運 ――日刊預言者新聞のガリオンくじで七百ガリオンを当て、兄の一人が滞在しているエジプトへと家族旅行したという話をした。
ウィーズリー家には現在ホグワーツに在籍している7年生のパーシー、5年生のフレッドとジョージ、3年生のロン、2年生のジニーの他にグリンゴッツの呪い破りとしてエジプトに居る長男のビル、そしてルーマニアでドラゴンの研究をしている次男のチャーリーがいるのだ。
「そっかー。あっ、それでハリー君、夏休みに一人でダイアゴン横丁に居ったんや」
「うん。サクヤたちもハリーに会ったのね」
“第2回ジニーの恋を応援するぞ計画”が不発に終わったことにがっくりきている咲耶にジニーは苦笑した。
「むー。そしたら問題は、今年どうするかやな……むしろハリー君って女の子に興味あるんやろか?」
「おいおい。それ先に考えておくことじゃね?」
顎に手をあて、顰め顔をして計画を練ろうとしている咲耶にリーシャは呆れた眼差しを向け、クラリスとルークは別の意味で何とも言えない微妙な表情で咲耶を見ていた。
むぅー、と唸っていた咲耶は、ガバッとジニーに振り返り詰め寄った。いきなりの咲耶の行動に身を引いたジニーに、咲耶は人差し指を突きつけた。
「ずばり、ハリー君は今、好きな子居るんかな?」
「えっ!!? あ、えーっと……どう、なのかしら……」
「…………」
「今13歳だっけ? まぁ、居ても不思議はねーか」
咲耶から疑問に、ジニーは頬を引き攣らせ、クラリスとルークは能面顔で沈黙した。よく分かっていなさそうなリーシャのみが分からない答えに首をひねっている。
クラリスとルークはそれほどハリーと親しいわけではない。だが、咲耶との繋がりや昨年度の事件で何度も面識を持ったし、直情径行で分かりやすい男の子の、自覚してなさそうな恋心にはなんとなく察しがついていた。
なにせ二人の身近には絶賛それで悩んでいそうな男女がいるわけだし……
だが、
「ちなみに」
残念ながら、引っ掻き回す予想外の人物が一人いたことを彼女たちは分かっていなかった。
「そのハリー・ポッターに好きな女が居た場合はどうするんだ?」
にやにやとした笑みを浮かべて咲耶に尋ねるリオール。
ジニーの恋愛には興味なさそうな顔をしていたリオールの思わぬ参戦にルークは口元を引き攣らせた。
「そらもちろん! まずは相手を知ること! 敵を知り、己を知ればほにゃららって言うやんか!」
リオールの質問に、咲耶はなんとも勇ましい戦乙女的に答え、リオールがくっくっと肩を震わせた。
なおジニーの表情が引きつった笑いになっているのは言うまでもなく、ルークは呆れたような視線をリオールへと向けた。そして、もう一度勇ましい少女をみやって、少し考え込むように顎に指を当てた。
そしてクラリスは、先程までとは違う、じっと観察するような視線をリオールへと向けていた。
ともあれホグワーツ特急自体は今の所なんの問題もなく北へと向かい、ホグワーツへと近づいていた。
途中、車内販売の魔女がお菓子や食べ物を乗せたカートを押してコンパートメントを訪れ、咲耶たちはペコペコのお腹を満たすためにお菓子などを買い込んだ。
それらのお菓子を食べてある程度ひと心地ついたころ、
「そろそろ、ハリー達の話もいい頃だと思うし、向こうの方に戻ってみるわ」
「あっ。そっか。うん! そやね。頑張ってなジニーちゃん!!」
ジニーが席を立って、元居たハリーたちの所へと戻ることを切りだし、咲耶はぐっと拳を握ってジニーを送り出した。
ジニーは苦笑して手を振り、咲耶たちのコンパートメントを後にした。
「サクヤさぁ……」
「ん?」
「いやー、どこまで分かってやってんのかなーと思って」
「?」
後輩の恋する少女が去り、ルークが咲耶に尋ねようとして、しかし小首を傾げてさっぱり分かっていなさそうな様子を見て、米神をコリコリと掻いた。
「いや、なんでもね」
結局、ルークはそれ以上踏み込むことはしなかった。
下手にこの藪をつっつくと、隠し事のできないこの少女から、蛇が出るどころか、悪魔も逃げ出す魔法使いが出てきそうだから。
窓の外の雨はだんだんと強くなり、激しく窓を打ちつけていた。
「雨すごいな……ん? なんか速度落ちてね?」
外の景色を見ていたリーシャが呟いた。ガタゴトを揺れる汽車は、徐々にその速度を落していた。
「おかしい」
「どしたん?」
リーシャの言葉に、本を読んでいたクラリスが顔を上げて窓の外を確認して疑問を口にし、咲耶も視線を向けた。
「まだ駅までは距離がある」
5年目ともなれば大体この汽車がどのくらいで学校までつくのかは分かっている。その経験によるとまだしばらく駅にはつかないハズなのだ。
クラリスが訝しげに言うが、汽車の動きはますます速度を落し、遂には止まってしまった。
さらには車内の明りが突如としてなくなり、他の車両からもざわめきが広がって来ていた。
「どうしたんだろうな?」
「んー。なんか外から誰か入って来てるみたいだな」
車内の異常にルークはコンパートメントから顔を出してあたりを伺い、リーシャも何かおかしいことは感じたのか、外を見て、離れた所で何かがホグワーツ特急に乗り込んでいるのを見た。
咲耶も外を確認しようと腰を浮かせた瞬間、もぞりと隣の席に動きがみられ、何かの呪文と共に室内にあかりが灯った。
「あ、リオール。なんか汽車が」
「分かってる」
部屋に光源を灯したリオールは一言返して、自身も外へと視線を向けた。
暗くなりつつある空と雨粒が流れ落ちていく窓ガラスは、なにかの影響を受けてかピシピシと微かに氷結現象が起こっていた。
その現象を不機嫌そうに認めたリオールは、頬づえをついていた自分の右腕にも視線を落し、一層顔を顰めた。
「……腕。どうかした?」
舌を打ちそうなほどに苦々しいリオールの表情に、咲耶が気づいたのと同様、クラリスが言葉短く尋ねた。
「貴様には関係ない」
機嫌悪く言ったリオールは席を立ち、コンパートメントの奥から扉の方へと向かった。
「どないしたん?」
「大人しく待ってろ。呼んでない客人が来ただけだ」
「客?」
先んじて通路に出たリオンが睨み付けるように車両の扉を睨み付けた。
リーシャたちもコンパートメントの中からそちらを見ると、扉からは昏い冷気のようなものが段々と色濃くなっており、ゆっくりと扉が開かれた。
そして、扉の向こうから現れた人影にコンパートメントの中の子供たちは短く悲鳴を上げた。
顔はすっぽりと頭巾で覆われており、背丈は天井までも届きそうなほどのマントを羽織った黒い影。マントから突きでた腕は灰白色に冷たく光り、醜くぐずぐずの状態であたかも水中で腐敗した死骸のような手だった。
人影は車両の通路を滑るように移動し、何かを確認するようにコンパートメントを覗きこみ、リオールが前に立つ扉のところにも近づいてきた。
人影が近づくごとに体の中から熱が奪われ、幸福な気持ちがどこかへと消えてしまうような感覚を咲耶たちは感じていた。
そして扉の前に立つリオールは、近づいてくる人影を睨み付けており
「!」
そのリオールから、それまでとは違うゾクリ、とした悪寒をもたらすものが放たれた。
リオールの両腕を黒い渦のような紋様が蝕むように広がっていき、人影も咲耶たちが感じた悪寒を感じているかのようにビクリと足を止めた。
人影はリオールを観察するようにじっと見つめると、滑る速度を上げてリオールの前を通過して車両から出て行った。
「い、今のなんなん?」
「ディメンターだ。アズカバンの看守だよ」
人影が車内から去ると、リオールの腕に現れていた紋様も消え去り、重圧感がふっと消えた。
咲耶は人影が去った方を恐々と見ながら誰にともなく尋ね、ルークがやや声を震わせながら答えた。
「でぃめん、たー? アズカバンって、たしか……」
先日意識を取り戻したクラリスの両親。その二人にもっとも致命的な障害を負わせたのが監獄アズカバンであり、その恐ろしさは聞いていた。
先程のあの恐ろしげな人影がそれなのだと今更に分かり咲耶は気遣わしげにクラリスを見た。
クラリスは顔を蒼くしており、唇をギュっと噛んで痛みを堪えるようにしていた。怯えているようにも見える少女に声をかけようとした咲耶だが、外に出ていたリオールがその前を通って席へと戻った。
「随分と悪趣味なのを連れてきたものだ」
「リオールは、大丈夫なん? なんかウチその……」
咲耶は、先ほどから自分が、そしておそらく他の者たちが感じているような悪寒にも似た寒気をリオールが感じていないかを尋ねた。
「まあな。気力だか、活力とか言ったものが抜かれてるんだ。アレあったろ、活力回復の魔法。アレかけとけ」
「あ、うん」
顔を青くしている生徒たちをよそに、リオールはけろりとしており、ただ、若干青ざめている咲耶を気遣ってか、回復魔法を使うように指示し、咲耶もそれに従って、活力回復の魔法をコンパートメントにいる仲間にかけて回復を行った。
顔を青くしていたリーシャやルーク、そしてクラリスも咲耶の回復魔法を受けて、症状を緩和させた。
先ほどまで失われていたように見える体温を取り戻したことで、強張っていた会話も戻ったのか話は先ほどのディメンターがなぜここに現れたのかの話になっていた。
「どう思う、ルーク」
「多分、シリウス・ブラックの捜査に来たんじゃね?」
「シリウス・ブラックて、たしか脱獄した人やったっけ?」
いつもであれば、セドリックかフィリスの意見を聞くところだが、二人が居ないためにリーシャはルークへと尋ねて答えを得ていた。
「ああ。たしか“例のあの人”が居なくなった時に、自棄を起こしたかなんかで、マグルを巻き添えにして大量殺人したって魔法使いだ」
「脱獄不能のアズカバンから脱獄した唯一の魔法使い」
ルークの大量殺人者という言葉に咲耶は眉を顰め、クラリスも険しい表情で補足した。
「その、ブラックって人は、呪いで操られて、とかではなかったん?」
咲耶が、アズカバン、と聞いて思い出したのはやはり、そこに送られ生ける屍のようになった無実の魔法使いの姿だ。
それを思い出し、控えめに尋ねてみると、ルークとリーシャはむぅっと考えるように顔を見合わせた。
「さあな。あのころって、それこそ誰が呪いをかけられてもおかしくない時代だったらしいから、完全に黒とは言えないかもな。けど噂じゃ死喰い人の中でもかなり高い地位に居たんじゃないかって言われてたはずだよ」
率直に言えば、咲耶の指摘したことを疑ったことなど全くない、というのが本音だが、やはり似たような状況で実際に無実だったクラリスの両親のことを考えれば、安易に肯定も否定もするのは難しかった。
「ブラック家はイギリス魔法界でも指折りの純血の名家。リーシャとかウィーズリー家よりも」
ただ、クラリス自身は特に感情を害した様子もなく、すでにいつもの状態に戻って淡々と答えているように見えた。
だが、言葉を切ったクラリスはついっと視線をリオールに向けた。
「おそらく魔法省はブラックがハリー・ポッターに危害を加えることを警戒したんだと思う。ニホンの魔法協会が
「ほぅ」
「へ? なに言ってんだクラリス?」
続けられたクラリスの考察を聞いて、リオールは薄く笑い、リーシャたちはきょとんとした顔をした。
リーシャの大丈夫か? と言わんばかりの態度にクラリスはすっと指を赤毛の少年へと向けて言った。
「スプリングフィールド先生が化けた姿」
「…………へ?」
クラリスの指さす先を追って、赤毛の時の精霊魔法の先生と似た顔立ちをした少年に視線を向けた。
「聞きたいことがある、スプリングフィールド先生」
「な、ななな。くく、クラリス!? えーっと、リオンは、じゃなくてリオール君は――」
クラリスの質問に対して窓枠に肘をついて頬杖ついているリオール。その横ではあわあわと咲耶がなにか誤魔化そうとしており、
「えっ!! あの。マジでスプリングフィールド先生?」
残念ながら咲耶のフォローが決定打となって、ギョッとしていたリーシャとルークもまじまじとリオールを凝視した。
「りり、りおーん……」
「流石に接触時間が長かったからな」
完全にばれてしまっていることに咲耶は涙目になって“リオン”の腕にすがりついた。
もっとも当人のリオンは、バレたらバレたでどうでもよかったのか、あっさりとしたものだ。
「えーっと、それも精霊魔法でやってるんですか?」
「まあな。自前の幻術の応用、精神干渉の一つだな」
そのあっさりとした態度に、まだ状況の認識に頭が追い付いていないのか、リーシャがとりあえず思ったままの質問をしてみた。
返ってきた答えにリーシャは「へぇー」と感心したようにリオール状態のスプリングフィールド先生を見ており、その様子に咲耶は「バレてもよかったん?」ときょとんとしていた。
元々、バレたら相手が気をつかうだろうという程度の隠し事だったのだから、別にリオンとしては困ることではない。
いかに母直伝の年齢詐称薬、認識阻害とはいえ一週間もの連続接触、しかも知っている人物に対する接触があってはバレるのも無理からぬことだ。
リーシャとルークはびっくりしているものの、意外とすとんと納得できているのか、やや頬を引き攣らせつつも咲耶にこのトンデモ先生がついているのは理解できているらしい。
むしろ咲耶が来た時に、あの護衛役の人と親しげに会話していたり意見を押し通したりしていたことの理由が分かったようだ。
「えっと。なんでスプリングフィールド先生がここにいらっしゃるんですか?」
ただ一方で、状況を整理したルークは困惑露わに恐る恐る尋ねた。 クラリスの言う通り、今回のリオンの護衛はイギリス魔法省から通達された、警戒宣言の影響が多少ある。そしてそれに加えて、“計画のひとつ”が大詰めに迫ったことで余計な手出しが増えないようにという配慮もあってのものであったりする。
そのためリオンはめんどくさそうに顔を顰め、リオンが言わない代わりに咲耶がにこやかに告げた。
「えっとな。デート!」
「ちょっと黙ってろバカ」
咲耶の返答には、青筋を浮かべたリオール、もといリオンからノータイムでのツッコミが入ることとなった。
「ジジバカなコイツのジジイに依頼されただけだ」
護衛をつけられている当の本人は、その複雑な状態を分かっているのか分かっていないのか。分かっていつつも、同じくらいの年恰好になったリオンが傍についていてくれてるのが嬉しいだけかもしれない。
「やったじゃん、サクヤ」
「えへへー」
忌々しそうなリオンの横では咲耶とリーシャがなにやらわいわいと楽しそうに小突き合いをしているが、もはやツッコむことを諦めたのか、リオンは溜息をついて、未だにじっとこちらを見ているクラリスへと視線を戻した。
「聞きたいことがあります」
「……話すことは特にない」
抑揚がないながらも、予想外に真剣なクラリスの声に、リーシャと咲耶は小突き合いをやめて二人に視線を向けた。
クラリスの表情は挑むようにリオンを見ており、対してリオンはほとんど興味がないかのように返している。
「先生の精神干渉の魔法で、二人を助けてくれた?」
少し興味が湧いたのかリオンは薄く睨み付けるようにクラリスを見た。
ルークとリーシャもはっとしたように少年に化けた赤毛の先生を見た。本人は“治癒魔法は苦手”だとは言っていたが、だが同時にあの時は“治癒魔法とは系統が違う”とも言っていた。
わずかの間、少女と睨みあいをしたリオンはふんと不機嫌そうに鼻を鳴らした。
「どんな期待をしてるのか知らんが、勘違いしないことだ。俺は善い魔法使いじゃない」
ぷいっとそっぽを向いたリオン。彼の言葉に咲耶がぽりぽりと頬を掻いてからニコッと人差し指を立てた。
「リオンはツンデレ君の優しいまほーつかいやから」
「当分黙ってろバカ」
「ふぃふぁいふぃふぁい」
シリアスをにこやかに台無しにするのほほん娘に、リオンは青筋を浮かべてぎりぎりと頬を抓りあげて黙らせた。
咲耶はぱたぱたと悶えており、膝の上にいたシロはガリガリと懸命にリオンに爪を立てようとして見えない壁に阻まれていた。
はたして咲耶が言うところの凄腕のツンデレ魔法使いがどういった思惑で何をしたのかは分からない。
それでも…………
「何をしたのかはいい。でも、お礼は言わせてほしい。貴方のおかげで二人はよくなった……ありがとうございます」
クラリスがぺこりと頭を下げると、リオンはふんとそっぽを向いて、不機嫌そうに座席に身を沈めた。