春のおとずれ 【完結】   作:バルボロッサ

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スリザリンの継承者

 日も暮れたグリフィンドール男子寮

 

「なにが蜘蛛の跡を追えだよ!! ハグリッドめ!! 絶対許さない! 生きてたのは運が良かっただけだよ!!」

「アラコグが自分の友達を襲うとは思わなかったんだよ」

 

 一人の少年が憤りを露わにしており、もう一人の少年はそんな相方をなだめすかしていた。

 “蜘蛛の跡を追え”

 冤罪と言われつつも魔法省の体面のためにアズカバンへと連行されたハグリッドが残した言葉に従って蜘蛛の跡を追い、禁じられた森に入ったハリーとロンは、一夜にして壮絶な冒険を経験した。

 

「ほんとやってくれるよ! ハグリッドはモンスターは悪いヤツじゃなくて、モンスターに仕立て上げられているだけだとでも思ってるんだ! その結果どうだい! アズカバンさ!」 

 

 50年前に学生時代のハグリッドがホグワーツを退学するきっかけとなった怪物“アラコグ”。アクロマンチュラという凶暴巨大な毒蜘蛛の群れ(・・)に突っ込んだ二人は、命からがら逃げだすことに成功したのだ。

 

「今日の成果は一体なんだい!? 僕らが死にそうな目にあって一体なにが分かったんだい!?」

 

 もっとも、冤罪とは言ったが、どうやら怪物好きのハグリッドが学生時代に凶暴な蜘蛛の怪物を飼育していたことは歴然たる事実であり、蜘蛛嫌いのロンとっては無実とは言い難かったようだ(ついでに言えば、昨年ドラゴンを“違法”飼育していた経験もある)。

 

「ハグリッドは秘密の部屋を開いてはいなかった――――冤罪だったんだ」

 

 新たな真実にひとまず納得することにして、寮の自室へと戻った二人はベッドへと沈み込み、睡魔に身を委ねようとした。

 

 昨日今日だけでも事件は大きく進展していた。

 ハーマイオニーが石化させられたこと。

 ジニーが襲われた事、そして再襲撃の危険があること。

 ダンブルドアが校長を停職させられたこと。

 ハグリッドが冤罪でアズカバンに連れていかれた事…………

 

 そして

 

 眠りに落ちかかっていたハリーは、記憶の片隅に残っていた欠片へと触れ、途端ひらめいたその推測に跳び起きた。

 

「ロン! 50年前死んだ女の子だけど。アラコグは女子トイレで見つかったって言ってた!」

 

 他のルームメイトを起こさないように、しかし眠りそうになっているロンを揺さぶり起こして忘れないうちにこの推測を伝えようとした。

 

「もしその女の子がまだ女子トイレに残っていたとしたら?」

 

 初めは寝ぼけかかっていたロンも、鬼気迫る様子のハリーに、そして告げられている言葉の意味を理解して徐々に目を見開いた。

 

「まさか……嘆きのマートル?」

 

 

 

 第33話 スリザリンの継承者

 

 

 

 校則違反の追加という危険を冒して、得られたモノは命の危険を伴った大冒険だった、という何とも報われない結果に思えた今回の一件。

 しかし、アラコグが告げた言葉から50年前に起きた事件――秘密の部屋が開かれて一人の女生徒が殺されたという事件のこと、そしてその犠牲者のゴーストについてハリーが思い至ることができたのは大きな収穫だっただろう。

 

 ハリーが一時、手に入れていた“トム・マールヴォロ・リドル”の日記。

 白紙の日記に文章を書き込めば、返が浮き上がるという不思議な魔法書に見せられた50年前の記憶。

 それによれば50年前、トム・マールヴォロ・リドルという孤児院出身の優秀な魔法生徒が、秘密の部屋を開いた継承者を捕まえ、ホグワーツから追放したということだったのだ。

 そしてその犯人こそがハグリッドと言われており、そのために今回彼が連行されることとなったのだが…………

 

 トム・マールヴォロ・リドルは無実の人間を捕まえたのだ。

 

 二つの情報から、殺された少女が三階女子トイレの ――ハリーたちがポリジュース薬作成のために隠れて使用していた女子トイレの地縛霊である嘆きのマートルであることまでつきとめたハリーたちは、さらなる情報を手に入れるために彼女に直接尋ねに行くチャンスを狙っていた。

 そして折よく無能教師(ロックハート)の授業後にそのチャンスに二人は恵まれた。

 

 ロックハートはこれまで何度も「危険はもうない」と宣言し、それを覆され続けていたが、今回ハグリッドが連行されたことで自信満々になっており、生徒を次の授業に安全に引率するのを無駄と思っているらしい。

 見回り疲れで手入れ不十分な身なりを整えるために、引率をすっぽかさせることに成功した二人はマートルに会いに行こうとして、しかしマクゴナガル先生に出くわしたことで、方針を転換せざるを得なくなった。

 ハリーは咄嗟に保健室にジニーとハーマイオニーのお見舞いに行くことを主張してごまかし、間に受けたマクゴナガルが潤んだことで本当にお見舞いに行くことになったのだ。

 

 ポンフリーの治療にも関わらず、なぜか気力の戻らないジニーは未だに目覚める兆候を見せていなかった。

 その姿にロンは顔をしかめ、ハリーも痛ましい視線を向けた。

 手を握り、「起きろ」と告げれば何かが変わるかもしれないと思ってやってみても、結局、ジニーはピクリとも動くことはなかった。

 

 それ以上にハーマイオニーのお見舞いには、二人は来る意味を見いだせなかった。

 マクゴナガルには咄嗟に、彼女たち二人のと言ったが、石になった彼女のお見舞いに来ても何の意味もない。

 マクゴナガルはそうは思っていなかったようだが、マダム・ポンフリーも、そしてハリーとロンもそう思わずにはいられなかった。

 心配するなと告げてもハーマイオニーが全く気付いていないことは明らかで…………しかし、二人にとって予想外の収穫をそこで得ることとなった。

 

 

 

「パイプだ! パイプだよ、ロン。バジリスクはパイプの中を移動したんだ。だから誰にも見られずに城の中を移動できたし、僕には壁の中からあの声が聞こえたんだ」

 

 ハーマイオニーが握りしめていた紙切れをなんとか取り出して見て見ると、そこに記されていたのは、彼女が突き止めたと思しき怪物の正体とヒントがあったのだ。

 

「じゃあ、秘密の部屋への入り口が……もしトイレの中だったら? もしあの――」

「嘆きのマートルのトイレだったら!」

「じゃあ……この学校でパーセルタングを使えるのは僕だけじゃないはずだ。スリザリンの継承者も使える。そうやってバジリスクを操ってきたんだ」

 

 ハーマイオニーが至った真実に、遅れること数日。二人もいたることができたのだ。

 ロンとハリーは、未だ起きる兆候を見せないジニーとハーマイオニーをちらりと見遣った。

 

「これからどうする? すぐにマクゴナガルのところへ行こうか?」

「ああ。職員室へ行こう」

 

 何もジニーに恐怖を思い出させることはない。

 起きた時に事件はもう解決したんだと、告げてあげることがなによりの優しさの筈だ。

 

 キッと顔を引き締めた二人は弾けるように立ち上がり保健室を後にした。向かう先は職員室。多くの魔法先生が居るであろうそこに行って、この事実を伝えるのだ。

 

 そうすればきっと上手く行く。

 きっと事件は全て解決するはずなのだ。

 

 

 

 ハリーとロンの二人が立ち去り、事件解決の糸口どころか入口を伝えに職員室へと向かった後、保健室では一人の少女が目を覚ましていた。

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 当惑した顔。怯えきった顔。苦渋に唇をかむ顔。

 咄嗟に洋服掛けに隠れたハリーとロンは、扉の隙間から職員室に戻ってきた先生たちの様子を見ていた。

 

 現在職員室内にて隠れ潜んでいる二人だが、もとよりこんなことをするつもりはなかったのだ。

 職員室にいるだろうと期待していたマクゴナガル先生がおらず、しばらく待っているつもりだったのがかれこれ数10分前。

 

 秘密の部屋に関する重要な情報を手に入れ、それを知らせるべくやってきて、待っている間に鳴り響いた校内放送。

 

 ――生徒は全員、それぞれの寮に戻るように。教師は全員、職員室に大至急集まるように――

 

 その報せに驚きつつも、このままここでボ~っとしていては、先生たちが来て即座に追い出される。そう思った二人は、何が起こったかを確かめるために盗み聞きの真似をすることになったのだ。

 状況を理解してから、タイミングを見計らってここから出て、先生たちに秘密の部屋の情報を――部屋の入り口が3階女子トイレに隠されていることを告げるつもりだった。

 

 数人の不在者を残しつつも、大方の先生が揃うと、職員室はシンと静まり、マクゴナガル先生が切りだした。

 

「やられました……」

 

 震える声で告げる先生の声には怯えにも、苦々しいものが込められていた。

 

「先程、保健室が襲撃されました。マダム・ポンフリーが気絶させられ――――ジニー・ウィーズリーが行方不明となりました」

 

 ハリーの隣でロンがへなへなと崩れ落ちるのが感じられた。もしもここに鏡があれば、愕然とした表情となっている自分の顔も見られただろう。

 

 保健室――少し前まで自分たちが居たところだ。自分たちがそこを離れた数10分の間に、先ほどまでお見舞いに行っていたロンの妹が襲われたのだ。

 

「彼女は事件について何か知っていた可能性があります。おそらく口封じのために…………」

 

 体の中の血がどこかに流れ出てしまったかのように指先が冷たくなり、細かな震えが止まらない。

 

 ようやくだった。

 秘密の部屋の情報を、怪物の情報を手に入れて、ようやくこれから反撃に移れる矢先だったのだ。

 

 なのに――――

 

「全校生徒を明日にでも帰宅させなければなりません…………ホグワーツはこれでおしまいです。ダンブルドアはいつもおっしゃっていた……」

 

 頼みのダンブルドアはいない。

 

 そして何かを知っていたはずのジニーはおそらくもう……

 

 その時、職員室のドアがバタンと開いて、みんなの視線がそちらに集まった。

 ハリーを含め、全員の瞳に希望のようなものが宿ったのは、おそらくそこにダンブルドアが立っている姿を期待したからだろう。

 

 だが、立っていたのはロックハートだった。しかも白い歯を見せてニッコリとした微笑を浮かべているではないか。

 

「大変失礼しました。ついウトウトと。あー……何か聞き逃してしまいましたか?」

 

 満面の笑みで見回すロックハートに、先生たちが見間違いなく憎々しい視線を向けており、マクゴナガル先生がわなわなと震える唇で怒鳴ろうとしていた。

 しかしそれを遮るようにスネイプが一歩進み出た。

 

「なんと適任者が! ロックハート、秘密の部屋の情報を知る女子学生が継承者に攫われた。おそらく秘密の部屋そのものに連れていかれたのだろう。あなたの出番だ!」

「はい?」

 

 スネイプの大仰なセリフにロックハートが間の抜けた声を返した。

 

「その通りだわ、ギルデロイ。昨夜でしたね、たしか秘密の部屋への入り口がどこにあるか、とっくに知っているとおっしゃってたのは?」

「え、あの……私は、えっと……」

 

 状況を理解したのか、みるみる血の気を失っていくロックハートに追い打ちをかけるようにスプラウト先生が口を挟んだ。

 もはやロックハートの口からは意味をなさない言葉しか出てきていない。 

 

「そうですとも。部屋の中に何が居るか知っていると、自信たっぷりにわたしに話しませんでしたか?」

「い、言いましたか? その私の記憶にはないのですが……」

 

 フリットウィック先生の追撃がやってきて、ロックハートの顔色はもはや蒼褪めるを通り越して土気色へと転じていた。

 

「たしかに覚えておりますな。ハグリッドが捕まる前に、自分が怪物と対決するチャンスがなかったのは残念だったともおっしゃっていましたな。何もかも不手際で、最初から、自分の好きなように任せるべきだったと?」

 

 再びスネイプが言った。瞳は凍えるように冷たく、突き放すような眼差し。

 

「私は……何もそんな……あなた方の誤解では……」

 

 ロックハートは絶望的な目で助けを求めるように周囲を見回した。

 マクゴナガルが、きゅっと唇を真一文字に結んで、気持ちの整理をつけたようだ。

 

「それではギルデロイ。あなたにお任せしましょう。今夜こそ絶好のチャンスでしょう。誰にもあなたの邪魔をさせはしませんとも。お一人で怪物と取り組むことができますよ。お望み通り、お好きなように」

 

 

 どこからも助けが来ないことをようやく理解したのか、ロックハートはニッコリとした笑顔がどこかへと消え去り、決闘の準備をすると言って部屋へと戻って行った。

 

 ロックハートが去ったのを確認してから、マクゴナガル先生は深々と息を吐いた。

 

「これで、厄介払いができました。寮監の先生方は寮に戻り、生徒に何が起こったかを知らせて下さい。明日一番のホグワーツ特急で生徒を帰宅させる、とおっしゃってください。フーチ先生はウィーズリーの両親に連絡を。ケトルバーン先生は保健室でポンフリーの介護をお願いします」

 

 他の先生方に指示をだし、先生たちは一人、また一人と職員室を後にした。

 

「このようなときに、スプリングフィールド先生は一体どこに行かれたのでしょう……」

 

 マクゴナガル先生がぽつりと、ここには来なかった先生のことを呟いた。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 長く暗い急勾配の傾斜の果て、ホグワーツ城の地下牢よりもなお深い地底に、一人の赤髪の少女が歩いていた。

 

 数日前、何者かの襲撃によって気を失っていた少女だ。

 その中に潜む“彼”にとって、あの出来事は恥辱のできごとに他ならなかった。

 

 スリザリンの継承者のことをこそこそと嗅ぎまわる愚か者。その仲間である穢れた血の少女にバジリスクをけしかけ、石にした直後の出来事だった。

 

 最強の魔法使いを自負する本体でなかった。この愚かな小娘の体があまりにも脆弱だった。完全にこの小娘の魂を掌握できていなかった。

 理由はいくつもあるが、重ねるほどに自らの屈辱感が増していき、不毛なその思考を打ち切った。

 今為すべきはあの屈辱を晴らすこと。

 スリザリンの継承者の力をもって、“今度こそ”愚か者を屠ることだ。

 

 腹立たしいことに、魂の一部を削り取っていたためか、気を失ったこの体が目覚めたのは襲われてから数日も経ってしまっていたのだ。

 小娘の力を自分で奪い取っていたがためとはいえ、襲われて数日も意識を失うなど屈辱に変わりはない。

 

 そして苛立たしいのは、あの襲撃者のせいだけではない。

 間が悪かったというのもあるのかもしれないが、50年前とは異なり、今回の事件では未だに誰一人として死んでいない。

 猫に幽霊、小僧どもまで。一睨みで致死を与えるバジリスクの魔眼が、悉く不発に終わっているのだ。

 石化などという不十分な結末ではなく、本当の死を与えること。

 それこそが継承者の力のはずだ。

 

 今度こそあの正義ぶった襲撃者に――ハリー・ポッターに死の報いを。

 バジリスクの力に恐怖し、すくみ上った小僧から闇の帝王を打ち破った力の秘密を聞きだし、その後で恐怖に歪む顔を永久に凍てつかせるのだ。

 

 

 そのための手駒は十分。

 数日の期間でこの体の支配権はほぼ“彼”に移ったといっていい。

 魂の欠片を与えて、根本から服従させたあの純血の小僧も呼び寄せた。

 間もなくバジリスクのもとへとたどり着く。

 

 そう。ハリー・ポッターは間に合わない。

 万全の態勢であの小僧に悪夢を見せてやる――――はずだった。

 

「エーミッタム!!」

「!!?」

 

 暗い通路の闇の中から響く声。

 

 忠実なる傀儡であるはずのドラコ・マルフォイ。待っていたのは彼だったはずだったのに、暗闇の中轟いたのは別の声。

 

「なっ!!?」

 

 こちらの世界の魔法ではない。唾棄すべき異世界とやらの、選ばれた者以外が扱う魔法の一つ。それによって解放された雷の矢がスリザリンの継承者に襲い掛かった。

 視認できる数は20を余裕で超えている。

 一つ一つの光弾は、元の体であれば、苦も無く対応できる程度の威力だが、今は脆弱な小娘の体でしかなく、しかも数も多い。

 

 突然の奇襲攻撃を喰らう事こそなかったが、意識の全てをそちらに奪われた。

 闇の中、突如として輝く光弾に視力を持っていかれたことも大きい。

 

 光弾を防ぎ切り、煙幕が吹き荒れる中、体勢を整えようとした“彼”は――――トン、と自らの体に杖が突きつけられたのに気づいた。

 

 そして―――

 

「――――」

「ステュービファイ!」

 

 咄嗟の盾を張ることもできずに、いや張ったとしても接触した状態からでは十全にその役目を果たすことも叶わなかっただろう。

 意識の全てが闇へと沈んだ。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 ホグワーツ域内の空

 広大な禁じられた森の外れの遥か上空を翔ける男がいた。

 

 白いスーツに外套を纏った優雅な装いの男。背中で括られた白銀の髪が靡き流れる。

 杖もなく、まして魔法使いが使うような箒もなく空を翔けている。

 

 ここに来るまでの途中、その侵攻を阻む見えない膜にぶつかるも、まるで薄い水の壁を通過するように速度を落さずに結界を通過した。

 

 域内への許可なきものを阻む魔法の結界。

 だが、男の持つあまりにも強大な力を前に、その結界はまるで役目を果たす事無く通過を許した。

 

 空にはまだ太陽が沈まずにいるが、もう2,3時間もしたら半弦の月が煌々とした姿を見せるだろう。

 目指すは遠くに見える白亜の城、ホグワーツ城。

 

 行く手を遮る者無きその空の道の途上に一つの黒き人影が浮かび上がり、白銀の男は脚を止めた。

 

「おや。これはこれは。話には聞いておりましたが、まさか本当に居られるとは…………福音の御子」

 

 黒いマントに風をはためかせて空に立つリオン。脚を止めさせられた男はにやりと顔を歪めた。

 

「ふん。どんな話を聞いていたかは知らんが、ここは通行止めだ」

 

 この侵入者を止めることができなかった結界だが、それでもそこに探知の網を仕掛けていたのだろう。

 内からの正式な招きなく侵入してきた男に冷たく言葉を突きつけた。

 

「それは困りましたね。実はわたくし、あの城に用が御座いまして…………決して貴方の悪いようには致しませんので、お目こぼしいただけないでしょうか?」

 

 おもねるように遜った言葉。白銀の男の秀麗な顔には言葉通り少しだけ困ったような笑みが浮かんでいた。

 

 男は知っているからだ。

 今目の前に立つ男をが、洋の東西、表裏、世界の新旧全てを含めて、次代の使い手の中では追従を許さない最強の存在であることを。

 そして全ての使い手を含めても、最強クラスである化け物であることを。

 

「あいにくと一応ここの教師なんぞをやっているものでな」

 

 一瞥しただけで分かる。

 並みの魔法使いでは見抜けないかもしれないが、この貴族風の白銀の男は、ただの人間ではない。

 

「ふむ。できれば貴方には大人しくしていてほしいのですがね。あなたが守護している姫君にも手を出したりはしませんよ。……おそらく」

 

 白銀の男の言葉に、ぴくりとリオンの眉が動いて反応を示した。

 この侵入者はどこまでこちらの情報を掴んでいるのか……

 

「そいつは結構。だが、一応、こっちもあんたに聞きたいことがあるんでね」

「ほう? それは何でしょうか? 私如きがお答えできることかは分かりませんが……」

 

「貴様の依頼主は何が目的で旧世界の魔法族に介入する? 依頼主はどこのどいつだ」

 

 そして、どこから情報を得たのか。

 

 吸血鬼の息子(リオン)のことを多少知っている程度の者ならば、人間の少女(咲耶)を護るためにムキになったりすることなどないことは容易に考え付くはずだ。

 

 だが、リオンには咲耶を守護する理由がある。

 それを知っていて、守護していることを知っていてなお、揺さぶりに使ってきたのだ。

 

「……残念ながらそれはお答えできかねますね。むしろそれは貴方に必要な情報ですか? 失礼ながら、人間如きのやることを気にかけるとは、かの御方の御子息とは思えませんね」

 

 気紛れに人に助力することはあっても、怪物は怪物。

 マクダウェルの名は魔法世界の多くで忌み嫌われているものの象徴だ。

 人から疎まれ、人の世界からはじき出される。

 

 種族として人とは違うのだ。

 最強種としての母を持つ最強の眷属。

 人の為すことに左右されるような存在ではない。

 

 だが

 

「なにちょっとした事情があるもんでな。人の為すことを見るのも、風情があるものさ」

「それはそれは……困りものですね」

 

 リオンの返答に、白銀の男は残念そうに溜息をつきながら顔に手を当てた。

 指の隙間からうかがうようにリオンを見る目は、既に交渉が決別に終わっていることを悟っていた。

 

「答える気は、ないようだな」

「……本当に、困りましたね!」

 

 高まる魔力。

 

 禁じられた森の上空にて、人外同士の戦いの幕が、人知れず開かれた。

 

 

 

 

 ・・・・・・

 

 

 

 顔面蒼白でびくびくとしながら歩くロックハート、杖に明かりを灯して先頭を歩くハリー、ロックハートに杖をつきつけているロン。

 三人は今、ホグワーツの地下牢よりもずっと深い地下トンネルへとやって来ていた。

 

「いいかい。何かが動く気配を感じたら、すぐ目をつぶるんだ……」

 

 ハリーの、そしてハーマイオニーの推理した通り、秘密の部屋への入り口は、3階女子トイレに隠されており、スリザリンの継承者の証であるパーセルタングを鍵として開くことができた。

 それを教えてジニー救出を任せようとしたロックハートは、物の見事に役立たずであり、現在彼は二人に脅されて泣く泣くこの救出隊の一員をやらされていた。

 

 

 ジニー行方不明の報を受けて一時は消沈していたロンとハリーだったが、わずかでもまだジニーが生きている可能性に賭けて秘密の部屋への突入を決意したのだ。

 職員室でのやり取りで、アテもない秘密の部屋への突入を任されたロックハートが――どれだけ教師として無能なように見える教師であっても、あれだけたくさんの活躍を本で出版している彼が―― 何とかしようともがいていると期待して彼の許を訪れた二人だったが、実はロックハート本人は、他人の手柄を横取りしてそれを本に書いているだけのペテン師であったことが発覚したのだ。

 しかもあろうことかロックハートは二人の記憶を奪って学校から逃げ出そうとまでしたのだ。

 だが、忘却の術をかけられる直前でハリーの武装解除呪文が炸裂し、ロックハートは杖を失った。

 

 結果、囮役くらいにはなるだろうという思いで、ロックハートは二人に連れて来られて、先頭きって秘密の部屋の入口に突き飛ばされることとなったのだ。

 

 ぬめぬめ、じとじととした通路。そこら中に小動物の骨が散らばるトンネルの中で、ハリーとロンは、ジニーが同じような姿になっているのではないかという思いを必死で振り払っていた。

 

「ハリー、あそこに何か……いや、誰か倒れてる!?」

 

 暗い通路の先に大きく曲線の輪郭を描く物が行くてを遮ぎっており、その近くに人影のようなものが横たわっていた。

 

 考えられる最悪の状況。

 バジリスクとジニーが一緒に居るという状況を想像し、ハリーは逸る気持ちを抑え、すぐに目をつぶれるように目を細めながら人影と物体に近づいて行った。

 

「! これは、バジリスクじゃない。それに……マルフォイだ!」

 

 目にしたのは6mを超すほどに巨大な蛇の抜け殻。毒々しく鮮やかな緑色の皮膚だけが、とぐろを巻いて横たわっており、ジニーかと思われた人影は、気を失ったドラコ・マルフォイだった。

 

「し、死んでるのか?」

「……いや。気を失っているだけみたいだ」

 

 バジリスクの一睨みは本来致死の邪眼。

 鏡を通して邪眼を見ただろうハーマイオニーのように間接的に眼を見た場合は石化で済むが、まともに見れば命はない。

 ハリーは早鐘のように打つ心臓を鎮めながらマルフォイの口元に手をかざし、呼吸があることを確認した。

 

「なんで、こいつが……」

「分からない」

 

 ごくりと唾を飲んで震える声で尋ねたロンにハリーは首を横に振って答えた。

 

 ――ドラコ・マルフォイが継承者だった――

 そう結論付けるには状況があまりにも不自然だ。

 

 攫われたはずのジニーはどこにも居ないし、通路はまだ先に続いている。

 もしも仮にジニーが抵抗してマルフォイを倒したとしたら、通路の先に進むのではなく、引き返してきて途中でハリーたちと出会っている筈だ。

 

 考えられるのは、マルフォイも何らかのルートでこの場所のことを探り当て、なんとか入り込むことに成功したが、継承者にやられてしまったという可能性だが、それも状況からすると奇妙だ。

 

 まず、ここに入るにはパーセルタングである必要がある。マルフォイがパーセルタングであったとしたら、嬉々として普段から自慢していたはずだ。

 もしかしたら継承者が入るところを目撃して、パーセルタングを真似て入ることができたという可能性もあるが、それにしても、ここで気絶しているということは継承者にやられた可能性が高い。

 純血だから殺されはしなかったと言えなくもないが、果たしてそれだけで済むだろうか。

 

 

 ジトリと嫌な汗が流れる。

 マルフォイも気にかかるが、それよりも今は行方の知れないジニーの方が心配だ。

 立ち上がって先を見ようとしたハリーは、不意に後ろの方で「ひぃ」という声と誰かが座り込む音が聞こえて振り向いた。

 

 ロックハートが腰を抜かして座り込んでいた。

 あまりにも巨大すぎる蛇の抜け殻と、そして横たわる生徒の姿に恐怖が限界を超えたのだろう。

 

「立て」

 

 ロンがロックハートに杖を向け、きつい口調で言った。子供の自分たちよりもあまりにも情けない魔法先生の姿。だが、法螺ばかり吹いた挙句、記憶と記録を捻じ曲げてきたこの男に同情をかけるつもりはないのだろう。

 

 だが、迂闊にも二人は追い詰めるということの難しさを甘く見ていたと言えるだろう。やぶれかぶれの咆哮とともにロックハートがロンへと跳びかかって殴りつけた。

 

「ロックハート!!」

 

 相手は杖を持ってはいなかったとは言え、ほぼ魔法使いとしてしか鍛えていないロンやハリーにその咄嗟の反撃に対処することはできず、ロンは床に殴り倒され、ハリーは杖を向けようとするも、それよりも早くロックハートはロンの杖を奪い取っていた。

 

「は、はは、はは!! さあ!! 坊やたち、お遊びはこれでおしまいだ!

 私はこの抜け殻とそこで倒れている彼を連れて帰り英雄となるとしよう。少女を救うのには残念ながら遅すぎたのだよ!」 

 

 満面の笑みを復活させたロックハートが肩で息をしながら杖を突きつけていた。

 殴り倒されたロンは唇を切ったのか口元を乱暴に拭いながら、じりじりと後退している。

 

「君たち二人は、そうだね。持ち帰るには無残すぎる少女の遺体を見て哀れにも気が狂ったといったところかな!」 

 

 形勢逆転とばかりにこれからを告げるロックハート。

 先ほどは彼の油断と2対1という状況をついて杖を奪いっとったが、今度は向こうの方が早打ちの体勢を整えてしまっているし、なによりも杖を失ったロンが無防備だ。

 

「さあ、記憶に別れを告げたまえ!」

 

 ロックハートは半ばほどにスベロテープを巻き付けたロンの杖を振り上げた。

 

 

 

 そして…………

 …………一つの魔法が炸裂した。

 

 

 


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