そこは学校の一研究室のはずだった。
少なくとも、ほんの1分ほど前にはたしかに室内にいた。友人である留学生、サクヤと親しいリオン・スプリングフィールド先生の研究室。
だったのだが…………
「…………なんじゃこりゃ!!!?」
気づけば孤高の塔の頂に刻まれた魔方陣の上に立っており、吹き抜ける生ぬるい風に体を煽られていた。
「去年の雪山と違うのはよかったけど、今度はジャングルって……」
眼下に広がるのは熱帯のジャングルと滝。足場となっている塔の頂から渡る橋の先にはホグワーツとは異なる様式の城が聳え立っていた。
「サクヤ。何か魔方陣がいくつもあるんだけど?」
リーシャやフィリス、セドリック、クラリス、ルーク、そしてディズ。先日決闘クラブを発足しようと話をまとめたメンバーによる記念すべき初活動の日だ。
「えとな。手前の魔方陣があっちのお城に行くやつで、そっちのに乗るとまた別のとこに行くえ」
痛い目に合うことを恐れてかこわごわと転移魔方陣を覗き込むセドリックたちに、どこかに飛ばされる前に咲耶が説明をしていた。
第31話 氷る世界
ディズから咲耶への依頼は、ホグズミードから帰ってわりとすぐにスプリングフィールド先生へと伝わり、意外なほどに早く許可が下りた。
それが咲耶への個人的な贔屓からきていたのか、それとも別の思惑があったのかはともかく、咲耶を含めて7人は決闘クラブを開けることとなった。
しかも開催するための、適当な場所を選定するにあたり、先生から場所の提供までも受けるという厚遇ぶりだった。
クリスマス休暇で実家に帰ることとなったクラリスとフィリス、セドリックとルークが無事に戻ってきて数日後。
スプリングフィールド先生の研究室を訪れたディズたちを出迎えたのは、昨年の“あの”試験の時に見たのと似たような魔法球。
トリ頭のリーシャをもってしても忘れようにも忘れられないあの雪山遭難事件を思い出して顔を引き攣らせたが、どうにも中身は全く違う場所だった。
ホグワーツとは異なる白亜の城。
かつて闇の大魔王の住んでいた居城へと、決闘クラブのメンバーが足を踏み入れた。
顧問を引き受けた、と言ってもリオン自身、魔法や決闘方法を教えるつもりはまるでないらしく、ただ魔法実技を気兼ねなく行える場所と時間の提供のみというのがこの決闘クラブの条件だった。
そのためクラブは基本、ディズとセドリックの実技指導を中心に行われた。
「うーん。懐に潜り込めばもう少し精霊魔法のことが詳しく聞けると思ったんだけど……手強いな」
なかなかにツンの状態のスプリングフィールド先生を崩せないことにディズは悔しそうに苦笑した。
視線の先のリオン・スプリングフィールドは仕事中なのか研究中なのか周りに仮想ウィンドウとキーボードらしきものを浮かべてカタカタとやっている。
「まあ、こんな場所を提供してくれただけでもすごく助かるけどね。もしかしてサクヤは去年、ここで補習してたのかい?」
セドリックもまた精霊魔法についてを期待していたが、先生が顧問を引き受けてくれた理由に“心当り”があったため、ディズよりも少しだけ前向きだ。
一時間が一日になる部屋。
それはクィディッチの練習や遊び、そして日々の大量の宿題を課せられている生徒たちにとってはそれだけでも非常にありがたいものだ。
「えへへ。実は……。でもあんまし使いすぎると実年齢と体の年齢が狂うからほどほどにせなあかんのやって」
「へー。別に年の1つや2つくらいどうってことないけどな」
内緒にしていた秘密をバラして照れる咲耶。
リーシャは若いからこそ言えるお気楽さで快活に言ってのけた。
・・・・・・
段々と陽の光が長くなるにつれて学校の雰囲気もほんのりと明るい方向へと向かっていっていた。
ジャスティン・フィンチー・フレッチリーとほとんど首なしニックの石化以来、継承者が目立った行動を起こしておらず、またマンドレイクを育成中のスプラウト先生が順調に育っていることを報告したのもそれに輪をかけていた。
もっとも、一部生徒やポルターガイストの間では未だにハリーが継承者であると信じている者もおり、状況は膠着状態に入っていただけではあるのだが。
段々と平和と平穏を取り戻しつつあったホグワーツ。
だが、平穏よりも賑やかを好む者はどこの世界にもいるらしい。
少し明るさを取り戻しつつあっても、まだまだ沈んだ雰囲気が強い学校の現状を憂いた勇士が一人、2月14日という聖なる日に行動を起こしたのだった。
「………………」
「ほわぁ……」
「なんだこれ……?」
凍えるような冷めた表情のクラリスとぽかんと口を開けている咲耶。リーシャも呆気にとられており、フィリスはけばけばしいピンクで彩られた大広間の中央でハートの紙吹雪を撒き散らしている“アイドル”を見てくすくすと笑っていた。
そうピンクなのだ。
いつも荘厳なホグワーツ城に相応しいシックな内装の大広間が、ハロウィーンやクリスマスとも全く異なる、目に痛いほどの桃色空間へと変貌していた。
昨年は咲耶だけがお菓子作りをしていたが、今年は4人でやろうということを話し合っており、前日にフィリスたちと一緒にお菓子作りをしてハロウィーンの準備をしていた咲耶たち。
どうやって作ったお菓子を配るか、誰に渡すかなどを楽しくおしゃべりしながら朝の大広間に到着した彼女たちを迎えたのが、この狂ったような内装だった。
唖然とする生徒、くすくす笑う女生徒たちの視線。それを集めて発起人であるあの男が静粛にと合図を出した。
「バレンタインおめでとう!」
そう、誰あろう、ギルデロイ・ロックハートの愉快な催しの時間だったようだ。
数多の魔女の憧れの的であるロックハートにとって、やはりバレンタインという日は、最も輝かしい日であり、まるでギルデロイ・ロックハート記念日と改正されたかのようなうかれっぷりだ。
「今までのところ46人の皆さんが私にカードをくださいました。ありがとう! そうです。皆さんをちょっと驚かせようと、私がこのようにさせていただきました」
カードを送った46人、という言葉に咲耶たち3人が、残る一人に視線を向けた。
視線を向けられた一人はさっと視線を逸らした。
「しかもこれがすべてではありませんよ!」
ロックハートがパンと手を叩くと、無愛想な顔をした12人の小人がわらわらと広間へと姿を見せた。その背には飾り物らしき金色の翼をつけ、それぞれの手にはハーブを持っている。
「私の愛すべき配達キューピッドです! 今日は学校中を巡回して、皆さんのバレンタイン・カードを配達します」
「……今年ほどカードを準備しなくてよかったと思った年はねーな」
「あはは。やっぱロックハートセンセおもろいな!」
例年特にバレンタインカードを準備するようなマメな性格ではないリーシャだが、今年は咲耶に誘われて女の子らしくお菓子作りに挑戦。不格好な義理チョコクッキーを配る予定を手に入れたわけだが、流石にあれにカードと一緒に配ってもらう気にはならない。
咲耶は咲耶で、何かがツボにはいったのか、ウケている。
「そしてお楽しみはまだまだこれからですよ! 先生方もこのお祝いのムードにはまりたいと思っていらっしゃるはずです! さあ、スネイプ先生に愛の妙薬の作り方を見せてもらってはどうです! ついでに、フリットウィック先生ですが、魅惑の呪文について、私が知っているどの魔法使いよりもよくご存知です。素知らぬ顔して憎いですね!」
くすくす笑いのフィリスと口元を抑えて大笑いを隠している咲耶。
解脱の境地にでも達したかのように生暖かい目を向けているリーシャとクラリス。
広間の反応はまあおおむね、このように笑うか呆れるかのどちからだった。
ちなみに名前を出されたフリットウィック先生は恥ずかしさに耐えきれないといったように顔を手で覆って小さな体を縮こまらせており、スネイプ先生は苦虫を10匹くらいかみつぶしたような表情をしている。
「なあなあリーシャ。義理チョコあれで配ってもらえへん?」
「絶対ヤダ」
当然だが、咲耶にとって本命チョコをあれで配る気は欠片もない。
ただ、せっかくのお祭りなのだからと提案した笑いの要素はリーシャによって却下された。
ロックハートの用意した愛すべき配達キュービッドだが、一部の生徒には笑いという意味で受けていたものの、先生がたには軒並み最悪の評価をいただいていた。
一日中学校内を駆けずり回り、授業中であろうとなんだろうと教室に乱入。
目的の人物を発見するや、周囲に誰が居ようと、受け取り人が嫌がろうが、託された愛のメッセージを朗々と唄って回っていた。
そして……
精霊魔法の教室にて。
「なんだこれ?」
教室前に到着したリーシャたちはそこに、腰くらいの大きさの氷の塊が置かれているのを発見した。
少なくとも昨日まではこんなオブジェはなかったはずだが。
「これ……小人よ!? まさかまた継承者が!」
マジマジと観察していたフィリスが、氷の中にロックハート先生が用意したキューピッドが居るのを見つけて声を上げた。
2か月ほど沈黙を保っていた継承者が再び動いたのかと、恐怖に顔を引き攣らせたフィリス。
だが、悲鳴を上げる直前、ガラリと教室の扉が開き、一目で機嫌が最悪だと見てわかるスプリングフィールド先生が現れた。
「とっとと入って席につけ」
射竦めるほどに鋭い眼差し。
有無を言わさぬ眼光に、ざわつきかけていた生徒たちが静まり、おずおずと教室内へと足を踏み入れた。
戸惑いながらもそれぞれ席についた生徒たち
「あ、あのスプリングフィールド先生……あれ……」
咲耶に合わせて前の方に席をとったフィリスが戸惑いがちに、扉の前にあった奇妙なオブジェについて質問をしようと口を開いた。
ぎろりと睨まれて口を噤むフィリス。その時、閉めたはずの教室の扉がガラリと開いた。
入ってきたのは、本日のお騒がせ人。愛すべき配達キューピッドの一人だ。
「りおん・すぷりんぐいーるど! 貴方に……」
他の授業で何度も目にしたように、そのキュービッドも先生の意向など気にも留めずに恋の朗読を ――しかもあろうことか先生本人に――しようとした瞬間、ビシビシと音を立てて、氷像が一柱、新たに誕生した。
「………………」
氷り付くキューピッド。
凍り付く教室。
「授業を続けるぞ」
継承者ではなかったわけだ。
ただし、その日の精霊魔法の授業は、過去一度だけ経験した謎の猫耳少女&角少女事件以来の冷え冷えとした授業となった。
「いやー、まさかこんな形でスプリングフィールド先生の魔法が見られるとは思わなかったな」
授業後、なぜか嬉しそうに話しているのは、精霊魔法に興味があるというディズだ。
どうも彼は、普段を出し惜しみしているように見えるスプリングフィールド先生の魔法が見られたことが嬉しいらしい。
「真正面から行くよりもああいったやり方の方が、いろいろと見せてくれるのかな?」
「いや。やめといた方がいいだろ。去年のトロールみたいに雷落とされるか、小人みたいに氷漬けだって」
本気か冗談か、今日のあれを見てはなかなかに出てこないだろうことを言うディズにルークはツッコミを入れた。
たしかに魔法を見せてもらえるという点ではディズの方法は大当たりだろうが、どんな目にあうか、いい実例が2ケースもあったのだから。
咲耶もリーシャの横でうんうんと頷いている。
「痛みなくして得るもの無しって言うだろ」
「小人を見た感じだと痛みを感じる間もなさそうだよ」
どこかずれた執念を見せようとしているディズにセドリックを始めとしたみんなで自重を呼びかけることとなった。
・・・・・
二月が過ぎ、イースターの休暇へと入ると二年生たちが次年度の選択科目を決める恒例の課題を与えられ、先輩達にいかにすれば楽に単位が取れるかや将来に有用かなどを聞いて回る光景が見られるようになった。
「ねえサクヤはどうやって選択科目選んだの? 編入の時に決めたのよね」
ハッフルパフ寮でも同じような光景は見られていたが、咲耶たちは別寮の友人、ハーマイオニーからも相談を受けていた。
1年時に主席をとった優秀な魔女であるハーマイオニーは、全ての科目をとりたいけれど、「授業時間を考えると物理的に無理」という教師からすれば極めて嬉しい悩みを抱えているそうだ。
マグルの両親をもつハーマイオニーにとって将来の進路に重要な意味を持つ科目選択を親に相談するということはできないのだ。
「ウチは元々占いに興味があったんよ。恋占いとか恋愛占いとか、赤い糸探しとか。あとはかわえー魔法生物をもふもふしたかったからかなぁ」
3年次編入の咲耶はさらに誰かに科目を相談することなどできなかったはずだが、どうにもその選択理由は、将来を見越してとかいうことは一切斟酌されていなかったらしい。
ハーマイオニーは遠い眼をして咲耶を見て、それからしっかりとしてそうな彼女の友人にも質問をぶつけた。
「…………みなさんはどうしたんですか?」
以前も聞いた咲耶の選択理由を改めて聞いて失笑しているフィリスは、真面目な後輩の質問に微笑を返した。
「私の場合は少しでも興味の惹かれた科目を選んだのよ。将来の選択、ってそんなに重く捉えずに、今は興味のあることを学んだ方がいいと思ったの。リーシャは聞くだけ無駄よ。どうすれば楽に科目を獲れるか考えた結果だから」
マジメととるべきか、気楽すぎるととるべきか微妙なアドバイス。
だが、それはそれで一考に値すると考えたのかハーマイオニーはふむふむと頷きながら、無駄と評されたリーシャへと視線を向けた。
「あー。占い学は結構楽勝科目だって言われてんだよ。先生が先生だからな。あとは座学嫌いだからできるだけ実技にしたって感じ」
占い学教授であるシビル・トレローニーは居城である北塔からまったく出てこないことでそこそこ知られる先生だ。謎に包まれたその先生だが、どうにもあまり教師としての評価はマジメとは言い難いのか、フィリス以上にお気楽な意見だった。
それはそれで参考になる意見を貰い、今度は一見眠たそうな顔で本を読んでいるクラリスに同様の質問を投げてみた。
クラリスはぱたんと本を閉じると、半分寝ていそうなぽんやりとした眼をハーマイオニーに向けた。
「占い学は理論派には向かない。資質が大きく左右するから。理論立てた思考が好みなら数占いを勧める」
三人それぞれ、選んだ理由は違うらしい。
ふむふむと頷きながら科目選択表とにらめっこしているハーマイオニー。
「あーもう! できるのなら全部の科目をとりたいのに!!」
「真面目ねぇ。でもあなたご両親がマグルなんでしょ? マグル学はとる必要ないんじゃない?」
できることなら全ての科目を受講したいと言わんばかりのハーマイオニーに、フィリスは感心しつつも呆れたように言った。
マグルを親に持つフィリスや、マグルと同じ生活を送っていた咲耶と同様か、それ以上にハーマイオニーはマグルの生活に親しんでいるはずだ。
旧世界、特にイギリスの魔法族はマグルの生活様式に擬態することを苦手としているが、ハーマイオニーであれば、そんなこともないはずなのだ。
「魔法使いの視点からマグルのことを見つめるのって面白いと思いませんか?」
だが、それでも満足しないというのはハーマイオニーの極めて旺盛な好奇心ゆえだろう。
マグルの生まれとしての魔法使いとしてだけでなく、魔法族としてのマグルの見方も学ぼうという意志。
異なる立場に立ったモノの見方があることを考えられる少女。
「ハーミーちゃん凄いなぁ」
咲耶はハーマイオニーにしみじみと言った。
新世界と旧世界。
来歴の異なる二つの世界の行く末を案じて奔走してくる人たちをずっと見てきたからこそ抱いている咲耶の思いに、ハーマイオニーは自ら至ったのだ。
そこにはマグルの生活に興味があるというウィーズリー家の人と親しくしていることも理由にはあるかも知れないが。
「あら。サクヤの方が凄いわよ。外国の魔法学校に留学してきたくらいなんだから。私もできるならニホンの魔法学校も見てみたいわ」
そんな咲耶の言葉に、ハーマイオニーはなにを今更とばかりに言った。
知識から様々な見聞に思いを至らせることのできるハーマイオニーとその立場に立てている咲耶。
自分が凄いと思っていた少女の、自分に向けている凄いという思い。
一人ではないのだ。
二つの世界。異なる世界のことを考えている人は、他にもきっともっと沢山、沢山いる。
「えへへ~、えいや!」
「わっぷ。サクヤ!?」
はにかむように微笑んだ咲耶はぽふんとハーマイオニーの頭を胸に埋めるように抱きついた。
ふわふわの髪の毛をもふもふとして、温もりを感じた。
「きっとハーミーちゃんはええ魔法使いになると思うわ」
「なーにそれ?」
しみじみと、呟くような言葉。
それは母譲りの直感の為す業か。それとも切なる思いか。
優しさに満ちたようなその言葉に、ハーマイオニーは咲耶の胸元から顔を上げて、苦笑して見上げた。
とっても賢い、魔女の見習いの少女の不思議そうな顔を見て、咲耶はくすりと微笑んだ。
「ウチのお告げ!」
いつかきっと……
決して見ることもできないほどに遠い未来ではない将来。
二つの世界は繋がる。
そこにどれほどの困難と混乱とが待ち受けているかは分からない。
けれどもきっと、彼女のような魔法使いが居てくれるなら、きっと大丈夫。
ちなみに
どの授業を選ぶかで悩んでいたハーマイオニーは、自分でもよく考えつつ、結局タイプの近いクラリスと同じように数占いと古代ルーン文字を選択することとなった。
そしてさらに余談ながら、リーシャと同じ思考でなるべく簡単なものを選んだのかロンは占い学と魔法生物飼育学を選択し、パーシーに相談しても特に参考にはならなかったハリーはせめて友人と一緒の科目をとろうと考えたらしくロンと同じ科目を選択した。