ハロウィーンの華やかなパーティの直後に起こった痛ましい事件はスリザリンをはじめとした多数の生徒に目撃されていたこともあり、あっという間に校内を駆け巡った。
3階の廊下に書かれた文章は、フィルチが躍起になって消そうとしたにもかかわらず、消えることなくその異様な雰囲気を放ち続けているのも、噂がもちきりになった理由の一つだろう。
第26話 闇の会合
事件から一日たち、その事件の起こった現場にリオン・スプリングフィールドは居た。
ロックハートの研究室にて行われた猫の検証とハリーたちの詮議。
あの時、ハリーたちはスプリングフィールド先生があるいは猫の解呪を行ってくれるのではないかと期待していたりしていたわけだが、彼にそんな意思はなく、探査の魔法によって、仕掛けられた魔法を精査しただけだった。
結局、その探査によっても猫を仮死状態に追いやった魔法の全貌は分からなかったわけだが……
それでも猫に残っていた残留魔力からすると、使われた魔法は“石化”の魔法ではないとあたりをつけてはいた。
おそらく何らかの、もっとたちの悪いものが発動し損なったものであるというのがリオンの推測。
そして現在、リオンが事件現場に来たのは興味半分、といったところだった。
所々に焼け焦げた跡。事件当時はあたり一帯が水浸しだったらしいが、すでにその水は跡形もない。
――こちらの残留魔力は……ほぼなし、か……――
それの意味するところは、少なくともあの魔法をかけたモノは魔界の生物ではないということだ。
魔獣の中でも魔界の生物であれば、その体自体に強力な魔力を帯びている。
例えば体毛、鱗、体液。
隠密行動をとっていたり、数日経っているというのならともかく、何らかの強力な魔法を発動させた翌日であれば、魔力の残痕が残っていてもおかしくはない。
だが、ここにその気配はなく、強いていえば窓辺の数匹の蜘蛛がガサゴソと窓枠に張り付いているのが違和感と言えば違和感だろう。
ただ幾ばくか細身の月を描き始めているとはいえ、今はまだ“赤髪”の状態。
探知系の術式が苦手な時期だ。
用事はすんだとばかりにリオンは踵を返そうとして、しかし近づいてくる生徒に気づき足を止めた。
「おや? スプリングフィールド先生」
今気づきましたというようににこやかな笑みをハンサムな顔にはりつけている金髪巻き毛の生徒。
「こんなところでどうされたんですか? あっ。僕のこと分かりますか? 一応、今年も精霊魔法の授業を受けさせていただいているのですけど……」
「知っている。スリザリンのディズ・クロスだったな」
強者に対して下手に出るようなへりくだった態度。
リオンは冷ややかな眼差しを向けながら、ディズの名前を呼んだ。名前を憶えられていたことにディズ嬉しそうに顔を歪ませた。
「はい。サクヤと、先生のご友人のタカユキさんから先生のことを少し伺ったんです。魔法世界のことや精霊魔法のことで、できれば色々とお話ししたいことがあったので、直接お話しする機会ができてうれしいです」
咲耶とタカユキの名前にリオンの眉がぴくりと動いた。
片方は無自覚に、そしてもう片方は分かっていて厄介ごとを押し付けてくる可能性が高く、実際に今、“厄介そうな”生徒と対面しているからだ。
もっとも、リオンはリオンでタカユキに厄介ごとを押し付けているのだからお相子ではあるのだが……
「先生はどうしてここに?」
にこやかな顔のままの質問。
その質問に、リオンは不快げに眼を細めた。
一瞬。その質問の意図を理解しかねた。
いや、深読みしてしまったというべきか。
どうして
ディズ・クロス
昨年から継続して精霊魔法を受講している全学年通して唯一のスリザリン生だ。
そしてリオンにとっては、こちらを探る眼差しを隠そうと“していない”挑発的な生徒でもある。
にこにことした顔の裏には、やはり今もこちらを見定めようとしている気配が感じ取れ、リオンは不愉快そうに鼻を鳴らした。
「犯人は現場に戻るともいうからな。昨日の今日だ。意外とひょっこり獲物がかかるかも知れんと思っただけだ」
答えたのは、ディズの質問に対する額面通りの答え。
今回の騒動の主、秘密の部屋の継承者のことが気にかかるのは事実だ。
なにせ昨日は、“余計な”ことまで話題になってしまい、サクヤのことが今回の件に絡む可能性がわずかながらも出てしまったからだ。
彼は治癒系統の魔法を得意としていない。
それは事実だ。
体質的に治癒魔法の重要度が低いというのもあるし、基本単独行動を主体にしているから治癒する相手があまりいないというのもある。
そして今の咲耶が、“永久石化”の解呪をしたころの、つまりは世界屈指の治癒術師として確たる証をたてたころの
だが、リオンが告げた評価を咲耶が聞けば、母と同じ道を目指す彼女は必ず解呪を試みるだろうということが、容易に予想がついた。
出来るかどうかはこの際ともかくとして、できる可能性があると、継承者とやらに知られた場合、無駄に咲耶が狙われる可能性が高まることが予想される。
とっととケリがつけられるのならば、それにこしたことはないと出て来たものの、ホグワーツの歴史に精通しているわけでもないのに、スリザリンの継承者などという話が出てきても、とっかかりにもなりはしない。
「獲物、ですか……先生は秘密の部屋のことをご存じですか?」
そんなリオンの思考を察してか、ディズは少し考えるようなそぶりを見せてから尋ねた。
秘密の部屋
それは今回の襲撃者が書き残した文章に刻まれたワードだ。
“秘密の部屋は開かれたり”
「知っていると思うか?」
顔を顰めてリオンは聞き返した。
そのリオンの言葉にディズは、「そうですよね」と軽く微笑みとともに返してから貼り付けていた笑みを一度消した。
「この学校を創設した4人の魔法使いの一人。サラザール・スリザリンが残したという伝説です。
それによれば、この学校に彼の真の後継者が現れたとき、部屋の封印が解かれ、その中の“恐怖”が解き放たれてこの学校から魔法を学ぶにふさわしからざる者を追放すると言われています」
具体的に内容を尋ねる言葉ではなかったはずなのに、ディズは“秘密の部屋”にまつわる伝承を述べた。
ホグワーツ四強の伝説。
かつては朋友として、そして決裂した魔法使いたち。
「先生。秘密の部屋の“恐怖”はおそらく人間ではありませんよ。先生はそんな得体の知れないものに勝てますか?」
ディズはまるでリオンの奥底を見透かすような視線を向けて問いかけた。
人間ではない。
ノリスに探査の魔法をかけて暴いたことを、なぜこの生徒が知っているのかということにリオンは視線を厳しくした。
それだけではなく、相手のプライドを刺激するように過去の偉大なる魔法使いを引き合いに出した。
沈黙が流れ、軽く睨むリオン。
不意にその顔が硬い雰囲気を誤魔化し流すように、薄く冷たい笑みを浮かべた。
「さて? まぁ、その話のとおりなら、学校に封印された伝説級の“宝物”を魔法世界から来た俺が始末するわけにはいかんな」
今の校長がどう判断しようと、ディズの言う通りなら秘密の部屋とその中のモノは、数世紀前の魔法使いの偉人が後世へと遺したものだ。
善意でやったとしても、要請なく勝手に破壊しては余計な口実を与えるようなものだろう。
人に対する被害もでていない今のところは、まだ様子を見るに留めておくのが無難ではある。
「……そうですか」
勝てるとも勝てないとも口にしなかったリオンの言葉に、ディズは薄く笑った。
・・・・・・・・
「秘密の部屋、か……ホントにそんなのあんのかねぇ?」
昨今話題になっている秘密の部屋。
一般の生徒の中にはリーシャのように、その存在に懐疑的な者もいた。
たしかにミセス・ノリスが石化したこと、名校医であるマダム・ポンフリーとダンブルドア校長がいながらも、ノリスが現場復帰していないことから、何かが暗躍しているのではないかという思いはあった。
ただ、人的被害はなく、また被害が猫のノリス一匹ということもリーシャのような楽天的な者に事の重大さを浸透させなかった理由だろう。
ノリスは主人であるフィルチとともに大部分の生徒にとって、自由を邪魔する目の上のたんこぶのようなものだ。居なくなったからと言って、真剣味にかけるのも無理からぬことだ。
「どうかしら。ここにはかなりたくさんの隠し部屋があるから、スリザリンが大昔に部屋を作っていたとしても不思議はないのだけど……それにあの噂は本当なのかしら……」
しかし一方で、部屋の存在には懐疑的でも、マグル生まれや混血たち ――スリザリンにとってふさわしからざる者たち―― にとっては十分な恐怖となっていた。
母がマグルであるフィリスのような生徒は以前に比べて沈鬱気味であったり、少々疑心暗鬼になっていたりする。
「噂……?」
咲耶はフィリスの口にした噂というワードに首を傾げた。
はてな顔の咲耶の隣で、クラリスが顔を下に向けていた。
「スリザリンの継承者。もし居るのなら闇の魔法の使い手。スリザリンに居る可能性が高い」
特にハッフルパフなどの間で徐々に広がっているのが、“ハリー・ポッター継承者説”だ。
だがそれをクラリスは否定するようにぼそりと言った。
闇の魔法使いを数多輩出したスリザリン寮。
クラリスは無表情な中に、憎悪とも言える様な色を微かに瞳に宿していた。
咲耶は、いつもとどことなく違う様子のクラリスにきょとんとした眼差しを向けて、呼びかけようとして
「クラ……」
「サクヤ。ちょっと今いいかしら?」
他寮の友人であるハーマイオニーに呼び止められて振り向いた。
「あ、ハーミーちゃん。えっと……」
ハーマイオニーはちょいちょいと咲耶を呼んでおり、友人たちとは別行動をとることになってしまいそうだ。
だが今、隣に立つ友人の不審な表情が少し気になって、咲耶は様子をうかがうようにクラリスにちらりと視線を向けた。
クラリスと視線がかち合う。クラリスの瞳には先程のが見間違いだったかのようにいつもの湖のような穏やかなものとなっており、咲耶はしばし戸惑いを見せた。
「道にももう慣れたろ? 席とっとくぜ」
「……。気をつけてね。サクヤ」
なぜか逡巡を見せる咲耶に、リーシャが後押しするように言った。
そしてなぜかフィリスは何かを考えるように咲耶の足元にいるシロに視線を向け、心配そうな顔で怯えの混じった声で言った。
「うん。そしたら先行っとってな」
ハーマイオニーに関しても、少々どころではない噂を聞いてしまったため、気にはなっているのだ。
咲耶はフィリスたちに先に行くように告げて、ハーマイオニーの誘いを受けた。
ハーマイオニーに連れられて少し離れたところへと行くと、少し物陰になっており、他の生徒からは見えにくくなっているところに、噂の渦中の人物ハリーと、その友人であるロンがいた。
ノリスを石にした怪物とニアミスしたという噂のあった人物たち。咲耶は怪我なく無事な様子の友人にほっとした顔になった。
「あっ。ハリー君。あんな聞きたいことがあるんやけど」
「継承者なら僕じゃない!」
ほっとして、安否とは別に気になることがあったため尋ねようとした咲耶だが、本題に入る前にハリーは顔を顰めて否定の声を上げた。
拒絶反応じみたそれは、
いきなりの否定にきょとんとした顔になった咲耶だが、どう解釈したのかひとまず柔らかな微笑みをハリーに向けた。
「うん。分かっとるって。そうやなくて、ノリスちゃんのこと聞きたいんよ」
「ノリスのこと?」
安心感をもたらす咲耶の微笑みに、ハリーは拒絶反応のような声をあげたことを少し後悔した。
噂では第1発見者のハリーこそがスリザリンの継承者ではないかという噂が流れているのだ。
咲耶にとってみれば、友人がそんなことをしたハズもなく、聞きたいことは別にあった。
「うん。ハリー君たち、ノリスちゃんのこと見たんやろ? 噂だと石化したって聞いたから、どういう風に石化しとったんか教えて欲しいんよ」
“石化”の魔法。
それは母のような治癒術士を目指す咲耶にとって、因縁のある呪いだ。
加えてノリスは前年、もふもふをさせてもらった子だ。生徒の多くには嫌われているらしいが、それでもペットの可愛らしさは飼い主にとって代えがたいもののはずだ。困っている人がいるのなら何とかしてみたい、なんとかできないかと思ってしまうのだろう。
どこかの魔法先生が危惧しているとおりに。
「どんなって。石、というより剥製みたいにカチコチになってたけど。それがどうしたの?」
ハリーはあの時のノリスの様子を思い出しながら答えた。
ノリスの姿を思い出すのと同時に、あの時の先の見えない暗闇に取り残されたような恐怖感を思い出して身を震わせ、眉根を寄せて尋ねた。
ハリーの答えに、自分の思っていた石化とは少し違いそうな様子に咲耶も眉根を寄せて考え込むように口元に指を添えた。
「んー。剥製みたいか……実はな。ウチ石化の魔法だったら心当たりがあったんよ」
「えっ!?」
ダンブルドアですら、ノリス石化の魔法を解き明かすことができなかったのだ。それを知ってい“た”かもしれないと言う咲耶にハリーだけでなくハーマイオニーも驚きを見せた。
「マジかよ!? じゃあ、なんであの時……!」
そして同時に、あの何かの拷問じみた空間にあって、知っていながら何も言わなかった教師、――困っていた自分たちを放置したリオンに、ロンはあからさまな不信感を抱いた。
身を乗り出して咲耶に詰め寄ろうとするロン。
「待ってロン。サクヤ、あったってことは違う魔法だったってこと?」
ハーマイオニーはいきり立つロンを抑えて、咲耶に少し踏み込んで尋ねた。
咲耶があの魔法を知っていたとしたら、スプリングフィールド先生があの魔法を知らないのには違和感がある。
だが、咲耶の様子からは知っている魔法とは違いそうというニュアンスを受けた。
「う、ん、多分……。実は昔、ウチのお母様が石化した人たちを治したことがあったんよ。だからもしかしたら……」
ロンの身長は咲耶よりも高く、やや気の短い性格でもあるのか睨み付けるように自分を見る彼に、咲耶は少し身を引いた。
「分かった! その時と同じ犯人ってことだ!」
一方、女子の扱いに慣れていないのか、怖がらせていることを何とも思っていない様子のロンは、咲耶の言葉に答えを見つけたような顔をした。
「違うわよ。違う魔法って言ったでしょ。でしょ?」
だがロンの推理はハーマイオニーによって一刀に伏された。
「うん。その時の石化は、本当に石像みたいになる魔法やったらしから、多分違う魔法なんやと思う」
確認するように咲耶を見るハーマイオニーに頷きを返した。
ハリーの言葉によるとノリスの石化した姿は剥製状態のような感じらしい。対して咲耶が聞いたことのある石化系魔法は完全に石にする魔法だ。
ただ、石化の魔法は石化の魔法。
魔法の世界に疎いハリーにとってそれは光明を得たように思えたのだろう。
「じゃあさ。サクヤのお母さんなら、ノリスを治すことが……」
「ハリー。ひとまずそれは置いておきましょう。ノリスはマンドレイク薬で治るわ」
今すぐにでもノリスが治癒されれば少なくともフィルチの八つ当たりじみた取り締まり ――ノリスが石化してから、“音をたてて息をした”や“嬉しそうだった”という理由で処罰しようとしている―― が緩和するのではないかという期待から咲耶に提案するように言おうとした。
だがその提案は最後まで言い切る前にハーマイオニーに遮られた。
ハリーと同じく魔法の世界に浅いハーマイオニーだが、色々と調べていく中で、英国旧来の魔法族と魔法世界の魔法族とは確執があることを知っている。
悪い言い方をすれば、旧来の魔法族の領域に進出したい魔法世界と、縄張り意識や利権主義によってそれを阻みたい旧来の魔法族。
そんな政治の関係もあることをハーマイオニーは察することができるほどには聡い少女だ。
確かに咲耶に頼めば、もしかしたら母親に頼んでくれるくらいはしてくれるかもしれないが、縁故頼みで猫一匹のためにニホンの魔法協会の長の娘を呼び寄せるのは非常識に過ぎるだろう。
それは両魔法族の関係性 ――今まで融和してこなかった歴史を鑑みれば困らせることになるだろう。
「それよりもサクヤにお願いがあるの」
ゆえにハーマイオニーは、それを頼むのではなく、元より別のことを頼むつもりだったのだ。
「これにスプリングフィールド先生のサインをいただいてほしいの」
「なにこれ?」
ハーマイオニーが差し出してきた紙を反射的に受け取り眺めた。見覚えのないそれに咲耶は首を傾げた。
「禁書の持ち出し許可証よ」
「えっ!?」
「しーっ!!」
きょとんとした顔の咲耶に、さらっと言い渡したハーマイオニー。だが口調とは逆に重たい意味を持つそれに、咲耶はぎょっとした声を上げようとして3人から注意を受けた。
大きな声を上げそうになって、注意を受けた咲耶は慌てて口を両手で押さえ、きょろきょろと周囲を確認してから声を潜めた。
「禁書って、何に使うん?」
ひそひそとした声で禁書の、つまりは学生が読むべきではない書籍を求める理由を尋ねた。
「サクヤもスリザリンの継承者の話は聞いてるだろ? それの犯人を暴きたいんだ!」
「どうやって……?」
ハリーは強い意志を感じさせる声で咲耶に言った。
それは自身への疑いを晴らしたいという思いもあるのだろうが、それと同時に継承者の敵 ――つまりはマグル生まれへの襲撃を防ぎたいという思いがあるようにも見える。
「スリザリン寮に潜り込むのよ。勿論普通に潜り込んだらすぐにバレるから、変身薬でスリザリン生に化ける必要があるの。その本は、変身薬について書かれている本なの」
咲耶の方法を問う疑問にハーマイオニーがゆっくりと説明した。
二人の言っていることは分からなくもない。
咲耶の思考ではどちらかというと襲われたノリスをどうにかしてあげたいという守性の方向に向いてしまうが、彼らはどちらかというと襲撃自体をどうにかしたいという攻性の思考に向くらしい。
「んー。スリザリンの人やったらウチ、一人知っとる人が居るから聞くことできるえ?」
咲耶としては、他寮に忍び込むという不誠実で違反の手段に訴えるよりも、知り合いの友人を頼る方法をとった方が好ましいからの提案なのだが、
「できれば直接聞きだしたいんだ。犯人のおおよその目星もついてるし」
「それに下手に探りを入れるとかえって危ないわ。できるだけスリザリンの生徒にはバレないように事を運びたいの」
ハリーとハーマイオニーは、自らの手で解き明かすことに前向きらしい。
ただスリザリンと親しくしているという咲耶に、二人ほどサクヤと親しくないロンは顔を顰めて疑わしげに視線を向けている。
咲耶は友人たちの意気込み溢れる視線と手元の許可証を見比べて決断を下した。
「分かった。これにリオンのサインを貰ったらええんやな?」
下した決断は協力するというもの。
「ええ。ありがとうサクヤ。でも気を付けて。これだけでも校則違反スレスレのことだから。特に目的は完全に違反行為。先生に気付かれないようにしてほしいの」
・・・・・・・・
ハリーとハーマイオニーが咲耶に許可証のサインを入手するように頼んだのには理由がある。
一つは彼女との関係からだ。
昨年、彼女に黙って色々と危険をやらかした結果、彼女にはひどく心配をかけたらしく、学期後にハーマイオニーは咲耶にもっと頼れと言われたのだ。
仲の良い優しい友人を巻き込みたくない、という思いはまだあるが、それでものけ者にしているわけではないということも伝えたかったのだ。
そしてもう一つは入手経路を複雑にするためだ。
この作戦で最も危険なのはやはり変身薬“ポリジュース”を飲み、スリザリンに潜り込む役の人物だ。その潜入役と実際にポリジュースを作成する役がもっとも校則に違反する。
その役を留学生に押し付ける気には二人はなれなかった。
その結果、始まりの一手。ギリギリ校則違反にならない、禁書の許可証へのサイン入手の任務を咲耶に依頼することにしたのだ。
許可証へのサインは違反にはならないとはいえ、難易度の高い任務には違いない。なにせ他の役では先生たちから隠れることが求められるのに対し、サインの入手だけは先生に直に対面して要求しなければならないのだから。
アシがつくとしたらここが最も可能性が高い。
そして許可があれば読めるとはいえ、O.W.L試験にも挑めない下級生が禁書の棚の本を読もうとするのはどう考えても不信感を招く。
それゆえに、他の先生方とはあまり話すタイプではなく、個人的に親しい先生が望ましい。そしてそんな先生はハリーたち3人には心当りがなく、該当する先生がいれば一人だろうというのが咲耶に依頼した理由だったのだが…………
「リオンセンセ! サイン下さい!」
満面の笑みを貼り付けて研究室を訪れてきた生徒にリオンは冷たい視線をプレゼントした。
「…………何の遊びだ、咲耶?」
「え? ……えへへ」
自信満々で突撃した咲耶。それを影から見ていた3人は「げっ!」とばかりに顔を顰めていた。
他の先生と交流が少なく(少なくとも彼らが見た限りにおいて、誰かほかの先生と親しくしているのを見たことがない)、生徒と個人的に親しい関係にある先生(彼女の友人曰く、ただならぬ関係らしい)、それがリオン・スプリングフィールド先生だったわけだ。
差し出されていた紙を引っ込められる前に奪い取り、しげしげと眺めたリオン。
そこに書かれていた書籍のタイトルに顔を顰めた。
「“最も強力な魔法薬”。何の本だ? 何に使う?」
今の咲耶は治癒術師としてまだまだ修行中。
治癒系統の魔法の中には魔法薬を用いるものも多いから、治癒魔法の勉強のため、というのなら分からなくもない。
まあ、今の時点でそれほど強力な魔法薬、しかも本来の魔法系統とは異なる系統の魔法薬の勉強が必要とは思えないが……
「えーっと……ホグワーツと精霊魔法の違いをコーサツするためにユーヨーな本です」
「………………」
案の定、なにか一物抱えているのか、「えへへー」と誤魔化すような笑いで通そうとする咲耶。対比するようにリオンの視線にブリザードが混ざりはじめた。
リオンの右手の指がすっと上がり…………
・・・・・
「うーん。あかんかったなぁ」
派手な音をたてて炸裂したデコピンを受けて赤くなった額をさすりながら咲耶は残念そうに告げた。
「まあ、普通は通らないわよね……」
「ごめんなー」
しょんぼりと頭を掻いている咲耶。
ハーマイオニーは苦笑いしており、ハリーもフォローの言葉が思い浮かばないのだろう。ロンに至っては呆れたような馬鹿にしたような眼差しを向けている。
「仕方ないわ。でもそうなると……」
できればここでどうにかしたかったが、マクゴナガル先生やほかの大部分の先生でもうまく行く可能性はなかった。スプリングフィールド先生の厳しい性格からして通るかどうかは微妙な所だったのだ。むしろ校則違反の計画にまで追及されなかっただけでもよしとするべきだろう。
先生の感じからすると、咲耶の不利になるようなことはしないだろうし、ここは切り替えて別の先生を見繕う方が賢明だろう。
「正攻法でだめなら騙すしかないな」
「先生だってそんな簡単に騙されるほど甘くないだろ」
ハリーとロンは早々に次の標的の選定をこそこそと話していた。
「……いや、でも……よっぽど鈍いやつなら…………」
ロンが思案しながらぼそりと呟いた。
結局…………
作戦は第2案。最も騙くらかしやすそうな、無能な教師を標的にするということとなった。
標的となったのは、スプリングフィールド先生と同じく、古株ではない先生。そして、ハリーとロンから見て、どう見ても無能の代名詞であるロックハート先生だった。
当初、これを咲耶に依頼しようとしたのだが、なぜかロックハートにサインを貰う、ということに特別な意義を見出したのかハーマイオニーがそれを熱烈に志願。
ロンも先の咲耶の嘘の下手さぶりにこれを支持。
ハーマイオニーたちは授業後のもっともロックハートが機嫌の良くなる頃合いを見計らってアタック。
結果的にロックハートは、許可証に記載された書籍のタイトルを見ることもなく、得意満面でハーマイオニーにサインをプレゼントした。
無事に最初の難関を、“まったく”怪しまれることなく通過することに成功した。
・・・・・・
「キゲンワリーナ、ボーズ」
「…………別に」
私室で一人黙々と作業しているリオンにチャチャゼロがいつものように薄笑いを向けていた。リオンはムスッとした顔でちらりとチャチャゼロを見ると不機嫌そうに言った。
「アレカ。今年ニナッテカラ アノガキガ来ル機会 減ッテルカラナ」
「……黙れ。ガラクタ人形」
ケケケと笑いながら理由になりそうなことを指摘するとリオンの不機嫌指数が上昇した。
昨年、咲耶はダイオラマ魔法球を使ってみっちりと魔法の勉強を詰め込んだ結果、留学以前の不足分は完全とまではいなずともあらかた補完できた。
ゆえに今年はなるべく教師と先生の区別をつけるために放課後の補習はなしになったのだ。
もっとも、そんなのは咲耶にはあまり関係がないのか気楽に私室を訪れてきたが…………
「ソンナニ オ気二入リナラ トットト襲ッチマエバ イイノニナ」
「壊されたいか。チャチャゼロ」
「オー、コエーコエー。不機嫌ノ原因ハソレダケジャ ナサソーダガナ」
茶化してくるチャチャゼロは、リオンが不機嫌そうにしている理由に心当たりがあるらしい。
「……あのバカが余計なことに首をつっこみ始めたからな」
不機嫌の理由は今日咲耶が持ち込んできて、追い返した案件についてだ。
予想していたとはいえ、やはりどこからか石化魔法のことを聞きつけて首を突っ込むつもりらしい。
しかも今回は前回とは違い、件の生き残った少年たちと仲良く何やらしでかすつもりらしい。
「一応アノ犬ガ ツイテルンダロ?」
「あれは咲耶の言う事に従う事しかしないからな」
リオンが面倒を見れない時のために詠春が就けた式神・白狼天狗だが、あれは咲耶の命令に従うことを喜びにしている奴だ。
危ない事だろうと咲耶が望んでいれば喜んで付き従うだろう。
リオンのその言葉に、チャチャゼロは違和感を覚えた。
天狗の中では下級の白狼天狗とはいえ、天狗自体が本来、高位の魔法生物だ。
上級位の天狗は神にも通じるとされる存在。命令に喜んで従うような従順な者ではない。
咲耶の魔力資質からすれば、たしかに式神に下せなくはない。だが、咲耶はそういった術式を“会得していない”はずだ。
「フーン。アノ犬、ナンナンダ? タダノ式神ジャネーナ」
あの白狼天狗は、式神として以前になにかの目的があるのかも知れない。
「あれは――――――」