校内でも人が近寄らないことで知られるとある場所で、一人の魔法使いが険しい表情である物を睨み付けていた。
「これは…………仕掛けが動いている?」
彼がそれを見つけたのはすでに1年以上前。
数多の魔法使いが探したそれを見つけることができたのは、長いホグワーツの歴史でも、彼を含めて2人しかいなかったはずだ。
だがその聡明な頭脳をもつ彼をもってしても、未だにその仕掛けを解除することができていない。
なんらかの特殊な魔法がかけられているのか、それとも伝承通り、資格が必要なのか。
「これに気づいた奴、いや、部屋を開けた奴がいる……」
驚くべきことに、彼が丸々1年を費やしてなお破れなかったそれが、開かれた形跡がそこにはあった。
捜索と開錠には細心の注意を払っていたのだ。少なくとも彼がこの学校に来てから昨年まで、この部屋は開かれたことはおろか、捜索すらされていなかった。
つまりこれを開けた者は、元々その存在を疑っていた彼が1年半かけて見つけたモノを、たったの1月で探し当て、開錠までしたことになる。
それが意味することは
「継承者が居るのか…………」
継承者。
真にホグワーツで魔法を学ぶにふさわしき者を選定するスリザリンの継承者。
その存在は、彼にとって極めて厄介なモノだ。
なぜならば、彼と継承者の目指すモノはまるで異なるのだから。
スリザリンなど、千年以上昔の魔法使いの継承者が出てきて今さら何をしようというのか。
時代は変わっている。世界も変わっている。
魔法を学ぶにふさわしい者の選定?
そんなのは時代に逆行するようなものでしかない。
彼にとってそれは許しがたい暴挙だ。
しかし
「扉が開いたのは都合がいい。問題は……」
開くことに資格がいるのならば、どの道彼には開くことのできないものだったのだ。
それが勝手に開いてくれたのならば、それだけは良しとしておくしかない。
問題はこの後。
この中身はなんなのか。そしてそれを継承者がどう使うのか。
「秘密の部屋の恐怖。継承者を見つける方が先か…………」
闇が蠢き始めていた。
狩る者。狙う者。傍観する者。
ホグワーツで今、闇の陰謀が進行しようとしていた。
第25話 這い出でる闇
10月に入り、空気が冷たくなった影響か、学校では風邪が流行していた。
ホグワーツの校医、マダム・ポンフリーは先生や生徒の風邪の対処に大忙しとなっていた。
治癒術士を目指す咲耶は、猛威を振るった風邪の特効薬に大活躍した校医特性の“元気爆発薬”に心惹かれ、保健室を訪れるも風邪を貰ってダウンするというなんとも本末転倒なことをやったりしていた。
風邪の治療に、自分自身で“元気爆発薬”を飲む羽目になり、数時間耳から煙を出し続けるということをしでかして数日、元気になった咲耶は元気溌剌なハーマイオニーからとあるお誘いを受けていた。
「絶命日パーティ?」
「そう。ハリーがニック……グリフィンドールつきのゴーストから誘われたの。生きている内に招かれる人ってそうはいないから面白そうじゃない?」
誕生日パーティならぬ絶命日パーティ。
各寮にはそれぞれ代表的なゴーストがついており、ハッフルパフであれば“太った修道士”、スリザリンであれば“血みどろ男爵”、レイブンクローでは“灰色のレディ”が該当し、グリフィンドールでは皮一枚で首が物理的(?)にくっついている“ほとんど首なしニック”という愛称のゴーストがいるのだ。
どうも先日ハリーは、その“ほとんど首なしニック”から彼の死んだ日を祝う(?)パーティに誘われたらしい。
「へー、面白そうやけど……それってお祝いなん?」
「え? あ、えーっと、どう、かしら……」
パーティというからにはお祝いなのだろうが、どうにも祝福して良いものかどうか悩みどころの宴会名だ。
咲耶の質問にハーマイオニーも困ったように首を傾げた。
「よかったらサクヤたちも来ない? ニックは何人でもいいって言ってたから、喜ぶと思うんだけど」
ホグワーツには寮付きのゴーストの他にもたくさんのゴーストがいる。悪戯好きのポルターガイストなんかもいるので、1年以上もホグワーツに居れば幽霊などは見慣れたものだ。
せっかくの友人からのお誘い、受けたいのはやまやまなのだが……
「んー。ごめんやけど、一応公式イベントにはちゃんと出とかなあかんことになっとるから」
「あ、そうよね」
他の友人たちがハロウィーンを心待ちにしているのに加え、一応留学生として公式イベントに出ることは無言の義務になっているところがある。
ハーマイオニーも全部言われずともそれを察したのか、少し残念そうにしながらも強引には誘いをかけなかった。
「ごめんなー」
申し訳なさそうに謝る咲耶。
それっきり一応心に残りつつも、初めて“リオール”の帯同なしに行くことができたホグズミードイベントや、段々と飾られていく広間の様子に絶命日パーティのことは頭の隅へと追いやられていった。
・・・・・
ハロウィーンパーティ当日。
大広間は昨年と同じように、しかし何度見ても感嘆の思いを抱く光景となっていた。
たくさんの生きた蝙蝠、中に大人数人が入れるほどに大きなカボチャのランタン。
朝からわくわくが止まらない咲耶や気もそぞろなリーシャのような生徒が楽しみにしていた以上にパーティは素晴らしいものとなっていた。
「サクヤ! あっちに美味しそうなタルトがあったんだ! 行こーぜ!」
「はわはわ! リーシャ、リーシャ! あれなんなん?」
金の皿に盛りつけられた豪華なハロウィーン料理にリーシャは咲耶を引っ張りまわして食べ歩いており、咲耶は咲耶で興味の向くままに瞳を輝かせていた。
「ん? あれか。あれはたしか……うん。なんかのダンサー!」
「骸骨舞踏団よ。校長先生が余興で予約してたって噂があったけど……素敵ね」
英国魔法界で著名なエンターテイナー、骸骨舞踏団がその華麗な踊りと音楽を披露して広間のあちこちではフィリスのようにうっとり眺める者や興奮している者などが多発していた。
もっとも、リーシャは美よりも食に走っているのか、先程から甘味を取り寄せてはクラリスと一緒になって舌包みをうっている。
「ちょっと。リーシャも食べてばっかいないで、ああいうの見なさいよ」
「んぐ? ……ん。いいじゃん。こんだけ御馳走があるんだから、そっちも楽しめってことだろ? あ、ちょっ、クラリスそれは私んだ!」
「名前は書いてない」
ようやく席に落ち着いたかと思えばタルトにかぶりついているリーシャに、フィリスが顔を顰めて注意を入れた。リーシャは頬をハムスターのように膨らませたまま振り返り、飲みこんでからからりと笑った。
その隙にクラリスがリーシャの確保した甘味に手を伸ばしていたりと、今日も今日とて賑やかに過ごしていた。
クラリスにプロフィトロールを奪い取られたリーシャだが、
「ほい。リーシャ」
「んあ? おっ! サンキュー、ルーク!!」
反対側からことりとお皿を置かれて振り向いた。
お皿の上にはわざわざ彼女たちのために取り分けてくれたのか、甘味がたくさん盛られており、リーシャは満面の笑みを向けた。
ルークはリーシャのお礼に軽く手を振って応えると自分もその隣の席に腰掛けて、グラスのジュースに口をつけた。
「あれ? ルーク君、一人? セドリック君は?」
ただ、そのルークの横にはよく行動を共にしているセドリックが居らず、咲耶が首を傾げて尋ねた。
「気になるサクヤ? セドはあっち」
親友のことを尋ねられたルークはにやりとすると少し離れたところで集団になっている箇所を指さした。
なんだか女性の比率が非常に偏っている集団で、その中にたしかにセドリックが埋もれて見えた。
「骸骨舞踏団のショーをぜひ一緒に見てくれって囲まれてんの」
「おーおー。セドのやつ大人気じゃん!」
どうやらパーティのこの機会にハンサムで優等生なセドリックとお近づきになろうと考えている女生徒が多いらしく、囲まれてしまったらしい。
その光景にセドリックと仲の良い友人であり、クィディッチチームの戦友であるリーシャが口笛を吹いた。
「そっ。それでアイツと一緒にいると俺はただのオマケな感じが遣る瀬無いからこっちに避難してきたってとこ」
発言こそネガティブだが、別にルークはそれを嫌なことだとは思っておらず、むしろせっかくのパーティを自由に謳歌できないことを憐れんでいるようにも見えた。
「まーまー落ち込むなルーク。お菓子持って来てくれたお前はいい奴だ。うん!」
「そりゃどーも」
ただルークの発言をそのままに捉えたのか、リーシャがバシバシと肩を叩きながら一応のフォローを入れた。
リーシャのフォローにルークはなんとも微妙そうな顔をしている。
会場のあちこちではダンブルドア校長が用意した粋な計らいにあやかって、多くのカップルが仲睦まじくパーティを楽しんでいる。
ちなみにフィリスも何人かからお誘いをもらったらしいが、今回は友人たちのお守りをすることに決めていたらしい。
「サクヤの方は、去年よく一緒にいたアイツ。えーっと、リオールだっけ? 居ねえの?」
「そういえば見かけてないのよね。この前のホグズミードの時にも来なかったし」
ルークは帰ってくる見込みの立たない友人を見捨ててこちらに居座るつもりらしく、友人が気にかけている少女と親しい謎の先輩について探りを入れてみた。
フィリスもその先輩のことは、咲耶の友人として、気になっていたらしく、今年に入ってから一度も会えていないことを訝しんでいるようだ。
「え、えーっと。うん。ほら! 5年生って、忙しんやろ! 多分それちゃうかな」
「O.W.L試験?」
「そ、そんな感じの!」
リオールの話題が出た瞬間、咲耶はびくっ! と肩を震わせてしどろもどろに言い訳をした。
たしかに5年生はそれまでの学年とは異なり、進路選択に重要となる最初の試験、O.W.L (普通魔法レベル) 試験が待ち構えており、気の早い5年生ならば準備を始めていなくもない。
だが、その試験はまだまだ先、学期末の試験シーズンに行われるものだ。いくらなんでも今からパーティにも出られないほど追い込みをかけているということはないだろう。
なんか隠しているんだろーなーとは簡単に予想がつくものの、しどろもどろで焦っている咲耶を眺めていると、フィリスとルークはくすりとした笑いがこみあげてきて、
「まっ。忙しいならしゃーねーか」
「そうね。サクヤにはスプリングフィールド先生がいるものね」
「ふぁ、へ? う、うん!」
二人そろって咲耶のお惚けに合わせることとなった。
昨年はたけなわとなった頃合いに、クィレル元教授が飛び込んできてトロール騒動が起こったが、今年のパーティではその後も歓談のひとときが続き、咲耶たちは何事もなく存分にパーティを楽しんだ。
ハロウィーンに出席した咲耶たち“は”…………
・・・・・・・
一方……
存分にハロウィーンパーティを楽しみ、満腹となった咲耶たちが寮へと戻っていたころ、逆に腹ペコで非常に困った事態に巻き込まれている生徒たちがいた。
「猫を殺したのは呪いに違いありません。多分“異形変身拷問”の呪いでしょう。私がその場に居合わせなかったのは、まことに残念です――――」
ナルチシズムを感じさせるたくさんの本人
机の上には剥製のような猫 ――ホグワーツの管理人アーガス・フィルチの飼い猫であるミセス・ノリスが死んだように横たわっており、その周囲をダンブルドア校長とマクゴナガル先生が深刻そうな面持ちで取り囲んでいる。少し後ろではスネイプが奇妙な表情で影の中に紛れるように立っていた。
そしてこの部屋の主であるギルデロイ・ロックハートは深刻そうな先生方の周りをうろつきながら、動かぬノリスの姿を見て悲しそうにしゃくりあげているフィルチにぺらぺらと自分の意見を述べていた。
ハリーとロン、そしてハーマイオニーがこの(一人除いて)深刻な空間にいるのは、何も彼らの意思ではない。
とても生者では楽しめそうにない首なしニックの絶命日パーティ(食べ物は須らく腐っており、生の温かみとは対極の冷え冷えとしたパーティ)を抜け出した彼らは、寒さと空腹を何とかするために、ハロウィーンパーティの余り物でもと期待して広間へと向かおうとしていた。
だがその矢先に、ハリーは謎の言葉を聞きとってハーマイオニーとロンを連れてとある廊下へと向かった。
そこにあったのは、警告を発する謎の殴り書きと石像のように動かなくなったミセス・ノリスだった。
タイミング悪くハロウィーンパーティから帰る生徒の集団と遭遇してしまい、生徒たちからの呆然とした眼差しを向けられた挙句、何かよく分からない警告じみた騒ぎ声を叫んだマルフォイ。
マルフォイの大声に駆けつけたフィルチ、そしてダンブルドア校長によって彼らはここに連れられてきたのだ。
状況としては極めて悪いのではとハリーは自分で思っていた。
謎の声に導かれて訪れた先で発見したノリスの死体。
現行犯のように見えただろう先程の状況。
そして深刻そうな様子でノリスを調べ、何かの魔法をかけるも変化の見られない今の状況。
自身を憎んでいるスネイプの顔が、どことなく笑いをかみ殺しているように見えるのは気の所為ではあるまいとハリーは睨んでいた。
ハーマイオニーはともかく、ハリーとロンは今学期が始まる前に重大な問題行動を起こしてしまっており、次に何か問題行動を犯した時は、退学になるとダンブルドア校長直々に注意を受けていたのだ。
それでなくとも、第1発見者だったというだけで、ノリスをこんな目に合わせたのはハリーたちに違いない、などというフィルチの諫言をダンブルドア校長が信じれば、それだけで重大な問題になりかねないだろう。
それこそスネイプがハリーの退学を切りだすのには十分なほどに。
「私の自伝に事件解決の顛末が書いてありますが。私が街の住人に様々な魔除けを授けましてね。あっという間に……おや、スプリングフィールド先生?」
ぺらぺらと真偽の怪しい自慢話を繰り広げているロックハート。
その雑音に忌々しく視線を向けると、ちょうど扉が開き、先生が一人入ってきた。
ロンよりも色の薄い赤髪。整った容姿が女生徒の間で評判の精霊魔法講座の先生。リオン・スプリングフィールド先生だ。
スプリングフィールド先生の横には小さなフリットウィック先生がついてきており、歩幅が違うために駆け足だったのだろうフリットウィック先生はわずかに息を切らしている。
ロックハートに話しかけられたスプリングフィールド先生はちらりと部屋の中を見回し、机から少し離れたところに立つスネイプ、机に向かってマクゴナガル先生とともにカチコチになった猫を調べているダンブルドア校長を見て、その全員から適度に距離をとって壁にもたれかかった。
ハリーにとって、スプリングフィールド先生は馴染みがあるようでない先生だ。
昨年、初めて魔法界に足を踏み入れたとき、それを案内してくれた森番のハグリッド。“ハリーにとって”不幸な出来事によって居なくなったクィレル(元先生)。その二人を除けば、現在のホグワーツで最初に遭遇した魔法先生があの先生なのだ。
彼の精霊魔法講座は昨年からハリーも受講してはいる。
ただ、正直今年の受講は、継続するか否か、非常に悩ましいものだった。
昨年から開講したというこの精霊魔法講座。
それゆえにマグルの世界で過ごしてきたハリーにとって、他の魔法族の子息たちや先輩と違って、他の授業と特にスタートに差のない授業だったのだ。
使い慣れない羽ペンを動かす必要のない実技中心の授業。自分同様、周りのみんなもあまりうまく魔法が進捗しないという安堵感。
なにより、ハリーが初めて魔法界で親しくなった近しい年の女の子。サクヤの使っている魔法ということで、昨年度中は嫌がるロンに対して、むしろハリーはあの授業に乗り気だった。
マクゴナガル先生と同じように逆らってはいけないと思わせられるような厳しい先生だが、同じようなスネイプと比べると非常に公平に思えた。
スネイプは自分の監督するスリザリンばかりを贔屓して、他寮の生徒、とりわけグリフィンドール生には事あるごとに減点してくる先生で、中でも出来の悪いと評判のネビル・ロングボトムと憎まれているハリーはしょっちゅう減点をされている。
それに比べれば、どこの寮に対しても加点も減点もしてこないスプリングフィールド先生は怖くはあっても納得のできる先生だった。(学年トップのハーマイオニーでさえ、魔法の困難さと座学ほぼなしという先生の授業では加点する機会がない)
むしろ、純血を鼻にかけた嫌味なマルフォイ ――決闘もどきでハリーを陥れようとしたり、ドラゴン事件の際に密告したりしたヤツ―― をクラスから追い出した先生は、ハリーのみならずグリフィンドールでは好評価されていたりするくらいだ。
あの“惨劇の期末試験”に巡り合うまでは…………
昨年の期末試験。
事前に課題内容、評価項目まできっちりと通達してくれたスプリングフィールド先生は、見た目に反して実は優しい先生なのではないかと思われていた。
だが、そんなものは全くの勘違いでしかなかった。
試験のあった教室に入って知らされた試験方法は、“半日雪山で耐えること”という、どんな先輩に聞いても、初耳でしかない狂った試験方法だった。
冗談かと思う生徒。雪山といってもちょっと寒いくらいだろうと思っていた生徒。ハーマイオニーのようにこれでもかというほどに準備を整えて試験に臨んだ生徒。
そんな生徒たちの様々な考えを一瞬で凍てつかせたのだ。
極寒の上に猛吹雪の雪山で半日遭難しながらも、辛くも命の危機を脱したロンたち生徒が、寮に戻ってからあの先生をどれほど口汚く罵ったかは、想像に難くないだろう…………
ハリーもハーマイオニーや、一緒にいられる時間は短いがサクヤがあの授業を受講していなければ、間違っても今年は精霊魔法を受講していなかっただろう。
学期前の騒動で杖を半壊させてしまったロンが、「こんな杖じゃ、できるだけ授業を受けないほうがいいだろ?」ともっともらしく受講を辞退したのに引きずられないようにするのには、ハリーにとってなかなかに精神力の必要なことだった。
そんな先生ではあるが、今この空間をなんとか打破してくれるならなんでもいいと、ハリーはすがるような眼差しを向けてみた。
結果は、すがすがしいほどに無関心という返答だったが。
結局、ロックハートだけが一人陽気にぺらぺらと喋っているこの重苦しい間を破ったのは、ダンブルドア校長の言葉だった。
「アーガス、猫は死んでおらんよ」
その言葉に、ハリーはもちろん、ハーマイオニーとロンも俯かせていた顔を上げた。
ペラペラと喋っていたロックハートが急に口を噤んだ。
「それでは。それではどうしてこんな……こんな固まって、冷たくなっているのです?」
めそめそとしていたフィルチが、信じられないとばかりに震える声で尋ねた。
ミセス・ノリスが死んでない?
それはハリーたちにとっては好転をもたらす可能性となるかもしれないが、机の上で硬直している猫の姿からは到底そうは思えなかった。
尋ねられたダンブルドア校長は、壁にもたれ掛っているスプリングフィールド先生へと視線を向けた。
「……リオン先生の見立てを伺ってもよろしいかの?」
明るいブルーの、全てを見通すような瞳を向けるダンブルドア校長。
意見を求められたスプリングフィールド先生は仕方なさそうに組んでいた腕を解いて壁から離れ、ノリスへと歩み寄った。
マクゴナガル先生が場所を譲るようにスッと身を引き、スプリングフィールド先生がノリスへと手を伸ばした。
何らかの魔法をかけるつもりなのか、光の玉のようなものが現れふわふわノリスの周りを漂った。
ダンブルドア校長が治せなかったあの状態も、もしかしたら、校長が知らない精霊魔法で治せるかもしれない。
念を送るように、じっとその光の動きをハリーは追った。
光の玉は、しばらく漂った後、スーッと特に何も状態を変えることなく先生の手元に戻った。
残念ながらノリスがいきなり起き上がるという奇跡は起きそうにない。
ならせめて、状況を良くする言葉を述べてくれ。そう祈っているのは、ハリーだけでなく、隣に座るロンの同様なのだろう。
だが
「……さて。私の目には死んでいるように見えますが、ダンブルドア校長がおっしゃられるのなら仮死状態なのかもしれませんね」
ロンが顔を顰めたのが分かった。
あるいは、彼の中ではスプリングフィールド先生に対する評価はロックハートと同列になった瞬間かもしれない。
ハリーもがっくりと消沈したが、それでも
「……わしの見立てでは――石になっておると見ておる」
ダンブルドア校長とスプリングフィールド先生が少しの間睨みあうように視線を交わして、それから校長先生がゆっくりと見立てを告げた。
「やっぱり! 私の見立てもまさにその通りです!」
その瞬間、ロックハートがぱちんと指を鳴らして名推理を披露したかのように言い放った。
「ただし、どうしてそうなったのか、わしには答えられん……」
ロックハートの言葉は、誰も聞き留めていないかのようにダンブルドア校長が重々しく告げた。
フィルチは牙を剥くようにハリーの方を振り返って指さした。
「あいつに聞いてくれ!」
「二年生がこんなことをできるはずがない……最も高度な闇の魔術をもってして初めて……」
「あいつがやったんだ。あいつだ!」
怒鳴り騒ぐフィルチ。
幸いなことに、ダンブルドア校長はこの事態が決してハリーたちによって引き起こされたものではないと確信しているようで、滔々と告げている。
だが、そんな態度など知ったことかとばかりにフィルチはハリーを指さし
「あいつが壁に書いた文字を見たでしょう! あいつは見たんだ。わたしの事務室で……あいつは知ってるんだ。わたしが……わたしが出来損ないのスクイブだってことを!!」
自らの恥とも言えることを告げてハリーを弾劾しにかかった。
・・・・
騒ぎ立てる管理人のアーガス・フィルチ。
リオンは、何を言われているのかよく分かっていない様子の、それでも明確に自分の無実を主張するハリーをちらりと見た。
ダンブルドアは『石化』と言ったが、それはここの魔法から見た場合で、おそらくリオンの知る “石化の魔法”とは違うことが分かっていた。
どのような術式なのか詳細は分からないが、猫は極めて死に近い仮死状態になっている、というのが現状に近いようにリオンは見ている。
術式が分からない、というよりも、完成していないから特定できない、といったもどかしさがある。
先ほどのよくわからない、といったニュアンスの返答はダンブルドアにとって猜疑心を招くものだったのだろう。猜疑心といっても、本当のことを語っていないという程度のものだろうが。
騒ぎ立てるフィルチから、ハリー・ポッターを庇うためではないだろうが、セブルス・スネイプが口を挟み、ハロウィーンパーティの大広間に居なかったことや絶命日パーティに出席していたことを言い合っていた。
嘘をついてまで何かを隠しているハリーの様子に、スネイプとマクゴナガル、ダンブルドア。3人がそれぞれに意見を述べて、結局ダンブルドアの推定無罪が軍配を上げた。
だがその決定に憤りを隠せないのは、ノリスを屍状態にされたフィルチだ。
「わたしの猫が石にされたんだ! 報いを受けさせなければ収まらん!!」
血走った眼で金切り声をあげるフィルチ。
その様子に心動かされたわけではないだろう。マクゴナガルが不意にリオンの方に向いた。
「スプリングフィールド先生。精霊魔法でならあの猫を治せませんか? もしくはサクヤ・コノエにはできませんか? 彼女は高名な治癒術士の娘で、自身も治癒の魔法を修めていると聞いています。一介の生徒とはいえ、彼女ならミセス・ノリスの石化を解けるのではありませんか?」
部屋の注意がリオンに集まった。
リオンの表情はスゥッと冷え切ったようになり、マクゴナガルを見据えた。
「俺は治癒系呪文が苦手だし、アイツの母親でもあのレベルの術式の解呪をできるようになったのは20代に入ってからだ。今の時点のサクヤじゃそのレベルの足元程度だ」
普段他の魔法先生の前ではまだ丁寧で慇懃な口調と態度をとっているリオンだが、今の質問は触れてはいけないところだったのか、口調が厳しい。
明確な拒絶の意図を受け取ってか、マクゴナガルの口元がきゅっと真一文字になった。
頼みの綱が現れたかと思いきや一瞬で断ち切られてハリーたちもスプリングフィールド先生を睨み付けた。
フィルチはそれ見ろとばかりにハリーたちを血走った眼で睨み付けようとし、
「アーガス、君の猫は治してあげられますぞ」
ダンブルドア校長の穏やかな言葉に、「え?」と虚をつかれて振り向いた。
「スプラウト先生が、最近やっとマンドレイクを手にいれられてな。十分に成長したら、すぐにもミセス・ノリスを蘇生させる薬を作っていただけるじゃろう」
ぎすぎすとした空気が支配する室内を解きほぐすかのように、安心感をもたらせるダンブルドア校長の言葉。それに対して、
「私がそれをお作りしましょう」
先程から蚊帳の外に放り出されていたロックハートが突然口を挟んだ。
「マンドレイク回復薬なんて、何百回作ったか分からないぐらいですよ。眠っていたって作れます」
いちいちカメラが向けられているかのように大仰な身振りをしながらのロックハートの言葉だが、向けられる視線はこの上なく冷たい。
「おうかがいしますが」
中でもとりわけ冷たいのは、ホグワーツ魔法魔術学校で長年魔法薬学の授業を受け持つスネイプ教授だろう。
「この学校では、私が、魔法薬の先生のはずだが」
スネイプの言葉にとても気まずい沈黙が流れた。
スネイプの不機嫌そうな様子と泡を食ったようなロックハートの顔に、スプリングフィールド先生はくっく、と笑いを噛み殺している。
マクゴナガル先生があなたも場を弁えろとばかりに厳しい視線をスプリングフィールド先生に向けた。
その後、詮議は終わったとばかりにダンブルドア校長がハリーたちを寮へと返し、事件はその一幕目を終えた。