仄明るい朝日が照らす寮の一室。
ごそごそむくりと起きた一人の少女が「んーー」と伸びをした。
枕元では白い毛達磨、もとい体を丸めた白い毛並みの子犬のような狼が首をかかげて黒の瞳で見返した。
「おはようさん。シロくん」
咲耶はそのもふもふとした毛並みに手を沈めるように頭を撫でて微笑みかけた。
「よっ! と。んーーっっ! ……っし。はよ! サクヤ!」
「おはよう、リーシャ」
隣のベッドではしなやかな体をバネのように弾ませて跳ね起きた友人が咲耶と同じように伸びをしてから元気に挨拶してきた。
互いに顔を見合わせると、なんとなく嬉しくなってえへへと笑い、リーシャも朗らかな笑みを浮かべた。
ホグワーツ2年目。そして4年生の生活が今日から始まる。
第23話 喧嘩するほど仲が良い
朝の大広間
常ならばガヤガヤと楽しげな会話があちこちから聞こえる朝の憩いの時間は、大音量の怒声に掻き消されていた。
「車を盗み出すなんて、退校処分になって当たり前です!!! 覚悟してなさい!!! ――――」
何倍にも音量を拡声された女性の怒鳴り声はテーブルの上の皿やスプーンもガチャガチャと震わせており、大広間に居た生徒たちはこぞってその音源を探していた。
キンキンと鳴り響く喋る真っ赤な手紙 ――吼えメールを受け取ったグリフィンドールの2年生、ロンは椅子の上に身を縮こまらせていた。
その様は嵐が過ぎ去るのをジッと耐える小舟のようで、隣に同乗しているのは同じく先日“やらかしてしまった”ハリーだ。
「――――今度ちょっとでも規則を破ってごらん!! わたしたちが! おまえをすぐに! 家に引っ張って帰りますからね!!!!!」
耳が痛くなるほどの余韻を残して、仕事を終えた手紙は小さな炎を上げて燃え上がり、ぶすぶすと灰になった。
呆然としているロンとハリーの様子に広間のところどころでくすくすと笑い声が上がり、おしゃべりが戻った。
「まあ、あなたたちが何を期待していたかは知らないけど、ロン。あなたは……」
「自業自得だって言いたいんだろ」
溜息をついたハーマイオニーが、読んでいたロックハート著の本を閉じて言おうとした言葉を遮って、ロンはぶすっと不貞腐れたように噛みついた。
昨日、校内に流れた噂はデマではなく真実だったらしい、というのはこの一件で証明された。
特急に乗らなかったハリー・ポッターが友人と共に空飛ぶ車で登校し、校庭の暴れ柳にダイブをかましたという噂だ。
ちなみにその情報は、学校内のみに留まらず、キングス・クロス駅周囲などで一般人にも目撃されており、イギリス魔法界の購読新聞、日刊預言者新聞に堂々と記事にされていた。
その結果、車の持ち主であるアーサー・ウィーズリー ――ロンやジニーたちの父親で魔法省、マグル製品不正使用取締局、つまりはこういった事案を取り締まる役人―― が、魔法省から取り調べを受けるという事態にまでなっていた。
その結果が、ロンの母親であるモリー・ウィーズリーから届いた先の吼えメールだ。
彼らにとって幸いと言っていいのか、罰則こそ受けるらしいが、まだ学期が始まる前のことであったことにより寮の減点は行われず、また学校への登校途上の出来事ということで“未成年魔法使いの妥当な制限に関する法令”は学校監督ということにより免れたらしい。
彼らにとって仕方ない理由があったためか、はたまた前夜はその派手な登校の仕方に賑やか好きなグリフィンドール生がお祭り騒ぎでもてはやしたためか、注意を受けたロンには今一つ反省の色が薄いようにも見える。
一方でとばっちりを受けたのは、先輩であるハーマイオニーの近くに座っていたジニーだ。兄の恥ずかしい姿を間近で目撃してしまったために恥ずかしそうに顔を伏せている。
「ぅおぅ。マジで車で飛んで来たんだな」
「あっ。リーシャ。おはようございます……」
感心したような声で話しかけてきたのはジニーにとって先日初めて会った他寮の先輩、リーシャだ。
落ち込んでいるハリーと顔を顰めているハーマイオニー、そして拗ねている兄に囲まれたジニーは、朗らかなリーシャの言葉に場の空気を変えられたのを感じてほっとしたように顔を上げた。
「おはようさん、ジニーちゃん。ハーミーちゃんとハリー君もおはよう」
「おはよう、サクヤ」
「あっ、おはよう。久しぶりだね、サクヤ」
リーシャの隣には咲耶の姿もあり、ハーマイオニーだけでなく、友人との再会にハリーも少し気分が上向きになったようだ。
「しかし、すげーことすんな。マグルの乗り物であの暴れ柳に突っ込んだんだって?」
「そんなつもりじゃなかったんだ……」
リーシャのそれは呆れているというよりも関心の割合が強いように見えたが、ハリーは後ろめたさが強いのか、言い訳めいたような顔で咲耶たちに視線を向けた。
一方、咆えメールを受け取ったロンは、バカにされているように受け取ったのか不機嫌そうに睨んできていた。
「なんでか9と3/4番線の入り口がしまっちゃって。通れなかったんだ」
「通れなかった……?」
ハリーが唇を尖らせて言った言葉にフィリスが眉をひそめた。
今年で4年目。すでに4度、往復を別にしてカウントすれば8度。あの入口を通過しているが、未だに通れなかったことは一度もないし、そんな話を聞いたこともなかった。
本当に通り抜けられるか不安だった1年目の時でも問題なく通過できたのだ。2年目の、まして家族が先に通過した直後にいきなり通れなくなるなんてどう考えても違和感しか覚えなかった。
訝しげな表情になったフィリスに、ハリーとロンは信じられていないと思ったのか、ムッとした表情になった。
「本当だって! しかも最後の最後で打ち返してくる木に突っ込むし。俺たち信じられないくらいついてなかったんだよ!」
「あ、信じてないわけじゃないの」
イラついているのかやや強い口調のロンに、フィリスは反射的に自分の表情がどう受け取られたのかを察したのか咄嗟に否定の言葉を口にして、気になることがあることを告げようとした。だが
「フィー。一限目は魔法薬学。そろそろ行った方がいい」
「あっ、そや!」
「げっ! たしかに。一発目からスネイプ先生って、遅れるといきなり減点だぜ、フィー」
クラリスが淡々と時間がないことを告げ、咲耶とリーシャもあまり時間がないことを思い出して声を上げた。
「そうね。気を悪くしたらごめんなさい。それじゃあ」
まだ文句あるのかと威嚇するように睨んでいるロンに、フィリスは困ったように謝ってクラリスとフィーに連れられるようにその場を後にした。
咲耶もハーマイオニーやジニーに別れを告げて広間を後にした。
・・・・・
口うるさい管理人に見つかってもギリギリ早歩きですと言い訳が通じるくらいの速さで急いで地下の教室へと向かっている一行。
「フィー。あのロン君のこと嫌いなん?」
「えっ!? どうして?」
咲耶は先程の大広間での別れ際の友人の態度を思い返してフィリスに尋ねた。
思わぬ咲耶の質問にフィリスはびっくりしたように聞き返した。その様子は動揺が顔に出ており、言外に質問に肯定しているようなものだ。
「んー。なんとなく嫌い……というか怖がっとるみたいに見えた気がしたから」
「そういうわけじゃないの……」
意外と見抜いていた咲耶の見る目に、フィリスは困ったように言葉をどもらせた。
たしかに嫌っている、というほどに先程の赤毛の少年と話したことはないのだろうし、嫌いならば彼の妹であるジニーや、兄たちであるフレッドとジョージの時もなんらかの反応があっただろうが、そんなものは記憶にはなかった。
「ウィーズリー家は有名な純血の一族だからな。フィーはああいう強気に言ってくる純血が苦手なんだよ、な?」
「えっ!?」
返答につまっているフィリスの代わりにリーシャが答えた。
あっけらかんと言うリーシャの言葉に咲耶はいくつかの意味で驚いた。
感情表現のはっきりしたリーシャや逆に知らない人には分かりにくくて気難し目のクラリスとは違い、社交性の高いフィリスにかなり広い苦手なタイプがあったことに対する驚き。
先ほどのロンが純血。つまり彼の兄妹であるフレッドやジョージ、ジニーたちも純血であること。
そして同じ純血でも彼らや、そしてリーシャに対しては特に苦手意識をもっているようには見えないこと。
簡単に言ってくれたリーシャにフィリスは苦笑しながら咲耶の驚きの眼差しに応えた。
「フレッドとジョージみたいにあんまり気にならない人もいるし、大分マシになってきたんだけど。さっきのはちょっとね……」
マジマジと見つめてくる咲耶にフィリスは微笑した顔をつくった。ただその顔は心配をかけないように無理に笑っているように見える。
思い返せば、たしかにフレッドやジョージのように明るく悪戯好きなタイプやリーシャのように明るく強気なタイプは別として、 ――先ほどの場合は間の悪さもあっただろうが―― 刺々しい感じの純血の人と仲良く話している姿はあまり見ない。
特急の中でも、あのマルフォイが来た時、フィリスはどこか怯えたような様子が見られたが……
彼女の無理したような微笑みに咲耶がなんと声をかけようかと言葉を探していると、リーシャがいつものとおりの明るい声で話を続けた。
「最初は私のこともすっげー怖がってたんだぜ」
「うるさいわね」
にししと笑いながら言うリーシャにフィリスは少し顔を赤くして言い返した。
先程までの怯えを上書きする感情。切り換えさせる手並みは意図してのものか無意識のものか。リーシャの持つ明るい雰囲気と咲耶よりも長い付き合いがあればこそだろう。
「そうなん!?」
咲耶も変わった雰囲気に無意識に当てられてか、先程までの心配したような気持ちは、純粋にリーシャの言葉によってもたらされた驚きに押し流された。
今の二人の関係を見るに、どう見てもそこに恐怖の感情は見られない。
「いつから仲良うなったん?」
興味津々に尋ねてくる咲耶に、フィリスはくすりと笑った。
「覚えてないかしら? ほら、魔法薬学の授業でリーシャが私に蜘蛛を投げつけたことがあるって」
「いや投げたわけじゃなくて、躓いたんだって!」
すっかりいつもの調子に戻った様子のフィリスにリーシャが慌てたようにツッコんだ。
思い出は初めての魔法薬学の授業の日のことだ。
二人の失敗談。
「あの後、大ゲンカしてね…………」
懐かしそうに言うフィリス。
――昔からたくさんのコンプレックスがあった。
混血であること。
たいして魔法力が強くないこと。
さして頭がよくなかったこと。
ハッフルパフに
たくさんのコンプレックスがあり、自分にはないものを持っている他者が羨ましかった。
純血であること。
箒の扱いという誇れる特技があること。
明るく自分に自信があること。
ハッフルパフに入ったことに頓着しない強い心があること。
フィリスから見て、リーシャ・グレイスという女の子は、妬ましいほどに眩かった。
今でもきっと、そうなのかもしれない……
自分には持っていないモノをたくさん持っているリーシャ。
強い魔法力と家柄を持つサクヤ。
レイブンクロー生もかくやというほどの知識欲と努力を怠らないクラリス。
彼女たちに比べて、自分は色々と持っていない。
けれど……
「その時からかな。この子に対しては苦手意識をもつだけ馬鹿らしいって思うようになったのよ」
「うわっ。なんかヒデー言い方されてね!?」
諦観したわけじゃない。
ただ、そんな彼女たちが、自分のことをちゃんと友達として見てくれるのだ。
コンプレックスを抱いていることが馬鹿らしくなるくらいに楽しい日々をくれるのだ。
「へー、そうなんや。じゃあ、クラリスとは?」
「この子ともだいたいその時からよ。この子、私がリーシャと喧嘩してる時も我関せずで本を読んでてね。それでイラついちゃって八つ当たりしたのがまともに口をきいた最初かしら」
興味津々と聞いてくる咲耶に物静かな方の親友との馴れ初めを思い出して答えた。
視線を向けても特に何か補足しようとするでもなく、ただ照れ隠しにぷいと視線をそむけた。
当時はこういう彼女の小動物的な可愛さが分からなかった。
自分の事で精一杯だったように、彼女もまた自分の殻に閉じこもりがちだったから。
そして、フィリスがコンプレックスを未だに持ち続けているのと同様に、クラリスの殻もまた、まだ彼女を包んでいることを知っている……
ただ…………
「どやって仲直りしたん?」
咲耶の問いに3人は顔を見合わせて、そして示し合わせたかのようにくすりと笑った。
「さぁ? 忘れちゃった。その後もリーシャとはしょっちゅう喧嘩してるし」
「あれ、そやっけ?」
「そーそー。咲耶が来るまでのフィーは口煩いのなんのって」
咲耶が来て、3人の関係も何かが変わったのかもしれない、そんな気がするようなしないような。
多分、そんなのが気にならなくなるくらい、今が楽しくなっているのだ。
「おかげでちっとも読書が捗らなくなった」
「嘘つけ!」「はい、嘘!」
それはクラリスも同様なのか、溜息交じりにとでもいうかのように言うクラリス。
その言葉にリーシャとフィリスは揃ってツッコミが入った。
4人の笑いが零れる。
喧嘩してもその度ごとに仲良くなっていく友達。
そんな姿に咲耶も、ほんの少し羨ましさを胸に隠して嬉しくなって笑った。
ちなみにその後、
魔法薬学の授業では、去年通り仏頂面のスネイプ先生の授業が、去年以上に難しいレベルで行われ、あまりの難易度にリーシャが煙を噴き出した。
そして学期早々に減点をくらい、授業後にフィリスに怒られていた。
・・・・・
午前の授業が終わり、お昼休み。
常であればそれぞれの寮ごとに分かれたテーブルにつく昼食だが、今日のハッフルパフには一人他寮の人物が紛れ込んでいた。
「やあ、サクヤ。ダイアゴン横丁以来だね」
ややクセのある金髪の巻き毛をした少年。
スリザリンの優等生ディズ・クロスがにこりとした笑顔を向けて話しかけてきた。
「こんにちはディズ君」
「ここいいかい?」
笑顔で挨拶を返した咲耶。ディズは咲耶と、セドリックやルークを含めた彼女の友人たちに確認するように近くの空席の一つを指して同席を求めた。
「おいおい。別の寮のとこに来て大丈夫なのか?」
咲耶としてはなんの問題もなかったので頷こうとするが、ちょっとびっくりしたようにリーシャが尋ね返した。
一応、テーブルは各寮で別れているのだ。他の寮のところを訪れたからといって、それだけで先生から怒られたりするわけではないが、諍いの種になることは否めない。
そして騒動になれば当然、先生はじめ周囲から注意が飛ぶのだ。
「別にスリザリンのことを言っているのなら今さらだよ。そんなのを気にするよりもサクヤと話をする方が大切だと思うな」
「おおぅ……」
だがリーシャたちの懸念に対し、ディズはいっそ清々しいほどににこやかな笑みを浮かべて言ってのけた。その返答は思わずリーシャが圧倒されるほどで、フィリスは感心したように、クラリスはムッとしている。
「ふーん。でもな、クロスが良くても、お前のお友達はそうは思ってないみたいだぞ? アイツら。すっげえ睨んできてんぞ」
一方、近くに座っていた男子陣、ルークは少し離れたところから睨んできているディズのスリザリンでの取り巻きをおっかなびっくり眺めて言った。
「彼女たちは頭が固いからね。留学生と話したいのに、寮の違いなんて小さなことに拘っているのさ」
「あの目は、そーじゃなさそーだけどなー」
遠巻きの視線などまるで意に介さず、咲耶の近くの席に座ったディズは、テーブルの上のパンに手を伸ばしてさらりと言ってのけた。
向けられてくる視線の大半が女子ということをちゃんと理解していて、さらりと言ってのけるハンサム君に、ルークは半眼を向け、セドリックは苦笑している。
孤児院育ちということでスリザリンでは過小評価されることもあるディズだが、飛びぬけて成績優秀で容姿端麗。はっきりしない来歴に目をつぶれば、恋する乙女が視線を向けてきてもおかしくはあるまい。
「寮の違いって大きいんやな。ウチ、あの子らとも話してみたいんやけど……」
「あっはっは。話に聞いていたとおり、面白い子だな、サクヤは」
向けられてくる嫉妬という名の感情が込められた視線に気づいているのかいないのか、遠巻きにされていることに残念感を漂わせて言う咲耶にディズは楽しそうに笑った。
「ところでサクヤ。たしかこの子犬、この前も連れていたけどキミのペットなのかい? 魔法生物のように見えるけど、精霊魔法かニホンの魔法で制約しているのかな?」
「よく分かるね。それ、普通の犬じゃないことに」
愉快そうな笑顔を浮かべたまま、ディズは咲耶の足元で自分をジッと見上げているシロを見つめて尋ねた。
一見して普通の白い子犬。フィリスたちやハーマイオニーも気付かなかったことをディズは見抜いており、セドリックが驚きに目を瞠った。
見るのは二度目とはいえ、たしかディズにはシロのことを言っていなかったはずだ。
「うん。白狼天狗のシロくん。おじいちゃんからつけてもらった式神なんやけど……なんか今日は機嫌悪そやな……?」
ぐるると威嚇するような声をあげることはない。だが、シロは尻尾を振ることもなく、ジッとディズを睨み付けている。
彼が不機嫌そうに見えるのは、正確には“今日”だからではなく、“ディズと居るから”、なのだが咲耶は不思議そうな顔で白の頭を撫でた。
「天狗……知能の高い魔法生物を使い魔にできるのか…………。本当に興味深いな、サクヤたちの魔法は」
咲耶とシロの様子を観察して、ディズはぽつりと呟いた。
たしかにイギリス魔法族でも屋敷しもべ妖精のように魔法族に従順な魔法生物を従えたり、吸魂鬼のように利害の一致する限りにおいて利用したりはする。
だが、教科書知識になるが、天狗といえばニホンの山に生息する高位の魔法生物だ。自ら独自の魔法を操ることもでき、人間に牙剥くこともある“闇の”魔法生物の一種。
それを従えている咲耶や、結びつけているだろう魔法の存在には興味を掻き立てられるのだろう。
「そうだ、サクヤ。前にも少し話したと思うんだけど、魔法世界のことには凄く興味があるんだ。よければ魔法世界の本とかないかな? ここの図書室にも書店にもなくて困っているんだ」
ディズの言葉に、本好きのクラリスがぴくりと反応して視線を向けた。
魔法世界のことに関しては、クラリスも自学しようと本を探したのだが、結局見つからず、それならばサクヤに聞いたほうがいいやという結論に達したことがあるのだ。
だが本があるのなら是非とも自分も読んでみたいのだろう。
「んーとな。魔法世界の本て実はこっちに持ってきたいかんのよ」
「えっ! そうなの?」
だが、咲耶から返ってきたのは残念な返答。申し訳なさそうに言う咲耶にフィリスが驚いたように尋ねた。
「うん。ウチも昔、魔法世界に行ったとき、記念に持って帰りたかったんやけど、ダメって言われたことがあるんよ」
異界である魔法世界の物は、みだりに現実世界に持ち込んではいけない。
ここ最近では徐々に、例えば“人”などの行き来が活発化しているが、それでも制限はなかなかに大きい。
「そう、か……それじゃあ、その魔法世界に行った時のこと聞かせてもらえないかな?」
「うん! ええよ。えーっと、どんな話がええんかな……」
残念そうに顔を曇らせたディズだが、切り替えたのか微笑みを向けて咲耶に話を尋ねた。
咲耶は咲耶で、ディズの質問に嬉しそうな笑顔になった。そして話すのならどれがいいのかと、思案するように口元に指をあてた。
「そうだね。それじゃあ……―――――」
ディズの質問に答える形で会話が進行した。
ディズが興味を持った話は主に、咲耶から見ての魔法世界とこちらの世界の違いについてなどだった。
最も大きな違いは人種。
一般的な(?)魔法使いが多く住んでいる国があれば、逆に亜人と呼ばれる種族が多く住んでいる地域もある。
なんでも咲耶の知り合いのお姉さんには、小さな角や猫耳の生えたハーフの女の子が居たりもするらしい。
他にも空に浮かぶ島々からなる国があったりと、咲耶らしいメルヘンチックな視点の話が多かった。
「へー。その国って、たしか前に言ってた、サクヤのお母さんのお友達が女王様やってる国だったかしら?」
「うん! ウェスペルタティア王国。お空に浮かんどるメルヒェンな国なんやで!」
話が空飛ぶ島の国になったとき、ふと以前おしゃべりしていた時に出たのを思いだしてフィリスが尋ねた。
咲耶が母に連れられて訪れたことのある魔法世界で最も古い王国、ウェスペルタティア。
話の内容は、とってもハイクラスな内容にも関わらず、なぜか事の大きさが染み込まないのは、咲耶の話すほわほわとした雰囲気からだろうか。
だが、さらりと流されそうになったその部分にこそ、関心を抱いた人物がいた。
「王国? 王政の国があるのかい?」
「うん。いくつかそういう国もあるんやって。強くってすっごい綺麗な人が女王様!」
魔法世界の支配階級。
それは彼にとって何か琴線に触れる情報だったのか、瞳を輝かせて尋ねるディズ。
ディズにとって待ち望んだ
もっとも知りたいと思っていたその情報を詳しく問いかけようとしたディズに
「ディズさん! いつまでもそんなところに居ないで、こっちで話しましょう!」
ついに堪えきれなくなったのか、スリザリンの席の方から気の強そうな女性が苛立たしげに声をかけた。
明らかにイライラしているその声に、視線を向けて見ればその周囲あたりからは棘のある視線がいくつも飛んできていた。
「うわぁお。なんかそのうち、呪いが飛んできそうになってきたぜ」
「やれやれ。せっかくの時間だったんだけどな。仕方ない。…………。それじゃあまたね。サクヤ」
あまりの眼差しのきつさにリーシャが冗談めかして慄くが、それはあながち的外れという事もなさそうなほどの視線が向けられている。
流石にこれ以上ここに居ると寮の敵対関係を煽り過ぎると諦めたのか、ディズは仕方なさそうに肩を竦めて席を立った。
「うん。またな~」
咲耶も特に引き留めるでもなく、手を振ってディズを見送った。
「ディズ君て人気者なんやなぁ」
「あっ。一応気づいてたのね……」
席に戻るなり、あっという間に女生徒を中心としたスリザリン生に囲まれたディズを見て咲耶は感心したように言った。
てっきり嫉妬の視線など気にも留めていないかに見えた咲耶の言葉にフィリスが苦笑した。
「さーて、そろそろ昼休み終わりだけど午後の授業なんだっけ?」
「薬草学」
昼食を終えてディズが去り、休憩時間もそろそろ終わりに近くなっている。
リーシャが午後の予定を確認するように尋ねるとクラリスが授業日程を確認しながら答えた。
「えーっと……ふーん。精霊魔法は明日からで、闇の魔術に対する防衛術の後か」
クラリスが広げた授業の日程表を横から見ながらリーシャはひとまず興味のある科目を確認した。
一つは昨年たっぷりと実技ができた精霊魔法。
去年は導入魔法にかなりの時間がとられたが、今年はすでにそこは超えているために何が待ち受けているのかと楽しみな様子だ。
一方で不安が伴うのは新任の先生が担当する闇の魔術に対する防衛術。
「新任のロックハート先生の出番は明日だね」
「あー、もう! 夢みたい! ロックハート先生の授業が受けられるなんて!! 今日、眠れるかしら!!」
数々の闇の力に対する功績のある先生。
昨年、“二”身上の都合により退職することとなったクィリナス・クィレル教授に代わる新たな魔法先生。
セドリックは期待しているようににこりとし、フィリスは憧れの君が教壇に立つとあって、それを想像するだけでテンションが上がっている模様だ。
「とりあえず去年みたいにニンニク臭がしなきゃ、マシなんじゃね?」
一方で期待よりも不安が大きいのは、本来は実技系科目が好きなリーシャ。
なぜか ――おそらく彼女自身判然としかねるだろうが―― リーシャはあの新任の先生が授業前からあまり好きではないらしい。
多くの魔女が憧れているという有名人なのだが、なにかリーシャの気に障るところがあるのだろうか。
とはいえ去年のおどおど教師。教室内にニンニクの臭いを充満させて、ほとんど実技練習をしなかった、あれよりも酷い授業などないだろうという考えからだったのだが…………その考えがむなしい期待でしかなかったことに、彼女たちは翌日になって知ることになるのであった。