「ああ! なんていい日だ!」
「ハリー・ポッター……お目にかかれて光栄です」
「お帰りなさい。ポッターさん。本当にようこそお帰りで」
初めて訪れた魔法界の入り口。パブ漏れ鍋でハリーを待ち受けていたのは熱烈な歓迎だった。
だれもが自分のことを英雄や有名人のようにもてはやす。
歓待の言葉をかける中にはこれからハリーが通う事になる予定のホグワーツの教師までいた。
これまでの生活の中でこれほど人に笑顔を向けられ感謝されたことのないハリーは困惑を感じ、また自身の覚えていない功績を讃えられて戸惑っていた。
両親の顔すら知らず、非日常を嫌う一般人の親戚の家で育てられたハリーは11歳の誕生日を境に自身の出自を知った。
魔法使いの両親をもつ魔法使いの卵。かつてイギリスを闇と混沌へと沈ませていた闇の帝王を打ち砕いた英雄。“生き残った少年”。それがハリーだった。
出自について教えてくれたハグリッドという、魔法学校の森番をしている大男によって魔法の世界へと誘われていた。
第2話 英雄とのお買いもの
「おぉい。ハリーはこれから学用品を買いに行かにゃならん。すまんがそろそろ行かせてくれんか」
漏れ鍋にいた人たちに代わる代わる握手などを求められていたハリーに、毛むくじゃらの大男 ――ハグリッドが人ごみを掻き分けるようにして近づいた。
店に入る前はハリーとハグリッドの二人でここまで来たのだがハリーが店で人に囲まれている間に連れてきたのか、ハグリッドは一人の少女を連れていた。
「ハグリッド、この子は?」
黒く長い髪は艶やかで腰に届くほどの長さ。顔立ちが東洋風であることもあって見た感じはハリーと同じか少し年下くらいに見えた。
店内の人のほとんどは見るからに魔法使い然としたローブかマント姿だったのだが、その少女はハリーと同じくマグルの、非魔法族の一般人と同じ装いだった。
「おう、そう言えば言い忘れちょったな。今日一緒に案内することになっちょる留学生だ」
「初めまして、近衛咲耶……あ、ちごた。咲耶・近衛です」
まるで日本の人形のような黒髪黒目の少女はぺこりと頭を下げて自己紹介をしたが、英国風の名前の順序に慣れていないのか言い直した。
なんだかほんわかとした雰囲気の少女で、にこにことした笑みは先程まで周りを取り囲んでいた人たちとは少し雰囲気が違うように感じられた。
「あ、どうも」
「…………? えっと、ハリー君、でええんやったっけ?」
意地の悪いガキ大将の親戚、ダドリーのせいで同年代の友人がおらず、店に入ってからは誰もが自分のことを知っていたがゆえに、無意識にこの少女も知っていると思ったのだろうか。戸惑い気味に短い言葉のみを返したハリーに、咲耶はちょっと戸惑ったように問いかけた。
「あ、うん。ハリー・ポッターです」
「よろしゅうな」
「よし、それじゃあ行くとするか」
咲耶の言葉に自分の名前を言っていないことを思いだしたハリーがドギマギしながら自己紹介をして、咲耶はにこにことした笑みを向けた。その笑顔にハリーは鼓動が増したように感じた。
二人の対面の挨拶が済んだと判断したハグリッドが声をかけ、先導するように歩きだし、二人もその後に続いた。
「お前さんはハリーのこと知らんかったみたいだな?」
「あ、有名なん? ごめんな~、うち英語とか覚えるのに必死で、こっちの魔法界のことまだよう分からんくって」
「コノエはどこから来たの?」
パブを通り抜け、壁に囲まれた小さな中庭につくとハグリッドは咲耶に声をかけた。1歳にしてイギリスの魔法界において知らぬ者のない人物となったハリーを知らないことが少し意外に思ったのだろう。
咲耶は咲耶で母国語が違うためだろう、まだ慣れていないのかどこかイントネーションがずれているようにも感じられる。加えて明らかに東洋風の顔立ちが気にはなっていたのだろう、ハリーが尋ねた。
「咲耶でええよ~。うちは日本から来たんよ。小学校が終わって、編入することになって」
「編入? 入学じゃなくて?」
不慣れゆえの言い間違いかと思い尋ね返したハリーだが、それは自分よりも幼く見える咲耶の容姿のせいもあったのだろう。
「ちゃうえ~。うち今年で13やから、えーっと……」
「サクヤは3年生に編入だな」
小首を傾げている咲耶に、ハグリッドが助け船をだすように言葉を加えた。だが、その言葉はハリーを驚かせた。
「えっ! 僕より二つ年上!?」
「じゃあハリー君は11歳なん?」
うちの方がお姉さんや~。とにこにことした顔で言う咲耶だが、ハリーにしてみればどう見ても年上には見えなかった。
驚いているハリーをよそにハグリッドはなにやら壁の煉瓦を数えて、「三つ上がって……二つ横……」とぶつぶつつぶやきながら何かを数えている。
「よしと。ハリー、サクヤ。少し下がっとれよ」
何かを確認し終えたのかハグリッドは二人に声をかけ、二人が少し下がったのを見て、トントントンと持っていたピンクの傘で煉瓦を叩いた。
「ほえ~」
「わぉ」
咲耶とハリーが見ている前で煉瓦はぐらぐらと動き、壁を崩してアーチを形作った。二人の数倍はありそうな大柄のハグリッドですら通れるほどのアーチの先には石畳で舗装された道が続いていた。
「ダイアゴン横丁にようこそ」
感嘆の声を上げた二人をにこりと見やり、ハグリッドはイギリス古来の魔法界への歓迎を示した。
アーチをくぐった先、ダイアゴンという名の横丁は、少し雑多な感じがするものの、魔法使いの店々が立ち並んでいた。
鍋屋、ふくろう店、マントを売る店、箒屋、銀道具の店、杖の店。通りにも何かの魔法関連具を売っている露天のようなものも見られた。
「なあなあ、ハグリッドさん。うち、こっちのお金持ってへんから、換金したいんやけど」
「おお。ハリーも金をおろさにゃならんからな。まずは銀行だ」
魔法とは無縁の世界で育ったハリーは興味深そうにあちこちを見ており、咲耶も初めて訪れたダイアゴン横丁の姿にきょろきょろと顔を向けていたが、ふと自分の財布の中身を思い出してハグリッドに声をかけた。
ハグリッドの先導で3人はひとまずイギリス魔法界の銀行へと赴いた。
「ここが、グリンゴッツだ」
小さな店が並ぶなか、真っ白な建物が目を引くようにそびえている。
「ハグリッド、あれ……」
「ああ。あれが子鬼だ」
人ならざるものが珍しいのだろう、ハリーはグリンゴッツで働いている子鬼をまじまじと見ている。
「そしたらうち、お金換えてくるな」
「ああ。こっちはちぃーっと時間かかるかもしれん」
貸金庫へと案内するカウンターへと向かうハリーとハグリッドに一声かけて、咲耶は換金のカウンターへと向かった。
・・・・
イギリス魔法界の通貨への換金が終わり、待っているとしばらくして顔を真っ青にしたハグリッドと眩しそうに目を瞬かせているハリーとが戻ってきた。
「ハグリッドさん、なんか顔色悪いなぁ」
「う、うむ。すまんが、ちょっと漏れ鍋で元気薬をひっかけてきてもいいか? グリンゴッツのトロッコにはまいった」
グリンゴッツ貸金庫への通路はかなりの速度を出すトロッコだったらしく、乗り物酔いしたのかハグリッドは具合悪そうにしている。
「大丈夫、ハグリッド?」「ええで~」
「ああ。二人とも制服は必要だろ。そこの服屋で仕立ててもらっちょってくれ」
ハグリッドはマダムマルキンの洋装店という店を顎で示して、大きな体を少しふらつかせながら漏れ鍋の方へと向かった。
「ほな、いこか、ハリー君」
「うん」
ハグリッドを見送ってから二人は店へと入った。店内では恰幅の良い魔女、マダム・マルキンが出迎えた。
「あら。お二人? ホグワーツかしら?」
「はいな」「はい」
声をかける前にマダムは声をかけてきた。
「全部ここで揃いますよ。お嬢ちゃんはあちらの方で採寸しましょう。」
「はーい」
マダムの他にもう一人店員がおり、そちらもハリーと同い年くらいの男子の採寸をしている。マダムは咲耶を店の奥にいる店員に案内させ、ハリーの採寸にうつった。
「お嬢ちゃんは新入生かしら?」
「いいえ~。あっちの子はそうですけど、うちは3年生です。編入ですけど」
「あら? 編入? 珍しいわね。生まれはアジアの方かしら?」
「はいな。日本から来ました」
店員と話しながら奥へと来た咲耶は店員に言われて採寸台へと立って、長いローブを頭からかけられた。
「そう、日本から。でも編入なんて大変ね」
「やっぱ魔法学校って大変なんですか? うちそういう学校始めてやからよう知らんくって」
「ふふふ。私もホグワーツだったのよ。勉強は大変かもしれないけど、寮での生活とか友達と過ごした学校生活は大切な思い出よ」
店員は手馴れた様子で採寸し、丈に合わせてピンでローブをとめたり、袖を合わしたりと手を動かしながらも、異国から来た少女との会話を楽しんでいるようだ。
「寮か~。楽しみや」
「初めのうちは学校が広くて大変よ? なかなか授業の時間までにつけなかったり、廊下を走ってるところを管理人に見つかったりして」
「へ~、ほなちゃんと覚えなあかんなぁ」
学校での生活のことなどを話しながら作業をこなしていき、咲耶も退屈しない時間を過ごした。
「はい、できあがり。向こうのお坊ちゃんもちょうどいいころみたいね」
「ありがとうございます。お話楽しかったです」
仕立てが終わり、店員から出来上がったローブを受け取って咲耶はハリーの方へと戻った。
店の外にはハグリッドが待っており、元気薬のおかげか顔色がよくなっており、3人分のアイスクリームを持って待っていた。ハリーも一足早く店を出てハグリッドとともに咲耶を待っていた。
「おまたせさんハリー君、ハグリッドさん」
「おお。ほれ、サクヤも」
咲耶が小走りで駆け寄るとハグリッドは持っていたアイスクリームを咲耶に渡した。
「わぁ、おおきに。ん、ハリー君どないしたん?」
「……なんでもないよ」
渡されたアイスクリームを咲耶は嬉しそうに受け取り、一口食べて顔をほころばせるが、ふと同じようにアイスを食べているハリーの表情がどこか暗いのを見て声をかけた。
だがハリーはなんでもなくない感じの声で応えた。
少し気にはなったが、本人がなんでもないというため咲耶とハグリッドは少し気になりつつも他の必要品をそろえるための買い物を再開した。
「ねえ、ハグリッド。クィディッチってなに?」
「なんと、ハリー! おまえさんがなんにも知らんということを忘れとった。クィディッチを知らんとは!?」
羊皮紙と羽根ペンを買った後、ハリーは少し元気を取り戻したのかハグリッドに尋ねた。
「これ以上落ち込ませないでよ」
「うちも知らんえ?」
「クィディッチちゅうのは、魔法族のスポーツだ。マグルの世界の、なんちゅうたか……そう、サッカーだ。箒に乗って空中でやるゲームなんだが、ルールを口で説明するのはちと難しいな」
ヨーロッパの魔法界に詳しくない咲耶もハリーの言った単語が分からなかったようだ。
そしてハリーは魔法界から離れていたため、魔法界では常識とも言える知識が欠如している。そのことを改めて再認識して驚いているハグリッドはそれでも、分かりやすく答えた。
「どうしたんだ、ハリー?」
「さっき、マダム・マルキンの店でホグワーツに入学するっていう子に聞いたんだ。それで、その子が言うんだ。マグルの家の子は一切入学させるべきじゃないって……」
どうやら先ほど店にいた少年と話していたことが、ハリーを沈み込ませていた原因だったようで、ハリーはそのことを口にした。
「おまえさんはマグルの家の子じゃない。ハリーが何者なのかその子が分かっていたらなぁ……その子も親が魔法使いならおまえさんの名前を聞きながら育ったはずだ」
「……サクヤの家はマグルの家なの?」
ハグリッドは心底残念そうに言うが、ハリーはもう一人の同行者、クィディッチについて知らないと自己申告した咲耶に尋ねた。
「マグルって、なんなん?」
「マグルっちゅうのは、俺たちみたいな魔法使いじゃない連中のことだ。サクヤは日本の魔法使いの子って聞いとるが?」
先程から出ているマグルという単語は咲耶にとって未知の単語だったのだろう、首を傾げ、ハグリッドが説明した。
「うん。うちのお母様が魔法使いやって。でもうちこの前まで普通の学校通っとったし、お母様が使う魔法とこっちの魔法は違うて聞いたえ?」
「? 魔法が違う?」
咲耶の言葉にハリーは首を傾げた。
「あー、そこらへんは俺もよう分からんのだが、魔法界にはホグワーツで教えちょるような魔法とは違うタイプの魔法もあるっちゅう話だ。サクヤはその魔法は教わったんか?」
「うん。お母様とかお兄ちゃんとかに教わったんよ。あんまり強い魔法はあかんけど、魔力の制御を覚えとかなあかんって」
旧世界、現実世界に昔から存在する魔法使いの魔法と主に魔法世界で隆盛している魔法とは少しタイプが異なる。それを知ってはいてもなにが違うかという答えは、ハグリッドはおろか閉鎖的なこちらの魔法界ではあまり知られていないことだ。
「サクヤは使えるんだ、魔法……僕、なにも知らないのに……」
「気にすることねぇぞ、ハリー。それが普通だ。これから覚えてきゃええ」
「うちもこっちの魔法は全然やし、向こうの魔法も治癒系と制御の練習のための基本的なやつしか習ってへんよ」
基本的にホグワーツに入学する子供たちは年齢的なものもあって入学前にはあまり魔法を習わない。そのため特にマグル生まれの魔法使いは感情が高ぶることにより魔力が暴発してしまうことがままある。
咲耶の魔力は膨大であるため、最低限の安全のための制御をあらかじめ教えていたのだ。
そのことをハリーに伝えると完全には納得できないまでも、幾分心配は緩和されたようだ。
「……スリザリンとハッフルパフって?」
「学校の寮の名前だ。四つあってな。ハッフルパフには劣等生が多いとみんなは言うが、しかし……」
ハリーは先程店内で聞いたことで分からないことを解消させておきたいのだろう、もう一つの疑問を尋ねた。それに対してハグリッドが答えるが、途中で言いよどんでしまう。
「僕、きっとハッフルパフだ」
「スリザリンよりはハッフルパフの方がましだ」
「寮分けて、学力検査みたいなんあるん?」
言いよどんだ間にハリーの気分は再び沈下してしまったようで、肩を落すが、ハグリッドは少し顔を暗くして言葉を続けた。
劣等生が多い、という言葉を聞いて咲耶は意外そうに尋ねた。
「いんや。そういう訳じゃねえが……まあ組み分けは本番の楽しみにしちょれ。ただ、スリザリンに限って言えば、ちょいとあってな……」
咲耶の疑問に対してハグリッドは首を横に振って答えた。
「悪の道に走った闇の魔法使いや魔女は、圧倒的にスリザリン出身が多い。例のあの人もそうだ」
「ヴォル……あ、ごめん……あの人も、ホグワーツだったの?」
「…………」
イギリスの魔法についてはそう多くはまだ知らないが、それでもイギリス留学にあたり教えられた知識の中に、“名前を言ってはいけない例のあの人”という人物が大変恐れられているということは聞いていた。
ただ、闇が悪だというようにも、スリザリンに入ることが悪への第1歩だともとれるハグリッドの言葉に咲耶は少しだけ表情を暗くした。
「昔々のことさ」
その後、3人は本屋で必要な本をそろえたり、鍋や秤、望遠鏡などを買いそろえた。
「うむ。後は、杖だな。杖ならここだ。オリバンダーの杖に限る」
狭くみすぼらしい外装の店には紀元前382年創業という歴史ある看板が掲げられていた。
「サクヤも杖を持ってないの?」
「うん。向こうの発動媒体はあるんやけど、こっちの魔法とはあえへんみたいやから、新しく選ばなあかんみたいや」
扉を開けて入ると奥の方でチリンチリンと来客を知らせるベルがなった。たくさんの細長い箱が山のように積み重ねられており、雑多ながらどこか図書館の静謐さを思わせる店内だった。
「いらっしゃいませ」
店の奥から柔らかな声と共に老人が出てきた。
「こ、こんにちは」「こんにちは」
「おお。まもなくお目にかかれると思ってましたよ。ハリー・ポッターさん、そして……」
「咲耶・近衛です」
老人、オリバンダーもやはりハリーのことは知っているようで、目を細めてハリーを見た後、咲耶にも視線を向けた。
「おお、おお。まずはハリーさんの杖を見させていただきますので、少しお待ちください」
「はいな」
咲耶に一声かけてからオリバンダーはハリーに向き直りなにやらまじまじとハリーを見つめている。
「なんや変わったお人やなぁ」
「イギリス一の杖職人だ。ハリーの両親の杖も、俺の杖もここで買ったもんだ」
咲耶はハグリッドの横に腰掛けて話ており、オリバンダーは昔を懐かしむようにハリーの母の、そして父の杖のことを口にしている。
そしてその目がハリーの額に、稲妻型の傷跡へと向くと、今度は別の杖のことを話し始めている。
オリバンダーはハグリッドにも声をかけた後、早速ハリーの杖選びを始めた。
どうも一口に杖、といっても素材や芯に使われているものによってさまざまな種類があるようで、次から次へと杖をだしてはハリーに振らせている。
だが、その度に山のように積まれた杖が雪崩を起こしており、中々思うようにマッチした1品は見つからないようだ。
「ひゃっ」
「おお、大丈夫か、サクヤ?」
ハリーが杖を振った瞬間、また小さな爆発を起こしたように咲耶たちが座っていた近くの山が崩れてばらばらと杖が落ちてきて咲耶は悲鳴を上げた。
「ご、ごめん、サクヤ、ハグリッド」
「いかんいかん。難しいお客じゃ。心配なさるな。必ずピッタリ合うのをお探ししますでな。さて、次は……おお、そうじゃ。滅多にない組み合わせじゃが、柊と不死鳥の羽、28cm、良質でしなやか」
短い悲鳴を上げた咲耶にハリーは慌てて謝るが、オリバンダーは杖選びに没頭しているのかそちらには見向きもしていない。
新たに持ってきた杖をハリーに手渡し、ハリーはまた咲耶たちの方に被害がでないか気にかけてるのか少し戸惑ったように咲耶たちを見て、にこにことした顔を崩していない咲耶に後押しされたのか杖を振った。
「おーっ」
「ほわぁ、きれーやな~」
今度は雪崩は起きず、杖先から小さい花火のように鮮やかな光の玉が流れ出した。幻想的な光景に咲耶も感嘆の声をあげた。
「すばらしい。いや、よかった。さてさてさて……不思議なこともあるものよ。まったくもって不思議な」
「何がそんなに不思議なんですか?」
呟きながら杖を箱に戻し包装しているオリバンダーにハリーは問いかけた。
「ポッターさん。わしは自分の打った杖は全て覚えておる。あなたの杖に入っている不死鳥の尾羽はな、同じ不死鳥が尾羽をもう一枚だけ提供した。たった一枚だけじゃが、あなたがこの杖を持つ運命にあったとは、不思議なことじゃ。兄弟羽が、なんと兄弟杖がその傷を負わせたというのに……」
オリバンダーの言葉に、ハリーははっと気づき、息をのんだ。
咲耶は特に注視していなかったが、ハリーの前髪に隠された額には稲妻型の傷跡がある。わずか1歳にして英雄として名をはせた証。邪悪なる闇の悪意によって刻み付けられた痕。
「……さて、コノエさん。お待たせしました、こちらへ」
「あっ、はい」
少し悲しそうな顔をしていたオリバンダーは気を取り直してもう一人の客、咲耶を呼んだ。咲耶は先程雪崩で崩れて膝の上に落ちてきた杖の箱の一つを持ってオリバンダーの前へと進んだ。
「杖腕はどちらですかな?」
「右です。あと、これさっき落ちてきたんですけど」
先程のハリーの時同様、採寸を行なおうとするオリバンダーに持ってきた箱を差し出した。
「ああ、それは……ふむ。まずその杖を振ってみなさい。梛の木に吸血鬼の髪、23cm、柔らかく折れにくい」
差し出されたそれをオリバンダーは一瞥すると受け取らずに、最初に試すように指示した。杖に使われている素材、吸血鬼の髪というワードに咲耶はピクリと反応し、まじまじと手元の箱に視線を向ける。
どこかためらうような手つきで咲耶は箱を開き、杖を手に取った。
「あったかい……」
触れている指先からなにかほんのりと温かい感触が広がり、吸い付くような感覚があった。
杖に誘われるように咲耶は手に取った杖を軽く振ると、薄桃色の花弁の様な光がはらはらと舞った。
「素晴らしい。どうやらその杖があなたを選んだようですな」
淡々と杖を箱に戻して包装しているオリバンダーだが、一発で杖を決めた咲耶はどこか浮かない表情をしている。
「あの、一つ聞きたいんですけど。髪の毛もろた吸血鬼って……」
「この杖に使われているのは数代前の職人が大変力の強い吸血鬼からもらった髪だそうです」
「その吸血鬼って、どないなったんですか?」
どこか必死な感すらあるほど真剣に尋ねる咲耶に、傍で見ているハグリッドとハリーは訝しげな視線を向けた。
「それは分かりません。ですが、その吸血鬼は不死の存在であったと聞いています」
「不死の、吸血鬼……」
「単なる言い伝えですが、ね……」
ハリーと咲耶の二人はそれぞれ杖の代金7ガリオンを払って、お辞儀をして見送るオリバンダーの店を後にした。
一行は来た道を戻り、漏れ鍋へと向かった。
「ふむ、必要なもんは大体そろったな。ハリーは電車で帰るが、咲耶はどうするんだ?」
「うちは今日はホテルに泊まって、ガッコが始まるまではウェールズの知り合いの家にホームステイする予定です」
「家には戻らないの?」
リストを確認したハグリッドが予定の買い物が終了したことを告げ、咲耶に今後の予定を尋ねた。咲耶の返答にできれば家に帰りたくないハリーが興味をもって尋ねた。
「うん。ウェールズまでは迎えの人が来てくれるゆー話なんやけど……」
咲耶たちが今居るロンドンからウェールズまでは同じイギリス国内でもそこそこに距離がある。大量の学用品を抱えた異国の少女が一人で移動するにはかなりキツイ距離であり、ハグリッドとは別の案内人が事前に準備しているようだ。
「おかげでマズイ紅茶を何杯も飲んで待つ羽目になったんだが」
「ほぇ?」
話しながら通りのカフェを通り過ぎようとした一行に声がかけられ、咲耶は懐かしい声に振り向いた。声をかけてきた男の姿を見た咲耶は呆気にとられたように呆然とし、ついで
「リオン? リオンや!」
「いきなり抱きつくな」
リオンに飛び込むように抱きつこうとしてリオンの伸ばした腕に阻まれていた。
ダイブするのは阻まれた咲耶だが、それでも諦めずにリオンの背中に纏わりついて嬉しそうにしている。
「リオン? サクヤ、そいつがお前さんの言う迎えか?」
嬉しそうな咲耶を見て、知り合いだということは察したが、一応案内人としてハグリッドは確認した。
「うん。ほんま久しぶりさんや、リオン。来てくれて嬉しいわぁ」
「分かったから離れろ。それで、お前の荷物はどこだ?」
呆気に取られているハリーを他所に咲耶はリオンに華のような微笑を向けており、リオンはなんとか咲耶を引き剥がそうと奮闘している。
「これだが……お前さん、リオン・スプリングフィールド先生か?」
「あ? まだ先生になってないが、なんだあんた?」
荷物がかなりの重さだったこともあり、咲耶とハリーの荷物を持っていたハグリッドが咲耶の保護者らしき男に荷物を手渡しながら問いかけた。ハグリッドの問いにリオンは訝しげに返した。
「おお。俺はホグワーツで森番やっちょるルビウス・ハグリッド。ハリー、クィレル先生についで今日二人目だな。スプリングフィールド先生は今年からホグワーツに来るっちゅう新設の科目の先生だ」
「えっ?」
リオンが肯定の意を返したことで、ハグリッドは自分の予想が当たっていたことが嬉しかったのか、破顔してハリーにリオンのことを伝えた。
「えっ! リオン、ホグワーツに来るん!?」
「お前のジジイの差し金で行くことになったんだよ。買い物は終わったのか?」
驚いた声を上げたのはハリーもだが、咲耶は嬉しそうに目を輝かせている。一方のリオンは不服そうに気だるげな視線を向けている。
「うん。終わったえ」
「そうか。あんたらもこいつが世話になったな」
リオンは受け取った荷物を自分の影の上に手放した。地面に落ちた筈の荷物はしかし、予想していた衝撃音を響かせず、ずぶずぶと地面にめり込むように影に沈みこんでいった。
ハグリッドが持っているのと同じ大きな荷物があっという間に地面に溶けて消えてしまうという魔法を見て、ハリーは目を丸くしている。
「行くぞ、咲耶」
「えっ? あーん、ちょい待ってよリオン。こちらハリー君や。うちの二つ下で今年ホグワーツに入るんやって」
荷物が完全に姿を消すとリオンは咲耶に一声かけて歩き出そうとし、咲耶はそんな無愛想なリオンを引き留めて、今日出会った友人を紹介した。
「ハリー……?」
「あ、はい。ハリー・ポッターです。えっと、スプリングフィールド、先生?」
咲耶の言葉にピクリと反応したリオンは、なにかを見透かそうとするかのように目を細めてハリーを見下ろした。ハリーは、これから通う学校の先生であることに加え、迫力ある眼差しを受けて、かなりおどおどとしながら名前を名乗った。
「…………」
「えっと、あの……?」
リオンは“生き残った少年”をじっと見据え、ハリーが耐えきれなくなりそうになり、リオンは何かを口に出そうとして
「まぁいい。お前が授業を受ける気があるなら、また会うこともあるだろう」
「え、あ、はい」
結局、来月に就任する教師としての言葉だけをかけた。
「そろそろ行くぞ咲耶」
「はーい。ほなハリー君、ハグリッドさん。今度は学校でな~」
リオンが二人に背を向けて歩き始めると、咲耶は二人に別れを告げて置いて行かれないように小走りで駆けて行った。