春のおとずれ 【完結】   作:バルボロッサ

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そういや今年の運勢はどんでん返しだとか誰かが占っていたような……

 ――自分の欲望のために、他人の犠牲を厭わない者。それが悪であり、究極的には人というものの根幹だ――

 

 

 ――そして誇りある悪なら、いつの日か自らも同じ悪に滅ぼされることを覚悟するもの。貴様も悪だと自らを謳うのならば、やがては滅ぼされることを覚えておけ……――

 

 

 

 白く濁り淀んだ悪意の塊が空を滑るように飛んでいた。

 

「おのれっ!! この、闇の帝王がっ!! あのような小僧にっ!!」

 

 ユニコーンを犠牲にしてなんとか蓄えた力は憑代を失ったと同時に失われた。

 立ち塞がったのはダンブルドアどころか、まともな魔法使いですらない子供の魔法使い見習い。

 かつて赤子にして偉大なる闇の帝王を打ち砕いた“生き残った少年”。

 ハリー・ポッター

 

 心の隙間を巧みに擽り、意志ある傀儡とした忠実なる下僕、クィリナス・クィレルは奴の持つ正体不明の力によって無残にも灰塵となった。

 唯触れただけ。

 なんの魔法を使う素振りもなく、ただ触れる。それだけでクィレルの肌は焼けただれ、灰となって崩れ落ちた。

 

 およそ11年前。赤子のハリーによって自らの放った死の呪文を受けた“闇の帝王”は自らの体を失った。

 死を回避する術を講じていたがために、その魂は死出の旅へと羽ばたくことなく、現世に留まった。

 だが、それはまだ留まれた程度でしかない。

 自身の力は大きく削がれ、自分を主と定めていた者どもは、忠実なる配下は闇払いによって捉えられ、忠無き者どもは夢から覚めたと言わんばかりに彼を見捨てた。

 

 クィレルという器は、自らを呪われようとも厭うことなくユニコーンを弑するほどに都合のよい体ではあったが、如何せん愚か過ぎた。

 せっかくの“賢者の石”を目の前にしながら、それを手に入れることもできずに、あまつさえあのような小僧に敗れるとは。

 

 せっかくの憑代を失い、再びただの影と霞の如き紛い物のゴーストのような状態に戻ってしまった彼は、何かに憑りつき、力を補充しなければ数日のうちに形を保つこともできなくなってしまうだろう。

 

 自身をこのような惨めな姿にした憎い小僧。自身の復活を阻んだあの小僧への憎悪は尽きることはない。

 だが、悲観はしていない。誰かの体を借りて、憑りつかねばならないが、誰かの心の隙間に入り込むなど造作でもない。愚かな魔法使いを忠実な下僕に仕立てあげることなど容易いのだから。

 自身をこのような目に合わせたあの小僧には、ハリー・ポッターにはいずれ必ず報いを受けさせる。死よりもおぞましく辛い、殺してくれと懇願するようになるほどの報いを……

 

 憎悪、怒気、呪怨、殺意、負の感情は尽きることはない。

 悲観することはない。やつらはまだ気づいていないのだから。

 この闇の帝王が仕掛けた分霊の術に。

 

 自身が死ぬことなどありえない。

 全ての人間は、魔法使いは、すべからく自分の前にひれ伏す存在にすぎないのだから。

 

 

「まったく残念だ」

 

 だが、死を撒き散らす飛翔に、影が語りかけた。

 

「! なんだっ!?」

 

 気づけば、赤と金とが混ざった髪の男が行く手を遮るように立ち塞がっていた。

 闇に浮かぶ蝙蝠のように漆黒のマントが靡く。向けられる瞳には欠片も熱が込められておらずその表情は言葉通り残念極まりないと物語っていた。

 

「“闇の帝王”、などと大層な名で呼ばれているからには、少しは期待していたんだが」

 

 いかに霞に近い状態とはいえ、“闇の帝王”を、ヴォルデモートを前にしてまるで脅えた様子はない。

 どころかまるで虫けらを見るかの如き眼差し。

 

「どうやら単なる小悪党に過ぎなかったようだな」

 

「なん、だと。貴様っ!」

 

 向けられる眼差しに自尊心が傷つけられたのか、ぎしりと歯を噛んだように睨みつけた。

 

 身体さえあれば、すぐにでもこの愚か者を屠ってやるものを。

 そう思考した瞬間、気がついた。

 

 なぜ自分は止まった?

 

 今の自分はいわばゴーストも同然の状態。

 どのような魔法使いであっても、それがたとえダンブルドアであったとしても、今の自分を傷つけることなどできはしない。 

 そんなことよりも一刻も早く、憑りつく人間に依らなければならない。

 

「他人の犠牲は厭わぬくせに、自らが死ぬことは恐れる腰抜けの小悪党。闇の帝王を名乗るなら、もう少し誇りをもっておいてもらいたいものだ」

 

 依らなければならない?

 なぜ自分はこの魔法使いに憑こうとは考えなかった?

 

 ゴーストも同然? 闇の帝王が、霞の如きゴーストと?

 そんなはずはない。 

 闇の帝王の力をもってすれば、このような……

 

「正直。俺としては貴様があの小僧をどうしようと別に構いはしなかったのだがな」

 

 なんだ、こいつは?

 魔法使い、いや、人なのか?

 

「だが、“アレ”に手を出されそうになって大人しくしているほど、俺は人がよくない。見逃した挙句、また繰り返されるのも面倒だ」

 

 この気配。この存在感……

 これは……こいつは……

 

「招き手を失った以上、貴様に手を出してはいかん道理はないんでな」

 

 せめて万全であれば、せめて体があれば…………!!

 

 翳された手に宿る規格外の魔力。

 今まで感じたどんなものよりも強大で、未知の術法。

 

 

 この日、上位古代の詩がホグワーツに、葬送の謳のように奏でられた…………

 

 

 

 第17話 そういや今年の運勢はどんでん返しだとか誰かが占っていたような……

 

 

 

 緑と銀のカラーで彩られた大広間。スリザリンのトップを表すはずの飾りつけがなされているはずの大広間で爆発したかのようなグリフィンドール生たちの歓声が響いた、

 

「それでは、飾りつけをちょっと変えねばならんの」

 

 ちょっとした悪戯が成功したことを喜ぶように言ったダンブルドア校長が杖を振るった。

 杖から風が吹いたかに見えた。風に吹かれて天井からつりさげられたスリザリンの寮旗が靡いたかと思うと、旗はその色を変えて緑は赤に、銀は金へと変わり、スリザリンを表す蛇は雄々しいグリフィンドールの獅子へと変わっていった。

 

 

 

「あーあ。結局最下位か」

「まあ仕方ないさ。3位だったのだって、もともと僕らが点数を稼いだおかげというよりも、グリフィンドールが下がっていただけだったんだし」

 

 まるで、というか実際にお祭り騒ぎのグリフィンドール。数年間、寮対抗杯を保持し続けたスリザリンが首位陥落したことでレイブンクローやハッフルパフの寮生たちも嬉しそうに騒いでいる中、リーシャが少しだけ残念そうに言い、セドリックは仕方ないと肩をすくめた。

 

 寮対抗杯は、残念ながらハッフルパフは4つの寮で最下位の得点だった。

 当初、最下位は150点もの大減点をやらかしたグリフィンドールだったのだが、ロン、ハーマイオニー、ハリー、そしてネビルというグリフィンドールの1年生4人が急遽滑り込みギリギリで加点されたことにより、一躍グリフィンドールはトップへと躍り出た。

 

「それに、例のあの人を退けてホグワーツに隠された秘宝を守り抜いた、なんてお手柄を挙げられたんだから、当然よ」

 

 ハリー・ポッターたちがどのような功績でダンブルドアに加点されたのか、具体的な内容は公表されていない。

 結果発表時も、曖昧な表現とどのような点を評価したかしか述べていなかった。だが、フィリスが言っているように、ハリー・ポッターが例のあの人から何かを守った、という情報はみんなが知っている公の秘密として学校中に知れ渡っていた。

 

「でもさー。あと20点でレイブンクローには勝ったのに」

「リーシャが授業中に起きていれば稼げたくらいの点数」

「う゛っ」

「来年はもうちょっと成績の低空飛行から脱しなさいよ、リーシャ」

「サクヤぁ~。クラリスとフィーがいじわるだぁ~」

「はいはい。よしよし」

 

 3位のレイブンクローとは20点差。その程度の成績ならばひょっとすれば逆転できたかと思うと残念だ。というリーシャの心情はクラリスとフィリスの言葉で圧殺され、咲耶に泣きついた。

 

 実際のところ。グリフィンドールの大逆転劇を除けば、運のめぐり次第で可能性はあったのだ。

 寮の得点は普段の生活態度や授業態度、成績などで細かく加減点されるが、大きな罰則を除くと、クィディッチのトーナメントの成績が点数を左右する大きなファクターとなっているからだ。

 今年のクィディッチトーナメント、優勝はスリザリン。ただし、前年度までと異なり圧倒的一強というわけではなく、本当に僅差だったのだ。

 戦績はスリザリンがグリフィンドールに敗れて2勝1敗。ハッフルパフが1勝2敗。レイブンクローが同じく1勝2敗。グリフィンドールが2勝1敗。

 1位と2位、3位と4位が同率だったのだが、その内容が大きく異なる。シーカーとして極めて優秀なハリーを擁したグリフィンドールの1敗は最終節におけるレイブンクローとの戦いによるものだ。

 最終節。学年末の試験が終わり、全力を傾けられるはずの最後の試合。しかしそこにハリー・ポッターの姿はなかった。

 

 あの試験の日の夜。

 ハリー・ポッター、そしてハーマイオニーとロンの3人は、ホグワーツに秘された何かを守るために“名前を言ってはいけないあの人”と戦ったらしい。

 ただの学生に過ぎない者たちが、イギリス魔法界の誰もが恐れる闇の魔法使いの企図を阻んだ。それがどれほどまでに勇敢な事か。

 だが、そのためにハリーは数日間昏睡状態に陥ってしまい、クィディッチ最終戦に出場できなくなってしまったのだ。

 咲耶もハリーの見舞いに行こうとしたのだが、タイミングが悪かったのか、残念ながら校医であるマダム・ポンフリーから面会の許可が下りず、今日の終業式で数日ぶりにハリーの元気な姿を目にした次第だ。

 

 事の重大さゆえ、比べるべくもないことながら、そのためにグリフィンドールは正シーカー不在でレイブンクローと対戦。結果、ものの見事に大敗を喫してしまい、得失点においてスリザリンが優勝。同時にグリフィンドールにレイブンクローが大勝したために、これまたハッフルパフは内容負け。

 

 結果、クィディッチの戦績が大きく影響する寮対抗杯においても、外部評価から言えばまあ順当にハッフルパフは最下位へと落ち着いたわけだ。

 ハッフルパフ生も、残念には感じてはいるものの、セドリックが言っていたように元々がタナボタでの3位だったのだ。ふがいなさは感じてもそれほど落胆しているような生徒は全体から見れば少なかった。

 

 ちなみに

 

 個人の学業成績ではセドリックがハッフルパフでトップ、学年では次席。

 第3学年の主席となったのはセドリックを上回る得点を上げたスリザリンのディズという少年だったそうだ。

 咲耶のルームメイトではクラリスが寮内でセドリックに次いで2位。フィリスと咲耶はまずまずの成績を残し、リーシャは魔法史を始めとした座学が壊滅状態だったが、呪文学など実技系がなかなかの成績だったことで補っていた。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

 一年を過ごした寮室はあっという間にがらんとした空き部屋へと姿を変えた。

 

「これでまたしばらくここともお別れだな」

 

 荷物を纏め終えた室内を見てリーシャが感慨深く呟いた。

 

「サクヤと次に会うのは8月のダイアゴン横丁ね」

「うん! リーシャの家、楽しみにしとるな!」

 

 夏季休暇の間、ホグワーツの寮は閉鎖され、全ての生徒は自宅へと帰る。今、生徒たちは順々に帰郷のためのホグワーツ特急へと向かっているところだ。

 次の再会を望むフィリスの言葉に咲耶は満面の笑みで頷いた。

 この夏休みにできた大切な約束。

 

 夏休みの最後をみんなと一緒に買い物をして、それからリーシャの家にホームステイする。

 

 それはどちらも、今までになかった、けれども憧れていた咲耶の大切な楽しみだ。

 

「へへへ。任しとけって! この後はサクヤ、スプリングフィールド先生とニホンに帰るのか?」

 

 嬉しそうな咲耶の様子にリーシャもお日様のような笑顔で答えてから直近の予定を尋ねた。

 咲耶自身が日本に帰ることはもうすでに聞いているが、ホグワーツ特急の終着駅であるキングスクロス駅からどのようにして日本に帰るかは聞いていなかった。

 

「リオンは用事があってそのまま魔法世界行くんやって。なんか調べたいことがあるらしいんよ」

 

 咲耶にとって残念なことに、リオンは日本には戻らず、そのまま魔法世界へと向かうらしい。

 

「あら? それじゃあサクヤ、帰りは大丈夫なの?」

「うん。ネカネさん……来る時にお世話になったリオンの親戚のお姉さんが迎えに来てくれるて言うてくれたんよ」

 

 休暇前に実家にそのことを告げると、祖父から連絡がいったのかネカネがわざわざ迎えに来てくれるという連絡を送ってきてくれたのだ。

 ちょうど来期のことも伝えたいこともあり、せっかくの好意に甘えることとなった。

 

 徐々に生徒の流れは帰宅の途につきはじめ、咲耶たちも帰りの列車が出るホグズミード駅へと向かった。

 

 

 

 来た時よりもたくさんの友人たちとともにホグワーツ特急はキングスクロス駅へと出発した。

 のどやかな風景が続く特急に揺られながら、咲耶たちはホグワーツを後にした。

 リーシャにクラリス、フィリス、ルークにセドリック。

 車内販売でたくさんのお菓子を買い込んで小さな宴会のようにして友人たちと今期の最後を楽しんだ。

 

 

 そしてキングスクロス駅。

 

「サクヤ!」

「ハーミーちゃん! よかった。ハリー君もやけどなかなか話す機会なかったから」

 

 他寮の友人であるハーマイオニーとも別れの挨拶を交わしていた。

 昏睡していたハリー同様、ハーマイオニーとロンという赤毛の少年もあの学期末の大冒険をやったらしい、とは噂に聞いていた。

 そしてその中の一人であるハリーが面会を制限されるほどの怪我をおったのだから、友人のハーマイオニーの安否が気にならないはずはない。

 だが、おり悪くというか、ハーマイオニーはハーマイオニーで昏睡しているハリーのことが気にかかり、また、前とは異なる噂が学校を駆け巡っていたために咲耶と話す時間がなかったのだ。

 

「うん。心配かけてごめんなさい」

「ハリー君は……人気者やな」

 

 素直に謝ったハーマイオニーに微笑を向け、もう一人の友人の方に視線を向けるが、どうやらそちらは何人かの生徒と話をしているらしく、囲まれていてこちらには来れそうにない。

 苦笑して咲耶はハーマイオニーの方に向き直った。

 

「せやけど、隠れて危ないことしたあかんよ」

 

 指を立てて怒っていますというようにして言った。

 思えば、グリフィンドールの大減点の時に兆候はあったのかもしれない。

 彼女が規則に関してはキッチリしていて真面目な子だというのは咲耶も分っていた。

 そして同時に優しい子であることも。

 初めて会った男の子の探し物を言われるまでもなく当然のように手伝ってあげられるほどに。

 だからこそ

 

「でも、ニホンからの留学生のサクヤを危ない目には……」

「てやっ」

 

 自分に黙って危ないことをした友達に咲耶は頬を膨らませてチョップを入れた。

 頭部に軽い衝撃を受けたハーマイオニーは目をぱちくりさせて咲耶を見た。

 

「ウチこれでも鍛えとるんやから、ちょっとは力になれるもん。友達が困っとったら助けるもんや」

 

 膨大な魔力と多少の治癒、そしてほんの少し魔法が操れる程度の技量しか今の咲耶にはない。

 それでも友達が困っていたらなんとかしたい。きっとハーマイオニーがそうだったように、咲耶とてそれは同じなのだ。

 イギリス魔法界にきて、最初にできた同性の友達。同世代の初めての魔法使いの友達。それがハーマイオニーなのだ。だからこそ大事にしたいし、困ったことがあれば力を貸したかった。

 留学生だから。日本呪術協会のお偉いさんの孫だからと、そんな理由で友達から切り離されたくはなかった。

 

 黙って危険なことをしでかしてしまった自分を怒っているらしい咲耶の様子を見つめていたハーマイオニーは、ほんのりと温かい思いを感じて微笑んだ。

 

「サクヤ……なんだか、初めてサクヤが年上っぽく見えたわ」

「むー、ぽくじゃなくて、ハーミーちゃんよりウチの方がお姉さんやもん!」

 

 東洋人らしい顔立ちに加え、純粋であどけなく見える仕草から、同い年にも、あるいは年下にも見える友人。

 ぷんぷんと怒る幼いその姿に、たしかな友情を感じた気がしてハーマイオニーは微笑む。

 

「ふふふ。そうね……サクヤ、また来年もよろしくね」

「うん!」

 

 今年はなかなか話す機会がもてなかったけれど、学校に慣れた来年にはきっともっとたくさん話せる。もっと仲良くなれる。

 二人はそんな思いと約束とを込めて、互いの世界へと戻っていった。

 

 

 

 ・・・・・

 

 

 

「うむ。うむ。そうか……ご苦労じゃったのリオン」

 

 関西呪術協会総本山。その長である近衛詠春は執務室で連絡をとっていた。連絡の相手は孫娘の護衛と仕事を任せたリオン。

 

<今回、咲耶の方は完全におまけだったが、寮の中に入られるとこっちから対処しづらい。式神でもつけろ>

 

 ホグワーツに襲撃があった。

 その報告は先だって危惧していたものではあったが、幸いにも咲耶が行ったからというものではなく、やはり件の“生き残った少年”がらみであったらしい。

 もっとも、咲耶が完全に蚊帳の外だったわけではないのは、侵入者を“消滅”させたということからも分かる。

 リオンの見解では、“生き残った少年”がらみで成果を上げるついでに、今まであまり目を向けなかった海外の魔法協会のVIPに手を出そう、くらいの意図だったのではないかということだ。

 襲撃の主旨でなかったのは幸いではあるが、やはり外からの風をいれたことにより、不要な火種がこちらに飛びそうになるのは避けられないようだ。

 まあこちらとしても、火種どころか台風を送り込む予定があるのだから、あまりぎゃいぎゃいとは出られない。

 とはいえ、そう易々と咲耶をどうこうされるつもりはない。そのためのリオン(護衛)なのだから。

 

「む~う。あまり仰々しい守りはあの娘が嫌がるからのぅ。なんとかそれとなくつけられるものはのぅ……」

 

 だが、たしかにリオンの言うように先生と生徒では、行動できる範囲が違いすぎて完全に守ることは難しい。

 今回は咲耶が狙いの主軸ではなかったために、咲耶が普段の行動範囲外にでたのを幸いと襲ったようだが、彼女が狙いの主軸になれば、咲耶の行動範囲に踏み込んでくる恐れがある。

 だが、咲耶としてはあくまでも友好の懸け橋としての役割と、彼女本人には存分に学生生活を楽しんでもらいたいという思いがある。

 そこに仰々しい護衛を張り付かせては、彼女にも彼女の友人にも変な威圧になってしまい、学生生活が楽しめなくなってしまうという懸念があった。

 

<……アレのお好みはもふもふな動物、だそうだぞ?>

「むむ……分かった。手だては考えておこう」

<ジジバカ>

 

 咲耶に甘い、というのに無自覚な男と自覚している老人は、それとなくつけられそうな護衛の選定をこっそりと進めた。

 無自覚な方は、学期中に咲耶が語っていたペットブームを思い出して告げてみたが、想定以上に真剣に考えだした老人の声に呆れたようだ。

 

「なにか言ったかの?」

<いいや。ああ、それと貴様。ホグズミードとかいうやつのこと。あの面倒なのは何の差し金だ>

 

 どうやら聞こえたらしい呟きに反応した詠春に、リオンは学期中ねだられた遊びのことを思い出して問い詰めた。

 

「うん。楽しめたじゃろ? せっかくの機会だというのに、そうでもせんとお主のことじゃからデートの一つもせんと思ってな」

<ジジイ……次また同じことやったら本山ごと氷漬けにするぞ>

 

 問い詰めたものの、やはり予想していた通りの理由にリオンはドスの利いた声で脅しかけた。

 今頃、通話の向こうでは青筋を浮かべて周囲にダイヤモンドダストを撒き散らせていそうだ。

 

「ほっほ。分かった分かった。次はちゃんと許可を出しとく。それでお主の方は夏休みどうするんじゃ?」

 

 予想通りの反応に気を良くしたのか、長は好々と笑いながら、次はどんな手にしようかと考えつつ確認の質問をした。

 一応魔法世界に行くらしいというのは孫から連絡を受けているが、今度の目的とどれくらいかかるかは気に留めておきたいところだ。

 

 からかわれていることは分かっているのだろう、だが迂闊に突けば泥沼に入りそうなことを察知してかリオンはどうしてくれようかと返答に間を空けた。

 

<……ちょっと筋肉バカに借りがあるんでな。魔法世界でその借りを返しに行くついでに、“白薔薇”の確認に行く>

 

 結局、素直に目的を話してくれた。

 どうやら長の旧友に用があるらしい。そして同時に“白薔薇”を見に行くということは、魔法の研究か懸念事項の確認か。

 

「む? そうか、ヨーロッパ方面の動向で少し気になることがあったんで調べて欲しかったんじゃが……」

 

 だが、こちらにもリオンに調査してもらいたい懸念事項があったのだ。

 

 ヨーロッパの旧世界魔法族がらみの件で。

 

<知るか。そういうのはタカユキにでも言え>

 

 だが、残念ながらそちらに動く気はないらしい。

 リオンは数少ない友人の名を出してそちらに押し付ける気満々だ。

 

「あまりタカユキ君に仕事を頼むのも関東魔法協会の手前控えたいんじゃよ」

 

 リオンがかつて共に修行した友人でもあるタカユキ・G・高畑(・・)

 だが、彼はリオンと同じく関西呪術協会の所属ではなく、しかもフリーのリオンとは異なり関東魔法協会に所属しているエージェントだ。

 今ではもう関東との対立はなく、というかそんなものをしているどころではないのだが、流石に多忙な彼に負担を押し付けるのも気が引ける。

 

<おいジジイ。俺はお前の使いっぱしりになった覚えはないぞ>

 

 だがどうやら詠春の返答は、聞きようによってはリオンなら使い勝手よく仕事を頼めるともとれてしまい、冷え込んだような声音で念を押された。

 

「分かっとる分かっとる。じゃが……咲耶と一緒に居たことで随分研究は進んだのではありませんか、リオン?」

 

<…………>

 

 好々爺の長から紅き翼の詠春へ

 問いかけに対する答えはない。だがその沈黙が半ば答えのようなものだ。

 

「やはり、やるつもりなのですか……?」

<当たり前だ。貴様らにとっても懸念材料が一つ消えるだろう? 心配せずとも貴様の孫に危害は加えん>

 

 リオンがやろうとしていること。

 それは人の道においては最大級の禁忌。

 だが、“正義の”魔法使いとしては悲願とも言うべき願い。

 いずれの思いとも異なるものの、それを為そうとするはまぎれもなくリオン(福音の子)の願い。

 

 詠春の問いにリオンは感情の見えない声音で返答した。

 

<調べものはタカユキにやらせろ。ちょうどイギリス魔法省に用事があるみたいだからな>

 

 拒絶するような威圧。

 リオンもただ友人に厄介事を押し付ける心づもりなわけではないらしく、当のタカユキもヨーロッパ方面に用があることを告げた。

 関西と関東。旧世界と新世界の組織の違いはあるものの、どちらも世界の安定のために動いているのだ。

 そして長が頼もうとしたのは、まさにその世界の安定のためのこと。

 イギリス魔法省に用事があるということは、リオンが調査に乗り出すよりもたしかにやり易いかもしれない。

 次の言葉を述べる前にリオンは一方的に通話を切った。

 

 通話が切られて話す声がなくなった室内で詠春は顔に切なさを浮かべて俯いた。

 

「そういう意味ではないんですよ、リオン……」

 

 たしかに詠春にとって咲耶は大事だ。

 だが、咲耶の思い人であり、スプリングフィールドの名を冠する彼もまた詠春にとって大切な子供のようなものなのだ。

 

 彼がやろうとしていることの切なさを知っているがゆえに、その心中を思い、詠春は瞳を閉じた。

 

 

 

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 ・・・・・・・・・・・・・・・・

 

 

 

 

 

 

【始まりの想い】

 

 

 見下ろす視線の先に小さな少女が寝息を立てていた。

 

 真円を描く月は、もう幾ばくもなく頂点へと到達し、同時に少女は10歳の誕生日を迎える。

 細やかな金紗の髪。

 白く絹のような肌。

 あどけない寝顔。

 無垢で純粋。

 何十年も続く戦乱の中にあって、城に住まう少女はまるで人の業など知らぬかのごとくに眠っている。

 

 目が覚めたとき、自分がすでに人ではないと知ったとき、この少女はどんな反応を示すのだろう。

 私を憎悪するか、呪うか。自らを受け入れて共に歩んでくれるか。

 

 この少女が私の為すことを理解してくれるかどうかは分からない。

 

 

 

 きっかけは、居場所を与えたかったからだったと思う。

 他者にはない異能を持ち、阻害され、疎まれ、崇められることに倦み、迫害される。そんな同朋たちに居場所をあげたかった。

 同朋たちが、新たなる世界で暮らし、人を愛し、命を育み、人を憎み、死んでいくその営みをずっと見守っているつもりだった。

 

 だが、千年が経ち、二千年が経ち、一人でいることに疲れてしまった。

 愛すべき人が生きているのを遠くから見守るだけの生に疲れてしまった。

 

 眠りについて、起きたときに一緒にいてくれる存在を求めてしまった。

 不滅と対になる不死。

 その存在になってほしかった。

 私とともに永遠を生きる者。

 

 愛しき娘。永遠の子猫。

 

 永久に私の傍にいてほしい。

 

 

 

 エヴァンジェリン・アタナシア・キティ・マクダウェル……

 

 

 

 


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