鳥竜種な女の子   作:NU

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第32話 出発前夜

「…………はあ」

 

 月明かりが照らすランの部屋。ランは濡れた髪を拭きながら、物憂げな眼差しで満月を眺めていた。

 

 せっかく村長にも認めてもらって、こそこそ隠れて生活する必要がなくなったというのに、レンドは唐突に現れたハンターの少女にかまけてばかりだ。ついさっき会ったばかりだと言う割には、やけに仲良さげに言い合いをしたり談笑したりしている。

 それに、明日の朝には彼女と共にベルブルッフという村へ出発してしまうそうではないか。

 

 気が気でなかった。人間になってからもう半年近くが経ち、人間の感覚も次第に理解し始めている。あの少女はかなり可愛い部類に入るだろうことは分かっていた。そんな美少女とレンドが仲睦まじく話していることに、焦りを覚える。

 

「……ランさん?」

 

 階段を上がってきたスノアが、そんな彼女に声をかけた。

 彼女の腕には、先ほど買って貰ったばかりの子供向けの本が大事そうに抱えられている。

 

「どうされたのですか?」

 

「いえ……なにも」

 

 首を振ったランに、スノアは不安そうに眉を曲げた。しかし何も言わずに、ランの隣のベッドに腰掛ける。部屋数の都合上、二人は同室ということになっていた。

 ランは柔らかい笑顔を作って、スノアに問いかける。

 

「ライズ村はどうでしたか?」

 

「話で聞くよりもずっと素敵な場所ですね。ここなら楽しく過ごせそうです」

 

 氷のような無表情を少しだけ緩めるスノア。まだ商店街の周りを見て回っただけではあるが、ライズ村をかなり気に入ってくれたようだ。

 

「また明日、どこかへ行きましょうね?」

 

「……本当ですか?」

 

「ええ……と言っても、私もあまり家の外に出たことはないんですが」

 

 ランは恥ずかしそうに笑った。

 

 

 

「ああ……生き返るわ」

 

 湯船に浸かったアルチアは、気持ち良さそうに息を吐いた。ここ数日は冷たい水でしか身体を流すことができなかったので、芯まで冷え切った身体が溶けていくようだった。

 彼女の手足には無数の包帯が巻かれている。白い素肌にも線のような切り傷の痕が見て取れた。包帯はバサルモスとの闘いで負傷したもので、傷痕に至っては二度と消えることはないものだ。

 いくら年頃の少女とはいえ、ハンターである以上、この程度の傷は覚悟しなければならない。

 アルチアは悔しげに奥歯を噛んで、人知れず決意する。

 

「…………何とかハンターも見つけられたし、今度こそ見返してやるわよ」

 

 

 

「……何で着替えすら持っていないんだ」

 

 彼女が防具の下に着るインナーしか持ち歩いてないと言うので、レンドは仕方なくケレスから借りた服を持って脱衣所へと向かっていた。少々胸のあたりの布が余るかもしれないが、そこは我慢してもらおう。

 

「おーい、いるかー?」

 

 脱衣所の仕切りまで来たところで、レンドは過去の反省を生かして事前に声をかける。

 返答がなかったので、安心して仕切りのカーテンをくぐった。いつまでも成長しない彼ではない。

 

 湯気の立つドアの向こうからは、アルチアの鼻歌が聞こえてくる。彼でも知っている有名な曲だった。

 盗み聞きはよくないな、と脱衣所を後にしようとした瞬間、ガチャリと風呂場のドアが開いたので背筋が凍りついた。

 

「…………」

「…………」

 

 溢れる白い湯気の中、両者はしばらく硬直する。

 濡れた赤髪から垂れた水滴が、線の細い身体に伝って床を濡らす。

 鼻歌が途切れて、同時にアルチアの顔が桃色に染まっていく。

 

 どうして出る前に確認しないのかとか、どうしてすぐに逃げないのかとか、様々な疑問がレンドの頭を駆け巡るが、あまりの衝撃に身体が動いてくれない。

 

「…………っ!!」

 

 アルチアはじわりと涙を浮かべたかと思うと、身体を必死で両腕で隠しながら床にしゃがみ込んだ。

 

「ば、ばばバッカじゃないの!? 早く出て行きなさい!!」

「ご、ごめんなさい!!」

 

 それよりも風呂場のドアを閉めてくれとレンドは叫びたかったが、そんな余裕はなく、周囲のものをなぎ倒しながら脱衣所から脱出した。

 

 

「……絶対に呪われてる」

 

 リビングに避難した彼は、天井を見上げて呟いた。

 

 これで何回目だろうか。それに今回は反省を活かして、事前に声かけまでしたはずだ。鼻歌を歌っていたアルチアが気付いていないことまで想定しておくべきだったというのか。

 

 しかし、今回は今までとは決定的に違う部分がある。

 それはアルチアが裸を見られたことに羞恥心を感じたということ。

 それは当然の反応なのだが、今までとは違う「女の子」の反応に心臓が嫌な音を立てている。

 

「あー!! 俺は最低だ!!」

 

 ガンガンと床に頭を打ち付けるレンド。

 それでも余分な肉の付いていない白い素肌や、ちょっとだけ控えめな胸の膨らみは、記憶にこれでもかと焼き付けられてしまっていた。

 

 

 

 数分後、服を着たアルチアに土下座をした彼は、なんとか許しを得ることができた。

 

「ま、まあ、確認しなかったあたしにも非はあるし?」

 

 まだ腕で身体を隠すようにしながら、アルチアは椅子に座ってレンドを見下ろす。強がってはいるが、涙目な上に顔を真っ赤にしたその表情は、レンドの罪悪感をいっそう掻き立てる。

 

「というか、土下座なんてやめてよね! 大袈裟よ!」

 

「……すまない」

 

 顔を上げて正座するレンド。アルチアは居心地悪そうに視線を巡らせながら。

 

「でも……あたしの裸を見た責任はいずれ取ってもらうから」

 

「せ、責任……?」

 

 不穏な響きにレンドは緊張を高める。いったいどんな責任を取らされるというのだろうか。

 アルチアはふんと鼻を鳴らすと、足取りも荒くリビングを出て行く。

 彼女の去った後には石鹸の良い香りだけが残っていた。

 

 

 

「……先ほど、なにやら騒がしかったようですが」

 

「……なんでもないんだ。気にしないでくれ」

 

 ソファで項垂れているレンドの元にやって来たのはスノアだ。彼女もお風呂に入ってきたのだろう。少し癖っ毛の銀髪が今はしっとりとまとまっている。それにいつもに増して甘い香りを漂わせていた。

 右腕に抱えているのは、レンドが彼女に買ってあげた子供向けの本。

 

「……これを読みたいのですが、隣に座ってもよろしいでしょうか」

 

「ああ、いいぞ」

 

 では失礼して、とソファにちょこんと腰かける。もともと大きくないソファなので、かなり密着してしまう。

 栞を挟んだ箇所から読み始めるスノア。まだ最初の数ページしか読めていないようだ。彼女の表情は真剣そのもので、つい微笑ましくなる。

 

 平和に流れる穏やかな時間。先ほどまでのいざこざも忘れて、レンドはついうとうとする。長旅の疲れも溜まっていた。目を閉じたら今にも眠ってしまいそうだ。

 隣を見れば、スノアもこくこくと前後に船を漕いでいる。彼女も疲れているのだろう。

 小さな身体がふらっと揺らいで、レンドの膝に倒れてくる。

 いわゆる膝枕をする形になった。手から離れた本が絨毯にバサリと落ちる。

 

「……こうして見ると、普通の女の子なんだけどな」

 

 濡れた髪をそっと撫でてあげると、スノアはきゅっと身を縮めた。

 年端もいかない女の子にしか見えないのに、その実は元モンスターという数奇な運命を背負っている。そして彼女たちがこの先どうなるかは、全て彼の手にかかっていた。

 

 まずはできることから。

 そのために明日、アルチアと共にベルブルッフ村へ旅立つのだ。

 

 

 

 夜が明け、ライズ村にも新しい朝がやって来た。

 

「さあ、出発するわよ!」

 

 赤髪を穏やかな朝風に靡かせながら、アルチアは意気揚々と宣言する。

 

 しんと澄み渡った空気が心地良いライズ村の早朝、遠い東の空が薄っすらと白じんでくる時刻。二人の狩人の姿は自宅前にあった。

 昨晩と同じくレイアシリーズを身に纏うアルチアは細い腰に右手を当て、遠くに連なる山々を真剣な眼差しで見つめる。

 そこには彼女のただならぬ決意と覚悟が溢れていた。

 

 その一方でまだ眠そうに目を擦るレンドは、旅支度を竜車の荷台に積み込む。

 今こうしている間にもベルブルッフ村は危険に晒されているかもしれないのだ。悠長に疲れを癒している暇はない。

 

 ランたち三人は玄関前に並んで彼らを見送ろうとしていた。

 今さっき目を覚ましたばかりなので、まだ全員が寝間着姿だ。髪も櫛が入っていないためか、あちこちがぴょんと跳ねていた。

 

「お土産よろしくね〜」

 

 ケレスは緊張感なく言って、レンドにひらひらと片手を振る。彼は呆れたように苦笑する。

 

「おいおい、遊びに行くんじゃないんだぞ」

 

「え〜、ちょっとくらい良いでしょ〜?」

 

  分かった分かった、とレンドはまだねだってくる彼女を軽くあしらいながらスノアに向く。

 

「何か分からないことがあったらランかケレスに訊いてくれ。俺もできるだけ早く戻ってくるから」

 

「……はい、分かりました」

 

 まだ人間の暮らしに慣れていないスノアを残すことには一抹の不安が残る。

 ランとケレスもひと通りの生活は可能だが、それでもまだ慣れているとは言い難い。

 いざという時にはミリィに頼ることを教えてあるので、それを期待する他なかった。

 天真爛漫で感情が高ぶりやすいミリィだが、レンドが彼女に置いている信頼は大きい。

 

 彼は最後に、まだ夢を見ているかのように、ぼうっと虚空を見つめているランを見据える。

 この時間だしまだ眠いのだろう、と優しげに微笑みかけながら、彼女の頭にそっと手を乗せた。

 するとランは電気が走ったかのように、瞬間的に後ずさってしまう。まるで怯える小動物のような彼女の様子に、レンドは疑問を抱く。

 

「どうしたんだ? やっぱり最近、ちょっと変だぞ」

 

「……な、なんでもありません」

 

 しかし目を合わせないまま、ランは話そうとしなかった。

 その耳が赤く染まっていることに、レンドは気がつく。

 

「……気をつけて行ってきてくださいね?」

 

「ああ、気をつけるよ」

 

 両者の間に流れる何となくもどかしい空気に、アルチアは事情を察したように「ふーん」と目を細める。

 

 

 そんなことも知らずにレンドは荷物を積み終え、自身も荷台に飛び乗るとアプトノスの手綱を掴む。出発の時間だ。

 アルチアも荷台の後ろ側に腰掛け、両足をぶらぶらと宙に揺らした。

 まだ不安げに人差し指を突き合わせているランを見て、ふっと笑うと柔らかい声色で言った。

 

「ま、このあたしがいればなーんの心配もいらないわよ」

 

「……お願いします」

 

 素直に頭を下げるラン。アルチアは一瞬だけ戸惑いを見せた後、「ええ」と歯切れ悪そうに返す。

 

 レンドの合図によりアプトノスは歩き始める。

 

 徐々に遠ざかっていく家と少女たちの姿を、アルチアはどこか寂しそうな瞳で、それが遠く見えなくなるまで見つめ続けていた。

 

 


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