鳥竜種な女の子 作:NU
「ダンさん、これからどうするつもりにゃ?」
レインに尋ねられたダンは物憂げな表情で視線を落とすと、顎髭を触りながら唸った。
何やら騒がしかった客人たちも寝静まったのか、窓を揺らす風の音だけが聞こえる居間。天井のランプも消され、暖炉の火だけがその周りを温かな光で照らしていた。
「あの子がスノアってことは信じるしかないにゃ。でも、あの客たちはどうも胡散臭いにゃ」
「レイン、何度も言わせるんじゃない」
窘(たしな)められ、しゅんと肩を落とすレイン。
しかしその表情から未だ疑いの色が消えることはない。
突然この家に押しかけ、突然ギアノスを女の子に変えてしまう。確かにレインの物言いももっともだ、と思う部分もダンにはあった。
しかし、どうしてもあの客人たちが悪人には見えないのだ。元モンスターの無邪気な女の子と、ただ彼女たちに振り回される青年のようにしか見ることができない。何か企んでいるようには到底思えなかった。
そして問題はもう一つある。スノアの今後についてだ。
今までは怪我が治ったら雪山に帰すつもりだったが、こうなってしまった今それは不可能だ。だとすればここで暮らすしかない。しかし、出処不明の少女を村人たちが不審に思わないはずもなかった。
それに老体である自分はこの先長くはない。スノアが一人になった時、路頭に迷ってしまうようなことは絶対に避けなければならない事態だ。なら彼女をこの村に置いておくのは決して良い判断とは言えない。
選択肢を増やそうとすれば、ない事もない。しかしダンにそれを選ぶことは忍びなかった。スノアにとっても、彼らにとっても。
故に今すぐ判断を下すことは難しい。ダンはレインを見下ろして、小さく頷く。
「まずは様子を見よう。彼らも、もうしばらくは村に留まるだろうから」
「……分かったにゃ」
渋々といった様子で居間を出て行くレイン。残されたダンは嘆息して、天井を仰ぐ。
彼らが村を去るまで、それほど時間があるわけではない。それまでに、何とかして決めなければならなかった。
「……どうするべきなのか」
ぽつりと呟いて、ダンも寝室へと向かう。
既に遠くの空は白んで、朝日が登ろうとしていた。
「ん、うぅ……」
まだはっきりしない頭を右手で押さえながら、レンドはゆっくりと布団から身を起こした。
昨夜は色々ありすぎて記憶がはっきりしないが、ほとんど睡眠をとれていないのは確かだ。窓の外には日が昇り、白い光が部屋の中に差し込んでいる。
彼の寝ている布団から離れた位置にはベッドが二つ並べてあり、ランとケレスが眠りについていた。同じ部屋で男が寝ているというのに、一切気にも留めていないその無防備さに呆れてしまう。
壁を見据えたまま、どうしようかと腕を組んで考える。このまま二度寝してしまうと、昼頃まで寝てしまいそうだった。それなら多少眠くても今起きておいたほうが良いだろう。
レンドは「寒い寒い」と呟きながらゆっくりと布団から出ようとして、
出られなかった。
「ん?」
腰の辺りで何かが引っかかっているような感覚がある。両手を布団について離れようとしてみるが、思った以上の力に引っ張られる。
「……」
何か悪い予感を抱きながら、自身の下半身を覆っている掛け布団を取り払う。
––––そこではスノアが丸まりながら、レンドの服の裾を掴んで眠っていた。
「……」
そっと布団を掛け直す。
「何だろう……このデジャヴ」
確か以前にもこんなことがあった気がする、と村にいる幼馴染の顔が浮かぶ。しかし今回はスノアがランよりも更に年下に見えるということもあってか、それ程取り乱すことは無かった。一応そういった趣味は無いと自負しているつもりだ。
小さく寝息を立てて眠るスノア。少しウェーブのかかった銀髪が布団に広がっている。その姿は幼いながらも神聖な美しさのようなものも漂わせているように見えた。
眠気の中でしばらくその触れることすら躊躇わせるような光景に見惚れてしまうレンド。しかし首を横に振って正気を取り戻す。
「とりあえず、このままじゃマズイよな」
どうしてスノアが同じ布団に寝ているのかは分からないが、それを考えるのは後回しだ。このままではあらぬ疑いをかけられかねない。
そっとスノアを起こさないように、服の裾を掴むその細く小さな指を一本一本剥がしていく。
「んっ」
途中小さく声を漏らすスノアに緊張を高めながらも、ようやく全ての指を離すことが出来た。
そっと布団から出て、緊張の糸を解くレンド。そのまま足音を立てないようにそっと部屋を出た。
「……おはようございますにゃ」
レンドがダイニングに向かうと、パンを長いナイフで切っているレインが何故か不機嫌そうに挨拶した。
「お、おはようございます……」
レンドも思わず萎縮しながら返して、目を丸くしながら端っこの席に着く。
やはりこのアイルーは未だレンド達に対する不信感を抱いているらしい。それは仕方ないと分かってはいるが、昨日にも増して不機嫌なその様子に自然と背筋が伸びてしまう。
時計を見ると既に昨日教えられた朝食の時間は過ぎている。しかしダイニングには部屋で眠っている三人はともかく、ダンの姿も無かった。
落ち着きなく視線を巡らせるレンド。そんな彼に、レインがパンを切りながらぼそりと呟く。
「……このロリコンが」
「…………はい!?」
聞き捨てならない言葉に、レンドが驚愕する。
どうしていきなりとんでもない罵倒語を言われたのか理解出来ないレンドに、レインがナイフを置いて言葉を続ける。
「誤魔化しても無駄にゃ。昨日風呂場を覗いた挙句、スノアと同じ布団で一夜を過ごしたことは知っているにゃ」
「はぁ!? なんだそれ!? 俺がいつ風呂場を覗いたって」
ふとそこで忘れていた昨夜の光景が急にフラッシュバックのように蘇る。
「そ、そういえば!」
カァッと赤面するレンド。レインが勝ち誇ったように口角を上げる。そしてどこからか木刀を取り出して、それを両手に構えた。
「スノアに手を出すなんて本当ならこれで叩き起こしてやるところだったのに、昨夜はダンさんに止められてしまったにゃ……でも今はダンさんはいないにゃ」
身の危険を感じ、レンドは慌てて弁解する。
「ちょっ、誤解だって! どんな形であれ風呂場を見たのは事実だけどさ! スノアが布団にいたのは俺だって本当に朝起きて驚いて」
「問答無用にゃ!」
声を上げて跳躍するレイン。レンドは弾かれたように椅子から転げ落ち、壁際に逃れる。しかしレインは空中で木刀を振り上げて、
「ぐにゃっ!」
が、その首根っこが何者かの手によって掴まれ、レインの手足は虚しく宙に揺れた。
「危ないです」
レインの首根っこを掴んだのはスノアだった。ランの寝間着を服に着られるようになりながらも着て、無表情のままで立っている。彼女の後ろにはランとケレスが立っていた。ランは苦笑して、ケレスは欠伸をしながらぼうっとしている。
悔しそうに項垂れるレイン。レンドとしては飛び出したアイルーを首根っこを掴んで止めたスノアの力に驚いていたが、ケレスとランの力を考えれば納得出来る。
「ありがとう。助かったよ」
「いえ」
やはりすぐに目線を落としてしまうスノア。
「こちらこそ昨夜は部屋を間違えてしまいました……お手洗いに行って部屋に戻る時に寝ぼけていたみたいで」
「あ、いやうん気にしないで」
どうやらお手洗いのことなど人間にとって必要最低限の知識は、レンドが気を失っている間に教わったらしい。
––––それはともかく部屋を間違えたのは未だしも布団に入って来るのは勘弁して欲しかったな、とレンドは後ろ頭を掻く。
「あの……ところでダンさんは」
レインを解放したスノアが不安そうにダイニングを見渡しながら訊く。レインは木刀を渋々片付けながら答えた。
「あぁ、ダンさんならさっき出かけて行ったにゃ。そろそろ帰ってくると思うにゃ」
こんな朝からどこへ行ったのだろう。レンドは疑問に思うが、考えても仕方ないので改めて席に着く。ラン達もそれに習ってそれぞれの席に座った。
手際よくパンやハムをそれぞれの皿に並べていくレイン。レンドの皿にだけやけに割り振られる量が少なかったが、隣のランが自分の分を「多いので」と言って移したので、結局はレンドの皿が一番多くなった。それを見たレインは悔しそうに唸る。
どうやら本格的に目の敵にされているらしい、とレンドは心の中で嘆息した。風呂や今朝のスノアに関しては完全に誤解なのだが、どう弁明したものかとパンを千切りながら思案する。
黙々と全員が食べ進めていると、玄関のドアがベルの音と共に開いたので、全員の目線がそちらに集中した。
「今戻った」
マフモフを身に纏い、肩に雪を積もらせたダンが家に入ってくる。それを見たスノアの表情が一瞬、パッと明るくなった。
彼の肩には何やら麻袋が下げられていて、それを玄関に下ろすと顔を上げてスノアに微笑みかける。
「近所の家から色々と貰ってきたんだ。食事を終えたら開いてみなさい」
「はい」
ダンはそれだけ言って肩の雪を払うと、奥の部屋へと入っていった。
スノアのために何かを貰いに出かけていたのか、とパンを咀嚼しながら納得するレンド。スノアは慣れない食事に苦戦する様子を見せながらも必死に食べ進めていた。ちらちらと袋に目線を向けているところを見ると中身が気になって仕方ないようだ。
常に落ち着いている物言いをする彼女だが、こうやって見ると年相応の女の子なんだなと微笑ましく思う。昨夜の幻想的な光景が頭に過(よぎ)り、そのギャップに苦笑してしまった。
「なるほど」
食事を終えたスノアの右隣からその中身を確認すると、その大部分は彼女の服が占めていた。おそらく近所の家で使わなくなったものを分けてもらったのだろう、と推測する。いったいどんな説明をしたのか気になるところだ。
セーターやズボンはもちろん、子供向けの下着までもある。それも上下だ。必要なのかな、とちらりとその凹凸の少ない胸に目を向けかけて、思いとどまった。
パジャマの袖を余らせたスノアは興味津々といった様子でそれらを眺めている。その中から薄手のシャツを取り出すと、何を考えたのかパジャマの裾に手をかけて勢いよくそれを脱ぎ捨てた。
「ちょっ」
身を仰け反らせて顔を逸らしたので直視は避けられたが、可愛らしいお腹とおへそはしっかりと目に焼き付けられてしまった。
こんな年端もいかない少女の身体を見たところでレンドにそういった趣味はないのだが、それとこれとは話が別だ。ランは目を両手で抑えて何やら悶えているレンドを不思議そうに見つめていた。ダイニングにいるレインが喚(わめ)く声が聞こえてくる。
シャツに着替え終えたスノアは、満足そうに口元を緩めた。袖はぴったりと手首に合っており、首回りも問題ない。レンドもようやく目隠しを解いて、その姿を見ることができた。
ただこれでは下着を着けていないことになる。そういった部分は後でランに任せることにして、レンドはこの場を離れようと立ち上がった。ダイニングを見据えてみるとケレスがテーブルに突っ伏して眠っているのを見つけたので、呆れ顔になる。
あれではまだスノアの方が大人かもしれない。
「……」
これからスノアはどうするのだろう。レンドは再び彼女に視線を落とし、昨夜も抱いたその問題に考えを巡らせる。
ダンがこの服をもらってきたということは、この家で暮らすことをダンは考えているのだろうか。
一度、二人で話し合ってみよう。心の中でそう決めると、今度はズボンにも手をかけだした彼女から逃れるようにレンドは客間へと向かった。どうも、あの子たちには恥じらいを教える必要があると密かに決意する。
「レンドくん」
客間のドアを開けようとした時、声をかけられたので振り向くと、マフモフを脱いだダンがそこに立っていた。僅かに緊張を高めながらレンドは尋ね返す。
「なんですか?」
「スノアのことで話があるのだが」
やっぱりか、と予想通りの返答にさらに気を引き締める。
二人で話し合う機会は意外にも早く訪れたようだ。
廊下に人影のないことを確認してから客間に入り、その中央に座って二人は対峙する。
ダンは鋭い目つきでレンドを捉えて離さない。その眼光に恐れすら抱いてしまうレンド。いったい何を言われるのか、生唾を飲んで彼の言葉を待つ。
まさか昨夜、一緒に寝ていたことか。それとも身体を見てしまったことか。睨まれていることによってそんな考えばかりが浮かび、いつの間にか『スノアのこれからについて話す』という発想が彼の脳内からは消え失せていた。
「ご、ごめんなさい」
「どうして謝るんだね?」
訳も分からず謝ってしまったレンドに、ダンが目を丸くする。その反応にレンドも拍子抜けしたようにポカンとする。
ダンはふぅ、と息を吐くと、意を決したように口を開いた。
「実は一つ、君に相談があるんだ」