鳥竜種な女の子 作:NU
「い、生きてる……のか?」
砂上に一頭のゲネポスが今にも息絶えそうになりながら倒れていた。
レンドは困惑しながらも、その隣にしゃがむ。
どうしてここに倒れているのだろうか。見た所怪我はしていない。それに集団で行動するゲネポスがこうして一頭で倒れている事も珍しい。茶褐色の鱗が、浅い呼吸と共に上下していた。
「……水飲むかな」
水筒を取り出し、その口に当ててみる。しかしその口は固く閉じられていて開かない。続けてポーチから後で焼こうと思っていた生肉を取り出し、ゲネポスの口元に置いてみる。しかし反応する気配は無い。本当に死にそうなのだろう。
頭の中に、ランがこうして死にそうになっている光景が浮かぶ。それを考えると出来る事なら助けてあげたかった。
「……だめか」
だが、希望は薄い。レンドはその体の鱗に一瞬だけ触れて、
刹那、尋常ではない衝撃が体に走った。
一瞬にして視界が光に染まる。
薄れる意識の中で、レンドはこの感覚を以前に一度経験している事に気がついた。
そう、この感覚は。
「う……うぅ……」
一体どれほどの間気を失っていたのだろうか。レンドは自分が前のめりに倒れている事に気が付いた。頭がガンガンと痛み、目の奥で火花が散っている。目を開ける事が出来ない。彼は何か温かいものの上に顔を押し付けていた。左手を動かし、丁度あった出っ張りを掴む。
むぎゅ、と柔らかい感触がした。
「ん!?」
それに弾かれたように目を開ける。レンドは何か肌色のものに頭を乗せていた。目線の先には呼吸と共に上下するへそが見える。それに背筋が寒くなるのを感じながら、恐る恐る体を起こし、自分の左手がある場所を確認する。
レンドの左手は、見事に女性の柔らかい胸部を掴んでいた。
「うおっ!?」
慌てて手を離す。後ろ向きに尻餅をつき、自分が覆い被さるように倒れていたものの正体を確認する。
少女だった。
そしてレンドが頭を乗せていたのは彼女の腹部であり、彼が左手に掴んでいたのは言わずもがな。
サーっと血の気が引くレンド。少女が「ん……」と苦しそうに声を漏らす。
そう、レンドが襲われたあの衝撃は彼の運命が大きく変わった時と同じものであった。
そして今この瞬間、彼の運命は更に動き始めようとしている。
彼がランと出会ってから既に三ヶ月もの時が経過していた。
ランの傷も人間とは思えない程に早く、いや完全な人間ではないのだが無事に完治し、またレンドとの生活を送っていた。最近では掃除などの家事も手伝ってもらうまでになっている。
そして彼は今、自身のハンター修行の意味も込めてこの砂漠へとクエストをこなしにライズ村から出張してきていた。砂漠の近くにある中規模の街、ヴェールに拠点を置いてここ何日か活動を行っている。
今日のクエストは砂竜のキモの納品。珍味としてもまた万能薬としても需要の高いそのキモは良い収入源となる。また、ガレオスと戦う事で自身の能力を高めようとする狙いもあった。
そして砂漠を彷徨っているうちに、地面に倒れている何かを見つけ、今に至る。
漸く決心し、レンドは恐る恐ると少女に再び近付く。
歳は十六、十七程度だろうか。ランよりも少しばかり大人びている印象を受ける。髪は明るい茶色。その色はどこかゲネポスのトサカを思い起こさせる。肌は砂漠に生息しているからなのかうっすらと日に焼けていた。そして、自己主張の激しい二つの膨らみ。思わずレンドは先程の感触を思い出してしまい、慌てて目を逸らした。––––ランとレベルが違う。そんな失礼な考えをした自分を頭の中から追い払う。
彼女はランの時と同じく鱗に似たインナーを身に着けていた。もしこれが無かったならばレンドは助けようとするどころじゃなかっただろう。
「……お、おい、大丈夫か?」
ランの時の事もあるので警戒しつつ声をかける。しかし少女は小さく唸っただけで口は開かなかった。いや、開けないのだ。既にかなり衰弱している。
「とりあえず……」
水筒の蓋を開け、躊躇いながらも覚悟を決めて口を開かせ、無理やり飲ませる。ちゃんと喉が動き、飲む事が出来た。それに一安心しつつ、続けてポーチからもう一つのアイテムを取り出す。白いビンの蓋を開け、水と同じように飲ませてやる。
そうして暫くすると少女は長いまつ毛を携えたその目をうっすらと開いた。
「にん……げん……?」
「ああ、そうだ」
虚ろな目でレンドを見つめる。だが暫くすると漸く状況を理解して大きく目を見開いた。
「あ、あれ!?」
バッと体を起こす。しかし力が入らずすぐに後ろ向きに倒れてしまった。その直前にレンドが慌てて受け止める。レンドが少女を膝枕する形になる。
「動かない方がいい」
「えっ、だっ、て……え? どういう、こと?」
自分が人間になっている事に気がついたのだろう。明らかに意味が分からずパニックに陥っている。ランの時と同じだ、と思いつつレンドも今後の事を考えてため息をついた。
いったいこの現象はなんなのだろうか。一回のみならずまた起こるとは、思ってもいなかった。とりあえず分かるのは、この少女をここに置いておくわけにはいかないという事だけだった。
「……あの」
数十分後、ようやく冷静さを取り戻した少女の姿があった。岩壁に寄り掛かってちびちびと携帯食糧を食べながら、口を開く。近くでクーラードリンクの調合に励んでいたレンドがその声に振り返る。
先程の場所から少しばかり離れた岩場の陰にレンドと少女は移動してきていた。水とクーラードリンクを飲ませたところ、なんとか体調も回復してきたので、今は少しずつ携帯食糧を与えているところだ。
「……これどういう事?」
「俺に訊かれても困る」
正直にそう答えると少女は意味が分からないと言いたげな顔をした。意味が分からないのはレンドも同じである。
レンドは起きている少女の姿を見ていると、やはり鳥竜種には美少女しか居ないのかと思えてきた。つり目がちなぱっちりとした目。大人びながらも少女特有のあどけなさを残した顔立ち。健康的に少し日焼けをした肌。明るい茶色の髪は肩にかからない程度のショートカットだ。そして何よりもそのスタイル。レンドは正直先程から目のやり場に困って仕方が無かった。
「ってかさ、あなたは驚かないわけ?」
唐突に少女がそんな事を言った。何が? と首を傾げるレンドに苛立つように続ける。
「モンスターが人間になって、なんで驚かないわけ?」
「あ、いや俺これ見るの初めてじゃないし」
え? と今度は少女がぽかんとする。
「別のモンスターが人間になったの見たことあるし……一緒に住んでるし」
「え、ええ……? 何それ。これってそんなメジャーな現象なわけ?」
メジャーではないが少なくとも前例はあった。何やらぶつぶつと考え込む少女を見てレンドも一つの疑問を抱く。
「そっちこそ、人間になったのにやけに落ち付いてないか?」
「え? いやいや落ち付いてないし」
確かに困惑してはいるが、仮にもモンスターなのだからレンドを襲ってもおかしくは無かった。あのランでさえも最初は襲ってきたというのに、この少女はそんな素振りは見せないままにこの運命を受け入れているように見える。
「いやー、まさか人間になるとはね」
受け入れるどころか、その目は希望に輝いているように見えた。口元は嬉しさを隠しきれずにうずうずと動いている。
「……もしかして」
調合し終わったクーラードリンクを地面に置き、
「前から人間になりたかったとか?」
「……よく分かったね」
やっぱりか、とレンドは頭を抱える。よく分かったではなくこの反応を見ていればバレバレである。人間になりたいモンスターは意外といる事に気がつき何だか複雑な気分になる。
「さて、と」
携帯食糧を食べ終えた少女が立ち上がる。
「助けてくれてありがと。じゃね」
「いやいやいや」
普通に立ち去ろうとした少女を慌てて引き止める。一体どこに行こうというのだろうか。さすがにここで、はいさよなら、というわけにはいかない。しかし引き止められた少女の方は首を傾げて確実にその意味を理解していない。頭を抱え、言葉を選びながらレンドは口を開く。
「どこに行くつもりなんだ?」
「どこって……」
顎に手を当て、空を見上げて少女はうーんと考える。腕を組み、今度は下を向いて考え込む。やがて前を向き、レンドを見つめて微笑む。
「どこなんだろうね?」
レンドは確信する。こいつを放っておいてはいけないと。
「とりあえず付いてきて」
ポーチに荷物を収納し、レンドは剣を持って立ち上がった。因みに装備はザザミ装備を身に付けている。ひと月程前に密林に出没したダイミョウザザミを討伐した時の成果だ。
「付いて来いって……どこ行くの?」
インナーしか身に着けていない少女は首を傾げて怪訝そうな顔をする。確かに彼女としてみれば本来敵であるハンターに従うのは、いくら人間になりたかったとは言っても気にかかるものがあるのだろう。しかし、レンドには今ここで彼女を連れて行く意外の選択肢が無い。この状況が二度目な故に段々と行動が無駄なくスムーズになっている。
「砂漠にいたら襲われるぞ」
「それなら大丈夫」
少女が自信満々に頷き、にっと笑って見せた。可愛いらしい八重歯が見える。
「麻痺でなんとかするから」
「……いやいやいや」
確かにゲネポスの恐れるべき武器はその歯から出される麻痺毒である。しかしそれは人間になっても健在なのだろうか。少々気になるが、ぶんぶんと頭を振って考えるのを止める。
「そんな事やってる間に殺されるぞ」
「いや大丈夫だって」
呆れてレンドは一人で歩き始める。少女は慌ててその後ろを付いて行った。なんだかんだ言っても彼女はレンドに付いていくしかないのだ。
レンドは今、ベースキャンプに向かって歩みを進めていた。残念ながら、今回のクエストは諦めるしか無さそうだ。さすがに薄いインナーだけを纏った少女一人を連れてクエストを行うわけにはいかない。
「ねぇ、あなたってハンターって人なんでしょ?」
砂に足を取られながら歩いていると、後ろを余裕そうに付いてくる少女が彼に訊いた。振り向かずにレンドが「そうだけど」と答える。
「もしかして、私も殺そうとしてる?」
「……殺すなら助けてないから」
やはりレンドを警戒している事は確からしい。まあ仕方の無い事ではある。しかし少女は「そっかー」と納得すると再び下を向きつつ歩き始めた。レンドは、えっそれだけと困惑せざるを得ない。
本当に人間になった事を全て受け入れているらしい。潔いと言えばそうなのだが、レンドとしては少し心配になってくる。こんなに上手く進んで良いものかと。何かこの少女が裏を持っているようにも思えてしまう。
チラリ、と振り返る。自身の手を見つめて「ふおお」と目を輝かせていた。裏があるようには思いたくない、いや思えない。
同じ鳥竜種でもこの少女は、ランとは違って細かい事は気にせずに柔軟性の高い性格である事が分かった。だがそれ故に何を考えているのか想像がつきにくい。
「ギャオッ」
その時、突如遠くで高い鳴き声が響いた。
レンドと少女が同時に振り返る。
その視線の先に、まだ遥か遠くだが、トサカを持つそいつを捉えた。
「げ……」
露骨に不快感を顔に出す少女。それを見たレンドは「ん?」と思う。仲間に対してこのような反応を普通はとるだろうか。まるで敵を見つけた時のような、そんな表情をしている。
いや今はそんな場合じゃない。ゲネポスに見つかったのだ。こうしている間にも仲間が集まって来るかもしれない。
「逃げるぞ!」
レンドは少女の手首を掴み、おぼつかない地面の上を全力で走る。最初はレンドが前に出て走っていたが次第に少女の方が先に走るようになってくる。やはり人間になっても砂漠を歩かせると慣れたものらしい。レンドの手を引いて走る少女の表情からは感情を読み取る事が出来なかった。
ようやく安全なベースキャンプに走り込んだ時には、既にレンドは息絶え絶えな状態になっていた。それもそのはず。少女をその腕に抱き上げていたからだ。
先程まで空腹で死にかけていたというのに全力で疾走出来るはずもなく、すぐに少女はふらふらになって走れなくなってしまった。そこでやむなくレンドが彼女を抱き上げて走ったのだ。
膝裏と背中に腕を回して抱き上げる、所謂お姫様抱っこの状態であった。レンドはその感触とどこか甘い匂いに顔を赤くしながらもベースキャンプのベッドに彼女を下ろす。
「うおっ……なんだこれ……ふかふか」
火照った顔で気持ち良さそうにベッドをすりすり擦る少女。レンドも乾きを癒やすために水筒から水を飲んで、気がつく。そう言えばさっきこの少女にも水筒の水を飲ませた事を。
「あれ? どうしたの? 赤くなって」
「なんでもない」
不思議そうに少女が寝たまま首を傾げる。モンスターにこんな概念は無いのだから気にしなくて当然である。レンドも、見た目は美少女だがゲネポスだぞと自分に言いきかせた。
「……でさ、これからどうすんの?」
声が真面目なトーンになって少女がぽつりとレンドに訊く。レンドは元々考えていた事なのですぐに答えることができた。
「……とりあえず、今俺が滞在している街に行こうと思う」
「……街? あぁ、縄張りみたいなもん?」
近いけど微妙に違うような気もする。レンドはとりあえず頷き、立ち上がる。ベッドの上から少女が彼を見上げる。
「私、どうなんの?」
「悪いようにはならないさ」
モンスターが人間になってしまった時の対応に慣れてしまっている自分につっこみを入れつつ、近くに停めてある竜車へ向かう為に歩き出そうとする。そこでふと気がつき、ベッドに振り向く。少女はまだダラダラと「ふかふか……」などと呟きながら寝転がっていた。ため息をつき、少女を連れて行くべく戻る。
これから一体どうなるのだろうか。レンドは頭を片手で抱えながらまたため息をついた。
同時刻、そのゲネポス達は岩場に囲まれた住処の中で食事を採っていた。今日の食事はアプケロス。集団で狩ったのをここまで移動させて来たのだ。
ゲネポスの数は十数頭。大人からまだ小さい子供まで、雄雌問わずに多くの姿が見える。ここにはボスの姿は無かった。
「ギャオ!」
一頭が吠える。あいつ今頃何やってるのかな、と嘲笑うように言ったのだ。すぐに別の一頭が吠える。死んだだろ、と。最初に吠えたゲネポスは楽しそうに吠えてまたアプケロスにかぶりつき、
息絶えた。
頭が一発の弾丸で打ち抜かれている。周りのゲネポス達がそれに気が付いた直後、打ち抜かれた頭が何発もの爆発を巻き起こした。
拡散弾だ。
それを合図としたように、岩影から三つの人影が飛び出した。三人共にボウガンを構えている。凶悪な笑いを口元に浮かべ、
辺り一帯は血の海になった。
「うっひょー、大量だな」
数分後、血に染まった住処では三人の男が剥ぎ取り用ナイフを手にゲネポスの頭を捌いていた。男は返り血を浴びながらもその牙を無理やりに引き抜く。
「ギルドの制限なんて、へへっ俺達にゃ関係ねぇ」
下品に笑いながら、そのゲネポスの麻痺牙を袋にしまう。そこには既に数十本はあろうかという牙が納められていた。
「じゃ、帰りますか」
別の男も剥ぎ取りが完了したのか楽しげに声を上げた。
「大儲けの時間だ」
金髪と入れ墨の男達は、袋を抱えてゲネポスの住処を後にした。
いや、住処『だった』場所だ。