鳥竜種な女の子 作:NU
ランが目覚めた時、まず最初に見えたのは白い天井だった。
窓から柔らかな光が差し込む小さな部屋。彼女はベッドの上で仰向けに横たわっていた。
外からは子供のはしゃぐ声や小鳥の鳴き声。入口のドアの向こうからは誰かが話している声も聞こえてきた。枕元のテーブルには綺麗な色とりどりの花が花瓶に飾られている。
その花の香りの中で薄目で天井を見つめたまま、はっきりしない頭を巡らせる。
自分は、どうなったのだろうか。
少し顎を引いて自分の体を確かめてみる。布団に隠れて胴体は見ることが出来ないが、布団から出た手は明らかに人間のものであった。
「人間になってる……」
ぽつり、と呟く。腕を動かしてみる。そのまま自分の頬を触れると鱗ではない、人間の肌の感触がした。
ランは、人間に戻っていた。
ゆっくりと体を起こそうとする。しかし肩を中心にあちこちに走る痺れるような痛み。顔を顰めて頭を枕に戻す。
怪我の状態は重いようだ。動けない苦しみと痛みとで涙目になりながら、ランはじっと天井を見つめることしか出来なかった。だが同時に人間になった嬉しさも入り混じって不思議な感情だ。
仲間達はどうしただろうか。ランはそんな事を考える。
ドスランポスがあの場から去ったということはランの言葉を聞き入れたと考えたかった。どこか村から離れた場所へ行ったのだろう。だが、群れから追放された彼女にとってはもう干渉できることではなかった。
もう、ここで人間として生きるしか自分に残された道はない。
改めて確信し、ランはもう一度目を閉じた。
「まぁ、数箇所の切り傷と打撲だね。薬塗って何日か安静にしてれは治るさ」
「良かった……」
医者に自分の怪我を説明され、レンドはほっと胸を撫で下ろした。
大袈裟に全身に包帯を巻かれはしたものの、さほど重症ではないようだ。薬のおかげか痛みも無く、普通に椅子に座っていられる。
眼鏡をかけた若い医者はカルテをぺらぺらと捲りながら、うーんと何か考えるように唸った。
良くない気配を感じ取り、レンドは背筋を伸ばした。医者は顔を上げて、
「君はいいんだけど……問題はあの娘だね。完治までどれくらいかかるか……」
「悪いんですか」
「まぁ……すごい怪我だからね。久しぶりにあんな治療したから大変だったよ」
医者はどこかやつれているようにも見える。普段から負傷したハンターの治療等はすることはあるだろうが、肩に牙が貫通し、身体もあちこち切られている怪我というものはそうは無いのだろう。だがそんなことを言いながらもしっかりやり遂げるあたりにこの医者の力量が伺える。
「そろそろ目は覚める頃だと思うけど……ま、君もあの娘も暫くは安静にしておく事だ」
「……ありがとうございます」
「ま、仕事だからね」
医者は机に向き直り、カルテに何やら書き込む。レンドが立ち上がり立ち去ろうとすると、
「あ、そうそう。彼女の部屋は廊下の突き当たって左の部屋だ」
机に向かったまま医者は伝えた。レンドはそんな彼に会釈をし、退室する。
「……失礼しまーす」
小声で呟きながら、レンドは医者に教えられた部屋にそっと入った。
窓から光が差し込むその部屋は、白い壁ということもあって清潔感溢れる部屋であった。花の良い香りもする。
そんな部屋のベッドに彼女は横になっていた。布団で隠れて顔を見ることはできないが、特徴的な青い髪が彼女であることを示していた。
すーすーと寝息を立て、布団が上下している。
「ラン……」
無事な姿を見て、レンドは心底ほっとする。
ドスランポスが去った後からが一番大変であった。何が原因かは分からないがランは再び人間に戻り、ランポスでいた間はモンスターの生命力もあり持ちこたえていた傷が再び彼女の身体を蝕んだ。
レンドの背中に倒れた彼女はまさに虫の息であった。
驚く暇もないままにレンドはひたすら森の中を駆け、村へと急いだ。自分の体も痛くて仕方なかったが、ランを助けなくてはと必死に走った。
風のように駆け、ライズ村へと辿り着いた頃にはまさに満身創痍の状態であった。門に入る直前に彼は意識を失い、それから先は覚えていない。
気が付くと彼はこの病院に運ばれていて、ランも治療を終えた後であったのだ。
「本当によかった……」
全身から力が抜け、ベッドの隣の椅子へ倒れこむように腰を下ろした。心のどこかではもう助からないと思ってしまっていた。奇跡に近いこの帰還に、レンドは運命に感謝するしかない。
でも、レンドには引っかかることがあった。
「本当にこれで良かったのか……?」
レンドには、ランが村を飛び出した理由がよく分かっていない。仲間が恋しくなり、ハンターである自分から逃げる為だったと考えている。だとすればまた人間として村に戻ってきたことは、本当に良いことだと言えるだろうか。
「でも……」
もう一つ、引っかかる事がある。
ランが再び人間になり、意識を失う直前に行った言葉。
本当は離れたくない、お別れは嫌だという言葉。
彼女が望むのは人間でいること、そういうことなのだろうか。
「ん……うぅ……」
その時、ランが小さくうめいた。それに慌ててレンドは布団から出ていた右手を握る。温もりが戻っていた。その嬉しさにレンドは思わず涙ぐんでしまう。
「うぅ……」
頭が動き、布団が動いて彼女の顔が見えるようになった。彼女は目をきつく結び、やがて力を緩めて目を開ける。右手がぎゅっとレンドの手を握り返した。
「レンド……さん?」
ランは潤んだ目でレンドを見つめる。うんうんとレンドは頷いて、
「あぁそうだ」
目が大きく開かれ、涙が彼女の頬を伝った。その表情は次第に喜びに満ち、泣き笑いになる。
「良かった……」
自分が助かったことよりも彼が無事であったことを喜ぶように、
彼女の目から大粒の涙が溢れた。
子供のように泣くランをレンドがあやし、彼女はようやく落ち着きを取り戻すことが出来た。
レンドは綺麗な青髪を左手で撫でながら、右手はランにしっかりと握られていた。彼女の顔は冷静になった後に感じた羞恥からか朱に染まっている。
「れ、レンドさん……もう大丈夫です」
「ん? そっか」
左手を頭から離し、右手をほどく。ランは少し残念そうな顔をしたがすぐに真剣な表情になり、
「あの……お話してもいいですか? 私のこと……」
「……ああ」
レンドもまた真剣な顔で頷いた。
そして彼女は全てを話した。
彼女がずっと人間に憧れていたこと。人間になれて嬉しかったこと。
レンドが仲間、ランポスと戦うことを躊躇することが心配だったこと。
ドスランポスは父親であること。そんな仲間達を守るため、そしてレンドが悩まなくてもいいように仲間達を遠くへと行かせようと思ったこと。だから、村を飛び出したこと。
「それじゃあ……」
そこで初めてレンドが口を挟んだ。
「俺がハンターで、怖かったから逃げたわけじゃないのか?」
「まさか」
ランが驚く。
「レンドさんを怖がるなんてあり得ません」
「それじゃあ、仲間が恋しかったわけでもないのか?」
そこでランは言葉に詰まった。顔を伏せて目線を逸らしながら、
「恋しくない……といったら嘘になりますけど……すみません、話を続けますね」
彼女は話を続けた。
仲間達に襲われたこと。
レンドが助けに来てくれたこと。
自分が止めなくちゃと思ったこと。
気がついたらランポスに戻っていたこと。
「どうしてあの時ランポスに戻ったんだ……?」
ランは首を横に振って答えた。
「私にもよく分かりません……」
でも、と言葉を切って。
「あの時は仲間達に言葉を伝えなくちゃって必死になってたから……だと思います」
元々人間になったこと自体が理解できない現象だ。今更考えてみても何も分からないだろう。
話はランがドスランポスと話していた内容に触れた。
ドスランポスにここから離れてくれと頼み込んだこと。その結果、群れから追放されたこと。
「追放って……!」
それはもう、群れには二度と戻れないという事。
彼女にはもう人間として生きる道しか残されてはいないのだ。自分の本来の姿を捨てて新しい姿として生きる現実。それはレンドにはとても理解することが出来ない。ただどれだけつらいものであるかは分かる。
ランが話すのを止め、二人の間に沈黙が落ちる。
時計の音だけが嫌に大きく聞こえていた。短いようで、長い時間が過ぎる。
「でも……大丈夫です」
沈黙を破り、ランは明るい笑顔を見せた。それにレンドも息を飲む。
「確かにもう戻れないのはつらいです……でも」
でも、と続けて言葉が切れる。
暫くの沈黙。目が伏せられ、潤む。
しかしそれを振り払うかのようにレンドをしっかりと見据えて真剣な顔で、
「私、もっとレンドさんと一緒にいたいんです」
ドキリ、とレンドの胸が高鳴った。
「人間として生きるのも悪くないなって思うんです。レンドさん……」
ランの手がレンドの右手をぎゅっと握った。
「お願いします、私と一緒にいてください」
そこでレンドは初めて理解した。
ランが、ランポスとしての自分と人間としての自分で揺れていた事を。
仲間への恋しさとレンドと一緒にいたいという感情。二つの間で揺れていたことを。
彼女は選んだ。彼女が選んだのは、人間としての自分。レンドと一緒にいる自分だった。
レンドは笑った。思い悩んでいた自分が馬鹿のように感じた。
結局彼女の気持ちが分かっていなかったのは自分の方だ。
彼女は人間になった時からずっと、人間として生きる覚悟を決めていたというのに。
「当たり前だろ」
レンドはランの手を強く握り返した。
「ランちゃーん!!」
その時、勢い良く扉が放たれて部屋に誰かが飛び込んで来た。
その人物はベッドにダイブしかけたが、直前で踏ん張って止まる。げっという顔でレンドはその少女を見た。
「み、ミリィ……」
「心配したよー! 無事でよかったよー!!」
その少女、ミリィは号泣しながら飛び跳ねてランの無事を喜んでいた。一気に先程までの雰囲気が崩壊し、可笑しさにランがくすりと笑う。それを見たレンドが苦笑して、静かにしなさいとミリィに注意を飛ばした。ミリィが何処からか大量のパンを取り出し、机に置く。それにまたツッコミを入れるレンド。
和やかな雰囲気の中で、ランの瞳はレンドを見つめていた。
自分をずっと助けてくれた彼。どんなに危険な状態にあっても絶対に見捨てようとはせず、葛藤の中で自分を助けてくれた彼。
出会った時には感じなかった心の温かさを、ランは胸の中に感じていた。
その感情が何なのかは分からない。ただ、とても心地よい感情だった。
「ちょ、俺だって怪我人だぞ!」
何やら言い争っているレンドの右手を、ランは彼がそこにいることを確かめるようにしっかりと握った。