実験室のフラスコ(2L)   作:にえる

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オリ主が人を殺さない覚悟を決めた話(殺さないとは言ってない)


孤独のアルベール(金色のガッシュ)

 

 

 

 --1

 

 アルベールはパリに住む仲睦まじい夫婦の子として産まれた。生まれてひと月もすると両親のみならず、周囲もお世辞抜きで可愛いと褒める程に愛らしい容姿を彼は持っていた。

 同い年の子供たちが這う頃には、一人で歩き回るほどに早熟だった。また、大人たちが発する言葉や描かれた文字が意味を持っていると理解し、それをアルベール自ら介そうと舌足らずな音を発するほどに知能も同時に優れていた。

 天にあらゆる物を与えられ、愛されている子供だった。

 

 だが、アルベールには人として最も大事な物が欠けていた。いや、満たされていたと表現したほうが正しい。それは幼い心を圧迫し、壊す殺人衝動だった。整理の付けようがない、消し去りようが無い、いつまでも燻ぶっている物だった。早熟すぎる成長と未熟な精神では抑えきれない衝動、破壊へと繋げて何とか誤魔化せる、ひどく歪んだ欲求だった。

 他人から見れば黒く、濁った、吐き気のする邪悪な精神だった。人を殺したいと純粋に望んでいる、人間の皮を被った何か。

 

 それでも両親は彼を信じた。身体が、脳が、精神が、心が、早過ぎる成長のためにバランスを崩したのだろうと信じて。均衡が破れるその日まで、そしてそれ以降も。ずっとずっと。

 

 

 

 「ほうら、あそこを見てごらん」 アルベールの父が足元を指し示した。

 虫が這っていた。幼い少年のくりくりとした瞳がその言葉に応えるように指先を追いかけた。少年は笑みを浮かべ、虫を手に取った。くすぐったそうに表情を変えながら、虫を間近で観察する。優しく、慈しむように、その虫の背を撫でた。そして、潰した。ぐちゃぐちゃに潰した。

 きゃっきゃと笑い声を挙げる。アルベールには楽しかった。でも物足りない。もっと大きい物がいい。物欲しそうに、どす黒い衝動を燃やす。

 そんなアルベールに、彼の父は怒りながら「死ぬまで潰してはいけないよ。自分がされたら嫌だろう?」と言った。

 優秀で未熟な少年はそれを覚えた。自分がされても嫌では無かったことを伝えると「母さんが嫌がっててもかい?」と言われたから。

 

 「遊んでいらっしゃい。仲良くするのよ」 アルベールの母がそう言った。

 同い年くらいの子供たちが走り回っている。少年は笑みを浮かべ、子供たちの輪へ入った。互いを追いかける、ルールも何もない遊びを繰り返す。いつまで経ってもアルベールに追いつけないことに癇癪を起した子供が、すぐ近くにいた子供を叩いた。虚弱な子供の張り手、それでも痛みに弱い子供は泣き出した。アルベールは、癇癪を起こした少年を叩いた。同世代と比べて体格のいい少年だったが、一撃で地面に倒された。それでもアルベールは止まらなかった。泣き喚く少年を、叩き続けた。「自分がされたら嫌だろう」と言い続けて。泣き喚いても止まらない。親たちが止めに入らなければ、アルベールは少年が死ぬ直前まで叩き続けただろう。子供の一撃でゆっくりと死ぬまで、拷問にかけるように永く永く……。

 そんなアルベールに、彼の母は怒りながら「人を傷つけてはいけません。自分がされたら嫌でしょう?」と言った。

 優秀で早熟な少年はそれを覚えた。自分がされても嫌では無かったことを伝えると「お父さんが嫌がっててもそうなの?」と言われたから。

 

 アルベールは何度も間違って、そのたびに両親は熱心に伝えようとした。だから覚えた。

 

 ある日、木の上に作られた巣から落ちた雛鳥をアルベールは見つけた。怪我をしていて、腹も空かせているようだった。慣れないながらも世話し、巣へと戻した。しかし、目を離すとすぐに落ちていた。それでも戻して、また落ちていた。何故だろうかと疑問を覚えたアルベールは、観察することで雛鳥が親鳥に落とされていることに気付いた。落とされても頑張って生きようとしている雛鳥と、落としてしまう親鳥。言葉に出来ない澱んだ何かが、心に溜まっていた。人を殺すことに躊躇いは覚えない、嫌悪を感じない。だがこれは駄目だった。父と母に相談すると「アルベール、自分で考えてみなさい」と言うだけだった。だから考えた。わからなかったけれど、考え続けた。雛鳥を世話しながら考えた。答えは出なかった。

 

 アルベールは世話を続けた。雛だった鳥が空を自由に駆るようになった。鳥は自由に飛んで、満足するとアルベールの元に戻ってくるほどに懐いていた。

 そうしたある日、アルベールは笑顔で両親にそれを見せた。それは首の骨を折られ、舌をだらりと垂らして絶命した鳥だった。アルベールが世話していた鳥とは違う。震える声を必死に抑えたアルベールの父が鳥について問うと「間違えた親鳥だよ。間違えたから嫌なことをして教えたんだ。人よりも平気だった」と無邪気に答えた。父はただ「嗚呼……」と漏らした。母は涙を流すだけだった。

 両親にはわかってしまった。それでも諦めないでアルベールに教えよう、伝え続けよう。そう決心して父は「アルベール、他の命を大事にしなさい。私がいいと言うまでの約束だ」と言った。アルベールは不思議そうに頷いた。

 

 

 

 そして、両親はアルベールが親鳥を殺した翌日に帰らぬ人となった。遊ぶ金欲しさに押し入った強盗に殺された。アルベールも頭に傷を負った。

 傍らで鳥が一羽、死んでいた。

 

 

 

 

 

 --2

 

 人を殺したい。一人や二人では無い。全部だ。全部ぜんぶ殺したい。だがそれはいけないことだ。だから我慢する。『アルベール』が物心ついた頃から、いや、それ以前のずっと前から人を殺したくて堪らなかった。それは一人や二人程度では満足できないような衝動だった。人類全てを殺したいと思うほど、昏く強く粘つくような殺人衝動だった。それでも我慢する。『俺』が心から尊敬する両親が禁じたことだから。

 

 立って歩けるようになってすぐの頃から、両親の首を思い切り絞めて殺したいと思っていた。父や母の首に手を回し、力を入れる。しかし、幼い『アルベール』の握力では、単に抱っこをねだっているようにしか思われなかった。毎日、父と母の二人から抱きしめられて過ごした。それは『アルベール』が殺意を抱いて力を込めるのとは真逆の、慈愛溢れる優しい抱擁だった。

 包まれるような優しい温かさは愛である。潰してしまうような冷たさは愛ではない。殺すことはいけない事だ。優しくすることは良い事だ。何の考えも無しに吐き出される常識ではない愛を、『俺』は両親から教えてもらった。殺したい思いと同時に、人から愛を受けることがどういう事なのか、言葉に出来ずとも漠然と『俺』は理解していた。『アルベール』にはわからなくても『俺』にはわかった。わかるために『俺』は生まれたのかもしれない。人を殺す冷たさを知らないまでも、温かさの良さは理解できていた。

 

 両親の事を愛している、そして、自身は愛されていた。今は居なくなっても、二人に愛されていた。『アルベール』とともに死を決断するほどに深い愛だった。与える温かさだけを知っていた。

 それと同時に人を殺したいと強く思う。胸に宿る黒く燃える殺意を恐怖によって抑え込んでいた。奪う冷たさを知らない。知りたくない。失った冷たさは何処までも空虚だ。未知は怖い。既知が怯える。

 

 

 

 人を殺したいから近づく。殺した後を考えて、手が竦む。奪った自身は喜ぶだろう。だが、奪われた人はどう思うのか。失った人はどうなってしまうのか。俺は震えるほどに怖かった。結局、殺すことは出来ずに終わってしまう。必死に誤魔化す。

 転んだ人の頸椎を踏み抜きたい思いで近づいて、怖くなって手を差し出して立ち上がる手伝いをする。幼い俺の手にはなんの意味も無いはずなのに、差し出された人は嬉しそうに笑っていた。

 その後も、道に迷った人の手を引いて、泣いてる人の傍に座って少ない語彙で慰めて、言葉の伝わらない観光客を案内して、誤魔化した。煩わしそうにされることもあった。大半の人が、喜んでいたように思えた。ときどき「君はとても優しいね」と笑みを浮かべた人にお礼を言われた。俺は曖昧な表情を浮かべて「父と母の真似をしているだけだ」と答えた。

 殺意が向くのは人間だけであることに、俺は徐々に気付き始めた。育てた雛鳥を殺したことがあった。殺すことを別にどうとも思わなかった。ただいけないことだとは分かっていた。

 

 道案内をしながら人を殺すなら素手が良いと思う。道具は要らない。使いたくない。手の中で消えるからこそ素晴らしい。面倒だからボタン一つで死滅すればいいと思う。でもそれは失礼だ。欲求の為に死んでくれてありがとうと感謝しながら殺したい。最初に両親を殺したかった。羨ましかった。俺が殺したかった。どんな表情だったのか。

 それと同時に憎しみと哀しみが胸を苦しくさせる。目頭が熱くなる。涙が流れそうになる。心が暗くなる。何か足りない気がする。寂しくて震えそうになる。満たそうとして殺したくなって、それはいけないことだと思い出す。『アルベール』が父と約束した。それは『俺』が破ってはいけない物で、守らなければならない物だ。

 俺は覚悟しなければならない。人を殺さないことを。狂おしいほどの欲求を抱えながら、無理に蓋をして生きていくことを。出来ないのなら死ぬべきだ。

 

 

 

 

 

 --3

 

 親戚に引き取られることとなったが、両親と仲があまり良くなかったらしく、俺は放置されることとなった。有り難いことだ。同じ家に住んでいたら、成長した俺がいつか寝起きでうっかり殺してしまう可能性すらあったから。

 身辺を整理していると、物置で石を見つけた。それは石というには(俺の体格からすれば)あまりにも大きすぎた。大きく、分厚く、重く、そして繊細な彫り物がされていた。それは正に石塊だった。

 そうだ、この石を我が身の邪悪な欲望への戒めにしよう。これを背負っていれば、欲求に抗えなくなったとしても物理的に動きが制限されるので殺人を犯さなくて済むという最高に頭の良い作戦だ。しかも石の表面には見知らぬ文字と、角の生えた子供の絵が描かれているので話し相手にもばっちりである。

 背負えるように革のベルトを付けて、外に出るときは必ず背負うことにした。文字も既視感があるし、なんとなく馴染むような気がする。一緒にいるのが当たり前のように感じることもあった。

 

 石を背負って生活していると、両親が殺されて頭がおかしくなったと囁かれるようになった。興味本位で何故石を背負っているのか訊ねてくる者もいた。どう答えたらいいのか迷った俺は「両親を忘れないための、強盗を許せない自分への枷です」と答えるだけにした。そうすると言葉に詰まって何処かに行くことに気付いた。

 近隣の住人が、時々気遣わしげに手伝ってくれるし、食べ物も貰える。親切にしてくれるから俺も優しくする。ああ、素晴らしい。殺したくなるけれど、思い出せばなんとか抑え込める。石を背負えば疲労で忘れられる。

 他人からいつだって俺は愛を受けている。俺は生まれた時からずっと恵まれている。君のおかげだと毎晩石を磨けば、感謝されたように感じて嬉しくなった。話しかければ、まるで本当に聞いてくれているかのようだった。

 

 

 

 石を背負って生活していれば当然俺を馬鹿にする人間が出てくる。子供が多いが、時には酔っ払いにも絡まれる。そういうとき、どう対応すればいいのか。俺はすでに答えを得ていた。

 殺してはいけない。命を大切にする。傷つけない。両親との約束なのだが、これを守ることが重要であると判断している。だが、柔軟に対応する必要も出てくる。だから人を無害化させるように練習した。上手く脳を揺らす、これだけだ。

 その後のことはどうなろうとも知らない。人は殺さない。殺したことが無い。殺したいけれど殺したくない。自分の手で殺さないと衝動を和らげることが出来ないとわかったとだけ。

 

 

 

 

 

 --4

 

 石を背負って約10年、街でのちょっとした有名な人物になりつつあった。地方新聞や小さなテレビ番組でも俺は取り上げられた。石を背負って過ごす奇妙な少年として。海外から面白がって取材に来ることもあった。無理にでも感動させるドキュメンタリーでも、世界の奇人としてでも邪見にせず、なるべく親切に対応した。俺が注目される限り、両親は忘れられない。誰かが覚えている限り。そうだ、そうだとも。俺が死んでももう忘れられることはない。両親は死んでない。

 

 学校から帰り、石を部屋に置いてシャワーを浴びる。石を背負ったまま走るのは少し無茶が過ぎたようだ。汗を流し、さっぱりとした晴れやかな気分で机の上に置いた石を背負おうとして……無い。俺の一生の内の半分以上を供に過ごした石がどこにも無い。貴重品だと勘違いした愚か者に盗まれたのだろうか。思考が冴えわたる。今なら両親の言いつけを守って人が勝手に死にそうだ。実に不思議なことに。

 身体を伏せ、床に耳を付ける。同時に気配を探る。空気の流れ、温度や湿度の変化、気配の増加。俺と石のみの普段とは異なる状態だ。普段よりも少し水気が多い。シャワーを浴びたからだけではない。外……いや、これは室内だぁ!!!!! 

 鍛え抜かれた脚力を十全に発揮し、全力の蹴りを見舞う。

 

 

 隠れていたでかいカエルを蹴り飛ばし、落下していた石を受け止めた。

 

 

 

 見たことも無いカエルだ。拳を振り下す。新種か、いやこんなカエルがいてたまるか。拳を振り下す。そこらのカエルとは比較できないほどに大きく、そして知能も高い。拳を振り下す。そもそも「やめるゲロ!」などと言語を操るのがカエルのはずがない。拳を振り下す。なおかつ人間の行動を静止させようと必死に手を振り降参の意を示すコミュニケーション能力の高さ。拳を振り下す。どう見ても人間ではないのは明らか。拳を振り下す。つまるところ、殺しても問題ないのだろう。拳を振り下す。だって人間じゃないし。拳を振り下す。

 しかし硬いな。馬乗りになって頬(?)を殴っているのにまだ喚いている。巨大化することで皮膚も固く張力も強くなっているのかもしれない。そうなると柔らかそうな無駄に巨大な目を潰すべきだろうか。

 手刀で眼球を潰す構えを取っていると、初老の髭モジャな爺さんが部屋に駆け込んできた。「アルヴィーン!」とカエルが叫んでいるので、この珍獣の飼い主だろう。珍獣による押し入り強盗とは時代はいつだって進化している。だがそんなことはどうでもいい。重要なことじゃない。重要なのは両親の家で、石を盗もうとした愚か者どもがいるということだ。愚かだ。あまりにも愚か。チンパンジー並みの知能、つまり人間ではない。人間ではないので殺しても約束を破ったことにはならない。Quod Erat Demonstrandum.

 ちょうどいい鈍器(カエル)があるのでひき肉にしよう。カエルの肉片や血液と混ぜることで警察が来ても謎の死骸で処理されるだろう。捩じ切った巨大なカエルの頭部さえあればUMAハンターとして有名になってしまうかもしれんな。

 カエルの頭部を鷲掴みし、持ち上げる。持つのに少しコツがいるが、人間よりは軽い。愚か者と愚か者の衝突によって新たなUMAの誕生だ、ハッピーバースデーなどと考えていたら、老いたチンパンジーが図鑑のような分厚い本を広げていた。トゥーンだから効きまセーンとかそういうふざけたことでも言うのだろうか。本が輝き、チンパンジーが「にゅるるく!」と鳴き声を上げた。状況がわかっていないのか、言葉が通じないのか、俺が訝しんでいると、カエルの手足が伸びた。

 

 あ?

 

 馬乗り状態から逃げ出したカエルは悲鳴を挙げながらチンパンジーの元へと駆けだした。道具を使って殺すとあまり気分が晴れないが、面倒になってきた。包丁を持ち出すと、カエルが緑の顔色を青くさせ、震え出した。

 

「オ、オイラはその石を集めていて……」

 

 あぁ?

 カエルがみっともなく頭だけを隠し、尻を振っていた。なんて魅力的なケツ振りなんだ、全力で蹴るか引っ叩くかしたい。でも包丁を持ってるから捌くしか出来ない。もったいない。

 

「い、石に封じられた魔物の子を解放する方法を見つけたゲロ」

 

 所々わからない部分が生じているが、興味は湧いた。いいだろう、殺すのは後にしてやる。だが詰まらなかったり嘘だと分かったら二人はカエル人間だ。

 「いいだろう、連れていけ」とカエルに告げると、ほっと息を吐いてゲロゲロ笑い出した。なんかイラッときたので「だが包丁は許すかな」と持っていた包丁を投げつける。カエルの足元に刺さった。今だけは許してやろう。

 「さあ早く行くぞ」と急かすもカエルは呑気に眠っていて、爺さんは何故か怒っていた。なに遊んでんだぶち殺すぞ。

 

 

 

 

 

 




最初のアルベール
人間を滅ぼしたいし殺したいと思ってた人間版クリアみたいな存在。強盗に襲われて意識は砕けた。

両親
死んだ。


殺した。

アルベール(主人公)
本来のアルベールと人を滅ぼしたいアルベールが混ざったアルベール。両親の愛によって生まれた人格だと思っている。屁理屈ですぐ人を殺そうとするがどう考えても無害。殺人数も当然0。


石。

巨大カエル
魅惑のケツ振りを披露しにきた。

爺さん
あ、あれは老いたチンパンジー・・・!?

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