「今日は少し寒いから、
先に体を温めておくか。」
桶を手に取り湯を一掬いし、
ざぱっと、何度か掛け湯をして体の汚れを流す。
そして湯船にゆっくりと、右足から浸かっていく。
「…………っ~~!!」
冷えた体が熱い湯に触れ、
ピリピリとした刺激が足に伝わってくる。
ここは一気に入ってしまってもいいのだが、
余り体に良くないだろうからゆっくりと。
「…………ふぅ。」
やがて体全体が入ったタイミングで、
ほっ……と溜息を吐く。
「やはり風呂はいいな……」
皆でわいわい賑やかなのもいいが、
やはりこうやって、
自分だけの時間が取れるのもいいものだ。
全身の力を抜き湯に委ねながら、
色々な事を思案していく。
自分の事、仲間の事、敵対している物たちの事―――
そして―――置いて来た人たちの事。
自分の選択は正しかったのか。
もっと、上手くやれたのじゃないか……
いつも、その堂々巡り。
(……後悔ばかりだな……これじゃあ……)
けど、それが衛宮士郎の生き方。
悩み、苦しみ、傷つき……そして、裏切られ――
それでも、人を愛し、ただ正義の味方であろうとする。
(……やめよう。せっかく気持ちいい風呂に入ってるんだしな。)
ぶんぶんと頭を振るい、顔を洗う。
そのままのんびりしていると、
何か物音が聞こえてくる。
「?……誰だ…………って、今は俺の時間だったよな……」
確か入り口の札も替えた筈……少し不安になる士郎。
しかし、物音はだんだんと大きくなっていった。
「お風呂入るーー」
がらっと、
ドアを開けて入ってきたのは璃々。
「なんだ璃々か……」
ほっとした様子の士郎。
……べ、別にがっかりなんかしてないからな!
紫苑が忙しい時なんかに、
偶に一緒に入ったりしているので、
今日もその流れで来たのかなと考える士郎。
「ほら。風邪ひかないように早く入るといい。」
「うん!」
たたたっと、近寄って来て湯船に入ろうとするが、
「……熱いよう……」
士郎ですら少し熱いと感じるのだ。
子供の璃々は少し厳しいだろう。
「少し水で冷やすか。ちょっと待ってろ。」
冷却用の水を流し入れ、湯の温度を下げる。
確か夜に入る風呂は、ぬるま湯にゆっくり長く浸かった方が、
体に良かった筈だから丁度いいだろう。
「うん……しょっと……」
湯船に入り、士郎の横でおとなしく座る璃々。
「お母さんは来てないのか?」
いつもは、紫苑と一緒に風呂に入ってるはず。
何か用事でもしているのかと、璃々に聞いてみる。
「ううん。お母さんも来てるよーー」
さらっと、爆弾発言を述べる璃々。
「……えっ!?それは……ここにか?」
「うん!」
屈託のない笑顔で答える。
これは……もしかして拙くないか?
「えっと……確か『男』の札かかってたよな……」
「うん!璃々が入るから、『女』に変えたよ。」
ああ……なるほどね……そう言う事がおこるのか……
「温泉かー久しぶりだなーー」
「中々入る機会が無かったからねぇ……」
「しっかり、私の玉のような肌に磨きをかけなくてはいけませんわ!」
「ふふっ、そうね。
けど、あんまり暴れちゃ駄目よ。」
がやがやと聞こえてくる脱衣所からの賑やかな声。
「確か今は士郎さんの時間だった筈ですけど……
まだ入って無いんですねっ。」
「士郎は色々と急がしそうだからなー
どうせ霞あたりに捕まってるんじゃないか?」
「そう言えば食堂で、さっき霞がお酒飲んでたわね。」
どんどん増えていく。
「あれ?どうしたの愛紗ちゃん?なんで顔真っ赤にしてるの?」
「いえ、その……恥ずかしくて……」
「変な愛紗なのだ。」
「う、うるさいっ!」
「ふっ。どうやら愛紗は桃香さまと、
見て、見られるのが恥ずかしいのだな。」
「星~っ!!」
声から判断するに麗羽,猪々子,斗詩の三人と玖遠と白蓮、
これは手伝いに来てたメンバーが麗羽たちを案内しに来たんだろう。
後は桃香に愛紗に鈴々に星。
成る程。愛紗の案内に桃香と鈴々と星が来ているのか。
そして紫苑と水蓮が、二つのグループの仲裁役兼監視役といった所か。
状況が悪化してくるたびに、どんどん冷静になっていく。
これは、もう駄目かも分からんね。
とりあえず最後の足掻き位はと、
璃々を連れて岩陰へ移動する士郎だった。
「おーーーっ、広いなーーーっ!!」
腰に両手を当てながら、惜しげもなく裸体を晒しながら叫ぶ猪々子。
……何か非常に残念な感じが漂う。
「ぶ、文ちゃん!せめて前くらい隠して!!」
慌てた斗詩がタオルを持って駆け寄る。
「いいじゃん!……ほら、斗詩もいい体してるんだから隠すなよーー」
「ひ、引っ張らないでーー」
「何をしてるんですの貴女たちは……」
きゃあきゃあと、じゃれている二人に割って入っていく麗羽。
そのまま止めるのかと思いきや……
「私が一番に決まってますわっ!!」
ああ……やっぱりこいつもか……
思わず周りのメンバーから溜息が漏れる。
「あらあら。
三人とも、静かに入らないと駄目よ♪」
見かねた紫苑が止めに入ると、流石の三人も静かになる。
「そうそう。お風呂は静かに入るものよ。
けれど、おかしいわね……
璃々が先に入ってる筈なのに。」
人差し指を頬に当て、首を傾げる紫苑。
「もう先に入ってるんでしょう。
子供ってこう言う所で泳いだりするし。
なんなら私が探そうか?水は得意よ。」
「そうね……
とりあえず私もお風呂に入って探してみるわ。」
体を軽く流した後、直ぐに湯に入ってくる紫苑と水蓮。
これは……拙い……
「お兄ちゃん……そろそろ熱くなってきた~~」
焦っている士郎が、自身の腕の中に居る璃々に目を向けると、
顔を真っ赤にしている。
拙いな……そろそろ出ないと璃々がのぼせそうだ。
そうしている内に、他のメンバーもお湯に浸かっていく。
「ふわーーいい気持ちだねーー愛紗ちゃんーー」
「はい……そうですね……」
ぽーっとした様子の愛紗。
赤く染まった顔で、桃香の隣で思いっきりリラックスしている。
「乳白色の風呂とは珍しいですな。
どれ、私も入らせて貰うとするか。」
ちゃぷ……と、静かに、
桃香を挟んで愛紗の反対側に入ってくる星。
「……………」
そんな星の様子をじっと見つめる桃香。
「おや、どうされましたか?」
「……星ちゃん、細くて綺麗だなーって。」
「ふふっ。ありがとう御座います。」
そう言われ、少し恥ずかしそうな星。
「だって星ちゃん、私みたいにお肉ついて無いし……」
「私からすれば、桃香さま位では無くても、
もうちょっと胸は欲しいですな。
……結局は無い物ねだりでしょう。
それに……」
「それに?」
「私を褒めてくれるのは嬉しいのですが、
そろそろ愛紗が怖いのでこの話題はこの辺りで。」
「なッ……なにを言っている!!」
急に呼ばれ、慌てだす愛紗。
「ふむ……愛紗殿の顔が赤いのは、
果たしてお湯のせいだけですかな?」
「う、うるさい!!
私はもっと奥に行くっ!!」
急に立ち上がり、
じゃぶじゃぶとお湯を掻き分けながら奥の方へ進んでいく愛紗。
……一名様ご案内。
そして当然、違うメンバーも……
「確かにいい湯ですけど……あっちの方が景色が良さそうですわ!
行きますわよ、斗詩さん、猪々子さん!」
「あ~~私はここでのんびりしてるよ姫~~」
「私も、ここでいいです~」
完全に気が抜けている二人。
「もぅ……でしたら私一人で行って来ますわ!」
「あ、じゃあ私も行きますっ!」
奥に進む麗羽と、それについていく玖遠。
「あいつは何だかんだで元気だよなぁ……」
しみじみと話す白蓮。
「白蓮も、あれ位元気出せばいいのだ!」
「……私の軸がぶれる……」
「そんなもん最初からないのだ。」
「うぐっ……」
鈴々に突っ込まれ、ぶくぶくと沈んでいく白蓮であった。
さて、そろそろ士郎がやばい。
紫苑、水蓮、愛紗、麗羽、玖遠の五人が直ぐ近くまで迫ってきており、
士郎自身も覗く気は無いのだが、
彼女達の動向を監視する為に、視線を向けないといけない。
……いや、ほんとに下心は無いよ!
「璃々もそろそろ拙いし……万策尽きたか……?」
いよいよとなれば土下座外交を敢行せざるを得ない。
無論、それでも命の保障はないが。
そうやって、士郎が悩んでいると……
「あれ……?四人になってる……」
先ほどのメンバーから紫苑が消えており、
他の四人は夜景を楽しんでいる。
「これは……なんとかなるか……?」
あのメンバーの中では、恐らく紫苑が一番の難関。
どこに言ったかは確認出来ていないが、
この隙は逃せない。
「取り敢えずは璃々を安全な所に移動させよう……
俺一人だけなら、このまま全員が出て行くまで粘れる。」
そう考えた士郎は、一旦担いでいた璃々を背中から降ろそうとする。
しかし、
「音を立てずには難しいな……」
大分ぐったりしている璃々。
自分から暴れないので、その点は助かるが、
力が抜けた状態の人間は非常に重い。
病人をベットから起こそうとするだけでも、
かなりの力を要するのがいい例だ。
士郎が悪戦苦闘していると、
「お手伝いしましょうか?」
「あ、ああ。助かる。」
後ろから話しかけてきた紫苑に手伝ってもらう。
「あらあら……湯あたりしたのね。」
「ずっと一緒に入っていたからな。
そこの長椅子…に……」
士郎の眼前に見えるのは肌色。
乳白色のお湯のお陰で肝心な所は見えないが、
逆にそれが艶かしさを際立てる。
『………………』
二人の間に流れる妙な沈黙。
「……じゃあ、俺は、これで。」
「うふふ。駄目ですよ♪」
ガシッと、紫苑に掴まれる士郎。
「なんでさ…………」
当然、これだけ話せば他の人も気付く。
「……なんで士郎がここに居るのかしら?」
額に青筋を浮かべてらっしゃる水蓮さん。
「いや、今は俺の使用時間じゃ……」
「……聖が居なかっただけマシなのかしら……?」
「……それより、前隠した方がいいと思うぞ。」
「!!……み、見るなぁっ!!」
水蓮の渾身の蹴りが、士郎を襲った……
「まさか士郎さんが居るとは思わなかったよう……」
顔を赤く染めた桃香が思わず感想を漏らす。
「全くですっ!……もう少し誠実な方だと思ってたのに!」
少し怒った様子の愛紗。
「あはは……まぁ、今回は璃々ちゃんが原因みたいだしね~
……それに、別に士郎さんなら、そんなに嫌じゃないよ?」
「そ、それはどう言う意味ですかぁっ!」
焦る愛紗。
「鈴々も、別に兄ちゃんならいいのだ。」
「私は恥ずかしいけどな~~
いや、士郎は良い奴だけど。」
白蓮の視線の先には、目のやり場に困って慌てている士郎の姿があった。
「なんでこうなるのさ……」
「ふふっ。璃々が間違えたんですから士郎さんは悪くないですよ。
そう……『仕方ない』んです。」
士郎の横で湯に浸かりながら答える紫苑。
「そう言ってくれると助かる……って!
近い……っ!」
慌てて離れようとする。
だが、そう上手くはいかないのが士郎。
「横、失礼します。」
ちゃぷ……と、星が反対側に入浴し、士郎の逃げ道を塞ぐ。
「な、なんでこっちに来るんだよ……」
身動きが取れなくなる士郎。
「おや、私の体に魅力は感じられませんかな?」
「いや……綺麗だとは思うけど……」
危ない所は布で隠されており、
それが逆に、星のすらりとした体の魅力を映えさせる。
「それは良かった。
士郎殿には返しきれない程の恩が有りますからな。
私などの体で喜んでいただければ嬉しいですな。」
そう言いながら、少し布をずらしてくる星。
……あれは確信犯だろう。
「それに、あれ程強い士郎殿の体にも興味がありますからな。」
「それは私も同じね~」
星と紫苑が士郎の体に目を向ける。
「……見てて、気持ちのいいものじゃ無いだろ。」
士郎の体に刻まれている無数の傷。
切り傷に刺し傷、火傷に銃創……
確かに、見てて気分の良い物では無いだろう。
しかし……
「そんなこと無いですっ!」
「玖遠!?」
いきなり会話に参加してくる玖遠。
「私はっ、士郎さんの思いを知ってますっ!
それで……その傷は、士郎さんがその為に頑張ってきた証なんですっ!
それを……それを気持ち悪いなんて思いませんっ!」
目に涙を浮かべ、強く言い放つ玖遠。
「……ありがとう、玖遠。」
そう言って貰えば、少し、救われる。
「そうよ。男の傷は勲章なんだから。」
「それは同感ですな。」
玖遠の話を聞き、頷く紫苑と星。
「それで……玖遠ちゃん……大丈夫?」
「?何がですかっ。」
頭に?マークを浮かべる玖遠。
「体よ体。もうちょっと隠した方が良いんじゃないかしら。」
「…………きゃあっ!!」
どうやら先ほど士郎に詰め寄った際に、興奮して色々見えてしまっていたようだ。
……しかも、玖遠が詰め寄ったのは士郎の目の前。
「う、う~っ…………見られましたっ……」
湯の中にしゃがみこむ玖遠。
「……あれだな。ここで話し合うのは色々と危ないな……」
「ふむ……私はこのままでも十分ですが。」
「俺が色々拙いんだよ……体洗って来る。」
一旦三人から離れ、湯から上がる士郎。
そのまま、体を洗いに向かう。
「石鹸は……まだあるな。」
一応、石鹸はこの時代でも作ることが出来るので、
お手製のものを置いてある。
ごしごしと、布を泡立てていく。
すると、
「あ、あの。士郎さん、お背中流します。」
すっと近づいてきたのは斗詩。
どうやら、ずっと隙を窺っていたようだ。
「あ、ああ。助かるけど……一体どうしたんだ?」
そんな斗詩に少し焦った様子の士郎。
……センサーが警戒しているのか。
「昼間に文ちゃんや姫が迷惑かけちゃいましたし、
これからもお世話になりますから……ね。」
士郎の事は虎牢関の時から気になっていたのだが、
ここぞとばかりに距離を詰めに来たようだ。
「じゃあ、お願いするよ。」
「はい、任せてください!」
せっせと士郎の背中を洗い始める斗詩。
「男の人の背中って大きいですねぇ……」
「他の人と比べようが無いから、自覚は無いけどな。」
「文ちゃんも大分大きいですけど、
やっぱり違いますよぅ。」
「ん~~呼んだ~~」
名前に反応し、近寄ってくる猪々子。
「なんだアニキ、斗詩に背中洗って貰ってたのか。
……よし。アタイも手伝うぜ~」
そう言って布を手に取り、力任せに洗い始める。
「痛たたたたっ!す、少し力弱めてくれっ……!」
「んーーこんなもんじゃ無いのか?」
「ち、ちょっと文ちゃん、邪魔しないでよぅ……」
だんだん揉みくちゃになっていく三人。
そして当然の如く……
「うわぁっ!」
「わっ!」
「きゃぁっ!」
転倒した。
「いたたたた……っ…………
もう!文ちゃん…………って、何してるのよぅ!」
真っ先に立ち上がった斗詩が見たのは、
絡み合って倒れている士郎と猪々子の姿。
猪々子が余計に力を入れていた分、
より士郎に密着してしまったのだろう。
当然、他のメンバーも先ほどの悲鳴に反応して集まってくる。
「……どうしてこうなった……」
長い、女難の一日が過ぎていった……