アテナと護堂をいちゃつかせたかった。
ただ、それだけのお話です。
下ネタもあるので、そこは注意です。

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例えばこんな夜の話

 それは、ある蒸し暑い夜のことだった。

 

 青春の初期段階を暑苦しさの塊とも思える野球に費やした草薙護堂にとっては、暑さとは慣れ親しんだものだ。まして、護堂はカンピオーネ。全身を鉄をも溶かす高温で炙られたこともある彼にとって、蒸し暑いという程度は、睡眠を妨害するものではない。

 夜が深まり、掛け時計の短針は『2』の字を指すころのことだ。

 ちょうどその日は満月で、玲瓏たる月の光が窓から差し込んで室内を青白く染め上げていた。

 虫の声も、車の走行音もしない静かな夜。

 

 護堂は深い深い眠りから、ふと目覚めた。

 月の光がまぶしい。

 汗もかいている。

 しかし、それは原因ではない。

 血が猛っている。不自然なほどに、身体の調子がいい。寝起きだというのに、頭は冴え渡り、眠気の欠片もない。

 

 間違いなく、これは『まつろわぬ神』の気配。

 

 慄然とした護堂は、すぐに上体を起こした。

 あまりにも突然の来臨。

 これまでの多くの戦いでは、何かしらの事件に巻き込まれた後であったり、正史編纂委員会や仲間の誰かが出現を教えてくれていた。

 しかし今回は、違う。

 まだ、把握していたわけではないが騒ぎが起こっているわけはない。

 動くべきか、動かざるべきか、しばし黙考していると、月明かりに照らされる床面に影が滲みでた。

「これほど近づかなければ妾の存在に気づかぬとは、気が抜けているとしか言いようがないな。それでも妾の宿敵か? 草薙護堂」

 部屋の中心に、いつのまにやら小柄な少女が立っていて、護堂のことを見つめていた。

 吸い込まれるような黒い瞳は、原初の闇を思わせる。

 女神アテナ。

 四月に護堂と死力を尽くして闘った、女神に他ならない。

「お、おまえ……なんでここにいるんだよ!?」

「何故か。つまらぬ事を聞く。そのようなもの、決まっているだろう。かつての約定を果たしてもらいに来たのだよ」

 叫びそうになる我を抑えて、小声で問いただした護堂に、アテナは答えた。

 春先に東京に押し入り、その半分を大停電に陥れた女神だ。夏にペルセウスと戦ったときは、その手助けを受けて勝利をモノにできたようなもので、そのときに必ず借りを返すと宣言していたが、それを今返せというのだ。

「突然すぎるだろ。なんだって、こんな時間に」

「夜の女神たる妾が、夜に現れることになんの不思議がある? 解せぬのは、あなたのほうだ草薙護堂。『まつろわぬ神』を前にして、何故問答を挑む? 多少は成長したと見えるが、戦士たるの気概を持たぬは相変わらずよな」

 そんなこと、戦士ではないのだからあたり前だと、護堂は反論したのだが、アテナは聞く耳を持たなかった。

 この闘神の中で、護堂は戦士だということが確定しているのだ。

 これ以上話をしても、意味がないのははっきりしている。だから、護堂はそこを無視して話を進めることにした。

「それで、俺に何をさせようって言うんだ? 言っておくけど、人に迷惑をかけることはやらないからな」

「かまわぬ。此度の件はあくまでも妾とあなたとの間の話。余人が関わることこそ無粋の極みよ」

「?」

 護堂は首を捻りつつ、アテナをまざまざと見る。

 アテナのことだから、人のことなど無視して闘おうなどと言い出しかねないと思っていたのだが、そういうわけではないらしい。

「闘うつもりはない?」

「うむ。本来であれば、妾とあなたは仇敵同士なれば、次に相見えるときは雌雄を決すべき一大大戦とならねばならぬはずだったのだがな。聊か事情が変わった」

「事情ね」

 この女神が戦いを放棄するほどの何かがあったということか。

 それでわざわざ護堂の所へやってきた。

 なるほど、これは厄介事の臭いがする。

 護堂はその事情とやらをアテナに尋ねた。

「今から二日ほど前のことだ……」

 アテナが語るのは、彼女が見て聞いたイタリアの事件。

 二日前に、地中海を襲った大嵐。その渦中にいたのが、ほかでもないこのアテナと、もう一柱

『まつろわぬゼウス』

 だった。

 ゼウスはオリュンポス十二神の頂点にいる神王。かつてギリシャの地を征服した民族の神であり、インド=ヨーロッパ語族共通の天空神である。

 そして、このアテナをまつろわせた神だ。その性質上、アテナはゼウスには勝てない。そして、事実敗北寸前までいったらしい。

 結果、アテナは彼の地を追われ、日本に至る。

「親父が怖くて家に帰れない娘ってところか」

「何か言ったか?」

 ぎぬろ、と睨まれた。

 ただにらまれただけで臆する護堂ではないが、この女神の眼力は相手を文字通り石に変える。下手に機嫌を損ねて部屋を石造りにされても困るので口をつぐんだ。

「ん? サルバトーレはどうしたんだ?」

「あの剣士なら、船ごと海の底よ。ゼウスの雷撃でな」

 護堂が以前したのと同じ理屈で、撃退されてしまったらしい。空が飛べないと天空神の相手は難しいのだ。

「まさかペルセウスのときみたいに、俺にゼウスと戦えっていうんじゃないだろうな?」

 恐る恐る尋ねると、アテナは首を振った。

「それもよいが、あれは妾の獲物よ。妾と妾の母の仇ぞ。父とはいえ容赦せぬ。妾が手ずから彼奴の祖父と同じ目にあわせてくれる」

 妖しい笑みを浮かべているアテナに護堂は縮み上がる思いをした。主に下方が。

「それで、結局俺は何をすればいいんだ?」

「あなたは何もしなくてもいい。するのは妾だ。とはいえ、今すぐには行かぬ。七日の後に借りを返してもらうことになる」

「七日後?」

「うむ。今宵はそのことを伝えに来た」

 アテナは小さい胸を張って頷いた。

 それから、護堂の傍に歩み寄り。

「このことは秘事なれば、あなたの側女たちにも伝えることは許さぬ。よいな?」

「秘密にしろってことか?」

「無論。あなたがこのことを漏らさぬよう、口止めをしておく」

 そういうや否や、アテナは護堂の傍に歩み寄り、細く白い手を護堂の顔に伸ばす。

 そして、護堂の頬に手を添えるや、唇を重ねた。

 何かしらの術が、護堂の中に注ぎ込まれた。

「心配せずとも害はない。七日間、あなたが勝手な行動をせぬようにするためのものだ」

 アテナはささめくように言う。

「ではな。草薙護堂。七日目の晩に、また会おう」

 アテナはそう言うと、影に溶けるようにして消えていった。

 アテナが立ち去った後、護堂はしばらく動けなかった。アテナが自分に何かの術をかけたこともそうだが、そもそもアテナがこの場にやってきたことが冗談のようなことで、悪い夢を見ているようだった。

 今でも、護堂はアテナが自分の見た夢だったのではないかと思わずにはいられなかった。 

 

 

 

 明くる日から、護堂はアテナのことを考えるようになった。

 まず、自分の身体にかけられた術のこと、そして七日後にいったい何をすることになるのかという不安。

 女性のことに関してそつなく対応するわりに一人のことを集中して考えることのない護堂だから、これはある意味で異常なことだ。

 それほど、アテナが残していった印象は強かった。無視できない相手だ。

 エリカたちも護堂が何か物思いにふけることがあるのは勘付いていたが、それについて問いただすことはなかった。護堂から言うこともなかった。アテナが口止めをしたのだ。下手に話してしまえば、どのような事態を招くか分かったものではない。

 ため息をつけば誰かがそれを察知する。

 迂闊に愚痴もこぼせやしない。

 カウントダウンはすでに始まっていて、一日経つごとにゴールに近づいているのを実感させられる。

 まったく、面倒なことになった。

 とりあえず、元凶となったアテナと再開するまでは、現状維持を行くしかないようだ。

 

 

 

 そして、ついに七日目の夜が来た。

 時刻は午前二時。

 前回の邂逅と同じ時間だ。

 アテナは、七日前と同じように影を纏って現れた。

「七日ぶりだな、草薙護堂」

「ああ。七日ぶりだ。」

 護堂はベッドに腰掛けた状態で、アテナを見る。

「あんたの目的、改めて聞かせてもらうぞ」

 護堂はアテナに言った。

 アテナは人に迷惑をかけるものではないと言っていたが、基本的に『まつろわぬ神』は個々人に興味を持たない。

 人間がアリに抱いているのと同じような感覚のため、『迷惑をかけない』という宣言の範囲がどの程度なのか分かったものではない。

 アテナは、頷き、口を開いた。

「あなたの七日分の子胤を貰い受けに来た」

「ふうん、俺の子胤をねえ……ん? なんだって?」

 護堂は、思わず耳を疑った。

「あなたが七日間溜めに溜めた子胤を貰い受けに来たと言ったのだ。女神の言葉ぞ。聞き返すのは無礼であろう」

「だったら言葉を慎めよ! なんてこと言ってんだ! というか、あなたは処女神だろう!?」

「無論。しかし、同時に母でもある。妾と二度も相対しておきながら、妾のことを知らぬ、などということはあるまい」

 一応、概要くらいは把握していた。

 アテナが、護堂をしつこく狙っているのは誰の目から見ても明らかだったので、自分なりに調べたことはある。もちろん、言霊の剣が使えるほどではなく、表層をなぞった程度のものだが。

「な、なんでそんな話になってるんだ!?」

「ゼウスを倒さねばならぬ、と言っただろう。妾が同体を為す我が母メティスは、産んだ子が男児であればゼウスから王権を簒奪するとされた女神。それに、妾も子を為したことがある。孕んだわけではないがな」

「お、おう。へパイトスの……がふッ」

 護堂がそれ以上言う前に、アテナは護堂の口を手の平で塞いだ。

「それは言うな」

「あんたが振ってきたんだろうが……」

 へパイトスに胤をかけられた話は、女神としては忘れたい話のようだ。

「とにかくだ。神殺しの子胤となれば、それなりの触媒としては十分だろう。あなたの子胤とメティスとアテナの神話をなぞれば、ゼウスを超えることもできる……かもしれぬ」

「かもかよ」

「なに、ものは験しというではないか」

「ものは験しで人の貞操を狙うんじゃない!」

 反論する護堂を押し切って、アテナは護堂を押し倒した。

「貞操? なんだ、あなたはまだ未経験か。英雄色を好むという。あの側女たちをすでに抱いていると思っていたが」

「余計なお世話だ! 人のプライバシーにまで、入り込むんじゃない!」

「まあいい。ほかの女が手を出していないというのは重畳だ。なにはともあれ、女神への供物、他者が先に手をつけてよい道理はないからな」

 道理を説くのなら、アテナの行動も道理にそぐわないはずだが、アテナはアテナルールの下に行動している。護堂の道理はアテナにとって道端の石にも等しい無価値なものだ。

 アテナは冗談を言っているのではない。その瞳には、有無を言わせぬ迫力がある。

 おまけに、身体がしびれている。

 まさか七日前に仕込まれていたのか!

「今、あなたにかけた術を解いた。この七日の間、不能になる呪いで立つものも立たなかっただろうからな、すぐにでも……」

「人になんて呪いをかけやがる!?」

 害はないと言っておきながら、七日間護堂の息子のほうは使い物にならなくさせられていたのだ。

 男にとってこれほど恐ろしい呪いがあろうか、いや、ない。

 しかもご丁寧に麻痺の呪詛まで仕込んでいた。

 小柄な少女の姿をしていても、その正体は偉大なる大地母神。力は尋常のものではない。護堂が怪力の権能を使用できるほどの力を持っている。

「ふふふ、わかっているぞ。あなたは権能を振るわない。あなたは自らの行為に正当性を見出したときしか全力で戦えないのであろう? 戦場ではないこの場で、力を振るうことにためらいを感じているな」

「ッ……」

 アテナは護堂の性格もお見通しだった。

 本気の殺し合いの直後に、アテナを見逃した男だ。闘ってもいないこの状況下で権能を使うことに抵抗を感じるのは当然だった。

 それからアテナは護堂に抱きついて唇を重ね合わせた。

 今度は呪詛も何もない、ただ熱烈なだけの口付けだった。

「動くな。あのとき言ったであろう? あなたは何もしなくてもよいと。すべて、妾に任せておけばいい。七日分、すぐにでも搾り出してやる」

「か、考え直せって! 本当に!」

「ええい、男なら覚悟を決めんか!」

「ぎゃあああああ!」

 そしてアテナは護堂の服を力任せに引き千切ったのだった。

 

 

 

 

 夏の夜に、虚しく散った、さくらんぼ。

 

 

 

 朝、目覚めた直後に一瞬だけ全身を倦怠感が襲ったが、それもすぐに消えた。

 身体中に力が漲っているのは、近くにアテナがいるからだ。

 カンピオーネと『まつろわぬ神』。

 宿敵同士は近づくだけで、互いの身体機能を最大限に引き上げあう。それは敵を倒すための機能であり、当人達にはどうしようもないものである。

 これは普段、戦闘にしか用いられない機能であり、それゆえに護堂もアテナも見落としていた。

 いつまで経っても失われぬ体力。

 訪れぬ眠気。

 互いの負けん気。

 結果として夜通し闘い続けることになったが、ここでは詳細を省く。

 何れにせよ、護堂は大人の階段を登り、アテナは目的を達した。それだけが、事実として残ったのだ。

「此度の戦は妾の勝利だな」

 姿見の前に立ち、ニット帽を直しながらアテナが意気揚々と宣言した。

 角度を調整しつつ、銀色の前髪を整えている。

「もういいよ、あなたの勝ちで」

 アテナが近くにいるせいで、体力は無限に回復してしまう。しかし、精神は別。護堂は精神的な疲労を隠そうともせず、勝ちをアテナに譲った。

「あっさりと負けを認めるとは、男のくせに軟弱な」

 そして、アテナはなぜか機嫌を害した。

「そちらも鍛えなおさねばならぬかもしれんな。一人前の戦士となるためにも……」

 アテナが頤に手をやって、不穏なことをぶつぶつと呟き始めた。

「お兄ちゃん、いつまで寝てんの? もう朝だよ?」

 そこに、静花がやってきた。

 朝食の用意をしてくれていたのだろう。学生服にエプロン姿で現れたのだが、こともあろうにノックをせず、いきなりドアを開けたものだから、護堂も止める間がなかった。

「え?」

 静花が姿見の前のアテナを見て目を丸くし、

「む?」

 アテナは何事かと静花を見た。

 護堂は、どう対処してよいか分からず、思考を放棄していた。

「なんだ、あなたの妹か」

 アテナは嘆息して、護堂に尋ねた。護堂は頷いた後、なんとか言い訳の言葉を探す。探すが、見つからない。

「あ、あなたッ!? ていうか、どちら様ッ!?」

「ふん、人間の小娘の分際で妾の名を問うか。まあよい、あなたの顔に免じてその非礼を許そう。そして、この名を胸に刻むがいい。妾こそはオリュンポス十二神のアテナである」

 自身の胸に手を置いて高らかに宣言するアテナだが、静花は目を点にしているだけだった。なんだか不思議な迫力があり、中二っぽいことを声高に宣言する上に異様に態度がでかい外国のかわいい女の子。静花の印象はそんなものだった。

「?? じゃ、じゃあ、アテナさんね。アテナさんはどうしてここにいるの? こんな朝早くから?」

「あ、ちょ、静花。それは」

「お兄ちゃんは黙ってて。はい、アテナさん」

 護堂の言葉を遮り、アテナに発言を促す。女神を相手に、まったく動じないのは、草薙家の血筋ゆえか。

 護堂は顔面を蒼白にするが、そんなことに頓着するアテナではない。実に堂々と、一部の隙もなく仁王立ちして答えた。

「何故この部屋にいるかと? そんなもの、あなたの兄と臥所を共にしたからに決まっておろう」

 ぎゃああああ。

 護堂は心の中で悲鳴を挙げた。

 静花はガツンと頭を殴られたかのような筆舌尽くしがたい表情を作り、完全に固まった。

「は、はい?」

 信じられぬとばかりに聞き返し、

「あなたの兄と、共に寝た」

「ぐはあッ」

 血を吐くくらいの激しい衝撃が静花を貫き、その場に崩れ落ちた。

「さて、用も済んだ。妾は国に帰るとする。早々に父を倒さねばならぬからな」

 アテナは静花には興味ないというように、崩れ落ちる静花には視線もやらず、護堂に向き直った。

「そうか、まあ、頑張れ」

「うむ。では、また会おう。……妹も縁があればな」

 最後にそう言って、アテナは去った。

 消え方は人としてありえないものだったので、護堂は静花にどう説明したものか悩んだが、不幸中の幸いか、静花のほうはそれどころではなかったらしい。

 両手を床につけて、呪文のようになにかを呟いていた。

「い、一緒に寝たなにそれ全然意味わかんないあたしだってここ何年か別々なのになんであんな小さな娘がそんなことになってんの態度がでかいだけで胸も背も小さいくせになにをふざけたことを言ってるのかなていうか父を倒すってどういうことそういうことなのということは妹の前には義がついてしまうってことで結局選んだのがエリカさんでもリリアナさんでも万理谷先輩でもなくあんな小さな娘つまりおにいちゃんはロリ……」

「お、おい静花。とりあえず、説明をだな……あだッ」

 護堂が声をかけた瞬間、静花の中は立ち上がって、手持ちのお玉で護堂の額に一撃を入れた。鉄と鉄をぶつけ合うような金属音を響いた。

「う、うわあああああああん! お兄ちゃんの不潔バカ死ねーーーーーーーーーー!!」

 そして静花は泣き叫びながら、部屋を飛び出していってしまった。

 後に残された護堂は、いったいどう収拾をつけたらいいか頭を悩ませることになった。



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