C.E.71 5月28日 大日本帝国 横須賀鎮守府
「こちらが富士演習場で得られた対ザフトMS戦闘を想定した演習の戦闘詳報になります」
富士演習場からゼロセブンで横須賀の鎮守府に飛んだキラは鎮守府の司令官の補佐に新井から託されていた書類を手渡す。彼は今回司令官に会うこともあって背広を着ていた。補佐官が一瞬新卒の会社員かと思ったことは当然であろう。
「確かに受け取りました。任務ご苦労様です」
「それでは失礼いたします」
無事任務を完了させたキラはそのまま司令官室を後にした。彼が司令官室の扉を閉めたあと、司令官は補佐官に声をかけた。
「あれがアークエンジェルの白い鬼神か……私にはスーツに着られてる初々しい大学生にしか見えんかったが、人は見かけによらないものだ」
「自分も同じ感想を抱いてました。しかし、彼の年齢であればあれが普通でしょう」
「16歳だったな……この国ではそんな年で戦場を知るものなどおらんだろうに」
司令官は複雑な表情をしていた。
一方、キラはおつかいを無事に済ませた安堵感で肩を撫で下ろしながら鎮守府の門を後にしていた。その時、後ろから不意に声がかけられた。
「いたいた。え~と、貴方がキラ・大和君ね?」
キラは声のした方に振り返る。面識の無い女性の姿にキラは訝しげな視線を送る。
「はい、僕がキラ・大和です。ということは、貴女が新井さんが言っていた……」
女性は柔和な笑みを浮かべながながらキラに向き合った。
「ええ、私が神宮司まりも。新井に今日の貴方の案内役を頼まれているわ」
新井からは横浜に行く際に知り合いに案内役を頼んだと聞いていたが、いったいどんな知り合いなのだろうか。キラがまりも=新井の恋人という関係を邪推してしまったのは無理も無い話しだ。
「確か、城南大学に行きたいって言ってたのよね?」
まりもの車に乗り込んで二人は国道を進む。
「はい。そこに友達がいるんです。昼休みになれば時間も取れるって言ってましたし、久しぶりに話せるのは楽しみですね」
現在、トール、サイ、ミリアリアの三人は城南大学でパワードスーツ作成について学んでいる。元々飛び級でヘリオポリスのカレッジに入った秀才だけあって、毎日の勉強が楽しいそうだ。
友達について色々と話している間に車は大学の校門につき、キラは車を降りる。
「じゃあ、時間になったら校門にいらっしゃい。そこで拾ってあげるから」
「すみません、神宮司さんの折角の休日を僕のために捨てさせてしまって……」
申し訳なさそうにキラがまりもに頭を下げる。
「いいのよ、気にしないで。新井にその分は請求するんだから」
そう、彼女は報酬として次回の合コンで新井に陸軍の空挺レンジャー資格持ちのたくましい男性を誘ってもらうという条件を飲ませていたため、特に気にしてはいなかった。また、悩みを抱える少年に手を差し伸べることも教師である彼女の職務の一つでもあるのだから。
まりもに見送られてキラは城南大学の門をくぐる。手元の端末に映し出された地図を片手に彼は一路トールらの待つ食堂へと向かった。
「お~い、キラ!」
食堂で待っていると入り口から息を切らしながらサイが走ってきた。
「サイ!元気にしてた?」
「元気って聞かれると答え辛いな。カトーゼミにいた頃みたいに自分達でトライ&エラーを繰り返すようなことはまだやらせてもらえないから、毎日ずっと先輩や教授の雑用しながら色々と教えてもらってるだ。毎日あんまり眠れなくてね」
サイが苦笑しながら答えるが、その顔はアークエンジェルにいたころよりは生き生きとしているようにキラには感じられた。
「いたいた、も~サイったら、先に片付けたんなら手伝ってくれてもよかったじゃない」
「まぁまぁ、ミリィの分も俺が手伝ってやったじゃんよ。それよりもキラ、元気にしていたか?」
続いてミリアリアとトールが食堂に足を踏み入れて笑顔でキラに声をかけてきた。
「今は富士にある陸軍の演習場で日本軍のMSの訓練相手をやってるよ。いろいろと機密があるから詳しいことは話せないけど、普段の生活には不自由してないよ」
キラの話を聞き、ミリアリアが複雑そうな表情を浮かべる。
「ねぇ、キラ……貴方がまた戦場にいくなんてことは、無いわよね?」
ミリアリアに不安げに問いかけられたキラは一瞬であるが狼狽する。だが、すぐに平静を装う。
「ミリィ……突然どうしたんだよ。もう俺達はアークエンジェルの乗員でも、大西洋連邦の軍人でもないんだぜ?日本はオーブの父祖の国である大国だ。ザフトも簡単には攻めてこないさ。それに日本軍の実力はデブリベルトでも、アラスカでも見てるだろ?あの人たちどう見ても俺達よりも強いんだし、人手不足のアークエンジェルみたいに俺達を戦力として扱ったりはしないって」
トールはミリアリアの懸念を笑いながら一蹴する。
「確かにそうかもしれないけど……でもね、トール。実際に今キラは軍に一番近いところにいるのよ。それに日本軍の人たちも強いけど、キラだってあのフラガ少佐が艦の守りを託すぐらいには強いのよ。軍っていうのは力があればそれを活用することが求められる組織だと私達は知っているわ。いくら訓練相手っていっても軍は軍よ。必要とあればキラを戦場に送り出しても不思議じゃないと思うのよ」
ミリアリアの指摘を完全に否定できるものはいなかった。実際に彼らはその片鱗を体験しているのだから。
「実際、今日のキラを見てても思ったわ。貴方は平和な場所にいるのに、いつも遠くを、あのアークエンジェルの生活を見ている気がするのよ」
キラは否定できなかった。元々ミリアリアの人物観察眼はたいしたもので、カレッジのころから彼女に人間関係の相談事を依頼する人間も少なからずいたほどであった。しかし、ここまで正確に自分が今抱えている悩みを看破されたことはキラにとって驚きでもあった。
「考え過ぎだって。生きて戦場から帰れたんだ。普通あんな体験したら二度と行きたいとは思わないって。そんなことよりさ、こないだの休みにサイといっしょに日本の文化の
トールが話題を変えようといつものおちゃらけた感じで自身の聖地巡りについて語りだしたが、キラはミリアリアの言葉を意識してほとんど聞き流している状態であった。
2時間後にはキラは城南大学を後にしていた。ミリアリアに自分のことを指摘されてからというものの、最後まで結局彼女の言葉が脳裏をちらついて離れなかった。
「あっキラ君。どうだった?久しぶりに友達と色々と話してみて?」
まりもが大学の正面に回してくれた車を見つけて乗り込むと、まりもが話しかけてきた。
「みんな変わってなかったです。充実したキャンパスライフを過ごしているって言ってました」
キラはいい時間を過ごしていたように振舞うが、長年高校教師をしていたまりもの目は誤魔化されなかった。キラが何を隠しているのかまでは分からなかったが、それぐらい察することができなくて何が教師か。
「そのわりには浮かない顔をしているわね。悩み事でもあるんでしょ?」
まりもに断言されたキラは驚いて運転席に顔を向けた。
「やっぱり。図星だった?」
驚いた顔を既に見せている以上は誤魔化しは効かないとキラも悟ったのだろう。いや、それよりもまりもの雰囲気に影響されたというべきか、キラはその重い口を開いた。
「友達に言われたんです……僕は、平和な場所にいても、戦場での暮らしばかりを見ているって。自分自身……自分の居場所はここではないように感じてるんです」
自分は戦場でしか生きられなくなってしまったという事実を自覚してしまったことが彼にとって最大の苦痛だった。
戦いたくない。でも死にたくないし、友達を死なせたくない。そんな思いで戦場にたった自分がいつの間にか戦闘に愉悦を覚える戦闘狂になっていることを認めなくたかった。
まりもは車を海岸線で停めた。そして彼女はキラに向き直った。
「ねぇ……キラ君は、人を殺すことが好きなの?」
「違います!!僕は……僕は!」
キラは否定する。これは認められないからだ。自分が戦闘狂であったとしても人殺しに肯定を覚えることはできなかった。キラが声を荒げて自分が快楽殺人者であることを否定すると、まりもはやさしく微笑んだ。
「貴方は人を殺すことを快楽だとは思っていないし、戦場に戻りたいと思ってしまう自分を嫌っていられる。ならば、貴方は今のままでいいと、私は思うわ」
キラはまりもの発言の真意が掴めずにキョトンとしているが、まりもはそれに構わずに続ける。
「キラ君、貴方が今辛い思いをしているのは戦場に快楽を求めている自分が間違ってると分かっているから、快楽のために戦場を求める自分が間違っていると分かっているからよ。本当の戦闘狂だったらそういうことを分かってはいないわ……いいえ、分かっていてそれを肯定しているのでしょうね。でも、貴方はそれを否定できる優しさを持っている。その優しさがあれば貴方はいつかきっと戦闘を欲する自分を乗り越えることができるわ。だから、今は迷ってもいい。格好悪くても、どんなに情けなくてもいいから前を向いて生きなさい。自分を省みることができる人はいつかきっと自分自身の力で理想の自分になれるから」
キラは知らず知らずの内に涙を流していた。
「僕は……僕はこんな自分から変われるんですか?」
日本に来てからずっと溜め込んでいた感情が決壊したのだろう。流れる涙は止まらない。
「貴方がなりたい自分があるのなら、変えたい自分があるのなら、人は意思で変われるわ……」
そんなキラをまりもはやさしく撫でる。キラはまりもに抱きつきその胸で泣き続けた。
「ふふ……そうやって泣くのも青春だ……」
「お見苦しいところをお見せしました」
キラは真っ赤になってまりもに頭を下げていた。年頃の少年が年上の女性の胸に抱きついて号泣していたのだ。流石に恥ずかしい。
「気にしてないわ。教え子には下心丸出しの子もいたし、あのエロガキ達に比べれば貴方は純粋よ。それで、どうだったかしら?」
その言葉でますますキラの顔は赤くなる。
彼にとって比較対象となりうるのはアフリカでフレイの胸に泣きついたときぐらいだ。正直な話、フレイの方が張りがあった……かもしれないが、言えない。幾度も死線を越えた賜物であろう、言った瞬間何かが終わるという確信が彼にはあった。
因みにフレイとはそれ以上の深い関係……AとかBとかCとかは無い。Cにすら逝ってないのだ。フレイに泣きついた後キラはシャトルの難民を守れなかった罪悪感からそれこそ昼夜問わずMSの整備、OSの改修、シミュレーターを使った訓練に明け暮れた。デブリベルトで見た日本軍ほどの力が、アスランを軽くあしらうほどの力が自分達に最初からあったならと思わずにはいられなかったためだ。
自分には安らぎを求める資格は無い。フレイに慰めてもらう資格も無い。自分はフレイの父親を守れなかったのだから。彼はそう考えて自分を追い込み、強くなることが守れなかった者達への贖罪であると当時のキラは考えていたのだ。
その考え方が変わったのはオーブに入った頃からか。モルゲンレーテと関わることで国を守ることの意味を知り、そして宇宙で白銀少尉が教えてくれた言葉の真の意味を実感した。戦う覚悟を、守り抜く覚悟を決めた時に少年は一人前の男に変わったのだろう。
キラが顔を赤くして俯いている間に車は再び横須賀鎮守府の前まで来ていた。
「さて、着いたわね。もう悩み事は無いかしら?」
「今日は一日、ありがとうございました。でも、大丈夫です。僕は目指したい自分に向けてがんばります」
「そう……じゃあ最後に一つ。どうしても自分自身で解決できない問題があったなら、一人で抱え込まないで誰かに相談してみて。その相手は私でも、新井でもだれでもいいから」
「はい」
キラは車の助手席のドアを開けて降りると、深くお辞儀した。
「お世話になりました」
まりもは軽く手を振り、車を出した。
その後ろ姿を見送ったキラは鎮守府の門をくぐっていった。
オーブを巡る情勢も変わりつつあることを知ったキラが両親の日本国籍を条件に軍に入ることを打診されるのはこの3日後のことになる。