C.E.71 7月23日 太平洋 大日本帝国海軍第2艦隊 MS母艦『大隅』
「大和少尉、司令部より発艦命令が出ました」
「了解です。これより上陸地点に向かい、スティングレイ隊を援護します」
キラは計器に異常がないことを確認し、腰部スラスターに火を灯すと甲板上で機体の膝を曲げて跳躍する。同時にスラスターの出力を上げてそのまま大空へと飛び去った。
今回キラが母艦として乗り込んでいた『大隅』は元々は大型輸送艦で、MSを本格運用するには不安があった。しかし、乗員達はMS運用のシミュレーションを繰り返していたために特に問題を起こさずに運用することが出来た。
キラは発艦の直前、少しだけ思いをめぐらせていた。思えば遠くに来たものである。ヘリオポリスで親友と再会し、地球軍の新型MSに乗って親友と殺し合った。白銀さんに言葉をかけられて『何のために戦う』のかを考えた。
『仲間を守るために、もう誰も失わなくてすむように』力を求め、アフリカで、紅海で、オーブ沖で戦った。だが、満身創痍で辿りついたアラスカで自分達は捨てられた。自分や友人達は元々連合軍のために、いや連合国のために戦ってきたわけではないので切り捨てられたときにも正規軍人だった艦長ほどの絶望と失望を感じたわけではなかったが、自分たちを駒としてしか扱わない連合軍に元々それほど抱いてなかった愛想は完全に尽きた。
そして白銀さんに助けられて日本へ来た。――そう、僕が軍人としての道を選んでから2ヶ月が過ぎていた。
C.E.71 5月27日 大日本帝国 富士演習場
「操縦系統がストライクとぜんぜん違う……それにこのOS……なんて効率のいいんだ。このOSを組み上げた人は天才だ!」
キラは富士演習場にて自分に与えられた機体の調整をしていた。彼は日本に亡命後にその豊富な戦闘経験を買われ、3年間軍に協力してくれれば国籍も用意してもらえるという条件を提示されたのである。日本国籍の獲得は留保したが、彼は日本軍に協力することを了承したために現在仮想敵役として富士に赴任しているのである。
現在世界で最も安全で豊かな国である日本で暮らせることに彼自身も魅力を感じなかったわけではないのだが、オーブに残してきた両親のことを考えると即決はできなかった。両親の住む母国と決別して他国に骨を埋める覚悟をすることは16歳の少年には厳しいものである。
因みに彼の両親には息子が日本にいることはオーブ政府により通達されている。キラ自身も検閲が入るが両親に手紙を出すことができる。ただし面会は未だに不可能であるが。
キラの乗り込んだ撃震はザフトのジンを想定した装備をしている。今回彼は軌道降下してきたザフトのMSを想定した仮想敵を担当することになっているのだ。また機体は撃震であるが、各部の反応速度、各部スラスターの出力は可能な限りジンの動きに近づけられるように特別な調整が施されている。
キラは撃震を演習場の所定の位置に待機させる。もうすぐ演習が開始されるだろう。網膜投影スクリーンにはカウントダウンが表示されている。
5――4――3――2――1――0
コックピット内に演習の開始を知らせるアラーム音が響いた。同時にキラはスラスターを全開にして敵機へと接近する。振り下ろした重斬刀は敵機が構えた盾に防がれるが、キラはまだ止まらない。そのまま敵機に体当たりをくらわして相手の体勢を崩そうとする。
しかし、相手はそれを読んでいた。跳躍ユニットを噴射して跳躍、そのまま宙返りを決めてキラの後ろを取ろうとした。それに反応したキラは前進する勢いを殺さずにそのまま距離を取った。撃震の装備であれば背部ガンマウントを起動させて宙にいる敵を狙い打つことなど造作もないことであったが、今回キラの駆る撃震は
キラは敵機から距離を取ると突撃砲をマウントし、再び重斬刀を構える。しかし、予測していた着地地点には敵機の姿はない。レーダーが上方に敵機を感知し、コックピットに警報が鳴り響く。上方にカメラを向けたキラの撃震のモニターには陽光を隠れ蓑にして長刀を構えながら急降下する敵機の姿が映っていた。
しかし、モニターの光度調整のためにキラがその機影を目で確認するのに一瞬タイムラグが生じた。その間にも敵機は加速をかけて急降下してくる。反応が遅れたキラは回避に一瞬手間取り、左腕を長刀で切断されてしまう。だが、キラも左腕を相手に献上したわけではない。左腕を手首から切断された衝撃で体勢を崩しながらも右腕に突撃砲を装備し、左腕ごと敵機に36mm弾を叩き込む。
撃震の右脚と右跳躍ユニットに黄色い塗料が咲き誇る。今回の模擬戦闘では互いに黄色い染料を含んだペイント弾が使用されることになっているのである。因みに一応刀も刃を潰してはある。ただ、先ほどのように急加速をかけて叩きつければ切断することも不可能ではないようだ。管制ユニットが挿入されている胸部コックピット周りは堅牢に作られているために安全性には問題は無い……とキラは聞かされていたが、正直不安になった。
まだ戦いは終わらない。敵機はガンマウントから突撃砲を正面に構えて掃射、キラから距離をとる。一方のキラも焦り始めていた。ザフトの標準兵装であるMMI-8A3 76mm重突撃機銃の装弾数を想定しているために撃震の突撃砲に比べてキラが使用している突撃砲は元々の装弾数が少ないのだ。このままではキラの方が先に銃弾が尽き、不利になってしまう。
瞬時に自身が形勢不利であると判断したキラは突撃砲を連射しながら突撃を敢行する。敵機は先ほど長刀を構えるときに捨てた盾を拾って銃撃から身を守るが、キラは止まらない。そしてそのままの勢いで盾に向かって突進し、タックルを決めた。その勢いで敵機は僅かによろめく。タックルを仕掛けたキラの機体もその勢いで跳ね飛ばされる。
しかし、キラはそこまで想定していた。タックルの直前に両脚を屈して跳ね上がるようにタックルをしたキラの機体は丸みを帯びた盾にぶつかったことで上方に跳ね飛ばされる形となった。そして体勢を崩した相手に向かって突撃砲の残弾を残さず叩き込んだ。もはや照準など定めていない乱射に近かったが、これだけの至近距離であればまず外すことはないとキラはふんでいたのだ。敵機のパイロットも予想以上の衝撃で咄嗟に盾を上方に向けることはできなかったのである。
敵機の装甲に黄色の弾痕が咲き誇ると同時に演習の終了を告げるブザーが演習場に鳴り響いた。
「強いな、坊主」
演習終了後、ハンガーに機体を収容したキラを先ほどまで戦っていた機体から降りてきた新井仁大尉が労う。
「いえ、僕にもいろいろと反省すべき点があると感じました。まだまだですよ」
「坊主、お前にそれを言われちゃあ俺達の立場が無いぜ。それに俺が知る限りではお前は2番目に強い。少しは誇ってもいいだろうに」
苦笑する新井にキラが問いかける。
「因みに大尉の知る最強のパイロットってもしかして白銀少尉ですか?」
「おお、そうだ。よく知ってるなぁ……ってそうか、坊主はあのアークエンジェルに乗ってたって言ってたな。なら低軌道会戦で白銀少尉の戦いを直接見てるのか」
「白銀少尉は凄いです。あの動きには全く無駄がありませんし、常に予測できない機動をしていますから翻弄されてしまいます。」
実際、キラには同じことをやれと言われてもできない。日本のMSが世に出てから僅か1年だというのに、彼の練度は大ベテランのようだとキラは感じていた。
「あいつは別格だろ。横浜の魔女がコーディネーターを抹殺するべく造りだしたアンドロイドっていう噂もあるぐらいだ」
「……映画の見すぎじゃないですか?」
キラは胡散臭げに新井を見つめる。
「まぁ、都市伝説の類だ。……実際あの魔女はこのMSを数ヶ月で完成させてるしな、微妙に信憑性が出てくるわけだ」
そんな他愛のないことを話しながら二人はロッカールームへと向かう。その途中、先ほどの話に武の話題が出てから少し顔に陰りを見せていたキラが新井に尋ねた。
「新井さんは、戦争ってどう思いますか?」
「なんだ?藪から棒に……」
訝しげな視線を受けたキラは俯きながら口を開いた。
「僕は戦場が嫌いでした。いきなり平和だった場所から放り出されて命をやり取りを強いられる。僕は殺したくはなかったですし、仲間も死なせたくありませんでした。そんな場所にいたいなんてあの時は思ってもいませんでしたよ。でも……戦場から離れてもまだ、心に燻っているものがあるんです。自分の居場所はここではないように感じるんですよ」
キラはふと歩みを止めて空を見上げる。
「夕陽で血の色で染められた砂漠の戦場も、銃弾飛び交うアラスカの空も、今僕の上に広がる雲ひとつない空も全部繋がっているのに、今自分がいる場所は戦争なんて無縁の場所です。あれほど戻りたいところに戻れたというのに、なんて言うんでしょう……あの場所の空気が吸いたくなっている自分がいるんです」
新井はキラの話から一つの結論を導き出していた。恐らくキラは戦場帰還兵に稀に見られる『戦場依存症』とでも言うべき状態にあるのだろう。つまり彼は今ギリギリの命をやり取りを日常的に行っている戦場の空気に慣れてしまい、いざ戦場から開放されても戦場での生死をかけた戦いの緊張感と生き残ったことに対する充実感と開放感が快感となってしまい、戦場が恋しくなる状態にあるのだ。
戦場帰還兵の中には戦場に魅入られ退役後も各地の紛争地帯で傭兵として身を投じているものも珍しくないのだ。新井自身は本格的な戦争に参加した経験が無いが、このような戦場帰還兵の話は士官学校で教官から聞いたことがあった。その時に話をしてくれた老齢の教官自身も若いころに同じような経験をしたことがあったのだという。
聞けばキラは偶然に戦争に関わることとなり、戦場で戦った相手もザフトで名を知られた部隊ばかりだったという。大の大人ですらこれほどの試練を課されれば色々と影響を受けることは免れないだろう。ましてや人生経験の少ない少年に与えた影響は如何ほどか。
元教官曰く、平和の中で自分の居場所を見つけられない人ほどに戦場に魅入られやすいという。本来ならば両親のもとに帰って戦場でのことを忘れて日常に回帰すべきなのだろうが、彼自身の能力や亡命の経緯などの諸事情によりそれはできない相談だ。
長い沈黙の後、新井は口を開いた。
「坊主……お前さんは何のために戦ってきたんだ?」
その問いにキラは答えた。
「仲間を……友達を死なせないためです」
「お前さんが戦うことで友達は救えたのなら、彼らと会ってみろ。自分が守ったものを、救ったものをもう一度見てこい。俺の権限で今週末にお前の外出許可をとってやる」
突然の提案にキラは首を傾げるが、新井はそれに構わずに話を続ける。
「お前さんの友達は今横浜の城南大学にいるって言ってたな。そいつらにもあってこい。気晴らしにもなるだろうからな」
そういうと新井はロッカールームの扉を開けてその中に入っていく。
危険だ。パイロットスーツを脱いだ後、シャワーで汗を流しながら新井はキラの状態をそう判断していた。だが、彼は自身の力でキラの抱える問題を解決できるとは思えなかった。10代後半の色々と難しい時期にある少年の、それも普通でない経験をした少年のカウンセリングなんてものは管轄外だ。自身がキラと同じ年だったころを考えてみても、友人とエロ本を回し読みしたりと馬鹿なことをしていた以外の記憶はなく、全く参考にならないためである。
そんな中でふと、新井は高校時代の友人のことを思い出した。今でもよく合コンのセッティングを手伝ってもらうこともある関係上、そこそこに彼女とは親しい。確か彼女は今横浜で高校教師をしていたはずだ。彼女にカウンセリングを頼んでみるのがいいかもしれない。
思い立ったが吉日。新井はシャワー室から出ると携帯を取り出して電話をかけた。既に日も沈んでいるこの時間帯であればあちらも電話に出る余裕があると彼は踏んでいた。予想通りに数回のコールの後で彼女が電話に出た。
「一体何よ、また合コンのセッティング?貴方が連れてきた男と上手くいったことなんて私一度もないんだけど。そろそろきちんとした男を」
「すまんが今日は合コンの話じゃない。それにお前が男と上手くやれないのはお前の酒癖の悪さが原因だ。俺の人選ミスではないぞ……」
そう。彼女は酒癖が非常に悪い。それさえなければ男の一人や二人簡単に捕まえられるだろうに。いや、そんなことよりも今彼女に聞くべきことは他にある。
「今日は真面目な話だ……お前、明日空いてるか?」
「何よ突然に……ええと、明日ね、一応空いてるわ。それで、合コンのセッティングじゃなければ一体何のよう?」
新井は彼女の予定が空いていたことに安心していた。こんなことを頼める適任者は自分の知る限り彼女しかいないのだから。もし彼女の都合が合わなければキラのカウンセリングなど不可能だったろう。基地のカウンセラーにも一度問い合わせたが、色々と複雑な年頃の少年のケアは経験がないと言われていたために相談するのを躊躇していたのだ。
新井は一息つくと口を開いた。
「戦場帰りの少年のカウンセリングを頼めないか?」