彼女はラインハルトとの仲を良好にすべく、貴族専用のレストランを予約した。
貴族しか立ち入ることができないレストランは珍しいものではないが、このレストランは徹底しており、護衛といえども平民は立ち入り不可というもの。
排他的でラインハルトが嫌いそうなレストランだが ―― 彼女が誘ったのには理由があった。
このレストランの総料理長は、彼女の実家の料理を取り仕切っているマルセルの親戚。二人とも下級貴族で、代々貴族の屋敷に料理で仕えて、生計を立てていた。
だが近い将来、門閥貴族がラインハルトに粛清され、このレストランは十中八九潰れる。なので、総料理長が再就職しやすいよう、ラインハルトに伝を作っておこうと考えた。
料理の味と氏名をラインハルトに記憶してもらっておけば、道も開けるだろうと。むろん最終決断は総料理長の意思だが。
折しも支配人から招待状が届いていたので、ラインハルトの予定をフェルデベルトに調べさせ、パーティーや仕事がないとされる日に予約を入れてから誘ったのだが ――
「アイゼナッハと食事ができて、本当に嬉しいわ」
「……」
ラインハルトにふられて、アイゼナッハとテーブルを囲むことになった。
ふられた理由は、本日はキルヒアイスとの記念日で、毎年二人で過ごすことになっているのだと聞かされた。
―― だから予定がなかったのですね。記念日って……キルヒアイスと簒奪を誓った日かなにかでしょうか?
記念日については詳しく聞かなかったが、ともかくキルヒアイスがらみならば、そちらを優先させるべきだと、彼女は身を引き ―― だが純粋にそのレストランで食事をしたい彼女は、別の人を誘うことにした。
「同伴相手は軍人でお願いします。この頃、また厄介な動きがありまして」
「そうですか。分かりました、キスリング」
だがキスリングから人選はできれば「まっとうな」軍人でと言われ、途端に誘える人の範囲が狭まり、困ることになった。
キスリングとしては、ラインハルトが一緒に行くということで、自分が離れても大丈夫だと考えていたが、ラインハルトは妻からの誘いを断り、幼なじみで半身であるキルヒアイスを優先。
―― 一回くらい、ジークリンデさまを優先しても良いと思うんだけどな。ジークリンデさま、お優しいから全部許して……ホモって噂、もっと流れろ
”誰を誘おうかしら”悩んでいる彼女の隣に立ち、キスリングはそんなことを考えながら、
「パウルさんは?」
いつ、いかなる場面でも最良の判断を下し、実行できるであろう人物の名をあげてみたが、
「劣性遺伝子排除法が幅をきかせている店だから、門前払いされるわ」
義眼で門前払い。
むろん彼女が頼めばオーベルシュタインも貴族なので入店はできるが、蔑みの目で見られるのは、どうすることもできない。そんな居心地の悪い場所に、オーベルシュタインを連れて行く気にはなれない。
「そうなんですか。では、リュッケはどうです?」
彼女が側にいるた場合、迷子になると定評があるリュッケを推薦してみたが、
「同い年の男性は……エッシェンバッハ侯、嫉妬なさるみたいなので」
ラインハルトは性的な知識は未熟だが、嫉妬は普通にすることが分かったので、リュッケの将来を考えて彼女は除外していた。
―― 嫉妬するのに、誘いに乗らないって……
シュトライトも”まともな軍人”なのだが、後方担当が長く、護衛として見ると心許ないので、キスリングの中で除外されている。
ロイエンタールに関しては能力は文句のつけようはないが、性格が”あれ”なので最初から数えられていない。
「やはり諦めますね」
残念そうな彼女に、思わず”やっぱ、誰でもいいですよ”と言いたくなったキスリングだが、彼女を危険にさらす可能性があるのだからと自分に言い聞かせて、
「ファーレンハイト提督がいらっしゃれば良かったのですが」
オーディンにいない男に責任を押しつけた。
本当に責任を取るべき相手はラインハルトだが。
シュタインメッツはブラウンシュヴァイク夫人を領地へ、ファーレンハイトは演習へ。そしてオーディンに残っているのは――
「……ねえ、キスリング。アイゼナッハは?」
ファーレンハイトと聞き、彼女はアイゼナッハのことを思い出した。
下級貴族である程度の年齢、そして妻子持ち。
軍人としての能力に問題はなく、オーベルシュタインとは別方向に冷静沈着。
「何事かが起こった際、ジークリンデさまが声を上げてくださるのでしたら」
いつも通り彼女に許可を取らず、盗聴器を忍ばせあたりの様子をうかがう予定だったのだが、相手がアイゼナッハとなると最悪、物音だけで判断しなくてはならない。
―― 危険を察知しても、声を上げそうにないなあ……でもジークリンデさまは……
それは望めそうにないので、危険があったらとりあえず叫んで欲しいと頼んだものの、過去の専任護衛たち(フェルナー・ファーレンハイト)曰く『ジークリンデさまに、危険察知能力などない。ほとんど気づかないから、あてにしないように』と言われているので、不安極まりなかった。
「分かりました……良いこと思いつきましたよ、キスリング。盗聴器を忍ばせて行けばいいのではないでしょうか?」
「よろしいのですか?」
「他の方でしたら、会話の内容を第三者に聞かせることになるので駄目ですが、アイゼナッハは喋らないでしょうから。私が一人で喋っている内容なら、聞かれてもかまいません」
盗聴しても失礼にあたらない、沈黙の男・アイゼナッハ。
「かしこまりました。では急いで用意いたします」
「その前に。アイゼナッハに今日、空いているかの確認を」
「……そうでした」
このような流れで、アイゼナッハが候補に挙がり、連絡を入れたところ、副官のグリース少佐から快諾の返事が返ってきた。
ちなみに予約を取る前に予定を聞かなかったのは、アンネローゼがヒルダに言った言葉「ラインハルトは一光年以下の単位の出来事には興味がない」と「買うと言えば”無駄だ”と言うが、買ったと言えば”そうか”と答える」らしい性格をを鑑みて『外食しませんか?』と誘っても『自宅で』返されるのではないかと考えて、先に予約を入れたのだが、うまくいかなかったのである。
こうして赤みが強い朱色の蝋燭が灯るテーブルで、二人は食事を。
「グレーチェンにサムシングブルーを届けてくれるとか」
「……」
しっかりと頷く、アイゼナッハ。
「ウイスキーが好きなのよね。味はどう? ほかのも試していいのよ。遠慮しないで」
「……」
まだウイスキーが半分ほど入っているグラスを持ち、今度は軽く頷く。
話し掛けると丁寧に反応してくれるので、彼女としては誘って良かったと、
―― 周囲の音が拾いやすくていいな。そろそろ食事も終わり……ん?
唯一平民が立ち入れる駐車場で、音を聞き待機していたキスリングは、路上に停まった地上車をうかがう。
降りてきたのは、
―― エッシェンバッハ侯? なんで
月明かりをかき消してしまいそうな、輝きを放つ金髪を持つラインハルト。軍服ではなく、貴族らしい格好 ―― 膝まであるブーツに、ベージュのズボン。黒地のテールコート、その下に着用しているのは、白いのシャツで袖口と襟にフリルが大量に縫い付けられている。
車から降りたラインハルトは、燕尾服をはためかせながら、ためらうことなく大股でレストランに入り、彼女の元へと向かった。
”伯爵夫人”
”どうなさいました? 元帥”
”実は……”
(なにかが動いているような音が聞こえる)
”そうですね。では、本日はこれで。付き合ってくれて、ありがとう。アイゼナッハ”
(衣擦れの音がしばしして、指を鳴らしたとおぼしき音が聞こえる)
少しして店員がキスリングに地上車を回すよう伝えに来た。
キスリングは言われた通り正面入り口へと地上車を回す。それからしばらくして、彼女とラインハルト、そしてアイゼナッハの三人で出てきた。
「キスリング」
「はい」
「アイゼナッハを送って。私は元帥と帰ります……大丈夫よ」
―― キルヒアイス提督を連れてこなかったのは、良しと言えば良しなんだが、警護としては……こっちの計画を、ことごとく狂わせてくれる人だな
色々と言いたいことはあるが、キスリングが言えるはずもないので、
「かしこまりました。それでは元帥閣下、伯爵夫人。失礼させていただきます」
地上車から降りて深々と礼をして、二人を見送った。
「……」
「お送りします、アイゼナッハ中将」
「……」
―― 会話は録音するとして、フェルナーさんに追跡をお願いするか
**********
彼女はラインハルトが乗ってきた地上車に乗る。
地上車は自動運転で、車中は本当に二人きり。車中には彼女の好きなクラシック曲がかかっていた。
「……」
「……」
先ほどのアイゼナッハの沈黙とは違い、なんとも居心地の悪い沈黙。それを打破すべく、
「私この曲、好きです」
当たり障りのない話題で話し掛けた。
「以前、伯爵夫人がそう言っていたような気がしたので……」
―― どこでそんな話を……ああ、ヴェストパーレ男爵夫人のサロンで。覚えていてくれたのですか
「元帥はどのような曲が、お好きですか?」
「あまり音楽に詳しいわけではないので、どれが好きとは言えないが……この曲は良い曲だと思う」
―― そういえばサビーネは、この指揮者の音が好きだと言っていましたね
サビーネは音を聞き、誰が奏でた音か、正確に聞き分けることができる。
先日写真を撮影した際『特技なんです。試してください』と、彼女にメモを見せてきた。そこでサビーネに後ろを向いてもらい、カタリナと”ドからソ”までを弾いて、音を当ててもらったところ正解。何度繰り返しても間違うことがなかった。
もっともカタリナ曰く「ジークリンデが奏でる音は、特徴があるからすぐに分かるわよね。私でも聞き分けられる自信あるわ」と言い、サビーネも首を大きく振り、その意見に激しく同意していた。
『ジークリンデさまが奏でる音なら、どんな雑踏の中でも聞き分ける自信があります』
恋文を初恋の相手に渡す少女の仕草そのもので、彼女にそう書いた紙を手渡した。
曲を聴きいて、彼女はそのことを思い出した。
「元帥と好みが似ていて、嬉しいです」
「そ、そうか……実は……キルヒアイスに注意されて……」
ラインハルトが彼女をむかえにきた理由は、キルヒアイスに咎められて。
他に注意できる人がいるとしたら、それはアンネローゼだけ。
「それは、申し訳ないことを。私のことなど、気になさらずとも良かったのに」
―― アンネローゼでなくて良かった……のかしら? キルヒアイスとの仲が悪くなったとか言いませんよね……私、オーベルシュタインのポジション? それはそれで……
アンネローゼではないことに、一度は胸をなで下ろした彼女だが、キルヒアイスとの仲のほうが拗れやすいことを思い出し、思わず身震いした。
―― とりあえず、キルヒアイスさえ生きていたら、ラインハルトが覇権を得るまでに流れる血は減る……はず。生きているルートを見たこともないし、想像したこともないので分かりませんけれど
「伯爵夫人」
「はい」
ラインハルトとキルヒアイスの仲と、宇宙の将来に彼女は思い悩み、もう一度身を震わせた。
「先ほどから震えているようだが、寒いのだろうか?」
”大丈夫です”と答えようと顔を上げた彼女だが、彼の後方に見えるフロントガラスの向こう側の景色 ―― 雪がちらついているのを見て、
「少々」
突然寒さが襲ってきた。
「もう少し、温度を上げよう」
ラインハルトが手元のパネルに、形の良い指を乗せる。
「ありがとうございます」
パネルを操作したラインハルトは、その手を伸ばして彼女の肩を抱き寄せた。
「その……暖かくなるまで……いいだろうか?」
「もちろん」
シュワルツェン邸に到着するまで、彼女を抱きしめたラインハルトの腕が緩むことはなかった ―― 一月下旬、季節は冬。
【序】傾国の花嫁・終