シュトライトは灰色ががかった頭髪で、モルトは元は黒髪だが、今は白髪のほうが多く ――
「ジークリンデ、やっぱりあなた、灰色っぽい男が好きなのね」
「それに関しては、もう否定しません……カタリナ」
彼女と侍従武官たちが一緒にいる姿を見たカタリナに指摘され、もはや否定のしようがなかった。ちなみにリュッケは、カウントされていない模様である。
**********
「ラインハルト。伯爵さまに失礼ないようにね」
「はい、姉上」
アンネローゼの憂いに満ちた見送りを受け、ラインハルトは彼女の実家へ、
「行くぞ、キルヒアイス」
「はい、ラインハルトさま。……行って参ります、アンネローゼさま」
キルヒアイスを連れて向かった。
―― やはり私が付いて行ったほうがよかったのでは……
風にたなびく金髪を手のひらで押さえながら、アンネローゼはひたすら弟のことを心配していた。
「初めまして、伯爵閣下」
「これは丁寧にありがとうございます、侯爵閣下」
ラインハルトと彼女の父親の伯爵とは、やはり共通の話題はなく ―― 普通は家柄の話などをするものだが、ラインハルトには家柄もなにもなく、門閥貴族に知り会いなどいないに等しい。
ラインハルトの極僅かな貴族の知り合いは姉絡みで女性が多く、妻の父親の前で他の女性を話題に出すのは愚か者の極み。
ラインハルトだけでは、まさに挨拶だけで終わりそうになってしまったのだが、キルヒアイスが話題を用意してきてくれたため、いたたまれない沈黙は避けることができた。
ラインハルトと伯爵には共通点はないが、ラインハルトの過去の幕僚に、伯爵の顔見知りが何人かいた。
「シュターデンにアーダルベルトか。大変だっただろう」
アスターテ会戦の際、ラインハルトの元で戦った将校の名を挙げ、
「あ、いえ。いや、その、彼らの力もあってこその勝利でした」
ラインハルトは最大限のお世辞を述べた。
「私は作戦や戦い方などは知らないが、シュターデンが零していたな。あのような作戦が成功するとは……と。まあ、シュターデン向きの作戦ではなかったのだろう」
実は彼女の父親もシュターデンが「理屈倒れ」と呼ばれていることは知っているが、あえて口にしないため ―― ハラハラしながら臨席している彼女は、なかなか理屈倒れに会えないでいた。
もっとも会ったところで、彼女になにができるのか? 問われたら、困るのもいつも通り。なにもできないのだが。
「そうですね。彼と私とでは、考え方や物の見方が違います……年齢もかなり離れているので」
シュターデンが伯爵の知り合いであることを、邸に来る途中にキルヒアイスに聞かされていたので、ラインハルトは言葉は充分に気を遣う。
「アーダルベルトは世間の評価では、扱い辛い男だそうだね。私が見る分には、随分と従順で、なんでも言うことを聞く男に見えるのだが。やはり侯爵も扱い倦ねたかね?」
父親が知っているファーレンハイトは、彼女が側にいる状態のファーレンハイトなので、通常のファーレンハイトを知る者からすると、その態度は不気味ですらある。
その従順ぶりは「ガイエスブルク要塞からオーディンまで十三日で帰ってきて」という、怖ろしい無茶を、何度も挑戦して成功させたくらいに ―― このときも、シュターデンは「理屈としておかしい」とぼやいていたのを、伯爵は聞いていた。
この無茶については後述に回すが、
「いいえ。幕僚のなかで、もっとも年が近かったため、私の策に好意的でした。先鋒を務めさせ、その期待に見事応えてくれました」
自らの戦いについては詳細を覚えているラインハルトは、キルヒアイスの意見を交えて、無難に。
「なるほど、そうかね。年が近い……侯爵はジークリンデと同い年……十一歳違いで、もっとも年が近いとは」
「はい。そこにいる、伯爵夫人の警備を任せた部下も、私より十一歳年上です」
義理の親子の初対面に居合わせることになった、場違い極まりないルッツは、突然話題にされ ――
「はっ!」
軍人らしい返事で誤魔化した。むろん、返事をしたルッツ自身、誤魔化した自覚はある。ただ彼の存在は誰にとっても助けになった。無理に会話を続けるよりならばと ―― 場所を庭の射撃場に移し、火薬式の銃で射撃を楽しむことになったのだ。
「初めてだな、キルヒアイス」
「そうですね、ラインハルトさま」
ここでは、シャフハウゼン子爵とヘルクスハイマー伯爵の間に利権争いが起こっていないため、ラインハルトは火薬式の銃に触れるのは、この日が初めてであった。
ルッツから撃ち方を聞き、初めてながら、天性の才能で的にあてるラインハルトとキルヒアイス。そんな彼らから見ても、射撃にはかなり詳しい伯爵から見ても、ルッツの腕前は見事なものであった。
「凄いですね」
「そうだな、キルヒアイス」
ルッツが的の中心を次々と射貫く姿に、素直に感動した手を叩き、伯爵は秘蔵の銃を持ってこさせて、撃たせてみたりと。
その時彼女は、建物の中で紅茶を飲み、目が合えば手を振り ―― 貴族女性そのものの仕草で、彼らの射撃を見学していた。
その傍らに控えているのは、執事のオルトヴィーン。
「オルトヴィーン」
五十過ぎのこの執事は先代の伯爵、彼女が生まれる前に死亡した祖父のことだが、彼が縁戚に頼まれて四十年近く前に引き取り ―― 伯爵邸の執事となった。聞けば彼女の記憶を刺激するような過去があるのだが、早くに実家を出た彼女は、この執事の数奇な運命だとか、ある日突然舞い込んできた男爵位などについて、何も知らなかった。
「はい、お嬢さま」
貴族でもある彼だが、執事として最期まで生きることを決めており ―― 彼女の前では一使用人であった。
「キスリングは、まだ犬舎のほうに?」
「はい。御用がおありでしたら、すぐにでも呼んで欲しいと」
「ありません。あら、元帥こちらを見てくださったわ」
キスリングは邸に来る度、犬の飼育員に、色々なことを聞いていた。彼女の兄と父は狩猟が好き ―― 狩猟の共と言えば犬。彼女の実家でも躾の行き届いた猟犬を何匹か飼っている。
その中の二匹がオーベルシュタインが拾ったものと同じ犬種なので、飼育する上での注意などは聞けるのではないかとキスリングは考えた。
キスリングは犬を拾った時に一緒にいたので、官舎住まいで飼えない分、他のことでフォローしようと ―― それで尋ねたところ、たまたま近くにいた猟犬好きな彼女の兄が、事細かに教えてくれた。
むろんキスリングは最初、彼女の兄に聞こうとしたのではなく、彼女が紹介してくれた飼育員に聞こうとしたのだが、兄がやたらと饒舌に語ってくれそれを黙って聞いていたところ、なぜか妙に気に入られ、邸を訪れたら犬舎に顔を出すように言いつかったので、律儀にそれを守っていた。
父親とラインハルトは意気投合したわけではないが、ソファーに座ってシュターデンのことを話すより、外で銃を撃つ方が性に合っていたようで ―― 互いに良い感情を持ったまま、帰宅の運びとなった。
見送りのために彼女も玄関前へ。
「それでは元帥。また明日の昼に」
「ああ、伯爵夫人。それでは」
ラインハルトとキルヒアイスはこれから仕事があるので、例えホテルに宿泊していなくとも彼女が同行することはない。
彼女は実家で少々時間を潰し、次の予定に取りかかる……のだが、
「良かったら、父上の相手、してやって下さらない」
ルッツにまだ見せたい銃があるだとか、あの銃について語り合いたいだとか、なかなかルッツを手放そうとしなかったので、
「かしこまりました」
「ホテルに帰る前に、助けに来ますから。父上、今日だけ特別ですからね」
”二度と連れてきません”と、心に決めて、訪問の約束を取り付けていたメルカッツ邸へ、キスリングたちを連れて向かった。
以前のお礼を送ってから、手紙で徐々に親交を深め、こうして訪問できるまでに至った。メルカッツの妻子の身の安全を図ろうなどという目的があるわけではなく ―― 本当は図りたいところだが、自分のことで手一杯なので ―― 純粋に興味と尊敬から出た行為。
「初めまして、ローエングラム伯爵夫人」
「初めまして、メルカッツ夫人」
メルカッツ夫人は、まさに上品に年を取った女性という表現が相応しい人物であった。
―― 私もこんな感じに年を取りたいものですが……その前に、二十代を乗り越えないと
美しく年を重ねることに憧れながら、彼女はメルカッツ夫人の案内で、客間に通された。
初対面ながら先程の彼女の父親とラインハルトとは違い、話題には事欠かない。話題はというと、メルカッツの軍歴や、辺境での出来事など。
部下を自宅に連れてきたことも、数え切れないほどあったという。
上に媚びるようなこともなければ、下に無用に優しいわけでもないが、その人柄が分かるものであった。
「息子がいないので、若い部下を息子のように思っているようです。いまの副官さんも」
「若い部下……」
ラインハルトの部下は、彼より全員年上。最年少のミュラーでも六歳年上。
「伯爵夫人の夫君は、お若いですから、もしかしたら兄のように思っているかもしれませんね」
「ええ」
―― そういう性格ではないような気がいたします。部下は部下……といいますか。自分とキルヒアイスとそれ以外といいますか
夫人の言葉を否定はしなかったが、内心ではほぼ否定していた。
「夫の副官のシュナイダー少佐から教えていただいたのですけれど、伯爵夫人は帝国の歴史上、二番目に若くして将校になられたのだとか」
銀河帝国の歴史上、もっとも若く将校の座に就いたのは当然ラインハルト、二番目に早いのは誕生日の関係で彼女。そして三番目がキルヒアイスとなっていた。当然、本来であれば二番目はキルヒアイスなのだが。
「そうです。何故か、そのようになってしまいました」
その立場を奪う形で、尚かつ、帝国でもっとも昇進が早い軍人夫婦。
―― 七光り同士の結婚ですよね。実際のところ、ラインハルトは七光りではありませんけれど、私はどう考えてもおかしい
自分のことは頭から追い払い、メルカッツ夫人と会話を弾ませて、伯爵邸へと帰宅した。
ホテルに帰ろうとしたのだが、ルッツと父親は酒まで飲んでおり ―― 執事曰く「旦那様が無理矢理飲ませておりました」とのこと。
よほどルッツの腕と知識が気に入ったようで、テーブルには普段飾られている表装された拳銃の設計図を広げてすらいた。
「今日は自宅……ではなく、実家に泊まります」
ルッツの方も気分が良さそうだったので、ホテルには帰らず実家に泊まることにし、軽く夕食を済ませ彼女は寝室に幾つかの映像を持ち込み、再生しながら今までの出来事を振り返る。
シュターデンが「理屈では……」と漏らした、ガイエスブルク要塞からオーディンまでの移動日数について ――
ガイエスブルク要塞からオーディンまでは通常二十日の行程。
かのキルヒアイス暗殺事件後、リヒテンラーデ公を捕らえる際に、彼らは十四日で踏破するのだが、彼女はこの日数を一日少なく記憶しており ―― おそらく「十三艦隊」の十三が頭に残っていた為だと思われる。
相変わらずのぼんやりとした知識で、間違いを間違いと認識しないまま、ファーレンハイトが一番にオーディンに辿り着いたら助けてくれるかもしれない……と考えて、練習してもらった。
最初これを振られたとき「あいかわらず無茶言いやがる」とファーレンハイトの口から零れたが、彼女に「やってみて」と言われたら断るという選択肢はない。
「ジークリンデがやって欲しいと言っているのだ。金はいくらかかっても構わん」とフレーゲル男爵にも命じられ……必要なものはすぐに揃えられ、行路の確保も容易。あとは練度を上げるだけ ―― なにより見切り発車の、行き当たりばったりな一発勝負ではないので、約半年かけて行路や、ワープのタイミングなどの見直しをしながら四往復した結果、十二日で踏破するに至った。
提示された日数よりも一日縮めたのは、総員の忠誠心の現れとも言えよう。
そんな理由からファーレンハイトが指揮する艦隊はガイエスブルク要塞からオーディン間の行軍は神速だが、それ以外はごく普通 ―― とは言え、艦隊運用練度の向上に役立たので、とくに問題はなかった。
そして十二日間という成果を彼女は喜び、ファーレンハイトと副官と参謀と艦長に、珍しく自ら進んで慰労のキスをした。
『すごい、ファーレンハイト』
『もう、二度とやりたくはありません。まあ、ジークリンデさまに、もう一度やれと言われたらやりますが』
「……」
満面の笑みで抱きついてキスをしている自分の映像を見て、彼女は消去ボタンに指を乗せるが、押すのをためらっていた。
キルヒアイスが死ななければリヒテンラーデ一族は安泰とはならない ―― 別のなにかが起こり、同じ処分ルートを通る可能性がある。
そうなった場合、私物整理の時間などもらえる筈もなく、残った私物がただ捨てられるだけならば良いが、検分される恐れもある。
見られたくないものを今のうちに処分しなくてはと、実家に残していた映像を見返し、消去しようとしたのだが、
「考えていたころは、簡単に処分できるつもりだったのに」
どうしても消去ができなかった。
『アントン、だいすき!』
『ジークリンデさまのだいすきは、大体裏がありますよね。はい、なにをご希望ですか?』
「出世の妨げになったり、粛清の原因として使われたりしたら……困るのですけれどね」
流刑にされたくない一心でここまでやってきた彼女だが、いざその時が近づくと、他人に迷惑をかけてまで、することなのか? 黙って流刑に処されたほうが、他人に迷惑をかけないのではないかと悩み始めた。
「無用な悩みかもしれませんけれどね。簡単に見捨てられる可能性だってあるわけですから……そっちのほうが……流刑を具体的に調べてみましょう」
それは彼女にとって、とても幸せな想像だが、その想像は、まったくの無意味でもあった。