翌日の軍の会議。
大急ぎで南苑、皇帝の住居スペースの修繕が行われているが、まだカザリンは戻ってくることができず、離れた大陸でメルカッツが直々に警備を指揮していたが、今日は会議のために、副官のシュナイダーに任せ会議の場へとやってきた。
議場には三長官が全員揃い、
―― 誰がどうなるのかしらー。私、解任されてもいいのですよー。ほら、元帥じゃないから、さくっと解任。
絶対に責任を取らされることなく、下手をしたら元帥に昇進してしまうかもしれない彼女が最後に席に着く。
彼女の隣には、ファーレンハイト。
軍の会議は専門用語が多く、固い言葉が多く使われるゆえ、分からないことだらけなので、通訳として絶対に隣にいて貰わなくてはならないと、彼女は強く主張し、並び順はその通りになった。
そうでなくとも、皇帝の主席幕僚という立場ゆえ、皇帝の代理人である彼女の近くに座るのは、当然とも言える ―― ファーレンハイト本人は、彼女の後ろで立っていたかったのだが、それは聞き入れてはもらえなかった。
まず行われた軍の会議にて、新無憂宮を守り切れなかった責任を取るとオフレッサーが装甲擲弾兵総監を辞任すると申し出て、これは受理された。近衛の責任問題だが、そちらは門閥貴族と密接に関わっているため、見送られた。
続いて責任を取ることになったのはケスラー。
彼は帝都防衛司令官ゆえ、当然の解任とも言える。
―― え、ケスラーがですか?
原作では皇帝(エルウィン・ヨーゼフ二世)が誘拐されても、皇妃を危険に晒すことになっても責任を負うことがなかったケスラーが、あっさりと解任されたことに彼女は驚きを隠せなかったが、冷静に考えれば妥当な処分ゆえ口を挟むことはなかった。
責任問題が終わると、後任問題が発生する。
オフレッサーの後任はリューネブルクが候補に挙がったものの、逆亡命者を装甲擲弾兵総監の座につけるのは……と異論が上がる。
彼女はそれらのやり取りを、昨日の夕食の時に言われたように、他人事のように見つめていた。
―― リューネブルクでも良いでしょうに……
装甲擲弾兵総監については決まらぬまま、だがそればかりに固執してはいられないと、次に帝都防衛司令官の後任候補の名簿が配布される。
―― アントン・フェルナー中将って、他にもいるんですかー。アントンもフェルナーも有り触れた名前だとは言っていましたけれど。あ、年齢も同い年ですねー
名簿の筆頭はアントン・フェルナー中将。
綴りも同じなら年齢も同じだと、偶然に感心している彼女の隣のファーレンハイトが、オレンジ色のベールをそっと上げ、顔を寄せ手で隠しつつ耳打ちをする。
「ジークリンデさま。これは同姓同名の別人ではなく、フェルナー本人です」
囁かれた言葉を理解した彼女は、ファーレンハイトを凝視し、
「………………わ、分かってましたよ」
羞恥に頬を桜色に染め、小刻みに肩を震わせ、涙目になりながら言い返す。
それに対しファーレンハイトは何も言わなかったものの、娘の失敗を優しく見守る父親のごとき微笑みで返した。
―― 私自身気付いてなかったことに、どうして気付くのよー! 大体フェルナーは中将だから、司令官には……ああ! ケスラーも中将で帝都防衛司令官してました
帝都防衛司令官はラインハルトの部下が収まるものだとばかり思っていた彼女は、突然のことに驚いたが、ラインハルトが権力を握っているのならば、後任人事も身内で固めるられるが、現在の彼にそれほどの権力はないため別の軍閥 ―― 彼女の配下が候補に名を連ねることとなった。
「オラニエンブルク大公妃殿下、お好きな士官をお選びください」
―― ちょっ! 座ってるだけで良いって言ったじゃない、ファーレンハイト! お好きな士官ってなに? そんな適当に決めていいものな……どれを選んでも、問題ないわね
メルカッツの言葉に、そんな適当に決めていいの! と、名簿を改めて見たところ、帝都防衛司令官候補はフェルナーにワーレンにルッツ、キスリングにミュラーと、どれを選んでも間違いのない者ばかりが並んでいた。あまりに充実した名簿に、逆に誰を選んでいいのか分からないような状態。
誰を選ぶべきか悩み ――
干し鱈のパルマンティエとモルネ・ソースを添えたカリフラワーのパン、たまねぎのヴルテに卵ゼリーを前にした彼女は、
「二時間半後に会議再開となります」
キスリングの言葉に頷きフォークを持った。
あの場では決められなかったので、休憩を入れることになり、彼女は部屋を移動し昼食を。
白いテーブルクロスがかけられたテーブルの上には、料理が盛りつけられている皿以外に、先ほどの名簿が乗っていた。
彼女は料理を口元へと運び、半分ほど食べたあたりで、別の仕事を終えたファーレンハイトが顔を出す。
彼女は手招きして呼び寄せ、名簿を人差し指で軽く叩く。
ファーレンハイトは深々と一礼してから、フェルナーを推薦したのは自分であること、昨日の時点で全員知っていたことなどを説明した。
「軍務尚書から、相応しい人物を推薦するように命じられました」
フェルナーは彼女を警備を担当していたこともあり、オーディンの警備に関してはかなりの実績がある。また実績にならない、門閥貴族の諸事情により隠れた功績もかなりのもの。
それら全てを知っているファーレンハイトとしては、フェルナーを推薦しない理由がない。
彼女はフェルナーの働きの全てを知っているわけではないが、能力についてはほぼ問題がないことは分かっているので、ファーレンハイトにそう言われてしまうと、後は同意するだけ……なのだが、
「フェルナーの意思は?」
どうしても、そこが気になった。
「そういったことは、お気になさる必要はございません」
―― それはそうなんですけれど……
多少寂しくはなるが、部下の栄達は彼女にとっても喜ばしい。だが、受けるつもりがあるのならば、遅くとも昨日の時点でどちらからか、彼女に話しがあったはず。
それがなかったということは ―― 若干鈍い彼女でも、フェルナーは希望していないのだろうことは分かった。
「フェルナーに連絡を」
斟酌してやる必要はないと言われても、それが出来る彼女でもない。
「ここにおります。連れて参りますが、画面越しのほうがよろしいのでしたら」
「連れてきなさい」
「畏まりました」
こうして呼ばれてやってきたフェルナーに、彼女は希望を尋ねたのだが、
「ジークリンデさまがやれと言われるのでしたらやりますが、職務に対し誠実さは求めないでください。謹んで受けろと言われるのでしたら、お断りいたします」
―― ここまで全力で「嫌です」と言われるとは、思ってもみませんでした
思いも寄らぬ拒絶を目の当たりにすることになった。
昼食は既に下げられ、食後のデザートが出されている。
このデザートは予約などは受け付けず、並ばなければ買えない人気の菓子。評判を知った彼女が「食べてみたいわねー」と呟いたため、フェルナーが朝からわざわざ並んで購入してきたものだ。(彼女の名前を出せば、当たり前だが、予約は受け付けた)
―― 私のお菓子購入のために並ぶより、帝都防衛司令官の仕事のほうがやりがいあるでしょうし、尊敬もされるでしょうに
これだけ才能ある男に、相応の地位を与えないのはどうかと。
言葉に詰まる彼女に、フェルナーは微笑みかけたのだが、その緑色の瞳の奥にある狂気と呼ぶほどではないが、秘めたるものを感じさせる、仄暗い光を感じ取る。
「後で受けたいといっても、受けさせてあげませんからね」
意思を尊重してやるととして、フェルナーの就任は白紙に。
”良かったな”と、フェルナーを呼びに行き、そのまま部屋に居たザンデルスが、キスリングと視線をかわして、軽く頷き合う。この時点で、彼らは自分たちには全くの無縁だと考えていたのだが、
「キスリング、あなたはどうなの? 帝都防衛司令官になりたい?」
キスリングは名簿に一応名前が載っているので、彼女は希望するのならばと尋ねた。ちなみに彼が名簿に名を連ねたのは、彼女の配下ということもあるが、彼自身の実績が大半を占めている。
名簿を作成する際に、若すぎるのではとの声もあったが、二十歳の元帥が存在していた時点で、それを指摘するのは滑稽にちかい。
声を掛けられたキスリングは、まさか自分に振られるとは思っていなかったこともあり、思わず軍帽脱ぎ、そのまま胸の前に置き、
「ずっとお側においてやると、言ってくださったではありませんか。あれは嘘ですか?」
捨てないでください状態で、彼女の問いに答えた。
想像もしていなかった行動に彼女は驚いたが、
―― 想像していなかったのは確かですけれど、なにか想像していたかと言われると、何も想像していなかったので……
想定していなかったのだから、想定外もなにもない。
「聞いてみただけよ。そんな捨てられた子犬みたいな目をしないの」
捨てられた子犬がどのような目をしているのか、彼女は知らないが、言葉の綾としてそう告げた ―― キスリングは歩き方から犬に例えられることはほとんどないのだが、無理矢理例えれば、間違いなく主以外には懐かない大型の成人した猟犬であって、間違っても捨てられた子犬とは例えられないタイプである。
結局、帝都防衛司令官の任はワーレンが就くことになった。
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「遅くなったことをお詫び申し上げます」
帝都防衛司令官の任を解かれたケスラーが、オーディンの治安を守り切れなかったことを謝罪しにやってきた。
膝をつき頭を垂れるケスラーを前にし ―― 彼女としては謝罪される覚えなどないのだが、ケスラーの本心はどうあれ、ゴールデンバウムの皇帝より帝都の防衛を任された身。守り切れなかった事に対して謝罪を述べる機会があるのであれば、足を運び頭を下げるのは当然のこと。
ケスラーは部下と共に彼女の邸へやってきた。無論ケスラーが希望したのではなく ―― 内心では希望していたが、彼の身分と立場では聞き入れてもらえない ―― 彼女が呼んだものである。
彼女はケスラーを謁見の間ではなく、壁に家系図が刻まれているホールへと通す。末端までの壁に家系図を描くのは良くあること。
また彼の部下たちは、この部屋には通されなかった。
「謝る必要はありません。あなたは職を解かれ責任を取ったのですから」
本来ならば皇帝に謝罪するべきところだが、カザリンの代わりに雑事を請け負うのは大人である仕事であり、
「ですが」
「私はあなたに会えるのを楽しみにしていたのですよ、ウルリッヒ。きっと事後処理が忙しいのだろうと、我慢してやっと会えたというのに」
彼女がケスラーに直接会いたかったというのも、大きな理由だった。
”呼んだらすぐに来なさい”と命じている彼女だが、状況を全く理解しないような人間ではないので会いたいと思っても、周りの者に「今はさすがにお止めになったほうが」と言われれば無理強いはしない。
「お嬢さま」
大きな窓から差し込む日差し。キルヒアイスの身長よりも背が高い、青い花瓶に溢れんばかりに飾られたメインの白いカサブランカ。それを引き立てる青い小さな花々 ―― ネモフィラ、ブルースター、カンパニュラ・アルペンブルーなど。
その花瓶の前に置かれたソファーに彼女は腰を下ろしていた。
「体を壊しそうなくらい忙しいとも聞かされて、心配していたのよ。……本当に心配していたんですからね! なんですか、その表情は」
”嬉しすぎて表情が緩んでいるのを、見られたくないだけです”
彼女が信じていないのですか! と、怒るその斜め後ろでキスリングは、いつも厳しい表情を作り部下を指揮しているケスラーとは思えぬほど、表情が緩んでいるのに気付いていた ―― 冷静沈着と言われるキスリングも、同じ状況になれば似たようなものだが。
ケスラーに会えるのを楽しみにしていたのは本当のことで、今日の彼女は皇帝主催の舞踏会に出席でもするのか? というほど着飾っていた。
髪は珍しく緩め、三つ編みを交差させたハーフアップで、飾っているのはロングパール。
形の良い額を飾るサファイアのサークレットティアラ。
巧緻なプラチナ台にはめ込まれたダイヤモンドのネックレス。
フリル付きの短い手袋。ほっそりとした腕に幅のあるブレスレット。
深い藍色のオフショルダードレス。スカート部分はアンシンメトリーで、右側が持ち上がり、幾重にもなったフリルで飾られている。丈は彼女が持っているドレスの中でも、かなり長いもので、座った後、誰かが広げなくてはならない。
今回はキスリングがその役を負った。
見えない部分ももちろん手を抜かず ―― 宝石が縫い付けられた10cmヒールの靴に、足首から太ももの中程まで、小ぶりな薔薇の花の刺繍が施されたシルクの靴下。
「いえ、その……久しぶりに拝見したお嬢さまが、あまりにもお美しく」
本当の気持ちを素直に述べたのだが、社交辞令だと勘違いされて終わった ―― 彼女に美しさを語る男たちは、大体これで撃沈する。
「まあ上手ね。たしかに今日はお洒落しましたけれど、お世辞でもそう言ってくれると嬉しいわ」
そろそろご自分のお美しさ自覚してくださいと、誰もが思えど彼女が自覚することは、残念ながらない。
常人ならば言葉を失い、人によっては感動で泣き出すほど美しい彼女。自分の美しさが武器であることは知っているものの、彼女にとっては見慣れたもの故、なにも感じないに等しい。
「ケスラー。立ちなさい」
彼女はテーブルに置かれていた呼び出し鈴を手に取り、エミールに茶器を運ばせ、自らの手で丁寧に紅茶を淹れケスラーをもてなした。
難しい話題は避けて会話を楽しんだが、最後に、
「新無憂宮の修復があらかた終わったら確認します」
グリンメルスハウゼン子爵の遺言について触れた。
彼女は忙しいこともあるが、嫌で嫌で仕方なく、彼女が嫌がっていることに対し「嫌でも頑張りましょう」等と言うような者はいないので、延び延びになっていた。
「ご無理はなさらないでください、お嬢さま」
―― それは言わないで。この弱い心が、ぐらぐらするどころか、すぐ楽なほうを向いてしまいますから
一人くらい叱咤激励してくれる人はいないのか……と彼女は思うが、若干恍惚の入った、聡明とは縁遠い老人が残した、奇妙な遺言を信じ、皇族の棺を開けるのを強く勧める人というのは、普通に考えたらいない。
「確認したら褒めてくれる? ウルリッヒ。昔のように”ご立派です、お嬢さま”って」
「確認さならずとも、お嬢さまはいつもご立派でございますよ」
ケスラーに不意打ちされた彼女は、顔が熱くなるのを感じ、両頬を手のひらで押さえて、そんなことはないと控え目に照れた。
「相も変わらず、お可愛らしいな」
彼女の元を辞したケスラーは、そのまま邸内で仕事をしているオーベルシュタインの元へと赴き、憲兵関連の書類が広げられているテーブルの前で、ひたすらため息をついては、彼女が可愛かったを繰り返していた。
「私の前で繰り返し言うのは構わんが、御本人の前で言ったほうがいいのではないか? ジークリンデさまは、卿のことは特に気に入っているのだから」