「ビューロー提督、そろそろ到着です」
「そうか」
「リンダウ家に連絡は」
「ついております。お待ちしておりますとのこと」
彼女の領内の治安維持を担当している一人ビューローに、リンダウ夫妻をオーディンへ連れてくるよう命令が下り、彼らはそれを完遂すべく夫妻が住む惑星へ。
「ゲオルギーネ・フォン・リンダウさま……ですか」
副官はファイルを開き最終確認をする。
ビューローはアイゼナッハやシュタインメッツと違い独身なので、彼らには頼みづらいこと ―― かつて皇帝の側室であった女性たちの様子を見て、相手さえよければ面会し、近況を聞き報告して欲しいと頼んでいた。
断れる立場でもなければ、断る理由もないのでビューローは引き受け、フェルナーが作製したファイルを受け取り、その任をこなしていた。
だが今回は少々事情が異なり、会う相手は皇帝の側室ではなく、
「今日会うお方は、皇帝の側室ではなく、貴族の愛妾だった方だ」
門閥貴族の愛人だった女性。
また訪問理由も少し異なっていた。
リンダウ夫妻が管理しているのは、彼女が母方から受け継いだ化粧領 ―― ブルーメンタール伯爵夫妻が破滅する原因となった土地を含めた、かなり広大な領地。それを代理で治めていた。
リンダウ卿が領主代理に選ばれた理由は、妻のゲオルギーネにある。
今回の訪問理由も、その妻ゲオルギーネにあるのだが……
「ビューロー閣下。先の件では、お世話になりました」
「お待ちしておりました、ビューロー閣下」
彼らはリンダウ夫妻が住む邸近くに降ろした。
夫妻は港でもなんでもないそこへ、召使いを連れてやってきて、深々と頭を下げる。
リンダウ夫人は美しく ―― 皇帝の側室や、門閥貴族の愛妾は、漏れなく美しいのだなと、感慨に似たようなものを覚え、出迎えに感謝する。
夫のリンダウ卿は、美男ではないが、穏やかな雰囲気がにじみ出て、取っつきやすい雰囲気を持ち、実際取っつきやすく、話しやすい性格であった。
「頭をお上げください」
夫妻はビューローとその部下を邸へと招いた。二人が住んでいる邸の、本来の持ち主は当然彼女である。
夫妻がビューローに頭を下げた理由は、三ヶ月ほど前、領地で正体不明の病が発生し(後に天然痘と判明)リンダウ卿が気付いた時にはかなりの感染者が出ており、これらを封じ込めるために、軍の出動を要請した。
その要請を受けたこの方面の責任者であるビューローが、部隊を送り病原菌の特定からワクチンの配布、汚染された土地の洗浄を行い、一月ほど前に病原菌の排除が完了した。そこからリンダウ卿は、被害報告などをまとめ、彼女の領地をしっかりと管理できなかったことを直接詫びるべく、オーディンへと赴こうとしていた。
「妻がジークリンデ殿下に個人的に頼んだのです」
「夫はいつも、戦艦に乗ってみたいと申しておりましたので」
もちろん実費で民間船で赴くつもりであったリンダウ卿だが、妻は夫が戦艦に乗りたがっていることを知っていたので、彼女に直接頼んだ。
彼女は事情を聞き、リンダウ卿が軍人を辞めさせられたことを思い出すと同時に、思うところがあったので、ファーレンハイトに「大丈夫ですか?」と尋ね、何ら問題はありませんと ―― こうしてビューローが二人を連れてゆくべく、やってきたのだ。
「ビューロー閣下」
「なんでございましょう、リンダウ夫人」
「閣下は新無憂宮の女官について、ご存じでしょうか?」
そろそろお暇をといったところで、リンダウ夫人がビューローに、彼の人生においてはほぼ無縁な人物について尋ねてきた。
「主要な地位に就かれている方でしたら、ある程度は存じております」
フェルナーが寄こした書類の交友関係の欄には、宮中の女官などの名はなかった筈だと ―― 結婚して、この惑星にやってきてからの知り合いなのでフェルナーの情報網からこぼれ落ちたのだろうかとも思ったが、現時点で宮中の女官であれば、彼が網羅していないはずはないだろうと考え直す。
ビューローの思考などまったく分からないリンダウ夫人は、先ほどまでの楽しげな表情から一転、よほど鈍い男でもない限り、苦手な相手なのだろうと簡単に推察できるほど表情を曇らせて、その名を口にした。
「レーゲンスブルク伯爵夫人フランツィスカなる女性です」
ファーレンハイトとフェルナーの会話に出てきたこともなかったので、ビューローにはまったく覚えはなかった。
「存じません。その方がどうか?」
「少々苦手でして」
「なるほど」
人の好き嫌いはどうしようもないこと。それに関してはなにか思うことはない。
「レーゲンスブルク伯爵夫人は、控え目にいっても、性格がおよろしくない方です」
だが女の悪口に付き合うのは……そう思いかけたとき、
「特にカタリナさまをライバル視していらっしゃいました」
ビューローが唯一知っている、新無憂宮の現女官長の名が、リンダウ夫人の口からこぼれ落ちた時、彼は妙に緊張した。
「カタリナさま? どちらのカタリナさまで?」
だが”カタリナ”という名は珍しくはなく、他のカタリナかもしれないと、一縷の希望を ―― 何に対しての一縷の希望なのかは不明だが、彼は他人であることにかけた。
「ノイエ=シュタウフェン公爵家を継がれたカタリナ・アウグステさまです」
「…………」
だがそれはむなしく散ることに。
その後、リンダウ卿と感染症制圧の際に派遣した医療准将と共に領内を見てまわり、感染症が収まったことをその目で確認した。
感染症の報告はすでに終わっているので、ビューローは特に報告を行う必要はなかったのだが、フェルナーに高速通信を入れて、ゲオルギーネが嫌っている人物について尋ねた。
『あーはいはい。あの伯爵夫人のことを好きという人は、居ないとおもいますよ』
フェルナーはそう言い、レーゲンスブルク伯爵夫人の映像をビューローへと送った。
黒髪に緑色の瞳 ―― ビューローは彼女と似た色彩でありながら、まったく違う印象を持った。
「そうか」
『カタリナさまと不仲というのは聞きましたか?』
「聞いた。詳細は知らないが」
『大雑把に言いますと、レーゲンスブルク伯爵夫人は元はジークリンデさまの部下でした。で、ジークリンデさまが女官長を退いたあと、当然その地位を狙ったのですが、カタリナさまに負けました。それ以前から不仲でしたが、女官長就任が決定打となり、どちらかが排除されるまで収まることはないでしょう』
「なるほど」
『カタリナさまも嫌っておいででして、いつか自らの手で物理的に排除してやると仰っていました。レーゲンスブルク伯爵夫人も似たようなことを言っているとか……まあ、そんな感じです』
「物理的……」
『はい物理的、要するに直接手を下して殺してやると。いつか新無憂宮で血の雨が降るかもしれませんが、その時はその時で』
「そ、そうか」
戦場では恐れを知らぬ勇将たるビューローだが、わりと綺麗な妙齢の貴婦人二名が、殺してやると公言し、新無憂宮で顔を付き合わせていると思うと、身震いの一つもしたくなる。
『新無憂宮には最強の装甲擲弾兵総監閣下もお出でですので、きっとどうにかなるでしょう。私にはなにもできませんが』
”できない”のではなく”する気がない”のが、画面越しにもひしひしと感じられたビューローだが、これに関してはフェルナーに完全同意なので、頷くだけで終わった。
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レーゲンスブルク伯爵夫人とノイエ=シュタウフェン公爵夫人が殴り合っている場面に遭遇したらどうするかだと? すっとんで逃げるに決まっているだろう(オフレッサー)
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リンダウ夫妻をオーディンに送り届けるだけの簡単な任務 ―― ビューローはそう考えていたのだが、僅かな召使いだけを供にビューローの旗艦に乗り込んだ夫妻は、
「ビューロー閣下、実は――」
戦艦に乗った理由は彼女の前で話すので、その前に、とある物の安全性の確認を行って欲しいと頼んできた。
彼女に会った際に、証拠の品として差し出すので、安全性の確保がどうしても必要。民間業者は信用できないので、彼女の直参の司令官の監視下の元、行って欲しいとのこと。
ビューローはファーレンハイトたちに連絡を入れてから、リンダウ卿が持ってきた品を検査し、なんの汚染もないことを確認し ―― 夫妻はオーディン入りした。
彼女は笑顔で夫妻を出迎え、
「ジークリンデさま、おめでとうございます! 大公妃とか凄いですね!」
「ありがとう、ゲオルギーネ。あなたは、もう立派な貴婦人ね」
「いえいえ、そんな。まだまだですわ!」
リンダウ夫人はゲオルギーネに戻り、彼女と楽しげに話しをする。
出迎えが終わると、彼女はリンダウ卿から謁見で報告を受けると告げ、キャゼルヌ夫人にゲオルギーネを任せた。
ゲオルギーネの瞳がかなり不安に揺れているのが分かり、彼女は私に任せておけば大丈夫よと励ました。
―― 彼女は事情を聞き、リンダウ卿が軍人を辞めさせられたことを思い出すと同時に、思うところがあったので ――
彼女は謁見を受ける準備をしながら、ゲオルギーネが戦艦でオーディンに向かいたいと言ってきた時のことを思い出す。
かつてブルーメンタール伯爵の愛人だったゲオルギーネは、ブルーメンタール伯爵夫人ハイデマリーの企みを暴き、彼女の命を救った功績として、リヒテンラーデ公は彼女の化粧領の代理領主の地位を与えた ―― 基礎学校しか出ていないゲオルギーネには、管理は当たり前のことながら無理。
それらの管理は、夫に任せるとして、リヒテンラーデ公は縁組みまでした。
その相手がカミル・フォン・リンダウ。リンダウ卿である。
彼はシュトライトの大学時代の同期で身分も似たようなもので、学部も同じだったこともあり交友関係があった。卒業後、これまた同じく軍官僚の道を歩んでいた。
優秀さは申し分ないリンダウ卿だったが、リヒテンラーデ公は徹底的に自分の配下に軍人を置かないようにしているため、リンダウ卿に軍を辞めるように ―― 威圧を込めた一言、それを瞬時に理解したリンダウ卿はその日のうちに軍を辞めた。
その際に彼は「一回でいいから、戦艦に乗ってみたかった」と漏らしたのを、彼女は”大伯父上ったら……”と思いつつ聞いていた。もちろん、異議を唱えたり等はしなかった。
これが彼女が思い出した”リンダウ卿が軍人を辞めさせられたこと”
そして”思うところ”だが、リンダウ卿はかなり優秀で、シュトライトが非の打ち所のない青年貴族で、領主は適任で、彼以上の人物はそうそうは居ないと語るほど。
領主には敬意を払い、誠実に対応する彼が、己の失態を詫びる際、彼女に頼んで戦艦に乗せてもらうか? 例え妻の発言であっても、許すはずがない。
―― わざわざ戦艦に乗ってきた理由はなんでしょう。ゲオルギーネも遠ざけましたし……なにかしらー。面倒でなければいいわー。面倒ではないはずがないことも、分かってますけど、思うのは自由
ゲオルギーネの仕事は、リンダウ卿を戦艦に乗せ、彼女の元へと連れてくること。それ以上のことは、ゲオルギーネの仕事ではない。
そのことを察知し、彼女は謁見として話を聞くことにした。
リンダウ卿が跪き頭を下げ、その背後にはビューローとフェルナー。
彼女の座る椅子の両脇にはファーレンハイトとオーベルシュタイン。そして彼女とリンダウ卿の間にはキスリングとシュトライト。
着席した彼女のドレスの裾をファーレンハイトが直し、それを終えて定位置へと戻ったのを確認してから彼女はリンダウ卿に顔を上げるよう告げた。
「して、リンダウ。なにを持ってきた。ああ、疫病蔓延に関しては、改めての謝罪などは要らぬ」
―― あれは、ほら、仕方ないですし
領地で感染症が猛威をふるい、軍を出動させるまでになったことに関して、彼女はリンダウ卿を責める気はまったくなかった。もちろん、領主である以上、ある程度の叱責をしなくてはならないが、リンダウ卿が取った以上のことは、誰にもできなかっただろう、それどころか、彼は最良の手段を取ったと ―― 報告書を読み、彼女はそう感じ、他の者に意見を聞き同意も得られていた。
―― 貨物扱いの人間がばらまいたんですから、仕方ありませんよ
人間ではなく貨物扱いの生物 ―― 検疫を受けることもなく、予防接種もしておらず、あまり良くない環境で移動し、例え発症したとしても、輸送側は空調を切り替えれば自らの身の安全は確保できるので無視し、到着後も人間用の疫病の治療などはされずと、病原菌を持ち込むために存在しているかのような状態。
その惑星にはなかった病原菌が突如ばらまかれ、パンデミックを引き起こすも、その惑星ではワクチンがなく、ワクチンが完成した頃には死者が ―― 珍しいことではなく、パンデミック=密航者(貨物移動)が原因というのは、誰もが知るところであった。
「ジークリンデ殿下。まずはご覧になって欲しいものが」
リンダウ卿の言葉を受けて、シュトライトが壁際に置かれていたテーブルから箱を持ち、彼女へと近づきその蓋を開ける。
中に入っていたのはペンダントトップ。チェーンを通す部分が潰れているが、楕円形のジェットの質といい、それを囲む台座の細工といい、立派なもであった。
「手に取って見ればいいのか」
「お願いいたします」
彼女はそのペンダントトップを手に取り裏面を見た。するとそこには、家紋が刻まれていた。
―― ……えっ……うそ……
「プファルツ伯爵家のものだな。持ち主は見つけたのか」
彼女は動揺を完全に押し殺し、リンダウ卿にこの家紋の最後の持ち主について尋ねる。
「持ち主らしき人物は見つけましたが、決定的な証拠がありません。そのペンダントトップですが、病を持ち込んだと思われる女性が浮いていた川底から発見されました」
リンダウ卿は感染症が終息した後に、念には念をと死体が浮いていた川の大規模な清掃を行った。
その際に、このペンダントトップが発見され ―― 高価なものを隠し持っていても良いことがないことを理解している領民たちは、領主代理であるリンダウ卿にすぐさま届けた。
リンダウ卿は領民の正直さを褒め、届けた者に褒美を与え、裏に家紋が刻まれていることに気付き、貴族名鑑で調べて青ざめた。
「そうか……。それだけか? リンダウ」
彼女は箱にペンダントトップを戻し、シュトライトは一礼してから下がる。
「ご指示を仰ぎとうございます」
―― うわー責任の丸投げ……っても、仕方ないですよね。分かりました、分かりましたとも、このような場面で責任を取ってこそ部下も付いてくるというものです。それに、嫌よねー。うん、私も嫌よー。でもここは、はっきりと、リンダウの心を解放してあげましょう! くっ……その代わり、私が……
彼女は内心で色々と言いながらも、
「そうか。フィーネ・フランケンシュタインはそのままでおけ」
リンダウ卿の不安を取り払うよう、優雅にそれ以上に堂々と言い切った。
「御意にございます」
「そなたの身には重すぎたであろう」
「はっ……誠に。ここで重荷を下ろすことができ、安堵しております」
”フィーネ・フランケンシュタイン”とは、帝国における身元不明の死体の名の一つである。帝国では死因により、身元不明の名が決まっており、”フィーネ・フランケンシュタイン”は病死した女性に付けられるもの。
そしてプファルツ伯爵家はリッテンハイム侯爵家が持つ爵位で、最後の当主はリッテンハイム侯爵夫人 ―― クリスティーネである。
―― でも、その死体がクリスティーネであるという証拠にはならない。ただリッテンハイム侯爵家と敵対関係にあったリヒテンラーデ家の領地に、持ち込まれるはずのない家紋付きのペンダントトップがあったというだけ。死体の写真を見れば分かるかしら……でも天然痘を発症して、かなり水に入ってた水死体とか……きっと見ても、生前の面影を……うっ……
「重荷は降りたが、問題は片付いておらぬ。協力せよ、リンダウ」
彼女は報告を受けてはいたが、映像などは観ていない ―― 彼女も水死体は酷いと聞いていたので、すすんで見ようとは思わなかった。
「もちろんにございます」
そしてリンダウは、彼なりに立てた仮説を語り出した。