黒絹の皇妃   作:朱緒

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第139話

 ミュラーの決意だとか、ベンドリングとマルガレータの亡命だとか ―― ジークリンデの知らぬところで、様々なことが発生、そして動き出していた。

 

 丸一日休養したジークリンデは、かねてから訪問したいと願っていた孤児院の視察へ。

 前世……のような記憶には、孤児院の運営に関する知識はなく、この世界で地道に色々と身につけたのだが、それはあくまでも帝国のもの。

 他の社会の孤児院の体制などにも興味があった。

 

―― 独裁者のようです

 

 仕立ての良いワンピースを着た、栗色で巻き毛の可愛らしい六歳の少女がフレーゲル男爵に、半ズボンタイプのスーツを着た、黒髪で賢そうな七歳の少年がジークリンデに、歓迎で大きな花束を渡してきた。

 

 ジークリンデの記憶では「式典で子供から花束を渡される=独裁者」という図式が成り立っているので、微妙な気分だったが、夫妻に花束を渡した少年少女は、とても誇らしげ ―― もちろんジークリンデも笑顔で受け取った。

 

 今日のジークリンデの格好は、バッスルスタイルのミントグリーンのドレス。

 ピンクと黄色のアクセントが入っているものの、全体的に子供っぽい。

 普段は子供っぽい格好は好きではないジークリンデだが、今日は孤児院なので、子供に近い雰囲気を出したほうが、親しみやすいかと考えてのことだったのだが、

 

―― 貴族ですものねー。遠くから、ちらちらされるのが関の山でしたー

 

 動物園の珍獣なみに、子供たちから遠巻きに見られることに。

 

―― でも諦めませんよ

 

 仲良くなる必要はないのだが、子供たちから孤児院について直接本音を聞きたいので、彼らと少しでも打ち解けようと、

 

「紙を出してちょうだい、アントン」

「かしこまりました」

 

 かつて得意だった折り紙で彼らの興味を引く作戦に出た。

 正方形の上質な色とりどりの紙を用意させられた面々は、ジークリンデがなにをするのか? 折り紙という文化はないので、当然のことながら見当も付かない。

 定番の折り鶴に、バラやブドウ、メロンにリンゴ、イチゴなどの果物。蓋付きの小さな箱など。

 あとは兜や紙鉄砲に風車。

 

「一番人気は手裏剣ね」

 

 そしてカラフルな手裏剣。

 遊び方を教えてもらった子供たちが、大喜びで投げて遊んでいる姿 ―― 当初の目的は果たせそうにないが、楽しんでくれるだけでいいやと、考えを切り替えた。

 

「あれ、シュリケンって言うんですか」

 

 フェルナーの奇っ怪な「しゅりけん」の発音に、この世界に存在していないものだったことを思い出し、

 

「……と、本に書いていました」

 

 思わず折っていた手を止めて、いつものように、緊張しながら誤魔化す。

 

「へえー」

 

―― すごく疑われているような気がします。でも、どう疑われているのか、分かりません。でもなんか、不審そうな……

 

 ジークリンデに疑われているフェルナー。当人はただ純粋に”お姫さま、器用でいらっしゃる”と感心したのだが、声といい顔といい、態度といい喋り方といい「そう」取られても無理のないものであった。

 

 そんなやり取りがあった後、施設の責任者との会談へ。

 責任者は五十は過ぎていると思われる、初老の男性。やせ気味で背が高く、穏やかな表情が安心感を与える人物だった。

 その彼から、施設の運営方法や、施設を出た子供たちとの関わりなどについて話を聞いた。

 

「奨学金ですか?」

 

 フェザーンは手本にした同盟よりも、奨学金制度が充実していた。

 ジークリンデが疑問系で聞き返したのは、同盟に奨学金制度があるとは思ってもみなかったので、あまりにも以外で思わず不思議さを隠せず、そう聞き返してしまった。

 その原因は、大学進学を諦めて軍人の道へと進んだヤン・ウェンリー。

 軍人にはなりたくはなかったが、仕方なく軍人になったと言い張っていたヤン。―― そんなにもなりたくないのであれば、バイトと奨学金で大学に進めば良かったのではないかと。

 

―― 人を殺すのが嫌なら、そのくらい苦労しても。借金もなかったわけですし……そんなことを言ったら、物語にならないので触れては駄目なのでしょうけれど

 

 ヤンは”勤勉ではない”という性格付けもそうだが、とりあえず高級士官にならなければ話にならないので、ある意味触れてはいけない社会の構造。

 だがそれを目の当たりにして、ジークリンデがなんとも言えない気持ちになったとしても、仕方のないことだろう。

 

 誰にも分からない、伝えようもない気持ちを抱えつつ、ジークリンデは孤児院を後にする。

 

 迎賓館に戻ると、フェルナーが何かを企んでいるとしか言いようのない笑顔を浮かべ、ジークリンデに頼みごとをしてきた。

 

「一つ、欲しい……いいですよ」

 

 折り紙を一つ作ってくれないかと ―― ジークリンデとしてはあまりにも意外なフェルナーの頼みに、一瞬”きょとん”としたが、すぐに理解し、喜んで作り始めた。

 

「これ、なんですか?」

 

 すぐに作れる、古典中の古典とも言うべき”だまし舟”を作り、

 

「アントン、ここを掴んで。目を閉じて」

 

 驚かすべく、目を閉じさせた。

 

―― 薄目とかしてそうな、疑い過ぎかしらね

 

 何をされるのか、まったく分からないフェルナーだが従った。

 

「目を開けていいわよ」

 

 ほんの僅かの時間で目を開かされたフェルナーは、

 

「先ほどとは、違うところ掴んでるでしょう?」

 

 だまし舟を取り落としそうになるほどに、本気で驚いた。

 

「これでいい? 欲しいのがあるなら、これとは別に作りますよ」

 

 その仕草に、少し気をよくしたジークリンデは、別の注文も受け付けますよとばかりに、紙を取り出したが、フェルナーはこれで充分だった。

 

「これで充分です。ありがとうございます」

 

**********

 

 フェルナーはマルガレータとベンドリングの亡命処理のために、フェザーンに残ることになる。

 

「お前、よくよく考えたら、ジークリンデの護衛だったんだな」

「ええ、まあ、一応、そうなってますが」

 

 フレーゲル男爵にしみじみと言われ”なんだと思っていたのですか?”と、聞きたい気持ちはあったが抑えて、彼らしい返事をする。

 

「お前の残留に関してだが、ジークリンデに事情を説明するわけにはいかない」

「そりゃまあ。愛妻家の男爵閣下の愛人のお世話なんて、言えませんよね」

「本当の愛人ではない」

「分かってます。偽の理由を作って、全員で口裏合わせをするのですね?」

「当然だ。……ジークリンデはおそらく大丈夫だが、あのリヒテンラーデ侯を欺すのが厄介だ」

 

 フェルナーはリヒテンラーデ侯がジークリンデのため、直接引き抜いた形になっているので、滞在期間を延ばすとなると、侯を納得させる必要があった。

 また”あの通りの人”なので、頼めば亡命に関して協力してはくれるだろうが、後々なにを要求されるか分かったものではない ―― などの理由から、彼に気付かれないようにする必要もあった。

 

 ここまではフレーゲル男爵側の事情。

 

―― 国務尚書に対しては、調べたいことがあったので、閣下を欺したと報告しますがね

 

 リヒテンラーデ侯側の事情もある。

 下手に理由を偽証するよりも、本当に残ってサイオキシン麻薬関連の情報を手に入れて帰ったほうが、怪しまれずに済むというもの。

 麻薬絡みで残りますと言えば簡単だが、当然そんなことはフレーゲル男爵には言えないので「フレーゲル男爵が納得する、リヒテンラーデ侯をも欺せるような理由」を作り上げる必要があった。

 

 誰もなかなか良案が思い浮かばず、最終的に、

 

「感染症かもしれない? ……ですって?」

「はい」

 

 フェルナーは微熱が続いており、感染症の恐れがあるので、経過を見るために、一人フェザーンに残り、何事もなければ少し遅れて帰国する ―― という理由に落ち着いた。むろん微熱の微の字もないほどの健康体で、うさんくさいことこの上ない理由だが。

 

「ど、どんな感染症なの! 治るのよね? どこで感染したの?」

 

 ラインハルトの死因からも分かるように、”現代”の医学は発展しているが、全ての病気が治る夢のような世界でもない。

 

「まだ感染したかどうかはっきりとしていないので、経路はわかりません。ですが、でもご安心ください。”それ”と思われる感染症ですが、空気感染や飛沫感染などはいたしません。よってジークリンデさまには、絶対に感染しておりませんので」

 

 感染症だとしても、ジークリンデには被害は及んでいませんよと。

 嘘はあまり増やすと”ぼろ”が出てしまうのだが”感染しない”発言は、安心させるために必要な事項だということで。

 

―― 心配してくださるとは思っていましたが、こんなにも本気で心配されると、心苦しいです。いや、本当に

 

「私のことはいいのです。感染症じゃないと良いわね……あ、でも、それですと、なんで熱が上がってるのか分からないから、かえって……」

 

 フレーゲル男爵が”ジークリンデはおそらく大丈夫”と言った通り、一切疑わずに、素直にその言葉を信じた。

 

―― 事情を説明しても協力してくれるでしょう。欺せば欺したで、こんなに心配してくださるし……本当に、国務尚書の一族ですか? あれかな? 父君の伯爵閣下が優しいお人なのかな?

 

「微熱といっても、些細なものです。通常の出征なら、問題視されない程度のものですが、貴族の方々の近くにいると、注意を払ったほうが良いかな……ということで」

 

 ジークリンデは右手の手袋を脱ぎ、手を伸ばしてフェルナーの額に手をあてる。

 

「いやいや、ジークリンデさま。直接私に触っては、駄目ですよ」

「あとで消毒でもなんでもしますから、気にしないの。……そんなに熱はなさそうですけれど」

 

 ジークリンデはフェルナーの額から手を離すと頬へと移す。手袋をはめているもう片方の手で、切りそろえられている前髪をよけ、

 

「額に額をあててちょうだい」

 

 目を閉じて無防備に額を合わせろと言い出した。

 

「駄目ですよ、ジークリンデさま。さすがに顔を近づけたら、危ないです。私はこれから念のために病院で隔離されてきます。お見送りできない無礼を、お許しください」

「見送りなどされたら、悲しくなってしまいますから、むしろしなくていいです」

「あ、最後に一つだけ。私が感染症の疑い有りなことは、フェザーン側に教えないでくださいね」

「早めに教えたほうが、いいのでは?」

「諸事情があって、秘密にして欲しいのです。ここに来て護衛がまた一人減ったとなると、厄介なことがまた起こりかねませんので。私は見えないところで警護している……としたいのです」

 

 片目を閉じ、両手を合わせ、フェルナーは頼み込んできた。

 

 つい二日前に誘拐されかかったジークリンデは、そう言われたら素直に頷くしかできない。

 

 こうしてフェルナーは帰国の前日からジークリンデの元を離れ、マルガレータたちの亡命手続きに本格的に取りかかる ――

 

「マルガレータさまを、どこから案内しようかな」

 

 その前に、最後のパーティーでどこからマルガレータを招き、どうやって遠目ながらジークリンデを見せようかに、図面と配置図を前に思案する。

 

―― 警官たちは、身内の犯罪で萎縮してしまっているから、こちらからの一方的な配置換えには唯々諾々と従うので簡単ですが……ミュラー中尉はこちらの指示には従うでしょうが……結構あれで鋭いよなー。お姫さまが絡むと、途端にぽんこつになるけどさ。……お姫さまに頼むか

 

**********

 

 帰国前日 ――

 

 パーティー会場に向かう前の控え室。

 ジークリンデは鏡の前で自分自身で最終チェックをする。

 黒髪は一本にまとめられ、それを金糸で宝石を編み込んだ平らな紐をクロスさせて飾る。

 ドレスも金色だが、髪飾りよりは暗めの色合い。

 ダンスも踊るパーティーなので、ターンをすると美しく広がるように、シフォン生地で仕立てられている。 

 

「変じゃない? アーダルベルト」

 

 ジークリンデの背後に立っているファーレンハイトに、くるりと向き直り、ドレスの両端をつまみ、やや体を斜めにして、似合っているかどうかを尋ねた。

 

「なにを持って変と言うのでしょうか?」

「似合ってるか、似合ってないかを」

「お似合いです。ドレスについてではなく、他に言いたいことがおありのようですが」

 

 ”考えを読まれている!”分かる表情となってから、鏡台に置かれていた絹の扇子を掴み、口元を隠し小声で話し掛ける。

 

「アントン、大丈夫かしら」

「大丈夫ですよ、ジークリンデさま」

 

―― 大丈夫もなにも、詐病ですので……

 

 欺されきっているジークリンデに、もう少し疑われても……と思いつつ、素直に信じてくれる姿を好ましいと思っているので、

 

「本当に何もなければいいのですが」

「同意いたします」

 

 ジークリンデの話に最後まで、丁寧に付き合う。

 

「ところで、ジークリンデさま」

「なにかしら?」

「フェザーンでの行事も最後ですので、ミュラーと一曲踊ってはいかがでしょう?」

 

 ミュラーをある場所から一時的に遠ざけるために、ジークリンデと踊らせる ――

 

「え?」

 

 話を聞いた時、フレーゲル男爵は三白眼を見開いて歯ぎしりしたものの”警備の強化を図ったので、どうしても強制的に隙間をつくる必要があるのです”そう言われ、マルガレータに「遠目だが見せてやる」とも言った手前、憎々しげにだが許可を出した。

 

「お嫌でしたら、もちろんパートナーにする必要はありませんが」

 

 ただジークリンデが「踊りません」と言ったら、第二の方法も用意はしていた。ヴィクトールが背後から迫って殴って気を失わせるという、非常に暴力的なもの。

 彼らとしては第二の方法でもいいかな? とは思っていたが、ミュラーが殴られて気を失ったとなると、要らぬ心配をかけることになる。とくにフェルナーが病気かも知れないというだけで、非常に心配し、彼が単身帰国の途につく際に、様々な便宜や下準備に心を砕いている姿を見ると ―― 彼らとしてはミュラーを物理的に排除する方法は、あまり取りたくはなかった。

 

 ミュラーの頭だとか脳だとか骨だとかは、誰も心配していない。

 

「嫌じゃありません。踊ってみたいのですけれど……」

「ジークリンデさまが、ミュラーと仲良くなりたいと言われていたのを聞いたレオンハルトさまが、それならば思い出でも作ってやったらどうだ? と、仰いました」

「レオンハルトが許してくれたのなら、良いわよね!」

 

―― ミュラーと踊って、好印象を残しておかないと!

 


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