咲世子が「お飲み物を用意します」と言って出掛けたタイミングで、カレンも部屋を出る。
「咲世子さん!」
少し歩いてから呼びかける。
「いかがなさいましたでしょうか、カレン様」
咲世子は落ち着いて振り返り、穏やかに目を細める。
「あの、その、スザクくんが、枢木ゲンブ首相のご子息だと、ご存じでしたか?」
正直なところ、カレンは話題を考えていなかった。
しかし即興にしてはいい質問だと思った。
「はい。ナナリー様にうかがっていましたから」
「あの、でも、それじゃあ、どうしてブリタニア軍に入っているのでしょうか?」
「うーん、難しいですね。推測も得意ではありませんし」
「そうですか」
どうやら、核心を突くような話は始まらないらしい。
彼女はただのメイドのはずなのだが、カレンはなぜか期待していたので拍子抜けする。
「ご用はそれだけでしょうか?」
咲世子はにこりと微笑む。
「いや、あの、待ってください!」
カレンは思わず呼び止めてしまう。笑顔に安心したからだろうか。
彼女には仕事があるのに。
「はい」
しかし、やはり彼女は微笑むばかりであり、不満などが全く感じられない。
よほどの世話好き、または善人、または落ち着いた大人、いや、全て当てはまるのだろう。カレンは簡単に纏める。つまり、いい人だ。
「あ、いえ、歩きながらでいいです。長くなるので」
「畏まりました」
咲世子が軽く礼をすると、カレンは目を細めて近づいていく。
カレンは、いきなりは失礼だとも思うが、かなり深い話も聞いてもらう腹積もりだ。
この一連の流れだけでも彼女は信頼に足ると分かったからだ。
「あの、実は私、ずっと日本で生活していて、ブリタニアに行ったことがないんです。ああ、エリア11も日本って意味ですよ」
「そうだったのですか」
これはそこそこ重大なことなのだが、咲世子はさして驚かなかった。
しかし、それがカレンにはありがたい。
受け入れてくれているようで話しやすい。
「だからその、実はブリタニアよりも、日本を贔屓したい気持ちがあって。ああっ、内緒でお願いしますよっ!」
「了解です」
カレンは慌てて言うと、咲世子は軽く口元を押さえる。
「だから、どうにかして日本人にいい暮らしをさせたいなあって思っているんです」
「ありがとうございます」
「あ、いえっ、感謝する必要なんてないんですよ!」
「いえ、気を使っていただいておりますので。まだ学生ですのに、私達大人が扱うべき問題を」
「その、でも、そういうことじゃないんです!」
カレンはハーフであり、心は日本人のつもりであるため、先ほどの言葉は自分にとっても都合のいいものなのだが、それをバラすかどうかは少し悩むところだったのだ。
咲世子はいい人だが、そこまではまだ踏ん切りがつかない。
いや、逆に考えよう。
カレンは決心する。
相手に信頼してもらうためには、まず自分が相手を信頼するべきだろう。
この秘密も明かせば相手を信頼している証しになるから、ひょっとすると咲世子さんとの距離を縮められるかもしれない。
それにハーフ自体がバレたところで、戸籍はブリタニアなのだから問題ないだろう。特にこの学園では。
「実は私、ハーフなんです。日本人とブリタニア人の。それで、ずっとこっちで過ごしてきたので、心は日本人なんです!」
カレンは日本語で言った。
咲世子はやや驚いていたが、すぐにまた穏やかな表情になる。
「そうでしたか。少し驚きました。ですが、やはりありがとうございます」
「どうしてありがとうなのですか?」
「ええ、私達大人が対処するべき問題を考えてくださっていますから」
「え、そんな、大したことじゃないですよ。学生と言ってももうすぐ二十歳ですし」
「いえいえ、十分お若いですよ」
「咲世子さんだってお若いじゃないですか。お綺麗ですし、お淑やかですし」
「ありがとうございます。私はそんな大した身ではないと思いますが」
「いいえ、本当にそう思っているんです。咲世子さんは私なんかよりずっと綺麗です。見た目もですが、話し方とか考え方も大人ですし。私、憧れちゃうなあ」
カレンは忠犬のように目を輝かせる。
咲世子は苦笑するが、嫌そうな顔はしなかった。
しかしこれは、ブリタニアのお嬢様がイレブンを慕っている絵である。
さすがに見られるとまずいので、続きは後で行うことにした。
「ナナリーちゃん、少し咲世子さんを借りてもいい?」
生徒会室に戻るなり、カレンはそう切り出した。
「えっ、いや、どうでしょう。私はかまわないと思いますが」
ナナリーはそう言うと、なぜかスザクの方を見る。
「僕はかまわないよ」
「ありがとうございます。……そういうわけです。カレンさん」
ナナリーはにこりと微笑む。
これはつまり、彼女はどうやらスザクに面倒を見てもらうらしい。カレンはそう理解した。
「しかし、どうして急に?」
ルルーシュがカレンにやや不満そうに尋ねる。
「その、話をしていると盛り上がっちゃって」
「申し訳ありません。ナナリー様、ルルーシュ様、ミレイ様」
カレンが申し訳なさそうにしていると、咲世子が先に謝ってくれた。
本当になんていい人なんだと、カレンはまた感動する。
その間にも、ナナリーとルルーシュとミレイは「大丈夫ですよ」「いえ、かまいませんよ」「問題無しです」と笑みながら応じている。
カレンは、あの高慢なルルーシュが下手に出るのは意外だったが、これも咲世子の仁徳のなす技だろうと思い、やはり彼女の評価を上げた。
ナナリーはルルーシュとスザクと共に定期健診に出掛けた。
それを期に生徒会が解散となり、カレン、咲世子はルルーシュ達のクラブハウスに向かう。
そこで咲世子は家事をしつつ、カレンもそれを手伝いつつ、存分に語り合い始める。
カレンの小さいころの生活。戦時にどう生き残ったか。ゲットー民にいる友人の話。それへの同情。租界に済むブリタニア人の放漫さ。それへの怒り。
また、カレンは自身の兄についても話した。もちろんテロ云々は言っていない。
咲世子はルルーシュとナナリーについて、出自などは全く問題にせずに、その人柄や、おもしろそうな過去話を語った。
「私あの『ぶうるああああ』を見たら、ロールパンを食べたくなっちゃうんですよね。だってあの巻き巻きですよ。なんであんな変な髪してるんでしょうね。皇子も皇女も巻いてないのに」
「ふふふ」
最後にはこのように、ただの愚痴を吐き捨てるようになっていた。
そんな折、数時間ぶりに知った男女の声を耳にする。
「うん? まだいるらしいね」
「ですね。ふふっ」
とても長く話し込んでいたようで、とうとうルルーシュ達が帰って来てしまったのだ。
「入りますよ、咲世子さん」
「はい。開いていますよ」
ドアが開けられて、ルルーシュとナナリーとスザクが現れる。
「カレンさんと咲世子さん、とても盛り上がっていたようですね。ふふふっ」
「ええ、実はそうなの。ごめんなさいね」
カレンは恥ずかしそうに苦笑して見せる。
ナナリーは笑っているが、どこか力が入っていて、カレンには不思議だった。
「ナナリー、何かあったのかい?」
その機微にルルーシュが気付いたらしい。
「はいお兄様。実は先ほどのカレンさん達の会話が、少しだけ聞こえていたのです」
なるほど、とルルーシュは胸をなで下ろす。
それからやさしく笑む。
「へー。それで、何がそんなにおもしろかったんだい?」
「ええ。実はあの方のことを、ロールパンと」
「あの方?」
「はい。ええっと、ぶうるうあああ? の人です」
「あいつか。なるほど」
ルルーシュはうんうんとうなずく。
「きみ達は皇帝陛下をなんだと思っているんだよ」
しかし、もう1人の男が呆れた風に述べたところで、場の空気が固まってしまう。
チラつくのは不敬罪という言葉。
ルルーシュはスザクのしまったという顔を確認し、助け船を出す。
「その、スザクはいろいろと勘違いをしていてね。誰に何を言ったら不敬とかそういうことじゃないんだ」
「あっ、大丈夫だよルルーシュくん。スザクくんも」
カレンは落ち着いてお嬢様然と応じる。
ルルーシュは苦笑で返す。が、ふとスザクに鋭い視線を送り、釘を刺すことも忘れない。
「ご、ごめんよルルーシュ。でも、彼女はルルーシュに似た考え方かもしれないよ」
「ルルーシュくん? 私が?」
「ああカレンさん、ゴメンなさい。悪い意味じゃないんだ」
「おい。それだと悪い意味もあることになるぞ」
「ご、ごめんルルーシュ」
スザクは申し訳無さそうな顔で頻りに頭を下げる。場は徐々に弛緩していった。
カレンはすぐに帰り、スザクも20分程で特派に戻った。
ルルーシュは咲世子に軽く尋ね、カレンがブリタニアよりも日本を優先しているとの情報を手に入れて、ならばスザクは大丈夫だろうとホッと一息つく。