『へぇ〜。なかなかやるようになったねぇ、彼』
ケンタの緩みきった声が響き渡る円筒状の部屋の中央。
クラマ、フェイ、ケンタの三人は、机に置かれた巻物の上に手を重ね、目を瞑っていた。
『たしかに彼の洞察力の高さには度胆を抜かされましたが、それより驚いたのは対戦相手です。まさか、彼の相手がリョーガ殿だったとは……』
『どうじゃ?あやつの力を見極めるには十分過ぎる相手じゃろう?』
隣の方からクラマの声が響き、目を瞑っている為どんな表情をしているかはわからないが、随分と興奮しているようだとフェイは感じた。
クラマの言う通り、リョーガ程の相手とファイトするのであれば生半可な相手ではそもそも太刀打ち出来ない。そういう意味では妥当な相手と言えるのかもしれない。
しかし、フェイは知っていた。暁リョーガというファイターの実力を。
トラプル・ゲインに所属するファイターというのは、何も強さを求めて入ってきている者ばかりではない。むしろ、ここに所属していることによる支援・恩恵を目的にしているもののほうが大多数と言っていい。
それはクラマとケンタも同様であり、クラマは自分達のような適合者を探す上でここにいたほうが都合がよく、ケンタは各地に設置されているフーファイターズの施設を無料で利用出来ることを目的にここにいる。
そんな中で、彼は唯一純粋に強さを求めていた。その純粋さに、フェイは心打たれ、トラプル・ゲインの中でも特に交友関係を持っていた。
それと同時に、フェイは一度ノブヒロともファイトした経験がある。だからこそわかるのだ。
(このファイト、もはや先が見えていると言っていいでしょう……)
この二人の圧倒的なまでの力の差を。
フェイは目を開け、二人のファイトに集中しているクラマの表情を眺めた。
(クラマ殿は一体彼に何を期待しているのだろうか。椿ノブヒロ殿も決して弱いわけではない。フーファイターズの中で例えれば十分トップを狙う実力を持ち合わせている。しかし、それはあくまで不適合者の中ではということ。適合者としての力を隠し持っているということなら納得出来たのですが、クラマ殿は彼を不適合者だと認定してしまった。まともな方法では、リョーガ殿には勝てない。何故なら――)
フェイもまた、再び瞳を閉じ、二人のファイトの観戦に戻った。
(――彼には、≪神風≫が吹いている)
* * * * *
「俺のターン!スタンド&ドロー」
リョーガのターンが終わり、ファイトはノブヒロの第二ターン。
ノブヒロが自身のプレイングを進めている中で、リョーガは先ほどの自分の手札を晒したことを心の中で悔やんでいた。
(――⦅武士は豪勇だけではいけない。臆病で味付けする必要がある⦆。慢心は己の弱さをさらけ出す。以前のトキとの会話を先ほど思い出したというのに。俺はこいつの口車に乗せられてあろうことか、自軍の戦力を晒してしまった。ファイターとしてあるまじき行為だ)
決して表情には出さず、リョーガは自分を見つめなおす。
済んでしまったことは仕方がない。同じ過ちは決してしない。見つめるべきは目の前の相手のみ。
(前のターンで俺の手札を二枚知られてしまったが、俺はこいつのデッキ構築を完璧に把握している。ミズキ達は恐らくシュテルン・ブラウクリューガー軸でありながらクリティカルトリガーを積んでないこいつに疑問を抱いているかもしれないが、こいつは決して闇雲に意表をついてきているわけではない)
リョーガは被っているフードに手をかけ、顔を隠すように前に引っ張った。
「ブラウクリューガーにライド、The・ヴァンガード!ヴァンガードの裏にタフ・ボーイ(8000)、左上にジェノサイド・ジャック(11000)をコール!ジェノサイド・ジャックはCB1払い拘束解除してバトルに入るぜ!」
ジェノサイド・ジャック/ブラウクリューガー/
/タフ・ボーイ/
「へぇ、ジェノサイド・ジャックが入ってるんだ。リョーガの兄貴が言ってたクリティカルが入ってないっていうのと、ノブの兄貴のデッキがシュテルン・ブラウクリューガーが軸っていうのに少し疑問があったけど、ジェノサイド・ジャックが入ってるなら納得したよ」
「何か分かったの?ミズキ君。教えてよ~」
「…………」
ノブヒロの展開したユニットを見て何かに気づいたミズキ。これまたそれに気づいたアサギがミズキにそう問いかけるが、面倒なのか、ファイトに集中しているフリをして一向に返事を返す素振りを見せなかった。
「ちょっとミズキ君!面倒なのも分かるけど、折角聞いてくれてるんだからちゃんと答えてあげなきゃだめでしょ?」
「アンタは学校の先生か何か?そんなに気になってるならライカの姉貴が教えてあげればいいじゃん」
ライカがそう指摘するが、ミズキはあからさまに面倒そうな表情でライカのほうを向きながらそう言うと、再びファイトに視線を戻した。
「全く、本当に生意気なんだから……」
「ライカお姉ちゃんはミズキ君が何に気づいたかわかったんですか?」
「え?えぇ。多分この子が思ったのは、ノブがどうしてクリティカルトリガーじゃなくスタンドトリガーを入れてるかってことね」
アサギに尋ねられ、仕方なく教えるライカ。店長もファイトに集中するフリをしながらそちらに耳を傾けた。
「そもそも、スタンドトリガーがあまり採用されない理由として、盤面をいちいち準備しないといけないっていうのはわかる?」
「スタンドさせるユニットをあらかじめ用意しておかないといけないってことですか?」
「そうそう。それ以外にも、スタンドトリガー以外のトリガーが出た時の為にレストしてるユニットとは別にリアガードを用意しておかないとトリガーのパワー上昇が無駄になるし、スタンドトリガーが発動した後に相手のダメージトリガーでパワーが上がる可能性があるっていうのもあるわね。で、特に問題になるのがスタンドさせるユニットのパワー。
例えばスタンドさせたユニットで相手のヴァンガードにアタックする時に、今の環境だったら最低でも10000は必要というのは分かるわよね?
今までのノヴァグラップラーでG2の10000以上のユニットはキング・オブ・ソードとジェノサイド・ジャックしかいなかったけど、シュテルン・ブラウクリューガーの登場と一緒にアイゼン・クルーゲルが出たおかげで3種類目の10000以上のユニットが追加されたの。
これで、ほぼ全てのアタッカーが単体でヴァンガードにアタック出来るようになったわけで、ノブがそれらのアタッカーを入れていることによってスタンドトリガーを最大限に活かそうとしていることを、ミズキ君は気づいたんじゃない?」
「ほえ〜。何だか途中からよく分かんなくなっちゃったけど、とにかく凄いってことなんですね!」
「そ、そうね!こんな構成なかなかやろうと思う人は少ないから凄いっていえば凄いかもね!」
ライカが丁寧に説明したかいも虚しく、アサギは手を合わせながら満面の笑みでそう言うと、ライカはギリギリのところでフォローを入れる。
「……ま、そうなるよね」
ミズキはまるでこうなることが分かっていたかのようにぼやいた。
(その点俺は今の説明で完全に理解出来たぜ)
聞き耳を立てていた店長は、誇らしげに心の中で呟く。ノブヒロがユニットを展開したその時に気付けなかった時点で、彼がアサギ以外に劣っているのはいうまでもない。
「ジェノサイド・ジャックでヴァンガードにアタック」11000
「指揮官 ゲイリー・キャノンでガード」13000
スタンドトリガーが発動した時のことを考えたリアガードからのアタック。
リョーガは先ほどのドライブチェックで出たジャイロ・スリンガーでは無く、まだノブヒロに知られていないカードである指揮官 ゲイリー・キャノンでガードした。
「ジャイロ・スリンガーにゲイリー・キャノン……。随分と珍しいカードが入ってるんだな」
ノブヒロはドロップゾーンに置かれた指揮官 ゲイリー・キャノンを見ながらそう言った。
彼が言った二枚のカードは、通常のブースターパックには収録されていない特殊なカードで、俗にPRカードと呼ばれているもの。
特にゲイリー・キャノンは、雑誌の特典となっている為、複数枚入手するにはそれなりの出費が伴った。
「当然だ。他のスパイクブラザーズのグレード1ははっきり言ってパワーやスキルで不安が残る。それを補えるのであればよ……」
そこまで言うと、リョーガは何故か時が止まったかのように静止すると、今度は不敵に笑みを浮かべながらフードで顔を隠した。
「おっと、危ない危ない。また危うく口を滑らせるところだった。この俺に対抗して俺の戦力の掌握を狙ったのかもしれないが、そう何度も同じ手が通じるとは思ったら大間違いだ。椿ノブヒロ」
「……そうなのか?」
誇らしげに言い放つリョーガに、全く身に覚えのないノブヒロはキョトンとしながらそう首を傾げた。そんな中、ファイトを見ていたライカは唖然とする。
「今、四枚って言おうとしたわよね……?完全にジャイロ・スリンガーとゲイリー・キャノンを四枚入れてるって言おうとしてたわよね?」
前の手札を公開した一件もあり、当初の悠々たる風格が徐々に崩れ出したリョーガ。ライカがそう確認を取るようにミズキ達のほうを見ると、何故か三人とも腕組みをしながら頷いていた。
「リョーガの兄貴ってああ見えて結構ノリがいいんだよね。初めてファイトした時に能力のこと聞いたらすぐ教えてくれたし」
「リョーガさん、ああ見えて本当は結構優しいんですよ。前に宵月夜の陰陽師が欲しいって言ったら次の日にはどこからともなく手に入れてきてくれたんです!」
「ああ、リョーガはああ見えて結構何でもいける口なんだ。前にメイド喫茶に誘った時もアイツすぐに返事くれたしな」
「あなた達のおかげで、リョーガがああ見えて結構苦労してるってことは分かったわ……。っていうか、なんか一人自分の趣味暴露してるし……」
カードショップ≪アンノーン≫の実態を知ったライカは、同情の送るようにリョーガのほうへ視線を向けた。
しかし、当のリョーガ本人は至って真面目なようで、完全に勝ち誇ったような笑みを浮かべている。
(こうやって見ると、少し似てるかも……。わたしの知ってるリョーガに……って、そんなわけないか)
ライカは懐かしむように微笑むと、「よし!頑張りなさいよ、ノブ!」と声を発し二人が奮闘するファイトに集中した。
「なんだかよくわかんねぇけど、アンタのデッキがどれだけ作りこまれてるかってのはわかったぜ!だからこそ、全力でぶつかる甲斐があるってもんだ。いくぜ!タフ・ボーイのブースト、ブラウクリューガーでアタック!」18000
「ノーガードだ。精々いきがっていればいい。いずれ力の差を自覚することになる」
「そう願っててやんよ。ドライブチェック!ロケットハンマーマン!トリガーなしだ」
「ダメージチェック、チアガール マリリン」
「ブラウクリューガーのアタックがヴァンガードにヒットした時、スキル発動!ジャックで使ったCBを回復!これで俺のターンは終了だ」
ノヴァ スパイク
手札 5 5
ダメージ表 1 1
ダメージ裏 0 0
「俺のスタンド&ドロー。デビル・サモナー(7000)にライド、My・ヴァンガード。この瞬間、デビル・サモナーのスキル発動。デッキトップを捲り、そのユニットがスパイクブラザーズのG1もしくはG2ならばスペリオルコールする」
前のターンのノブヒロの言う通りデビル・サモナーにライドしたリョーガ。デビル・サモナーに限らず、CBや相手に依存せずにアドバンテージの稼げるカードは、攻めの基盤を作る序盤に大きな力を発揮し、これが発動するかしかで今後のファイトの流れを決定づけると言っても過言ではない。
それを理解しているアサギ以外の全員は、リョーガの捲るデッキトップに意識が集中する。
「デビル・サモナーを左上にスペリオルコール。この瞬間、スペリオルコールされたデビル・サモナーのスキル発動」
「なっ!?まじかよ!」
スペリオルコールされたユニットに驚くノブヒロ。ヴァンガード同様、リアガードでもデビル・サモナーのスキルは適用され、ここで上手くユニットをスペリオルコール出来れば一度に2枚ものアドバンテージを確保することが出来る。
「チェック……ジャガーノート・マキシマム。このカードはそのまま、デッキをシャッフル」
「あぶねぇ……。いきなり手札消費なしで2枚も展開されたら流石にきついぜ」
リョーガから渡されたデッキをシャッフルし終え、ノブヒロはそう安堵する。
リョーガからしてみれば一気にファイトを有利にする展開であったため溜め息の一つでも出るものだが、彼は少しも動揺することなく手札を一枚取り、場に展開する。
「右上にデビル・サモナーをコール。そしてスキル発動」
「なっ!?まだ出てくんのかよ!」
「デビル・サモナー祭りだな、こりゃあ」
再び現れた三枚目のデビル・サモナー。二枚目の時は失敗したが、スキルによってデッキがシャッフルされている為、次のデッキトップが当たりである可能性は十分にある。
「チェック、ハイスピード・ブラッキー(9000)。このカードを右下にスペリオルコール。そして左下にジャイロ・スリンガー(7000)をコール。ジャイロ・スリンガーのCB、パワーを8000に上昇させ、バトルに入る」
デビル・サモナー/デビル・サモナー/デビル・サモナー
ジャイロ・スリンガー/メカ・トレーナー/ハイスピード・ブラッキー
手札消費3枚で一気に盤面を埋めてきたリョーガ。ただし、右上のデビル・サモナーはブーストがいない為、単体ではアタックすることが出来ない。
「メカ・トレーナーのブースト、デビル・サモナーでリアガードのジェノサイド・ジャックにアタック」12000
ただし、それはトリガーが発動しなかった時であり、ここでトリガーが発動してパワーを割り振れば3回ものアタックが可能になる。
アタックの回数が増えれば、それだけ相手に対して確実な負担をかけ、より有利にファイトを進めることが出来るのは周知の事実だろう。
しかし、ダメージを増やす行為自体は、相手の起点を作ってしまい、ダメージトリガーが出てしまったらそもそもアタックが通らなくなってしまう可能性もある。
また、この局面ではヴァンガードのアタックをあえて5000でガードし、トリガーによる上昇をヴァンガードに絞らせることで、右のデビル・サモナーを機能停止させる技法が用いられる場合が多い。
そこでリョーガは、ヴァンガードにアタックした場合のジャックをインターセプトするか通すかの2択を潰し、アタック対象にジャックを選択することでノブヒロの手を狭めたのだ。
(にゃろう……この局面を即断即決かよ。特にあのジャイロ・スリンガーのCB。いくらガード要求値を高められるとはいえ、貴重なコストをこんな序盤にあんな簡単に消費出来るのか……。
ただ、これでリョーガはトリガーを発動させれば確実に3回のアタックが可能になっちまった。このヴァンガードのアタックを通した場合、トリガーによって上昇した右のデビル・サモナーでヴァンガードに攻撃。そこで俺がトリガーを発動させてもヴァンガードのパワーは15000。左ラインもジャイロ・スリンガーのスキルで15000に上がってるせいでかなりの痛手を食らわせられるってわけだ。
クリティカルが乗ったならば右ラインを捨て、左ラインに乗せてダメージ2点と15000ガードの二択を要求出来る。デビル・サモナーによるギャンブルで構成されたとは思えないライン形成の巧みさだ)
ノブヒロは顔を顰めながら自身の手札に目を落とす。
(俺の手札でちょうどいいガードはスタンドトリガーが一枚くらい。他に使えるガードとしてはもうコールしても仕方がないタフ・ボーイくらいか……。俺としては、ダメージ2点を食らうよりもジャックを失うほうが辛い。ここは一か八か……)
少しの沈黙の後、ノブヒロは思い切ってカードを一枚切る。
「……ラッキー・ガールでガードだ!」21000
2枚分ガード。つまり、ツインドライブでないこのアタックは確実に防げることになる。ここでトリガーが出なければ、次の左ラインのジャックへのアタックも5000でガード出来、クリティカルトリガーだった場合には左ラインに全て乗せ、ジャックではなくヴァンガードにアタックするはず。例えパワー上昇を右ラインに割り振り、ジャックにアタックしたとしても、そのアタックはタフ・ボーイでガードすることが出来る。
「ドライブチェック。GET、クリティカルトリガー。サイレンス・ジョーカーの効果で右のデビル・サモナーのパワーを+5000。クリティカルは左のデビル・サモナーに加える。右のデビル・サモナーでジャックにアタック」12000
「タフ・ボーイでガードだ」16000
ここまでノブヒロの予想通り。次の左ラインのデビル・サモナーはクリティカル2の為、十中八九ヴァンガードに攻撃してくる――
「ジャイロ・スリンガーのブースト、デビル・サモナーで……」
――はずだった。
「ジャックにアタックだ」15000
「……ノーガード。ジャックは退却する」
「これで、俺のターンは終了」
ノヴァ スパイク
手札 3 4
ダメージ表 1 0
ダメージ裏 0 1
(完全にしてやられたか……)
顔を悲痛に歪ませながら自分のターンを迎えたノブヒロ。もしガードしていなければ、少なくともこれだけの手札の損失は無かっただろう。
それに対し、淡々と自身のターンを終えたリョーガ。ダメージの差はそこまでないが、盤面・手札においては完全に圧倒されてしまった。
(これがトラプル・ゲインの力……。並外れたプレイングスキルと的確なデッキ構築。その上俺のデッキは規格外の力で掌握され、さらにもう一つ隠し玉を握っている……。まるで他のトラプル・ゲインや久我マサヨシとファイトしてる時みてぇだ……)
心の中で弱気になるノブヒロ。強大な敵を前に震えが止まらず、自分のターンだというのに中々カードをドローすることが出来なかった。
(ただ楽しむだけのファイトじゃ駄目なんだ……。ここで勝たなきゃ……ヴァンガードチャンピオンシップに出なきゃ俺はアイツとファイト出来ない……。だが、このままじゃ……)
悔しそうに固く唇を噛みしめる。過去の敗戦が蘇り、負けられない緊張感と共にノブヒロを支配していった。
* * * * *
『流石はリョーガ殿ですね。相手に翻弄されることなく的確に相手の戦力を削る。当たり前のようでこれを実際に行動に移すのは運に大きく左右されるヴァンガードではなかなか難しいですからね』
『まだ始まってから2ターン目だから何とも言えないけどねぇ。それでどうだい?クラマちゃん。彼は君の期待通りに成長してるのかい?ノブヒロ君の様子を見る限りだと、前に僕達とファイトしてた時と同じになっちゃうかもしれないけど』
ファイトを観戦していたフェイはリョーガの見事なプレイングに称賛を送る。ケンタも完全に臆してしまったノブヒロを見て、これでもなお彼に期待しているのかどうかをクラマに確かめた。
『そうじゃのう。もしこやつが昔のままじゃったら、このまま敗者に成り下がり、ヴァンガードチャンピオンシップにも出場出来ずに姿を消すじゃろうな』
この現状に彼女はそう呟いた。気合や根性でファイトがどうにかなるわけではない。ましてや、適合者の力を持たないノブヒロに、ここから劇的に状況を変えることは出来ない。
クラマはただジッと目を瞑る。彼女は、ただひたすらにノブヒロを信じていた。
(お主は今まで勝利に執着しておらんかった。ただ、ヴァンガードという媒体を楽しむことしか頭になかったのじゃからな。しかし、もはやそんな悠長なことを言ってる場合ではなかろう?ファイトなど――)
* * * * *
「――勝ってなんぼのゲーム、か……」
ノブヒロはポツリとそう呟く。こんな状況なのに、彼は何故か以前に話していたクラマの言葉を思い出した。
「どうした?椿ノブヒロ。まさかあまりの力の差に怖気づいてしまったわけではないだろう?」
一向にドローしないノブヒロに、リョーガは煽るような口調でそう言った。
怖気づいてしまっているのは間違いない。たったワンプレイでこれだけの戦力差をつけられたのだ。戦意が落ちるのも仕方がないといえる。
(なんだろうな。俺、これでも結構昔より変われたと思ってたのに、全然じゃねぇか)
ノブヒロはおもむろにせせら笑う。彼にとって、こういう状況は何もこれが初めてというわけではなかった。
(色んなファイターとファイトして、負けて、悔しくて、でも楽しくて、だからこそヴァンガードがやめられなくて)
不意に思う浮かべる今までのファイトの数々。楽しかった思い出。しかし、そこに二つの影が現れた。
『今のままの貴方では、楽しくファイトをすることが出来ても、真剣勝負までには至らない』
『ファイトなど、勝ってなんぼのゲームであろう?』
(わかってはいたさ。楽しんでいるだけじゃあ駄目だってことも。けど、俺は怖かったんだ。勝ちに執着して、ヴァンガードを楽しむことが出来なくなっちまうことが。割り切ることが出来なかったんだ。あの第一大会のトラウマが忘れられなくて)
自分の弱さを自覚し強くなりたいと願った。その方法も模索し、力を試す為に訪れた最後のショップ≪アネモネ≫
そこで多くの仲間を、ライバルを、目標を見つけた。
(沢山の相手とファイトしたこんな俺でも、まだファイトしたいと思う奴がこの先にはいる。そいつと戦う為に勝つ必要がある。勝利に執着しなきゃいけないんだ!)
ノブヒロはおもむろに手札をテーブルに置くと、自分の左手に巻いていたバンダナに手をかけた。
「駄目だな、俺ってやつは。自覚してたつもりだったのに、またクラマの言葉を思い浮かんじまった」
「……クラマだと?」
リョーガはノブヒロから発せられたその名前に眉を潜めるが、ノブヒロにとっては関係のないことだった。
「暁リョーガ。悪かったな、こんなことで怖気づいちまう俺なんかの相手してもらってよ。――だが、それもここまでだ」
巻いていたバンダナを解き、バサッと広げたそれを慣れた手つきで空中で三角に折り、頭のほうへと運ぶ。
「もう綺麗な俺はここにはいねぇ。ただひたすらに勝利にしがみついて放さない。そんな醜い奴に俺はなってやる」
この時、リョーガは察する。この目の前のファイターが今まで本気ではなかったことを。そして、これからが本当の戦いになるのだと。
ノブヒロは後頭部でバンダナをギュッと縛ると、真っ直ぐリョーガを見据え、ニヤリと笑みを浮かべた。
「さぁ――限界まで、飛ばすぜ!」