ノブヒロのこの大胆な自己紹介から、まるで時間が止まったかのような静寂が店内を包み、唯一その呪縛に縛られていなかったのは店内のすみで漂うタバコの煙だけだった。
しかしその均衡も、一人の溜め息によって簡単に崩れることとなる。
「あーあ、駄目だこりゃ。完全に頭のねじがぶっ飛んでやがるぜ」
「ちょっと興ざめだね。そうまで必死に嘘をついてまで大会に出たいだなんて、プライドってものがないんだね。連れてきて損したよ」
店長とミズキはそう言ってノブヒロに見切りをつけるかのように背を向ける。
このノブヒロの行動が、この二人の中での彼の烙印を確立するきっかけを作ってしまった。
そう、≪つまらない嘘つき野郎≫と。
「何だかお兄ちゃんかわいそう……」
ミズキと店長に見捨てられ、なお自信満々な表情を崩さないノブヒロにアサギは純粋な気持ちでそう思った。どれだけ必死になっても届かない現実というものを、第三者の視点から感じ取っていた。
それはライカも同じであり、彼女の場合ノブヒロが≪リセ≫ではないということを確信している為、余計に彼のほうを見るのが辛くなり、視線を避けてしまう。
(ごめんなさい、ノブ。でも、わたしには何もしてあげられない……。本当に……ごめんなさい)
ここに来るまでどれだけ期待していたのかを知っている彼女は、そう何度も心の中で謝罪の言葉を繰り返した。
もはやノブヒロとまともに相手をしてくる者はここにはいない。ノブヒロの存在は完全に忘れ去られ、彼らは皆は光の届かない店内の奥へと足を運ぶ――
「?どうしたの?リョーガの兄貴」
それぞれその場を離れる中、ただ一人だけ。トラプル・ゲイン、暁リョーガだけはノブヒロのほうを向きながらその場に立ち尽くしていた。
ノブヒロもまた、ただただリョーガの方を見ながらニッと笑みを浮かべている。
(……この男。一体何を考えている)
リョーガは自分のことをピオネールの≪リセ≫だと名乗る目の前の男について考えていた。
今までジッとなりを潜めていたとは思えないこの大胆な自己紹介に、リョーガは不信感を抱いていた。それは自分だけでなく、他の者も同じだとリョーガは察している。
しかし、引っかかるものがあるのもまた確かだった。
(この男の今の言葉……完全に俺に向けて放たれたものだった)
まるで自分にはその回答持っているかのような、言い知れぬ違和感が湧き上がるのを感じる。しかし、彼はその回答がすぐには浮かんでこなかった。
「おい、どうした?気分でも悪いのか?」
「そんな奴ほっといてさっさと行こうよ」
店長とミズキが話かけてくるが、リョーガは決してその場を離れることは無かった。彼らの声は、リョーガの耳に届いていなかったのだ。
彼の頭にあるのはピオネールの≪リセ≫に関する情報。フーファイターズで過ごしてきた時の中で、ピオネールについての出来事を模索する。
(……俺は知っていた。ピオネールの≪リセ≫を。聞いていたんだ。この俺の能力、
* * * * *
真っ暗闇の一室。光の失われた世界。
しかしその原因は、明かりがついていないからというものではなく、俺の視界が塞がれているに過ぎない。
初めて見えなくなってからその不便さに身の毛もよだつ恐怖心に襲われたが、人間の適応力というのは不思議なもので、時が過ぎると共に俺はその恐怖心を克服していた。
『素晴らしい成果だ、暁リョーガ。それでこそ、トラプル・ゲインにいるに相応しいファイターと言える』
俺の前方、そう遠くない位置から声が聞こえる。俺はこの声の主の名を知っている。
如月トキ。現在、このヴァンガードの世界でナンバー2の称号を持つファイター。そして、俺の所属しているフーファイターズのトップでもある。
トキに誘われ、力を欲していた俺は、特に考えることもなくフーファイターズに加入した。
元々常人とは違う特別な力を持っており、トキはそれに興味を持ったらしい。
『これで君の持つ照魔鏡は
フーファイターズに入ったその後、俺はトキとマンツーマンで元々持っていた能力、照魔鏡の新たな可能性に向けてトレーニングを始めた。
疑心暗鬼で始めたトレーニングだったが、この如月トキという男は適合者の持つ力について驚くほど詳しく、結果として俺は
『今の君の
『いいとも、何でも聞いてくれたまえ』
俺はトキが話しているにも関わらず強引にそう問いかける。トキは特に驚く様子も、怒ることもなく快く承諾した。
俺がトキに聞きたいことは、今までのトレーニングの中でずっと抱いていたこと。この節目に聞くのが最も効率がいいだろうという判断で話すに至った。
『俺はあんたのおかげでこの適合者を認識する力を身につけた。まるで自分が自分ではないようなそんな違和感を覚えるが、その違和感が逆に心地いい。礼を言わせてほしい』
『気にする必要などない。僕が君に協力したのは僕がしたいと思ったからに過ぎない。ただの自己満足というやつさ』
『しかし俺には一つだけ腑に落ちないことがある。たしかにこれで俺は突然適合者とファイトすることになっても落ち着いて対処することが出来る。しかし、これでは逆に適合者でない者に対して不利になるんじゃないか?』
『――つまり、何が言いたいのだ?』
突如、トキの雰囲気が変わる。目が見えなくとも、それくらいのことはわかった。
しかしこれまでフーファイターズの中で生活し、トキと接していた俺は、特に気にする素振りもなくその問いに答える。
『適合者のファイターは確かに脅威だ。それに対して身構えることの出来る
俺がそう問いかけると、トキは鼻で笑った。
『フン、全くもってくだらん質問だ。不適合者など、気に留めるにもあたらぬ雑兵。そんなことに頭の容量を使うことそのものが無駄なのだよ』
『それは驕りなのではないのか?』
『違うな、暁リョーガ。これは理なのだよ。真っ当に力を信じていれば、不適合者如きに負けるなどとありえないこと口走ることも無くなる。それが貴様の弱さだと自覚しろ』
その時、俺はこの質問をしたことに後悔する。
この如月トキという人間が、どれほど規格外適合者に溺愛しているのかを知っておきながら、こんな答えの分かっている質問をしてしまったことに。
トキが一体どんな表情をしているかはわからない。だが、足音からこちらに近づいてくるということはわかった。
『腑に落ちん、という顔をしているな。だが、これが揺らぐことのない事実。恐らく、現在存在する中で最強の不適合者……≪リセ≫と言ったか?あいつもこの俺によって敗れた。これが持つ者と持たざる者の差というものだ』
『……≪リセ≫が不適合者だと?』
トキは例え話のようにそう呟いたが、俺にとっては驚愕の事実だった。
ヴァンガードの時代を切り開いたピオネールの一人である≪リセ≫が、不適合者だと言うのか?
『そうだとも。不適合者如きがこの俺と同じ肩書を名乗ること自体にも腹が立つが、奴がそこまで勝ち残ってしまった原因を作ったファイター達の情けなさにも虫唾が走る。適合者の風上にもおけん』
『あの第一大会には、俺たち以外にも適合者が参加していたのか?』
『無論だ。このトラプル・ゲインのメンバーのほとんどが出場していた。初めに選定を開始したのはこの俺なのだからな』
トキにも、俺の
『しかし、現に≪リセ≫はその適合者のいる魔境の中を掻き分けお前と同じ決勝トーナメントまで上り詰めている。これは事実だ。一体≪リセ≫とは何者なんだ?適合者に通ずる不適合者とは……』『興味がない』
俺が最後まで言い終えるまえに簡潔かつトキらしい返答が帰ってくる。
そうだ、この男は不適合者に対することを聞いても真っ当な答えなど帰ってくるわけがない。俺はまたも同じ過ちをしたことに頭を押さえるが、しばらくしてトキは何か思いついたように口を開いた。
『だが……“適合者に通ずる不適合者”か……。そうだな……強いて言うのであれば――』
* * * * *
適合者でない者は≪リセ≫。トキとの会話を思い出したリョーガは、その回答を手に入れた。
しかし、それでは何の解決にもならない。適合者でないというだけなら、この世界に存在するほとんどのファイターが≪リセ≫ということになってしまう。
そう、問題は……“何故この男がリセが不適合者であること”を知っていたのか。
≪リセ≫を知る者など恐らく指で数えるほどしかいないだろう。
ましてや、彼が適合者であるかいなかを知る者は、それこそ当時からその存在に気付き、それを選定することの出来るトキくらいのものだ。
“適合者に通ずる不適合者”
リョーガは口元を緩めると、唐突にこう唱えた。
「⦅憂うことの、尚この上に積もりかし⦆」
「リョーガ、まさかお前……」
「まさか、リョーガの兄貴は今の信じるの?」
言葉と共にリョーガはノブヒロの前まで歩み寄る。
その様子を見ながら、ミズキと店長はそう呼びかけた。
「お前が≪リセ≫だろうとなかろうと、もはやそんなことはどうでもいい」
ノブヒロの前で立ち止まると、リョーガはそう呟く。
「へぇ、そうかい。なら、何の用なんだ?」
「椿ノブヒロと言ったな。お前の言う通り、俺はお前とファイトがしたくなった」
「そいつはいいや。俺みたいな不適合者からしたら、あんたみたいな適合者様の相手がしてもらえるってんなら例え手加減されても倦厭たるもんだ」
ノブヒロはヘラヘラ笑いながらそう言った。
傍から見ていたミズキ達は、一体何が起きているのかを理解出来ず、ただただ茫然と二人のやり取りを見ているしかなかった。
「これからするファイトで、俺はお前を力を計る。だが、勘違いするな」
「?何をだよ」
踵を返し、ファイトをする為の机へと脚を運ぶリョーガにノブヒロがそう問いかけると、リョーガは再びこちらのほうを向き、こう言い放った。
「俺は全力でお前を迎え撃つ。どんなファイトであっても、俺は手を抜いたりはしない。俺は、俺の為だけにファイトするだけだ」
* * * * *
ノブヒロとリョーガは、向かい合わせに机を挟むと、各々デッキを取り出した。
「一体何がどうなってんだ?あのリョーガがなんでこんな野郎と……」
「そんなのオレが知るわけないじゃん。あんなこと言ってたけど、本当はこの人の言ってることが本当かもとか思ってるんじゃない?」
「楽しみですね!ライカお姉ちゃん!あのリョーガさんがファイトがしたくなるくらいなんですから、あのお兄ちゃん凄く強いんですよね!」
「え?えぇ……そうね」
目をキラキラさせ、ぴょんぴょん跳ねながらファイトを待つアサギに、ライカはパッとしない返答をしながら二人のファイターを見つめる。
(ノブがピオネールの≪リセ≫……。そんなはずない、だってノブはわたしと一緒に途中で辞退したんだもの。なのに、どうしてリョーガは突然ファイトしたくなったの?……わからない)
考えれば考えるほど疑問が残る。
ノブヒロがこうしてチャンスを手に入れて嬉しい反面、二人の謎の行動にライカはただただ困惑の表情を浮かべることしか出来なかった。
「――ファイトに入る前に、お前に教えておくことがある」
「ん?なんだ?」
お互いのデッキをシャッフルし、元の所有者に返す際にリョーガはそう言った。
「俺の持つ適合者としての力は5つある」
「5つ!?」
リョーガの告白に、ノブヒロは目を見開きながらそう声をあげた。
「1つあるだけでも十分なのに5つも持ってるなんて……」
「リョーガはトラプル・ゲインだぞ?それくらい当然だ」
「そのトラプル・ゲインはいくつも持ってるみたいな言い方はやめといたほうがいいよ。5つもあるのはリョーガの兄貴がおかしいだけ」
「本当に凄いですよね……リョーガさんは」
「嬢ちゃんも人のこと言えねぇけどな」
観客側がそれぞれ盛り上がってる中、リョーガは先ほどの付け加えて呟く。
「安心しろ、俺はそのうち3つしかこのファイトで使わない。いや、正確には使えない」
「使えない?そりゃあなんでだよ」
「俺の力のうちの2つは対適合者用だ。まぁ、今使った
二人は着々とファイトの準備を整えながら言葉を交わす。
そして、お互い最初の手札構築の段階で、リョーガはおもむろに人差し指を立てながらノブヒロに言った。
「俺が今から使う能力の内の一つ、名を照魔鏡」
「照魔鏡?
「
そこまで言うと、リョーガは立てた指をそのままノブヒロのデッキに向けて指した。
「“相手のデッキ構築を筒抜けにする”。例えば、お前のデッキに入ってるスタンドトリガー8枚とかな」
「!?」
ノブヒロは思わずその場を立ち上がる。
そう、リョーガの読み通り、ノブヒロのデッキにはスタンドトリガーが8枚。クリティカルトリガーの代わりに投入されていた。
「お前のデッキのことならなんでもわかる。クラン・主軸・トリガー配分、なんだろうと。だが、俺がこれを教えたのは何もお前を驚かせる為なんかではない」
リョーガは指を戻すと、おもむろに手札のカードをドロップゾーンに置き、再びカードをデッキから引いた。
「お前のデッキが初見殺しの性質を持つからこそ、そこからどう対応するのかを見たかったから教えたんだ。クリティカルの脅威がないことを知っている俺のことを知らないのでは、お前はただのピエロだ」
「……どういう風の吹き回しだ?暁リョーガ。あんたはさっき、全力でやるって言ってたよな?そう自分のことをベラベラ話すのは手加減になるんじゃねぇのかよ」
平静を取り戻したノブヒロは、そう言いながら席に座ると、同じようにカードをドロップゾーンに置き、デッキからカードを補充した。
「⦅我に七難八苦を与えたまえ⦆。勘違いするな。たしかに俺は全力でやると言ったが、それは相手、すなわちお前も一緒だ。万全の状態で俺に向かってこい。椿ノブヒロ」
リョーガはそう言いながら自分のファーストヴァンガードに手を置く。
リョーガの言葉を聞いたノブヒロは一瞬茫然とするが、すぐにいつものワクワクした時に浮かべる表情で、同じようにファーストヴァンガードに手を置いた。
「悪かったな、暁リョーガ。俺はお前を見くびってたようだ。あんたは、最高のファイターだぜ!」
「フン、言ってろ」
椿ノブヒロと暁リョーガ。
卓越した技術を持つ二人のガチファイトが、今ここに始まろうとしていた。
「「スタンドアップ!」」
しかし、その時の二人は知らなかった。
「The!」「My」
このファイトに行く末に待つものを。
「「ヴァンガード!」」
二人の予想遥かに超えた結末が待っていることに。
「ブラウユンガー!」「メカトレーナー」
能力名:
使用者:暁リョーガ
効力:相手の適合者として適性を見極める力。ただし、その効果範囲はそこまで広くなく、店内の中くらい。
元々持つ力、照魔鏡の可能性を見出したトキと共に編み出された能力の1つ。