転生者の魔都『海鳴市』   作:咲夜泪

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52/氷天の夜

 52/氷天の夜

 

 

 ――九歳の時、運命の夜は訪れた。

 

 最初、ベッドに寝ていた『彼』は不審な物音を耳にした。

 時刻は午前一時、両親も既に寝静まっている時間帯に生じた異音に、『彼』は幽霊でも出現したのか、その手の恐怖に酷く怯えた。

 

「ひっ……!?」

 

 一度気になってしまったからにはもう眠れない。『彼』は起き上がり、両親の寝室に行って彼等のベッドに潜り込もうとした。

 二人と一緒なら、何も怖くない。父親の汗臭い匂いは嫌いだが、母親の匂いは凄く安心出来る。一人部屋になってから、度々行なっている年少故の行為だった。

 

 ――けれども、今夜、『彼』の前に訪れた恐怖はありもしない幽霊ではなく、より物理的で、より絶望的な恐怖だった。

 

「……何の匂い……?」

 

 階段を降りて下に行く毎に、咽び立つような異臭が鼻に付いた。

 鉄錆びていて、糞を撒き散らしたような、今まで嗅いだ事の無い類の臭気に鼻を摘む。両親の寝室に向かう度に匂いは強くなり、時折何かを突き刺したような鈍い異音もまた小気味良く鳴り響いていた。

 

「……母さん? 父さん?」

 

 寝室の扉を開いた先には――『彼』の想像を超える地獄が待ち侘びていた。

 豆電球に照らされた寝室は、一色の液体に染まっており、バラバラになった誰かの手足が転がり落ちており、こつんと、足先にぶつかったサッカーボール大の物体に『彼』は目を向ける。酷く絶叫し、恐怖に染まった無念の形相の、父親の頭だった。

 

「……あ、あ、あ……!?」

 

 ベッドの中心には帝王切開され、臓器を乱雑に摘出され続けている、微動だにしない変わり果てた母の姿があり――この地獄を現在進行形で作り上げている殺人鬼は、新しい玩具を見つけて、にんまりと邪悪に笑った。

 

「おやおや、坊や。良い子は寝てないと駄目な時間ですよォ?」

「う、あ、あ――!?」

 

 ――『彼』は腰が抜けてしまい、その場に座り込んでしまう。

 

「駄目だねェ、悪い子だねェ。夜更かしをする悪い子にはお仕置きが必要だよねエエェ……!」

 

 殺人鬼は一歩一歩近寄って、血塗れのサバイバルナイフを振り上げた。

 その一挙一挙を、『彼』は縋るような思いで見届けていた。

 

 ――死にたくなかった。

 ――殺されたくなかった。

 ――どうしようもなく怖くて。

 ――此処には何一つ、救いが無くて。

 

 ――本当にどうしようも無かった。

 

 斯くしてナイフは『彼』の脳天に容赦無く突き刺さり、『彼』は断末魔さえ叫べずに死亡した。

 

「――はっ!?」

 

 ――否、これで終わりではなく、『彼』の眠れる才能の一端を呼び覚まし、始まってしまった。

 

「……え? なッ!?」

「おやおや、坊や。良い子は寝てないと駄目な時間ですよォ?」

 

 ――気づけば、『彼』は十秒前に巻き戻っていた。

 状況を把握出来なかった『彼』は一回目と同じ方法で殺害され、また十秒前に巻き戻る。

 理由は解らないが、殺されたら十秒前に巻き戻るという事を学習し、『彼』は目の前の死に抗い続けた。

 

「う、あ、アアアアアアアアアアアアァァ――ッ!?」

 

 それは客観的に見れば、ほんの一瞬の夜の惨劇。されども、『彼』の主観から見れば、気が遠くなるなるほどの壮絶な死闘だった。

 

 一手一手、死を繰り返す度に、其処に至るまでの工程を伸ばし、必死に足掻いて行く。

 『彼』は死を体験する毎にスポンジが水を吸うように学習し、自身の血肉とする。

 あらゆる可能性を試し、死に至る工程を引き伸ばして行き――遂には、殺人鬼を返り討ちにするに至った。

 

「……くく、あはは、はははは……!」

 

 ――もう、其処に居たのは九歳の『彼』では無かった。

 『彼』の永遠に眠るべき才能は見事に開花してしまった。

 教材が優秀過ぎた為か、『彼』はこの殺人鬼を遥かに超越する邪悪として、血塗れになりながら嘲笑っていた。

 

 ――『彼』はこの世の誰も自分を殺し得ない事を確信し、高らかに勝ち誇った。

 子供特有の無邪気さは一切消え去り、『彼』は自身が世界の中心に立つ支配者である事を自覚する。

 

 この運命の夜、死に絶えた人間の数は三つではなく、四つ。

 人の皮を被った悪魔が人知れずに産まれ堕ち、誰にも聞き届けられないまま、怨嗟の産声を上げた。

 

 

 

 

 ――なるべくしてなったと、セラ・オルドリッジは悲しげに目を瞑る。

 

 八神はやての仲良し案は虚しく飛散し、またもやクロウ・タイタスと口論になる。

 ただ、これは仕方が無い事だとセラ・オルドリッジは個人的に納得している。彼、クロウ・タイタスは『禁書目録』の頃の自分にとって得難き親友だったのだろう。

 

『――未練がましいね。そんなに贋物の私が大切だったの?』

『――贋物なんかじゃねぇ。前から思っていたが、それは訂正しやがれ……! アイツは、贋物なんかじゃねぇんだよ……!』

 

 ――此処まで心配して、本気で怒ってくれる人なんて、セラ・オルドリッジには居なかった。

 だから、涙が出るほど羨ましくて、醜いと理解していても、嫉妬せざるを得なかった。今の彼女には、否、昔から彼女はいつも唯一人で、常に孤独だったのだから――。

 

『ふーん、どう表現して欲しいのかな? 『名無し』のシスター? それとも用無しの別人格かな?』

『テメェ……!』

 

 胸元を掴み掛かれそうになり、怖くて目を瞑ってしまう。

 彼女の着用する『歩く教会』はあらゆる害意から彼女を守護するが、それを理解していてもふてぶてしく構えてなど居られず――それ処か、押し倒されて驚いた拍子に、聞き慣れない銃声が教会を蹂躙した。

 

『――『過剰速写(オーバークロッキー)』! はやてに傷一つ付けさせるなよ! 死んでも守れッ!』

 

 庇って一緒に伏せたクロウの顔は瞬時に歴戦の戦士の物に変わり――その切り替えの早さについて行けず、セラは困惑する。

 

(……なんで――?)

 

 彼は自身が『歩く教会』に守護されている事を誰よりも熟知している。単なる銃弾程度では彼女には傷一つすら刻めない。

 それなのに我が身を盾にして庇った理由が、彼女には見当たらなくて困惑する。優先順位から言えば、自分は後回しで、八神はやてこそ最優先で庇うべきなのに――。

 

 程無くして銃声が止み、御坂美琴に似た誰か――『異端個体』が蜂の巣の扉を蹴り破って現れる。

 

『やぁやぁ、久しぶりだね『過剰速写』。――ミサカを殺した責任、取って貰いに来たよぉ……!』

 

 クロウと『過剰速写』はアイコンタクトで意思疎通し――クロウはセラを抱えてはやての下に馳せ参じ、『過剰速写』は目の前の敵を打倒するべく行動を開始する。

 二人の激戦は教会内では納まらず、外まで持ち込み、幾多の銃声が再び轟いた。

 

「シャルロット! おい、シャルロットッ! そっちは無事か!?」

「……耳がガンガンする。一応、無事」

 

 ――此処に至ってセラは、クロウ・タイタスが自分を『親友の身体』だから助けたのではないと、複雑な気分になりながら理解する。

 放置しても確実に生き残れたのだ、何故助ける必要があるだろうか? ――理解が及ばず、同時にセラは理解を拒んだ。

 

「いい加減、下ろして……!」

「おい待て、危ないから離れるなッ!」

 

 クロウの手を振り払って降りて、セラは離れた場所に立つ。

 未だ断続的に銃声は鳴り響き――一際甲高い異音が轟き渡る。誰もが外の様子に異変が生じた事を察する。

 

「……今の、音は――」

 

 シャルロットがその言葉を言い終わる前に、彼女の居た近くの壁際が爆散して吹き飛ばされ――飛び込んできた軍用車から、先程『過剰速写』が退けた筈の『異端個体』が、悠々と飛び降りて来た。

 一瞬だが、彼女は教会の内部を目敏く確認し、セラと視線が合ってにやりと嘲笑った。

 

 夥しい電流が彼女から生じ――孤立していたセラは彼女の手によって呆気無く拉致された。

 

 車の内部の迷彩服の者に縛られながら抵抗するも、すぐさま薬品を嗅がされて意識が移ろい――セラは、クロウの、無償の好意の手を振り払った事を、心底後悔したのだった。

 

 

 

 

 ――そして、気がつけばセラ・オルドリッジは何もない、一面が真っ黒の空間に居た。

 

 最初は自分は死んでしまったのかと困惑する。一度転生している身だが、この世とあの世の境目なんて観測した事は無く――殺風景過ぎて寂しいと、彼女は孤独を怯える。

 

「――あ」

 

 或いは、孤独だった方がまだ良かったかもしれない。

 セラ・オルドリッジの目の前に立っていたのは、自分に類似した少女だった。

 ただ、その自分に良く似た誰かは恐ろしいほど無機質で、感情らしい感情が欠片も無く――浮世離れした神聖さは、他を拒絶する不可侵の現れである事を、セラは身を持って思い知った。

 

「……あーあ、早かったね。もう少し時間があれば、君の居場所を奪えたのに……」

 

 ――彼女こそが、『禁書目録』となった自分の成れの果て。

 今の今まで自分の代わりに生き続けた少女。クロウ・タイタスが真に守りたかった少女であり、今の無力な自分など一瞬で駆逐出来る悪夢の象徴――。

 

 ――小刻みに震える指先を隠しながら、セラは不遜に振る舞う。虚勢を張って、心の底から湧き出る恐怖を悟られないようにする。

 

 自分が目覚めてから、他人としか思えない『禁書目録』の事を知ってから、一睡足りても安らかに眠れなかった。

 夢の中でさえ自分の内に眠っている『禁書目録』に怯え、一時足りても安心出来なかった。

 そしてこの本物と思われる少女を前にして、恐怖を覚える前に絶望し、セラはあらゆる望みを諦めた。

 あれは根本的に自分とは違う生き物であり、自分が想像していた恐怖を遥かに上回る存在だと感じて――。

 

「……でも、これで安心かな。攫われちゃったけど、自力で何とか出来るんでしょ? ……あー、出来る事なら、痛くしないようにして欲しいな。また死ぬのは怖いし――」

 

 怖くて、涙が勝手に零れる。命乞いが通じる相手なら、セラはみっともなくても実行していただろう。

 けれども、『禁書目録』になった少女は――無言で首を横に振ったのだった。

 

 

 

 

 ――目の前の『ボス』が繰り出したスタンドは、あの夜のバーサーカー戦で一目見た冬川雪緒の純白の人型スタンドであり、見るからに近距離パワー型と言った出で立ちだった。

 

(前世でのあの『スタープラチナ』じみた超パワー超スピードのスタンドじゃない事を喜ぶべきか、別の能力になっている事を嘆くべきか……!)

 

 スタンド使いとは多種多様に富んだ能力者であり、強弱の概念は基本的に無いが、得意分野と不得意分野があって然るべきである。

 自分こと秋瀬直也にとって、一番不得意なスタンドは――コイツのような正統派のスタンド、それもガッチガチの近距離パワー型に他ならない。

 

(このスタンドから生じた冷気――『ホワイト・アルバム』のような凍結なのか? あれほど防御性能は無さそうだが、殴ったこっちの拳が砕けるとかだろうなぁ……)

 

 殴る際は本体か、拳に高圧縮した空気の膜を纏う必要があるだろう。

 そして頼みの綱の『ステルス』はこの男には通じない。前世にしても、タバコの吸い殻を撒かれて居場所を察知され、超高速のラッシュで『ステルス』をぶち抜かれて窮地に陥った記憶がある。

 コイツ相手に風の能力が一時的足りとも使えなくなるのは致命的であるので――『ステルス』を使う事は死を意味する。

 

 ――かつん、かつん、と、奴は悠然と歩み寄って止まる。

 距離は目測で十メートル。掛かって来いという事か――遠慮無くぶちのめしてやる……!

 

「――『ファントム・ブルー』ッッ!」

 

 掛け声と共に『ファントム・ブルー』を繰り出して疾駆させ、奴もまた同時に駆け抜けて冬川のスタンドを前に出す……!

 正統派のスタンド相手に真正面から撃ち合うのは御免だが、それでも一発真正面から打ちのめさないと気に食わない……!

 

「ウゥゥラアアァ――!」

 

 高圧縮した空気の膜を拳限定に纏って連打する。無数に繰り出された拳は互いのスタンドの拳の突き(ラッシュ)によって相殺され――何発かは此方が押し負けた。

 

(――ちぃ、能力使用してもパワーが覆らねぇか……!)

 

 風の守護を貫いて、両拳に凍えるような冷気が浸透する。

 ラッシュの最中、奴は不意打ち気味にローキックを繰り出し、同じく此方も足を浮かして受け流し、生じた隙を見計らって鋭い手刀を奴の頸動脈目掛けて走らせ――掠めて鮮血が舞う。

 

「ヌゥゥ!?」

 

 奴は一旦退いて、首筋に手を当てて負傷の具合を確かめ――傷口を凍結し、出血は最小限に抑えられてしまった。げっ、そんな使い方も出来るのか……!

 軽い凍傷になった指先を舐めながら、割に合わない成果だと目を細める。

 

「――本当に油断ならないな。そんな隠し玉を持っていたとは」

 

 心底感心したように、というよりも、奴は更に警戒心を高める。

 

(そりゃ前回のテメェのスタンドはスタープラチナ並だったからな。防戦一方でまともな打ち合いにはならなかったさ)

 

 スタンドのスピードはほぼ同速、パワーは圧倒的に負けており、風の能力の補助ありでも打ち負ける。

 それなのに奴のスタンド能力は未だに未知数――底が全く見えていないという有様だった。

 

(……これだから地力で負けている近接パワー型の相手は苦手だ……!)

 

 とりあえず、まともに戦って持久戦に持ち込まれてたら、此方の敗北は必至――脳裏に『矢』が過るが、即座に振るい払う。

 

(――解らない事がある。何故、アイツは冬川雪緒のスタンドを使えるのか? 死体に乗り移って寄生しているという事実も気になる。――アイツの『殺されたら十秒間巻き戻る』能力はどうなっているんだ?)

 

 それは、絶対にこの戦闘中に解き明かさなければならない謎であると、自分の直感が警鐘を強く鳴らしている。

 

(スタンドは一人につき一体――奴が奴自身のスタンドを繰り出さない処を見ると、奴のスタンド能力が変異している?)

 

 その過程が猿から人間の進化並に不可解であり、頭を悩ませる。何故、あの最強を誇るスタンドを捨ててまで、こんな能力になっているのか――?

 

「――ふむ、互いに迂闊な接近戦は挑みたくないが故の硬直か。そうだな、前世でも散々だった。貴様とそのスタンドは何をしてくるか解らない」

 

 間合いを離しながら、『ボス』は此方に身体の向きとスタンドを向けながら語る。

 ……非常に嫌な予感がする。何か仕掛けてくるか――? その前に突撃するべきか、それともその手口を確かめてから逆手に取るか?

 

「ご期待に答えて、此方から仕掛けようじゃないか」

 

 奴は徐ろに道路の道端にあった何かを破壊し――って、消火栓じゃねぇか……!?

 際限無く噴き出る水という幾らでも凍らせられる最大の武器を手に入れた『ボス』は極悪に笑う。この野郎、何て事を思い付くんだ! 水と氷、これほど相性の良い物は他に無いだろう……!

 

「――ッ!?」

 

 水の一部が空中で凍結し、氷柱型となり――此方に向かって飛散する。

 一つ二つなら大丈夫だ。殴り飛ばして防げるが、これが十、二十、三十と次々と際限無く繰り出されてしまえば対処出来なくなって圧殺される……!?

 

「ウウゥゥララララララララ――ッ!」

 

 必死に殴り飛ばしながら対処法を考える。目前の死が見え隠れする。不味い、この状況は非常に不味い……!

 咄嗟に対処方法が思いつかず、スタンドを手元に戻して装甲して更に『ステルス』を使って逃げる。長い時間の使用は能力使用が不可能になるので、一旦隠れて風の能力を温存しなければ――。

 

「――フンッ、今更その『ステルス』如きを見破れないと思っているのかァッ!」

 

 『ボス』は膨大な水を瞬時に宙に巻き上げて――天高く舞い上がってから凍結した氷柱は広範囲に降り注いだ……!?

 

(ぐぅぅぅ――!?)

 

 こんな不条理な面攻撃、防げるか……! ひらすら防御に徹しながら全力疾走で逃走し――降り注いだ氷柱から此方の居場所を割り出した『ボス』は一メートル大の氷柱を手元で生成し、全力で殴り飛ばして来た!?

 

「がァッ!?」

 

 見事に被弾して吹っ飛び――完全に防御して怪我などは無いものの、『ステルス』が全部剥がされ、暫く能力使用が不可能となってしまった……!

 

「おやおや、どうしたんだ? 秋瀬直也。随分と苦しそうな顔をしているが――?」

「……っ!」

 

 ぎりぎりと歯軋りしながら、オレは追い詰められた事を認め、何としてもこの苦境を凌がなければならないと、全力で焦る。

 引き攣って脂汗が滲み出ている。それでいて、今は四月にも関わらず、此処は氷点下の気温が如く寒かった――。

 

 




A-超スゴイ B-スゴイ C-人間並 D-ニガテ E-超ニガテ

『氷天の夜(ホーリー・ナイト)』 本体:冬川雪緒
 破壊力-A スピード-B 射程距離-C(2m)
 持続力-B 精密動作性-C 成長性-E(完成)

 『ホワイト・アルバム』と同規模の凍結能力を持つスタンド。
 スタンドそのものの温度が極端に低い為、迂闊に攻撃すると凍結してしまう。

 本体にとってもこのスタンドは寒いので、冬川雪緒は夏だろうが常に厚着だった。

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