41/二十六話越しの真実
41/二十六話越しの真実
『随分と派手に魔力を消耗したじゃねぇか。御蔭でオレは暫く実体化出来そうにないな』
「今まで好きなだけ実体化していたんですから、偶には良いじゃないですか。あー、美味しい」
『……それだけだよなぁ、お前の吸血鬼要素って』
神咲神那との戦闘で『魔術師』はその魔力を全て使い果たし、エルヴィは唯一人でソファを独占し、血液パックをちゅーちゅー啜る。
今現在、『魔術師』は死んだように眠っており――エルヴィは溜息を吐く。
出来る事ならば八神はやてとアル・アジフは葬っておきたかったが、封殺出来たのは『禁書目録』のみであり、教会勢力との交渉が不可能になるほどの徹底抗戦状態に陥った今にしては不十分過ぎる打撃と言える。
「何処をどう見ても立派な吸血鬼じゃないですか。私以上の吸血鬼など何処にもいませんし、そもそも吸血鬼に姿形を問うなど無意味です」
『……はいはい。それで魔力の回復はどれぐらい掛かりそうなのかねぇ? 敵さんは待ってくれないと思うが』
「海鳴市の結界が万全なら一日か二日程度で全回復ですけど、今は四日から一週間ぐらい掛かりそうですねぇ。何よりも、ご主人様の精神面が問題です」
それに対して、『魔術師』の陣営は彼とランサーが魔力枯渇で戦闘不可能という状況に追い込まれており、打てる行動が非常に限られているという苦しい状況になっている。
更に言うならば、最善手を常に打ち出す『魔術師』の精神状況が破滅的なまでに乱れている為、策略面でも暫く停滞する見込みである。
『ふむ。つー事は、現状では攻められると非常にヤバい、と』
「……何だか嬉しそうに聞こえるのは気のせいだと信じたいですが、全くもってその通りです。つーか、アンタも戦えねぇですよ?」
『おお、そういえばそうだった。まぁ魔力不足ぐらい何とかなるだろう。ハンデとしちゃ上等な部類だぜ?』
この戦闘狂のサーヴァントに、エルヴィは理解出来ないと溜息を吐く。
常に万全な状態で最善手を打ち出してこそ確実な勝機を掴めるというのに、死中に活を求める時点で負け戦確定なので、断固として危機を最小限まで回避したい彼女にはランサーと意気投合する事はまず在り得ないだろう。
(幾らご主人様が反則的な魔眼を保有し、魔術師としての才覚が突き抜けていようが、この魔都海鳴にはご主人様を単騎という条件でなら討ち取れる猛者は山ほどいる)
――例えば『竜の騎士』、万が一、一対一で戦わざるを得ない状況を作られたら『魔術師』の敗北は必定である。何一つ打つ手無く、神造兵装の一種である『真魔剛竜剣』の一撃の下に斬り伏せられるだろう。
その歴然たる戦力比は『竜魔人』化していない時点である。『竜魔人』になって襲撃すれば、ランサーもエルヴィも全抜きされた状態で『魔術師』自身も屠られる可能性がある。
――例えば『銀星号』、あの白銀の劔冑が真価を発揮すれば、影すら認識出来ずに『魔術師』を殺せる。
あの仕手が重力操作の最奥である辰気の地獄、ブラックホールさえ作り出せるのならば、完全な状態の『魔術工房』さえ抵抗すら出来ずに飲み込まれて塵一つ残らず消滅するだろう。
更に最悪なのは、精神汚染波を解禁して敵味方共々に『善悪相殺』の戒律を強制した状態で集団戦になれば、雑兵に過ぎない武者を一騎倒した時点で代償を支払わなければならなくなる。
敵を一人殺せば味方を一人殺さなければならない。雑兵三騎の犠牲で『魔術師』の陣営を壊滅出来るのだ。あの転生者に憎しみを抱く武帝勢力は――。
――例えば『神父』、あの人間には『再生者(リジェネレーター)』として吸血鬼を超える再生能力の持ち主だった『アレクサンド・アンデルセン』のような特別性は何一つ持たない。
言うなれば何の異能も持たない人間に過ぎない。今まで上げてきた二人の転生者と比べれば、取るに足らぬ人間に過ぎない。
だが、人間として極限まで研磨した武力のみで『魔術師』を斬り伏せる事の出来る唯一の存在である。
あれには普遍的な理屈が通じず、理不尽なまでに強いのである。
(そして後は此処に居るランサー、『デモンベイン』を駆るアル・アジフもですね。単騎である事が条件ならば、『禁書目録』もでしたか)
――魔眼など視覚認識出来なければ効果を発揮出来ない。
そんな卓上の空論を、埒外な超速度から心臓を穿ち抜いて実践してしまえるのがランサー『クー・フーリン』であり、機械仕掛けの神である『デモンベイン』は一切合切関係無く捻り潰せる。
よくぞ此処まで異常者が一つの魔都に取り揃ったものだとエルヴィは感心したくなった。時々皆殺しにしたくて堪らなくなる。
「……もう一回『神父』と戦って討ち取られてしまえー。まぁあれが次に来た場合は私が相手する事になるでしょうけど。嫌だなぁ」
『魔術師』が生存して観測する限り、シュレディンガーの猫である吸血鬼エルヴィに死は無いが、あの『神父』と戦う時に限っては自身の『死』を何度も意識する。
――化物は人間によって打ち倒されなければならない。
その法則は不死身の化物である彼女自身さえ破れない絶対の論理として、或いは彼女を支配しているのかもしれない。
他ならぬ、人間の手で討ち滅ぼされる事を望んだ彼女の真祖『アーカード』からの不可逆の呪いなのかもしれない。
『で、実際の処、どうよ?』
「暫く動けないでしょうね。仮に教会勢力が攻め込んで来たら、私はガラ空きの教会に逆侵攻掛けて八神はやてと無力化した『禁書目録』を殺せますから。私とランサーを足止めする為に二駒、ご主人様を殺すのに一駒、教会を防衛するのに一駒、合計四駒は必要な訳です」
教会勢力の戦力はクロウ・タイタス&アル・アジフと『神父』しかいない。
これで無謀にも『魔術師』の魔術工房に攻め入るのならば、それが彼等陣営の命日になるだろう。
性能が格段に落ちているとは言え、此処が『魔術工房』である事には変わらず、『神父』さえ止めてしまえば魔力不足のランサーでもクロウ・タイタス達は葬れるだろう。
だが、それは自分達にとって最高に都合の良い楽観視であるとランサーも、エルヴィも理解していた。
『今回の『赤髪』が教会勢力に協力して、『全魔法使い』と『竜の騎士』とやらも協力した場合は?』
「一番困るケースですが、その場合は武帝勢力に動いて貰いますよ。乱戦必至の自滅手ですけど、向こうにとっても困りますから」
其処まで有力な転生者達が勢揃いするという情報を彼等武帝勢力に流せば、必然的に動くであろう。横合いから最高のタイミングで殴り付ける為に――。
そうなった場合は最悪だが、死中に活を見出すしかあるまい。そうならない事を祈りながら、エルヴィは血液パックを飲み干してゴミ箱に放り投げた。
「ご主人様が立ち直るまでが勝負ですね」
『……今回は立ち直れるのかねぇ?』
そういう悲運な星の下に生まれたのか――『魔術師』を愛した者は例外無く彼自身の手に掛かっている。弟子にしたという未来の少女、最愛の聖女、実の娘――。
それは最早最悪の女運と言われた『衛宮切嗣』とどっこいどっこいという有様だ。あれは幸運EXという規格外の女性一人を除いて、誰一人死の運命を逃れられなかった。初恋の少女、母親代わりの師匠、自身の右腕、最愛の妻――。
「――今が最低値なのです。この難局を乗り越えればご主人様を打倒出来る勢力はほぼ消え去ります」
前世の死因さえ乗り越えたのだ。不可避の滅びを覆したのだ。体制を立て直す事が出来れば、魔都海鳴の覇者は彼女の主『魔術師』となる。
まさに今が最大の正念場だと、改めてエルヴィは気合を入れる。愛すべき御主人を何が何でも死なせる訳にはいかないと、今一度決意する。
自分こそは主人の法則を打ち破る第一号であると自負するように――。
『そうなると、もう次は物語の魔王になるしかねぇな』
「あはは、面白い冗談ですねぇ。ご主人様が主人公程度の器に収まり切る訳無いじゃないですかー」
ランサーもエルヴィも軽口を叩き合い、二人は即座に顔を見合わせた。尤も、ランサーは霊体化している為、エルヴィが一人彼の方向に振り向いた形になったが。
『え?』
「え?」
長い詠唱の果てに、額に脂汗さえ滲ませているシャルロットは一つの魔法を解き放つ。
「――波動に揺れる大気、その風の腕で傷つける命を癒せ! ケアルジャ!」
優しい緑色の波動が一面に広がり、眠れるはやての致命傷を一瞬にして完治させる。
そのついでに、満身創痍で包帯塗れの神父にオレ自身の傷も見事に回復果たし、やっと一息吐けた。
「これで、はやては大丈夫か……」
未だに部屋の灯火は蝋燭の火だが、オレ達は教会に帰って来た。
夜の深夜になってしまったが、シャルロットとブラッドに来て貰い、シスターの代わりに怪我を治癒する。
付かず離れずにはやての延命し続けていた誘拐犯、いや、赤髪の少年は安堵するように離れ、一際大きい吐息を吐いた。
「へぇ、ファイナルファンタジータクティクスの魔法ですかぁ。詠唱時間は長いですけど、凄い凄い!」
……そして、記憶を失ったシスター、いや、セラ・オルドレッジと名乗る少女はシャルロットの魔法を初めて見るように目を輝かせていた。
いつも他の者と関わる際は敬語で、オレのみ言葉を砕いて話す彼女は、何処にも居ない――。
「……シスター」
「あー、ごめんなさい。私はその、シスターになった覚えは欠片も無くてさ。セラ・オルドリッジです。まぁこれも二回目の名前ですけど」
シャルロットは悲痛な眼差しでシスターを見て、セラは首を振って訂正する。
……本当に、別人としか思えない。何気無い仕草一つを取ってしても――嘗てのシスターと何一つ重ならない。
(格好は何一つ変わってないのに……)
――見るに耐えないほど別人だった。いや、彼女からしてみれば、シスターの存在こそ別人なのだろうが……。
はやての回復を見届けた赤髪の少年は無言で人知れずに退出しようとし、それを止めたのは意外にもセラだった。
「あ、待って下さい。第八位の超能力者の複製体さん」
「……『過剰速写(オーバークロッキー)』でいい」
「『一方通行(アクセラレータ)』と同類さん? まぁいいや。情報交換しませんか?」
満遍の笑顔でセラはそう語り、訝しむような視線で赤髪の少年は彼女を射抜く。
何故、完全に状況判断出来ていない彼女がそんな事を言い出したのか、彼女を知らないオレには解る由も無い。
「学園都市の科学技術を持つ勢力というのは、貴方のような超能力者の完全な複製体を製造出来る技術を持ち得たのですか? 第三位の複製体である『妹達(シスターズ)』でも1%程度が関の山だったのに」
「……この身は奇跡のような産物だそうだ。襲撃してきた『異端個体(ミサカインベーダー)』も超能力級の能力者だったが、オレを研究すれば量産超能力者計画が真の意味で完成すると言っていたな」
『異端個体』? 超能力級の能力者? 疑問点は幾つも湧いてくるが、コイツは思っている以上に重要な存在であると再認識する。
本当に量産超能力者計画が完成してしまえば、街の勢力図などあっという間に塗り替わってしまうだろう。最悪の未来図の一つであるが……。
「『異端個体(ミサカインベーダー)』? 明らかに『妹達』だと思われるのに超能力級? 何だかおかしな話ですね、『第三次製造計画(サードシーズン)』で誕生した『番外個体(ミサカワースト)』でも大能力(レベル4)が限界だったのに」
今は話の腰を折らずに見守ろう。
原作知識という一面では、他の誰よりも記憶が真新しいセラに軍配が上がる。最終的な意図は掴めないが、彼女の魂胆を知る為にも、今は黙って聞くべきだろう。
歯痒い想いをしながら、シスターでない誰かの話を聴き続ける。
「ちなみにその『異端個体』はどうしたんです?」
「――殺したよ。所詮は複製体だ、御坂美琴より劣る」
「そう、それですよ」
……何らおかしい点は無かったが、と思った処で、堂々たる殺害宣言に関して素通りしていた自分の感覚に驚く。
オレ自身も、相当この魔都暮らしで常人との感覚が逸脱しているんだなぁ、と改めて思い知る。
「正体不明な超能力者である『第八位』の貴方に何の勝算も用意せず、偵察がてらに死ぬまで戦闘しますかね? うちらみたいな性根の腐った転生者が。『妹達』の中に生まれた転生者なのか、それとも別工程で生まれたのか、興味深いと思いません?」
確かに、この魔都海鳴では例外だらけで、自分だけが特別だと思い込むのは御法度で死亡フラグだ。
命の価値が極限まで軽いと言っても、自分の命は一番大事だ。果たして自分から捨て駒になりに行く者が存在するだろうか?
彼女、セラが言わんとしているのは――。
「――つまり、あれが威力偵察であり、再び相容れる可能性を示唆していると? 生命に保険が掛けられ、るとでも……」
途中で『過剰速写』は言葉を止め、深く思案する。
恐らく、彼の脳裏には幾ら殺しても死ななかった『魔術師』の『使い魔』エルヴィの姿を回想しているのだろう。
それは今後の戦略に関わる問題であり、憂慮すべき問題であると彼自身に認めさせた事である。
「『過剰速写』さん、貴方の今後の予定を聞いても良いですか?」
「……その学園都市の勢力を一人残らず殺して――その時点で己が生存していて、リーゼロッテという女が生きていれば、それにこの生命を捧げる予定だ」
「リーゼロッテに? 何でまた?」
「あれの双子の姉妹を殺していたらしい。元々目的を終えれば自主的に処分する生命だ。惜しくはあるまい」
自身が贋作である事を認め、此処まで割り切る事が出来るだろうか。……考えてみて、嫌になる話である。後味が悪いし、何より救いが無い。
精神構造がまるで違うのだろうか? それとも贋物の自身を許容出来るぐらい『過剰速写』の精神が図太いのだろうか?
……何だが思考がどんどん暗い方面に行っているような気がする。先程からアル・アジフもシスター、いや、セラを凝視したまま一言も喋らないし。
「それじゃ少しの間、私達に力を貸してくれませんか? このままでは貴方の助けた八神はやても殺される勢いですし」
「……その八神はやての安否を著しく揺るがしたのはオレだが? 悪党のこのオレを信頼する気か?」
「その事に一欠片でも責任を感じているのならば、手を貸して清算して下さいな。一流の悪党さん」
おいおい、待て待て。いきなり何、変な事を提案してやがるんだ!?
此処に至っても、セラの魂胆が見えない。いきなり誘拐犯を引き入れようとする奴の考えなんて、読める筈も無い。
『過剰速写』もまた考える素振りを見せて――。
「……一日三食、寝所の提供、武器の調達の手伝い、この条件が飲めるなら一週間は付き合おう」
あっさり承諾しやがった。セラはガッツポーズしてオレと『神父』を順々に眺めた。
「という訳ですけど、どうですか? 御二方」
「いや、何勝手に交渉してんだよ!?」
「こんな有効な戦力を此処でみすみす逃すつもりですか? 私は記憶を失っていた状態の『禁書目録』と違って十万三千冊の記憶なんて無いんですよ? クロウさん」
そう、今の彼女は『歩く教会』を装備しているだけの、単なる少女に過ぎない。
十万三千冊の記憶を完全に失っており、彼女の頼れる知識は蘇った原作知識しかないという状況である。
(……くそ、解んねぇよ。シスター……)
……本当に、コイツは一体何を考えているんだ?
何処か得体の知れない。まるで『魔術師』を相手にしているような感覚に陥る。
オレはがつんと言ってくれ、と言わんばかりに『神父』の方に視線を送る。まぁ居候のオレには決定権を持ち得ていない訳だし。
『神父』は顎に手を当てて考えた後、にこりと笑った。
「良いでしょう。短い間ですが、宜しくお願いします」
「ええぇ~~!? ほ、本気かよ、『神父』!」
「ええ、現状では最善の手だと思いますよ」
拒否するとばかり思っていたが、予想外にもあっさり承諾した。
……どうなっているんだ? これは。頭がこんがらがって訳が解らなくなって来た。
『神父』は笑顔で『過剰速写』の前に右手を差し出し――その太く硬い異質な手を、『過剰速写』は固唾を飲んで凝視した。
まぁ、その気持ちは痛いほど解る。握っただけで人を殺せる手だしな。躊躇するだろう。
「……素手で此方の手を引き千切れたりする?」
「友好の証である握手を闘争の手段に使うなど、恥知らずのする事です」
……つまり、出来ると言っているのか、我等が『神父』様は。
本当に何度か躊躇した後、『過剰速写』は恐る恐る握手し、借りてきた猫を被ったようにぶっきら棒に呟く。
「……宜しくお願いします」
「冬川の旦那ー! 見舞いに来たっすよー!」
「騒がしいな、三河。病室では静かにしろといつも言っているだろう」
「へぇーいっす」
とある病院の個室にて、『彼』は部下の見舞いを受け入れる。
経過は極めて順調であり、もう二週間もあれば完全な状態で退院出来る見込みだった。
甲斐甲斐しく足を運ぶ三河祐介はじゃじゃーんとお見舞い品を渡す。
「はいこれ、旦那の好物の小粒葡萄、デラウェアだっけ?」
「ああ、いつもすまないな」
「で、後は報告書っす。それじゃ自分、他に仕事あるんでー」
そう言って、慌ただしく三河祐介は出ていき――川田組が行なっている数多の事業の報告書を興味深く眺めながら、『彼』は感嘆の息を吐いた。
「――実に素晴らしいな。此処までの組織力は生前でも手に入らなかった」
――この身体の本来の持ち主、冬川雪緒はバーサーカーとの一戦でとうの昔に死亡している。
『彼』は抜け殻となった身体を拝借し、本体代わりとしている『別の何か』だった。
「どうやら本当にツイているようだ。一時期は悲観し、絶望さえしたが――絶体絶命の窮地の後にこそ、千載一遇の好機は訪れる。前世でもそうだった」
生前の『彼』もまたスタンド使いの組織を形成したが、これほどまでの粒は揃わなかった。
川田組に所属しているスタンド使いはいずれも歴戦の勇士、喉から手が出るほどの精鋭揃いであり――これを義理人情で統率して纏めていた冬川雪緒は大した人物だと感心するばかりである。
「頂点に立つべき王者は、その機を余さず有効活用し、自身を更なる領域へと高める。前世でオレは失敗し、我が頂点の能力は地に貶められてしまった」
嘗ての生涯で最も屈辱的な瞬間を思い描き、『彼』は憎悪と怒りを滾らせる。
本来なら一顧だにしたくないが、度し難い慢心が『彼』を殺した。王者の座から『彼』を引き摺り下ろした。
戦国の武将、徳川家康は自らが大敗した戦を絵にし、生涯の戦訓としたという。苦々しい記憶が、『彼』により正しい決断力を与える。『彼』はそう信じた。
資料を捲る手が早くなり――新入りの情報欄に入る。自然と資料を見る手に力が入る。『彼』は底知れぬ憎悪を滾らせながら、その前世の怨敵の名前を呟いた。
「そう、貴様の手によってだ。――秋瀬直也」
本当に奇妙な運命だと『彼』自身も思えてならない。
秋瀬直也さえ居なければ、絶頂期の『彼』は永遠の栄華をその手に出来た。そして秋瀬直也が居たからこそ、今の『彼』が此処にある。
表裏一体、宿命、言葉に出せば何とも陳腐になるが、それが自身に与えられた試練であり、逃れられぬ運命であると『彼』は己の邪悪を信仰する。
「前世からの因縁に決着を着けようではないか。貴様との『矢』を巡る聖戦に終止符を打とうではないか――」
秋瀬直也との宿命の対決を清算し、監視対象の豊海柚葉も一緒に仲良く葬ってやり――最終的には飼い主である『魔術師』に下克上を果たし、魔都海鳴に君臨する。
――『彼』は静かに邪悪に宣言する。頂点に立つ者は唯一人、そしてそれは自分自身に他ならないと。
「まずは小手調べだ。失望させるなよ、我が宿敵。この程度で敗れてくれるなよ――」