転生者の魔都『海鳴市』   作:咲夜泪

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12/不屈の心

 

 

 

 

 ――そして、我等は運命に敗れた。

 

 パンドラの箱は開かれ、世界は深淵の闇に染まる。

 混沌が泣きながら嘲笑う。一片の狂い無き純粋な邪悪さは愛に似ている。

 犯し殺し狂わせ弄ぶ。彼は狂った世界に永遠に捕らわれてしまった。

 

 ――彼は探していた。探すべき者が何なのか、それすら摩耗して解らないのに、ひたすら探し続けていた。

 

 見るに耐えなかった。それが自分の罪罰であり、幾度も心を壊し続ける。

 もう彼に与えられる救いは無い。全て諦めて、何もかも朽ち果てるのを待つばかりだ。

 我等は敗北した。完膚無きまでに道を違えた。世界の仕組みを見抜けなかった。だから、もう諦めて良いのだ。彼をこんな目に遭わせた自分の事など探さずに、何も考えずに消え果てるのが唯一の救いだ。

 

 ――彼は探していた。剣かもしれない。鍵かもしれない。物でないかもしれない。自分が誰だったのか、それすら思い出せない。それでも、探し続けていた。

 

 涙などとうに流し尽くした。三千世界が涙で沈むほど流し果てた。

 何度も何度も砕かれても、彼はひたすら手を伸ばし、無惨に蹂躙された。

 ……終われない。このまま先に朽ち果てる事など出来ない。せめて、この終わらぬ悪夢から彼を解き放たなければならない。

 

 ――そして、転機が訪れる。それが彼の者の策略か、億分の一単位の奇跡的な偶然なのかは知る由も無い。

 

 懐かしい光に向かって飛び込む。

 それが救済の光なのか、破滅の光なのかなどどうでも良い。

 物語を終わらせる為に、せめて彼に安らかな眠りを与える為に――。

 

 

 12/不屈の心

 

 

「――秋瀬直也、だったか。なのはを助けてくれて、ありがとう。そして、すまない……!」

「顔を上げて下さい、恭也さん。オレは何もしていない……」

「君がいなければなのはは死んでいた。オレが出来る事はこれぐらいしかない」

 

 一旦部屋の外に出てから、オレと高町恭也は会話を交わした。

 今、高町なのはの目の前で喋るのは、非常に酷な話である。抜け殻のように涙だけを流す彼女の姿は弱々しく見るに耐えない。

 

「恭也さん、貴方は月村すずかを探す気ですか?」

「……ああ」

 

 未来の義妹だとか、関係無しにこの人は行くんだろうなぁと一人納得する。

 それでもそれは愚挙であり、無謀であり、単なる自殺に過ぎない。一人で行かせる訳にはいかなかった。

 

「居場所は『魔術師』が知っています。今の月村すずかは冬川雪緒の携帯をほぼ確実に持ち歩いています。其処から現在地を逆探知出来る事ぐらい『魔術師』は気づいているでしょう」

 

 あの『魔術師』は、虚言は余り喋らないが、意図的に隠したい事は自分から喋らない。聞かれたらある程度答えるだけに性質の悪い。

 高町恭也は驚いた顔をする。とりあえず第一段階、月村すずかの居場所はこれで掴んだ。問題はこれからであり、大積みされている。

 

「問題は月村すずかを止められない事です。あのバーサーカーは異常だ。千の眼を持ち、大河の如く押し寄せた。見た目通りの質量・耐久ならば斬った傍から復元するだろうし、長期戦は必須です。万が一の僥倖が叶って長期戦に持ち込めたとしても、あるのは月村すずかの魔力枯渇という末路だけです」

 

 まともな戦闘になっても長期戦になり、長期戦になれば勝手に自滅してしまう。

 諸刃の刃とはこの事だ。それを念頭に置いた上で作戦を練らなければ万が一の勝機も掴めない。

 いや、違うか。最初から勝機を用意した上で挑まなければ話にならない。

 

「――やるからには短期決戦。バーサーカーを抑え込み、月村すずかを即座に無力化出来る、そんな方法が必要です」

 

 まさしく無理難題である。ただでさえバーサーカーの相手は手に余る。

 あれを一瞬見ただけで底は掴めてないが、目の前の高町恭也でも数秒持てば良いレベルである。

 故にまずは一手、バーサーカーと互角に戦闘出来る者が必要となる。

 

「そしてその作戦の鍵はやはり『魔術師』が握っている。彼はバーサーカーの正体を大凡で推測していると思われます。どの道、やるからには彼の協力は必要不可欠でしょう」

 

 彼に『魔術師』の必要性を説くが、露骨に嫌な顔になる。

 彼一人なら間違い無く『魔術師』に頼るという選択肢は最初から無かっただろう。サーヴァントに対抗出来るのは基本的にサーヴァントだけだ。

 拮抗状態を作りたくば、手っ取り早く同じサーヴァントをぶつければ良い。

 

「そして、月村すずかを唯一生存させる方法は、貴方の妹が握っています」

「なのは、が……?」

「ええ、月村すずかを無力化するには殺すしか方法がありませんが、彼女ならば月村すずかの令呪を封印し、摘出する事が出来る」

 

 令呪を全部剥奪し、この世の繋がりを断てば現界に支障を来たし、消滅する筈だ。

 正規の魔術師なら魔力配給の縁が繋がっているが、素人の人間である月村すずかにそんなものは無い。

 

「……それは、なのはにしか出来ない事なのか?」

「……ええ、現状では彼女のみです。令呪のある腕を切り落とした程度では契約のラインは切れませんから」

 

 もう少し時間が経てば二人目の魔法少女であるフェイト・テスタロッサにも出来る事だが、現状でいない人を当てにする訳にはいかない。

 今の高町なのはの精神状況を顧みると不可能でしかないが、その不可能を越えずして奇跡には辿り着けない。後は――。

 

「――問題点は二つもあるな。まずは私をその気にさせる事。もう一つは精神的に再起不能の高町なのはをどう立ち直させるかだ」

「……アンタって暇人? というか、その挫けさせた最大の原因が言う事かよ……」

「この『魔術工房』は私の体内と同じだ。何処で立ち話をしても聞こえている。それに私とて人間だ。感情的にもなる」

 

 ひょっこり壁から出現した『魔術師』は腕を組んでその壁に背中を預けて伸し掛かる。

 全くもって忌々しい笑顔だ。此方がどう出るのか、愉しんでいる愉悦部特有の表情である。

 

「一つだけ此方から問おう。何故月村すずかを生かす方向で話を進めている? 君にとっても仇敵だぞ、アレは」

 

 初めから傷口の急所に塩を塗り込んで言葉の刃を抉り込む一撃である。

 

「それともたかが一週間程度一緒だった人間などに掛ける情は無いか?」

「――復讐なんて、そんな小さい事、冬川が望む訳あるか……! 舐めるな『魔術師』、確かにオレは奴とは一週間程度の付き合いでしかなかったが、その程度の事ぐらいオレにだって解るッ!」

 

 他人に自分の復讐を願うような凡用で卑屈な人間が、率先して我が身を犠牲にするか……! 亡き友を貶すなと『魔術師』に一喝する。

 

「――ランサーを援軍に寄越しやがれッ! そしたら今日中にバーサーカーを脱落させ、月村すずかを生還させてやる――! それで一切合切解決だ畜生ォッ!」

 

 感情のままに大言を吼えて、息切れして呼吸を乱す。

 驚くほどに驚愕した『魔術師』は微動だにせず、代わりに実体化したランサーははち切れんばかりの笑顔で大笑いした。

 

「――ク、ハハハハハッ! 言うじゃないか、坊主! 少し見縊ってたぜ、坊主の癖に一丁前の啖呵切りやがってッ! 気に入ったぜ!」

 

 ……それは褒めているのだろうか。貶されているのだろうか? 微妙なラインである。

 ばんばんばんと背中を叩かれる。非常に痛い、この馬鹿力め!? 手加減してくれないと背骨が砕け散る……!?

 一際笑い終わった後、ランサーは己がマスターに振り返り、にやりと頬を歪める。まるで己が主を値踏みするような目付きだった。

 

「で、どうするんだマスター? オレは別に構わないぜ? 折角だから先程の言葉、撤回させてやるぜ。――時間稼ぎするのは良いが、別にバーサーカーを倒しちまっても構わんのだろう?」

 

 ……おいおい、お前はランサーだろう。何処ぞの赤い弓兵のような事を言いやがって……! でも、それ死亡フラグだからな?

 同じ感想に至ったのか、『魔術師』は堪え切れずに高らかに哄笑した。

 

「――まさかお前からその台詞が出るとはな。……全く、アイツは人を見る眼だけは確かだったな」

 

 それは『魔術師』には珍しい、穏やかな微笑みだった。悪い憑き物が落ちたかの表情に、意表を突かれたのは高町恭也だけでなく、此処に居る全員だっただろう。

 

「此方の緊急時には令呪を使用して転移帰還させる事を条件に貸し出してやろう。私の持つバーサーカーの情報も開示してやろう。――ただし、高町なのはを説得出来たのならば、の話だ」

 

 最難関の第一条件はクリアした。さぁ、第二関門の時間だ――。

 

 

 

 

「秋瀬、君……」

 

 部屋に入ると、なのはが上半身だけ起こし、赤く腫れた眼で窓の外を眺めていた。

 涙は既に枯れ果てた、という酷い有り様だ。これをどうやって立ち直させるのか――。

 

「ごめんさい、ごめんなさい、ごめんなさいごめんなさい……! 私の、私のせいで……!」

 

 もう心が折れて、粉々に砕け散っていた。眼が死んでいた。

 考えてみれば当然か。彼女は魔法少女になる事で、自分の存在意義を形成して行った。それ以前はごく普通の少女に過ぎない。

 強靭な意志を形成する最初の第一歩を最悪な形で躓いたのだ。今の彼女に原作の面影を見出す事は出来ない。

 

「月村すずかを助けたい。その為には高町なのは、君の力が必要だ」

 

 今の自分が掛けられる慰めれる言葉はこれぐらいであり――高町なのはは泣きながら首を横に振った。

 

「……駄目。無理、だよ。私なんかじゃ、何も出来ないよ……!」

 

 嗚咽を零し、高町なのはは弱々しく泣き伏せる。

 

 ……無理だった。彼女はオレと違って正真正銘の九歳の少女だ。その彼女を再び戦場に駆り立てるのは酷な話だった。

 プランに修正が必要か。高町なのは抜きで月村すずかを救う方程式が――。

 諦めかけたその瞬間、ばたん、と勢い良く扉が開いた。空気を読まずに現れたのは『使い魔』のエルヴィだった。

 

「失礼しまーす。包帯替えの時間です。男性は廊下の外に立って、待ってて下さいねー」

 

 「え?」と言う間も無く手を引っ張られ、ドアの外まで押し出される。それもぽーんという勢いで。

 

「な、ちょ――エルヴィ、ちょっと待て!?」

「もう、エッチだなぁ、直也君は。若い衝動を抑えられなくなって覗いちゃ駄目ですよー」

 

 反論する間も無く閉められ、かちっと鍵が閉められる。

 助けを求めるように『魔術師』に視線を送るが、首を傾げて「?」の疑問符を浮かべる始末。あの吸血猫に任せるしかないのだろうか……?

 

 

 

 

「はいはーい、包帯を替えますねー。脱ぎ脱ぎしましょーねー」

 

 言われるがままに高町なのはは自分と同年代のメイド服の猫耳少女に身体を委ねる。

 昨日受けた傷とは思えないほど身体に残った傷は浅く、その反面、心は罅割れて崩壊寸前だった。

 その何とも言えない外見とは裏腹に、鮮やかな手並みで包帯を綺麗に丁寧に迅速に巻いていく。自分では到底此処までの芸当は出来ないだろう。

 自身の存在価値を限界まで下向させ、高町なのはの精神は終わりの無い悪循環に陥っていた。

 

(……あれ? そういえば――)

 

 今になって漸く気づいたが、彼女に協力を要請した張本人であるユーノ・スクライアの姿は何処にも見当たらない。

 試しに念話をしてみたが、反応は無い。まさか死んでしまったのだろうか? それとも、自分を見限って別の人に助けを求めに行ったのだろうか?

 それが正解だろう。自分には彼の見込んだ才能など無かったのだ。本当に彼を助けられる人は、必ず何処かに居る筈だ。自分以外の誰かが――。

 

「……あの、ユーノ君、フェレットは見ませんでした?」

「そういえば見掛けてないですねぇー? 昨日貴女が運び込まれた時点で居なかったです。後で探しておきますよ」

 

 一応尋ねてみたが、彼が此処に居る筈が無いと自嘲する。

 包帯が巻き終わり、猫耳メイド服の少女は二人分の紅茶を淹れて、ベッドの近くの机に置き、彼女自身も近くの椅子に座った。

 

「貴女本人だけの過失では無いですよー。ぶっちゃけ舞台が最悪だっただけですし。初舞台があれじゃ同情物です」

「わ、私は、ユーノ君に頼られ、助けられる力があるなら助けたかった。でも、私にはそんな力が無くて……!」

 

 一瞬で涙腺が決壊し、枯れ果てたと思った涙は止め処無く流れ出る。

 メイド服の少女は立ち上がり、ベッドに腰掛けて高町なのはを抱き締め、頭を撫で続ける。

 自分と同じぐらい小さな少女は、まるで母親のように泣く子を優しく宥める。また自分が情けなくなって、高町なのはは脇目も振らず、大声で泣き続けた。

 

「世の中、最善の選択が最善の結果を生むとは限らないのです。其処が難しい処ですからねぇ」

 

 正しい事をしても正しい結果になるとは限らない。メイド服の少女はよしよしとあやしながら悲しげに語る。

 

「それに貴女はまだ九歳の子供です。失敗して当然ですし、失敗して良いんです。大人に迷惑を掛けて当然ですし、頼って良いんです」

「で、でも、私は、取り返しの付かない失敗、を……!」

「――自らのツケを自分で支払ってこそ大人なのです。子供のツケを代わりに支払うのもまた大人の義務なのです」

 

 自分の失敗の為に死んだ顔も知らぬ誰か、その誰かは見知らぬ自分を命懸けで助け、その結果死なせてしまった。

 その負債をどうやって穴埋め出来ようか? 否、出来よう筈が無い。それに匹敵する光などあろう筈が無い。

 

「彼はあの場に置ける最善の選択をした。その何よりも尊く高潔な意志をもって貴女達二人を生還させた。貴女がそれを悔やむのは、彼の意志と誇りを穢す事に他ならない」

 

 厳しく、けれども優しく抱き締めながら少女は詠う。

 

「――失敗した。それで貴女は嘆いて終わりですか? 生きている限り、次があります。真の敗北とは膝を屈し、諦める事。諦めを拒絶した先に『道』はあるのです。貴女は彼から次の機会を授かった筈です。そして受け取った筈です。――彼の意志を受け継ぐ権利が貴女にはあります」

 

 ――彼の、意志?

 解らない。私を助けて死んでしまった人の意志なんて、私なんかが解る筈が無い。

 私が死ねばそれで良かったんだ。それなら素晴らしい人が死なずに済んだ。こんな無意味な私の為に死なずに済んだのに――!

 

 ――いいえ、と少女は首を振る。

 まるで聖母のように慈愛に満ちた笑顔で、彼女は魔法の言葉を教える。

 

「そのデバイスの『銘』を今一度唱えて御覧なさい。貴女のデバイスの『銘』を――」

 

 彼女の視線の先には、テーブルの上には彼から貰った赤い宝玉があった。

 変わらぬ光を宿し、高町なのはは自然と手を伸ばして、その『銘』を唱えた――。

 

「……不屈の、心。レイジングハート――」

『――All right,my master.』

 

 ――この物語は魔法少女の物語ではない。

 けれども、魔法少女は不屈の心と共に、再び立ち上がる。

 

 

 

 

「『魔術師』から電話……?」

 

 この場に緊張感が走る。

 とは言っても八神はやては可愛く首を傾げ、アル・アジフは『魔術師』の存在事態を過小評価しているのでこの緊張感はシスターの彼女とクロウだけのものだった。

 息を呑んで、今一度深呼吸して落ち着いてから通話する。こうして彼の声を聞くのは実に二年振りの事であった。

 

「……もしもし」

『休戦協定を結ばないか? 期間は一ヶ月、此方からは一切手を出さない。見返りに『這い寄る混沌』の『大導師』の現在の居場所を教えよう』

 

 唐突な申し出であり、相手の意図を掴みかねる。

 先制攻撃としては手痛い一発を貰ったようなものだ。気を取り直し、シスターは『魔術師』に交渉を挑む。

 

「……単刀直入ですね。何を企んでいるのです?」

『色々とありすぎて答え切れないな。質問があればなるべく答える努力をしよう』

 

 まず疑問点の一つは停戦協定の長さ。大導師との戦闘を邪魔しない、という意図であれば一ヶ月という時間は余りにも長すぎる。

 見返りと称する『大導師』の居場所は未だに此方が掴んでいない情報であり、表面的には此方を『大導師』の陣営にぶつけて共倒れを狙っていると推測出来るが、余りにも見え見えすぎて逆に隠れ蓑のように感じられる。

 

「其方からは手を出さないという事は、いつでも此方から仕掛けて良いという事ですか?」

『ああ、構わないよ。此方としては『聖杯戦争』が即座に終わってしまっては困る事情がある』

 

 やはり『一ヶ月』という時間が重大なポイントなのだろうか?

 彼の口車に乗せられぬよう、細心の注意を払いながら質問を口にする。それでも会話の方向性が誘導されていると思えるのは気のせいだろうか、とシスターは自分自身に問い掛ける。

 

「一体どんな事情です?」

『以前の『魔女』狩りでお菓子の魔女『シャルロッテ』と遭遇した。原作である『魔法少女まどか☆マギカ』に登場した魔女だ。この事から推測するに最終的に『ワルプルギスの夜』が出てくる可能性が極めて高い』

「――今回の聖杯戦争は『ワルプルギスの夜』を倒す為の戦力集めだと?」

 

 まさか、その為だけに海鳴の地に『聖杯戦争』を起こしたのか、あの『魔術師』は――。

 

『そういう事。不慮の事故だったが、怪我の功名という処か』

 

 微妙に気になる事を言ったが、それは後回しだ。シスターは止め処無く思考を巡らせる。この『魔術師』を前に思考停止させるのは無防備な喉元を差し出して刺されるのを待つようなものだ。

 

「なるほど、理解できました。ですが、見返りが成り立っていない。あの『大導師』のサーヴァントを情報も無しに私達が単独で倒せと? ふざけているのですか?」

『あれが邪魔なのは君達の陣営も同じだろう? まぁ此方にとっては虫の良すぎる話だ。其方の条件を聞こうか』

 

 その言葉を引き出した事で前哨戦が終わり、漸く交渉のテーブルに付く。

 

「八神はやての生存の確保、私の記憶の復元、この二つが満たされれば『聖杯戦争』に未練はありません。『大導師』のサーヴァントを叩き潰した上で『ワルプルギスの夜』戦も協力しましょう」

『ふむ、君は昔から無理難題を叩きつけるな』

「貴方が『聖杯』を持っている事は既に知ってます」

 

 八神はやての生存は別手段で何とかなるかもしれないが、シスターの記憶の復元は奇跡にも頼らなければ不可能だ。

 そして奇跡を可能とする万能の願望機は彼の手にある。追撃の手を緩めずに叩き込む。

 

『使える状態じゃないけど?』

「魔力が満ちていないのならば、問題無いでしょう。この儀式でサーヴァントが脱落すれば器は自動的に満たされるのでしょう?」

 

 其処までは想像通りであり、彼女は勝ち誇ったように逃げの一手を潰す。

 

『――』

「……悠陽?」

 

 だが、返ってきたのは唐突に生じた長い沈黙であり、何か、決定的な何を読み違えたのでは、と疑心暗鬼になる。

 

『……ふむ、そんな勘違いをしていたのか。器はとうの昔に満たされている。使える状態じゃないのは前世からだ』

「……どういう意味ですか?」

『そのまんまの意味だが? 私を殺害しない限り、万能の願望機はただの杯に過ぎないんだよ』

 

 また虚言を弄して誤魔化しかと思いきや――何かが違う。この言い回しには全て意味があるように思える。

 ただ、その意図に現状では辿り着けない。違和感が心の中に残る。

 

『それにしても君は仮にもシスターだろう? 自殺は教義上禁止されていたんじゃなかったか?』

「――何の事です?」

 

 急な話題の方向転換に、シスターは眉を顰める。

 当然、彼女の信仰する教義上、自殺は最も罪深き所業の一つであり、頑なに禁止されている。

 その戒律さえ理解した上で平然と破り捨てる『十三課(イスカリオテ)』の狂信者は恐るべき存在であるが。

 

『記憶を失う前の君と、失った後の君。歩んだ歳月がどれくらいかは知らないが、最早別人の領域だ。――記憶を取り戻せば君は間違い無く破滅するよ? 別人格(過去の自分)と身体の主導権を奪い合った果てに精神崩壊するだろうさ』

「――何を、戯言、を……!」

 

 消された記憶を取り戻せば、彼女は本当の『私』に戻れる。統一化され、一本筋に形成される。

 元々同じ本人なのだ。二つに分裂するなど、在り得ない。『魔術師』の仮定を全力で破棄する。

 

『――『虚言』ねぇ。人の心を最大限に蝕む致死の猛毒の名は『真実』だよ』

 

 破棄する。忘却する。拒絶する。否定する。そんな結末など、ある筈が無い――!

 

『残念だけど、交渉不成立だ。君達は相互理解しているのかね? 敵ながら内部分裂が心配だよ』

「っ、それは一体どういう意味ですか……!」

 

 感情が表出る。自分を抑制出来ないぐらい心乱している事を自覚しながら、シスターは『魔術師』の言葉を待つ。

 これ以上、ふざけた虚言を弄するのならば、逆に噛み切る気概で挑み――その覚悟ごと凍り付いた。

 

『君達は『ライダー』――いや、魔導書『アル・アジフ』の願望を聞き出したのかい? 彼女がいつの時点の彼女なのか、疑問に思わなかったのかい? この『聖杯戦争』は願いを歪に叶える『ジュエルシード』を媒介にしたからね、正純なサーヴァントが招かれる筈が無いから心配なんだよ』

 

 彼女、世界最強の魔導書『アル・アジフ』が聖杯に託す願い――。

 

 確かに聞き及んでいない。そんなもの、無くて当然だった。今まで一度も思考しなかった。

 彼女はかつてのマスターである『クロウ・タイタス』を守護する為に、自らの分身を送り込んできたのだと盲信していた。

 もしも、彼女に聖杯に託す願いがあるのならば? その彼女は本当に『無限螺旋』から解放されたあの『彼女』なのだろうか――?

 

『サーヴァントは本来全盛期の状態で呼ばれる。それ以外で呼ばれるサーヴァントには一癖も二癖もあるという訳だ。原作の『セイバー』然り、な』

 

 意図せずに視線が傲岸不遜に佇む彼女に行ってしまう。

 あの『アル・アジフ』は一体どの時間軸の彼女なのだろうか――!?

 

『さぁて、彼女が完全な状態ならば、呼ばれる鬼械神は何方になるかな?』

 

 最悪だ。やはりこの電話には出るべきでは無かった。

 この『魔術師』には此方と交渉するつもりは最初から欠片も無かった。致死の猛毒を流しに来たのだ。

 それも此方が理解していても無視出来ないほど強大でえげつない猛毒を――!

 

『一応忠告しておくけど、迂闊に聞いたら破滅する可能性があるから注意すると良い。それじゃ君達の健闘を祈るよ』

 

 ツーツーツーと無機質な音声が耳の鼓膜を叩く。

 シスターの浮かべた顔は恐ろしいぐらいに、深刻なものになっているのは明々白々だった――。

 

 

 

 

「そういえばアル・アジフ。武装とかは完璧な状態なのか?」

「うむ? 異な事を聞くのだな、我が主よ。我が記述に抜け落ちたページなど無いぞ?」

 

 あの『魔術師』から突如電話があった後、シスターからおかしなメールが届いた。

 曰く、何気無い素振りで『アル・アジフの現在の武装と鬼械神が何方か聞くように』と、あとこのメールは見た直後に消去する事と厳重なお達しだ。

 先程から顔色が悪くなる一方だし、一体『魔術師』に何を吹きこまれたんだ?

 疑問に思うが、あの『禁書目録』が専用の魔術礼装じゃない限り遠隔操作されるなど万が一にも在り得ない。

 彼女には彼女なりの考えがあると信じ、とりあえず聞く事にする。自分にとっても確かめないといけない重要な事でもある。

 

「それじゃ招喚出来る『鬼械神』ってどっちなんだ? 『アイオーン』か? それとも『デモンベイン』か? どっちかと言うと『デモンベイン』の方が嬉しいんだが」

「……生憎と『アイオーン』だ。『デモンベイン』は偶然巡り合った出来損ないのデウスエクスマキナ、妾が本来持つ『鬼械神』ではない。今更だな、主よ?」

「いや、『アイオーン』だったら乗るだけで命懸けだろう? 『デモンベイン』ならオレでも何とかなるかなぁって思ったんだが」

 

 大十字九郎とアル・アジフが駆る最弱無敵の鬼械神『デモンベイン』は神の模造品の更に劣化品。

 されどもその御蔭で魔力消費が少ない親切仕様であり、最強級の鬼械神『アイオーン』を乗りこなせなかった自分には其方の方がまだまともに戦えただろう。

 アル・アジフはその事を思い出したのか、非常に申し訳無さそうな顔になる。

 

「……すまぬ」

「い、いや、責めてる訳じゃねぇって! やっぱり高望みはいけねぇな!」

 

 あはは、と笑いながら誤魔化す。

 やはり鬼械神を使うには生命を賭ける必要がある。才能無き身には、また死を覚悟しなければなるまい。

 

「なぁなぁ、クロウ兄ちゃん。その『デモンベイン』だとか『アイオーン』って何?」

「ああ、魔導書の秘奥、神の模造品――簡単に言うと、50メートル大の巨大ロボットを招喚出来るのだ!」

「な、なんだってぇー!?」

 

 相変わらずノリがいいな、はやて。というか、女の子なのに巨大ロボットの魅力が解るとか将来有望だぞ?

 

「そして巨大ロボットに乗って殴っては投げて斬っては投げてという三國無双だ! フゥハハハハハハ! 実はオレは巨大ロボットのパイロットだったのだー! どうだぁ、恐れ入ったかぁー!」

「凄い凄い! でも、そんなん乗ったら目立たない?」

 

 

「え?」

 

 

 何か、予想外のボディブローが来た――!?

 

「え、って、どうすんの?」

「あ、いや、夜だったらセーフじゃね!?」

「アウトだから。此処はアーカム・シティじゃないんだよ? 流石に誤魔化し不可能だよ。『魔術師』だって匙投げるレベルだよ?」

 

 

 

 

 

「――アル・アジフ。クロウちゃんが『アイオーン』に乗った場合、何分戦えますか?」

「……三分、いや、五分で限度だろう。それ以上は此奴の身が保たない。そして一度限りが限度だろう」

 

 クロウがはやてと一緒に戯れている隙に、シスターは小声でアル・アジフに問い質す。

 本人は隠しているつもりだが、鬼械神に乗るという事は死ぬと同意語のようだ。握り拳に力が入り、爪が皮膚を突き破って血を流す。

 

「では、私も搭乗する事でクロウちゃんの負担は減らせますか?」

「――可能だろうな。小娘の精神汚染に対する耐性は桁外れだ。系統は違えども、サポートは可能だろう」

 

 ある種の確信を抱いたシスターは決断する。

 ――この愛に狂った愚かな魔導書は、『大導師』のサーヴァントと同士討ちさせるしかない、と。

 

 

 

 

 


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