絶望のアインクラッド   作:鏡秋雪

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矜持の果て

 まったく、どいつもこいつも馬鹿ばかりだ。

 はじまりの街の中央広場に集められたプレーヤー達の喧騒に俺はうんざりした。

 先ほど、茅場晶彦を名乗る深紅のローブ姿の巨人がデスゲームの開始を宣言して消えたところだ。

 一に曰く、ログアウトできないのは仕様である。

 二に曰く、この世界でヒットポイントがゼロになるとアバターだけでなく実際の肉体も死ぬ。

 三に曰く、この世界から脱出する方法は第百層の最終ボスを倒す事。

 中央広場に集められた全プレーヤーはその言葉で狂乱に陥った。

「ふざけるなよ! バカ言ってんじゃねーよ!」

 茅場が姿を消した空間に向かって叫ぶ者。

「いったい、どうなってんだよ! アーガスは何やってんだよ!」

 責任もない他のプレーヤーに八つ当たりする者。 

「嫌あ!」

 ただただ泣き叫ぶ者。

 

 まったく、どいつもこいつも馬鹿ばかりだ。

 

 ふう。と一つ息を吐いた時、周囲の厳しい視線が俺に集中した。

「夏海(なつみ)ちゃん……。そんなこと言っちゃだめだよ」

 俺のリアル幼友達である勝也が俺の袖を引っ張りながら耳元で囁いてきた。

 どうやら、思っていた事がつい口に出てしまったらしい。

「その名前で呼ぶなよ」

 俺は刺すような視線を投げかけてくる連中を無視して勝也――(いや、ゲームの中だからヴィクトリアスと呼ぶべきだろうか)を睨みつけた。

「ごめん。でも、アバターがリアルになっちゃってるから、つい……」

 すまなそうに言う勝也の姿はもう美少女ではなく、学校で見慣れているいつもの顔になっている。装備が女性物なので、女装に失敗した悲しい男といった雰囲気になっている。俺たちの周りもさっきまで女性キャラの方が多いぐらいだったのに、今では男の方が圧倒的に多い。どれもこれも見るに堪えない。

 俺は忌々しく茅場のプレゼントである手鏡で自分の顔を確認した。間違いなく、自分の顔だ。ログアウトできないという失態以上にリアル割れ状態にするとは茅場というやつは相当の馬鹿だ。

「とにかく、ここから出ようぜ。馬鹿が感染する」

 俺は喧騒の中央広場から抜け出そうと、袖を捕まえている勝也の手を取った。

「ちょっと待てよ!」

 俺を睨みつけていた一団の中から声が上がった。見ると俺より年上のチャラい男が一歩を踏み出してこちらを指差していた。「俺たちを馬鹿呼ばわりして、ずらかろうとしてるンじゃねーよ」

(あぁ。正真正銘の馬鹿がここにいる)

 要は自分でこの事態を解決する脳みそを持っていないから、俺に絡んできているのだ。そんな行動にまったく意味がないのが分かっていない。繰り返すが、こいつは馬鹿だ。

 馬鹿相手に話をしても時間の無駄だ。それは馬鹿がやる事だ。

 俺は無視して再び歩き始めた。

「おい! 待ちやがれ!」

 男は回り込んで俺の肩を突き飛ばした。

 街中だから殴ろうが蹴ろうがダメージはまったくない。こいつが執っている行動は本当に無意味だ。はい。こいつ超馬鹿確定。

「夏海ちゃん。謝ろうよ」

 すっかりビビッてしまったのか、勝也の声が震えていた。

「馬鹿に馬鹿って言って何が悪い」

 賢い選択ではない事は分かっていたが、正直もうこの馬鹿集団につきあうのにうんざりしていた俺は怒りのまま言い返した。

「てめえ!」

 男は俺の胸元を掴んで締め上げた。

「それで?」

 俺は男のあまりにも直情的な行動が可笑しくなって口角が歪むのを感じた。「次に俺を殴るかい? 殴ろうが蹴ろうが街中じゃダメージゼロだぜ。ゲームと現実の違いも分からないのか? ああ、分からないから馬鹿だったんだな」

「ンの野郎!」

 硬く握られた男の拳が俺の頬を捉えた。

「夏海ちゃん!」

「だから、その名前で呼ぶな」

 激しいノックバックでよろめきながら、俺は無様に倒れないようにバランスを取った。

 痛みはまったくない。もちろん、安全圏内だから視界の左上にあるヒットポイントバーに変化はない。

「気が済んだかい? けど、俺を殴ったからって、まったく事態は変わってないんだぜ。ああ、馬鹿にはそれでいいのか」

 俺の言葉に言葉にならない雄叫びをあげながら再び男が俺に拳を繰り出してきた。

 同じような攻撃を二度食らうほど俺は馬鹿じゃない。軽いステップで身をかわすと店売りの刺突剣を抜いてソードスキルでその刀身を輝かせた。

 ≪リニアー≫。細剣の基本技だ。まだ、数時間のプレイしかしていないから洗練されていないが、それでも敏捷極振りのおかげか男を数メートルも弾き飛ばすほどの威力を見せてくれた。

「おぉ」

 賞賛とも感嘆とも思える声が周りから漏れて俺は心地よかった。

 ソードスキルのノックバックで男は滑稽にも思える格好で地面を転がった。痛みもなく、ヒットポイントも減る事はないが、そのノックバックの衝撃には恐怖感を感じるはずだ。

「馬鹿に合わせちまった。俺もとことん馬鹿になってみようかな」

 薄ら笑いを浮かべながら俺は剣先を男の首元に突きつけた。

 その男の表情が恐怖に歪んでいる事は俺の虚栄心を満足させた。

「やめないか」

 低い声で俺と男の間に入ったのは、見ず知らずのおっさんだった。「どうやら、君はこのゲームに詳しいようだ。私たちを馬鹿よばわりするのなら、何か考えがあるのだろうか?」

(自分で考えろよ、おっさん)

 不安げにこちらを見るおっさんの顔に俺はうんざりしながらそう思った。

 この世代のおっさんはみんなそうだ。年齢という座布団の上に座って偉そうにしているが、こういう新しい事態にまったく対応できない。無視していくのもよかったが、これ以上事態を悪化させるのも賢い選択とは言えそうもない。

 しかたなく俺は口を開いた。

「ナーヴギアのリソースノートを読んだことがあるんだけど、ゲームシステムから切り離されると最大5分以内に意識を取り戻すようになっているんだ。つまり、ここから退場できれば現実に戻れる可能性が高い」

「ヒットポイントがゼロになったら、ナーヴギアが私たちを殺すというのは嘘だというのかね?」

「嘘だね」

 俺は断言した。

 なぜ? とおっさんが不思議そうな顔をしているので説明してやる事にした。

「確かに原理的にはナーヴギアの電磁波発生装置は電子レンジと同じさ。けど、冷静に考えて頭にかぶるようなものにそんな高出力の物を搭載した物を国が認可するわけがない。それにそんな大出力に耐えるほど強靭な回路を組み込むにはナーヴギアは小さすぎる。何しろ重量の3割が内臓バッテリーだからな。原理的にできるっていうのと、現実でできるっていうのには1光年以上の距離がある」

 俺はナーヴギアに関する薀蓄を朗々と述べた。

「ほう」

 俺の言葉におっさんは感心したように目を丸くしながら頷いた。「では、モンスターに殺されても私たちは大丈夫という事に――」

 俺はその言葉をさえぎった。

「ならねーよ」

 『馬鹿』とその後に続けそうになって、言葉と一緒に唾を飲み込んだ。

「どういうことだね?」

「モンスターに倒された場合だと、俺たちの意識を肉体に戻さないかも知れない。それぐらい、造作もない。ログアウトさせなきゃいいんだからな」

 俺は肩をすくめた。

「じゃあ、どうしたら……」

(ちったあ、自分で考えろクズ)

 俺はイライラしながらおっさんの間抜け顔から視線をそらした。

 そうなのだ、通常の手段(ヒットポイントがゼロになる、つまりこの世界での死)ではこの牢獄から抜け出せない恐れがある。

 ベータテストの時、死ぬとこの近くの黒鉄宮の≪蘇生者の間≫から再びスタートできた。つまり死んでからのルートは茅場に押さえられている。

 茅場の意表を突く手段でなければ現実に戻れないのではないか。

 それが俺の結論だ。

 その手段を考えるにはこの≪中央広場≫は騒がしすぎる。だから、一刻も早くここから離れたかったのだ。

「はあ、空を飛んで100層まで飛べれば……」

 ため息交じりにおっさんは視線を外へ向けた。そこには第一層から突き出ている尖塔が立っていた。その尖塔の展望台から見るアインクラッドの外の世界はとても美しかった。

 雲に浮かぶ鋼鉄の城。アインクラッド。はるか遠くには浮遊大陸が浮かぶ幻想的な風景。

 俺の頭の中でカチリとパズルがはめ込まれたような感覚が襲った。

「そうか」

「何か、思いつきましたか!」

 俺の口から言葉がもれるとおっさんは期待に満ちた目で俺を見た。

(まったく、このおっさんは)

 俺はおっさんを蔑んだ目で見ながら頷いた。

「あるぜ、外に出る方法が」

 そうだ。展望テラスの柵を越えて外に出る。

 もちろん、外は雲海だ。ひょっとしたら、これはシステム側が想定していないかも知れない。

 システム開発者の意表を突くプレーヤーは時にとんでもない利益を得るものだ。ましてや今日はサービス初日。一つや二つの設計の穴があるのは間違いない。

「行こう」

 俺は確信を持って勝也の手を取って展望台へ歩き始めた。

 

 

 

 「夏海ちゃん。やっぱり、やめようよ」

 勝也が不安そうに雲海を見つめた。

「まあ、見てろって」

 俺はそんな勝也を残して展望台の柵の頂上まで登り見下ろした。「俺が戻ったらすぐに勝也のナーヴギアをとっぱらってやるよ!」

 俺は一息をついて外の世界を眺めた。

 美しい世界だ。雲が流れ、頬に風も感じる。多少、ポリゴンの粗い部分もあるが現実に非常に近い。こんな事態になっていなければ、史上最高のゲーム体験だ。

 いつの間にか展望台には多くの見物人が集まっている。

 中央広場のおっさんと一緒についてきた連中だ。

「あ、あまり焦って結論を出さなくてもいいんじゃないですかね?」

 おっさんが震える声を下から投げかけてきた。

 俺が高さにおじけついたとでも思ったのだろうか?

 冗談じゃない。

 ここはゲーム。どんなに現実世界のように見えても、ここにあるのは全てデータでできた世界なのだ。恐れる理由なんかない。

 俺は柵の上に立った。

 ざわめきが下から聞こえる。

 見てろ。俺がゲーム脱出者第一号だ。

 膝を曲げ、思いっきり俺は跳んだ。

 景色が歪みながら上へ飛ぶように流れていく。一瞬、不安げな勝也の目と合った。そして、その後ろに立っているあのおっさん……。

 

 !!!

 

 おっさんの顔が不気味な笑みで歪んでいる。先ほどまでの無能ヅラじゃない!

(謀られた?!)

 証拠はない。これはただの直感だ。しかし……。

 あいつは俺を実験台にしたのではないか?

 今思えば、『飛べれば』と言いながら尖塔を見たのは俺にこの行動をさせるためだったのではないか。

 空気を切り裂く音を耳にしながら俺は右手を振ってメッセージを作り始めた。宛先は勝也。

『そのおっさんを信用するな!』

 送信ボタンにタッチするかしないかという瞬間に俺は激しいノックバックを体中に感じた。

 視界がマゼンタ色に染まり、やがて暗くなった。

 そして、簡潔な赤いフォントによる宣告。不快なビープ音。

 

≪You are dead≫

 

 死んだ?

 この俺の行動はすでに想定内だったのだろうか?

 

 

 

 

 暗い世界がふいに明るくなった。

「夏海!」

 不細工な俺の母親が俺の顔を覗き込んでいる。その後ろはいつも見慣れた部屋の天井だ。

 俺は笑った。

 俺は賭けに勝ったのだ。

 ざまあみろ! 俺はこの世界に帰ってきた!

 ん? 俺は笑っているのに笑い声がしない。叫んでいるのに自分の声が聞こえない。母親の声は聞こえているのに……。

 体が動いていないのか? まだ、俺の脳神経はナーヴギアによってインターセプトされているのか?

 ヴーンという不快な電子音がふいに大きく襲ってきた。

 熱い! 痛い! ナーヴギアを早く取らなければ! 痛い! 熱い!

 身体をくねらせ、全身でナーヴギアを取り外そうとするが、金縛りにあっているように全く身体が反応しない。

「夏海! 大丈夫?」

 おろおろとする母親。

 馬鹿野郎! 早くナーヴギアを取れよ! 使えねぇ親だな!

 茅場も狂ってやがる。こんな事をするなんて。

 ああもう! 早く! 外せよ!

 

 まったく、どいつもこいつも馬鹿ばk

 

 

 ――暗転――永遠の静寂――

 




後味悪いです。
ほとんどこんな感じです。

キリトなどの活躍していた人を光とすると、この人たちは闇。
人生の失敗者、落伍者。そんな人たちの物語です。
個人的にはとても嫌なキャラを書くというのが目標です。
こいつ、大嫌いだ! と思ってくれれば大成功です。

まったく、誰得だよ。っていうお話が続きますがよろしければお付き合いくださいませ。

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