咲-Saki- 千里山編〝To the same heights.〟   作:天野斎

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大変、お久しぶりです。

9話の投稿です。




9. 『夕闇』

 ふとして、気が付いた。

 手にした牌の冷たさに。

 

 ――暗い。牌が見えない。

 

 先ほどまで、私たちの卓にまで伸びていた金色の斜陽。いつの間にか手元から消え失せた光源を探して、私は辺りに視線を巡らせた。

 そこに、かつての色は無い。

 

 格子窓に映るのは、濃紺から瑠璃色のグラデーションが映える空と、西の空に残る一欠けの残照だけ。遠くに望む丘陵の高層マンション群が階下の街並みに長い影を落とし、その眺望を黒く塗りつぶしていた。夕闇が迫り、埋没した景色に浮かんで見える街灯の連なりは、今はまだ途切れとぎれにちらつき、か細く頼りない。街の明かりは冷え切っていた。

 思えばあれからどれくらい時間が経ったのだろう。広い部室内、窓から離れた廊下側の一角にはすでに暗闇が溶け出している。気になって部室の時計に視線を投げるが、この暗さでは針の向きがいまいち定まらなかった。

 

「――怜?」

 

 そっと耳を打つ声に、瞬きをして意識を戻す。思いがけず、同じ卓を囲んだ三人から注目を集めていた。

 

(……えっと)

 

 その内の一人、セーラは一度合った目を逸らすようにして、私の視線を山に残った最後の牌へと誘導した。どうやら私のツモ番らしい。和了りに近づいた手牌を一瞥して、最後のツモ牌に手を伸ばす。

 しかしどうにも、この牌では届きそうにない。その結果を、私は知っていた。

 

 二四七八九⑥⑦⑧⑨東東北北「一」

 

 迷わずツモ切りを選択し、牌を伏せる。

 

「ノーテン」

「聴牌」

 

 手牌を晒した藤見君と声が重なる。そして、

 

「ノーテン」

「ん、おれもノーテンや」

 

 竜華とセーラがそう言って続いた。

 南四局、オーラスの流局を以って前半戦は終了した。藤見君に点棒を差し出して、手元に表示されたスコアが更新される。

 

 

 藤見  6900

 江口  36200

 清水谷 22500

 園城寺 54400

 

 

 点棒の整理を終えてほっと息を吐く。すると、四人の間の空気は不意に弛緩した。

 

「――ふぅ。とりあえず、前半戦お疲れ様!」

 

 そう言って、真っ先に声をあげるのは竜華だ。点棒交換も早々に、同じ卓を囲んだ対戦相手たちへ労いの言葉を掛ける。さりとて当の本人はといえば、一部の疲れも覗かせない満面の笑みを浮かべていた。それに倣って私も一先ずお疲れー、と笑みを返す。

 

 緊張に強張っていた身体をほぐすために、椅子の背に身体を預けて大きく伸びをしてみる。ぐっと組んだ腕の先からじんわりと力みが抜けていく感覚が心地良い。油断すると欠伸がこぼれてしまいそうだった。

 そんなところへ、

 

「――お疲れ様でした」

 

 言いながら、深く身体を折って頭を下げる藤見君の姿を、私は真正面から見下ろしていた。

 

(……え?)

 

 思いがけず身体を反らした姿勢のまま固まってしまう。

 不思議と様になって見えるその姿。礼儀作法なんて、一般的な知識も取りこぼしていそうな私が言えたことではないけれど、それはどこか堅苦しい儀礼的な雰囲気からは程遠くて、もっと手馴れた仕草、あるいは癖のようなものに感じられた。

 そしてほんの少しだけ、それを羨ましくも思う。

 

 ――いや、そんなことよりも。そんな彼の礼を私はなんて格好で聴いているのだろう。少なくともお行儀が良いとは言えたものではなかった。

 途端に、頬に熱が差すのを感じて勢いよく身体を起こす。しかし、咄嗟の返事が喉を通る寸前に、

 

「おう、お疲れさーん!」

 

 隣に座ったセーラが、彼の背中を思いっきり引っ叩いた。ばしんっ、と身に沁みるような乾いた音がはっきりと私の耳にも届く。対局中はほとんど表情の変化を見せなかった彼が苦悶に顔を歪めていた。

 

 あー、あれはちょっと痛そうやな。

 上機嫌な彼女の振る舞いはそれから二度三度と続き、視線で抗議を訴えてくる藤見君に、私は苦笑で返した。

 そして、そんなセーラの労いは、彼の纏った雰囲気などまるでどこ吹く風で、また私の中にあった僅かばかりの緊張もまとめて吹き飛ばしていた。

 

「ちょっと喉渇いたなぁ。みんな、ドリンク飲む?」

 

 竜華の提案に、言われてみれば遅めのお昼を食べてからその後、何も口にした覚えがない。冬の乾燥した空気に中てられたせいか、気がつくと喉の奥が少しだけひりついた。サーバーの冷たい飲み物には幾分肌寒さを感じるが、今それを言うのは贅沢かもしれない。

 言いながら席を立つ彼女に、私を含めた他の三人から一様に手が挙がった。

 

「手伝うで」

 

 四人分の飲み物だ。竜華一人では手が足りないかもしれない。遅れて私も腰を上げると、ありがとぉと笑みを浮かべる彼女に続いて、整然と並べられた雀卓の間を抜けていく。

 

 

 

 窓際に設置されたドリンクサーバーは、私の背丈ほどもある割りと本格的なものだ。業界最大手メーカーのロゴを冠したそれは、数年前に麻雀部後援会から寄贈されたものらしい、と他の部員伝手に聞いた気がする。

 真っ赤なボディに散らばったボタンの数々。その外見は最近のファミレスで見かけるサーバーと同等の機能性を期待させるが、その選択ボタンが全て同じスポーツドリンクの一択ではちょっとだけがっかりさせられる。

 

 竜華がサーバーの側面に手を探ってスイッチを入れる。低い振動音が辺りの空気を僅かに震わせた。機械が立ち上がるまでの間に、手早く紙コップや蓋、ストローを並べていく。

 入学当初から数えきれないほど繰り返してきた手順。二人揃って、慣れた手つきで用意を済ませるのはいつものことで、その空いた時間に適当な雑談を交わすのもまた、ほとんど習慣化されたいつものことだ。

 しかし、普段ならどちらからともなく生まれる会話を、今回は私の方から意図して振ってみる。

 

「なぁ、竜華。さっき言うてたことやけど……」

「さっき?」

 

 視線を目の前のサーバー、準備中と赤く点滅するランプに向けたまま切り出した。

 

「うん、言うてたやろ?――半荘二回打たへんかー?って……。いきなり何を言い出したんかと思うたわ」

 

 小首をかしげて疑問符を浮かべる竜華に、先ほどから胸に閊えていた率直な疑問を投げかける。いくら麻雀のこととはいえ、竜華が今日知り合ったばかりの男子生徒にいきなり頼みごととは珍しいこと、だと思う。こんな機会、滅多にないとは思うけれど少しばかり驚かされた。

 すると、彼女は得心いったように一度大きく頷いた。ぽんっと、手を打つしぐさもおまけして。

 

「ああ! なんやその話かー。そう言われても、別におかしな話やないで――」

 

 こちらに向けていた視線を外して、その先を宙に泳がせながら彼女は続けた。

 

「うちの学校、麻雀部の活動は盛んやけど、校内で部外の子と打つことなんてまずないやろ。後援会の声もあって早々対校試合なんかも出来へんし、あったとしても過密な練習スケジュールで、他の学校の子と仲良うなって打つ機会なんてのも、あんま無かった。そら皆がみんな強うなるって目的があってやってることなんやから、しゃあないってのも分かってるつもりやけど……」

 

 けどな……。少しだけ、寂しげに伏せられた彼女の瞳。しかしほんの瞬きのうちに、その翳りは彼女自身の笑みによって塗りつぶされる。

 

「そやから、やってみたかったことっちゅうか、ちょっとした憧れっちゅうかな……。もちろん、怜やセーラ、部のみんなと打つのはすっごく楽しいで。これからもずっと、みんなで打ちたい。……でも、新しくできた友達が麻雀をやってるって知ったら、やっぱりそれもうれしくて、わくわくしするんや。そんで、つい誘ってもうてん。新潟四位の実力にも興味あったしなぁ!」

 

 時折照れくさそうな笑みを交えて語る竜華を、私は気付かない内にじっと見つめていた。

 竜華の話、その理由。それは私にとって、少しだけ意外なものに感じた。確かに私たちの麻雀を中心として取り巻く環境は、概ね彼女の言った通りだろう。そして、彼女が憧れと称したそれは、少なからず私の中にあった気持ちに似ているかもしれない。ただ、竜華が同じ思いを抱いていたということに、私は気付いていなかった。

 

「あはは、先輩たちがおったら何言うてるんやーって怒られるか、呆れられるか。どっちやろなぁ」

 

 乾いた笑いとともに、竜華の利き手が所在なさげに揺れて自らの頬を掻く。

 確かに、今の話を先代部長辺りに聞かせたらどうなるか。起こり得る厄介ごとの数々が鮮明に思い浮かんだ。

 その光景が可笑しくて、思いがけず噴き出してしまった。でも――、

 

「……うん。そんなら確かに、わたしも同じかも。それにセーラなんか、それしか考えてへんのとちゃうかな」

「あはは! それは絶対間違いないなぁ」

 

 セーラがいたら、口を尖らせえて文句をこぼすか、それとも得意げに笑いながら胸を張ってみせるか、果たしてどちらだろう。

 互いにひとしきり笑いあうと、あ……という呟きが竜華の口からこぼれた。

 目じりに浮かんだ涙を拭くと、そのまま人差し指をぴんと立てて、それとな――と言葉を継いだ。

 

「実は……五十鈴先生からの提案でもあったんよ」

 

(……五十鈴先生?)

 

 彼女の口から出た私たちのクラス担任、いや、この場では麻雀部顧問の名前に、思わず目を瞬かせる。顔を上げて、どういうことかと目を瞠って続きを促すと、竜華は腕を組みながらその時の記憶を辿った。

 

「ほら、HRが終わった後、わたし五十鈴先生に呼ばれとったやろ? まぁ、話しのほとんどは明日の大まかなスケジューリングとミーティングについてで、いつもと対して変わらんかったんやけど。……でも、それから最後にちょこっとだけ話しを付け足してなぁ。〝機会があったらでいいから、彼と一度打ってみなさい〟って――」

 

 彼女はそこで一度言葉を切る。そして、息を吐く程度の僅かな思案の末に、

 

「もちろん、わたしもすごーく興味あったし、藤見君が受けてくれるならー思て、ダメ元で誘ってみたわけやけど」

 

 そう言って話しを締めくくりに掛かった。

 いやー断られんで良かったなー、何でも言うてみるもんやなー、と一部の翳りもない笑顔で竜華は能天気に語る。しかし、そんな彼女に私は内心ですかさず突っ込みを入れた。

 

(あのタイミングで頼みごとされたら、さすがに断れんと思うけどな……)

 

 竜華に向けていた流し目を逸らすと、行き場を失った思考が不意に出た五十鈴先生の名前に引き寄せられる。

 

(五十鈴先生がそんなことを……)

 

 それはクラス担任としてのお節介か、あるいは麻雀部顧問としての指導だろうか。

 そのどちらにしても、今私たちは同じ卓を囲んでいた。

 果たしてそこに、彼女の求めた真意はあるのだろうか。

 

 ぼうっと移ろいでいた視線の先、準備中の赤いランプが青に切り替った。

 

 

 

 両手に紙コップを掲げて、セーラと藤見君が待つ卓へと戻る。

 ヘリンボーン調の床板が夕闇に染まり僅かに足元がおぼつかなくなる中、床に落ちた卓の影を跨ぐようにして少し大股気味になりながら踵を鳴らす。すると次第に、先と変わらない席に着いた二人の話し声が耳に入ってきた。

 

「ほんま、中盤の和了りは良かったで! ま、オーラスの振り込みはちょっとばっかしもったいなかったけどなー」

 

 頭の後ろで手を組みながらセーラが笑い交じりに語る。そんな彼女の歯に衣着せぬ指摘に、しかし彼はさほど気にした様子もなく、そうだなーーと首肯した。

 話しに上っているのは、終えたばかりの前半戦についてだろう。

 

「なに?……もうさっきの話ししとるんか?」

 

 先に卓へと着いた竜華が、セーラに持っていた紙コップを手渡しながら会話に加わる。まだ後半戦残ってんでー、と二人を窘めるようなその口振りに、

 

「試合やないんやし、別にええやろー。竜華かて油断しとる場合やないで。後半戦で絶対捲ってやるかんな!」

「あらら、私はいつも通り絶好調のつもりやで。セーラこそ、和了率でいったらちょっとばっかし出遅れてるみたいやけど平気なんかー?」

 

 きらりと視線の矛先を向けるセーラに対し、ちょこっとだけ意地の悪い笑みを作ってみせる竜華。

 なにおーと奮起するセーラに、竜華はしれっと流し目を返す。

 

 冗談交じりにヒートアップする二人の会話に、私の口元も自然と綻ぶ。

 

「はい、藤見君も。とりあえずお疲れ様」

 

 手にしたカップの片方を差し出して言う。

 

「ん、お疲れ。……ありがとう」

 

 手を伸ばしながら、互いにちらりとセーラと竜華の掛け合いに視線を送る。そして、良いのか?――と無言のまま目を瞠る彼に、私はいつものことやから――と、眉尻を下げて笑みを返した。売り言葉に買い言葉。しかしどちらも冗談半分、遊び半分なだけに、話しの内容はすでに麻雀と全く関係の無い方向に飛んでしまっていた。

 

 

 

 ――。

 

 突然、無機質な電子音が私の耳を打ち鳴らした。まるで静謐な水面に小石を投げ込んだように、それは静けさを湛えた旧校舎の空気に波紋を広げる。規則的に繰り返される音律、いつしかそれが聞き覚えのあるメロディだと気が付いた。確かクラシックか何かの有名曲だった気がする。……んー、何という曲だっただろう。

 鳴り止まないその音に、竜華とセーラも会話をぱったりと止めて、互いに顔を見合わせた。なに?……と、その出所を探して辺りに目を配る。

 

 これは、ケータイの着信音だろうか。耳に馴染んだ音楽でも、それは私のものじゃない。それに、いつも一緒にいる竜華やセーラのものとも違うはずだ。

 ――ということは、と隣に座る彼の方へと視線を向けた。

 

「ああ、悪い。おれのだ」

 

 まるでたった今気が付いたかのような口振りで、藤見君からそんな言葉が洩れた。

 普段あまりケータイを使わないのだろうか。少しばかり慌てた様子で制服の内ポケットに手を探っていく。

 

 一際大きく音が響いた。見覚えのある携帯電話が忙しなくその存在を主張する。

 そして、彼がケータイのディスプレイを開いた瞬間、その瞳がかすかに見開かれた。

 

(電話?……誰からやろう)

 

 しかし、そんな僅かな表情の変化も束の間、次第にその顔には陰鬱な翳りが広がる。苦虫を噛むつぶしたような、というのはまさにこういう顔を言うのかもしれない。なんというか、すごーく嫌そうな顔だ。

 

 通話ボタンに掛かった指先は動かない。尚も鼓膜を叩く着信音とは対照的に、彼が引き摺る沈黙は重い。

 やがて、彼は一際長い溜息を吐くと顔を上げた。

 

「……悪い、少し外してもいいか?」

 

 言いながら突然席を立つ藤見君に、私たちは一様に呆けた表情を浮かべていた。ただかろうじて、こくりと頷きを返す。

 不思議と鳴り止まないケータイを片手に、彼は早足で部室の出入り口に向かう。その背中に、竜華ははっとして声を掛けた。

 

「あ、藤見君! 部室から出る前に、そこんとこの電気、点けていってもらってええかな?」

 

 椅子を蹴るように立ち上がって、指差しながら言い放つ。

 

 彼の勇む足が、扉の手前でぴたりと止まった。

 藤見君は肩越しに振り返って一度頷きを返すと、銀色のドアハンドルに伸ばされていた手を翻して言われた通りの指示に応えた。

 

 途端に、私の視界は真白に覆われる。夕闇に慣れた瞳に、その白光はひどく沁みた。眩しさに細られた視線の先から、カコン――という子気味良い音が耳を打つ。

 

 瞼を擦りながら目を開けたとき、そこに彼の姿はなかった。

 

 

 

 ぴしっと、電気ヒーターが自身の熱に中てられてその鉄製の身体を軋ませる。ふと耳を掠めたその音に、再び部室内が元の静穏に満たされたことを気付かされる。

 

 一人欠けた雀卓に着いた、いつもの三人。話題の人物が抜けたことで、話しの方向性は自然とこの場にいない彼のことへと傾いていく。真っ先に、セーラがその封を切って話し出した。

 

「……そんで、竜華から見て、あいつはどんなもんや?」

 

 麻雀において、この中で最も鋭敏な観察眼を持つであろう竜華にその切っ先を向けた。まだ終わってへんのに……と、半目で小言を洩らす彼女だったが、吐息とともにすぐ様思考を切り替えると、率直に、また簡潔に答えをまとめる。

 

「んー……中々ええ勘しとると思うで。他家の聴牌気配も機敏に感じとってたみたいやし、相手の手役を読むんも上手い。南場で私の安手に振り込んだのも意図的な差し込みやろうし、卓全体の状況が良う見えとるって証拠やろ。負け分が大きいからって無理に高打点は組まんと、多少振り込んだとしても状況を見て場を転がす機転も、辛抱強さもある。

 そんでも、うちら相手に攻めきれんとこはあったけどなぁ。オーラスはちょっと不用意やったけど、大きく振り込んでもうたんはそれ一度きりやし、点差の割りに十分戦えとる方やと思うで――」

 

 曰く、今年の一年の中でも上位に入る方。やりようによっては、一軍の新人たちとも良い勝負ができるのでは、というのが竜華なりの彼に対する評価らしい。

 それと――、ちらりとこちらを横目で見やりながら続ける。

 

「まぁやっぱり……怜の〝あれ〟には、大分参っとったみたいやけどなぁ」

 

 そう言って苦笑交じりに肩をすくめてみせる。

 竜華の言う〝あれ〟とはもちろん、私が持つ特殊な能力のことだろう。

 

 ――「未来視」。そう言葉にすると、自分でも少しだけ笑ってしまう。でも、それが空想やお伽噺ではないことを、他の誰でもない私自身が実感している。

 

 ある時を境に、私はその光景が視えるようになった。

 

 卓に着いたときにだけ、発揮される能力。それはあくまで、ひどく限定的なものでしかない。

 視えるのは常に、一巡先の光景だけ。視えた光景の通りに牌を打てば、必ず同じ結果が再現される。つまり、次順に自身の和了りが視えたとしたら、それは本来〝絶対に〟止められないということだ。

 

 しかし、視えた光景から僅かでも外れた打ち方をしたとき、その世界は一時的に私の中から失われる。

 どうしてそうなるのかは分からない。でも、それはまるで当初とは異なってしまった現実に、未来の光景が書き換えられているかのようにも思えた。

 

 私のリーチ掛けも、その「外れた打ち方」に当たる。私は自身の和了り形が視えない限り、更に言えば自摸和了りが視えない限り、決してリーチは掛けない。それは言ってみれば、この能力の打ち方に依る副次的なものだ。

 元々私はリーチを掛ける、掛けないの判断が拙い帰来があった。これは昔から、竜華やセーラに指摘されてきたことでもある。手役を揃えて聴牌を取る直前の打ち回し、その余剰牌の切り方が悪いらしいのだ。

 

 それに起因して、私は和了れない可能性にリーチは掛けない。いや……「賭けられない」。

 

 そして何より、この能力は私の体力を多少なりとも消耗させる。今の私にはその疲労が身体への負担となることもあって、度重なる連続使用にはおよそ耐えられそうにない。  

 私が持つ特殊な能力。だけどそれは、私にとってはまさに諸刃の剣だ。

 

「最初の頃はうちらも、手の出しようがあらへんかったもんなぁ。ちったぁ加減せぇよって話しや」

 

 昨年の夏の終わり、当時の苦い記憶でも思い出したのだろうか。頭を掻きながらセーラが口を尖らせて言った。しかし、そんな台詞とは裏腹に、その口調は相変わらずさっぱりとしたものだ。そう言いつつ、手加減などしようものなら反って容赦がないのは言うまでもない。

 

 だがそれ以前に、手加減をする――そういった発想は私の中に微塵も存在しなかった、と今更ながら気付かされる。

 もしかしたら少しやり過ぎてしまっただろうか。……いや、私にそんなことが出来るわけがない。一巡先を視る、それが出来なければ私の実力は一年前から少しも変わっていないのだから。

 

 この能力が無ければきっと、竜華やセーラと肩を並べて同じ舞台に立つことなど有り得なかった。それに今この場で目の前の二人と、そして藤見君とも、同じ卓を囲んでいたかどうかすらも分からない。

 胸に去来するかつて抱いていた虚無感を、こぼれ出そうになる吐息とともにそっと押し留める。

 

 薄暗く狭まった視界から、意識的に気持ちを引き剥がしていく。ふとして、先ほどの対局に思考を巡らせた。

 

(そやけど一つだけ、気になってる……)

 

 オーラスで、私は次順のツモ牌を予見してリーチを掛けた。それは私が〝視た〟光景にはなかったはずの打ち手だ。事前に視た光景と異なった手を組めば、その先に起こる現実もまた変わってしまう可能性を生む。故に、私の一発和了はセーラの鳴きによって止められてしまった。

 

 ――そして、そのアガリ牌は藤見君の手に渡る。

 

(……)

 

 私には竜華のように正確な分析なんてできないし、セーラのように勘が良い訳でもない。閃きなんて確かなものは持っていないし、憶測なんてかたちがあるものは思い浮かばない。

 しかし、何故彼はあの場で、危険牌のツモ切りを選んだのか。

 

 私のアガリ牌だった、赤五筒を――。

 

「――なぁ。怜はどう思うとるん?」

 

 突然、竜華に名前を呼ばれて、瞬いた瞳が唐突に色を取り戻す。

 思慮に沈んでいた顔を上げると、竜華が首を傾げながら私の顔を覗き込んでいた。肩に掛かった黒髪の一房がさらりと垂れる。

 

 ……いけない、話しが上の空だった。すっと頬に熱が差すのを感じながら、内心に湧きあがる焦燥を必死に押しやり、先ほどまでの会話を慌てて思い返してその質問の意味を何となく推測する。

 勝手に口から言葉がこぼれていた。

 

「あ、と……うん。私も悪うないと思うで。何となくやけど、こっちの高目が見えてない時とか一度や二度塞がれとったみたいやし、逆に何度か藤見君の和了り形にひやっとさせられることもあったわ」

 

 少し早口になりながら言う。咄嗟に口を突いて出た台詞は、当たり障りのない無難なものに終始した。……うん、でも間違ってはいないだろう。

 すると、セーラが口の端を笑みに吊り上げながら、目を細めて言った。

 

「ほな、決まりやな。とりあえず後半戦が終わったら、藤見を麻雀部に誘ってみるっちゅうことで!」

 

(え……)

 

 私は絶句した。思いもよらない彼女の発言に、頭が真っ白になる。

 あれ……いつの間に、そんな話になっていたのだろう。記憶から抜け落ちた二人の会話、浅慮にも穴埋めされた私の憶測は、どうやら大きく的を外していたらしい。

 そして私もまた、期せずしてそれに賛同してしまっていた。

 

 楽しみやなー、と竜華もすでに乗り気のようで至って楽観的な調子で続いた。当代の麻雀部部長がそんなノリで良いのだろうか。

 いや、五十鈴先生から色々と聞かされていた彼女のことだ。元からその発想は胸の内にあったのかもしれない。けれど――、

 

(藤見君が、麻雀部に?……)

 

 今この場にいない彼の姿を想像して、私の視線はおのずと一人欠けた卓の空席へ引き寄せられる。

 転入初日にいきなりの勧誘とは、さすがに彼も予想だにしないだろう。

 

 かつては千里山女子として、そして今は千里山高校として、不変の地区代表の座に立ち続けるこの麻雀部の歴史も決して浅からぬものだ。昨今の共学化制度が発足し、学校理事会の綿密な啓蒙活動と当初からのネームバリューもあり、男子生徒数は執行初年度から女子のそれと遜色ない人数にまで増えていた。

 しかし、そんな中で未だ男子麻雀部員を募る活動は、少なくとも公的なものとしては行っていない。男子生徒の各種特待生制度も依然企画段階で、実際に制度として立ち上がるにしてもまだ当分の時間を要するはずだ。

 

 でも、これから新しい学校に慣れていくのも大変かもしれないのに、迷惑にならないだろうか。正直、私自身転校した経験などもちろんないため、どうフォローしていいものかも分かったものではない。小学校のときのクラス替えとかと比べていいものだろうか。……多分ダメな気がする。

 

 うーん、あるいは何か部活動にでも所属したほうが早く馴染めるものなのだろうか?

 けれど、同じ麻雀部でも世間一般の高校と千里山とでは、その中身に大分違いがあるかもしれない。

 それに、結構遅くまで学校に残ることが多いし、週末だけでなく盆暮れ正月を除いた春夏冬休み返上での練習必至が通常運行だ。

 それなら、まずは試しに見学なりで部の雰囲気だけでも見てもらうとか?

 

 様々な考えや掛けるべき配意が、脳裏をかすめては消えていく。

 

 

 

 いや、そんなことより――。

 

 

「――うちの麻雀部、女子しかおらへんけど……大丈夫なん?」

 

 

 ぽそっと洩れた私のそんな呟きを、拾う者はいない。

 

 

 

 千里山女子麻雀部の創部当初から、そこにあったと謂われる麻雀部の扉。

 その扉はただ黙したまま、今はまだ開かれることはない。

 




最後までお読みいただきありがとうございます。

そして、申し訳御座いません。
思いの外9話の分量が増えてしまったため、後半戦『本領』は次話に持ち越します。


また、今日までお気に入り登録をして下さった読者の皆さん、ご感想をいただいた皆さん、
本当にありがとうございます。




この3年、まさに艱難辛苦、七転び八起きの七転八倒――

……はい、黙って書きますね。


天野斎

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