咲-Saki- 千里山編〝To the same heights.〟   作:天野斎

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4話投稿です。

怜視点です。


4.『交差』

  ―― side 怜

 

 

 

 ――週明けの月曜日。

 

 麻雀部の部室に続く旧校舎の廊下を歩きながら、窓の外に目を向ける。先週から降りしきる雪は今朝もしんしんと降り積もり、窓から見える校庭はさながら雪原のように真白く広がっている。そして、その景色に溶けるように、白いマフラーを巻いた自分の姿がガラスに映って見えた。

 

 長い廊下を抜けて、部室の前にたどり着く。古い木製の扉に手を掛けると、ひんやりとしたドアノブの感触が指先に伝わる。

 力を込めて、部室の扉を押し開く。

 

「おはよう」

 

 部室内を見渡すようにして、少しだけ声を張りながら言う。すると、先に来ていた部員の子たちが、思い思いに挨拶を返してくれた。

 扉を後ろ手に閉めると、部室内の暖かい空気に包まれてほっと息を吐く。病み上がりの上に、少し冷えていた体にその温かさは心地良く染み渡っていく。

 部員の何人かがこちらに駆け寄ってくる。いつも一緒にいる一軍のレギュラーメンバーだ。

 

「おはよう、怜。体はもう大丈夫なん?」

 

 真っ先に、竜華がその長い黒髪を揺らしながら尋ねてくる。

 

「竜華、おはよう。もう平気やで。また心配させてもうたかな」

「あんま無茶すんなよ、怜」

「最近はこの寒さですから、体には気をつけてください」

 

 セーラとフナQが竜華に続くようにして言葉を重ねる。

 

「うん。ご心配おかけして、マジすみませんです」

 

 自分のことを気遣ってくれる三人に向かって、改めて頭を下げる。すると、竜華がその顔に笑みを綻ばせながら、

 

「気にせんでええよ、そんなこと。……ところで怜、そのマフラー初めて見るなぁ。新しく買うたんか?よう似合うとるで」

 

 今も私の首に巻かれているマフラー。先日、あの男の子にもらった白いマフラーだ。

 

「あ、うん。これな……。ありがとぉ」

 

 似合う、と言われたことは素直にうれしい。しかし、何故だかそれが少しだけ気恥しく感じられた。

 そして、竜華のその言葉にふとあることを思い出す。

 

「そうや、フナQにちょっと訊きたいことがあんねんけど、ええかな?」

 

 フナQに向き直って尋ねる。

 

「ん……なんでしょう?」

 

 不思議そうな表情を浮かべている彼女に続けて言った。

 

「この近くに、誠蹊と関西第二以外に共学の学校か男子校ってあったりせんかな?」

 

 そんな私の問いに、僅かばかりの間腕を組んで思案する素振りを見せると、

 

「電車に乗れば近場なら吹多がありますし、駅のバスだと時間はかかりますけど大阪学園もありますね……。けど――」

 

 と、そこでフナQのご高説が一度途切れる。どうかしたのかと思っていると、私の顔を真っ直ぐに見つめながら続けた。

 

「――先輩がそんなこと訊くなんて、珍しいですね」

 

 どうやら、質問の答えに懸念があったのではなく、質問そのものに疑問があったようだ。それは――、

 

「なんや、男でも探しとるんか?怜」

「あはは、まさかぁ」

 

 セーラのひやかしとも取れる言葉に竜華が冗談めかして笑う。しかし、

 

「うーん、あんまり的外れでもないなぁ……」

 

 私がそう答えた瞬間、四人の間の空気と私以外の三人の表情が、音を立てて凍りついた……気がした。そして――、

 

 

 

「「「――ええええええぇぇぇっっ!?」」」

 

 

 

 

 

 

 三人が驚きのあまりに大声を上げて数分後。私は先日あった出来事ついての説明を要求されていた。ただなんとなく、マフラーをもらった件については省略してしまったが。

 

「――ってことがあってなぁ。そんとき他校の男の子に、えらい世話になってもうて……。改めてお礼した方がええんやないかと思ったんやけど、よう考えたら名前も訊けてへんし……」

 

 事の次第を話し終えたところで、その問題に改めて言葉が詰まる。そして、私の考えを先読みするようにフナQが後の台詞を継いだ。

 

「それで、その男子が着ていた制服に心当たりがないか訊こうとした、って訳ですか……」

 

 私はそれに、小さな頷きだけを返す。

 

「なんやぁ、びっくりしたぁ」

 

 そう言って、セーラは雀卓の椅子の背に上半身を深く倒した。

 

「あはは……、その気持ちは分からんでもないけどなぁ」

 

 そんな様子を見て、竜華も苦笑を浮かべて同意を示す。

 

「まあ、今までそんな機会あらへんかったからなぁ。……そんでフナQ、どうや、分かりそうか?」

 

 部室に設置されたパソコンに向かう彼女の背中に向けて尋ねる。

 

「うーん、先輩の言う特徴に当てはまる高校の制服ですけど、この近辺に該当するとこはないみたいですね。逆にもう少し都心の方となると、中々絞りきれそうにありません」

 

 パソコンでの操作を続けながら返してくる。

 

「そっかぁ……」

 

 しかし、それからフナQは少しだけ言葉を足して、

 

「他になんや目印になるもんでもあればええんですけど……。心当たりありませんか?」

「他に?……うーん」

 

 と言われても、彼が制服以外に身に着けていたのは、学生カバンに、ダッフルコート。一応のマフラーに至っては、今は私の手元にあったりと、中々良い解答を見つけ出すことができない。

 目を閉じて、もう一度あのときの出来事を一から思い返す。深く、自分の思考に沈んでいく。そして――。

 

 しかし、そうだ。彼が私にコートとマフラーを貸してくれた際に、一箇所だけ目に付いた点があった。それは、彼から受け取ったコートの胸ポケットに刺繍されたエンブレムだ。

 あれは確か――、

 

(校章?……)

 

 すぐさまカバンからノートと筆記用具を取り出し、頭に残ったイメージが消えないうちに想像に似通ったマークを描いていく。イメージしたのは「高」の文字が藤の花に囲われた、割と特徴的な校章だった。

 それを描いたノートのページを破り、覚えている限りの配色を補足してフナQに渡す。しばらくの間、それをじっと見つめていた彼女だったが、

 

「なるほど。これなら十分手掛かりになりますね」

 

 きらりと光る眼鏡を掛け直し、再びパソコンに向き直りながら答える。

 

 フナQがパソコンに向かっている間、竜華とセーラには先日の出来事について根掘り葉掘り質問を受けていた。確かに、今まで私が男の子の話しを自分から口にしたことはなかったと思う。しかし、親切にしてくれた人のことを、話しのネタにしているようでどこか気が引けてしまう。

 

 そもそも、私は彼にもう一度会ってどうするつもりなのだろう。さっき竜華たちには、もう一度お礼がしたいと言った。けれど、別れ際に彼は私の感謝の言葉をしっかりと受け取ってくれた。彼の親切心を思えば、過度な礼は迷惑ではないか。

 考え出すと、うまく答えをまとめることができなかった。そうしているうちに、こちらに背を向けていたフナQが、体を半身に回して振り返ってきた。

 

「園城寺先輩、見つかりました……んですけど」

 

 一度合わされた視線を不意に外すようにして言葉尻を濁す。根っからの研究者カタギであるフナQにしては珍しい。彼女が見つかったというなら、それは間違いなく見つかったのだろう。何か問題でもあったのか。

 

「見せて――」

 

 雀卓の席から立ち上がり、フナQが空けてくれたパソコンデスクに向かう。

 そのパソコン画面には、あの男の子が着ていたものと同じ制服に身を包んだ男子生徒と、それに似たデザインが施された女子用の制服を着た女子生徒が、校舎をバックに並んで立っている写真が大きく映し出されていた。

 間違いない。

 

「……うん、合うてるで。この制服や」

 

 おおきに――。横に立って様子を見ていたフナQにお礼を言う。それを受けて普段の彼女なら、ここで得意げな顔を浮かべて眼鏡を掛け直す仕草をしていただろう。しかし、その彼女の表情は、今もどこか曇ったままだ。

 

「あ、はい。でも……、先輩、ひとつ前の画面に戻ってみてください」

 

 どういうことだろう。気になりつつも、私はパソコン画面に向き直ってフナQに言われた通りの指示に応じる。マウスをクリックすると、画面は先ほどの制服に身を包んだ男女の写真から、遠くに校舎を望む、校門前と思しき写真に切り替わった。

 

 ――そして、校門前の黒い石碑に刻まれた文字に目を見開く。

 

 

 

 ――『新潟県私立東城高等学校』

 

 

 

「新…潟県?」

 

 それを見て、あのときの彼との会話の一部が頭の中でリフレインする。雪国育ちだから気にするな――、彼は確かにそう言っていた。

 

「これは、ちょっと無理そうやなぁ……」

 

 椅子の背に深く体を沈ませながら、つい深い溜息を吐いてしまう。新潟県、遠すぎる。

 

 どうしたん?……と、先ほどまで雀卓の席に着いていた竜華とセーラも様子が気になったのか、いつの間にかパソコンの画面を横から上から覗き込んできていた。

 

「ほえー、新潟って。そいつここに通うてるんか?」

 

 セーラの言葉に私は小さく頷いた。たぶん、間違いない。

 

「遠いですね……。冬休み中なら、まだこっちにいることもあるんかもしれないですが……」

 

 私の気の沈みようを見て取ったのだろうか。フナQがらしくない、限り無く低い可能性の話をして励ましてくれる。うん――と、その優しさに苦笑を浮かべて応える。でも、やはりその実現性に期待することは出来ないだろう。

 

 と、そこで隣に立っていた竜華が、未だに画面を食い入るように見つめていることに気がつく。何か気になることでもあったのだろうか。私も再び視点をパソコンに戻す。すると、画面が先ほどの制服姿の男女が並んで写った写真に切り替わっていた。不思議に思って手元にあったはずのマウスを探すと、それはいつの間にか竜華の手に握られている。ということは、パソコンを操作したのは竜華ということになる。

 

 私がそうして思案している間も、竜華はパソコンから視線を外さない。瞬きすらも忘れているのではないか。それほどまでの集中力だ。

 

「竜華、どないしたん?」

 

 声を掛けると、竜華は一度その大きく開かれていた目をぱちりと瞬く。それから、彼女は画面を一点に見つめたまま、ゆっくりと言葉を返してくる。

 

「怜、わたし……。この制服着た男の子に会うたことあるで……」

「……え?」

 

 初め、竜華の言ったその言葉の意味がうまく頭に入ってこなかった。

 そんな私に竜華はもう一度、同じ台詞を繰り返す。しかし今度は――、

 

 彼女の視線は、しっかりと私の双眸に向けられていた。

 

 

 

「わたし、この制服着た男の子に会うたで――」

 

 

 

 

 

 

 ちょっと待っててな!――と、竜華がそんな置き台詞とともに部室を飛び出していってすでに十分。未だに彼女は戻ってこない。そもそもどこに行ったのか。

 

「セーラ、竜華から何か聞いてへん?」

「いんや、なーんも」

 

 両手を上げて肩をすくめて見せる。

 

「清水谷先輩、会うたことあるって言ってましたけど、いったいどこで会うたんですかね。単に道端ですれ違っただけとかやったら、そんな相手の制服なんてうちでも覚えてませんよ」

「確かに、名前も知らんようやったからなぁ……」

 

 残った三人で雀卓を囲みながら、思い思いに推測を出してみたところで話しがまとまるはずがなかった。

 

(竜華、早く帰ってこんかな……)

 

 雀卓の背に深く背中を預けて不意に目を閉じる。そして、小さくため息を吐いたところで――、

 

 ――バンッ!

 

 大きな音を立てて部室の扉が勢いよく開け放たれた。びっくりしてそちらに目を向けると、そこに立っていたのは予想通り、先ほど飛び出していった竜華だ。走ってきたのか、顔は上気していて、息も軽く乱れている。そして、その息も整わないまま、私たちの卓に向かって小走りに駆け寄ってくる。その手には一枚の用紙が握られていた。

 

「竜華?あの――」

「これ見ぃっ、怜!」

 

 どうしたん?――と続ける前に、竜華は徐に言葉をかぶせてきた。それから、持っていた紙を私の眼前に突き出してさらに続ける。

 

「あんたが探してるんは、この子やない!?」

 

 ……近すぎて見えない。彼女の手から用紙を受け取る。

 

 そして、その紙の右上隅に添付されていた小さい顔写真を見たとき、私は先ほど以上の驚きに目を見開いた。

 

「あの男の子や――」

 

 そこに写っていたのは紛れもない、あのときの男の子だった。

 

(なんで竜華が……)

 

 不思議に思ったところで改めてその用紙の内容を見直していく。

 

(名前……、ふじみ、やひこって言うんかな?)

 

 あのとき訊きそびれてしまった彼の名前がそこに記載されていた。そしてそれだけではない。在学中の高校、生年月日、現住所など、彼に関する多くの情報がそこにはまとめられている。

 これはいったい――、そこで初めて紙の裏面をひっくり返す。そこには、その疑問に対する明確な答えが記されていた。

 

 

 

 ――『大阪府私立千里山高等学校転入願』

 

 

 

「千里山高校転入願……」

 

 頭の中でその言葉を反芻する。

 

「そうや!その子、来学期からウチに転校してくるんやって。先週怜が休んだとき、職員室に五十鈴先生を呼びに行ったことがあったんやけど、そんときにばったりその子に会うてなぁ。話したわけやあれへんけど、他校の制服着とったから珍しいなぁ思とってん」

 

 自身の中に湧き上がる熱が冷めやらぬようで、竜華が勢いよく捲し立てていく。

 

 転校生――。

 

「ほえー、世間て狭いんやなー」

「阿呆!こんなことがそんなしょっちゅう起こるかいな」

 

 心底感嘆してみせるセーラに、フナQがすかさずツッコむ。

 

「でも、良かったなぁ、怜」

 

 ちょっとびっくりし過ぎて、いまいち頭がついてきていない。まさかこんな形で話しがまとまるとは夢にも思わなかった。でも、まずは――、

 

「うん――。竜華、セーラ、フナQ、ありがとぉ」

 

 普通では起こり得ない偶然だけど、なによりここにいる仲間たちのおかげだ。改めて気持ちを込めた感謝の言葉を伝える。

 

「おれは何もしてへんけどなぁ」

「どういたしまして」

「えへへ!」

 

 もう一度、あの男の子に会う機会がある。それをようやく受け止めたところで、再び先ほどの疑問が脳裏に浮かぶ。私が彼に返せるもの。今はまだ、それは思いつかないけれど、せっかくみんなのおかげで得られた機会だ。

 

 

 

 だからもう一度、彼にお礼を伝えよう。――そう思えた。

 

 

 

 

 

 

「あれ?でもそいつにケータイ借りたとき、怜のお母んに電話掛けたんやろ?……それやったら、履歴に相手先の電話番号残ってるんちゃうか?……」

 

 

 

「「「――あ」」」

 

 

 




最後まで読んでいただきありがとうございます。

次話投稿をお楽しみいただければ幸いです。

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