咲-Saki- 千里山編〝To the same heights.〟   作:天野斎

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3話投稿です。

女子生徒視点、もとい竜華視点で進行します。




3.『興味』

  ―― side 竜華

 

 

 

 

 ――千里山高校麻雀部部室。

 

「うん……、うん。分かったで。今日の練習は欠席するって、わたしから監督と五十鈴先生にも伝えとくわ。あんま無茶したらアカンよ、怜」

 

 携帯電話を耳に当てながら、今この場にいない親友の体調を気遣う。

 

「……ううん、気にせんでええよ。――ほな、土日はしっかり体休めるんやで。……お大事に」

 

 少しだけ名残惜しさを感じつつも、電源ボタンを押して通話を切る。途端に、練習開始後の部室内の喧騒が戻ってくる。雀卓の椅子に深く背中を預けて、ほっと息を吐く。緊張に強張っていた肩の力が抜けていくようだった。

 

「――竜華」

 

 不意に名前を呼ばれて体を起こす。同じ卓についていたセーラが、普段ならあまり見ることのない、真剣な表情でこちらを見ていた。

 

「怜と連絡ついたんか?」

 

 気遣わしげに尋ねてくる。

 

「うん。病院からやったみたいやけど、体調はそこまで悪くないって。大事をとって今日は欠席する言うてた。週明けには来れるようになると思うで」

 

 今の電話の内容を掻い摘んでセーラにも伝える。それを聞き、心底安心したような彼女らしい笑みを浮かべるのも束の間、そっかー……と、気の抜けるような溜息とともに雀卓に突っ伏す彼女を見て、私の表情も自然と綻んでいく。

 先ほどまで、朝のミーティングの時間になっても現れず、ケータイも繋がらない怜のことが心配になり、二人であれこれ考えたくもない憶測と不安に駆られていたことを思えば、セーラのそんな心持ちを私も十二分に理解できた。

 ――さてと、と席を立つ。

 

「じゃあ、うちは監督と五十鈴先生に怜のこと伝えてくるから、ここは代わりの子に入ってもらってええかな」

 

 おお、行ってきぃ――。突っ伏した姿勢のまま、片手をひらひら振って合図してくるセーラに苦笑を返しつつ、見学に回ってた部員の一人に交代を頼む。

 

 それから監督の姿を探して部室全体を見渡してみるが、目的の人物は見当たらなかった。ここにいないなら――。練習中の部員たちの合間を抜けて、部室の奥に隣接した監督室の扉の前に立つ。規則通りにノックをして在室を確認するが、返事はない。念のためにもう一度ノックしてみるが、正面の扉は黙したままだった。

 ここにもいないとなると――、

 

「清水谷先輩、監督をお探しですか?」

 

 不意に背中から声が掛かった。半身に振り返ってみると、そこには一年の船久保浩子が立っていた。

 

「浩子……。せや、今日怜が欠席すること伝えとかな思って。監督がどこにいるかわからんか?」

「それなら資料室やないですかね。なんや過去の誰かの牌譜を探してるようでしたし。それより、園城寺先輩は大丈夫なんですか?」

 

 先ほど電話で話したことをセーラに話したのと同じようにまとめていく。浩子は感情を全面に出すタイプの性格ではなかったが、それでも私の話を聞いて、どこかほっとしているように見えたのは気のせいじゃないと思う。

 

「そっか。それじゃあ資料室に行ってみるわ。おおきに」

 

 浩子にお礼を伝えてから、麻雀部の部室を後にする。廊下に出ると暖房の効いた部室内とはうって変わり、冷たいひんやりとした空気が頬を撫でる。屋内で白い息を見るのはいつ以来だろう。

 

 

 

 目的の資料室は、ここ麻雀部部室のある旧校舎の二階、最奥だ。

 千里山麻雀部資料室は、今日までに在籍したすべての部員、対戦校、プロ、アマ問わず、数多のプレイヤーの牌譜、統計、資料映像を収めたデータベースとして機能している。私もこの二年間で、幾度となくこの資料室のデータを利用し、自身の研鑽に務めてきたが、未だにその膨大な情報量の規模すら把握できていない。

 

 階段を上がり、長い廊下を抜けてようやくその資料室にたどり着く。普段は施錠されているはずの扉は、開け放たれたままになっており、誰かしらの在室が窺い知れた。部屋の入口に立って中を覗き込む。データ化しきれていない古い紙資料と書物の香りが鼻についた。薄暗い室内、比較的新しい他校の選手の牌譜をまとめた棚に手を伸ばす女性の姿を見つけた。

 その女性こそ探していた目的の人物。

 

「愛宕監督――」

 

 彼女の背中に声を掛ける。

 

「竜華か。どうかしたか?わざわざ資料室まで来るなんて」

 

 声だけを聴いて私と判断したらしい。未だに彼女の目は速読の勢いで手元の資料を追っている。すごい集中力だ。

 

「さっき怜から連絡がありました。今日の練習は体調を考えて欠席するそうです。一応病院にも行ったみたいやけど、大したことはないみたいです」

 

 少しの間、監督は黙ったまま先ほどの資料を眺めていたが、ぱんっと、徐に持っていたファイルを閉じると、今度はこちらに振り返って答える。

 

「分かった。竜華のことやから、しっかりと療養するようにちゃんと念も押したんやろ。なら、うちから言うことは特にないで。ご苦労さん」

 

 ――はい。と、軽い会釈を返してから、私も踵を返して資料室を後にしよう、そう思ったところで、背中から監督の声が掛かった。

 

「あ、ちょっと待って竜華。面倒事頼んで悪いんやけど、このファイルを遠子んとこに届けてきてくれんかなぁ」

 

 監督は出入口に立つ私のそばまで歩み寄ると、先ほどまで読んでいたファイルを差し出して続ける。

 

「あの子、今なら職員室にいると思うから。あと、伝言もお願いできるか。この後ミーティング開くから、必要な資料とかそろえてすぐ来てくれって」

 

 分かりました――。ファイルを受け取って了承を示すと、頼んだでー、と後ろ手を振りながら再び資料室の奥へと戻っていく。さて、思いの外遠回りになってしまった。

 私も踵を返して、五十鈴先生がいるという職員室に向かって歩を進めた。

 職員室に続く廊下を歩きつつ、ふと視界の端に映った窓の外の景色に視線を向ける。真っ白な雪に覆われた街、厚い雲の切れ間から降り注ぐ陽光の帯、雪に反射した光が銀色に輝いて見えた。住み慣れた町の見慣れた光景から外れたその景色を眺めていると、この耐え難い冷え込みようも、少しくらいなら我慢できそうだった。

 とはいえ、上着もなしにいつまでもこの廊下の寒さに触れていては、体を冷やしてしまいそうだ。窓越しの光景から視線を外すと、少し足早に職員室へと急ぐ。

 

 

 

 職員室前の廊下は、他と変わらぬ静けさに包まれていた。木製の厚い壁と重たい引き戸が、室内の音漏れをほとんど遮断してしまっている。一応規則にならってノックをするが、この行為にはたして意味があるのか確かめたことはない。

 一つ息を吐いてから、重厚な引き戸に手を掛ける。力を入れて引っ張ると、引き戸は立てつけの悪さを感じさせる重たい音を響かせながら開いた。

 

 職員室の戸を開けると、目の前に一人の男の子が立っていた。思いもよらず一瞬体が強張る。どうやら鉢合わせになってしまったらしい。先に退いて彼を通そうかという考えが一瞬頭を過るが、彼の変わった身なりが目に付いたことで、その配慮は私の中で霧散してしまっていた。

 

 彼は制服を着ていた。学校にいるのだからそれは当然ともいえるが、それはこの千里山高校指定のものとは異なっている。一昨年、千里山が女子高からの共学化により、新たにデザインされた男子生徒の制服は、いわゆる学生服にアレンジを加えたものだった。おそらく女子生徒のセーラー服に合わせたのだろう。

 しかし、彼の着ている制服は黒に近いグレーを基調としたブレザータイプのものだ。ネクタイの中央と胸ポケットには校章と思しきエンブレムが刺繍されている。私はそのデザインの制服を見たことがなかった。

 そうこうしているうちに、目の前にいた男の子が一歩下がって体を半身に向ける。先に通れということらしい。

 その厚意に小さく会釈をして応じてから、一歩職員室の中に進み出た。

 

「失礼します。五十鈴先生、愛宕監督が呼んでますんで一緒に来てください」

 

 目的の人物はすぐに見つかった。窓際の席から、はーい、と間延びした返事が届く。先日訪れたときよりも、デスクに積まれた書類の山がさらに険しさを増している気がする。

 

 五十鈴先生の元へ歩き出そうとすると、後ろから再び戸の閉まる音が重く響いた。先ほどの男の子が退室したのだろう。不意に気になって後ろを振り返る。他校の制服を着た男子生徒、この時期に転校生とは珍しいこと……、だと思う。

 

「竜華?……こっちに来て。資料運ぶのを手伝ってくれないかしら」

 

 五十鈴先生から声が掛かる。思いの外長く立ち止まっていたようだ。未だに先ほどからの好奇心を弄んでいたが、とりあえず心の隅に留めておくことにした。再び踵を返して彼女のデスクに赴く。それに――、

 

 もしかしたら、五十鈴先生がその疑問の答えを持っているかもしれない。

 

 

 

 他の教師たちの間を抜けて、彼女の元にたどり着く。

 

「五十鈴先生。これ、愛宕監督から先生に届けるように言われた資料です」

 

 先ほど預けられたファイルを差し出す。ありがとう――、とそれを受け取ると、また一つ書類の山が高くなった。この山が減っていくことはあるんだろうか。

 

「それじゃあ、竜華に持ってもらう資料だけど――」

 

 今も、両方の手を忙しなく資料の整理に充てながら続ける。

 

「――春季大会の選抜リストに、先週やった練習試合のレギュラーメンバーの牌譜。それから来週の合宿スケジューリングを人数分に、あとは……」

 

「い、五十鈴先生……。まだあるんですか?」

 

 瞬く間に、両手いっぱいに書類の束が積み上がっていく。

 

「なんてね。とりあえずそれだけよ。じゃあ、行きましょうか」

 

 私の手からきっちり半分の書類を掴み取って、席を立つ。先を行く彼女の背中を見て、私は心底ほっと息を吐いた。

 

 

 

 ――廊下。

 

 部室へ向かう道すがら、前を歩く五十鈴先生に先ほどから気になっていた質問を投げ掛ける。

 

「五十鈴先生、さっき職員室にいた男の子、転校生ですか?」

 

 すると、彼女は歩くペースを少しだけ落としつつ答えていく。

 

「ええ、先週新潟から越してきたばかりでね。だから、初登校は来学期が明けてからになるかしら。学年は竜華たちと同じ、二年生よ」

 

 やはり転校生。それから彼女は首だけ回してこちらを振り返りながら続けた。

 

「彼、前の学校では麻雀を打っていたのよ。去年の夏の地区大会にも出場していたわ。結果は団体戦で県第四位」

 

 団体戦。各校五人の選抜メンバー、一人が半荘二回を対局し、計十回の半荘を総合獲得点数で競わせる試合形式。五人一組のチーム戦には個々人の強さとともに、チーム全体の総合力が問われる。

 地区の団体戦四位。決勝進出を果たしているその結果は、全国常連校でもなければ、立派な成績といえる。しかし、彼女の言い回しにふとした違和感を覚える。まるで彼から聞いたというよりも、元から知っていたような口振りだ。

 

 不思議に思う私の懸念の表情を見て取ったのか、彼女はいたずらっぽく苦笑を浮かべると、私の内心を見通すようにして応えた。

 

「まあ、わたしが見つけたってわけじゃないのよ。古い友達から連絡があってね。『そっちにわたしの生徒が行くから、よろしくしてやってくれ』ですって。三年ぶりに電話してきたと思ったら開口一番にそんなこと言ってくるから、びっくりしちゃって」

 

 処々に、小さく笑みを交えながら語る彼女の姿は、どこか懐かしそうであり、楽しげに見えた。その友達という人との関係が古く、深い仲であることが言葉の端から伝わってくる。

 

「で、まあその友達がわざわざわたしに連絡を寄越してくるなんて、何かあるんじゃないかと思っていろいろ調べてみたの。案の定、面白い子だったわ」

 

 彼女の言う「面白い」という言葉が、麻雀に傾倒していることは想像に難しくない。

 だからこそ、私はとても簡潔であたり前な質問を彼女に返した。

 

 

 

「――彼、強いですか?」

 

 

 

 その言葉に彼女はすっと目を細めると、

 

「さあ、どうかしら……。それは、これからのあの子次第ね」

 

 口許にひやりとするような小さな笑みを湛えて言う。

 

 一瞬、この場の空気の冷たさがひどく感じられた。千里山高校麻雀部顧問。その肩書は伊達ではない。

 

「……それじゃあ、先生。彼を麻雀部に?」

 

 彼女が注目するほどの選手なら、十分に考えられる話だ。自分たちにとっても得られるものは多いに違いない。もしかしたら、すでに声を掛けているのかもしれない。

 しかし、その言葉に彼女は思案の表情を浮かべた。

 

「……そうは思っていたんだけどね。でも、どうかしら。望みは薄いかも」

 

「え?……」

 

 視線を前に戻しつつ、彼女はひとつ短い溜息を吐く。途端に、先ほどまでの冷たく張りつめていた空気が霧散していく。

 

「ま、それについては新学期が明けない限りは進まない話ね。とりあえず、今は合宿に向けて練習あるのみよ!」

 

 再びその顔にいたずらっぽい笑みを湛えて、握り拳を作って見せる。

 それを見て、私も口からこぼれそうになった疑問を、ひとまず呑み込んでおくことにする。

 そして、精一杯やる気を込めて応えた。

 

「はい!――」

 

 

 

 前を歩いていた五十鈴先生が不意に立ち止まる。

 

 いつの間にか、麻雀部の部室に到着していた。

 

 

 




最後まで読んでいただきありがとうございます。

次話投稿を楽しみにしていただければ嬉しいです。

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