咲-Saki- 千里山編〝To the same heights.〟   作:天野斎

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物語は怜、竜華、セーラが2年生時、冬から始まります。

オリジナルの登場人物たちも物語に加わると思いますが、なるべく文章の中で彼らの容姿、性格、人柄を表現していきたいと思います。

処女作、初投稿作品ですので、至らない点が多々見受けられると思いますが、最後まで読んでいただけたら嬉しいです。

目標は、完結です!!


1.『出逢い』

 ――寒い。

 

 今に雪でも降り出しそうな灰色の空を見上げつつ、今日何度目になるかわからないため息をつく。雪国育ちを自称してはいるが、やはり寒いものは寒い。

 地元の新潟を離れ、ここ大阪に引っ越してきてからすでに一週間。当初は雪のない冬という初めての体験を満喫していたが、先日日本に上陸したという史上第四位とうたわれた寒波の影響か。雪によって白んだ、ここ大阪の景色は十六年間住み慣れた故郷と比べても遜色ないようだ。除雪作業が追い付いていないのか、そもそもやる気がないのか。どちらにしても歩きにくいことこの上ない。

 

「九時十五分……」

 

 ダッフルコートのポケットから探り出した腕時計で時間を確認する。

 先ほど、再来週より転校予定の千里山高校からの電話を受け取ったのは八時過ぎ頃だったか。あらかじめ郵送していた転入書類に訂正箇所が見つかったらしく、今日中に一度登校してほしいとのことだった。用件を聞いた途端、手にした受話器がずしりと重さを増したような気がしたのは気のせいだろうか。まあ、気のせいだろう。

 

 どうせやらなければならないことなら雪が降ってくる前に片付けてしまおう。そう思い立ち、軽い朝食と身支度を整えて家を出たのは、それから三十分ほど経ってからだったはず。ということは、彼是三十分以上も歩き続けているのか。一昨日、母親とともに学校へあいさつに行ったときは車だったせいもあるのか、まだ学校までの道のりが正確に頭に入っているわけではない。それを思うと、道を間違えているのではないかという一抹の不安がふつふつと湧いてくる。

 

 交差点に差し掛かり、赤信号で立ち止まる。もう何度目になるだろうか。初めから数えてなどいないが、雲行きが気になり空を見上げた。

 

(降ってくる前に帰れるかどうか……)

 

 甘い期待を抱きつつ視線を前に戻すと、いつの間にか道路の対面に制服姿の女の子が立っていることに気がつく。こちらと同じく信号を待っているようだ。

 歳は自分と同じくらいだろうか。柔らかな栗色の髪をミディアムに切りそろえている。コートの上からでもわかる華奢な体つきは線の細さを感じさせ、楚々としたセーラー服も相まって古風な文学少女のような出で立ちの少女だ。

 

(あれは、千里山の……)

 

 彼女の着ている制服に見覚えがあった。どうやら道順は間違っていなかったらしい。わずかな安堵感に息をつくと同時に信号が青に変わった。再び冷たい風を切って歩き出す。しかし、そこでふとした違和感を覚える。

 

 対面の少女がいまだに立ち止まったまま、歩き出す気配がない。視線は地面の横断歩道、というよりは宙に泳がされ、どこかうつろな印象を受ける。信号が変わったことにも気づいていないようだ。そんな彼女の様子を訝しく思いながら少女の横をすれ違おうとした瞬間、ふっと操り糸が切れたように彼女の体が傾いた。

 

(!)

 

 意識するよりも早く体が勝手に動いた。彼女の腕を掴んで倒れないように体を支える。その無意識的な反応の速さに自分でも驚いてしまった。

 

「おいっ、あんた大丈夫か?」

 

 声を掛けつつ慎重に彼女を座らせ、改めて様子をうかがう。手が届く距離にまで近づいた彼女は素人目に見ても血の気が薄く、体調が良いとはいえないようだ。

 少女は目を閉じて何度か深呼吸を行い、そして最後にゆっくりと息をついた。少しでも落ち着いたのか、すっと開かれた双眸が、そばで様子を見ていたこちらにゆっくりと向けられる。

 

「……落ち着いたか?」

 

 そのうつろな視線を受けて数秒、その言葉に彼女も今の状況を呑み込めたらしい。多少詰まりながらではあるがゆっくり言葉を返してきた。

 

「えっと……少し、楽になりました……」

 

 ありがとぉございます――。関西人らしい訛りのあるイントネーションでお礼の言葉をつづける。思いの外口調ははっきりしているが、やはりまだ顔色は悪い。表情も曇ったままだ。

 

 とりあえず、車の通りが多くないとはいえ、いつまでも交差点の淵にしゃがみこんでいるわけにはいかない。それに彼女の体調をかんがみれば、少しでも体を休ませるべきだろう。どこか腰を掛けられるところはないかと辺りを見渡す。すると、交差点から五十メートルほど離れたところにバス停があるのが目に付いた。簡易ではあるがベンチが設置され、鉄製の屋根も設けられている。冷たい風は凌げそうにないが、雪が降り出したときにそれはありがたい。本来であれば屋内で暖をとった方がいいのだろうが、今は仕方がない。そう判断して再び少女に問い掛ける。

 

「立てるか?あそこにバス停があるんだが、そこで少し休んだ方がいい」

 

 指をさしてその場所を彼女に示すと、それを追うようにして彼女もゆっくりと視線を向ける。そしてその提案に了承を示すようにこくりと小さく頷くと、膝に手をついて慎重に体を起こしていく。

 

「……歩けそうか?」

 

 なんとか、といった体で立ち上がった彼女に重ねて尋ねた。はい、という小さい呟きとともにもう一度深く息をつくとゆっくりとした動作で歩き出す。が、一歩、二歩と踏み出したところでカクンと体がよろめいた。再び体を支えようと身構えるが、今度はバランスを崩す前になんとか立て直したようだ。やはりまだ足元がおぼつかないか。しかし、これでは見ているこっちの方が気が気ではない。

 

 朝方ともなれば積もった雪の下で路面が凍結している場合もある。転倒して大怪我でもさせてしまえば目も当てられない。一つ短いため息をついてから少女の半歩先へ進み出る。

 

「鞄は持ってやるから、おれの肩に掴まってくれ」

 

 我ながら、もう少し言い方ってものがあるだろうに。

 彼女の方もそんな迷惑を掛けられないと感じたのか、未だ優れない顔色に戸惑いの表情が加わる。確かに、自分が同じ立場でも遠慮してしまうかもしれない。何度か口を開きかけては言葉に詰まる。うまく言葉が出てこないみたいだ。しかし、思案の末彼女から戸惑いがちにもたらされた答えは意外なものだった。

 

「ほんまに、すみません……。お願いしても、いいですか?」

「……ああ、気にするな」

 

 何気なく平静に答えるが、内心では彼女の言葉に感心していた。本来、初対面の人間に手助けを求めることは、それが頼み手であっても受けてであっても一、二歩引いて戸惑ってしまう。たとえそれが必要なときであったとしても。年頃の女子高生であればなおさらだ。それを目の前の少女が意識的にしろ、無意識的にしろ、理解していることに少しばかり関心を抱く。

 

 すると、彼女は遠慮がちに左手に提げていた鞄を差し出してくる。とは言え、鞄を持ち上げることも億劫なのだろう。ほとんど下げられていた手から掴み取るかたちになってしまったが。それから彼女に背中を向けるようにして振り返る。

 

「適度に体重を掛けろよ。それからゆっくり行くつもりだが、きつくなったらすぐに言ってくれ。くれぐれも無茶はするな」

 

 少女は小さく頷いた。それからおずおずとではあるがおれの左肩へと手を伸ばしてくる。厚手のコートの上からでも、弱々しくもしっかりと肩を握っていることが伝わってくる。体重を掛けろとは言ったが、予想していたほどの重さは感じなかった。やはり遠慮してしまっているのか、それとも元々の体重が軽いのか。おそらく後者だろう。

 

 歩き出す前に肩越しに振り返り少女の様子をうかがう。再びその伏目がちな双眸と目が合った。目で合図を送り出発を促すと彼女はもう一度小さく頷いた。

 

 

 

 目と鼻の先だと思っていたバス停だが、いざ歩いてみるとその道のりは予想よりずっと長かった。路面が凍結しているところがあればその都度示唆し、途中で彼女から一度立ち止まってくれるように声が掛かったこともあった。何よりの原因はこの雪道だ。雪に慣れていないであろう少女にとってはそれだけで気力と体力を消耗する要因になり得る。

 

 わずかにではあるが、左肩にかかる負荷も少しずつ増したようにも感じた。少女にも余裕がなくなってきたのだろう。早く休ませてやりたかったが、ここでおれが気を急いても仕方がない。それから目的のバス停に到着したのは五分後か十分後か。実際以上に長く感じられたことは言うまでもない。

 

 バス停の屋根の下。常設されたベンチに少女をゆっくりと座らせたところで、ようやく深い息を吐く。彼女も同じ心境だったようで、彼女の口からもほっとしたように深い息が漏れ、自分のそれと重なる。

 

「おおきに」

 

 それから少女はゆっくりと顔を上げそっと礼を述べる。

 

「いいから、気にせず休んでおけ。それより誰か連絡を取れるひとはいるか?」

「あ、はい……。うちの鞄に、ケータイが入ってるんで……」

 

 どうやらしゃべることも億劫なようだ。あまり無理はさせられない。と、そういえば彼女の鞄はおれが持っているんだったか。右手に下げていた鞄を彼女に差し出す。

 おおきに、とそれを受け取りゆっくりとした動作で鞄の中に手を探る。しかし、中々目当ての携帯電話が見つからないらしい。次第にその顔に焦りの色が浮かんでくる。ようやく鞄の中から引き抜かれた手には何も握られていなかった。悲嘆に暮れるようにして呟く。

 

「うそ、アカンわ……。ケータイ、忘れてもた……」

 

 途中からなんとなくそんな気はしていたが、本当にないのか。

 さもありなん。仕方ない。かじかみかけていた手をコートのポケットに突っこみ、中から自分の携帯電話を掴み出す。最近は全く充電をした覚えがなかったが問題ないようだ。それを確認して少女に差し出す。

 

「これを使ってくれ。番号はわかるか?」

 

 その言葉を受けて彼女はゆっくりと顔を上げた。だが、戸惑いがちにおれの顔と差し出された携帯電話を交互に見比べるばかりで中々受け取ろうとしない。この期に及んで遠慮しているのか、仕様のない。ここは多少強引になってしまうが、まあ必要なことだ。彼女に悟られないように短い溜息を吐いてから、重ねて彼女に尋ねる。

 

「……番号、何番だ?」

 

 しばらくしておれの無言の圧力に耐えかねたのか、躊躇いがちではあるがぽつりぽつりと誰かの携帯番号を呟いていく。

 九ケタの番号すべてを打ち終え通話ボタンを押し、耳元へあてる。するとすぐに呼び出し音が鳴り始めた。それを確かめてから改めて少女に差し出す。

 

「ほら、もう掛かってる」

 

 半ば強引に携帯電話を押し付けて連絡を促す。そしてようやく彼女は、一度丁寧に頭を下げてからそれを受け取った。やれやれ。それからすぐに電話はつながったらしい。

 

「もしもし、お母さん?……うん、怜や。今、ちょっと……」

 

 その後簡単な事情を説明して車での迎えを頼んでいるようだった。しばらくして通話を切り、ほっと小さく息をついた。

 

「迎え……、少し掛かるようやけど、来てくれるって……。ほんまに、ありがとぉございました……」

 

 それを聞いておれも胸をなでおろす。とりあえずは一安心だ。お礼の言葉とともに差し出された携帯電話を受け取る。

 さて、迎えが来るということはすでに場所も伝えてあるのだろう。それに彼女の体調を考慮すればここで安静にして待っているのが最善か。

 

 そこでもう一度携帯電話を開いて時刻を確認した。九時四十分。想像以上に時間が経っていたことに気がつく。思えば千里山高校に向かう途中だったか。別に時間の約束があるわけでもない。ここは焦らず彼女が呼んだ迎えとやらを待つとしよう。

 と、携帯電話を閉じようとした際、視界の片隅にふっと白い粒が過ったような気がした。携帯電話を元のポケットにしまい込み、鉄製の屋根越しに空を見上げる。雪が降ってきていた。

 

「――クチュン」

 

 女の子らしい小さなくしゃみが鳴った。人通りの少ない、雪の降りだしたこの場にその音は静かに耳に残る。そういえば、先ほどこのバス停に歩いてくる間にも彼女は何度か小さい咳をしていた。そこで改めて彼女の服装を見直す。千里山高校の制服、冬服とはいえ下はもちろんスカートだ。一応のコートは羽織っているようだが、学校指定のものなのか、正直言ってあまり暖かそうには見えない。例年の気候であればおそらく十分な防寒対策になり得るのだろうが、今は雪が降るまでの冷え込みようだ。そのコートの性能に多くを期待することはできない。こんな恰好で出歩いては体調を崩しても仕方がない。

 

 短い間とはいえこのままにさせておくわけにもいくまい。そう思って、首に巻いてあるマフラーを解き、厚手のダッフルコートのボタンに手を掛ける。その様子を少女はきょとんとした様子で見つめていたが、

 

「その上からでもいいから、これを着ておけ。あと、マフラーも。そんな恰好でじっとしていたら身体冷やすぞ」

 

 そう言ってようやくこちらの意図が理解できたのだろう。彼女は慌てた様子で遠慮しようとするが、その言葉がのどを通る前に更に言葉を続けて押しとどめる。

 

「今さら遠慮しても仕方ないだろう。それに、そんな恰好でいられたらこっちの気が休まらない」

 

 その指摘を受けて、少女は自分の服装を見下ろして一度は出かけた言葉飲み込む。だが、さすがに申し訳ないと思ったのだろう。

 

「……せやけど、そしたら、あなたの方が……」

 

 確かに、それはもっともなことだが。

 

「こっちはついこの間まで雪国で育ってきたんだ。これくらいの寒さならいくらでも耐性はあるさ。まあ、初対面の男のコートなんて着にくいとは思うが、今は我慢してくれ」

 

 なんて、ぶっきらぼうに紳士的な言葉を並べてみるが、もちろん寒いものは寒い。雪国育ちの人間が寒さに強いなどただの妄言だ。

 

「そんなこと、ないです……。でも……」

 

 ――クチュン。二度目のくしゃみがこだまする。それにより彼女の頬がほんのり赤みを帯びていく。そんな様子を見てこちらも思わず苦笑で返す。

 

「……ごめんなさい。やっぱり、お借りできますか?」

 

 恥ずかしげに苦笑を浮かべた少女に、改めてコートとマフラーを差し出す。彼女はゆっくりとした動作でそれを受け取り、袖を通していく。マフラーも首にしっかりと結わえる。

 

「……あったかいわぁ」

 

 ほっと息を吐くとともに、彼女の口からそっと言葉が漏れた。

 それから二人の間に会話はほとんどなくなった。当初は何度かこちらの様子をうかがっていた少女だったが、

 

「雪路を歩くのはそれだけで普段以上に体力を消耗するんだ。慣れていない奴にとっては尚更な。今はおとなしく休んでおいた方がいい」

 

 そう声を掛けると、彼女は一度小さく頷いて、静かに目を閉じた。どうやら少しでも体力の回復に専念しているらしい。おそらくそれが、今できる最善だろう。

 

 

 

 それからしばらく経ち、ポケットに突っこんでいた指先の感覚が徐々になくなってきた頃。バス停手前の路肩に横付けする形で一台の乗用車が停まった。同時に運転席のドアが開け放たれ、一人の女性が顔を覗かせる。

 

「怜!」

 

 どうやらその女性が彼女の呼んだ迎えらしい。すぐさま車を回り込んで少女に駆け寄る。

 

「怜、大丈夫か?」

 

 少女の額に手を当てながら具合を確かめていく。

 

「平気や。少し休んだら、だいぶ楽になったわ……。この人が、親切にしてくれて……」

 

 少女に促されるようにして、そこで初めてその女性と目が合う。正面から見た女性の顔立ちは、隣に座っている少女とまるで瓜二つだ。しかし、少女より一回りは高いであろう身長に、ゆるくウェーブした栗色のセミロング。そして、真っ直ぐに向けられた理知的な瞳が、少女に比べてだいぶ大人びた印象を与えている。少女の姉、若しくは母親だろうか。

 どっちつかずな疑問を抱いていると、女性は徐に頭を下げてきた。

 

「娘が大変お世話になりまして、ありがとぉございます」

 

 どうやら母親の方だったらしい。それはそれで驚きなのだが。大学生でも通用しそうに見える。などと思っている間も、女性が中々頭を上げようとしないのでこちらも慌てて返す。

 

「あ、いや、別に大したことはしてませんから。頭を上げてください」

 

 その言葉を受けて、彼女もようやく姿勢を戻していくが、

 

「いえ、娘のことを気遣ってくださり、ほんまにありがとぉございます。元々体が丈夫な方ではないですし、今はこの寒さでしたから……。心配はしていたんですけど、まさかケータイを忘れてもうてるなんて……。ほんまに助かりました」

 

 そう言いつつ再び深々と頭を下げられてしまう。難儀な。しかしこのままでは話しが進まない。少女の体調も気がかりだ。

 

「まあ、そんなに気にしないでください。それより早く彼女を暖かいところへ。まだ体調も良くないみたいだし、慣れない雪歩きで体力も消耗してるみたいですから」

 

 この寒空の下にいつまでも晒されていては、具合がよくなろうはずもない。

 すると、母親は最後にもう一度小さく頭を下げてから、再び少女に向き直る。

 

「病院の先生には連絡してあるから、まずは病院やな。分かってるとは思うけど、今日の部活はあきらめてな」

「……うん、分かってる。そやったら、竜華たちにも連絡せな……」

「それもとりあえずは後回しや。立てそうか?キツそうやったら、うちがおぶってくで」

「ううん、平気や……」

 

 それからゆっくりとではあるが、自力で立ち上がって見せる。確かに先ほどまでのようにふらついたりはしていないようだ。まあ、本人が言うのなら大丈夫だろう。

 

「ほな、行こか。……て怜、その服どうしたんや?」

 

 踵を返そうとしたところで、少女が見慣れない格好をしていることに気付いたらしい。

 改めて少女の服装を見直してみると、丈の長い男物のダッフルコートを膝丈近くまですっぽりとかぶり、さらには、もこもこした白いマフラーで首筋をしっかり覆っている。一見すると、冬服に衣替えしたテルテル坊主、といった感じだろうか。自分で着せておいてなんだがすごく温かそうだ。うらやましい。

 

 二人の視線を受けて、少女も改めて自分の格好を見下ろす。

 

「寒そうやからって、コート貸してもろうて。えっと……」

 

 それから、慣れない手つきでコートのボタンに手を掛ける。しかし、手がかじかんでいるのかうまく力が入らないらしい。少しばかりやきもきしながら待つ。

 やっとのことでボタンをはずし終え、軽く畳んだコートを差し出してくる。

 

「……ありがとぉございました。すごく、あったかかったです……」

 

 ああ――。と、適当な返事とともにコートに手を伸ばす。しかし、その手が届く寸前に少女はコートを広げ直し胸元に掲げて見せた。何の意地悪かと思ったが、彼女の顔を見たところで合点がいった。

 

(あ、そうか……)

 

 少女の意図を察して、ちょっとした気恥しさを隠しながら彼女に背を向けるようにして立つ。ゆっくりと差し出されたコートの袖に腕を通していく。彼女の手が離れたところで肩までしっかり振りあげると、厚手のコートの適度な重みが肩にかかる。ボタンを留め終えてから再び少女に向き直る。

 

「ありがとな」

 

 その言葉に少女の顔にも明るさが差す。

 

「あ、これも返さんと……」

 

 そして、首に結わえていたマフラーに手を掛けようとするが、

 

「……いや、それは返さなくていい」

 

 その言葉に彼女の手が止まる。

 

「え?……」

「これから病院に行くんだろう。なら家に着くまでは我慢して巻いておけ」

 

 でも――。と、やはり遠慮してしまうか。まあ、これは当然の反応だ。おれが彼女の立場でもさすがに受け取れないだろうし。

 あんまり押し付けても迷惑になってしまうことは分かっているが、

 

「安物だから気にしなくていい。それ、あったかいだろ。首筋を温めると体全体があったまるから。一応大事をとってくれ」

 

 言葉を選びながら伝える。会話の切れ間、短い静寂が辺りを満たした。

 すると少女は一度、寒さに赤くなった指先で結わえたままになったマフラーに触れる。それからひとつ、ほっと息を吐くと、

 

「……それじゃあ、お言葉に甘えさせてもらいます――」

 

 ――おおきに。その言葉とともに、少女の顔に初めて笑顔が綻ぶ。

 

「ああ」

 

 素っ気なくならないように気を付けて答える。どうやら納得してくれたらしい。何よりだ。さて、ここで俺があまり引き留めるわけにはいかない。

 

「それじゃあ、おれももう行くよ。お大事にな。もう真冬にそんな恰好で出歩くなよ」

「はい、気を付けます……」

 

 最後のお小言に思わず苦笑を浮かべる彼女だったが、再びその表情に笑みを湛えて言う。

 

「――ありがとぉございました」

 

 少女の気持ちのこもった感謝を受け取り、こちらも丁寧に応える。

 

「どういたしまして――」

 

 彼女の母親にも軽い会釈をしてから、踵を返して歩き出す。

 バス停の屋根を出ると、先ほどまで降っていた雪がいつの間にか止んでいることに気がついた。今朝の雪雲が過ぎ去った後の天気予報はなんだっただろう。分厚い雲の切れ間からは陽光と青空がのぞいて見えていた。

 

 

 

(そういえばあの子の名前、なんて言ったっけ……)

 

 

 




ここから、書き方を模索しながら執筆していきます。

よろしくお願いします。

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