空の長旅を終え、ルークたちは小高い丘の中腹にあるセフィロトの入り口を目指して歩いていた。
セフィロトはダアト式封呪に完璧に守られているので、それぞれの国はセフィロトに態々衛兵など置かずこの辺鄙な地に人の気配など無い。それをいいことに三人は、フードも被らず顔を晒し悠々と歩いていた。
「それにしても、アッシュたちまだダアトに居るのかよ」
「風の噂だがな。六神将全員が消えたなか、唯一生存が確認されているのが幸いしたな。お陰でダアトの様子が噂でも分かる」
六神将全員行方不明という大事件を抱えているダアト。今、大詠師モースはバチカルに行ってアクゼリュスが無事に崩落し、ルークとナタリアが死亡した旨を伝えに行ったのだろう。そしてここから戦争にするための手続きをするはずだが、イオンが一足先にダアトを陣取って導師の権限を最大限に使い戦争を回避していることなどまだ知らないはず。
戦争をするための手続きに時間が掛かるよう細工しているのだから、アッシュたちがダアトで足止めを喰らっているのは仕方の無いことだが、ルークにとって見ればもう少し早く動いて欲しいものである。
ルークの見たところ、アッシュとナタリアが国王に停戦を申し入れる時に乱入したほうが効率も良い。その方が魔王ローレライとして華々しく、そして激変を与える。
だが、ルークの経験則上ダアトでの厄介ごとが終れば、マルクトに行ってピオニー陛下に現状を伝えに行く可能性が高い。今は外郭大地が崩壊していないので特に急用として行くというよりは、ジェイドが生きているという生存報告と可能であれば協力申請か。
丁度、半月後くらいにはアッシュたちがバチカルに帰りインゴベルト陛下に停戦を申し入れるだろう。それに遅れないようにしてセフィロトの調整をしなければならないようだ。
ルークが頭の中でぐるぐると複雑な計算をしているとネビリムが、ダアト式封咒が解かれ、ぽっかりと開いた不自然な穴を指差した。
「あれよね? あの奥に二千年前の譜業と譜術の集大成があるのよね!」
「ネビリムは譜業と譜術に目が無いのか?」
子供のように目を輝かせるネビリムに、ルークは何が面白いのかと首を傾げる。
ネビリムは、興奮を抑えきれないのかいつもより声高に言った。
「元は譜術を研究してたんだけれども、もっと効率良く研究するなら譜業も必要でいつの間にか譜業にも目覚めてたのよ。貴方もこっちの世界に来ない?」
「一人生贄にやるんで勘弁してください」
押し売り販売のようにグイグイと譜業を押して来るネビリムの猛攻を回避するために、ルークは前の従者であったガイを思い浮かべながら打診する。ネビリムも譜業について語れるのならば同じく熱意を持った人がいいのでルークの提案に快く頷く。
その後ろでヴァンが妙に渋い表情で二人の会話を聞いていたがルークは、敢えて触れない事にした。ヴァンにとってみれば主君であるガイに関わることなので、ちょっと心配なのであろう。
何気ない会話をしているといつの間にかセフィロトの前に来ていた。
ルークは、先ず試しにヴァンからローレライの鍵を借りそれを掲げる。鍵に反応したのか、セフィロトはその音響のような形をした譜業の上に一つの譜陣を展開する。どうやら無事にセフィロトは反応してくれたようだ。
吹き上げてくる
ネビリムは好き勝手に行動しているので、ルークはヴァンに相談する事にした。
「やっぱりエラー出してるな。出力が全体的に低下してるって書いてある。それに耐久もそろそろ限界だってよ」
「アクゼリュスが崩壊すれば外郭大地は数十年しか保てないからな。これが人類全滅の一つ目の要因というわけだ。瘴気のこともある。あまり過剰にパッセージリングを稼動してしまえば外郭大地が汚染されかねんぞ」
「どうすっか。取り合えずツリーの出力は、問題が起きない程度強くしていいんだよな? まぁ、ヴァンがパッセージリングに細工して無いから切迫した状況じゃないみたいだしちょこちょこ調整すれば、問題なしか」
記憶の中では、この時期になるとヴァンがセフィロトツリーの出力を閉じてしまったせいで色んなところが崩落の危機が差し迫り忙しかったが、今回はヴァンはパッセージリングに触れていないのでゆとりを持った計画が出来そうだ。
外郭大地も後、十数年くらいは放置してもいいくらいか。だが既にセフィロト及びパッセージリングも耐久が限界近く放っておくのは心許ない。
ルークは持てる知識を総動員してシナリオを組み上げていく。
「ただ保たせるのは、惜しいな。時期を見計らってちょっと使うか」
「何を悪巧みしているんだ貴様?」
ルークの極悪人面に流石のヴァンもちょっと引く。
全人類を相手取っての茶番劇をするのだ。もちろん舞台を動かす装置も、世界規模でなければ観客は満足しない。そこでルークは、このパッセージリングという大地を支える大きな枝に目をつけた。
未来を想定し、人の心を惑わせる魔王の所業。それを可能にする一筋の希望をルークは発見したのだ。
世界にルークがローレライであると認識させ、預言が人類の死を強く願っているという嘘を人類に思い込ませる舞台装置。この作戦が成功すれば、計画の進行など恐ろしいほど簡単である。
「よし! そうと決まれば、小細工するぞ!」
「規模を考えると『小』で済むのか? というかルーク、なぜそんなに生き生きとしている」
「人を騙すのって愉快だと思わないかヴァン?」
いい笑顔のままルークは、古代イスパニア語でパッセージリングにコマンドを打ち込んでいく。その文面を目で追っていくヴァンの表情は、どんどん凍っていく。
「まさか本当に魔王にでもなるつもりか?」
「決まってるだろ。俺は魔王ローレライでアッシュは救世主だ。この作戦は、人類が預言を捨てるための大事なもんだからな。俺が星の記憶を叩き壊すのとは、関係性がないけど」
ヴァンは博打に近いルークの魔王としての登場劇が、本当に魔王として登場する舞台になってしまうことを悟った。
そして最後にルークがパッセージリングのコマンドを非表示にする。そして全てが終るとルークが譜業を調べているネビリムを呼ぶ。
「おーいネビリム! このパッセージリングの改造を手伝ってくれ!」
「調べるだけじゃなくて弄らせてくれるの! 良く分からないけど乗った!」
何をするか聞かずにネビリムは、改造に乗り出す。少々暴走気味のネビリムを落ち着かせながらルークは、手にしてあるローレライの鍵をネビリムに見せた。
「それじゃ、先ずはこの鍵で無いとパッセージリングを操作できないようにして欲しいな。もちろんユリア式封咒でも操作できないように」
「難しそうだけど、いいわよ。その為にはパッセージリングを隅々まで調べる必要性があるのだけど」
ネビリムのおねだりにルークは、困ったように笑いながら頷いた。
「分かったって。気が済むまで付き合うけど、半月までに終らせろよ?」
「それだけ時間があれば余裕ね。それじゃ、調べたらユリア式封咒を解体するところから始めないと」
ネビリムは譜術、譜業関連の膨大な知識を頼りに構想を練り上げていく。
「ルーク、ローレライの鍵を貸して。こっちで調べるから適当に寛いでていいわよ」
「へーい了解。それじゃ、持ってきた材料でなんか飯でも作るか」
ルークは丁度昼時になってきたので昼食を準備する事にした。
手際よくたまねぎの皮を剥いてみじん切りにしていくルークをヴァンは、不思議なものを見るような目で見る。
「あのルークが料理を作るとは、世の中分からんものだな」
そんなヴァンのぼやきを聞きながらルークはふと、考えた。
ヴァンから見ればルークは、ついこの間まで我侭し放題やりたい放題の貴族の坊ちゃんだったのだ。しかし今では、成人してどこか成熟した大人の雰囲気をたまに漂わせる掴めない男として再び目の前に現れた。あまりの豹変に普通の人であれば、信じる事など出来ないはず。
だがヴァンはそれを信じた。今のルークの中にある何かを見て、昔から接してきたルークの影を見たのだろう。
しかし、昔の仲間は今のルークを『ルーク』として認識してくれるだろうか。この外見では判断するのではなく、自身が保有するルークとしての因子を彼らは見つけてくれるのだろうか。
肉を切りながら想う考える。
もしかしたら、自分はこの世界の『ルーク』として見なされない事を恐れているのではないだろうか。いや、絶対に恐れている。なぜならば、ルークは今のルークとして昔の仲間として会うことを考えると、無意識に手が震えているからだ。
初めて対面した心の弱さを感じながらルークは、チャーハンを作り上げる。
出来は良い。食欲をそそる香りに、ルークは暗い思考をシャットアウトする。
「出来たぞー。ネビリムの作業中止して食べないか?」
「あら、いいわね。頂こうかしら」
ネビリムは、ルークのチャーハンを食べて美味しいという。
しかし、この味を作り上げたのは、まったく別のルークだ。この世界のルークは料理にそこまで触れていない。チャーハンなどこの世界のルークは、作ったことさえない。
一体、この世界のルークはどこに行ってしまったのだろう。
過ぎていく時間。ざわめきだす世界。
世界は、騒乱の予感に不安と恐怖を感じていた。帝国と王国の戦争は、一体世界をどこに導くのだろうか。
だが心配する事はない。預言があるのだから。
ユリアの預言がある限り、幸せが来るのだから。
それが、世界の総意であった。
その意を強く感じる場所があるとすれば、それはダアトだろう。どのよりも真摯にユリアを崇め預言を妄信し、未来に起こることを知り、未来の不安を払拭して未来の試練に向けて心を構える。そうすると、心にゆとりが生まれ穏やかに生きていけるというのがローレライ教団の教えであり、暴走しやすい人の弱さをコントロールする術である事を教団の上層部は知っていた。
しかしダアトの最高権力者、導師イオンは違う。
預言に縋り生きて行くことを否定し、預言とは人がより良く生きて行くための道具であるとする革命的な考え方を持っている。故に預言に読まれているからといって、戦争を起こさせるのではなくむしろ回避に専念する。
導師が行使できる権力を総動員して、イオンは書状を書き上げそれを二つの国に送る事にした。
キムラスカを牽制する書状に、マルクトへ協力を願う書状。特務師団師団長であり教団内で高位の階級をもっている詠師アッシュがいなければ権力はあれど立場の弱いイオンは大詠師派の人間に捕らえられていただろう。
アッシュが付いてきてくれたことを感謝しながらイオンは最後の手紙を書き上げる。
「これで、最後です。ようやく行動ができます。お待たせしてすみませんでした」
「いいえ。この処置は、我々が行動する際にとても重要ですからね。特に私がグランコクマに行く時、スムーズに済むでしょうから」
イオンの謝罪を聞きながらジェイドは、イオンが書いた手紙の最後に幼き時、ピオニーと決めた合言葉を綴る。ジェイドとピオニーしかしらない事柄ゆえ、信憑性は増す筈だ。
あとは、この手紙をマルクト帝国に送ればいい。そしてキムラスカへの書状にはナタリアのサインと、ナタリアと父であるインゴベルト六世陛下との思い出の一端を語った出来事が綴られていた。これも、陛下とナタリアしかしらない話である。
これで、時間は稼げる。娘が無事である可能性があるのだから、インゴベルトも不用意に戦争を起こそうとはしないだろう。期限ぎりぎりまで宣戦布告はないとまで楽観視して無いが、マルクトと協力関係を結べる時間は出来た。
「モースが何か仕出かさないとは限りません。早く陸路でグランコクマに行きますよ皆さん」
「しかし、モース不在でヴァンも六神将もいやしねぇ。これで権力が導師に一点集中だ。この期に停戦するぞ」
不気味なくらい順調である。だがアッシュは、急かす。その意見に誰も反論しないどころかむしろ賛成のようだ。
早くしなければ戦争が始まってしまうのは確かである。
「でも、まさか兄さんまで居ないなんて。それに教官たちも。一体どうしたのかしら。アッシュ何か貴方は知らないの?」
「……さぁな。俺が知るヴァンは、もっと狡猾でベルケンドに居たアイツは、まったくの別人だ。ローレライの鍵だとか言って見せびらかすような奴でもなければ、預言を妄信している奴でもない。不思議な気分だ。俺が見てきたヴァンは、消えたみたいで」
「そうですね。ヴァン謡将について気になるのも仕方ないですが、アッシュにも行方が見当付かないのであればここは、グランコクマに行く事を優先します」
実質、このパーティの中心であるジェイドの一声でその場の方針は決まり、一行はすぐさま行動を起こした。
イオンは手紙を専用の伝書鳩を使い、それぞれの国に送る。
「では、行きましょう。グランコクマに」
遅くなって申し訳ありません!
訳は、活動報告に書きます。