心地よい風が吹いているのは、フレイシア湾。俺はそこでハイシェラと共に、ヴィルトとの決闘の時間まで昼寝をしている。
俺は夢を見ている。ハッキリと鮮明なので現実と区別がつきにくいが、これは夢だと断言できる。なにせ目の前に、人間の方のフェミリンスがいるのだ。あいつはもう寿命で死んでいるはず。そもそも俺はあいつの子孫である姫神とも戦った。だから夢だと判断できた。
……これは、いつかまたフェミリンスの系譜と出会うという前兆か?
「ハイシェラ様にゼアノス様、刻限でございますよ」
「む、シュタイフェか。我は夢を……」
「お前もか……俺も夢を見た」
「夢? あたしとしたことが、悪い時に起こしちまいましたかねぇ」
ハイシェラが俺と同様に、何らかの夢を見たらしい。何を見たのかは知らないし、聞くつもりもないが。
フェミリンスの末裔らに会えるのを楽しみに思いながら、起こしに来たシュタイフェと見学する気満々のハイシェラを連れて、フレイシア湾の畔へ向かう。
迎えるのは決闘の相手ヴィルトと十数名の戦士。更にその背にある湾より、水竜らしき生き物。かつてセリカ達が戦っていた水竜よりは小さい。
勇者ヴィルトが、何かを懐から取り出した。俺の記憶が間違っていなければ、あれはかつてアムドシアスが見せてきた、インドリト王の形見の華美な指輪だ。それを媒介にして、ヴィルトにアムドシアスの力が宿っていくのを感じる。
……アムドシアスめ、あの指輪に自分の強化魔力を付与させたな。ハイシェラと戦わせる気だったからか? だがまあ、そのおかげで退屈はしなさそうだ。
「さあ、持てる力、全てを使って俺を倒してみろ」
「言われるまでもない。魔神ゼアノスよ、覚悟!」
その言葉を合図に、段々と進んでくる十数名の戦士達。その動きが落ち着いたところで、俺はゆっくりと立ち上がる。
「今更だが準備はいいな?」
「その余裕、すぐに後悔することになる。我らマーズテリアの力を甘く見るな!」
いいや、マーズテリアの強さはここにいる誰よりも、俺が一番良く知っているぞ。殺し合いをした仲だからな。甘く見たことなど、一度たりとてない。
「ロコパウル殿、よろしいですね?」
「ええ、こうなってはいたしかたありません……光に連なる偉大なる軍神、マーズテリアの戦士よ。凶悪なる魔神を下し、大いなる武勲を挙げよ!」
雑兵数人が、俺に向かって光の剣を構える。
どうでもいいけど、ヴィルトはマーズテリア勇者の名と称号は捨てたんだよな? それなら俺は全く構わないが……まあいい。
「行くぞ」
手に持つ双剣を、大きく振るう。それで発生した飛ぶ斬撃と風圧で、俺に近づいてきた数人が一斉に吹き飛ぶ。まるで嵐の中のゴミのように。それでも怯まずに突っ込んでくるその姿は、勇敢なのか蛮勇なのかいまいち区別がつかない。
祝福を受けた戦士や豪華な鎧の騎士が束になって斬りかかって来ても、二つの大剣を叩きつけたことで発する衝撃波で、何度でも吹き飛ばされる。魔術師が放ってくる魔術には、こちらも魔術で対抗。
「そら喰らえ! イオ=ルーン!」
純粋魔術の中でも比較的低威力だが、この程度の相手になら無問題。中範囲に爆発を起こし、攻撃してくる魔術師と、近くにいた戦士が倒れる。
「隙ありだ!」
魔術を使った後の俺の背後から、光剣で斬りかかって来る騎士。だが、
「それはどうかな? 速魔弾ルオナ!」
【速魔弾ルオナ】。一応これも純粋魔術に該当されるもので、無駄に長い詠唱を必要とせずに放てるのが特徴だ。現に俺も、後方へ手を翳して放っただけ。だがそれだけで、騎士は崩れ落ちる。
「はあ、つまらない。もっと強い奴はいないのか?」
あえて手加減もしているのに、誰も俺に近づけない。あっちは死ぬ気でもこっちは殺す気はない。誰一人として殺していないし。
「くっ……これが、魔神の力なのか……だが、民のために……姫のために……決して引くわけにはいかん!」
「ヴィルト殿! こうなってはやむを得ません……魔神に一打浴びせるため、私も助太刀を。聞けばこの魔神は凶腕の部下、魔神の中でも上位のはずです!」
「それはなりません。ロコパウル殿には戦いの結果を神殿に伝える責務が残っております。私は既にマーズテリアの意思に背いた身……後このことはお任せいたします」
「……心得ました」
ヴィルトとロコパウルの話が終わると、先程構えた剣をこちらに向ける。その目には、これだけの力の差を見せつけられたにも拘らず、敵意や戦意は全く衰えていない。伊達に酔狂で魔神相手に決闘を申し込んだわけではないようだ。
「他と比べて、それなりに楽しめそうだ」
「楽しむ間など与えるものか! 貴様は、命に代えても私が倒す!」
俺にそう言い放って水竜に跨り、持っている剣――神剣テウリナを振るう。俺はそれを避けずに、敢えて片方の剣で受け止める。同時に控えていた2人の騎士も、俺に剣を振り下ろす。
「残念、ほれ」
剣を持っていない左手を、握りこぶしから開く状態にする。すると、左手の中に溜まっていた魔力が解放され、衝撃が迸る。ヴィルトはそれをギリギリで避け、水竜のアクアブレスをしてくるが……俺には意味が無い。
「見よう見真似だが……円舞剣!」
セリカの使っていた剣技、飛燕剣。それの技の一つにこんなのがあった。遠目で見ていただけだから合っているかは微妙だが、かつてダークマターと戦わせた際に、船の上で直線状にいたダークマターを斬り刻んだ技だ。
その剣圧はアクブレスを切り裂き、ヴィルトと水竜にまで到達。手加減していたことと初めて使ったということが相まって、それは斬撃よりも打撃に近く、鎧が軽く凹むだけで済んだ。だがこれで、ヴィルトは満足に動けないだろう。
「がはっ! が、ぐっ……うぅっ、く……。おのれ、せめて、ひと……太刀……」
決闘だと、ヴィルトは最初に言った。この世界で魔神を相手に決闘するという事は、負ければその命を差し出すのと同じだ。いや、例え決闘ではなくとも魔神を相手に戦いを挑んだのなら、負け=死、だ。
俺はヴィルトの前まで歩き、剣を振り上げ、そして……
「ゼアノス様……お待ちを!」
俺とヴィルトの間に、シュミネリアが無謀にも割って入った。
「お待ちを……どうぞ、ご容赦ください……どうぞ……」
「姫っ、危険です……お下がりください!」
「いやよ、いや、下がらないわ……目の前で死んでゆくなんて……いや……」
「姫……私は決闘の最中です、お下がりを……ぐっ! げほっ、がほっ!」
「うっ……ううっ、いやよあなた……いやぁ……。ああああっ……」
人目を
飛び込んできたこの娘は……彼女は、王女。王女とは、高貴なる者。心の内を悟られまいと、今まで必死に耐えていたにも対し、夫が死ぬ間際になって耐えきれなくなったようだ。王女という仮面を投げ捨てて、一人の女として泣いている。
ふとハイシェラを見ると、目を瞑っている。どうやらこの判断は俺に任せるようだが、俺は敢えてハイシェラに声を掛けた。
「ハイシェラ。俺が戦っていたのはたしか、元勇者であり、王女の夫である男だよな?」
「……そうじゃが、それがどうかしたか?」
ハイシェラもそうだがここにいる全員、戦士も騎士も魔術師も神官も、そして目の前で泣いている王女と勇者も、俺の言いたいことが予想できないらしく、頭に疑問符を浮かせている。
「女の為に勇者の名を捨て、今度は一人の男の為に王女の威厳を捨てている女がいる。……俺が戦っていたのは、”誇り高い王女”を守ろうとしていた男だ。王女の威厳を捨て去るような、”脆弱な女”を守ろうとする男では、断じてない」
目前で抱き合っている男女は、片方は泣きながら。片方は傷だらけであっても、意思のある目でこちらを見ている。俺の言葉を聞きながら。どういう意味なのかを考えながら。
「遠回しに話すのは御主の悪い癖だの。つまりは何が言いたいのだ?」
「興醒めだ。こいつらは俺の剣の露になる資格すらない。お前が俺の立場なら、お前もそう思ったはずだ。違うか?」
「……ああ、そうだの。実際に我も同じく、興醒めしたところよ」
「魔神ゼアノス……魔神、ハイシェラ……」
俺とハイシェラの名を口にしている、元勇者。俺はそいつと、そいつに抱きついている女にも向けて言い放つ。
「ヴィルト、だったな。その鬱陶しい女を連れて、さっさと消え失せろ」
「あ、あ…ありがとうございます……」
「くっ……かたじけない」
再び泣き出したシュミネリアを抱きながら、俺達に一度頭を下げ、視界から消えて行った。それから数年後。イソラ王国は大きい復旧を実現させるが、それはまだ遠い未来で、俺もまだ知らないこと。
「それでロコパウル、どうする。魔神である俺らを前にして撤退となれば、責めを受けるだろう」
「マーズテリアはいたずらに戦火の拡大を望んではおりません。二人が無事助かったのであれば」
ロコパウルはそこで口と目を閉じ、しっかりと目を二柱の魔神に向けて、言葉を発した。
「いいえ、民の願いを受け、姫奪還を果たしたのです。私の役目は終えたも同じ」
「正直ではない男よ」
いつの間にか近くに来ていたハイシェラが、顔をにやけながらロコパウルにそう言った。
だがすぐに振り返り、参謀に向き合う。
「シュタイフェ! 次の目標が定まった! 次に向かうはオメール山に封じられていた遺跡! その全てを暴いて見せようぞ!」
それに呼応し、控えていた兵から歓声が上がった。どうにも魔族とやらは、こういうノリが好きであるらしい。……人間と何も変わらない気がする。
「シュタイフェ、まずは宴よ。華鏡の畔で兵を労い、今しばらく飲み明かそうぞ。我もオメールに向かう。兵はターペ=エトフで万全の準備を整えよ」
「ハイシェラ様、もしやお一人オメールに向かうのですかい!?」
驚くシュタイフェに、ハイシェラは笑った。その際に何か見つけたらしく、足元から何かを拾う。あれは……アムドシアスがシュミネリア経由でヴィルトに渡した、インドリト王の指輪だ。もう既に効果はないだろうが……俺が貰うか。
「ハイシェラ、それくれ」
「む、これか? 良いぞ、我にとってはガラクタよ。それとゼアノス、アムドシアスをオメールへ連れて行く。御主も来るか?」
当然力を貸すであろう? という視線をハイシェラがアムドシアスに向ける。そんな視線に、彼女は小さく舌打ちした。俺にも行くかどうか聞いてくるが、拒否しておく。あそこは何か、嫌な予感がする。
「このハイシェラが遺跡の仕掛け程度に手を煩わすと思ってか。貴様は黙って眠っておれ」
「突然どうした。……セリカ・シルフィル、か?」
何の前触れもなく呟いたハイシェラに、俺は詰め寄る。
「ああ、先から胸の奥で、チリチリと痛むものがある。まるであやつが遺跡に近づくなと、警告しているようでな。何を心配しているのやら」
特に気にしないように振る舞っているハイシェラだが、俺はかなり気にしていた。オメールの遺跡には、何か重大なものがあった。この時期に関しての知識はもう無いから、少し不安だ。しかし……そういえば……
「遺跡といえば、五十年以上前だったな。ラヴィーネを復活させたのは」
最近は全然会ってないな……セリカがアストライアの身体を取り戻したら、会いに行くか。それがいつなのかは、全く覚えてないけどな。
そしてそんな俺と勇者ヴィルトの、決闘とはとても呼べなさそうな戦いの後日。
俺達はアムドシアスの拠点だった
さらにその宴会の終わった翌日の朝。つまり今なのだが、ハイシェラはアムドシアスを連れ、オメール山の遺跡へ向かった。俺は付いていかなかったものの、興味がない訳ではない。ばれないようにコッソリと尾行……しようと思ったのだが、遺跡の内部は狭いが隠れる場所が無く、しょうがないので外で待つことにした。
そして、二人を待つこと数時間が経った頃だった。遺跡から、とてつもない魔力と光が噴出したのは。