ナーガ族の棲む地、名はニアクール。
あそこでハイシェラと戦い、途中で邪魔をされたあの日から数日が経過した。現在俺が向かっているのは、セリカが住んでおり、前にも拠点にしていたマクルの街だ。もちろん宿なんかは使ってない。使おうものならすぐにばれる。
この街は何事もなく、暇で平和な時間……とは言い難い雰囲気になっていて、所々から邪気が感じられる。この街にあるバリハルト神殿の戦士たちは、大体がもう邪気に侵されている。汚れた神器……汚れたアイドスの神核が、神殿に置いてあるせいだろう。
セリカから感じたアイドスの気配。あれは、セリカが神殿に封じられていたアイドスの神核を触ったから、その気配が残っていたのだろう。
その神器を盗りたいのは山々なんだが、ここで神殿に侵入すると現神との約束を破ることになる。いや、危害を加えるつもりはないのだが、前の悪戯と違って、これにどんなイチャモンを付けられるかわかったもんじゃない。
もしそうなっても最悪殺せばいいのだが……止めとこう。戦争が起きそうだ。信仰が増えて力を増した現神と、戦力が整っていない俺。負けはしないと思うが、勝てるとも限らない。
なので今はいつもと同じく、姿を消して空中にフワフワと浮きながら街を観察している。
そして、今日は変化があった。どこからともなく、異常なほどに膨大な数の魔物が、街に侵入してきたのだ。他にもスティンルーラ人という、蛮族と呼ばれている人種も攻めに来ている。
気付かない者も多々いたが、どんどん進行してくる魔物に襲われていった。次第にバリハルトの神官戦士らが、魔物討伐のために出動してくる。
魔物の目的は考えるまでもなく、神器だろう。
かつてアイドスと隔離させた、“得体の知れないモノ”の気配を感じる。あいつの身体には、もうアイドスはいない。なのに何故神核を狙うのか。そんな疑問はあるが、しばらくは様子見といこうか。呼ばれていないので、セリカたちを助ける義務は無いのだし。
たまに、邪気に穢された鳥娘が襲ってきた。空を飛べるので、空中にいる俺を標的にしたのだろう。しかしその目に正気は無く、狂気によって彩られていた。
ともかくこんな雑魚に怪我させられるほど弱くないので、殺気を込めた一睨み。それだけで魔物は精気を失い、地面に落ちて朽ちていく。
そして気付く。混乱の
その者に、気の触れた魔物が近づく。だが触りもしない内に、たちまち塵と化した。
「こやつら……どうにも腑に落ちぬ。あふれる狂気と殺気……だが何かが足りぬ。これは我の求める戦と云えぬ」
そう言っている、俺の視界に入っている者は、魔神ハイシェラ。
「狂気や殺気は憎悪の泉より湧き出るものじゃ。その泉が枯渇している」
ハイシェラはこの魔物どもがお気に召さないらしい。どうにも納得がいかないかのように、肩をすくめた。
「……そして御主、そこで何をしている。傍観とは趣味が悪いぞ」
俺のいる方向を見ていることから、俺がいることは既にわかっていたのだろう。
こいつ相手に隠れても意味ないし、そろそろ降りるか。
「そうか? 第三者の位置にいると、結構面白いぞ」
「我はそうは思わぬがな」
「あっそ。……それでどうする? あの時の続きでもするか?」
「……何とも魅力的だが、今は戦を愉しみに来たのではない」
そこまで言い、神殿に目を向けた。こいつの狙いもあの神器か。今のあれは邪悪な力の塊だからな。ハイシェラの求める力そのものだろう。
そう結論付け、溜息を吐こうとしたその時。
不意に、空気が変わった。
「……ハイシェラ」
「わかっておる。……我らの足を止める、か?」
ハイシェラはそれまで抜くそぶりさえ見せなかった剣を構え、不穏な気配に注意を払う。それに乗じて、俺もまた剣を出した。
聞こえてくるのは、死人のように死肉を貪る咀嚼音のような音。しかし、何かが違う。
「精気を食らう妖鬼か、それとも死霊か。面白い、相手をしてくれよう!」
先ほど俺と戦うのは止めたくせに、今度は戦う気満々だ。未知なる敵だからか?
咀嚼が止み、重いものを引きずる音を立てながら影が……
「ハッ!」
電光一閃の斬撃が影を切り裂く。
それでもアレは死ぬどころか、怯むそぶりさえ見せない。
「ほぅ、死なぬか……むっ!」
大きくハイシェラが飛びぬくと同時に、彼女が立っていた石畳が微塵に砕け散った。
影から何十本もの触手が鋭く放たれたのだ。次々と迫る触手を切り裂きながら、女魔神は口元を歪める。
魔神の攻撃をまともに受けて、それでも死なぬ異質な存在。それに悦んでいるのだろう。
冷静に観察している俺ではあるが、敵は当たり前のように俺にも攻撃してきている。だがそれでもまだ余裕だ。
俺も参戦しようと武器を構える……が、そこでハイシェラに睨まれた。どうやら、手を出すなと言いたいらしい。一対一で戦いたいようだ。俺は素直に後ろに退く。
「貴様は違うな、憎悪の泉に満ちている……そこが見えぬほど深いぞ!」
今まで相手にしてきた魔物とは違い、憎悪を隠すことなく放ってくる邪悪の塊。
その影もまた双眸を爛々と光らせ、狂気と貪欲さをたたえて俺たち二柱の魔神を見据える。でも俺はもう戦わんぞ。
「斬っても死なぬなら——」
ハイシェラは迫りくる触手を切り裂き、空いている左手に魔力を込めた。
「灰燼に帰せ!」
放たれた魔力により街の一角に閃光が迸り、影と周囲の魔物らを巻き添えにしながら燃え上がった。しかし……
「しぶといの……」
影の身体も沸騰して一部が蒸発した。打撃は受けている……が、損傷はたちまち再生する。貪欲な眼光は衰えず、さらに輝きが増す。強い渇望を示すように……。
その影の身体から――反撃とばかりに千に及ぶ触手が放たれた。……俺の方にも。
「ちっ……!」
「舌打ちしたいのはこっちだ……」
何故に巻き込まれなければならない。俺が未だにここにいるからか?
剣と魔力で一息に薙ぎ払う。
その隙を突き、一本の影の触手がハイシェラに向かって飛び出し、腕に巻き付いた。
前に俺もあの攻撃を受けたことがある。ハイシェラは今、様々な感情が湧きあがり、そして脱力していっているはずだ。
「させぬ!」
それに気付いたらしく、即座に斬り捨てた。自分の中に異変があったのだろう。
「わかったぞ、魔物どもに何が欠けているのか。……貴様が喰ろうたな。感情の泉……“心”を!」
心を喰らい、自分の憎悪を増加させる。それがどれほどの恐ろしい事なのか、想像するのは簡単だ。だがそんなものがいるとは、魔神からしても思いたくないだろう。
「我を恐れず、吸い尽くさんとする貪欲さ。いい度胸よ。褒美を取らせてやろう。……今度は再生もできぬほどの力を!」
そう言って、やつは空高く飛翔した。触手がすぐさま後を追い、足を捕らえようとするが届かない。というかジャンプで普通そこまで行くか? 飛び過ぎだ。
「永劫なる時の牢獄、暗黒と破滅、混沌より死滅を繰り返し、微塵に砕く無に帰せ」
とてつもない魔術を使おうとしているのか、詠唱と共に全身に力が張っていく
「――数多の素より、那由多に砕かん!」
一瞬にして闇が訪れ、光が弾けた。
地は震え亀裂が走り、空は水精を招いて雨をもたらし始めた。
「ふんっ。消え失せたか。魔力はともあれ、ただならぬ存在感。魔神と同格……それとも……?」
ハイシェラは鼻で笑うが、わかっているのだろう。『死』んではいないということが。
「神器を狙えば、また相対するであろうな。いずれ正体も知るであろうが……ふふっ、しばらく見物に回るのも一興か。ゼアノス、御主の趣味も中々に面白そうだ」
「……何やら心境の変化でもあったのか?」
「そうではない。だが直感が告げている。待てば、神器など遥かに上回る力が得られるかもしれぬ、と。……起きる。後の世に語り継がれ、世界を揺るがす何かが」
「前者のことは知らん。だが……後者に関しては同意見だ。必ず、何かが起きる」
というよりは、これから何が起きるのか知っている。全てではなく、断片的にしか思い出せないが、後の世に語り継がれるというのは……“神殺し”の事だろう。
「また会おう。その時こそ、御主を我が糧にしてやる」
「やれるものなら、な」
互いに一瞥し合い、同時に姿を消した。
案外、次に会うのも遠くはないだろうなと思いながら。
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魔物や蛮族が侵攻して暴れまわると言う騒動が、つい先ほど終結した。
街の中から、魔物がいなくなっている。バリハルトの戦士たちが頑張ったのだろうが、俺とハイシェラが殺した魔物の方が多い気がする。俺、途中から参戦したからな。
このままでいても、何も情報が入ってこない。魔物がいないので、戦う相手もいない。
非常に暇でつまらない時間が過ぎていくのはうんざりなので、少しスリルのあることを実行することにした。うん、バリハルト神殿に侵入してやる。
姿と気配、魔力を完全に隠せば問題ないだろう。『腕』の能力を惜しみなく使用。減るもんじゃないし。
内部に入ると、様々な情報が飛び交っていた。神殿内部に魔神がいるなんて、普通は思わない。だから隠す必要が無いから、うようよしているだけで勝手に知ることが出来る。
しっかし、神殿も馬鹿だよね。というかこう言っちゃ悪いけど、現神の信仰者が馬鹿なのか? 現神はほとんどが馬鹿だけど。
話を聞く限り、神器が盗まれたらしい。結界はちゃんと張っていたが、破壊されたのではなく順序良く解除され、しかも早いうちに結界が張り直されたので、気付かなかったのだとか。そこは別に馬鹿だとか言う気はない。そう手際よく盗まれては、気付くのも難しいだろう。
だが俺が呆れたのはその次だ。犯人の候補が、怪しい動きをしていたサティアだと言うのだ。神殿側は彼女のことを古神の、すなわち邪神の信徒だと思い込んでいる。実際はその古神そのものだが、そこは置いておく。
邪神の信徒だから神器を盗み出したと疑われているのだが……理解不能だ。邪神の信徒だと言うなら、どうやって解除したんだよ。
まあそう聞いても多分『誰かを操った』、もしくは『解除方法を知っている』的な事しか言わないだろうけどさ、何で容疑者に俺やハイシェラといった魔神が入ってないのかね? そこが最大の疑問。セリカはともかくとして、ダルノスやカヤは襲われかけたというのに。
次に、何で身内を疑わないのかと。”解除”されたってことは、仲間内の誰かが持ち出したって可能性もある訳だ。それを考えないってのは……混乱してるし、しょうがないと言えばしょうがないのかね?
とにかく、サティアは神殿に追われている。とは言え彼女は古神だから、人間では歯が立たないだろう。神格者がいたとしても、一人だけでは無理だ。信仰が無くなって弱体化した今でも、神に変わりはないのだから。そういうことで、心配はしていない。
……あぁ、そういえばあいつって、古神だと気付かれない様に自分の力を封印しているんだったっけ?
……大丈夫かな? ……うん、大丈夫だろ。
街は混乱及び一日中続いた戦闘。さらにはハイシェラの放った魔術のせいで、魔力の流れが不安定だった。だがそれがついさっき、明け方にようやく安定し始め、神殿はサティアの行方を【遠見の鏡】とかいうもので探っていた。そして浮かんだ場所は、蛮神の街道とかいう場所らしい。行ったことが無いので、詳しくは知らない。
適当に歩いていると、セリカが見えた。随分と疲れているように見える。
自分の愛する恋人が疑われていると知ったら、ああなるのも当然かもな。事実、彼女は犯人ではないのだし。
……立場的に、古神の彼女は現神の下僕であるセリカの敵になってしまう。でもそれは、セリカにとって関係ないだろう。まだ知らないから、というのはあるが、彼女が古神だと知っても、愛し続けるだろうと簡単に予想できる。
サティアの居場所を知ったセリカは、単身でその場に向かうことを決意した。最悪、神殿から目を付けられることになる。そんな事がわからないほど、子供ではないだろう。全部わかっているはずだ。
強烈なほどの邪気を放つ”ウツロノウツワ”。それは今、サティアではなく、そのサティアを追う人間の誰かが持っている。人間の集団から“ウツワ”の気配がするのはそのせいだな。
俺がここにいても、何も良いことが無い。だからセリカに付いていくことにした。消えたままなので、セリカは俺のことに気付いてないが。
……ストーカーとか言うなよ?