第六十話
季節の移り変わりを何によって感じるかは人それぞれだ。
もう半年以上の俺の場合は、朝倉さんの私服姿が最も解りやすかった。
大体からして長門さんや冷血宇宙動物周防九曜の方がおかしいのだ。
君たちはきっと二人とも制服を戦闘服か何かと勘違いしているだろ?
宇宙人の繋がりにしても、さすがに朝倉さんは格が違った。これで勝つる。
外見で言えばあの二人も高レベルだが、朝倉さんは谷口にAA+と評されるほどなのだ。
つまり、何だかんだ言ったところで何を着ようと同じなのだ。
朝倉さんという素材に服が負けてしまうのだから。
そんな春先のある日、陽射しがやけに気持ちいい。
恐らくそれは俺にとっての数少ない安らぎの朝倉さんと一緒だからだ。
もうこの部屋に行かない方が苦痛になりつつある。末期ではないか。
思わなくても見とれてしまう。
「照れるわよ……」
「事実さ」
「もう」
こんな事を言いたくなるぐらいにはすっかり暖かくなっていた。
三月も明日には終わりであり、春であった。
「そういや、朝倉さんに最初に話しかけられた時はキョンについて訊かれたんだっけ」
「ええ。でもまさかあなたと付き合うだなんて思ってなかったわよ」
「さてオレはどうだったかな……」
思えば俺は自分が持っていた原作の知識に対し、目標線が早期の段階で完了するものであった。
SOS団に所属するにしても俺は基本我関せずのスタンスで居るべきだったのだ。
どうにも俺はバリバリの武闘派と勘違いされている気がする。古泉とキョンに。野郎。
あの時俺がどう考えていたかはさておいて、やっぱり心の真底には朝倉さんへの思いがあったのだ。
それに関しては俺は忘れちゃいなかった。俺の"友人"を自称する、あいつはさておき。
結局あいつは全部を俺に話さなかった……いや、その権利だけを俺に寄こしたらしい。
俺の携帯にはとある番号が登録されている。一回だけ、あいつに電話が繋がるのだと言う。
だが不要だ。本当に俺の友人かも怪しい奴をどこまで信用できるんだ?
あいつは俺の味方とは限らない。いいや、俺からすれば立派な敵であった。
「まだまだわからないことだらけだわ。異世界人もそうよ」
「それって、オレの事かな」
「他に誰が居るのよ」
「いいや、どうなんだろうね」
――そう、キョンの言う通りだったのだ。
友人でも何でも勝手に思い込むのはいいけど、人を利用する奴と友達になった覚えはない。
絶交だ。そもそも交流した覚えすらないんだからしょうがない。俺は敵で構わん。
だがしかし、一つだけわかった事はあった。
「"異世界人"。……違うさ、オレは"異世界屋"だ。どうやらこちらの勘違いだったらしい」
「……その女の言う事を本当に信じるの?」
「でも理には適っているんだ。真の異世界人は、あっちだったのさ」
「私には何でもいいわよ。明智君が居れば」
きっと彼女はそう思ってくれてる。本当に心から。
俺だってついこの前まではそう思っていた。
今でも朝倉さんが大切なのは変わりない。どんな奴が俺の前に現れようと。
ただ。
「オレは嬉しいけどさ、そんな考えはお互いよそう。何かの価値を否定しちゃいけない。批判はしていいさ」
「この歳の私に愚痴りなさいって言うのかしら」
その結果として未来の朝倉さん(大)は人格破綻者一歩手前と化していたのだろうか。
今から悪影響は与えられないな。いや、本当にアニメや漫画は認めないですよ。
それこそ【トムとジェリー】ぐらいがいい……と思ったところであれはあれで悪影響を与えそうだ。
カートゥーンは全般的に駄目だな。何がいいかね。
「とにかく、あいつ……"佐藤"の目的は未だに不明さ。説明の場を設けるとは言ってたけど、期待しちゃいないよ」
俺があいつの名前を訊いた時には「佐藤、とでも呼ぶがいいでしょう」とか言い出した。
だから元ジェイこと謎の女を俺は佐藤と呼ぶことにした。
顔を隠していた以上性別はある程度度外視していたが、本当に女の方だったとは。
そして佐藤なんてどう考えても偽名じゃあないか。
いかにもありふれた名前で、名乗った彼女は本気の態度でもなかった。
しかし"ジョン・スミス"とか"ジェーン・スミス"とか、何かそんな映画があった気がする。
と、佐藤を名乗る女について思考していると朝倉さんはむすっとした態度で。
「もっと私の事を考えなさいよ」
「いつも考えているさ。だからあいつをどうにかする必要がある。きっと」
「……本当に、どこにも行かないわよね?」
「約束した。オレは異世界屋。朝倉さんはクライアントじゃあないよ」
「……うん」
そうさ。
この世界の何より大切だ。
でもそれは、他の全てが無価値ではないんだ。
優先順位ってほどでもない。ただ満足するために必要な度合い。
この前……と言っても数週間も前の話ではない。
あいつは、佐藤は俺にこう言った。
「浅野君は、正確には異世界人じゃない。定義にもよるけどそのまま世界を移動したという点では、私が正真正銘の異世界人」
「何が言いたい。そして、オレの名前はもう"浅野"じゃあない。何故君がその名を知っているかは知らないけど、オレはこの世界で死ぬと決めた」
すると彼女は愉快そうに笑ってから。
「フフフ。だから浅野君は異世界人じゃないのよ。立派なこの世界の人間……いいえ、"明智黎"となった」
「おい、君は一体……オレの何を知っているんだ……? 答えろ。答えてみせろよ。オレが納得できる回答で」
「その覚悟があるなら、その電話番号に電話しなさいな。ただ、後悔しないことね」
「オレが、何を後悔するって」
「真実は時に残酷。私は規定事項に縛られるしかない。でも、浅野君は違うわ」
最早俺はこいつへの突っ込みを諦める事にした。
浅野、そして"皇帝"。確かに俺の過去を何故か知っているようだ。
それでも俺の友人を自称するこの女を俺が信用しない理由は一つだけある。
それは微かな違和感だったが、徐々に確かなものへと変化していった。
"これ"がきっと俺の、佐藤に対する"切り札"となるかもしれない。
だが、使うのは今日ではない。
「違うだって? 何が」
「おしゃべりはここまで。続きは今度。それか電話してね――」
「お、おい! 全部話せよ」
佐藤は踵を返し、立ち去ろうとした。
だがふと歩みを止めて、最後に。
「――浅野君は"異世界人(スライダー)"じゃない、"精神異常者(トリッパー)"。……だから、明智黎が必要だった…」
いつも通り、言いたいことだけ言って次の瞬間には消えていた。
トリッパー。
いいや、まるでスキッツォイド・マン。
俺は、あの未来人が言った通りに、異世界屋らしい。
と、ここまでは今回の話の前提だ。
とりあえずは近況から話そう。
……もう四月さ。
そして四月に入ったと言う事は即ち、高校生として二年生を無事に向かえた事に他ならない。
つまり入学式と、新入生が入ってくる。
「春だな」
「4点。もっと捻れよ」
「他に言いようがないだろ」
中庭の片隅で俺たちSOS団は集まっている。
一応だけど目的はあるのさ。
「期待してないからいいよ」
「僕には疑いのないまでの春模様に思えます。暦の上でいつからかはさておき、この日が春そのものを体現していると思えるくらいにね」
「キョンよりは点数高くつけてもいいぜ」
「恐縮です」
「はっ。わかりにくい言葉が好きな変態同士仲良くやってくれ」
どうしても野郎で絡めたがるのかお前は。
生憎と俺はノーマルだ。将来的に結婚する可能性が高いらしい彼女だって居る。
「しかしながら僕たちも高校二年生です。これをどう受け止めるべきでしょうかね」
「どうもこうもあるか、来ちまったもんは仕方ない。俺からすれば"やっと"だがな」
「はいはいはいはい。オレの台詞を奪うんじゃあない」
「交換するか? こっちもそれなりに便利だな」
「オレのは立派な精神攻撃として通用するんだよ。『どうもこうもない』は否定の呪文だからね」
「そうかい。俺にとってはどうでもいいさ。好きなもんを口癖にしてくれ」
眼の前に広がる一年坊の群れと言う群れ。
谷口ならツバでも付けておきそうだが、彼の近況など知りたくもない。
この前聞いたところではやっぱり周防の家を知らないみたいだしな。
どうせ橋の下だ。いっそのこと氾濫が起きて流されてしまえ。オホーツク海まで。
「……それにしても、慣れたもんだな俺も」
「毎朝の山登りがか? この前も聞いたぞ」
「違う。お前の死んだじーさんとやらの話を持ち出すな山オタク。俺が言いたいのはこの集まりに、だ」
いつ俺が登山家になったのだろうか。
ここまで言われると逆に興味が湧いてくる。
でも暫くは本当に関わりたくない。
山は登るもんじゃあない、眺めるもんさ。
「あなたが言うのは"集まる"という行為自体にでしょうか」
「で、結果として色んなゴタゴタに巻き込まれてるんだぜ。一年前の俺は予想できたか? いや、出来ないだろうよ」
「ここまでキョンは口が達者なのにどうして国語系科目が弱いんだ? いや、何が弱いんだろうな」
俺がそう言うと恨めしそうに睨まれた。
それはいいが、幽霊はこの前出なかったぜ。
死んでから『うらめしや』は好きなだけするといいさ。
「明智、部室へ行っていいぞ。まだ朝倉は居るだろうさ。そして一年生どもに見せつけてやれ、今日は許そう。……だから失せろ」
「やれやれ、これは手厳しいね」
仮にも友人同士の会話か、これは。
とりあえず一年生の顔色を窺ってくるとしよう。
彼ら彼女らは俺の事なんかまさか知ってるはずないんだから。
他の部活連中の冷やかしも悪くない。
そう、放課後の今、新入生歓迎会なる催しが行われていた。
さて、重ねて言うがあの佐藤と名乗る女について俺はまったく覚えていない。
顔も知らない、声も耳にした覚えがない。一方的な言いがかりでしかなかった。
だいたい、あんな美人さんと知り合いで、"友人"?
嘘つけ。俺はキョンじゃあないんだぞ。
彼女だって言われた方が信用出来る。そんな知り合いは居なかったが。
しっかし、"鈍感系主人公"なんてやり尽くされただろ。
仮に知り合いだったなら手を出さなかったのが不思議だよ。
今となってはあの女の数百倍は美しい朝倉さんが居るので比較できないさ。
それでもただの友人で済むわけがない。絶対キスぐらいしてるだろ。
つまり、佐藤の発言が出任せだと言う方が信用できるのさ。
「だって知らないんだから」
「……」
「オレも曲りなりに文芸部員だ。定位置につくよ」
「……」
"文芸部"とだけ書かれた紙を一枚貼り付けた机、その後ろの椅子に座る。
隣に座る部長こと長門さんは流石に本を読んでいない。何を考えているかは不明だが。
キョンと古泉はこの文芸部用のスペースからやや離れた場所に突っ立っていた。
残る女子三名は部室で勧誘のための道具やら準備やらと、人材を確保する気らしかった。
何の人材かと言われればやはりSOS団になってしまう。……誰か増えるのか?
とにかく文芸部目当てで来る学生に対してどうするか。
「それが問題」
「オレはシェイクスピアが好きじゃあない。【恋に落ちたシェイクスピア】は面白かったんだけどね……」
「……本?」
「映画さ」
「そう」
つまり彼の作品が俺には合わなかっただけさ。
なまじ人間同士だから見てられない。
カフカの【変身】ぐらいブラックならいいのに。
そう言えばこれはついでの報告となる。
二年生のクラスだが一年生時のそれと大差なかった。
知らない顔ぶれが多少シャッフルされた程度。
担任はまた岡部先生な上に、五組という数字さえ同じだ。
「これも"因果"なのか?」
「……」
サングラスでもかけるとしよう。
会長に何か言われたら外せばいいさ。
とか何とか思っていると本当にやってきた。
その横には書記である喜緑さんを従え。
「明智くん。キミは私に無駄な発言をさせたいのかね」
「アイマスク替わり……って事にはなりませんかね」
「キミのそれがいい趣味をしているとは思うが生徒会の立場の問題でね。直ちに外したまえ」
「ウィッス」
俺のこれは目つきの悪さで一年生が逃れる事を嫌っての行為なんだがな。
しかし、サングラスを掛けていてもビビる人はビビるよな。
でもスポーツ用だよ? ……文芸部には関係ないか。
「喜緑さん」
「はい?」
「次は長門さんも交えてバンドをやりたいんですが」
「検討しておきましょう」
「フッ。文化祭などまだまだ先の話だろう。キミは成績が悪くはないようだが、浮かれてもう一人みたいになるなよ。もちろんそこの部長も」
「……」
「善処しときますよ」
キョンの事か。
あいつはさっき俺にダメージを与えられたから許してやって下さいよ。
俺がそう言うと会長殿と喜緑さんはキョンと古泉のところへ向かっていく。
ともすれば朝倉さんがこっちにやってきた。
「涼宮さんはチャイナ服をお召しになるそうよ」
「え、朝比奈さんじゃなくて?」
「どういう風の吹き回しかしらね」
「……あの日の事が多分影響してるさ」
「春休み最終日のフリーマーケットの事かしら」
まさかその待ち合わせの時にキョンが、あの人と遭遇していたとはね。
話の内容なんか俺は忘れている。だから、本当に驚いたさ。
まず、佐藤の介入を疑ったね。次にあの周防九曜。
「彼女が情緒不安定かは知らないけど、この前古泉が閉鎖空間の頻度が増えたと言っていた。あの日以降だってさ」
「旧友との再会だけで、難儀してるわね」
「それはオレもさ」
「私はもう大丈夫よ。あなたはきっと、何があっても私のところへ戻ってくるもの」
「根拠はあるさ」
……何やら向こうが騒がしいと思えば案の定会長殿と団長殿が衝突しかけていた。
涼宮さんの格好についてだろうさ。彼女が持つ文芸部のプラカードは、本当に文芸部以外は書かれていない。
「というか立場的に朝倉さんは止めるべきなんだよね」
「あら、何でかしら?」
「何でって……」
あなたは優等生で、それもクラス委員長でしょう。
いくらSOS団で無茶をしようと朝倉さんはクラスでの評価が高い。
第一にその無茶を誰も知らないのだ。SOS団内でも一部しか知らないし。
そんな朝倉さんが何故かSOS団に入っている、俺のせいにそれもされている。
ようは彼女の評価が高いほどに、俺の悪名は高くなっていく。
いいや逆だ、俺が悪いから朝倉さんが善いみたいな風潮。
理不尽。
「……おかしいだろ、常識的に考えてさ」
「私のチャイナ服が見たいのかしら?」
「今度頼むよ」
「ふふっ」
俺は、異世界屋としての器量など大して高くなさそうだった