はたして古泉の"出没"という表現はどうなのだろうか。
いや、不審者や熊が出たならそれでいいさ。文句は無い。
けれど"仮面ライダー"はお子様にとってのヒーローだ。せめて"登場"だろ。
しかし昼間の往来に、そんな奴が居たら一番先に疑うのは自分の目だろう。
「な、何だって……?」
「報告によれば、普通に道路を歩いていたそうです」
「撮影じゃあないのか」
「そう思い、調べたのですが昨日この町でロケハンや撮影を行ったという情報はありませんでした」
『機関』は無駄な事に力を使わないでくれ。
他にするべき事があるんじゃあないのか?
とにかく俺は知らない方向で行く。
「きっ、とコスプレだよ」
「僕もそう考えました。しかしながらそのエージェントが声をかけようと後を追ったが、見失ったと」
「どこで……?」
「人通りの少ない、住宅街の曲り道ですよ。尾行が失敗したという訳です」
「家に帰ったんだよ」
「だとしても、家に入る姿すら見せずにとはいかないでしょう。一軒家ばかりです。恐らくただ者ではありません」
「マジか……」
「何か恐ろしい事の、前触れじゃなければいいのですが」
真剣に悩んでいる古泉を見ていると何だか申し訳なくなってくる。
朝倉さんは何も気にせず小説を読んでいる。チープなSFものだ。
宇宙から殺人スライムがやってくるという内容だったはずだ。
「……」
「困ったものです」
「うん」
「明智くん、朝倉さん。お茶が入りましたよ」
机にことりと湯呑が置かれる。
この話の流れでお察しいただけたと思うが、涼宮さんは居ない。
早目に来たとしてもキョンが居ないからモチベーションが上がらないと言うわけだ。
そんな事より、俺は今の話でちょっと焦燥感に駆られた。
「朝比奈さんありがとうございます。オレ、頂く前にちょっとトイレ行ってきます。いやあ、スッキリしておきたいと言いますか」
「あら? あなたそんな事気にする人だったかしら」
「こういうケースもあるんだ」
その原因は朝倉さん、未来のあなた自身なのです。
男子トイレの個室、その一番奥。
秒で鍵をすると、壁に手を当てて"入口"を設置した。
言うまでもない。不法占拠されているあの部屋だ。
携帯電話という手段もあったのだが、俺はそんな事は選択肢にすらなかった。
「……あら?」
テレビを見ながらだらだらとソファに寝そべっている朝倉さん(大)。
いや、セクシーではあるが、それどころではない。
白いシャツとスカートタイプの黒のレザーパンツ。
その恰好で外で出たら間違いなく寒い。
「どうしたのかしら?」
「どうもこうもあるんだよ、聞きたい? いや、答えは聞いてないけど」
「質問に質問で返しちゃ駄目よ」
「駄目なのはそっちだよ。何だよ、古泉が言ってたよ。『機関』のエージェントに狙われていたって」
「ぷっ。……その言葉、携帯電話で聞きたかったわね。最後に切る時言いたかったのよ、エル・プサイ・コ――」
「……」
「――冗談よ。上手く撒いたからいいじゃない」
いいや冗談じゃない。
だいたいからして可笑しいのだ。
待て。
「まさか食材の買い出しも……?」
「な訳よ。ちゃんと変装してるわ」
と言うと彼女は変化した。
顔つき、目つきは鋭く、髪の色はピンクに。
知っているぞ……。
「……"セッテ"じゃあないか」
「私なんだか他人とは思えないのよ。共感できるわ」
俺はそのラインに触れちゃいけない気がする。
第四の壁とは何だったのか。と言うか朝倉さんは空気ではないだろう。
もう、何でもいいからさ。
「とにかく、これからはその姿で外出してくれよ。頼む」
「約束はしないわ。『善処する』わ」
「……部室に戻る」
「また後でねー」
トイレの個室に戻ると、用を足すわけではないのに便座に座る。
やがて立ち上がると思い切りトイレの壁を殴った。
結局その日も俺は何の成果も得られなかった。
一日二日でどうにかなるような世界ならそもそも修行になんかならない。
別にやる気が出るとか反骨心じゃなくて、事実としてそうなのだから認めるしかない。
その次の日も何も突破できなかった。念じても無駄だった。
朝倉さん(大)はヒントは全て与えたとでも言いたいらしく、終始無言だった。
どうすりゃいいんだろうな。
……で、木曜日。
「ほんと、お前らはいいよな」
登校中、谷口は思い出したかのようにそう言った。
この場合のお前らはキョンと俺だ。
「何の話だ」
「あ? この時期と言えばチョコに決まってるだろ」
「バレンタインか?」
「明智、他に何があるってんだ」
「だがお前、光陽の一年と付き合ってるんだろ。なら問題ないじゃねえか」
「……ああ」
どうやら周防はまだ付き合っていたらしい。
何が目的がしらんが、そのままよろしくやっててくれ、
出来れば俺の前に姿を見せないでほしい。
今やりあったら朝倉さん(大)の指摘通りにまず負ける。
思えば雪山で出来たバリアブレイクも、とっさの一撃だったからだ。
もう二秒でも周防に時間があれば頑強な障壁が展開できただろう。
そして情報制御下では金縛りもある。いや、無理っす。
そんな危険人物を侍らせている事も知らない谷口は。
「だがな、お前らは確定で四つだぜ。この差は何だ」
「量じゃなくて質だ。本命があるだけで俺に言わせれば充分だろ」
「だと良いんだがな。いつぞや言ったと思うが、長門有希にそっくりだって」
「長門を馬鹿にしてるのか?」
「違う。独創的っつーか、個人的っていうかよ、……いまいち掴めないんだ」
「安心していいよ谷口。お前を見捨てない聖人ちゃんが相手なら間違いなくチョコをくれるさ」
根拠はどこにもない。
他人の事を気にする余裕なんてないからだ。
「そうだ。一生分の感謝をしやがれ」
「義理だろうが、朝比奈さんのチョコは男子北高生の目標だぜ? お前らこそ食べないんなら俺によこせ。とくに明智、お前は朝倉ので充分だろ」
「金とってもいいんだけど、やっぱりあげないよ。朝比奈さんに失礼だ」
「あん? 俺に失礼だろ」
まさか。
「違うね。とにかくその彼女さんを大切にするんだ。お前さんは白黒つけられたいのか?」
「チョコだけにってか?」
「美味いだろ?」
「明智、谷口、上手くねえよ」
そう言うなよ、食べ物ネタはここまでが"鉄板"なんだ。
現在キョンがどんな未来の指令を受けているのかは知らないが、俺には関係ない。
何故ならば俺は俺であり、彼には彼の物語があるからだ。
とにかく、今日は木曜日で明日は祝日、花の金曜日。
「みんな、宝探しに行くわよ!」
と言う訳である。
今日は久々にキョンも顔を出している。
「あははっ。本当にあるかはわかんないけどねぇーっ」
「宝探しですか。なるほど、それはそれは大変面白そうですね」
鶴屋さんが提供してくれた、まるで絵に描いたような宝の地図。
彼女の私有地である山の地中にそれは眠っているらしい。
そして古泉、イエスマンのお前の意見は参考になんかならないので安心しろ。
「どういうわけだ」
「あんた話聞いてたの? 久しぶりの部活でボケたかしら?」
「俺はいたって正常だ」
「そういやキョンくん、シャミはまたつれてきておくれよっ」
「あいつが良ければいいですよ」
猫はいいものだ。
だからこそ今も愛されている。
「あのねえ、だから鶴屋さんのご先祖様が埋めてくれた宝を探しに行くのよ。あたしたちで」
「それはいつの話だ」
「明日よ」
「明日って、本気か?」
「本気と書いてマジよ! 急がないと先を越されるかもしれないの」
「誰にだ」
「得体の知れない盗賊集団よ」
夢を見るのは自由だが本当に出てこられたら困る。
まして四十人も居た場合には、アリババさんの助けが必要だ。
「へぇ、宝探しですか。何が眠っているんでしょう?」
「……」
「たまにはそういうのも面白いのかしら?」
「うん。きっとオーパーツが眠っているに違いないよ」
何気に真実を口にしてしまうが誰も気にしちゃいないさ。
いつも通りの、ただの戯言だ。
だが涼宮さんは何があろうとやる気らしい。
彼女のそれは不可侵にして不可説、絶対のシステム。
「とにかく、見つけるわよ! お宝」
「へいへい」
「まずシャベルが必要ね。これはあたしが用意するわ、三本ね」
どうやら発掘作業は俺たち男子の役割らしい。
涼宮さんが知ってるかは知らないがリアルディグダグ化するのだけは御免だ。
「それにお弁当も」
「あ、あたしが用意してきますね」
「わかったわ。ありがとうみくるちゃん」
「七人分も、大丈夫なのかしら?」
確かに朝倉さんの言う通りだ。
いつぞやのプールの時はバスケットがいっぱいいっぱいだった。
「確かに、量が量だぜ。朝比奈さん一人の負担にしちゃきつくないか」
「あたしは大丈夫ですけど」
「私も何か用意するわよ」
「そう、わかったわ涼子。……とにかく他にも色々必要なのよ。みんな、明日はしっかりとした服装よ? 山をなめちゃいけないの」
鶴屋さんが言うには熊は出ないらしい。
まさか仮面ライダーも出ないだろう。明日は日中フリーでいいらしい。
とりあえずの遊びと言えるわけだ。
いや、本当に疲れた。
そう言えば、これは二日前に聞きそびれたおかげで昨日訊いた事だ。
野郎と二人きりもどうかと思うが、俺の"臆病者の隠れ家"なら邪魔が入らない。
かつて宇宙人二人とキョンを招待した、あの部屋だ、
「僕もまさかあなたにここまで親しく思われていたとはね」
「普通だ、普通」
「ですが会話がしたいとは。それもわざわざ二人で」
「変な意味はないし変に考えるなよ」
「明智さんの要件とは?」
飲み干した缶コーヒーを机に置いて、俺にそう問う。
笑ってもいないが、無表情でもない。
「古泉は、"重力"あるいは"引力"についてどう考えている?」
「……それは、どういった観点でのお話でしょうか」
「フィーリングでいい。お前さんの考えでいいさ。知識としてのそれが聞きたいわけじゃあない」
「なるほど」
やがて目をつむったかと思えば、数秒後にゆっくりこう言った。
「……"力"、でしょうか」
「力学的な話か」
「今回は違います。あなたへの相応しい回答として、宇宙的な要素がありますから」
「じゃあ天体についてか?」
「確かに僕の趣味ですがそれも違いますよ」
「ただの力ってのがよくわからないんだよ」
ここで"力への意思"について語られた日には俺はこいつを多分殴る。
ニーチェについて論じようが、結局の所、彼の思想は現代において負けた思想だ。
「明智さんは、こういった話をご存知でしょうか?」
「どんな話かによるよ」
「平行世界とは別の、次元世界についてです」
「知ってるさ」
別に詳しくない人でもその概念ぐらいはわかるだろう?
俺たちが今居るのは、xyz座標による立体。三次元には縦横に奥の概念がある。
それが縦横の平面なのがいわゆる"二次元"だ。
昨今ではリアリティ故に二点五次元なんてのも言われてたが。
「素粒子、ひも、十二次元。このどれについて話そうって?」
「いえ、ですからあなたが望む重力についてですよ」
「何言ってんだ。四次元から先に、その概念があるのか? 五次元からは折りたたまれている。重力は作用しない」
「しかしながらそれは、我々が観測できないから折りたたまれた平面と仮定しているに過ぎません」
「お前は点の世界でも重力があるって言うのか?」
「それはわかりませんが、そう考える方が楽しいでしょう」
俺にとっては切実な問題なんだ。
楽しいかどうかで持論を作らないでくれ。
呆れた俺を見た古泉は。
「明智さんは、"ブレーンワールド"というものを知っていますか?」
「名前ぐらいは知っている。宇宙は膜に覆われているって奴だろ」
「正確には違います。多次元宇宙は多層的に構成されているという理論ですよ」
「多けりゃいいのか」
「僕が発案したわけじゃありませんので」
「……で? そのとんでも理論がどうしたって」
「ですから、重力であり宇宙的なのです」
「わかるように頼むよ」
こいつの話はいつも抽象的だ。
キョンが嫌がるのもわかる。
「この理論において、重力は自由なのです」
「自由?」
「はい。我々が住まう三次元。その空間に時間の概念が複合したのが四次元世界」
「双子のパラドックスは馬鹿馬鹿しいけどね」
「その先の、つまり五次元へと重力は到達できます」
「はあ?」
「おや、知らなかったのですか?」
「そんな馬鹿な話をどう知っていろって言うんだ」
「これが本質かはさておいて、理論は理論なのです。そして重力は自由に次元世界を移動できます。点から面へと、時空へと、その先へとね」
朝倉さん(大)の言っていたのはこの事なのか?
ならば重力という表現そのものが正解だという事になってしまう。
それに、俺がいくら頑張ってもあの障壁は突破できなかった。
自由を叫べばいいのか? そんな事したら未来の俺が酷く弄られそうだ。
「"その先"って何だ?」
「わかりませんよ。十二次元は概念論ですから。我々は他の次元の存在を立証できたところで、その住人とは関われません」
「そして次元の差が開けば観測さえできなくなる」
「そうです」
「……参考にはしとこう」
これも正解じゃないんだろうな。
近い感じはする。だが、文字通りのその先が見えない。
そんな風に白の天井を眺めていると古泉は。
「もし自由を望んだとすれば、それは他ならない涼宮さんでしょう」
「……何の話かな」
「三年前――年度的には四年前――の出来事ですよ。彼女が最初に何を望んだかは不明ですが、その結果として我々は一堂に会しました」
「聞き飽きたよ」
「今回お話ししたいのは別件です。涼宮さんの傾向についてですよ」
それは去年話してくれたあれだろうか。
「彼女……。それに僕も朝比奈さんも長門さんも、その特異性は徐々に失われつつあります」
「まさか」
「事実としてそうでしょう。閉鎖空間の減少、未来人は基本的に不干渉、長門さんに関しても表立った行動はありません」
「だけどゼロになったわけじゃあないだろ?」
「確かにそうですが、それどころか今回話したいのは、あなた。……あるいはあなたと朝倉さんについてです」
どうしてそこで朝倉さんが出てくるんだ?
何かにつけて俺を責めたいのだろうか。
「あたたち二人はその逆。常に変化している、変化し続けている。まるで天体が生まれる時のように」
「オレはともかく、朝倉さんのどこがそうだって?」
「……はっきり言いましょう。あなたと彼女の関係性は、よろしくありません」
「どういう、ことだ」
俺はこの時、どんな顔をしていたのだろう。
確かなのは古泉の表情が険しくなったことだけだ。
「失礼。あなたと彼女の愛はすばらしい。何かを見たわけではありませんが、そう思いますよ」
「……ああ」
「これでも僕は、人を見る目はあるんですよ」
「で……?」
「敢えて言うならば、依存。……いえ、共依存といったところでしょうか」
――"わかってた"さ。
自分の役割がわからない俺。
そんな俺の生きる意味が朝倉さん。これは依存だ。
だが、彼女がそうなってしまったのは、『オレのせい』だ。
薄々感づいてた。
「あなたと朝倉さんの精神バランスは見事と言えます。ですが、完璧に釣り合っているから困るのです」
「……」
「仮に、そのどちらか一方が欠けた場合。残された方はどんな手段を使ってでも世界に敵対し、復讐するでしょう。そんな危うさがあるのですよ」
「……わかってる。オレの覚悟は、"大義"じゃあない」
「本当にわかってますか? あなたの覚悟は後ろ向きなのですよ。待っているのは、最悪の破滅だけです。僕が思うにあなたが現在悩んでいる"何か"もそれが原因でしょう」
……困っちゃうな。
本当に古泉は人を見る目がある。
これでこいつが悪い奴だったら俺は戦いたくない。
いや、良い奴だからよかったんだ。
敵になんか回したくないな。……こんな良い奴を。
「お前はどう思う?」
「はて」
「オレはどうあれば、破滅しないんだろうな?」
この日、最後に古泉が言ったその言葉はやけに印象的だった。
「どうもこうもありませんよ。あなたが決めて下さい」
後悔はしたくないんだけどね。
そして、俺はもう一つだけ気づきながらも気にしていなかった事がある。
初歩的な推理だよ、ワトスン君。
――朝倉さん(大)は、何でわざわざこのタイミングで来たんだろう。