――冬休み。
今は冬であり、年末だ。
……いや、年末年始のテレビの不毛さだとか、そんな話がしたいんじゃあない。
話は実にシンプルであり、ようは自己採点についてである。
夏休みの生活――SOS団の活動とは別――について点数を付けるなら100点満点中10点だ。
しかしながらこの冬休みについては1桁まで下がっていると断言できる。
まだ開始早々なのに。
何故か?
それは、だな。
「昼はなにがいいかしら?」
「……」
「今日は部室の大掃除があるから、さっさと食べれた方がいいわよね?」
「……」
暖かいうどんでもいいんじゃないかな、そばはどうせ今度食べる事になるし。
と俺は思っていたのだがしかし口にはしていない。つまり固まっている。
動物で言えば虚空を見つめるハムスターさながらであり、俺は置物でしかなかった。
その原因は朝倉さんが俺の修行中に後ろから抱き着いてそう言ってるからであり、現在進行形で激しく困っている。
いや、こんなのはまだ比較的マシな部類で、とにかく粘着性で壁に投げるとくっつきひっくり返りながら落ちていくおもちゃ、あれさながらの生活だ。
俺がただダれてただけの雪解け夏休みに対し、冬休みはコールタールの如くどろどろとした生活を送っている。
だと言うのに俺も嫌な気などせずむしろ乗り気になってしまうのだからどうしようもない。
……これ、オフレコだぜ。
基本的には朝倉さんがひっついてくるだけで、俺は嬉しいがなるべく無反応だ。
しかし、たまに俺の方から彼女に密着する事もある。
その時はとても嬉しそうな反応をするんだが……。
もう、説明はいいだろ?
……とりあえずこのまま黙っているのはあれだ。俺はマスターキーを破棄し、修行を中断することに。
通しでやってないが、昨日の夜、今日の朝ここに来る前、とやってはいるので俺の総量が仮に7万と仮定すれば半分近くは消耗している。
だが、ゼロにしようとはとてもじゃないが思えなかった。
昔試しに"奥の手"を使ってザ・ハンドよろしく空間をズバズバと一日中切り裂いて遊ぼうとしたら半日もせず、いつの間にか倒れていたことがある。
それ以来俺は自分を追い詰める事よりも、小手先の技を磨こうと思ったのだ。
馬鹿馬鹿しい過去を思い出した俺は朝倉さんの顔を横目で見ながら。
「そうだね、うどんでいいんじゃないかな。暖かい奴」
「うん」
ニコニコとキッチンへ向かっていく朝倉さん。
これが一昔前だったらちょっとしたホラー映像だ。
もし空の鍋なんかを出された日にはどこか違う世界へ逃げ出したくなっていただろう。
……今か?
まさか。そんなこと、あるわけないだろ。
昼飯もそこそこに冬休み中の校舎へと向かう。
まだまだ日中にも関わらず寒い。かじりつくような寒さ、とはまさにこのことだ。
部室も定期的な掃除を朝比奈さんがしているので汚くはないものの、整理する必要はあるし、そもそもが文芸部だと思えない部屋となっている。
ちょっとした食料さえあれば生活できるからかな。しかも本やボードゲームもある、俺の"部屋"といい勝負なのかも知れない。
そんな事も考えつつ部室へ向かおうとすると、廊下で。
「おや、お二人ともこんにちは」
「えへへっ。二日ぶりですね」
朝比奈さんと古泉が部室から少し離れた所に居た。
いかにも手持無沙汰といった感じである。
「どったの先生?」
「何やら僕たちはお邪魔虫のようでして」
「まあ、ここに居ない人を想定するにだいたいの察しはついたよ」
「どうせキョン君が馬鹿な事を言ったんだと思うわ」
「それはどうかわかりませんが涼宮さんと何やら楽しげに会話をしていましたよ」
こいつの楽しいが俺の楽しいと感覚的にズレているのは確かだ。
やがてキョンがドアから顔を出し「お前らも来い、説明してやる」と言ったのでそれに従った。
彼の弁明によると、昨日中学時代の知人である中河という男から電話がかかってきたらしく。
「『好きだ』とか突然言いやがってな」
「お前……」
「笑いながら低い声を出すな明智。俺もそう思ったが奴は同性愛者じゃなかった」
「それはどういうことでしょうか?」
「何やらうちの女子生徒に一目惚れしたらしい。で、いてもたってもいられなく電話してきた」
涼宮さんはいかにも人を馬鹿にした態度で。
「はぁ? あんたに電話してどうなるってよ」
「まあ待て。仕方ないから女子の特徴を言ってくれって頼んだら、俺が総合的に判断したところ長門としか思えなかった。眼鏡の知り合いも少ないからな」
長門さんはこの前の戦闘で眼鏡がボロボロになったらしく違うものになっていた。
前のよりレンズが小さく、シャープな印象を与える。買い換えたのだろうか?
「中河が電話してきたのは長門と俺が歩いているところを見たかららしい。五月って言ってたから、市内探索の時だと思うぜ」
「一目惚れの割には随分な休遊期間じゃないか。五月だって?」
キョンはいかにもお前が言うなといった目で睨んできた。
安心してくれ、多少の自覚はあるさ。
「知るか。何やら勉強スポーツと打ち込んできたらしいがついにその感情は昇華されなかったらしい」
「素晴らしい精神力ですね」
「馬っ鹿みたい。半年も経ったら忘れるでしょ、普通」
「そうかしら?」
朝倉さんは終始ニコニコして話を聞いている。
何が楽しいのか知らないが物騒でなければ何でもいいさ。
「とにかく、限界だと言う事で俺に電話がきた」
「で、あのふざけた内容の文章は何なの?」
「中河なりのラブレターらしい」
「おいおい。まさかキョン、お前に代理でそれを長門さんに伝えろ、と?」
「だとよ」
机の上には、くしゃとなっているルーズリーフが数枚。
キョンはそれを捨てたところ涼宮さんに見つかり、口論となったらしい。
そして本人の知らない所でラブレターはSOS団のおもちゃとして全員に回し読みされる事に。
内容は長門さんへの熱い思いがあふれており、俺でも素直に感心できる"作品"だった。
もっとも、非常に残念な点があるのだが……。
朝比奈さんは自分宛てでもないのに何やら照れた様子で。
「何だか素敵です……こんなに人に好きになってもらえるなんて……」
「中河はいかにもコワモテの体育会系といった奴でして、ロマンチックには程遠いんですがね」
「……あたしにはさっぱりだわ」
「しかしながら、中々の名文だと思いますよ。趣旨がしっかりしていますし、具体例がある。十年先まで語るのはやや飛躍した印象もありますが、彼の熱意の裏腹でもあるでしょう」
「そうかい。で、お前は?」
「……」
気が付くとみんな俺を見ていた。
何だよ、長門さんまでどうしたんだよ。
「まともな文芸部員は長門とお前しか居ないだろ」
「パス1、朝倉さん」
「私はいい内容と思うわ」
「だとよ。ほら、早くしろ」
ちくしょう。
朝倉さん、頼むからこれで終わりだってぐらいのオチになるような感想を言ってくれても良かったんだぜ。
それじゃ言ったも言ってないも同じじゃないか。
しょうがないから真面目に話してやるさ。
「五十九点。ギリギリ赤点ってレベルだ」
「何が減点対象なんだ?」
「それは、中河氏本人の手で書かれていない。……だろ?」
「それだけの要素にしちゃでかいな」
「"それだけ"? わかってないね、別に手書きである必要は無いさ。流石にメールはナンセンスだと思うけど、ワードならいいと思う」
「何が言いたいんだ? 偉そうに言いたいならハッキリ言えよ」
「確かにいい内容だけど、それはキョン、お前という仲立ちによって"魂"がその文から消えている。仮にお前が書いたって聞かなくてもわかる。"そういうもん"だ」
「おや、魂とは。なかなか面白い意見ですね」
「文章とは常に高潔なる血で書かれなくてはならない。その人の、"精神"で。それがオレの哲学だ」
「まあ。あいつがいくら長門と会うのに今の自分が相応しくないと思おうが、筋違いなのは確かだな」
「そうよ、結局あんたのダチはただのチキン野郎じゃない!」
ぐっ。
俺に対して言ったわけではないと思うけど、涼宮さんの発言はちょっとしたダメージだ。
"臆病者"の俺は今月、二十五日――つまり昨日だが――に、朝倉さんと語った時の事を思い出す。
「こんな事言うのもあれなんだけどさ、ちょっといくつか聞いていいかな」
「何かしら?」
「いや、ほんのちょっとした好奇心でね。猫を殺すほどじゃあないけど」
何をするでもなく、彼女の部屋で二人してソファにもたれかかっていた。
今にして思えばそれは空いた時間を埋めるような行為だったのかも知れない。
テレビはあるにはあるが、この部屋に居る間は電源がついている時間の方が短いのは確かだった。
しかしながら俺の質問は情けないことに猫どころか虎をも殺しかねない内容だとは思いもせず。
「何で、朝倉さんはオレと『付き合って』だなんて言ったの? うまくはぐらかされたけど、理由があるんでしょ?」
と、聞いてしまった。
……もしかしたら彼女の提案はエラーの末の誤解答だったのかも知れない。
だが、俺にはそれを知る権利がある。彼女の全てを俺は知りたいとさえ思えた。冗談ではなく。
反応がないなと感じ、ふと隣を見ると朝倉さんは悲しそうな顔で。
「……失望すると思うわ。それでもいいなら、怒らないで聞いてほしいの」
「構わないよ」
「はっきり言うけど、私は人間を……もっと言えばあなたを舐めてた。イレギュラーよ? 最初から全力で仕留めにかかるべきじゃない」
こちらに彼女を攻撃する意思が無い事は知られていなかったと言え、まともな戦闘をしたなら明らかに俺が不利だった。
今でさえ秒単位以下の身体能力を発揮できる手段があるが、それは結局ただの手段に過ぎない。
しかしながらポテンシャルでは女性型だろうが宇宙人の方が俺より高い。
念能力者本来の戦闘速度がコンマ秒単位な事を考えると俺は明らかに十全な状態ではないのだ、今尚。
「で、謎だらけのあなたをどう攻略するか考えたのよ」
「その結果の提案だったって?」
「そうよ。私が情報を引き出して満足したら、……あなたを殺すつもりだった」
「どうにも気が長い話だね?」
「さあ。でも、私たちとあなたたちの時間に対する尺度は違うもの」
原作、エンドレスエイトにおける長門さんを思い出す。
それにあの世界でもエンドレスエイトはあったらしい。
機械にとっては、ただの数字でしかないのだ。
「……いまいちわからないのは、朝倉さんのエラーなんだよね。どっかの誰かが言うにはそれが足がかりになって、朝倉さんが感情を理解したって聞いたけど、じゃあ何で増えたんだ?」
あいつが言うところの、"もともと壊れていた"理論は確かに俺も見落としていた。
だが、それでエラーが増えるってのもおかしな理論だ。何があったわけでもないのに。
「つまり、私はあなたの事を知りたかったのよ」
それと奴が言う"俺のせい"が結びつかない、俺が念能力もどきについて隠していたからか?
前の世界についても特別には話していないし、不満故の結果。なのか?
「今ならわかるわ。私の感情は、次第に複雑なものとなっていったのよ。"知りたい"以外の要素も」
古泉が体育祭で言っていた、涼宮さんの心の発達を思い出す。
彼女も同時進行で、そうなっていたならば、それはどんな――
「その中の一つに、確かにあなたに対する殺意もあったわ。でも、あの日、私は気づいてしまった」
「何に?」
「私は、あなたを好きになっていたの。信じられなかったと同時に、恐怖した。そして恐怖した事に恐怖したわ。これがプログラムされた動作じゃなくて、感情そのものだって事に」
「それ、どういうことなのかな」
「はっきり言うけどやっぱりあなたは馬鹿なのよ。一般的に考えて、この年頃の男女交際で、あなたは私に何を要求するでもなかった」
「この前も言ったようにオレは朝倉さんが生きててくれればそれでよかったんだ。オレは、朝倉さんが離れててくれた方がいいとさえ思っていた。オレが迷惑なんじゃなくて、そっちが迷惑だと思ったから」
「そうね。なかなか明智君のガードは堅いし、本当に長期戦になる事は理解してたわ。でも」
「でも?」
「あなたが私の事を考えてくれている。それも大切に。私はそう気づいてしまったのよ、無意識のうちに」
「過大評価さ」
「きっと私は、そんなあなたに対して不満を感じたからこうなったのよ。拒絶してくれればそれでよかった、敵対しても、よかった」
彼女の一言は確かにそう思っていた事を感じさせた。
ここまで聞いて俺はようやく理解した、現在進行形で朝倉さんを悲しませているのは、俺の方だという事に。
なあ、"臆病者"。ここまで言わせておいて、黙ってるのかよ。
「朝倉さん――」
なんとなくだが、だいたいだが、わかったよ。理解した。
それに理由を欲しがるのは、人間の悪いクセだ。
「――今でも、オレを殺したい?」
朝倉さんはどんな返事をしただろう。
絶叫? 悲鳴? わからない。
ただ、確かなのは、彼女は今や"そう"思っていない。
それだけだった。
それでも、俺は彼女と過ごした半年以上の期間を後悔したくない。
いつか、その覚悟が出来た日には、俺についての全てを打ち明けよう。
俺が知っている範囲で。
その時が、"臆病者"としての俺の、卒業式だ。
その日についてあの後の事は回想したくないので割愛させてほしい。
朝倉さんが泣き止んだ後、一時間以上は苦しい空間だったのは確かで。
やがて二人で抱き合ってお互いの後悔を解消するような事になった。
まるで儀式だった。その後悔とは、質問であり、解答だ。そのものだ。
そんなこんなを思い出していると。
「……」
長門さんはまじまじと中河氏の言葉があるラブレターを見ていた。
俺は何とも思わなかったが、涼宮さんは意外に思ったらしく。
「有希、記念に貰ったら?」
「欲しけりゃ持ってっていいぞ。どうせゴミ箱へ行く運命だったんだ」
「いや」
それは長門さんによる明らかな否定だった。
「とても興味深い人物。会う価値はある」
……これは他の団員にとってはどうでもいい話になる。
もし中河氏の一目惚れ相手が朝倉さんだったら、今の俺なら喧嘩じゃ済まなかっただろう。
アメフト部だか知らないが、容赦はしない。長門さんで良かったよ。
しかしながら、今回もまた、面倒事なのだ。
――そう、それは『因果』らしい。