――俺にはその時の記憶が確かにあった。
だが、俺の意識で俺をコントロールできたかと言えば嘘になる。
そこには殺意すら無かった。俺はあの時、確かに超越者の世界を垣間見た。
ただ、俺は目の前の敵を憎悪で、いや、それが当然の如く排除しようとした。
殺さずに済んだのは偶然だ。俺一人だったらどうなっていたか、わからない。
ありがとう。
お前には、本当にいくら感謝しても足りないな。
SOS団のみんなといい、俺の、最高の、友達だ。
キョン。
ありがとう――
「…お……しっ……ろ………か!」
何やら、俺の身体が揺さぶられている。
地面が硬い。
な、家じゃ、ないのか?
「明智さん!」
「おい、起きろ! 明智!」
「……」
目を開けるとそこにはキョンと朝比奈さん……数年後の方と長門さんが居た。
ここは?
……。
「いや、大丈夫だ。もう」
そう言って立ち上がる。
瞬間的にさっきの出来事を思い出した。
ほんの数分か、寝ていたのは。
いつの間にか地面や遊具は修復されている。長門さんのおかげだろう。
実行犯の宇宙人をどこかへ飛ばし、その後キョンたちと二三会話したら俺は気絶したのだ。
脳の自己防衛だったのかもしれない。俺に、あの精神領域は無理だった。
「大丈夫って、お前」
「未完成って言ったと思うけど、その上超が付く欠陥品でね。あれは、あのオレは副作用だ」
全員が絶句していた。
世界すら移動する事実に対してではない、俺の執念を、独善者としての俺を見たからだ。
「しかし、オレにあんな一面があるのは確かだ。全部副作用で割り切れるもんじゃない」
「そんな危険なもんを、どうして」
「愚問だね……」
「そうか」
それ以上、キョンが俺に対する質問はなかった。
長門さんが言うには攻撃を仕掛けたインターフェースが消えた以上、じきに朝倉さんの容体も回復するらしいのだが、症状を和らげるための補助としてナノマシン――直ぐに治せるもんでもないのだろうか――を腕に噛みついて注入していた。
朝比奈さん(大)は俺に対し警戒していたが。
「明智さん……あなたは、わたしたちの敵ですか?」
「今のところ、オレの敵はこの件を仕組んだ黒幕かな。そいつに一発決めれば、後はどうでもいいです」
「そうですか。でも、あなたのその能力は、個人が持つには大きすぎるわ」
「それって、統計論ですか? オレはオレ、個人主義なんです。でも、最近はその考えをやめましたけど」
「今は何なの?」
「他人の責任は背負えない、いつも、自分だけの責任だと考えていました。ですが、オレは別の世界へ飛ばされました。そこで、そうじゃない……そうじゃない時もあるって。そう、一人より二人、一人より多く、そんな時があるってわかったんです」
俺の目の前には、確かにあの世界のSOS団、谷口やクラスメート。
そして、明智にとっての大切な人、阪中さんが確かに居た。毛むくじゃらの、ルソーまで一緒だ。
それは今や幻だが、俺のあの体験は、俺のマイナスを帳消しにしてくれたんだ!
俺は、俺のこの世界で生きる意味は……。
朝比奈さんは、何やら俺の様子を見て笑顔になり。
「ふふっ。さっきは驚いたけど、安心しました。やっぱり、明智さんは変わってないわ」
「どう受け取りゃいいんですかね」
「わたしも、まさかこんな形で解決するとは思いませんでした」
「この事件は、かつて、"起こらなかった"と?」
「それは禁則に引っかかるわ。でも、変化があるのは確か。涼宮さんも、SOS団のみんなも、朝倉さんも」
「変わりたいのが自殺、だなんてのはオレの本心じゃないですよ。どっかで読んだ本の話です」
「ううん。そうじゃないの。その変化を与えているのは間違いなく、明智さんなのよ」
俺にそんな実感なんてなかった。
原作と言うレンズを通してでしか、彼らを見ていなかったせいだろうか。
だが、今は違う。
「もう、行くんですか?」
「ええ。きっといつか、また会うでしょう」
「その時が平和な事を祈ってますよ」
「そうね。ここのわたしにもよろしく」
「寒中見舞いには早すぎませんか」
そんな俺の戯言に対し、笑いながら朝比奈さんは公園を後にする。
きっと行ってしまったのだろう。
――で。
えー、現在ですね。
十二月十八日の、午前五時四七分でして。
私がどこにおるかと言いますと、その、505号室なんですよ。はい。
そうです、朝倉さんの部屋です。ええ。
長門さんとキョンは俺が朝倉さんをベッドに寝かしつけるのを見るなりすぐ去った。
いや、本来であれば俺もそうするべきだったが。
まだ少し苦しそうな彼女の顔を見たら、さ。どうしようもない。
何時間も、俺は椅子に座りながら、彼女の近くに居た。ただ。
「長門さんのやつ。さては、"わざと"治さなかったな……?」
そうだな、ありがたいことに。
『なおさないから、いいんじゃあないか……』って奴らしい。
長門式の宇宙人ジョークか。何だかんだ、エラーが発生しているのだろうか。
いいさ、古泉風に言えば、いい傾向さ。
そして二人ともまったくいいお世話だって。
もう、俺には答えがあるんだからさ。
「う、ん………あ…れ?」
「朝倉さん!?」
どうやら起きたらしい。
俺の姿を見た彼女は上体を起こそうとする。
「あ、けちく」
「いいから、そのまま寝ているんだ。何でここに居るか説明するよ」
そして一時間以上も、俺は一方的に話していた。
だいたいの事は話したと思う。
言わなかったのは、あの世界の人たちについてぐらい。
念能力もどきについても簡単に説明した。
朝倉さんは、終始無言だ。
「……そうだったのね。私としたことが、ただの一人相手に後れをとるなんて」
「奇襲もいいとこだよ。オレだって不甲斐ない」
「ふふっ」
それきり、お互い無言になった。
何分経過したのかはわからない。
地平線からは徐々に朝焼けが見えてきているのだろう。
カーテン越しに、朝の訪れが感じられる。
体感では何十分も経過したように思えた。
そして――。
「朝倉さん、その、ジェイが言うところでは、君は超人らしい」
「わからないわ、そんなの」
「でも、奴は君に感情が芽生えた。いいや、オレは君が感情を理解できるようになったと確信している。根拠はないけど」
「根拠のない自信は大成しない要因じゃなかったの?」
「たまには主張を曲げるのさ。……ただ、オレには何故朝倉さんがそうなったのか、あいつの言う進化に達したのかが――」
――わからない。
そう言おうとした瞬間だった。
「馬鹿」
彼女のその一言には、プログラムなんかじゃない、複雑な思考の末に、ルーチンではないフィーリングの末に出された一言だというのが詰まっていた。
即ち、"思い"。
そしてあの時のように、朝倉さんは悲しい顔をしていた。
「……どういうつもり?」
「わけは聞かないでくれ。オレがまた喋りつづける。朝倉さんはそれを聞いててほしい」
その顔を見た瞬間。
俺はベッドの彼女を近くに引き寄せ、抱きしめていた。
何故かはわからないが、きっと、理由づけなんか必要ない。
確かなのはその時、俺は朝倉さんのその表情を見ていられなかった事だけだ。
「オレは、オレは君に憧れたというだけで、そんな身勝手だけで君を助けた。最低の、独善者だ」
「……」
「オレは朝倉さんに『付き合ってほしい』って言われた時、本当に困ったんだ。君がこの世界で生きて、自由でいてくれればそれでいい。でも、オレなんかの近くに居たら、多分それは叶わないし、何より君をどうにかしたくて助けたわけじゃなかった」
「……」
「オレは、君を保留していた。あげくにはこの世界に置き去りにすらした、最低の野郎だ」
「違うわ」
「オレは異世界人だ。この世界で生きる意味が無かった。いや、怖かったんだ。この世界で、全てを受け入れるのが」
「……」
「でも――」
俺は彼女から腕を放し、しっかりと向き合ってこう言う。
「――そんな最低な男にも、生きる意味が見つかった。自分の存在理由は、何も自分自身じゃなくていいんだ」
それに似た言葉を、俺はいつか、どこかで聴いた気がする。
他でもない、彼女から。
だから。
「朝倉さん。こんなオレでよければ。君を、オレの生きる意味にさせてほしい」
俺がそう言うと、彼女は目に涙を浮かべたが、口元で必死に笑顔を作り。
「そうね……やっぱり、こういうのは男の子からじゃなきゃ。焦らなくて、よかったわ」
「そっちが先に仕掛けてきたのに、その分はノーカウントなのかな」
「ふふっ。任せるわ」
「朝倉さん――」
「なあに?」
……やっぱり明智君は馬鹿ね。
こういう時は、黙ってするのよ。
――十二月十八日の朝。
悪いな、正確な時間なんか見てもいない。
俺は付き合って半年以上の彼女、朝倉涼子に。
この日、はじめてキスをした。