『ふむ。いいだろう。確認したぞ』
骸骨コート。ジェイはそう言って俺から受け取った手帳をポケットにしまった。
何も無い505号室、明かりと呼べるのは外からの光だが最早それも失われつつある。
冬の十八時はとっくのとうに夜だ。細長いペンライトを使ってジェイは手帳を読んでいた。
『では、本題に入る前にまだ質問があるようだな。聞いてやる』
「お前は何故オレに正体を隠す必要があるんだ?」
『勘違いしないでほしいが、別に私の変装は君相手に限っていない。私の顔を知るのはせいぜいボスぐらいだ』
「その必要性がわからないから聞いている」
『知る必要はない。いずれ、わかるかもしれないがな』
そう言ってジェイは黙り込んだ。
いや、そう思った途端に奴は口を開いた。
『元の世界へ戻る方法だが、それにはまず君について話す必要がある』
「オレにはその意味もわからないんだ」
『正確には、君の持つ能力。いや、技術についてだ』
やはりジェイは"臆病者の隠れ家"についても知っているらしい。
だが奴の口から放たれた一言は俺を驚かせるには充分すぎた。
『君の持つ能力は、厳密にいうと"念能力"ではない』
何だと……。
こいつは、念能力まで知っているのか!?
俺は一切あの世界で"オーラ"について説明していない。
そう。
『君は本来の能力を基に、"HUNTER×HUNTER"の世界の技術を再現しているに過ぎないのだ』
【涼宮ハルヒの憂鬱】とは全く別の作品、それも漫画。
とある少年誌で連載している【HUNTER×HUNTER】に登場する、ある能力。
それを俺は使っているつもりだった。
――オーラとは、簡単に言えば生命エネルギーだ。
誰にでも備わっているもので、そのエネルギーを駆使する技術が"念能力"。
だが、誰にでもあるエネルギーとは言え、念の習得には才能が必要だ。
コントロール出来ない場合、死にすら至るケースがある。
しかし、この世界ではない、ハンタ世界の技術。
そのルーツを知る方法がどこにある?
『ハイドアンドシーク。いや、"臆病者の隠れ家"と言ったかな? とにかく、それほどの能力だ。いくら君に才能があろうと、その年齢で達せる境地ではない』
「お前は何故。念能力を知っている……?」
『これだ』
そう言ってジェイが懐から何かを取り出し、俺に投げつける。
馬鹿なっ!?
まさか、これが何故ここに。
「HUNTER×HUNTERの、この表紙、25巻……?」
『おっと落ち着け。それはこの世界では書店で市販されている本だ。もっとも、あの世界では売られてないがね』
パラパラっと読む。
宮殿に龍星群が降り注ぐシーン。
マンションでの討伐隊のやりとり。
間違いない、これは本物だった
『私は討伐隊の出陣がとてつもなく好きなのだよ。ユピーと対峙し、一瞬で臨戦態勢へと変化するあの緊張感。たまらない』
「ああ。同感だよ。だがな、そんな事よりオレの能力が念じゃないってのはどういう話だ?」
『それは簡単な話だ。君の役割が関係するからな』
「役割だと?」
『そうだ。『機関』いや、古泉一樹から教えてもらっただろう』
「何も聞いちゃいないぜ」
俺がそう言うとジェイは何やら驚いた様子だった。
表情などわからないが、間違いなく奴の予想が外れたという事だ。
今まで全てを知っているかのような態度なだけに意外だった。
『……どうやら手違いのようだ。忘れてくれ』
「役割って、聞いても教えてくれないんだろ?」
『そういう事らしい。いや、私も驚きだ』
「簡単にでいい。念について聞かせてくれ」
『詳細は話せないが君には役割がある。それに引きずられた、いわば副産物なのだよ。君がノヴの能力を手にしたのにもそれに関係している』
「だが、オーラはあるぞ」
『似て非なるものだよ。私にそれを送り込んでみるといい、精孔は開かない。君以外にない概念だからな。洗礼も存在しない』
「……遠慮しとこう」
『私は構わないのだが。まあいい、君の能力について話を戻そう。かなりの高レベルの能力だろう? 制約があるはずだ』
そうだ。
俺の能力、いや、俺には制約がある。
それも念能力者としては致命的な欠陥。
「オレには、"発"以外のオーラの行使範囲に限界がある」
具体的には両手を合計した広さ。正確には手首から中指までの長さだ。
片手で約20cm×8cmこの範囲を同時に二か所まで存在させられる。
制約の範囲にオーラ量は関係ない、三次元的な広さなのだ。
つまり、体中への"纏"が出来ないし、"円"も無理だ。
高速のオーラ移動なので"流"も出来ない。
制約の範囲でのオーラ展開以外では"絶"と"隠"しかできない。
ハッキリ言うと本編に出るような念能力者と闘えば俺は秒殺される。GI後のゴンは無理だな。
素質の問題ではない、長い年月をかければ俺はノヴのようになれただろう。
「だが、それでは間に合わない」
『なるほど。それも覚悟の一部だ』
しかし、そんな事を知って何がしたいんだ?
するとジェイは。
『では、"マスターキー"を具現化してくれ』
何?
いや、現実世界でもやれるが、何の意味があるのだろうか。
と思いつつ左手にオーラを集めてマスターキーを構成する。
見た目はどこにでもある家の鍵だ。
『やはり、"違う"な。一回それを消せ』
「説明しろよ」
『君にはふさわしい"武器"が、既に頭の中にあるはずだ。君が、覚悟できているのならな。それを具現化したまえ』
「はあ?」
お前、【HUNTER×HUNTER】を読んだ事があるなら、具現化系の厳しさを知っているだろ?
クラピカの修行が正しいのか知らないが、いきなり武器を出せ、だの言われてもハリボテが出る。
容量(メモリ)の無駄は嫌なんだが……。
しかし、目を瞑り集中すると、脳内には"それ"のビジョンが見えていた。
左手を下に垂らし、オーラを集中。"それ"を掴む。
「おい……何だこりゃ、出すだけで4000オーラ以上は持ってかれたぞ……」
直剣のようなものが左手にはあった。
先端は平ら、いや、そもそもエッジが存在しない。
長さは柄を除いて六十センチ、横幅は三センチ。
もしかしなくても、これ、切れないぞ?
軍刀の方がマシだ。
『ふむ。……3割かどうか、だな』
「何がだ」
『それは未完成なのだよ。そうだな、例えるなら始解ですらない、ただの"もの"だ。まあ、それで充分だろう』
「何か知っているのか?」
『それこそ、君の役割に関わる。言わば核だ』
「で、何の意味があるんだ」
『私の予想通りならば、だが。試しに"練"をやってみたまえ。スラングじゃない方だ』
何言ってやがる、俺の制約上は範囲に限界が……。
いや、まさか。
「"練"が、制約の範囲外にも出来るぞ……」
慌てて体中を見てみようと思い、俺は武器から手を放すと。
「――へっ?」
俺の体中にあったオーラは消失。
強制的に"絶"となり、武器も霧散してしまう。
『言い忘れてたが、あの武器。"マスターキー"を手放すとそうなる。まあ、また出せばいいだけだが』
「そういう事は先に言え。こっちは無駄な消耗を避けたいんだ」
『だが、こうすれば忘れないだろう?』
ジェイは楽しそうにそう言う。
それは別にいいが、そのマスターキー(武器?)に何の意味がある。
『つまり、あのマスターキーを使えばいいのだ』
「何がだ」
『前の世界へ戻れるぞ』
「はあ?」
あんな大きい物、どうやってドアの鍵穴に入れればいいんだ。
それが本当なら使い方を教えてくれ。
『もう一回出してみろ』
「……冗談きついな」
『それで、床か壁を叩くのだ。ハイドアンドシークの入口を設置する要領でな』
俺は絨毯すら敷かれていない部屋の床に対し、こつんとマスターキーの先端を当てる。
すると、ジェイが言うように黒い水たまりのような渦が発生した。"入口"だ。
「別に、普段と変わらないように見えるけど」
『そこに入って外へ出れば、君が今一番行くべき場所へ出るだろう』
「……なるほどね」
その為の覚悟。って訳か。
『本来ならば空間どころか、時間の流れさえ超越できるのだが』
「未完成ってのはそのことか?」
『そうだ。君があの世界から消えてから一時間前後がいいとこだろう』
「そんだけ都合がよけりゃ充分だ」
『しかし、そうでもない』
ジェイの一言には確かな否定があった。
便利な代物じゃない理由、ね。
『未完成であると同時に、欠陥品だ。それは君の覚悟でのみ成り立っていると言っても過言ではない』
「他に必要な構成要素があるのか? オレは出来ればワンストップショッピングがいいんだけど」
『それは私が言うべき内容ではない』
「また、いずれわかる、か?」
『ともかく、マスターキーを使えば本来、自由に時空間を移動出来るはずなのだ。しかし、今君にあるのは前の世界への執念だけだ。つまり、他の世界へ自由には行けない。どこへ行くのかすらわからないだろう』
「なるほど。……だが、そんなに強烈なデメリットもオレなら関係ないし、攻撃手段にもなるんじゃないのか」
『確かに、君ならば生きている限り元の世界へは戻れるだろう。だが攻撃手段としては期待できないな』
「どうして」
『一つは設置型である以上、使い勝手が悪い。そして何より抵抗すれば入り口から脱出できる』
「どこへ行くかわからないから生け捕りも無理。せいぜいトドメの手段か」
『トドメだと!?』
何やらジェイは驚いて、いや、いかにもおかしいといった感じでオーバーリアクションする。
そして乾いた拍手をしながら。
『君には空間切断能力がある。あれこそトドメに相応しい! まさに悲鳴さえ上げられない!』
「馬鹿言え、あんなん使ったら死んでしまう」
『もしや、君は殺したくない。と? ……この世界に送り込んだ犯人を相手にすると言うのに?』
「そうだ。たとえアンドロイドでも、生きる資格はある。生き続ける事が、全てなんだ」
『……どうやら私は君を見くびっていたようだ。好きにしたまえ』
「そうするよ」
俺はそう言って踵を返し、床の入口に入ろうとした。
が、ジェイは。
『待て』
「何だ?」
『君に敬意を表して、二点ほどアドバイスだ』
「手帳のおつりってわけか」
『ふむ。一つは、犯人のTFEI端末についてだ。彼女の狙いはさておき、彼女は朝倉良子に擬態している』
「朝倉さんは、無事なんだろ?」
『将来的にそれは君次第だな。君は、そんな奴を相手に正気で戦えるのかね?』
余計なお世話だ。
「お前がその情報をくれなくても、一目見れば偽物だってわかるさ」
『素晴らしい。期待しよう』
「で? もう一つってのは」
『これは忠告だ。そのマスターキーについて』
消耗が激しい未完成で、自由に移動できない欠陥品。
これ以上の欠点があるってのか?
『君は、朝倉良子に憧れ、固執した。あれは君の覚悟と執念で成り立っている』
「らしいな」
『制約を一時的に無視し、戦闘能力も飛躍的に向上するだろう。だが、出来れば使わない方がいい』
「どうしてだ?」
『私が相手"だから"君は正気でいられるが、前の世界へ戻った途端、君の感情は蝕まれる』
「何にだ」
『憧れの朝倉良子の精神力。即ち、精神的超越者に近づく。一時的なものだがな』
「……つまり?」
『最悪の場合は戦闘中の敵を、殺しかねない』
「そうか」
俺は独善者だ。
それをどうにか自分で抑えているに過ぎない。
これも妥協だ。だが、そのタガが外れるとどうなるのか?
自分でもそれは予想が出来なかった。
『精々頑張りたまえ。彼女のためにな』
そう言ってジェイは外を見る。
今、もう話すことはない。
「なあ、ジェイ。あんたには……いないのか?」
『何の話かね』
「命をかけれる相手ってのが」
ジェイは沈黙でそれに応じた。
俺もさっさと行くことにする。
だが、俺の身体が殆ど"入口"に入った時、とても小さな声で。
『ふっ。私にも居たさ』
――そう聞こえた気がした。
"オーラ"
生命エネルギー。
オーラ自体はどの世界の人物であろうと持ち合わせている。
これを用いた技術を修めているのは原則【HUNTER×HUNTER】の住人だけ。
オーラを自在に操る事、その技術自体を"念能力"と呼ぶ。
身体強化や自己治癒能力の促進、気配遮断から、その集大成である能力など。
その他オーラの用途は多岐に渡る。
例えるなら某作品の"気"の概念に近い。
しかし、ジェイ曰く明智が使うエネルギーは似て非なるものらしい。