ウィン・バック・トリビュート
今にして思えば、九月は平和だったし、十一月は色々な事が立て続けだった。
では十月はどうなんだと言われると、俺はてっきり何もないもんだと思っていたさ。
……体育祭というものをやるらしい。
まあ、北高に限らずだが、どこの高校でも体育祭もとい体育大会は実施される。
そういや原作でもそんな話に少しだけ触れられてたような、そうじゃなかったようなだ。
つまり、九月ですっかり平和ボケしてしまった俺はまた油断してたわけだ。
俺が知らないような事があっても不思議じゃない。って事にね。
十月。季節はすっかり秋で、夏の暑さも引いてきている。
そして今日は体育祭当日だ。
クラス対抗ではなく紅白戦なのだが、いまいちクラスの振り分け基準が俺にはわからない。
しかしながら確かな事と言えば――。
「俺は朝比奈さんと戦うなんてまっぴらなんだが」
「仕方ないさ。オレたちのクラス以外の団員は全員白組だからね」
俺とキョンと朝倉さんと涼宮さんは赤組。
それ以外のクラスの知り合いは全員白組で、全員敵なのである。
朝比奈さんと同じクラスの鶴屋さんも必然的にそうだ。
――だが、SOS団での活動が無かったわけではない。
ついさっき競技の合間にクラブ対抗バトンリレーなる余興があったのだが、我々SOS団も意味もなく参加していた。
説明不要だとは思うけど涼宮さんの発案であり、何よりこの集団は変人であり変態なのだ。
キョンと朝比奈さんはさておき、俺は鬼に変身できるオッサンライダーぐらいには「鍛えてます」と言える。
古泉もイケメンでスポーツセンス抜群の産まれの差があるし、後の女子三人は言うまでもなくチートだ。
長門さんがゼロシフトさながらのインチキ走法を駆使していなかったとしても優勝は充分に出来るわけである。
割と本気でかかってきた体育系部活の方々には申し訳ないと思う。思うだけだが。
しかしそんな内容は実際の紅白戦にはまるで影響しない。
それどころか現在俺たち赤組はダブルスコア間近で白組に押されているのだ。
谷口はすっかり白組の方の観戦に集中して。
「おーい、キョン、明智。お前らもこっち来いよ。どうせ俺たちの負けだぜ。一足先に祝杯と行こう、赤組の大敗を祝してな」
他の赤組連中も諦めムードである。
俺も朝倉さんにお願いしてまで勝とうとなんか思っちゃいない。自分のベストは尽くすが、それだけだ。
つまり、楽できればそれに越したことはない。
涼宮さんは舐めた発言の谷口につっかかっていたが、彼がそう言うのも仕方のないことである。
お、長門さんは今回インチキなしの活躍か。案外素のスペックも高いらしい。
俺が持参した麦茶はあっちに置いているからな……。
「さて、オレもあっちに行くかな。喉が渇いた」
「お、おい……明智。何か、ハルヒから嫌な威圧感を感じるんだが」
「と言ってもね。いくら涼宮さんが負けず嫌いだからって――」
この状況はしょうがないでしょ。
と言おうとした瞬間だった。
――キィィィイイン
変な耳鳴りがしたかと思ったら俺の平衡感覚が一瞬失われた。
「さあ、まだ気を緩めるのは早いわよ!」
妙だ。世界が反転したかのような感覚を覚えた。
何だと思ってキョンを見ると、彼の付けていた赤のハチマキが白になっている。
いや……俺の近くに居た赤組の生徒全員が白のハチマキを――。
「勝って兜の緒を締めよって言うじゃない。このまま行けばあたしたち"白組"が勝つんだから」
馬鹿な。あたしたち、だって?
俺は慌てて自分のハチマキを外す。俺も白だ。
「何言ってんだ涼宮。これじゃ寝てても俺たち白が勝つぜ。点差も倍近くついてんだ」
「そんな考えだと足元をすくわれるの! あんたも応援なさい」
――白組、ファイトー!
涼宮さんと谷口はそんな掛け声をしてたと思う。
俺もキョンも固まっていた。朝倉さんの方を見ると、口に手のひらを当てて何か考えている。
朝倉さんも白のハチマキだ。さっきまで赤だったのに。
ただ、一つ確かなのは。
「どうやら、今月は休ませてくれないらしいね」
さて、俺の携帯にはたった今古泉からのメールが届いた。
内容は、呼び出しだ。
体育館裏に呼び出されると、そこには涼宮さんと朝比奈さんの二人を除く団員が集まっていた。
まだ話は始まっていないらしい。まあ、この面子の時点で察しはつくよね。
「迅速な行動、ありがとうございます」
「いいから要件を言え」
「お気づきですか?」
「あれで気づかない方がどうかしてると思うけど……どうやら谷口や他の生徒の様子は普通だった。そんなすり替えじみた芸当が出来るのは一人しか居ないね」
「ああ、赤組と白組が入れ替わったんだぞ」
「まさにそうです。この逆転現象は涼宮さんによるものですよ」
逆転がお望みならばただ劇的に勝てばいいんじゃないのか?
どうして彼女はこんな迷惑じみた方法をとったのだろう。
「オレたちがこの逆転現象に気づけたのはSOS団だからかな?」
「どうやらそうですね。彼女に親しい人ほど違和感を感じる。何故かはわかりませんが」
「草野球大会と同じか……? ハルヒが勝たなきゃ駄目ってことか」
「いえ。今回はどうやら違うようです」
若干どや顔っぽく焦らす古泉に俺もキョンもイラッときたのは確かだ。
「閉鎖空間の発生分布が異なります。野球大会では涼宮さんが劣勢になったから閉鎖空間が発生したのですが、この体育大会においては時間の経過とともに小規模なものから発生しています。つまり、涼宮さんのストレスも時間と共に上がっている」
「わかりやすく説明してくれ」
「勝敗がストレスの原因じゃないんですよ。もっとも、先ほど我々が出場した部活リレーの間は、彼女も落ち着いていたようですが」
「……涼宮さんはまさか、この体育大会、あるいは紅白戦そのものに不満があるって事かな?」
「僕も予想に過ぎませんが、そうでしょうね。何故かは不明です、涼宮さんの感情も我々との交流を通して複雑化している傾向にありますから」
感情の複雑化、多様化、大いに結構。
何せそれらは精神の成長に欠かせないものだからだ。
ただし巻き込まれているのはいつも俺たち外野である。
「訳がわからん。じゃあ俺たちはどうすりゃいいんだ。お前の言い方だと勝てば解決しないみたいじゃないか」
「……この催しの本質は代理戦争」
「はぁ?」
「ふふ。人間は本来闘争を好むものよ。どんなに嫌だって言ってもね」
朝倉さんがウィンクしてこっちを見てくる。俺に思うところがあるらしい。
だが俺は降りかかる火の粉を払ってきただけだ。
それに、朝倉さんの暴走も"巻き戻し"も、話し合いで解決した。
戦わずに済むならUMAだってそうしたかったさ。あれが本物だったら仲良くなれるかもしれない。
「涼宮ハルヒの意図が不明な以上はゲームの本質を彼女に見せる」
「これが、現状の解決策でしょう」
「どういうことだ」
「なるほど、"ゲームの本質"ね」
「明智さんは理解していただけたようですね。ええ、彼女はこの代理戦争の本質そのものがわからない。よって――」
「古泉たち"赤組"が、オレたち"白組"を倒す」
「――それも、圧倒的な力で。ですよ」
まったく……荒れなきゃいいんだけどね。
その予感も虚しく、グラウンドに戻ると状況は変わっていた。
「あんたら、何てザマなの!」
涼宮さんが激昂するのは無理もない。
逆転現象が起きた時点では白組は300点近くで赤組はいいとこ180点だった。
それがなんと、赤組は倍を上回る380点まで伸びているのだ。現在白組は20点差で負けている。
地力で劣っていたのもあるかもしれないが、ここまで追い上げたのは赤組のエース。その名も――。
「おおっと、赤組一年の長門有希。凄い追い上げだ!」
実況の放送局員も熱が入っている。
長門さんは今回真剣らしい。
ありゃ俺でも勝てねーわ。俺がインチキしてどうにか五分ってところか。
……すると、古泉から携帯に着信が入る。
とりあえず校舎の裏へ行くとしよう。キョンもついてきた。
こんな時代に多人数通話アプリケーションなどあるはずもない。
ハンズフリー機能でどうにかする。
「おい古泉! こりゃ一体どういうことだよ。いくら何でもやりすぎだ、ハルヒが怒るぞ」
「いいやキョン。これでいいんだ、これで」
『はい。涼宮さんが勝てばいい……。そうとは限らないからこうしているんですよ』
「何だって?」
『今重要なのは"ワンサイドゲームではつまらない"という判断に他なりません。だからこそ涼宮さんはせめて勝ち馬に乗りたかった。しかしながら現状でも閉鎖空間が発生しています。つまり、彼女のストレスは勝つことでは解消されないのです』
「そう、草野球大会でも涼宮さんが味わえなかったもの。それは接戦だ」
『ええ。クロスゲームの方が"燃える"でしょう?』
こっちの身にもなってほしい。が、紅白戦に罪はない。
原因があるとしたら、いつも通り"涼宮ハルヒ"なのさ。
"白組"陣営に戻るとさっきまでのやる気はどこへやら、再び意気消沈している。
これでは"赤組"の時とまったく同じである。唯一の救いはまだ逆転の余地が大いにある事だが。
「まだよ……まだ、終わらないわ」
涼宮さんは一人でも「白組、ファイトー」と叫んでいる。
なんだか見ていて痛々しい。それほどまでにやはり涼宮ハルヒもただの少女だった。
キョンも首を振っている。お前がどうにかしてやるべきなんだぜ。
そんな彼女を見て谷口が「涼宮!」と。
「もういいぜ、この辺でよ……。これだけやったんだ、皆もう疲れてんだよ。俺たちは頑張ったさ」
「あんた……」
他の白組連中も同意見らしい。
覇気がないし、これ以上涼宮さんの姿を見てられないのだ。
だが、彼女はまだ死んでいない。
「その言葉、取り消しなさい」
それは凛とした声だった。
まったく……キョンがやらないなら、俺が手伝うとするかね。
「あたしが聞きたいのは弱音じゃないの。強い熱意よ。こんな状態で、あんた達は最後まで"頑張った"って言えるの?」
「オレも涼宮さんに同意見だ」
「明智」
おいおい、注目しないでくれよ。
有名人としての鳴りはすっかり潜んでいると思っていたんだけど。
「勝負の世界にあるのは勝ちと負けの二元論だけだ。だが、実際に戦うのはオレたち人間だろ? そこには心がある。そして、お互いへの敬意がある。……オレはサッカーは嫌いじゃないが、サポーターは嫌いだ。知ってるか? 負けたチームのサポーターには試合が終わったら全力を尽くした選手たちに平気で罵詈雑言を浴びせる連中が居るんだぜ? それのどこが応援なんだろうな? 海外で彼らはフーリガンと呼ばれ、暴徒化し、社会問題にもなっている。今のお前達は心がなければ、相手への敬意もない。そんなクズ以下の連中と同類なのさ」
台ドンの時以来の静寂が辺りを包んだ。
いや、朝倉さんだけは何か笑っている。
やれやれ……、これだから説教は苦手なんだよ。
脅すだけなら他に方法はあったが、わざわざ使うまでもない。
「悔い改められれば、別だけどね」
そう言って俺は白組陣営を後にした。
紅白リレーを落ち着いて見れる場所へ行くためだ。キョンがアンカーだからな。
「意外だったわ」
一人で遠巻きにリレーを眺めてた俺の横に来たのは朝倉さんだった。
何が言いたいのか察しはつくけど一応確認してみる。
「何が、かな?」
「あなたが涼宮さんの肩を持った事よ。やっぱり羨ましいわね」
谷口たちがロクでもない連中に成り下がっていたのは確かだし、涼宮さんは元々ういた存在だ。
それのどこがいいんだろう。
「あの説教の半分は自分に対してだよ。オレは精神の成長なんて語れるような奴じゃない。だからこそ、自分の能力を"臆病者の隠れ家"って呼んでるのさ」
「ポジティブなのかネガティブなのか、明智君はコロコロ変わるのね」
「朝倉さん。……人間の感情なんてそんなもんさ」
どれだけ気分が良くても、たった一つの出来事で転落してしまう。
人間はかくも弱い生き物だ。
「ふーん。そうかもしれないわね。でも」
朝倉さんが指を指すと、そこはキョンがちょうどアンカーになるところだった。
「応援くらいしてあげたら? 友達なんでしょ?」
「余計なお世話だけどね」
「どういたしまして」
俺はレーンから遠い位置に座っている。
――だからどうした。
こう見えて俺は、前世で声量だけは褒められてたんだ。
応援ってのは結局な、"心"ありきなんだよ。
「おいキョン! 負けたら承知しないぜ!!」
その言葉が届いたかどうかはしらない。
だが、あいつは普段の無気力さからはとても考えられない脅威の走りを見せた。
そして白組がリレーに勝利。逆転のチャンスを掴んだ。
確かに勝敗は問題じゃあないかもしれない、だが。
「朝倉さん、次は騎馬戦だ。勝ちに行こう」
「そうね。でも私たちの学年からは涼宮さんが出るわ。私たちはお休みじゃない」
おいおい、君は宇宙人だろ?
「知らん。役に立たない二年生や三年生と交代してもらえばいいさ。そんな連中よりオレはよっぽど朝倉さんの方が強いと思うよ」
「まったく……あなたはいつも強引なのね」
「いざとなったら得意の情報操作があるでしょ? これも涼宮ハルヒのためになるのさ」
「しょうがないわね」
どうせ観測だけじゃ暇なんだ。
こんな時ぐらいなら目立ってやってもいいんだぜ。
「オレは年中にやけ顔の古泉が悔しがる所を見たいんだ」
「ま、赤組は長門さんが出るから。ちょうどいい憂さ晴らしになるわね」
頼むからナイフはよしてくれよ。
――午後十五時過ぎ。
長かった体育祭も全行程を完了し、閉会式を残すのみとなった。
まあ、わざわざそんなもの行く必要もない。
俺とキョンは校庭の端の草むらでのんびりしていた。
「お疲れ様でした」
古泉だ。お前はエリートクラスなのに閉会式をふけるって、不良じみた事をやってていいのかね。
「ふん。今思えば"赤組"は長門のワンマンチームだったぜ」
「涼宮さんも負けてなかったでしょう? それに、最後の騎馬戦。まさか朝倉涼子が出てくるとは……明智さんの差し金ですか?」
「そうだよ。オレも、あのまま帰ったらかっこ悪いと思ったのさ」
「お見事でした。我々"赤組"の完敗です」
そうだ。
俺たち白組は騎馬戦で勝利し、見事に逆転優勝を飾った。
最終的な点差は10点もない。ギリギリもいいところである。
「閉鎖空間はどうなった」
「消滅しましたよ。涼宮さんの望み通りの結果になったからです」
「結局ハルヒが勝ったんだ。紅白を逆転なんかさせる必要があったのか?」
「では逆にお尋ねしますが、あの点差で長門さんのいない逆転現象前の"赤組"が"白組"に勝てたでしょうか? 朝倉さんもどうやら長門さんほど活躍はしませんでしたから。まあ、わざとでしょうが」
むしろ現赤組が長門さんをゴリ押ししすぎなのだ。
ほぼすべての競技に出ていた。鉄人か。
「僕が考えるに、涼宮さんは戦っているという実感が欲しかったのですよ」
「実感だと?」
「長門さんが言っていたように、代理戦争だったのです」
「そしてその本質、みんなでぶつかり合うこと。涼宮さんは自分一人だけが強くても、面白くなんかないんだ。草野球だって一方的な展開の連続だった」
「その通りです。高校とは受験やスポーツ、そして定期考査。形を変えたいわば戦争が連続します」
「お前たちの戦争論なんか知りたくもねえよ」
「いいや、簡単な事さ。涼宮さんが一番許せなかったのは、一方的な展開と言うより、谷口や他の生徒がもう"諦めていた"。一緒に戦ってくれなかったからストレスを感じたんだ」
「接戦になるにつれて閉鎖空間は不思議と収縮していきました。その頃には"白組"の皆さんは選手に対して、けただましいまでの声援を送るようになりましたから」
あの谷口も、騎馬戦の時には大声を出して応援してくれた。
なんだかんだであいつは悪い奴じゃないのだ。
キョンは一言「やれやれ」と言い。
「常にシーソーゲームになるように仕組まれてたってわけか……」
「来年は僕たちが勝ちたいですね」
「残念だけど、オレも負けず嫌いな涼宮さんの気持ちはよくわかるんだ」
「おい。どうでもいいが、またハルヒのごたごたは勘弁してくれよ」
「大丈夫だってキョン。閉鎖空間の処理は『機関』のお仕事さ」
「おやおや、これは作戦が必要かも知れませんね」
古泉はどうも笑顔が絶えないらしい。少しは悔しがればいいのに。
いや、俺だって多分負けてても気分が良かっただろう。
みんなでしっかり戦えたんだ。最後まで。
――これはそんな、秋の一幕だった。