ハルヒによる重大発表があった日の部活が解散した後。
俺は古泉に尋問を試みたのだが、問答の末に満足の行く回答は得られなかった。
「この件に『機関』は無関係ですよ。報告はしましたが、それだけです。僕は超能力者集団の一員であると同時に一介の高校生です。今回の件も星の巡りというものでしょう」
なるほどな、まあいいさ。
俺も一々と聞きたくもないふざけた話なんて聞かない事にするさ。
だが星の巡りとやらがアテに出来ない事だけは確かだ。
どうせこれも恒例のハルヒが望んだから云々理論なんだろ? 万歳万歳だ。
合宿にあいつがどんな期待をしようが勝手だが、「名探偵」ね……。
殺人事件を望むほどハルヒが狂気に満ちていない事を俺は期待するよ。
何故ならば"絶海の孤島"と、合宿の場所が場所である。
事件におあつらえ向きの合宿地だと俺は全くもって思いたくないね。
そんなことより夏だ海だの三泊四日。
なんと砂浜までしっかりとあるのだ、合宿は半ばと言うか100%に強制参加なんだし最低限は希望的に考えよう。
そこに海があるからには即ち泳ぐのであって、更にそこには水着があるのだ。
SOS団の団員うち半分以上は女子だぜ?
しかもみんな美的ランクが高いときた、慰安旅行にはもってこいじゃないか。
ハルヒや朝倉を追いかけるほど俺は命知らずじゃないが、せめて朝比奈さんの水着姿を拝む準備くらいはしておこう。
合宿についてだが、ずいぶんと虫のいい、あるいは気前がいいことに食費を含めた宿泊費用は全てロハだと言うのだ。
俺たちの負担は往復のフェリー代くらいである。
だがそれは夏休みで料金が上乗せされている事を加味しても大した金額じゃない。
そのようないきさつで、俺たちは現在フェリー乗り場で乗船時間を今か今かと待ちわびているのだ。
しかしながら、ハルヒは行き急いでいるのか生き急いでいるのか知らないが、どうしても早く合宿に行きたいらしい。
何せ一学期の終業式は昨日で、今日は夏休みの初日。
合宿をこんな時期にやる部活動なぞ俺は一度も聞いたことがない。
古泉の親戚さんはいつでもいいとの話だったが、ここまでせっかちだとは思ってもいなかったんじゃないかね。
「フェリーなんて久しぶりね」
ああ、そうだな。俺だってまさか高校の、それも1年生でまた乗る事になるとは思わなかったよ。
そのまま海でも眺めながら一日中大人しくしててくれ。外に出てこそのサンバイザーだ。
「おっきい船ですね。どうやって水に浮いてるんだろう」
白いサマードレスと麦わら帽子、やはり朝比奈さんは何をお召しになられても栄えます。
こんな中古品もいいとこのフェリーに感動してるあたり、未来技術の発達とやらが窺えるね。
時間遡航さえ可能な彼女にしてみればこの時代はさながらフリントストーンだろう。
「……」
その後ろで長門はぼんやりと虚空を見つめている。視線の先にあったのは船の横にあるこのフェリーの運営会社名だ。
こんな時でも制服なのだろうかと俺は考えていたが珍しいことに長門は私服だった。
ライトグリーンをベースとしたクロスチェックのノースリーブ。日傘も差しており、清涼感を感じさせた。
市内探索の時もこれぐらいのコーディネートを期待してるのだが。
「いやあ、晴天に恵まれてよかったですね。クルージングにはうってつけですよ。残念ながら船室は二等ですが」
それで充分ってもんだぜ。
ベージュのサマージャケットを着込んだ古泉が俺の一言に「そうかもしれませんね」と応じる。
「通貨とは、本質的に無価値であり、流動的な媒体物である。……要するに安けりゃそれでいいのさ、オレは大金を持ち合わせちゃいない」
俺と古泉のやりとりに意味不明な講釈で入ったのは明智だ。
グレーのワイシャツ――詳しくは知らないが安物じゃなさそうだ、オーダーだろうか――にブラックのジーンズ。
そしてこれまたそこそこの値段がしそうなサングラスをかけている。アスリートが使うようなやつだ。
普段の無気力さからは想像できないが、こいつは意外にもこういう事にお金をかけるタイプなのだろうか。
「ずいぶんと甲斐性がなさそうな事を言うのね、明智君」
最後に明智の横で呆れた表情をしているのは朝倉だ。
白のTシャツの上に青のキャミチュニック、下はショートのレギンスと、落ち着いた大人な恰好である。
と、合宿メンバーはこれで全員だ。
早朝に家を出る折に、妹に泣きつかれて勝手に付いてきたのは夢だ。
そのせいで集合時間に遅れたのも気のせいだ。
朝比奈さんとすぐそこで戯れている俺の妹は幻覚なのだ。
古泉が言ったように、俺たちSOS団に割り当てられた客室はパーテーションすらない大部屋だ。
俺たちが乗るのはもともとハイシーズンすらないようなフェリーなのだが、そこそこの乗客は窺えた。
そして、朝比奈さんと楽しい会話を弾ませているとまもなくフェリーが到着した。
愚妹のおかげで遅刻する羽目になってしまった俺はSOS団恒例の罰ゲームである奢りをさせられていた。
俺のお土産代金は8人分の幕の内弁当の前に消え去ってしまったのである。
せめて朝倉がいつものように明智との仲良し弁当を用意していれば心なしか負担は軽くなったのだが。
まあ、三泊四日の旅で弁当箱なんか邪魔になるだけだからな。
ハルヒと古泉の雑談によるとこれから六時間で港に到着し、そこから知り合いが用意した専用クルーザーに乗り換えて約三十分。
いかにもスケールが大きい旅ではあるが、問題はこの集まりが合宿と呼べるようなものではないという一点に集約されるだろうよ。
明智の野郎は弁当を食べ終わるや否や、いつも使っている黒色のメモ帳とペンを持ってどこかへ消えてしまった。
文芸部部員としての創作活動なのか、あるいはこの前の象形文字を書いているのか、どちらにしても難儀な奴である。
片道六時間な上に帰りも同じフェリーなので計十二時間は乗る事になるのだ。
わざわざ探検なんぞするまでもないが、ただ波に揺られるのも暇なので未だに戻らない明智を除いた七人で大富豪をすることになった。
ひとしきり楽しんだ後、全戦全敗の古泉が買ってきたジュースを俺は黙々と飲んでいた。
この期に及んで俺は不安を感じていたからだ。何もフェリーに対してではない。
しかしながら家に居たところで宿題に手を付けようとは思えないのも事実で、割に合わない訳ではないのだが。
とりあえず俺は寝ることにするよ。起きていてもやる事がないんだからな。
明智が居れば何か暇つぶしの道具を出してくれそうだが、どこへ居るのかがわからない。あいつなら機関室まで行きかねない。
そして屁理屈が特技の古泉の相手をしてやれるほど俺は心が広くないんだ。
お休み。
――どすん。
と何かに叩かれたような衝撃がして俺の意識は回復した。
「うふ。キョン君の寝起きの写真撮っちゃいましたぁ。寝顔も撮ったんですよ、よく寝てました」
デジカメを手に持った朝比奈さんが俺にそうほほ笑んでくれた。
おお、寝顔だって?
朝比奈さんが俺の寝顔を撮る理由なんて何があるのだろう。
ひょっとしてプリントアウトして写真立てにでも入れてくれるのか。
だが、俺を叩き起こした犯人はまさか朝比奈さんであろうはずもない。
その犯人ことハルヒは朝比奈さんのデジカメを奪い、にやけ顔の俺に対し。
「やっと起きたのね。……なぁにニヤニヤしてんの? みくるちゃん、こいつの寝顔なんて馬鹿みたいだからよした方がいいわ」
何故起きてそうそう肉体的にも言論的にも叩かれる必要があるんだ。
しかし、どうやら俺が寝ている間に乗り継ぎの港がある島へ到着したらしい。
これは少々損だったかもしれないが、船内での遊びなど帰りに楽しめばいいさ。
その体力が残っていれば、だが。
「初めの一歩が重要なのよ。あんたからは合宿を楽しもうって気概がとてもじゃないけど感じられないわ」
そうかい。で、そのカメラには何の意味があるんだ?
「みくるちゃんには今回、SOS団専属の臨時カメラマンになってもらったの。あたしたちの輝かしい活動記録を後世へ残すためにね」
でも、撮るのはあたしの指示よ。と付け加えてハルヒはそう宣った。
それは結構だが、では俺の寝顔のどこに資料的価値があるのだろう。
「公開処刑よ! 緊張感のないあんたのマヌケ面を見れば、誰もが緊張感を持ってくれるでしょ?」
お前はどこのラッパーだ。
まあいいさ、それで。勝手にしてくれ。
「ふん。見なさい、他のみんなを。合宿に対する熱意がこれまでかと言わんばかりに伝わってくるわ」
そうなのか? ハルヒが指差す先には他の団員が既に下船へ向けて荷物を抱えていた。
いつの間にか明智も戻ってきていたらしく、弄られている俺を見て笑っているのが見受けられた。
「涼宮さん。きっと彼は合宿へ向けて英気をやしなっていたのでしょう。きっと素晴らしいサプライズが待っていると思いますよ」
「オレは種無しマジックをやるって聞いたけど」
古泉よ、それはフォローになってないし、むしろ俺に対する風当たりが強くなるだけに終わるぞ。
そして明智。俺はそんな事を言った覚えは一秒たりともないのだが。
俺はお前たちに対する認識を改める必要があるらしい。
……ともあれ、もう着いたのだ。
現時点で俺がやった事など弁当の買い出しと大富豪のみだ。
とてもじゃないが青春とは程遠い。
どうにか海水浴で俺の楽しみを発掘したいものである。
フェリーを降りた俺たちを港で待ち受けていたのは、どこからどう見ても執事とメイドであった。
その二人は当然と言えば当然だが古泉の知り合いらしく、古泉は会釈をして。
「どうも。お久しぶりです新川さん。森さんも出迎えご苦労様です。わざわざすみませんね」
俺たちは古泉のペースに置いてかれていた。
いや、少なくとも俺はこんなマジもんの執事とメイドを生で見たことがない。
「ご紹介します。これから我々がお邪魔することになる館でお世話になるであろうお二人が、こちらの新川さんと森さんです。まあ、見ての通りの職業ですよ」
そうだろうな。
これで軍人とか言われた日には俺は泳いで帰ってやってもいい。
それほどまでに執事とメイドの出で立ちは洗練されていた。
「ようこそお待ちしておりました。執事の新川と申します」
「森園生です。家政婦をやっております」
二人はそれぞれこちらへ一礼する。
練習しているのか職業柄身についているのかは知らないが、二人とも同じ角度で頭を下げ、同じタイミングで礼を完了させた。
執事の新川さんは頭にある毛という毛が全て白く、老紳士といった出で立ちであったが、その一挙一動は衰えを感じさせない。
家政婦の森さんはSOS団女子に引けを取らない美貌をお持ちの方で、しかしながら顔からは年齢がまったく判断できない。
俺たちと同世代と言われればそうかもしれないし、もしかしたら三十を超えているのかもしれない。
使用人ながらに個性的な方々であった。
一連の出来事にはあのハルヒでさえたまげたらしい。
確かに古泉の知り合いが来るとは聞いてたが、クルーザーだぜ。
てっきり、アロハシャツを着込んだ無精ひげのおっさんが来るものだとばかり思っていた。
明智の奴は「興味深いね」だとか呟きながら二人に向け、指を物差しのようにL字にして何かを測っていた。
長門も朝倉もリアクションと言えるほどの反応はない。冷めた宇宙人である。
朝比奈さんは本物のメイドである森さんに感動したらしく、羨望の眼差しを森さんへ向けていた。
自己紹介が一段落したと判断した新川さんは。
「それでは皆様、こちらで船をご用意しております。窮屈な船ではありますが、我が主が待つ島までは半時ほどで到着いたします。不便かと存じますがしばしの間、どうかご容赦のほどをお願いします」
と言い再び森さんと一緒にお辞儀をする。
そしてすぐさま俺たちを船があるらしい桟橋へと誘導してくれた。
丁寧な立ち振る舞いと迅速な行動、二人とも正に使用人の鑑である。
このお二方を見て少しはハルヒも社会性のなんたるかを学べばそれだけで合宿の甲斐があったってもんだ。
フェリーを降りた港からその桟橋へはものの数分もせずに到着した。
"窮屈な船"とは謙遜もいいところで、俺が想像していた数倍は豪華な自家用クルーザーがそこにはあった。
この人数を乗せても余裕がありそうである。ますます持ち主の富豪さんとやらが気になってくるね。
しかし気になると言えばむしろ古泉である。
こんな方々と知り合いな上に、親戚とやらは富豪らしい古泉は、いったい何者なんだろうな。
新川さんと森さんとのやりとりから、ひょっとするといいとこのお坊ちゃんなのかもしれない。
もしそうだとしたら悲惨だな。たいして敷居が高くない北高なんぞに、ハルヒのためだけに転校してきたのだ。
ますます『機関』とやらがアホらしく思えてくるね。
と、そんなことを考えているとみんな既にクルーザーに乗り込んでいて、朝比奈さんを古泉がエスコートしていた。
ちくしょう。
その役目、帰りは俺がやるからな――――」
――ん?
そうか。
すまない、どうやら前置きが長かったらしい。
そろそろ本題に入るとするよ。
確かに今回の話のメインはこの後の出来事だが、新川さんの台詞を借りるとすればどうか容赦してほしい。
いきなり「海だ!」なんて言ってハイ回想という手法が許されるのは精々が少年誌くらいなもんさ。
わざわざ俺が話を進めない以上、これにも意味はあるし、何よりこの時点で伏線はもうあるんだ。
犯行の動機としては、いささかぱっとしないんだけどね。
重要なのはこんな茶番があったという報告だけで、俺が"いつの明智黎か"なんてのは気にしなくていいんだ。
ただ一つだけ、俺が今言えるSOS団夏季合宿の感想としては。
ま、朝倉さんの水着姿が最高だったって事くらいかな。