時間は有限である。
どこぞの偉い人に言わせればイコール金、資本であり取り返しがつかないものでもあるそうな。
にも関わらず俺は横になって天井を眺めているのさ。
何故か、そう、今は長期休暇でありつまるところ夏休みであるのだ。
「ねえ朝倉さん」
夏休みに入ってから毎日の如く朝倉さんが住む分譲マンションの505号室を避暑地としているわけなのだが、何をするでもなく一日一日を消化するだけ。
嗚呼、時間は有限であるなんてどの口が言えるのやら。
といっても後少しすれば原作におけるトップクラスにトンデモなイベントが待ち受けていつのだから今は現実を忘れさせてくれ。
「なあに?」
雑巾で窓ふきをしている朝倉さんは特にこちらを見ずに応じる。
彼女の部屋の居間のソファでくつろいでいる最中、ふと俺は気になったことがあったのだ。
「いやさ、朝倉さんの出身中学校って確か市外だよね」
「そうね。そういうことになっているわ」
原作一巻でそれとなく触れられていたことだ。
なんでも市外の中学から北高に越境入学した体で一年五組にいたらしい。
しかしながら長門さんは原作の描写的に俺たちの世代が高校に入学するまでの三年間特に中学校とか行ってなかったはずで、
「私も長門さんも中学校には通ってなかったわよ」
とのこと。
「行く必要があると判断されなかったもの。特に東中なんて、あの時期の涼宮さんは私たちが何もしなくても有機生命体の文明を崩壊させてたかもしれないし、そういう意味でも観察がいいとこだったの」
「なるほど」
義務教育なんてものが宇宙人に通用するはずもないし、とやかくは言えまい。
「だけどこの部屋の契約自体は三年前から済ませてたんだよね?」
「ええ。それが?」
「学区は自由じゃあないんだから、三年も前からここに住んでいることがもし普通の人にバレたらマズいんじゃあないのかな。こんなとこから市外の中学までわざわざ通ってたなんて、おかしいと思われるでしょ」
「そんなこと心配する必要もないわ」
朝倉さんはかがんで床に置いてあるバケツに雑巾を入れて洗い、それから絞りながら。
「万が一に私たちのことを詮索するような第三者がいたらすぐ排除されるうえに、まず古泉一樹たち『機関』が動くと思うわ。面倒なことになったら彼らが一番困るはずよ」
それもそうか。排除ってのは穏やかじゃないけど。
ともすれば管理人室のお爺さんは『機関』の関係者なのかもしれない。
原作では朝倉さんが分譲マンションに入居した時期を知っていたし、涼宮さんに最低限の情報しか与えなかったという点でも頷ける。
ま、どうあれ俺には関係のなさそうな話だけど、気になったから聞いてみただけのことさ。
「……何か用かの?」
分譲マンションのエントランスホール脇に位置する管理人室。
そこの壁に設置されている呼び出しベルを押してから少しばかりして白髪の爺さんがガラス戸の前に現れた。
俺は自分が出せる範囲内での営業スマイルを作りながら騙る。
「大したことではないのですが、少々お尋ねしたいことがございまして」
「住民の個人情報に関わることならお答えできませんのう」
「いえ、本当に些細な質問ですよ」
ちらりと横目で左隣に立つ朝倉さんの方を見て。
「彼女がいつこのマンションに入居したのか、なるべく正確な日付をお聞かせ願えませんか」
管理人のお爺さんはさぞ奇妙に思ったことだろう。朝倉さん本人に聞けばいい、と。
しかしながら当の朝倉さんも「お願いします」と一礼したことによってお爺さんは思い出すように斜め上を眺めながら。
「んんっ、そうさなぁ。たしか三年ぐらい前の七月いっぴには契約が完了していたはずじゃが……そうそう、そこの嬢ちゃんが高い菓子折りを持ってきてくれたからの。ふむふむ、昨日のことのように思い出せるぞい」
「……え?」
管理人の供述を呑み込めていない朝倉さんは口を丸く開けている。
続けざまに老管理人は。
「嬢ちゃんがここに来てからずいぶん経つが、わしゃあ未だご家族の方に会えとらんのう。契約には立ち会わんしの。確か親御さんはカナダじゃったか? 若いのに難儀なことよ」
これ以上はややこしくなりそうだ。切り上げよう。
「そうでしたか、充分です。ありがとうございました」
俺は制服に着替えなおした朝倉さんの手を引いていっしょにその場を後にし、マンションの外に出た。
それからひとしきり歩いた後。
「うそよ」
朝倉さんは立ち止まり、俯いて。
「私は管理人さんに挨拶はしたけど菓子折りなんて買ってないわ」
「うん」
「あのマンションに住むようになったのも高校に入ってからよ」
「……うん」
「中学生の時に家族で暮らしてたのはここから遠くの、県境に近い――」
「朝倉さん」
俺の呼びかけにびくっと肩を震わせる朝倉さん。
「もう、いいだろ」
こういう時に何もしてやらないのは最低だ。
「オレの言ってることを全部信じろとは言わないけれど、現実問題として朝倉さんの認識と辻褄が合わないこともあるんだ、どういうわけかね」
「何かの間違いよ。あのお爺さんの認識がおかしいだけだわ」
「そうかもしれない。でも、そうじゃあないかもしれない」
あえて突き放すように俺は淡々と。
「たとえばの話だけど、今すぐ君の両親に電話をかけてみてくれ」
「えっ? あっちは夜なのよ……」
「なら留守電にでも入れておけばいいさ。とにかくまず電話をしてほしい」
朝倉さんは俺の態度に釈然としない様子でケータイを取り出しテンキー操作をした後、耳に当てる。
確かにカナダとの時差は半日近い。今の日本が十一時も半を回ろうかという時間なのでカナダはおそらく夜の十時過ぎといったところか。
午後十時ぐらいなら十分に朝倉さんの親も起きていると考えられるけど、そもそも日本時間を考慮するとこの昼間のタイミングで朝倉さんが両親に電話をかけること自体が稀なので、ともすれば相手方は驚く反応をするだろう。朝倉さんはそれが煩わしく思えるタイプの人間に違いない。
だが、
「……そんな」
電話が繋がらないどころか『おかけになった電話番号は現在、使われておりません』という電子音声ガイダンスが流れたら?
つまり、朝倉さんに本当に親がいるかどうかの証明はできないというわけなのさ。
それから彼女は携帯電話の連絡先に登録されていた祖父母にも電話をかけたが、ついぞ繋がりはしなかった。
朝倉さんは茫然自失な様子である。
「誰一人として身内に連絡がつかない、単なる偶然にしては出来すぎてると思わないかな」
「何かの間違いだわ」
「言っておくけどやらせじゃあないぜ?」
「……」
流石に黙り込む彼女。
ふむ。正直なところ俺はそこまで期待していなかったがどうにか矛盾点を見出すことができたようだ。
原作で涼宮さんが不思議がっていた、朝倉さんが県外の中学校出身なのに中学生のころから件の分譲マンションに住んでいたという点。
この点は世界改変の折に他の人から不審がられぬように有耶無耶にされたのだろう。
では、何故管理人のお爺さんが改変前の世界の認識を持っているであろうと予測していたかといえば、仮説レベルではあるがそれなりの根拠がある。
【消失】で涼宮さんが七夕のことを覚えていたから。いや、もっと言えばこの改変の規模には限界があったのだ。
朝比奈さんたち未来人によると、この世界はある時間軸を基準に成り立っていて、それより過去にはどうしても遡行できない。
古泉いわく世界は三年前のある日にできたのかもしれないそうだが、いずれにせよ俺たちには三年以上前の記憶はしっかりとある。
だいたいからして俺たちSOS団の面々など三年どころか全員がしっかり関わったのなんかまだ半年とちょっと程度の期間だ、三年より昔のこと全てを改変する必要もないのだ。
それに、朝倉さんら宇宙人が地球に来たのは少なくとも東中地上絵事件より前。三年前の七夕が改変されてなけりゃ、宇宙人来訪に関してもノータッチと踏んだわけよ。
「私にどうしろって言うのよ……」
焦燥気味の彼女。
俺はそこに付け入るかのように説得を試みる。
「さっきも説明したけどオレにはやらなくっちゃあならないことがあるんだ。朝倉さんはその協力をしてほしい」
大統領も拍手モノの白々しさだ。
「世界を元に戻すっていう話かしら」
「うん」
「じゃあ教えてちょうだい」
何をだい、と軽い調子で問い返せる雰囲気ではなかった。
朝倉さんの焦点が怪しい視線は俺をどうにか捉えて一言。
「あなたの望み通りにうまくいったとして、私はどうなっちゃうの?」
難しい質問だ。
「世界が変わってたのが"なかったこと"になるんでしょう? その間の記憶は、私は、どうなっちゃうのよ。まさか」
「わからないよ」
そんなことは俺にもわからない。
ただ彼女を落ち着かせるためには正直に語るしかなかろう。
「元々のお話の中では変えられた世界がどうなったかはわからずじまいなんだ」
一説には平行世界として存在し続けてるなんてのもあるけど、順当に考えれば。
「この世界があったという事実がかき消されるだろうね」
「そんな……」
むしろこの考えの方が現実的だ。世界が消える消えないなんてのがもう非現実的なのに現実的ってのもおかしいけど。
お互い口にまでは出さなかったがこれが事実上の"死"に近いことは理解している。
言うなれば俺がこれからやろうとしているのはゲームの分岐点で作っておいたセーブポイントから別のルートへ移行するということだ、選ばれなかったセーブデータがどうなるのか? それは俺にもわからない。リアルとバーチャルは違うから。
「もちろん、こっち自体には何も起こらない可能性だってありうるよ」
「だったらあなたは? 明智君は?」
「さあ。わからない」
普通に考えたら俺がここからいなくなって終わりな気がするんだけど。俺の代わりの俺がいるなんてことは考えにくいし。
そんな俺に対して朝倉さんはどこか必死な様子でこちらに寄りかかってくる。
俺は慌てて彼女の両肩をホールドして支える形であるのだが、流石に俺も精神攻撃が下手だったということか。別に彼女を追い詰めたかったわけではないのだ。打算的なものが俺にあったのは否定しないが。
朝倉さんは消え入るような声で。
「いなくならないで」
「……ごめん」
「あなたの言ってることが本当だって信じるわ、でも、あなたはこの世界にいたっていいじゃない」
「悪いと思ってるよ」
「だったら私を選んでよ。あなた、また私の前からいなくなるつもりなの?」
「オレを許してほしいとは言わないけど……すまない」
消失世界の彼女と俺とに何があったのか俺は知らない。
だが単なる偶然で付き合っていたようには思えなかった。
ともすれば俺のあずかり知らぬ因縁じみたものがあるのかもしれないな。
でも、
「朝倉さん」
俺には、
「君にもう一つだけ話しておかなくっちゃあならないことがあるんだ」
この事件を終わらせる責任がある。
なぜならそれは俺が始めたことだからだ。
今、誰なのかがようやくわかった――
第一に、強くてニューゲームってのは俺に言わせればちゃんちゃらおかしな話である。
いやいやいやいや、そこの異世界人。お前がまさしく"強くてニューゲーム"な状態じゃないかって言いたくなるだろう?
俺が言いたいのは俺の主義というか考え方みたいなことがあって、こういう異世界体験記に基づくものではない。昔からの持論だ。
人間は往々にして『やらないで後悔するよりもやって後悔した方がいい』といった自分を正当化するような自己肯定の主張をしたりなんかする。
べつに間違ってないと俺は思う。つまるところ人間ってのは満足したいのであって、選ばなかった選択肢を考えればそりゃあ悔やんでも悔やみきれないことは多々あろう。
だからこそ俺はもし強くてニューゲームなような状況、昔の自分に立ち返れるという状況があるのならば別の選択肢を選ぶなんてことはしないと考える。
理由は簡単だ。昔の自分を否定したくないからだ。
俺は常に同じ選択をし続けるだろう。
「そろそろかな」
「ええ」
腕時計の時刻を確認、頃合いだ。
――私立光陽園学院。
本来ならば女子しか入学のできないお嬢様学校だったが世界改変の折に県内有数の進学率を誇る男女共学私立校と化している。
あと数分で下校時間になる。というわけで朝倉さんに協力してもらうこととなった俺は原作よろしく校門付近で待ち伏せ作戦だ、最悪古泉だけでも捕まえられれば涼宮さんの家は知っているのでどうにかなるという寸法よ。まさか住所が変わっているとかないよな?
もしくはこちらから学校内に潜入していくという手段もあるが流石によしておこう。"臆病者の隠れ家"を駆使したとしてもいずれ女子生徒に見つかりキャーと声をあげられ最終的に警備員の人とモメるような予感しかしない。
朝倉さんがいなかったらやってたかもしれないけど。
「あら、今何か物騒なこと考えてなかった?」
「……いいや」
とにかくドンパチはナシで。
いくら別世界とはいえ俺だって犯罪者にはなりたくないというものだ。
かくして待つこと五分弱、授業の終わりと思わしきチャイムが辺りに響き、それからものの数分で生徒玄関からこちらへぞろぞろと光陽園学院の生徒がおいでになられた。
「うちの生徒とはオーラが違うわね」
とは光陽園生を見た朝倉さんの弁。
横でこの言葉を耳にした俺は思わず「オーラだって……?」と反応してしまったが普通に考えれば朝倉さんが念能力としてのオーラに言及するはずもない。念能力についてはさっき説明したけどさ。
そうじゃなくて、単純に彼女ら光陽園学院のみなさんは北高生と違い覇気があるように見えるということかな。
なまじ進学率のいい、しかも私立校に通うだけあって気が抜けないのだろう。アピールせずとも意識の高さは伝わってくるというものだ。
しっかしこういう時に"円"を使えないのはえらく不便に感じてしまうな、あれがありゃあ探し物なんか一発だぜ?
まあ、よしんば使えたとしても俺の円の範囲がノブナガ程度だったら意味ないけど。
「それで、涼宮ハルヒさんと古泉一樹くんだったかしら……まだ姿は見えないの?」
何度もSOS団の団員の名前を言ったつもりはなかったけど朝倉さんはしっかり覚えていたらしい。自慢じゃないけど俺なら忘れている自信がある。
まだ姿が見えないのか、ねえ、沈黙は肯定と受け取ってほしいけど。
そんな俺の様子を見た朝倉さんは一言。
「やれやれね」
肩をすくめてみせた。
ああそうだ。俺には原作をなぞっていく以外の攻略法などなく、つまるところどうしようもないのだ。俺たちは待ち続けるしかない。
そんなこんなでこ光陽園学院の校門わきで十数分が経過した。
次第に出てくる生徒の数はまばらになり、視認性という意味では涼宮さんを発見しやすくはあるものの時間の経過からか同時に彼女を取りこぼしたのではという焦燥感にも駆られてしまう。
いや、焦るな。
焦って見落とす方がダメじゃあないか。
ここで集中力を切らせてたまるか、まばたきさえ控える努力をしてみせろ――そんな時だった。
「……おいでなすった」
冷静になれば見落とすわけもない。神だとか、SOS団とかそれ以前に、それほどまでに彼女は存在が大きすぎるのだから。
何はともあれアプローチだ。ちゃんと古泉も横にいる。
「朝倉さん」
「ん?」
俺は涼宮さんの方に指をさしてあれが探していた人だということを朝倉さんに伝える。
朝倉さんは遠巻きから一通り涼宮さんを見て。
「なかなかよさそうな娘じゃない」
「……何がですか?」
「私ほどじゃないけど」
「はあ」
と、そうこうしているうちに二人はそろってこちらの方に近づいてくる。
当たり前だ、こっちが私鉄光陽園駅に通じる道であり、通学路なのだ。
「さあ行こうか」
待っていてくれ、もう少しで決着をつけてやるから。