空は間違いなく青々と澄み切っている。
春の風とはまさに俺が今感じているそれを指すのだろう。
この、微妙な空気は確かにたまらないな。
だけどもしこれらが全て幻想だとしたら?
信じたくないが、どうやらそういう事らしい。
「どうするよ……」
「何か言った?」
「いいや何も」
高校二年生を二度味わうのは分かる。
しかし、春を三度味わうのはどういう事なんだ?
涼宮さんはごっこ遊びに満足していないのか。
とにかく俺は今、ロールプレイングゲームの次はアドベンチャーゲームの世界に来ているらしい。
それも恐らくだが恋愛モノで学園生活の中でヒロインとフラグを立てていくという奴じゃなかろうか。
あくまで推測でしかないものの涼宮さんの願望からこうなったのであれば説明はつく。
要するにキョンと恋愛したいんだろう。
俺まで巻き込まれてしまったわけだが。
と言うかこの朝倉さんは本物だよ……な?
なんか普通にこの世界を受け入れてしまっているのか、それとも異常を察知できないようにされているのか。
いずれにせよ他のメンバの状況次第である。
情報が必要だ。
「ええっと、そう言えば今日は始業式だったね」
「そうよ。……さっきからどうしたの? 様子がヘンよ?」
「どうもこうもしてないよ。軽く睡眠不足なだけだから」
「やだ、ちゃんと寝ないと駄目じゃない」
「ははは、気を付けるよ……」
朝倉さんには頼れなさそうだ。
どうして俺は現実世界の自分の意識を持っているのだろうか。
キョンと涼宮さんの恋のキューピッドにでもなれと言うのか。
やらんぞ。
絶対に。
「それにしても同じクラスになれるのかな、オレたち」
そもそも俺と彼女のこの世界における関係性が不明だ。
母さんが知っている事を踏まえるとそれなりの付き合いはあるんだろうけど。
ううむ謎ばかりだ。
誰かヒントをくれ。
「当り前じゃない」
坂を上りながら期待していいのかわからない仮初の学園生活に思いをはせていく。
朝倉さんがそう言うからには多分同じクラスになるだろうさ。
「私とあなたは運命の赤い糸で結ばれているのよ……ふふ」
この時俺はもう少し事態を重く考えるべきであった。
普通の恋愛ゲームでのらりくらりやろうなど許される訳がないのである。
何故ならば、涼宮さんがキョンに好意を抱こうが素直ではない。
それだけの精神力が彼女にはないのだ。
まだまだ子どもという事なのだが……。
俺は忘れていた。
涼宮ハルヒは恋愛を一種の精神病と捉えているという事実を。
「運命ね……そうかもしれないな」
のぼせた事を言いたくなる。
しかしながらやるべき事はやらなくてはならない。
ここから出る必要があるのは確か。
俺はSOS団七人の内誰がかけてもいやだ。
――ほどなくして北高へ到着した。
いや、まず俺が通う高校が北高かどうかも怪しかったという問題があったがそこは大丈夫らしい。
始業式という関係上生徒玄関はクラス割を見る生徒で混雑しており、沈静化は期待できそうになかった。
よって俺がそいつらをかき分けて張り紙をチェックしたところ現実の二年生のクラスと変わりなかった。
何らかの改変があるかと思ったがそうでもない。
長門さんも古泉もそれぞれのクラスのままで、まさか朝比奈さんの名前が二年生の紙に書かれているはずもない。
今の所おかしな要素は緑のテキスト欄と朝倉さんを見ると表示される謎のゲージ。
「せ、1000%だからな……」
上履きに履き替えながら改めて朝倉さんの方を向いてみるも、数値はそうなっている。
親愛度というからにはフラグ成立に必要なゲージなんだろうそうなんだろう。
だけど言うまでもなくパーセンテージは100がマックスだろ。
フラグ立っているのか? これは何なんだ?
いい加減訊いておこう。
「ね、ねえ朝倉さん……」
「なあに?」
「違ったら気にしないでほしいんだけど、その、オレたちって……付き合ってたりするのかな……?」
校舎に入り二年五組まで向かいながらとりあえずの核心に迫ろうとした。
設定を知る所から始まる。
と言っても主人公は俺じゃなくキョンなんだろうけど。
すると隣で歩く朝倉さんは。
「何言ってるの? 明智君、本当に大丈夫? 病院へ行った方がいいんじゃないかしら」
「あ、そっか。悪いね変な事言っ――」
「私とあなたは婚約関係にあるのよ。これ以上ふざけたら怒るわよ」
ま、マジか。
そんな事よりむすっとした表情の朝倉さんも可愛い!
ほっぺをぷくーっとさせている彼女など初めて見た。
たまらん。
が、彼女はいたって真剣らしい。
とんでも設定じゃないか。
思えば俺は一段落したのにも関わらず正式なプロポーズを彼女に行っていない。
まだ大きな課題が残っているというわけだ。
某霊界探偵みたいに三年後に戻って来る約束をして『そしたら……結婚しよう』って話が出来たらどれだけ楽か。
地球に戻って来た段階でやればよかったじゃないか。
俺の馬鹿。
「ごめん朝倉さん。冗談だよ」
冗談じゃないぜ。
どこの朝倉さんも俺にとっては女神様なんだから。
教室に入るや否や、新学年特有の微妙な空気であった。
話し合う奴も居れば一人でぽつーんと座る奴も居る。
後ろに涼宮さんが居るというのにキョンもその口であった。
彼は教室に入った俺をじろりと見てきた。
どうやら彼もこっち側の人間らしい。
早速キョンの席まで行き。
「式はどうせ長くなる。先にトイレでも済ませておかないか?」
「……ああ、いいぜ。くだらん話を今の内から聞いておくのも悪くない」
僅かな作戦時間を確保する事に成功した。
出席番号順では朝倉さんは俺の後ろにはならないのである。
別に何をするにしても彼女と一緒である必要はないんだし。
なるべくゆっくり廊下を歩きながらキョンは。
「で、こりゃ一体全体どういう事だ」
「どうなってるんだろうね」
「恋愛ADVだと? 俺はそんなもののお世話になぞなった事ないが、どういうもんかぐらいは知ってる」
俺もだ。
古泉はどうなんだろうか。
というかあいつは女子に興味があるのか。
涼宮さんに対しては恋愛というより神父が神を愛するのと同じ類の感情を抱いている。
浮ついた話も聞かない。
女子に人気があろうとあいつは笑顔を振りまくだけ。
プレイボーイの方がマシだろうに。
「これもハルヒの仕業なんだろ。RPGといい意味がわからん」
「そうか?」
「何だ。何か言いたそうな顔だな」
諸悪の根源らしい奴に言われても説得力が無いんだよ。
お前と涼宮さんが丸く収まっていればRPGだけで済んだはずだ。
「シュミレーションなんだよ。あっちの世界もこっちの世界も」
「現実とゲームを一緒にするな」
「オレに言われてもねえ」
「まったく……」
トイレに入るとさっさと小便を済ませ、手を洗う。
ハンカチぐらい用意しろよキョン。
気持ちは分からんでもないが。
「……そう言えば、親愛度メーターの件なんだけど」
「俺は何も見ていない!」
「落ち着けって。別にキョンの話を聞きたいわけじゃあない。ただ、相対的な話がしたいんだよ」
「わかりやすく言え」
「なあ。1000%って普通なのか?」
教室へ戻りながらそんな事を訊く。
キョンはヤバいものを見るような顔で。
「俺の耳が正常なら明智は今100%中の1000%について言及した気がするんだが」
「そうだけど」
「……もしかしなくても朝倉か」
他に誰が居るんだよ。
しかし、キョンの反応で大体の察しがついてしまった。
仮に涼宮さんのキョンに対するゲージが100だとしてのこの反応。
最大値じゃなくてもかなりの高さなはずだ。
それを見たキョンが俺の1000%発言に驚いているんだよ。
あり得ないという訳だ。
「……強く生きろ」
「何より肝心の朝倉さんがこの異常事態を察知していないみたいなんだよ」
「ハルヒも普通の様子だったからな。新入生歓迎会を盛り上げるためのアイディアどうこうとか言ってたが」
「現実でもそんな感じだったね」
「まさか朝倉までゲームのキャラクター側に回されたという事か? だとしたら長門や朝比奈さんも……」
「うん、要確認だ」
涼宮さんがBLゲーの世界がいいなんて腐った考えを持っていない限り攻略対象は女子。
でもって古泉も正気らしく、プレイヤーはSOS団男子三人というわけだ。
とは言えクリア条件などたかが知れている。
「キョン。お前は一度世界を救ったんだ」
「……随分昔の話を持ち出してくるな」
「お前はヒーローなんだぜ? ワクワクを思い出すんだ」
「うるせえ。"眠り姫"はもう勘弁だ」
今後のアテもないが、この世界は比較的安心設計だろう。
一歩外に出れば小鳥がさえずる春の空気に満ち溢れている。
仮想世界にしちゃ上出来ではないか。
ウラシマ効果が発揮されるかは知らないが涼宮さんが満足すればいつも通り出られる。
「おい」
何だ。
突然立ち止って。
「お前の能力でここから出られないのか」
「……忘れられたかと思ってたよ」
「空間転移どころか世界を移動出来るんだろ? なら話は早い。ハルヒはどうにか誤魔化すか、最悪気絶させて運んじまえばいい」
「物騒だなあ」
「とにかくこんなふざけた世界からはとっととオサラバしたいね俺は。緑のこれがうっとおしくてたまらん」
同意してやるよ。
だけど、それが出来たらどんなに楽か。
「オーラは練れるが"発"は無理だ」
「……専門用語を使われてもわからん」
「要するに世界移動どころか"異次元マンション"も使えない」
「はぁ。意味がわからないし笑えない状況なのはわかった……」
とにかく情報交換というかただの意見交換以下の語り合いを終えて、教室に戻った。
着席してから少しすると担任の岡部先生がやって来て出席確認を終えた後に体育館への移動が告げられる。
いよいよ始業式という訳だ。
いつぞやはそれどころじゃなかった不穏な空気さえあったが、ここが仮想空間な点以外は平和だ。
朝倉さんの認識はさておき彼女が居る以上のんびりするのもいいだろう。
なんて結構呑気してた俺の考えに陰りがさすのはそこまで時間がかからなかった。
始業式と言うものは校長先生の話よりも段取りの悪さの方が問題なのではなかろうか。
着任式をセットでやるもんだから時間がかかるというもんだろう。
まあ、学校が早く終わる事には変わりないのでどうでもいい。
適当な事を考えているうちに適当に時間は流れて行った。
ほどなくして教室まで戻り、ホームルームの時間となったわけだ。
去年よりも簡略化された自己紹介を岡部先生がするところなど現実のそれと変わりない。
涼宮さんはどこまでリアリティを追求しているのか。
谷口や国木田がこっち側じゃない事だけは確かだった。
まさか周防は来てないだろう。
確かめるまでもなく、この世界はSOS団メンバーシップオンリーだ。
順当に生徒の自己紹介の時間となり、ほぼ最速で俺に番が回って来た。
「えー、明智黎。趣味はパソコン弄りと文芸活動。座右の銘は『どんと来い、超常現象』です」
申し訳程度のSOS的要素を追加して、俺は着席する。
乾いた拍手が続く自己紹介。やるだけ無駄だろ。
そしてすぐに朝倉さんの番は回って来た。
「朝倉涼子です。同じクラスだった人が大半だけど、知らない人のために簡単な自己紹介をします」
いかにも優等生キャラだが、そんな彼女が魅力的なのは言うまでもない。
暫しの間他の野郎連中も彼女の美声を耳にしてしまう訳だが俺は心が広いからな。
多少は見逃しておくさ。
「まず、男子ね。私は明智君の婚約者だからあなたたちの相手をする事は出来ないの。はっきり言うけど時間の無駄だから視界に入らないでくれるとありがたいわね」
……うん?
さらりと恐ろしい事をさも当然の如く言い放ちませんでしたか。
瞬間、空気が一変した。
ここはアラスカかと勘違いしてしまうぐらいに冷えている。
否。
朝倉さんによって凍らされている。
「だけど学校生活じゃそれも無茶よね……うん。だからそれは許してあげる。私に話しかけないでね。そこがあなたたち俗物の限界よ」
たまらず後ろの方を振り返る。
二席離れたそこに立つお方。
笑顔だ。
本当かよ。
「そして女子だけど……」
なるほど。
とにかく結論から言う必要があるらしい。
えらい怪物がそこに居た。
「明智君に少しでも触れてみなさい。明日の新聞が愉快な事になるわよ」
少なくとも俺にとってはただの恋愛ADVなどではなかった。
これは当たり前の話になるが、ジャンルと言うものが存在する。
恋愛ADVの中でも更に細分化されていくというわけだ。
「わかったかしら?」
ヤンデレ。
笑顔の朝倉さんは眼が笑っていなかった。
そこからハイライトが消えていくのもそう遠くない先の話になる。
どうするよ、俺。